8月24日(金)

 夜、青少年補導員と青健連の合同夜間パトロールに参加した。有馬中学校区の主たる箇所を約2時間かけてパトロールした。

 以前、岐阜県の中津川市で、廃業したパチンコ店の廃屋で女子中学生が殺害される事件があった。そのパチンコ店の廃屋、日頃から若者たちのたまり場になっていたらしい。そのことは地域の人たちも認識しており、警察にも相談していたという。

 「壊れ窓理論」という言葉がある。壊れた、たった1枚の窓を放置すると、そのうち周辺の窓が次々に壊され、最後は犯罪の温床になってしまうというものである。
 1箇所の壊れた窓を修繕しないということは、他の窓を壊されても仕方がない…という誤った情報発信に取られてしまうものだ。

 見て見ぬ振り。これこそが犯罪を増長することは間違いない。ただ、やみくもに正義感をかざすのも問題でる。素人が、危うい場面で取れる行動には限界がある。単に声を掛けただけでナイフで切りつけられたケースは枚挙に暇がない。

 では、「見て見ぬ振り」が出来ない場面に遭遇した場合どうするのか。あなたは考えたことがおありでしょうか?
 こちらが一人の場合、複数の場合、相手が一人の場合、複数の場合等々状況はさまざまである。自分がそのような場面に遭遇しないという可能性はまったくない。つまり、そのような場面に遭遇する可能性は大いにある。そのときどうするのか…。

 要は、我々大人が防げる事柄をそのままにしておきながら、他の責任に押し付けてしまうことが正当化されてしまうことを危惧するものである。
 子どもは人類の宝である。その子どもたちに、いったい我々大人たちは何をしてやれるのだろう……。

8月23日(木)

 知り合いが怪我をして、以前から通院していた七沢の県立リハビリセンターに救急車で運ばれたとの情報があり、きょう見舞いに出かけた。
 以前、厚木市の岡津古久に立地する会社に勤めていたため、地理には詳しい。久しぶりに七沢方面を訪れた。実に懐かしい。伊勢原の運動公園には度々来ていたが、七沢方面はかれこれ6〜7年ぶりではないだろうか…。小野橋から七沢温泉に向かう道路沿いに流れる川には、以前アヒルが生息していた。生息といっても、誰かが放してしたのだろうが…。
 きょう、運転中ではあったが川にはアヒルの姿は見られなかった。はたして今でも生息しているのだろうか。

 見舞い後、市役所に向かい市民相談の対応に終始した。庁舎を約1時間歩き回った。なかなかつらい相談もある。しかし、一旦相談を受けたい以上、しかも自分でも「もっともだ!」という相談に対しては、たとえ時間がかかろうとも根気よく取り組んでいきたい。

8月22日(水)

 議員全員協議会と議会運営委員会が行なわれた。いよいよ来週から9月度の定例会が始まる。9月度定例会は例年、前年度の決算審議が行なわれる。つまり、18年度の予算案に対し、行政が実際にどのような予算執行を行なったかを審議する議会である。

 今定例会は、条例の改正や補正予算など20項目を越す議案が提出される。一般質問は9月13日・14日の2日間行なわれる予定である。11月の市長・市議選を目前にした今定例会。ぜひ皆さんの傍聴をお待ちしております。
 なお、傍聴が不可能な方はインタネットの動画視聴をお勧めします。当日のリアルタイムの放送や、後日の編集後の放送を提供しています。

 ご希望の方はこちらで…。


                 インターネット中継

8月20日(月)

 午後1時から団会議を行なう。終了後、支持者のお宅を参院選のお礼方々あいさつ回りした。
 倒れてしまいそうなぐらい暑い。おそらく35℃ぐらいはあるだろうか…。クールビズでまだネクタイがない分助かっているが、帰宅してズボンを見ると汗で塩が噴いている。いやいや参った。

