おてんば姫の章・後編
全く判らない。
お手上げだ。
複数のツールを併用して有機メモリを探ったが、エラーになるような物は何一つ無かった。プログラムの関連づけも正常だ。ヤーンのシステムは極めて優秀で、状況判断においてもプログラムが迂回するようなことはない。普通、異常な行動のほとんどはこの関連づけの不具合から起きる。
それでも、ことあるごとに緊急生命維持プログラムが作動していることは事実だ。
そうなると考えられるのは基礎人格の設定に問題があるとしか考えられないが、そこまで踏み込むとエリザベスの模擬人格は全く違うものになってしまうおそれがある。
人間もそうだが、心に手を入れると言うことは、元の人格を破壊することに等しい。それは最悪にして最後の手段だ。黒崎自身も踏み込みたい領域ではなかった。
電脳に潜り込み、記録を組み替えていくのは最悪の作業だ。小さなエラーが頻繁に発生し、それを組み替えていくたびに警告音が悲鳴のように聞こえる中での作業は工程自体の複雑さもあってストレスのたまる作業である。
だが打つ手が限られてきている。その「最悪の作業」をも考えなければならないのかもしれない。
雫に休息を提案され、もっともだと思ってツールと機材の電源を落としたあたりで映話に呼び出された。
「やっほー。お暇?」
褐色の大柄な女がディスプレイの向こうで手を振っていた。
「リリィ。この顔が暇に見える?」
「見えるわ」
そんなはずがあるものか。
化粧もしていなければ髪もボサボサである。
黒崎は苦笑しつつも、ヘッドギアを机に置いて画面に向き直った。黒崎が以前、ワーカー・デトニクス社で勤務していた頃、そこで事務として働いていたのが彼女だった。
リリィの本名は本当はリィリィであるのだが、何度も間違っているうちにこれが愛称として定着してしまい、社にいた頃は誰も「リィリィ」とは呼ばずに「リリィ」と呼んでいた。
黒崎が辞めたあともワーカー・デトニクス社に居たようだが、半年ほど前に結婚退職し、暇を持て余していたりするときはこうして黒崎の家へ映話をかけてくる。
燃えるような赤毛は彼女の性質をそのままに物語っていて、およそ物怖じという単語は彼女の中に存在しない。
しかし闊達な彼女と話をしているのは、黒崎も嫌いではなかった。
時と場合にもよるが。
「修羅場ってほどでもないけど忙しいのよ」
リリィにしてみれば軽いジョークのつもりなのだろうが本当に行き詰まっているので笑うに笑えない。
皮肉を言うつもりではないのだが、語尾に軽い苛立ちが混ざる。
「ってことは全然仕事が進んでないってことでしょ」
言われた本人の反応はさらりとしたもので、さりげなく核心をついてくるあたり黒崎にも反論のしようがなかった。
「う。鋭いわね」
図星を指されては返す言葉もない。
「そりゃーもう。顔に出てるわよ。『もううんざり、ガッカリ』って」
「そんなに疲れた顔してる?」
「してる。だからアタシが気分転換に付き合ってあげようかなーって思って映話に繋いだのよ」
別に彼女は感応系能力者ではない。黒崎の気持ちを察して話しかけてきたわけでないことは明白である。
つまり。
「私の、じゃなくて貴方の気分転換でしょ」
「でも人と話すと和むわよぉ。悩みも愚痴も全部ぶちまけるととりあえず何とかなるじゃない」
「さてはまた喧嘩したわね」
今度は黒崎の方が図星を指したようだった。
リリィの眉と目尻が一気につり上がる。
「だって、あいつったらアタシの部屋で煙草吸うなッて言ってんのに平気な顔して吸うんだよ? 信じらんないと思わない?」
「いいじゃない煙草ぐらい」
「よくはないわよ。ほかのメーカーの奴ならいざ知らず、あの煙ったい「ハスラー」なんか吸うんだから。あの生地に染みこむ臭いの苦労はあんたには判らないでしょうけど、そりゃあ酷いものなのよ?」
外に行っている間に全部捨ててやったけどね、と付け加えた。
都市管理局の基準をかろうじて下回る、というレシピの合成煙草ハスラーは天然物の煙草同様、一般の人間からは忌避される代物だ。
「捨てるだけじゃなくて禁煙させればいいじゃない」
「吸わないと仕事で間が持たないんだって。なら仕事中だけ吸えってぇの」
