ナノテクノロジーとは微小な物の単位(100万分の一ミリというの微小な単位、もしくはそれ以下で行われている事を自在に制御する技術の総称である。

 分子を制する者は世界を制す。

 大破壊前の世界ではこのスローガンのもとに各国でナノテクノロジーの追求にしのぎを削っていた。生命へのアプローチ。物質操作の究極。あらゆる方面でもはや手詰まりとなっていた人類世界の革新を行うには、マクロではなくミクロへの視点が必要不可欠だった。
 大破壊後の世界でもそれに変わりはない。
 既存の物理法則とは全く別の法則が支配する微小世界では、構築のための精度、設計センス、そして事象を正しく理解する頭脳を持った研究者が不可欠である。
 微小世界を自在にコントロールする者たちは、世界を形作る者、コーディネイターと呼ばれ大きな尊敬と富を得ている。それはまさしく現代の錬金術。何よりも、生み出される物は金より貴重で世界すら変えうる賢者の石である。多機能材料、量子デバイス、慣性制御、ナノマシン。彼らの生み出した物は、かつて人類すら滅ぼしかけた大破壊の爪痕さえも癒し、不毛の大地に人間の生存出来る環境を作りだした。
 かくて人は再び楽園を物にしたのである。
 生まれながらにして欠けたる肉体を補い、あるいはさらなる力を付与し、現と夢を混ぜ合わせ、時には死すら欺いて。
 また、その影で無辜の民は生け贄となり、水面下では美徳と悪徳が交差する。
 テクノロジーは人を幸福にはしない。
 ただ、物の有り様を変えるだけに過ぎない。
 それでもナノテクノロジーは、死の世界を再び生有る物に戻したことだけは確かなのである。 

 現代の錬金術ナノテクノロジーには、分子を組み上げていく「ボトムアップ方式」と、微細加工によって物体をナノサイズにスケールダウンしていく「トップダウン方式」の方法がある。
 技術的には完全に望んだ物が構築出来る「ボトムアップ方式」の方が優れているが、大規模な施設が必要な上に生産性に大きく劣るため、「トップダウン方式」も用いられている。基本的にマイクロマシンのような物は「ボトムアップ方式」で、素材や基盤などは「トップダウン」方式で作られる事が多い。

 ナノテクノロジーの発展は、それまで単一の機能しかなかった素材に様々な付加機能を付与することを可能にした。 
 例えば、調査員達の使う検査シートは一見するとただの試薬にしか見えないが、実はナノマシンの集合体である。「マイクロラボ」と呼ばれるこの検査シートは、試料に浸すだけで集積、分類、分析、統計などの作業を行う、超超小型のコンピュータチップである。これはシートに織り込まれたナノマシンが試料に接触した時点でクロマトグラフィとして機能しながら、その電位差などを分子単位で計測し、試料分析していく。本来、別々であったこれらの作業を、マイクロマシン化し集積することによって作業時間の大幅な短縮、加えて人件費等の削減を実現している。
 このマイクロラボのシステムはDDS(Drug Delivery System=薬物送達システム)にも利用されている。血液中の特定の成分を監視し、濃度によって血中に送り出す薬物の量をコントロールするDDSは以前から存在していたが、ナノマシンを用いることによってカプセル大の装置に薬物とDDSの両方を搭載することが可能になり、糖尿病や抗ガン剤、免疫抑制剤など定期的に投与しなければならない薬品の類を安全に、確実に使用することが可能になった。体内に埋め込むだけでなく、シート状にして上皮から浸透させる方法のDDSなど医療分野での発展はめざましい。
 また建築の分野では、閉鎖された空間内での環境浄化のために、酸素濃度の調整や汚染物質の除去などを行う、多機能構造材も開発、運用されている。
 もはやナノテクノロジー無しでこの世界を維持運営することは不可能であるとさえ言える。

 余談ではあるが、ランクZ達の自己修復能力は現行の科学水準を遙かに上回る「何か」の産物であり、ナノテクノロジーによる物ではないと推測される。彼らの肉体は、何らかの手段で情報的に「固定化」されており、欠損が生じた場合、それらを一度分子単位で分解した後、固定化された情報に沿って再構成される。
 故に、彼らはバラバラにしたり、潰されて粉々にされて灰にされてあちこちにばらまかれたとしても、何事もなかったかのように蘇る。 それは復活でも修復でもない。存在そのものが確定しているが故に、構成している器が崩れた時点で、また巻き戻しが起こるだけのことなのだ。
 それは欠損部位を体内の余剰物で組み立て直し、補完するナノマシンの修復とは根本的に似て非なる技術である。


戻る。