 沖縄の空港で大変な事故があった。エンジンから出火し、機体が激しく燃え上がった。危機一髪、150人を超す乗客が無事避難できた。「もし搭乗中だったら…」と思うとぞっとする。
 海の事故や空の事故、陸上の事故等々、充分に注意しているにもかかわらず発生するのが事故たる所以。特に空の事故は、多数の死者を出す事故に発展する。もちろん陸も海もそうだが……。

 結婚した年の夏休み、妻と2人で東北地方を車で旅した。2泊目だったと思うが、奥入瀬渓谷の近くの旅館に宿泊した。チェックインして部屋のテレビを付けた途端に、御巣鷹山に墜落した日航機事故の報道が飛び込んできた。そのときも大変暑かった思い出がある。
 
 思い出の一端に、このような悲しい事故があるのは複雑である。特に人災による事故は勘弁してもらいたいものである。

8月18日(土)

 毎年、子どもたちの夏休みに合わせ青健連で夜間パトロールを実施している。毎週金曜日か土曜日のいずれかに計6回おこなっているが、きょう5回目が終了し、いよいよ1回を残すのみとなった。ということは、夏休みも残りが少なくなってきたということである。

 今年もひまわりがきれいに咲きほこった。青健連の「ひまわりキャンペーン」で、6月中旬に植えたひまわりの苗が見事に成長し、一斉に太陽に向かって咲いてくれた。
 しかし、残念ながらプランターに植えたひまわりはうまく育たなかった。わずかな土では、すぐに水分がなくなり枯れてしまった。まったく水やりもしないのに、植物をしっかり育ててくれる大地のありがたさを改めて感じる。


         見事に咲きました

8月15日(水)

 62回目の終戦記念日。

 先の参院選の真っ最中、ある議員が「原爆投下は仕方なかった…云々」と発言。広島・長崎の住民から大変な苦情が出た。しかも、よりによって当時の防衛大臣がである。原爆で、尊い生命を落とされた人やその遺族、そして今現在も後遺症に苦しむ人たちにとって、信じられない発言だったことだろう。怒りを通り越し、むなしささえ覚えた方もいらっしゃるだろう。

 昭和16年12月の宣戦布告から、約4年間続けられた大戦。この大戦で戦火に倒れた人は内外合わせて約310万人といわれる。途方もない数字である。このむごい大戦の象徴が原爆だと思っている。
 その原爆の投下を肯定するような発言をするとは……。

8月11日(土)

 このページをUPするのも大変なぐらい、忙しい日々を送っておりました。

 7月29日に投開票が行われた参議院選。残念がら、多くの皆様にご支援をいただいたにも関わらず、公明党は議席を減らしてしまいました。本当に申し訳ありません。次回の選挙では必ず勝利いたします。

 暑い日が続いている。猛暑と言うよりは酷暑である。どうか、高齢者の方や体調の良くない方はくれぐれも留意いただきたい。連日のように「光化学スモッグ注意報」が発令されているようだ。被害にあわれませんように……。

 今年の夏休みから、小学校プールの開放を取りやめ、市内3箇所にある屋内プールを子どもたちに無料開放している。当初、私のところにも苦情の電話を何本かいただいた。そのほとんどは、「低学年の子どもの付き添いにいけない」と言うもの。
 共稼ぎ世帯が多くなったせいだろうか? また、さまざまな活動で親が夏休みに子どもの相手がなかなか出来ない。もちろん我が家も例外ではない。

 子どもたちがまだ小さい頃、我が家では毎年夏に3泊4日程度でキャンプに出かけていた。信州方面が多かったように思う。特に、妙義山のキャンプ場で夜見上げた夜空が忘れられない。子どもが雲と見間違えた天の川。そして、明け方の夏とは思えない冷え込み。

 間違いなく、夏の思い出は子どもたちの生涯の記憶に焼きつくに違いない。この夏、子どもたちと市内の温水プール(総合運動公園プール、北部運動公園プール、高座清掃施設プール)で、思い出を作ってはどうだろうか……。