「子供でも作れば良いんじゃない? お腹の子のためって言えばやめるかも」
「そんなホイホイ作れたら苦労はしないわ」大破壊以来、世界全体での出生率の低下はもはや社会問題となっている。「人工授精しか適正がないあたしらには出来ない作戦よ」
「いいじゃない、それでも。子供は子供なんだし」
「あんた、うちの親みたいなことを言うわね」
「子はかすがいって言葉もあるわよ」
「それ、どこの言葉?」
「古いライブラリに載ってたわ」
「それじゃ、今の時代には合わないかもね。ま、それ以外にもいろいろあるのよ」
リリイは身を乗り出して逆に黒崎に質問した。
「んで、今はなにやってんの?」
「預かり物の調整。とは言っても原因がわからないから、まだ色々調べないないとだけど」
「そんな仕事、フリーでよく続くわね」
リリィはどこか呆れ顔だ。
「自分でも驚いてる。でも好きで始めたことだし、評判も上々だし」
「昔から入れ込んでたものねー。でも人形にばっかりかまけていると、婚期逃すわよ。年取るのなんてあっという間なんだから」
「あなた、自分の方が先に結婚したからって偉そうに言うんじゃないわよ。半年前まで男居なかったくせに」
黒崎の言葉に、リリィはにやりと笑った。
「ふふん。でもあんたは失恋で、あたしは結婚。人生面白いわよねぇ」
「面白くないっ」
「怒らない、怒らない。そんなに男が欲しけりゃ、あんたんとこの助手、あれを男に改造しちゃいなさいよ。気が紛れるかもよ」
「そんなことしないわよ。あの子にはあの子の人格ってものがあるんだから。あなただって、朝起きたら男に改造されてたらイヤでしょ?」
「うーん、そうかなぁ。とっても面白いと思うけど。新鮮な経験じゃない、別の人間になるって」
「で、旦那を女にしちゃうわけ?」
「あはははは。それもいいかもね。もっともそんなお金無いけど」
金があれば本当にやりそうなところが恐ろしい。
「……………あなたには負けるわ…………」
「人生、難しく考えない方がいいわよぉ。男に振られたぐらいで腐ってちゃ勿体ないじゃない」
「別にっ!振られたわけじゃなくて…………見解の相違というか…………主張の違いというか」
その時。その時までは、二人の間に足らないもの、噛み合わないものなど無いと思っていた。
今でも納得はしていない。でもきっと、そんな理由。
黒崎が胸の内に抱く懊悩を、リリィは一蹴する。
「世間一般ではそういうのを振られたって言うのよ。だいたいね、考え方が違うとかそんなの当たり前じゃない。他人なんだから。
そういうのを理由にするって事はね、あんたはいいようにその男にあしらわれただけなのよ。
少しは怒りなさいって」
「あなたは極端すぎるわよ」
「そんなこと無いわ。恋愛百戦錬磨の私が言うんだから絶対真実よ。工学博士だかなんだか知らないけど、人間的には下の下ってとこね」
「ちょっと。それ以上言うと怒るわよリリィ。彼はそういう小細工の出来る人間じゃないんだから。」
「はぁ。そこでまだその男の肩を持つわけ。こりゃ重症だわ」
「あんたに何が判るってのよ」
「うーん、とりあえず、結構派手に振られた割には恨みもせずにその男に気があるってのはよく判るわよ」
「ぐっ」
百戦錬磨かどうかはともかく、リリィの指摘はいつも物事の中心を射貫く。
「まっ、そういう古傷はそのうち時間が解決してくれるわよ」
「それは自称『百戦錬磨』のリリィさんの経験?」
「そうよ。恋の痛みで胸が張り裂けて死んだ奴なんていないもの」
「…………ありがたいアドバイス痛み入るわ」
全然事情が通じていないので黒崎はただ溜め息をつくしかなかった。
「ところで、その奥のベッドの子がその預かり物?」
リリィが画面を覗き込むようにして黒崎の奥を見る。
映話に取り付けられたCCDが連動して『おてんば姫』に焦点を合わせた。
「そうよ。綺麗な顔してるけど、なかなかおてんばものなんで、ちょっとお淑やかにしてほしいっていうのが依頼なんだけど」
「飛び跳ねたり物壊したり?」
「まぁ似たようなものね。水ぶっかけたりするみたいだから」
「それはあれよ。きっと持ち主が嫌いなのよ、その人形」
