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村の中央が、さっき見えた巨大な黄金宮殿だった。三角形の屋根なんだけど、その屋根も壁も柱も全部が黄金。まぶしいくらいに輝いてる。
村の中には、たくさんの人がいた。こんな変な世界に迷い込んでしまってから、初めて会う人間たち。でも、こんなにたくさんの人がいるのに、若い人ばかり。みんな、大学生くらいかなあ。でもその服装がとても変で、純白のまるで古代ギリシャの人のような格好している。もっともそんな人ばかりじゃなくって、普通の洋服の人もいるけど。
私たちが村に入るのを見て、村にいた人たちの何人かがこっちを見た。そして、急にざわめき始めてる。私たちは足を止めて、村の入り口で立ちすくんだ。すると一人の若いお兄さんがこっちへ来て、ニコニコ笑いながら、
「ようこそ」
って言った。ちゃんと日本語だ。やっぱここは日本なんだ。当たり前だけど。私も真理香も慌てて、こわばった顔でそっと上目づかいに頭を下げた。
「どちらへ行かれるんですか?」
私が返事に困っていると、真理香がさっと答えた。
「どこまでも行くんです」
「そう、どこまでも」
あとは黙って、そのお兄さんと向かいあって立つ形になった。
「あなたは」
急にお兄さん、私のほうだけを見ていった。
「ここがどういう世界だか、分かっていないみたいですね」
たしかに分かってなんかないよ。でもどうして、私が分かってないって分かるの? この人、読心術でもできるのかなあ。
「読心術なんてものじゃないですよ」
もう、やだ。心臓が止まるかと思った。
「あなたの心臓は、二度ととまったりはしませんよ」
また、お兄さんは笑ってる。変な人! 変なことばかり言って。それに、どうして何もかも分かってしまうの? そういえば、真理香もそうだったけど。
「ところで優子さん」
え! もう、どうして人の名前まで! 絶句……
「あなたはお母さんが夕食だって言うのに、振り払って家を飛び出しましたね」
恐かった。足が震えてきた。でも、その反面、この人に聞けばすべてのなぞが解けるんじゃないかって、すがりたいような気持ちにもなってきた。
「あのう、ここは……」
「お元気で旅を続けてください。あなたたちはまだ来たばかりだからいろいろ大変かもしれませんが、じき慣れますよ。いや、慣れなければいけない」
そして、ふとお兄さんは、私の顔をじっと見て小首を傾げた。
「あなたはもしかして、マルトクレーム?」
「なんですか? それ」
「つまり、特別な方のようですね。たしかにあなたなら、どこまでも行けますよ」
「え? どういうことですかあ?」
不思議に思っているうちに、目の前のすべての風景がものすごい速さでぐるぐると回転し始めて、私は思わず絶叫。そして村中の人々が、一人の巨大な人間へと合体していく。
気がつくともう、私たちは森の外にいた。
「何だったの、何だったの、今の!」
私は顔が引きつっているのが自分でも分かるほどで、とにかく真理香に泣きついていた。でも、真理香はいやに落ちついている。
「ここってもしかして、言葉なんていらない世界なのかもね」
「え? 何、それ!」
「行こう」
真理香に促されて、また仕方なく歩き出す。歩きながら、真理香は言った。
「さっきの宮殿、見た?」
「うん。見たけど」
「なんかさあ、これこそ本物って感じしなかった?」
真理香が笑顔を見せて明るい口調になったので少しは安心したけど、真理香の言っていることはよく分からない。いつもはこんな訳の分からないこと言う子じゃあない。でも今は、やけに生き生きとして楽しそうにしている。