6月3日(日)

 支部長を務める、青健連門沢橋支部の運営委員会を開催した。日曜日の朝10時にも関わらず、各種団体の代表の方々にご参加をいただいた。ありがたい。

 年間行事予定の詳細や、連絡方法の徹底、懸案事項等を検討させていただいた。考えてみれば、私は青健連だけだが、各種団体の皆さんは所属団体の事業を行ないながらの青健連活動である。極力ご負担をおかけないように配慮したい。

 新学期の時期になると「PTA役員」をめぐる記事が決まって新聞に載る。要はやり手がいないという記事である。共稼ぎ世帯が増え、「とてもPTA役員はできない」という意見と、「できる範囲で学校運営に関わっていきたい」という意見。
 どちらが良い悪いを言うつもりはない。先日、次男が通う高校のPTA総会に、議長として参加した。事前調整会議で、本年度の新役員さんと懇談した。そのうちのお一人は、フルタイムで働きながら幼稚園と高校のPTA本部役員をやっておられるとの事。しかも子どもさんは8人。ご夫婦のご両親も含め12人の大家族ということだった。

 出来ないと思えばできないし、出来ると思えば出来る。そのことを実感させられる懇談であった。ちなみに、1回の食事で使う米の量は1升だそうだ。それでも足りないときがあるらしい。1日3升。米代だけでも大変そうである。とても私にはやれそうにない‥‥???

6月1日(金)

 6月度定例会初日。きょうは、ひたすら20の議案の説明と採決を行なった。内、2つの議案がそれぞれの常任委員会に付託された。

 本会議終了後、昼食をはさみ各派代表者調整会議が開かれた。案件は海老名市長選と市議選の日程について。
 結論は、「市長選」と「市議選」は同日選とし、11月3日告示、11日投票ということを選挙管理委員会が決定したという報告であった。いよいよそのような時期に入ってきた。7月22日の参院選が終わるまでは我々は海老名の選挙どころではない。が、当局としては、こちらはこちらで粛々と進めなければならないことであろう。

 ここ最近の市民相談の対応で各所管を歩いた。とても重い相談が多い。しかし、相談された以上、あきらめる訳にはいかない。根気よく取り組みたいと思う。
 中でも、道路に関する意見が非常に多い。交差点の改良であったり、または路面の改善であったり‥。 生活道路は、文字通り生活に直結する施設のひとつである。その生活道路で悩み続けることほどつらいものはない。時には騒音であり、またあるときは安全性であったり‥。
 そのような市民の皆さんの悩みを、行政と相談しながら少しでも解消できればと日々活動している毎日である。

5月31日(木)

 いよいよ明日から6月。月日がたつのがなんと早いことか…。

 担当する地域を、”御用聞き”ではないが挨拶がてら訪問する日々を送っている。きょうも杉久保地区を訪問させていただいた。
 それぞれの地域でさまざまなご意見がある。聞くと御もっともな意見である。そうこうしてしているうちに、午後4時半ごろになった。思えば昼食を取っていない。近くのコンビニでパンを買って車の中でかじっていると、風雲急を告げて突然の豪雨。まさしく”バケツをひっくり返した”ような降りである。その後、小降りになった頃を見計らって再び訪問活動を再開した。

 杉久保地区には釜坂川が流れている。訪問活動再開直後、この釜坂川の側道を通った。すると水位が道路とほぼ同じである。いつ氾濫してもおかしくない状況である。警官も様子見に来ている。
 さいわい本降りがおさまり事なきを得たようだ。確かに大変な降りだったが、県道沿いの河川にしては何ともお粗末ではないだろうか? 市街化区域で、しかも西側には住宅が張り付いている。どこかに流れを阻害するような障害箇所があるのだろうか?