「それはあり得ないわ。リブロイドは、持ち主に対して絶対的に服従するようにプログラムされているんだから。リブロイド規制法にもちゃんと明言されているの。だから、持ち主に危害を与えるなんていうことは本来あり得ないのよ」
「ふーん。そういうものなんだ」
リブロイドのメーカーに勤務していたとはいえ、リリィにはリブロイドの仕組みに関する知識はほとんど無い。
「はじめからそういう服従プログラムが組み込まれているなんて、なんだか可哀想ね」
「そうね」
「あたしだって、亭主に頭に来たときは水ぐらいぶっかけるわよ」
「まあ依頼主も神経質そうな人だから、時には怒りたくもなるでしょうし…………」
自分の言葉に、ふと我に返る。
ウォレル氏への行動が、意味するもの。
怒る。
いや、怒りなどというものはありえない。
リブロイドには攻撃的感情を持たないよう、あらかじめ制御されている。
「ちょっと。何よ、急に黙り込んだりしちゃって」
「ごめん、急用を思い出したからまた後でね」
黒崎は返事も聞かずに映話をきる。
「雫、システムの冷却は大丈夫?」
「さらに長時間の使用をなさるのでしたら強制冷却システムの使用を提案します」
「そうね。長丁場になるかもしれないからお願いするわ。もう一度お姫様の記録に潜るから手伝って」
「了解しました」
雫の駆体がいかに優秀とはいえ、長時間サブシステムを駆動させればオーバーヒートしてしまう。
雫自体の電脳は問題ないだろうが、補助システムとしてハードポイントに増設された機器はかなり無理をして小型化しているので内蔵の冷却システムではまかないきれない。雫の髪は放熱用に熱伝導素子を兼ねているが、それに頼るのも問題だ。
過負荷に対応した大型の冷却装置も存在するが、流石に個人では導入できないので黒崎は廃棄されたリブロイドの循環型冷却器を複数連結した手製の冷却装置を使っていた。
上腕と大腿部に太いゴムチューブを接続した雫は、黒崎と「おてんば姫」の間に割って入り、後頭部のスロットを開いてハーネスを繋ぐ。
黒崎も雫を経由してハーネスを繋ぎ、もう一度ログを調べ直しにかかった。
ブレイン・マシン・インターフェースと呼称されるこの情報処理システムは、使用者の嗅覚や聴覚をシャットダウンし、触覚をも制限する。その分、脳の機能を情報端末化でき、視覚情報よりもはるかに高速の情報処理が可能となる。
もちろん、弊害もある。
あまりに密度の濃い情報は脳が焼き付けを起こし、最悪の場合には脳神経が壊死するほどのダメージを受ける場合がある。また遺伝的なものか資質的なものか、システムに適合しない場合があるという問題があった。
もともと、このシステム自体が感応系能力者の機能拡張を主眼として開発された戦術システムが母体になっているので、システムへの適正はおそらくは遺伝よりは資質の問題なのだろう。
黒崎自身は何の能力も持たないが、最近の研究ではほとんどの人間には潜在的に能力の資質があるといわれている。潜在的に眠っている部分と感応しているのかもしれない。
黒崎の扱うブレイン・マシン・インターフェースは「サーキット・コネクタ」と呼称される市販のものをチューンしたもので、雫の補助システムを経由することで情報密度を細かくコントロールし、黒崎自身のバイタルチェックと併せて過度の使用を監視しつつ高効率化するという複雑なものになっている。
これは黒崎自身の設定ではなく、設計者が黒崎の性格を見越してそのようにしたのだった。
そんな過保護な、と当時は思ったものだが、こうしてしばらく使ってみると、なるほどそのおかげで何度も危ないところから引き返す事ができている。
便利なためについつい長時間使ってしまうのだが、脳への負担は深刻化したときにはすでに遅い、ということが多い。
雫のフォローがなければ何度も病院へ担ぎ込まれたことだろう。
黒崎の仕事はもはや雫抜きでは考えられない。
「データ量の調節は私が主導でよろしいですか」
「お願いするわ」
本来は黒崎が所有者であり立場は上のはずなのだが、最近はなんとなく頭が上がらなくなってきてるような気がする。
しかも間違っていないので余計に逆らえない。
雫の周りで冷却剤を循環させるモーターの音が響く。
やがて聴覚のシャットダウンとともに世界は無音に移行していく。
