とにかくこんな出来事が、ずーっと続いている。だぶん、もう何日もたっていると思う。でも夜がないし、不思議と眠くもならない。だから区切りってものがないから、どのくらい時間がたったか本当に分からない。
  家ができたからって別にやることないし、だから真理香とずっとおしゃべりばかりしてた。そして、ここに来てからずっと忘れてた夏休みの宿題のことなんか思い出して、村の近くの湖の岸辺に座って真理香と話してた時に、そのことを言ってみた。
  「宿題?」
  真理香は、笑ってる。
  「そういえば、そんなのあったね。忘れてた」
  のん気ねえ……そう思っていると、
  ――いいじゃない、そんなのもうどうでも。のん気ってわけじゃないの――。
  え?  もしかして私も、真理香の心を読み取ってる?
  でも、たしかに宿題なんて、どうでもいいって感じ。ていうか、はっきり言って、何が宿題だったかどうもよく思い出せない。遠い遠い彼方に、ベールをかぶって宿題がある。
  試しに私は、もう暗記しているはずの世界史の年代を思い出してみた。ところが頭の中にもやがかかったみたいに、何も出てこない。すごく歯痒い。自慢じゃないけど私、そういうのって絶対に自信があったのに。英単語は?  これもだめ。「出る単」の十ページくらいは覚えていたはずなのに、intellectさえでてこない。古文の活用は……何で四段活用さえ思い出せないの?
  「そんなの、もうどうでもいいでしょ。勉強のことなんか、忘れなよ」
  いくら親友だからって、心の中が全部見られるのってあんまりいい気分じゃない。でも、たしかにどうでもいいかもしれない。ここにい続ける限り、学校へは行かなくてもいいし。家にいれば夏休みでも宿題はあるし、校則はついてまわってくる。でも、学校へ行かなくてもいいってことは、校則からも解放されたんだ。そうだ。もう、校則なんてないんだ。私、急に嬉しくなってきた。ものすごい解放感。その時、また心の中で声。
  ――宿題のこと気にしてるって思ったら、今度は校則。いつまでたってもこだわってるね、この子。つきあってらんない。
  真理香の声?  でも、真理香は黙ってる。やっぱ、私も……?  そんなのやだ。他人の心の中なんて、知らない方がいいに決まってる。
  だからわざと、話題を変えてみた。
  「ねえ、南田さんと何があったの?」
  「ああ、明美?  うん、明美ったらさあ、旅行にでも行こうって言うからつきあってあげたんだけど、いろんなこと聞いたよ。もうとにかく、人間が信じられないんだって」
  「いったいあの人に何が」
  そう言いかけて、私は口をつぐんだ。南田さんとのやり取りを思い出している真理香の心が、いやというほど伝わってくる。
  南田さんが人間不信に陥ったことについて、真理香も同調してた。しかも、私を引き合いに出して……。
  一学期の期末が終わった後、私が職員室で英語の先生と笑いながら話していたのを、真理香はテストの点数の上乗せの相談だなんて南田さんに言ってたんだ。
  ――調子のいいあの子には、ついていけない。
  えっ  親友だって思ってた真理香は、私のことを陰でそんなふうに思ってたの?  しかも私には、そんな様子おくびにも出さないで……。信じらんない!
  今、当の真理香は、何食わぬ顔で湖を見てる。その真理香が、ぱっとこっちを見た。
  「分かっちゃったみたいね」
  「ん?  なんのこと?」
  それでもとぼけてしまうのはなぜ?
