視 察 報 告 (平成16年2月16日〜18日)
@道路計画について
A開通後の取り組みについて
B水を生かしたまちづくりについて
@道路計画について
四国の高速道路には、大きく分けて縦貫する路線と横断する路線がある。今回は縦貫する路線の最終地点あたりの工事現場にお邪魔した。
現地まで行く途中もそうだったが、防音壁があまり設置されていない。つまり回りに家屋が張りついていないということである。防音壁がないと高速道路も結構楽しいものである。景色の変化を楽しめる。もちろんドライバーはそうは行かないが‥。
下の写真は建設中の現場である。写真ではよくわからないが、ちょうど橋の上で高さは約50m。思ったより橋の側壁が低いため、身体を乗り出して下を見ることができる。身がすくんでしまう。この高さになると、たとえ鉛筆1本でも落としてしまえば、下では相当の凶器になりそうだ。といっても下には人っ子一人いないのだが‥。
責任者の方に、路面の工事方法等の説明をいただく。

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A開通後の取り組みについて
写真は、「徳島道」の途中にあるサービスエリアの取り組み。写真右側の建物の中にはお風呂もある。左側の駐車場はサービスエリア内で、フェンスの右側は誰でも出入りできる駐車場になっている。もちろんお風呂にも入れる。
道路公団側と地元自治体で運営するこの方法は「ハイウエイオアシス」と呼ばれ、今回は2箇所を訪問した。わが市にも東名高速の「海老名サービスエリア」がある。全国で一番利用者数が多いS・Aだそうである。
海老名サービスエリアも歩いて中に入り、食事等ができるようになっているが車では入れない。結果的に車はエリア周辺に路上駐車しなければならない。非常に危険である。これまでに警察や道路公団に対策をお願いしたが、なかなか難しいようだ。
この写真は「吉野川S・A」であるが、ここ以外にも「石槌山S・A」というところでもハイウエイオアシスを行なっており、ここでは地元で取れる野菜や果物等の直販を行なっていた。訪問したのが平日の午前中ということもあり、人影はまばらだった。ここでもやはり、地域から来られる人たちのために、かなり広い駐車場が用意されている。
うらやましい限りである。

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B水を生かしたまちづくりについて
徳島市の中央部にある地域は、四方を川に囲まれた島のようになっている。その形から「ひょうたん島」と名づけられ、水を活かした整備が行なわれている。このひょうたん島は徳島県庁や徳島市役所、裁判所等主要な機関が集中しており、いわゆる官庁街である。また住民も6000人ほどの人が住んでいる地域である。
徳島市役所にて所管課の担当職員の方に説明をいただいた。四方を新町川という川が流れており(といっても実際に見てみると、ほとんど流れは確認できない。むかし徳島城があったことを考えると、堀というイメージが強い)、遊覧船等もあるようだ。
市街地のど真ん中での事業である。限界がある。新町川を守る会(会員数250人)等が中心になって取り組んでいるが、そこに住む6000人の住民に理解が得られないと広がりは無い様に感じた。

吉野川第十堰について
新しく可動堰を建設するかどうかで住民を巻き込んだ吉野川稼動堰建設問題。利根川(坂東太郎)、筑後川(筑紫次郎)と並んで吉野川(四国三郎)は日本三大河川のひとつである。台風や大雨のときなどは大変な暴れようらしい。これまで堤防決壊で相当の被害が出ている。
昔からこの暴れ川を鎮圧するために死闘が繰り返された。国に対し愛媛県は空港、高知は高速道路、香川県は本州との連絡橋、そして徳島県は吉野川の治水対策を要望して来たようだ。
現在の第十堰に行ってきた。川幅は約1.5km程度。水量も豊富である。この川をせき止め、堰を作る工事がどれほど困難を極めたか想像出来そうである。しかも昔の話である。
第十堰というぐらいだから、10番目にできた堰と思っていたが、昔の第十村に作られたのでこの名称になったとのこと。まったく知らなかった。
これまで前出の可動堰建設に対し、国と住民が真っ向から対立。
昭和36年の第2室戸台風で第十堰は損壊し、当時の工事関係者によると堰の復旧工事は大変な困難を極め、締切工事(堰本体の工事に先立ち流れを遮断する準備工事)だけでも3ヶ月を要したそうだ。これは、被災箇所に水が集中し、激流となったため。
仮に今、第十堰が大きく損壊すれば、被災の程度・場所により復旧期間は異なるが、昭和36年の第2室戸台風と同じ損壊が起きたと想定した場合、現在の技術力と24時間の連続作業をもってしても締切工事に約2週間程度はかかるものと推定されている。
その地域に住んでもいないに無責任なことは言えない。しかし海老名市も1級河川である相模川の左岸に位置している。しかも三川が合流するところもある。治水対策は人事ではない。