補助システムの稼働によって、ウォレル氏の邸宅で行ったときよりも遙かに密度の高い情報が黒崎の脳に流れ込んでくる。
ヘッドマウントディスプレイの視覚情報と脳に直接流れ込んでくる情報。雫によってライブラリ化されたおてんば姫の行動記録は、黒崎の操作する光学式キーボードによって逐次抽出され、黒崎自身の脳へと転送される。
明滅する情報の中、黒崎は求めるデータの探り出しにかかった。
長い間記録に潜っていたので目眩がする。
「煙草の本数が3本以上の時」の妨害。
「ワインがボトル半分以上の時」給仕拒否。
「深夜2時以降」外灯および室内灯の強制消灯。
もはや統計を取るまでもなく、おてんば姫の抑止行動の条件付けははっきりとしていた。
そのなかで黒崎が注意して見ていたのは、行為そのものに至る過程だった。
何故生命維持プログラムは暴走するのか。
ずっと記録を追っていて、その正体がわかった。
彼女はほとんど喋っていない。
彼女の会話パターンはかなり制限されている。
単純すぎて見落としていた。
恐らく「静かに生活したい」「邪魔されたくない」というウォレル氏の意向で会話機能そのものが大幅に削られているのだろう。そういう設定をする人間は多いが、ウォレル氏の場合はそれが徹底しているのだ。そのため抑止行動に於ける口頭での警告も「不要な物」と認識してしまっている。
だから、彼女は自分の「思い」を言葉にして伝えることが出来ない。 ハウスキーパーとして、またウォレル氏の健康管理を担う者として、彼の体調維持は最上級命令の一つだ。ただ、言葉を封じられている彼女には、そこに至る過程がない。
そして会話によるコミュニケーションを目的として作られている模擬人格には、文字を書いて意志を伝えるというシステムそのものが存在していない。
ゆえに彼女は自らに与えられた「行動する」という選択肢を使ってのみ、自分の意思を表明できる。
[抑止が目的であり、且つ行動からそれが類推できるもの]
と言う答えを彼女は選択しているのだ。
「そっか。貴女も苦労しているのね」
響は、眠ったままの『おてんば姫』の髪を優しく梳いた。
「でもそのやり方はよくないと思うわよ」
原因がわかれば、そこからの作業は早い。
「雫、電脳を最適化するから関連ツールを全部持ってきて」
「彼女の基礎人格を書き換えるのですか?」
何処か非難めいた口調。
いやそうではない。
雫は口頭で確認しているだけだ。
人格の書き換えをするならば、そのための機材も必要になる。イエスなら、雫はそのための機材をここに持ってくるだろう。
そのことに対する確認だ。
だが、黒崎にはそう捉えることが出来なかった。「リブロイドだから、好き勝手に『心』をいじる気なのか」
そう聞こえた。
それは彼女の訴えのようにも聞こえた。
もしも、雫に心というものがあるのだとするならば。
「書き換えなんかしないわよ」黒崎は静かに言った。「そんなことするもんですか」
彼女の心の枷をはずしてやるだけだ。
必要なことを伝えることが出来るように。
雫は何も答えない。
それが雫自身の答えなのだ、と黒崎は思った。
ウォレル氏の屋敷に、「おてんば姫」を納品する日がやってきた。
「で、どうだね。何が異常なんだね」
「技術的な面から申し上げれば、今回の件は異常ではありません」
「どういう意味だね」
「行動そのものは異常に見えますが、プログラムの問題ではないんです。強いて言うなら、スケジュール管理と健康診断プログラムの過剰反応といったらいいでしょうか」
「スケジュール管理と健康診断プログラム?」
「ええ。彼女の妨害行動は全部貴方のことを考えてのことですから。貴方が夜更かししたり、お酒を飲み過ぎたり、煙草を吸ったりしたときに彼女はそういう行動を取りませんでしたか?」
ウォレル氏の視線が宙を泳ぐ。
僅かの間そうしていたが、ぼそりと呟く。
「そう言われれば確かにそうだが…………」
「これほどの高級品になりますと、OSもかなり高度な学習能力を備えています。彼女の場合、貴方への抑止が効果を成さないと判断したので、直接的な手段で妨害に出たのだと思います」
「つまり、幾ら調整した所で無意味だといいたいのか」
黒崎は肩をすくめた。