 ここに来ての年金問題。つくづく社保庁の怠慢に怒りを覚える。どうしようもない。即解体し、出直すべきである。年金頼りで生活する国民は大勢いらっしゃる。そのような方々の安心を根本から裏切る行為である。歴代のトップの責任を追及するような報道がなされているが、トップだけの責任ではない。当時直接携わった職員の責任も重大である。誰も危機感を覚えなかったのだろうか‥。 みんながみんなこのままで良いと思っていたのだろうか‥。職責に安住し、庶民に目線を置かなかった職員全員、公僕として失格である。
 厳しいようだが、このような方々は公の立場は辞してもらいたい。

4月25日(水)

 統一地方選も終わり、やっと一息入れられるきょうこの頃。先週半ばから風邪をひいてしまい、やっときょうから動けるようになった。地方選投開票の22日まではどうしても休めず、この間に完璧にこじらせてしまったようだ。22日(日)にはピークを越して幾分楽になったが、それでも夜に体温を測ったらなんと39.2度。
 ピーク時は果たして何度あったのだろう。実は怖くて測れなかった。「気」から負けてしまいそうで‥。「気持ちだけは負けないぞ!」などと若いつもりでがんばった結果、結局8日間苦しむ結果になってしまった。なんとも情けないかぎり。

 このページをお休みしている間、プロ野球が開幕し、能登地方では大きな地震が発生した。また、海老名市の平成19年度の予算が決まり、先日は長崎の市長選候補が銃撃され、町田では銃を持った男がろう城する事件も発生した。そしてきょうは、尼崎での電車脱線事故から2年を迎えた。あれからもう2年が過ぎた。「もう2年」と我々は言えるが、おそらく遺族の方や被害者の方々はつい昨日の事だと思う。いまだに後遺症に苦しむ人もいらっしゃるだろう。心よりお見舞いを申し上げたい。

 おそらく、テレビや新聞でこの電車脱線事故を取り上げなければ、不謹慎かもしれないが明確にこの事故を思い出す人は、関係者以外なかなか少ないのではないだろうか? それだけ、国内外でさまざまな事件や事故が多発していると思う。
 いま起きた悲惨な事件や事故を、深く心に留めて置くにはあまりにもその数が多すぎて、どれかを消さなければ次を記憶できないというオーバーフロー状態に私はある。だからニュース等で取り上げてもらわなければ、なかなか思い出せない。

 楽しい、うれしい内容の話題であれば、いくら記憶能力がオーバーフローしても構わない。でも、つらい、悲しい事件事故の話題で記憶のキャパシティーがオーバーフローするのは勘弁してもらいたい。 

3月5日(月)

 何とも久しぶりの更新です。訳あって、あえて更新を控えておりました。一時はページを閉じてしまおうかとも思いましたが、ここに来て懸案事項が解決し再開いたします。手前勝手で申し訳ありません。

 さて、更新を差し控えた間、書き込みたい話題が多くあった。海老名市の政策はもちろんのこと、全国的に問題になった「いじめ問題」や「学校の未履修問題」etc。
 いまさら、これらの問題を回顧するつもりはないが、あえて「いじめ問題」には言及したい。「悪口を言われた」、「暴力を受けた」、「無視された」等々、いじめはさまざまである。ほぼ10年おきに問題化されるというこの「いじめ問題」。
 
 そもそも、「いじめ」と定義されるかどうかはわからないが、私が小学生や中学生の頃も似たようなことはあったと記憶している。ただ、現在のように「集団で個人を攻撃する」というようなものではなかったし、少なくとも相手を「自殺」に追い込むようなものではなかったと思う。
 「いじめられる側にも原因がある」とよく言われる。確かにそうかも知れない。だからといっていじめて良いことにはならない。人間誰しも、それぞれ個人的な欠点や弱点を持っている。その欠点や弱点を集中的に攻撃されたら皆さんはどうだろうか?
 

 わずかな欠点や弱点で、将来ある若者が自殺に追い込まれるような社会はもはや異常である。子どもたちを社会の犠牲にしては絶対ならない。



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