「なんていうの、何かすごく命ってもの感じた。それに比べたら今までの生活ってさ、なんか何もかもがまぼろしみたいに思えてきたりして。私たち、今までまぼろしの中で生活してたのかもしれないね」
私はそうじゃないと思いたかった。今のほうが、十分まぼろしっぽい。真理香は、クスッと笑った。
やがて道は、目の前の巨大な山へと上る坂道になった。
いつのまにか私たちの周りには、大勢の人が同じ方向へぞろぞろ歩いていくようになった。みんな普通の服だし、年寄りもいれば子供もいる。中にはキョロキョロと珍しそうに、あたりを見回しながら歩いている人も多い。
そんな人たちに混ざって歩いているうち、私は家のことを思い出していた。本当なら、今頃は晩ご飯も食べ終わってテレビ見ながらスイカでもかじっている頃。スイカ、食べたかったなあ……そう思った途端、道に左側の山の斜面が一面のスイカ畑になった。よく熟した大きなスイカが、いくつも転がってる。
「わ! スイカ! でも、なんで?」
私が思わず立ち止まって叫ぶと、真理香は笑っていた。
「優ちゃん、今、スイカ食べたいなあって思ったでしょ。だからじゃない?」
私はひとつ、スイカを抱え上げた。
「食べたいなあ。でも、勝手に取って食べたら、怒られるよね、きっと」
真理香はまだ笑ってる。
「ここじゃあ、しちゃいけないってことはないんだって」
この子、どこでそんなこと聞いてきたんだろう。ま、いいにして、食べていいなら食べるしかない。でも包丁もないし、困ったなあっと思っていると……、
「え、何これ!? 信じらんない!」
スイカは手の中で、手頃な大きさの切れ端になってる! 私は食べた。ちょーおいしかった。だから、真理香にもあげた。
またしばらく行くと、山はだんだん岩だらけになっていった。そして、見晴らしのいい所に出た。本当に広い盆地が一望できる。遠くの山脈の向こうにはまた山脈が幾重にも重なって、それをながめてたらさっき真理香が言ったように生命の脈動が遠くの山々から聞こえてくるような気がしてきた。
その脈動はやがてメロディーとなり、美しいアカペラの賛美歌があたりに流れ始めた。よく見ると、この展望台のような広場の一角に教会のシスターのような人たちが三人いて、ロザリオを手に賛美歌を歌って祈っている。私はその人たちに、近づいてみた。
「何をお祈りしてるんですか?」
シスターのうち、メガネをかけている人が顔を上げた。
「私たち、主の
「主の御前?」
「はい。私たち、何も恐れませんでした。主の
「行こう」
真理香が私の腕を引いた。高らかな賛美歌は、それでも後ろから響いてきた。
「あの人たち、自分たちだけが救われればいいって思ってる。ヨコシマなシスターたち! ああいうのをシスター・ヨコシマっていうのよ」
「どうしてそんなこと、分かるの?」
「だって、分かっちゃうんだもん」
私には分からない。
岩ばかりがごろごろした山道は、かなり急になってきた。ちょうど父親と二人の小さな子供の親子連れを、私たちは追いぬこうとした。
「若い人は元気でいいね」
そうは言っても、自分も十分若い父親が笑って話しかけてきた。
「なぜ、ここへ?」
そんなこと聞かれたって、私が聞きたいくらいなのに。ところが真理香は、ほほ笑んだまま自分の首の赤いあざを指さした。父親は気の毒そうな顔をした。
「それはかわいそうに。でも、怨んではいないの?」
真理香は首を横に振る。
「いいえ。あのこの方が、もっとずっとかわいそうだから」
あの子って? もしかして、南田さんのこと?