「一時的に抑止行動を取らせることは出来ますが、おそらく自己学習によってそのリミッターを外してしまうでしょうね」
事実、黒崎はそのように細工した。
会話機能を削減すること自体、模擬人格に大きな負担を与えている。模擬人格というシステムはもともと「言語によって人間とコミュニケーションをとる」ことを目的として作られたものだ。
命令を解し内容を確認するため、円滑的な相互理解のためのシステムを封殺されていては、リブロイドはその行動の条件付けがいつまでも確定することなく混乱したままになる。
今までそれが起こらなかったのは、単にヤーンのOSが際だって優秀だったからに他ならない。
おてんば姫の抑止行動は彼女なりの精一杯の自己表現だったのだ。
これがそのまま続けば、遠からず彼女の模擬人格は崩壊し、行動の条件付けは「何もしないことが最良の手段」という袋小路にはいるだろう。
それを回避するために、黒崎はおてんば姫の抑止行動そのものを条件付けの一つとして定義し、状況によって選択させることにした。
本音を言えばすべての制限を解除して元の状態に戻す方がおてんば姫の人格育成上は好ましいが、依頼主の要求に最大限に応えることはこの仕事の最低条件だった。
だから、その範囲の中でベストを尽くすしかない。
過度の抑止行動をとらぬようにするために、本来の条件付けである「会話機能の制限」を緩和した上で、第二条件として抑止行動を婉曲的に認可させ、彼女自身の判断で変わることのできる余地を持たせる。
それは抑止行動のバリエーションに幅を持たせることで持ち主にもおてんば姫自身へも負荷を軽減できるのではないか、と考えた黒崎の回答だった。
「矛盾しているようですが、高級なOSほど無駄は増えます。なぜなら彼らが貴方の心を、意を感じようとするからです。だから貴方も彼らに歩み寄らなければなりません。」
「それでは欠陥品じゃないか。ユーザーの命令を受け付けないようではハウスキーパーとして何の役にもたたん。どうにかならないのか」
「即効的な解決策としては、もっと低級なOSを積む方がよろしいでしょうね。与えられた命令だけをこなす、文字通りの人形になるように。ただ、その場合は備えられたオプションを活かすことは出来ないとお考えください」
リブロイドを何でも言うことの聞くロボットメイドのようなものだ、と考えている人間は多い。
しかし実際はそうではない。
プログラムによって制約されているとはいえ、論理思考能力を併せ持った存在だ。相反する命令や自己保存に反するような行動は拒否するし、製造目的に添わない状況は自分に与えられた機能を使って最大限に改善しようとする。
それは『命令されて答える』のではない。それがプログラムによるものだとしても『自分の意志で答える』のだ。
「貴方は笑うかも知れませんが…………彼女は純粋に貴方を案じているんです。彼女の場合、会話機能がかなり制限されていますから、それが抑止行動という形になって表れているのでしょう。こういう高級品という物は、そういった感情プログラムの機微を楽しむもの、と考えていただければ良いと思います」
「つまり、無駄であることを楽しめ、ということなのか?」
「そうです。ただ、言われたことをするだけなら音声認識のついた洗濯機でも給仕装置でも良いはずですから。リブロイドが人の形をし、人語を解し、独自の解釈で奉仕するのは、それが彼女たちの「意志」だからです。それを良しとするならば今のままであるべきですし、そうでないのなら彼女を「ロボット」にするべきです」
ウォレル氏は黙ったままそれを聞いている。
黒崎は続けた。
「人間もそうですが、初対面の人間とは上手くコミュニケーションできませんよね? お互い、長い時間をかけて互いを理解しようとするはずです。
リブロイドは確かに機械で出来た人形ですが、理解という点に関しては人間と同じです。面倒だと感じるかもしれませんが、そのように接してあげてはいかがですか?」
黒崎は『おてんば姫』を見た。
眠っているような彼女。
報われない想いを抱き続ける彼女。
作られた者であるがゆえに枷をつけられている彼女。
その心を知っているのは黒崎ただ一人だった。
黒崎が訴えれば、ウォレル氏には通じるだろうか?
