それ自体は、過去の秘儀を記した単なる書物、あるいは遺物に過ぎない。
 内容も古めかしく、また魔術の理論にはそぐわない絵空事を記した物が大半で、本当に意味での秘儀に精通した書籍は数少ない。
 そう言った意味で、魔術書は一般に単なるアンティーク、あるいは好事家達の「珍しさ」目当ての稀覯書の域を出ない物が多い。
 けれどもほんの僅か、ごく限られた数だけではあるものの、この世の神秘に触れた正真正銘本物の「魔術書」が存在する。
 魔術とは独自の科学観に基づく、体系づけられたアスペクトの制御法であると解釈されており、その技術自体が危険視されている。
 事実、こうした魔術書は、ほとんどがゲマトリア(数秘法=単語を数列変換して置き換えること)やノタリコン(省略法=頭文字のみを抜き出して単語を作ったり文を短縮する方法)等の暗号めいた置き換えに因って記述されており、単純な読解では意味が伝わらないようになっている。 
 また、さらに魔術書自体が、何らかの力によって変異しており、置き換えと同時に所有者への暗示や働きかけによって正しい意味を解釈させないようにされているものさえある。
 けれども、これらは技術を継承するためのテストのような物であって、論理によって構築されている以上、論理によって解錠することができる。

 アンタリオン寓意書

 12枚の羊皮紙で作られた彩色写本。
 ヘルメス・トリスメギストスの「エメラルドタブレット」ラテン語版と、その内容を記した寓意画が記載されている。
 ヨハン・ヴァレンタイン・アンドレエ「化学の結婚」の類似書として知られるが、アンタリオン寓意書はより錬金術的な内容を扱っている。
 原典はイエズス会修道士アタナシウス・キルヒャーの著作とも、その弟子の作ともされているが事実は定かではない。
 エメラルドタブレットの模写と言うよりは解釈書という位置づけに近い。
 後年になって、羊皮紙部分の保存のために特殊コーティング処理されている。
 3度の盗難に遭い、3度、盗賊の死体とともに帰ってきた曰くありの書物。
 電子スキャンによって作られた複製品が十数点確認されている。

 エヌマ・エリシュ

 後年になって作られた明らかな贋作。
 よって考古学的価値は低い。
 粘土板にくさび形文字でバビロニアの天地創造神話が書き留められている。
 エヌマ・エリシュの原典はアッカド語によって記述されているが、現存する3つのエヌマ・エリシュにはそれより後年に用いられた中期バビロニア語が使われている部分が4カ所あり、これが「エヌマ・エリシュがテムラー(文字置換法)によって意図的に記述されている」という説の根拠となっている。
 確かなのは、何らかの電磁気学的処理によって、微弱ではあるが特殊な波長の電磁波を放射していることである。
 人間の知覚を狂わせる作用があるとされ、翻訳を試みた人間のほとんど全てが一定の割合での誤訳を行っており、また機械による読みとりさえも誤訳が混ざるという神秘的な力を宿している。
 これについては「単に魔術的な処理の施されたアンティークに過ぎない」と言う説と「暗号によって記述の為された碑文である」という説があるが、未だ研究途上の物である。
 『エイワース』のサクラリッジ高等魔術院に一つ、『アナトリア』のエクスィード遺物管理局に一つ、『聖法王庁』スマラグディナ財団に一つが厳重に保管され、研究が続けられている。
 なお、題として用いられている「エヌマ・エリシュ」は冒頭の単語で「上の方で〜の時に」という意味の言葉である。

 レメゲトン

 ソロモンの小鍵とも呼ばれる、禁断の魔術書。
 異界より72人の『魔』を呼び出す技法が記載されているという話だが、現物を目にした者は皆無で存在そのものが仄めかされているに過ぎない。
 サミュエル・リドル・マグレガー・メイザースによって大英図書館から発掘され、アレイスター・クロウリーによって翻訳出版された物が有名だが、ここで言われているのはその原典の忠実な再現と模写の行われたものであり、翻訳本では削除された、あるいは失われた『魔』に関する印章の正確な模写が添付されているという。
 光沢のある黒革で装丁されており、表紙には何も書かれておらず、古びた合金製の錠によって厳重に施錠されているらしい。
 鍵は存在せず、真の所有者に出会ったときその錠は独りでに解き放たれるのだという。
 研究者の間では、大破壊後にとある国の図書館跡から無傷で発見され、現在はエクスィード本社の秘密金庫に鉛で覆われた特殊ケースで封印されていると噂されている。

 フレデリック・ブラウン草稿

 大破壊前の著名な魔術師であるフレデリック・ブラウンの出版直前の原稿。
 現在刊行されている「近代魔術概論」からはその技術的有用性と危険性から意図的に削除された内容を多数含んでいる。
 ブラウン自身の思念が宿っていると噂されており、この断片を手にする者はブラウンの囁き、あるいは警句を受け取る事があるという。
 草稿の中身はそのまま出版出来るほど完成されている物で、魔術の基本概念とその応用法、そして貴重な「ヘルメスの杖」の制作方法が記述されている。 特に、魔術師にとっての最重要法具であるヘルメスの杖、通称カドケウスは魔術的行程を踏むことによって完成する強力な増幅器であり、これを持つ者は魔術師として一流と見なされるほどである。
 現在はサクラリッジ高等魔術院の地下書庫に厳重保管されているが、正規の手続きを踏めばごく短時間だけ特別閲覧室で閲覧することが可能。ただし、魔術協会においてアデプト以上の位階の者に限られている。
 不完全な複製品が出回っているが、記載されているヘルメスの杖の制作方法には誤った部分があり、年に数名が事故死している。

 ネームレス・カルト

 複数の大学のサーバーに寄生する形でネットワーク上を漂うデータベース。
 大破壊前に、民俗学の権威であるフリードリッヒ・フォン・ユンツト教授によって提唱、制作された。
 民俗学における論文作成の負担を軽減するため、各地で収集されたカルト宗教、民族伝承、遺物、遺跡、碑文、呪文、儀式それらの写真映像等の膨大な資料が保存されている。
  ジェームズ・ジョージ・フレイザーの「金枝篇」フィールドワーク版とも言える内容であるが、その凡例は実に膨大な物で複数のサーバーにまたがって運用しなければならないほどであった。
 現在知られているこの「ネームレスカルト」は大破壊によって断片化されたそれを、ネットワーク復旧の従って修復・再統合したものである。
 あまりに巨大化しているため、データの閲覧と目録作成を補助するためにリブロイドの自律判断システムを応用した専門の管理用プログラムによって運営されていたが、関係者曰く「発狂して」あるいは「神格化して」通常のアクセスを受け付けなくなっている。また、そのせいでデータを分散して存在させるために、大学だけでなく民間のデータベースにも侵入しているようだ。
 データそのものが魔術化していると言われ、蓄えられた禁断の知識は探索者をつかの間の恍惚へと導くが、次の瞬間この世の物とは思えないデータ流に翻弄されて狂死する。
 ある階層まで下に潜ると、そのデータの異質さ故に発狂は免れず、最下層のデータまでたどり着いた者はとある愛煙家のソウルダイバーただ一人と噂されている。
 底なしの闇を湛えたデータライブラリであり、畏怖を込めて「無銘祭祀書」と呼称されることもある。

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