  「びっくりしてた心が、伝わってきたよ」
  私、何も答えられない。
  「つまりは、あんたが馬鹿だったのよ。みんなだましあって生きている、誰もがうそをついて生きているって言ってた明美の言葉、本当だったんだね。他人の心が見えないって、今から思えば便利だったね」
  「やだ、そんなの!」
  思わず私は叫んでた。真理香は、かまわずに続ける。
  「人生って映画やドラマとおんなじで、結局はみんな演技してるだけなんじゃない。誰も本当の自分なんて見せたりしないから。だって、そうでしょ。心が見えないんだから、いくらでもごまかしがきくし。私、ここに来てから、そのことよく分かった」
  「やめて!」
  耳をふさいで、私は立ち上がった。そしてそのまま一目散に、この世界での私の家へとかけていった。
  隣の家の若いお兄さんが、泣いている私を窓から見てるのに気がついた。私は、はっと顔を上げた。なぜ泣いてる?……なんて、聞いてきたりはしない。もう全部知ってるって心が、私には読み取れた。
  いつのまにかそのお兄さん、家の中に入ってきて椅子に腰掛けた。そして、温かな笑顔で私を見てる。
  「許せない、真理香が許せない!」
  私は顔を上げて、叫ぶように言った。なぜか私の周りから、黒いもやのような煙が部屋中に立ち込めていった。でもいまは、そんなのにかまっていられない。
  「どうしてですか?」
  「どうしてって、知ってるくせに。ねえ、私が怒るの、当たり前でしょう。親友に裏切られたんだから」
  「怒るってことは、自分は正しいから、相手が間違っているから、だから怒るんですよね」
  「当たり前でしょ!  私は何も悪くないもの」
  「みんな、そう思って生きてきたんですね。人生においては。誰もが自分は正しいと思っている。ほかの人のことを素晴らしいと思うことがあったとしても、それは自分の中にある正しさの基準に照らし合わせて、重なったときだけじゃないですか?」
  「そんなこと、ない!」
  「でもね、あくまでそれは主観的基準で、絶対的に正しいことってないと思いますよ。もしあったとしたら、それはその人の心がになった時でしょうね。ここにはね、いろんな宗教をやっていた人が来ますけど、みんな自分の信じる神様こそが正しい神様で、他の宗教の神様はうその神様だって思ってるんです。でも本当の神様が、宗教の数だけおられる訳ないでしょう」
  「あなたの言ってること。訳が分かんないです。宗教とか神様とかがどうのこうのって、そんなお説教聞きたくない。それともなんですか、あなた、変な新興宗教の勧誘にでも来たんですかあ?」
  「この世界には、宗教なんてものはないですよ。強いてあるといえば、それは崇教すうきょうだけです。法則があるだけです」
  笑いながらお兄さんは、じっと私を見つめてる。それだけでも気味が悪いのに、心の中まで丸見えだからなおさら。相手が何考えているのか分からないっていうのも気味悪いけど、分かりすぎるのもかえって気持ち悪い。
  ――あなたが早く素になりますように。
  もういい加減にしてよと、私はとうとう開き直った。
  「私が悪かったわよ。人の悪口なんて、言うもんじゃないって言うんでしょ」
  「いいえ」
  お兄さんはゆっくりと首を横に振った。
  「あなたはうそをついてます。自分をごまかしてますね。悪かったって言うのは本心じゃなくて、私の目を来にしているからでしょう。他人の目なんて来にする必要はないんですよ、ここでは」
  そんなこといったって、世の中には一応モラルとかいろいろあるし、自分の見栄とかもあるし……。
  「そんなものは一切ありませんよ、この世界には」
  あんまりきっぱり言われて、私はびっくりしてしまった。
  「この世界では、みんな考えていることが外見と同じようにあからさまに他人に見えてしまいますからねえ。だからうそはつけない世界なんですよ。うそをつく必要もないわけで、人の目を気にすることもないってことになるでしょ。全部が開けっぴろげなんですから」
  そんな、心の中が丸見えになるなんて、真っ裸で外を歩くよりも恥ずかしいじゃない。
  「でもあなたは、私が親友の悪口言ったらいけない子だって、私のこと思うでしょ」
  「思いませんよ。どんなこと考え、どんなことをしても、この世界では誰もとがめる人はいません。また、誰も罰したりはしません。他人が罰しなくても、悪の人は自分で自分を罰していくことになるそんな世界ですから。ほら、あなたの悪想念が、こんなもやになってますよ。これが魂を包んで、曇りになってしまうんです。一種の毒ガスですね」
  お兄さんが笑いながら示したのは、私がさっきから気になっていた部屋の中の黒いもやだった。これって私が原因?  私の悪い心がもやになって、私から出てるってか?
  「ここには法律も道徳もありません。モラルもなければ他人の批判もありません。してはいけないってことがないんです」
  「じゃ、人を殺しても?」
  「もちろん、誰もとがめませんよ。したいことが何でもできてしまう世界なんです。だからうそがつけないし、うそをつく必要もないんです。自分をごまかす必要もない。何をしてもいいんですから。そうして、自分の本性があらわになっていくんですよ。自分でも知らなかった秘めた心が表に出て、悪の人は本当の悪に、善の人は本当の善の人になりきってしまうんです。そうして魂が素の状態になった時に、自分の魂の本当のふるさとへ、つまり魂のレベルに相応の世界に行くことができるんです。ここはいわば、そのための待合室ですね」
  「本当のふるさと?」