否、通じる通じないではなく、彼女は技術者としてそれを伝える義務があった。
それが彼女の仕事。彼女の役割。彼女に出来ること。
黒崎は視線を再びウォレル氏に戻した。
「お安い買い物ではないのですから、愛着を持ってやることです。
彼女の応対に問題があるというなら、貴方が言って聞かせればいいんです。最初は上手くいかないでしょうが、じきに通じるようになります。
貴方とのコミュニケーションが取れるようになったとき、彼女の機能は全て貴方一人だけのためにフル稼動しますし、貴方のマイフェアレディになってくれるでしょう。
彼女はそのように設計されているのです。
勿論、貴方がそうなるように望めば、ですが」
「つまり、この状態のまま正常な動作を望むことは出来ない、ということだな」
「そうです」
正常な動作、というのがただの給仕ロボットになるという意味ならば。
その答えはウォレル氏にとって満足のいく答えではなかったようだが、報酬はきちんと払う、と約束してくれた。
玄関まで見送ってはくれたが、その顔には明らかな落胆が浮かんでいた。
駐車場まで歩いていく黒崎の足取りは重かった。
買った品物が高価だからこそ手を掛けてメンテナンスしようと言う気持ちがあるのであって、リブロイドそのものに愛情を持っているわけではない。
残念ながら、黒崎には彼女の今後を見守ることは出来ない。
黒崎が幾ら優れたリブロイドの技術者であっても、リブロイド達を取り巻く世界の全てを変えることは出来ない。
愛される者も有れば捨てられる物もいるのが彼女たちの世界だ。
「どうかしたのですか?」
「いえね、お金があんなにあっても、ちっとも幸せそうじゃないなって」
「それは『おてんば姫』を憂えての言葉ですか?」
「いいえ、と言いたいところだけど………………やっぱりそうね。彼女のことが心配じゃないと言うのは嘘になるわね」
「持ち主のために尽くすのが私たちの努めです。
結果がどうであれ、持ち主のために自分の能力を使うことは、私たちにとって幸福なのです。
私達はそのために作られ、そのためだけに存在しているのですから」
「それは貴女の言葉?」
「リブロイド行動原則の抄訳です」
「貴女の考えは?」
「私は要人護衛用のリブロイドです。
私はそのために作られました。
貴方を守ることが私の存在理由です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
私にとっての至上命令はただそれだけです」
「そんな命令は与えていないわよ」
「貴方が私を修復したときに与えた命令は『私の望むことを行え』でした。
その詳細は私には理解できません。
けれど、私に与えられた護衛プログラムは貴方を対象として認識しました。
私はそれに沿って行動しているだけです」
「それが貴女のルールという訳ね」
「そう捉えていただいて結構です」
人間とは異なる思考パターンを持つリブロイドだが、コミュニケーションの土台は人間と同じ『言葉』だ。
理解できようと出来まいと、『問い』に対して『答え』を出すことが出来るのは会話コミュニケーション成立の第一歩だ。
物に過ぎない電脳が、数あるパターンの中からの選択ではなく自立判断によって『意味』を紡ぐ。
それこそがリブロイドが到達すべき次の地平だ。
意味の有る無し、表現の適不適はこの際問題ではない。「おてんば姫」にしても過剰な反応とはいえ抑止行動には『意味』が存在する。
雫が自分の答えを出そう、と反応したことが響には嬉しかった。
とはいっても、それが即『自立した意識』の発露であるかどうかは判らない。リブロイドを教育するというのは、理屈っぽい子供を育てるような物だ。
心があるのか、そうでないのか。
それは人にも言えることだ。
我々人間が、与えられたパターンを模倣する存在ではない、という事は誰にも実証できない。
同様に、何をもってリブロイドに心があるのかという事も定義できない。
それでも彼女たちがただ無為な人形などとは思いたくはなかった。
彼らに高度な精神活動があるという報告は枚挙にいとまがない。多くの人間が信じていなくても、彼らには心が、少なくとも心に似たものがあるはずなのだ。
それを確かめたくて、私は工房を飛び出したのかもしれない。
デザイナーとして多くの「娘」を送り出してきた自分としては、その娘達の行く末を見てみたい、と思うのは当然だ。
少し離れた位置にいる雫がじっと見ている。
「それほどご心配でしたら、もう一度屋敷へお戻りになりますか?」
「そんな事はしないわよ。帰りましょう」
ここで出来ることはもう何もない。
響はもう一度だけ屋敷の方を振り返り、それからオープンカーへ乗り込んだ。