「そう? 僕らはね、人間の醜さを、いやというほど見せつけられたよ。普段は会社の仲間で、何でも分かり合えてるって思っていた人たちがね、いかに自己保存欲だけで生きてきたかってこともね。家族同伴の社内旅行でバスががけから落ちてひっくり返って、その時みんな自分が助かることしか考えてなかった。こんな子供を押しのけてだよ。何とか自分さえ窓から脱出できればってね、みんな必死だったよ。なんか、そんな中で生きていたって仕方ないんじゃないかって、そんな気がしてね」
小さい方の男の子の手を引きながら、父親は優しく語り続けた。
「でも、今は生きているってこと、実感してるよ。こうして体もあるし、足で歩いている。こんな素敵な世界で、確実に生きている。だから妻にね、もう悲しまないで、俺はこんな素敵な所で生きているからって、心の中で呼びかけてるんだ」
やがて道の右側に、山に囲まれた大きな湖が現れた。湖畔には木立もある。水面は静かで、まるで鏡みたいに透き通っていた。
「では。私たちが行くのは、この湖の向こうなんで。この子たちのおじいちゃんとおばあちゃんが待っているから」
会釈して、父親と子供たちは湖の方へ向かっていった。驚いたことに、そのまま親子は水の上を歩いて湖の向こうへと行ってしまった。私はただ呆然として、ただ口をぽかんと開けてそれを見ていた。
もうどのくらい歩いたのだろう。多勢の人たちといっしょの私たちの旅は、いつまでたっても終わることなく、果てしなく続きそうだ。
何気なく私、腕時計を見てみる。デジタルの表示板の数字は、七時二十五分になっている。いったい朝の七時? それとも夜の七時? それさえ分からない。でも、この7・15って数字に、なんか見覚えがあった。でもすぐには気づかなかったけど、秒を表す数字は止まったまま。早い話、私の時計は止まってたんだ。デジタル時計だから、電池がなくなったら数字が消えて、数字が止まるってことはないはずなのに……。でも、止まってる。
「真理香、ちょっと時計見せて」
私は真理香の腕をつかんだ。真理香の時計は、二時少し過ぎを指していた。でもやっぱり、秒針は止まってる。
「ねえ、二人とも時計止まってるよ」
「え?」
まりかも自分の時計をのぞきこんだ。
「ほんとだ。止まってる。それに、この時間……」
「ねえ、どういうこと?」
「さあ、もしかしてここ、時間ってものがない世界かな?」
「時間のない世界? 何それ。どういうこと?」
真理香は歩きながら、ただ大きくため息をついただけだった。
「ねえ、真理香。ここに来てから、どれくらいたった?」
「さあ、ついさっき来たような気もするけど」
「そうでしょう。ついさっき来たばかりって感じもするし、もう何日も歩いてるっていう気もする。全然夜になってないのに……。ねえ、なんで?」
「やっぱ、時間ってものがないんだ。きっと」
「え。まさか、もう何十年もたってて、
時間が存在しないなら、夜にもならないはず。でもこんな話したから、私はまた家が恋しくなった。そう、私は家に帰る途中だったんだ。お母さんが待ってるんだ。それなのに自分の意志とは関係なく、こんな訳の分からない世界に来てしまった。時間が存在しない世界、相手の考えていることが分かってしまう世界……ここがたとえ四次元の世界だったとしても、もうたくさん!……そう考えたら、もう歩いてなんかいられない。
「私、家に帰りたい!」
とうとう私、しゃがみこんで泣きだした。
でも周りを歩いていた人たちは誰一人私を見るでもなく、どんどん通り過ぎていく。不思議とみっともないって感じない。とにかく私、こんな世界脱出して、家に帰りたい。今はそれだけ!
その時、前の方で叫び声が聞こえた。びっくりして顔を上げてみると、ネクタイに背広姿の男があばれてる。そして、その男も泣いている。
「冗談じゃねえよ。ここはどこなんだよ。誰か教えてくれよ!」
その言葉を聞いて、私は少しだけ安心した。私と同じような人もいるんだ。だから何となく嬉しくて、私は泣くのをやめて立ち上がった。男は通り過ぎていく人たちの
「何で俺、こんなとこにいるんだよ。俺、行かなきゃなんねえところがあるんだよ。今日中に書類を、部長の自宅に届けなきゃなんねえんだよ。間に合わなかったら、会社クビになっちまうんだよ」
胸座をつかまれた人も、ただ困った顔して何も言えないでいる。
「おい、馬鹿にすんなよな。俺は社長秘書だぞ。どいつもこいつも、俺を馬鹿にしたような目で見やがって!」
男は次々に、つかみかかる相手を変えては叫んでる。
「道を歩いてたら、突然上から何か落ちてきて、少し気を失って目が覚めたら、みんな俺のこと無視するじゃねえか。誰に呼びかけても、みんな無視しやがって。そうしたら、出迎えとかいう人が来たんだ。おまえの所にも来たんだろう。え!」
胸をつかまれてたおじさん、力なくうなずいてから、うまくすり抜けて逃げていった。そうしたら今度は、茶髪のお兄さん。やばいよ、けんかになるよと思ってたら、茶髪のお兄さんはただおどおどしてるだけ。
「おまえの所にも来たな、出迎えの人。そんで、いきなりこんな訳の分からない所に送り込まれたんだ。いったい、何がどうなってるんだよ!」
男はいきなり、つかんでたお兄さんを投げ飛ばす。あっと叫ぶ間もなく、男は次々に通行人を捕まえては投げ飛ばしてる。あんなことしたら、みんな死んじゃう!
「逃げよう」
真理香が私の腕をつかんだ。私たち、また四歩ばかり歩いただけで、はるか遠くの下の方に見えていた盆地の中にいた。ここは時間だけじゃなくって、距離ってものもないの? もしかして、空間が違う? て、ことは、超空間? なんて、SFじゃあるまいし……。
「村だ」
って、真理香が言う。たしかに近くに村があった。でも、村なんかどうでもいい。私は家に帰りたいの!
すると、村の中にいて、こっちを見て手招きしている若者が見えた。最初の村と同じように、白いギリシャ服着てる。その人までまだずいぶん距離はあるのに、なぜか顔まではっきりと見えた。この感覚、絶対に普通じゃない。やっぱここには、距離というものもないのかも。だって次の瞬間には私たち、村の中で手招きしていた人と向かいあって立ってたんだから。その時、私は頭の上からつま先まで、電流のようなものが走るのを感じた。何だか、懐かしいって感じ。心の中の全部の鐘が、一斉に打ち鳴らされたといってもいいくらい。もちろん初対面のはずなのに、初対面とは思えない何かがこの人にはある。
若者はニコニコ笑って立っている。ただそれだけなのに、私のすべてが知られてしまうって気がして、私は顔がほてってきた。そして、なぜか涙さえ出てくる。心の中の冷静な部分はなぜ、なぜ、なぜって聞いてるのに、それとは関係なしに涙がどんどんこぼれる。胸も熱い。何かこれが、本物の「感動」っていう感じ。真理香も同じように、涙を流していた。
「ここへ来たからには、家に帰りたいって思いは捨てた方がいいですよ」
と、若者は言った。やはり、私の心のすべてが読まれている。
「あなた方は本当のふるさとに行くんですから、執着はいちばんの妨げになります」
シュウチャクとか本当のふるさととか、またなんか訳の分からない言葉が出る。でも、私にもこの人の考えていることが何となく伝わってくるし、素直に聞けるから不思議。そしてまた、余計に感動する。
「一日も早く執着を断って、本来の自分の姿、
若者はその後ろにいつのまにか集まってきていた村の人たちを、私たちに示した。
「みんな、仲間です。この村で暮らすのですよ。あなたたちは」
え、この村で暮らすなんて冗談じゃない、私は家に帰る!……そう思っていても、なぜか心は勝手に感動していて、どんどん涙が出てくる。村の人たちはみんなやはり若者で、ニコニコしながら近づいてきて、握手を求めてくる。なぜか嬉しくて、なぜか暖かくて、私の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。村の人たちも泣いてる。初めて会う人たちなのに、やっと再会できたって感じるのはなぜ? この村には、ふるさとの暖かさがある。何かずっと昔、私この村にいたことがあるような気もする。
「さあ、あなた方の家を建てなさい」
と、最初の若者がにこやかに言う。
「え。でも、建てるって言ったって……」
私は真理香と、互いに涙顔のまま顔を見合わせた。私たちに、家なんか建てられっこない。
「建てられっこないなんてことはないですよ」
やはり、心は読まれている。
「ここは想いの世界、想念の世界ですからね。思念を凝集すれば家もできます」
そうしてみた。心に強く念じる。するとパーッと目の前に、私たちの住む家ができた。