  「今まであなた方がいたのは、仮の世界なんです。本当の世界とは、すべてが実在する世界です」
  言ってることが、また分かんなくなってきた。でも、何でもできるって言うのなら、私は真理香に会いたい。許したわけじゃないけど、どうして私がこんなところに来てしまったのか、このお兄さんじゃなくって真理香の口から聞きたい。真理香なら、何か知っていそうだから。
  その時ドアが開いて、真理香が入ってきた。
  「真理香!  会いたかった」
  「あのね、私、これから一人で行く。その方がいいみたい」
  「え?  ひとりで?」
  真理香はうなずいた。これじゃ、会えたって意味がないじゃない。だから私、慌てて言った。
  「ちょっと待ってよ、どうしたの、急に。こんな世界で、私をひとりのする気?  だいいち、ここはどこなのよう」
  「あのねえ、優ちゃん。私、この世界に来てからも優ちゃんに会いたくて、ずっと心の中で優ちゃんのこと呼んでた。だから優ちゃんが来たのは、私が呼んだからかもしれない」
  「ちょっと待ってよ」
  私は立ち上がった。
  「じゃあ、自分で呼んでおいて、そんで一人で行ってしまう気?  それって、ずいぶんじゃない?  信じらんない!」
  「そうかもしんないけど、でも私、一人で生きていきたい」
  「馬鹿言わないでよ。私はどうなんのよ」
  「ごめん」
  「ごめんで済んだら、警察いらないでしょ。自分で呼んだって言うなら、責任とってよ。私を家に帰してよ!」
  でも真理香は、何も言わずに出て行く。私は追いかけようとしたけど、その時私の心の中でお兄さんの声が響いた。
  ――誰の責任でもない。彼女を責めることは、あなたにはできない。
  私はその場に伏し、涙が流れるのに任せた。真理香の姿はもうなかった。

  夜がこないうちにもう何日もたったような気がするけど、はっきりいって何もすることがない。かといって暇かといえばそんなこともなくて、結構忙しい。まず、いろんなこと考えなきゃなんない。こんな変な世界に一人置き去りにされて、やっといろいろ考える機会ができたって感じ。だから湖のほとりに一人でボーっとして座って、いろんなこと考えた。真理香のこととか、うそつくこととか……。
  私、もう大人のつもりでいたけど実はまだ子供の部分がたくさんあって、分からないことが多い。でも、大人になればいろんなことが分かるとは思うけど、大人になればうそついたり見栄を張ったりすること、もっと多くなるんだろうな……。
  最初は人がそばを通ると心の中が見られるのがいやでこそこそ逃げてたりするようになってしまってたけど、そのうち心の中を見られるのにもだいぶ慣れてきた。むしろすべて開けっぴろげの方が、気を使わなくていいみたい。一種の開き直りかもしれないけど、でもみんな本音で生きているし、見栄を張る必要もないし、だいいちそんなことしても無駄なだけだし……。
  私はゆっくり立ち上がった。少し森の中でも歩いてみようと思う。小鳥のさえずりとかも聞いてみたい。そうして森に向かううちに、私は変なことに気がついた。なんか、家のことがよく思い出せない。学校のことも……。なんだか遠い遠いまぼろしの世界の存在だったような気がする。あんなに帰りたかった家の記憶が遠のいていく。ふとしたときなんか、自分の名前さえ出てこないときがあるから信じらんない。でも、ま、いいやって感じ。
  森についた。中は冷んやりとしてる。足元の花は、スミレ?  紫の花びらが、とてもかわいい。思わずしゃがみこんで、その花に手を伸ばしたとき、背後からものすごい力で抱きつかれた。立ち上がろうとしても力が出ない。
  気がつくと、暴走族みたいな人たちにすっかり囲まれていた。黒の皮ジャンにジーンズの、茶髪の男の子たち。そんな五人のうち、二人はサングラスをかけている。とっさにどういう状況になったのか、私はのみこめなかった。
  「だれかあ!」
  私は大声を上げた。声は虚しく、森の中でこだました。男の子たちは、じりじりとにじみ寄ってくる。
  レイプされる――と、私は思った。恐くてもう、体が動かない。
  「金、出せよ」
  どすの聞いた声で言いながら、一人が私の顎をしゃくった。
  「ちょっと、やめてよ!  もう、信じらんない!」
  私はもがいた。どうやらこいつら、目的は私のからだじゃなくって金みたい。そう思ったら、少しだけ力が出た。だから、目の前の男のまたぐらを、思い切り蹴り上げてやった。
  「やりゃあがったな、このあま!」
  私は二、三発、頬をはられた。そして背後から抱きすくめられているやつから、たちまち地面にねじ伏せられる。
  「さあ、おとなしく金だしな」
  「そんなもの、ないよ!」
  私は顔だけ上げて、男の子立ちを睨みつけた。
  「何ィ!」
  また一発、蹴りが入る。犯されるどころか、殺されるんじゃないかと思った。顔が苦痛でゆがむ。
  「ここじゃあ、お金なんかあったって、仕方ないでしょ!」
  最大限の、私の抵抗だ。
  「ああ、金なんかなくても、何でもできるさ。女を抱きてえと思えば、女の方から裸になってやってくる。だから、女抱くなんてもう飽きたぜ。でもな、たしかに何でもできるけど、一つだけできねえことがある。俺たちはなあ、帰りてえんだよ。俺たちの仲間の所に帰りてえんだよ!」
  まるで、この間の私みたい。この人たちも訳の分からないうちに、この世界に迷い込んだんだ。そう思ったら、恐怖の中に、少しだけ親近感がわいた。その気持ちが通じたのか、男はどんどんしゃべる。
  「俺たちゃあよう、つるんで深夜の首都高で地獄巡りやってるうちによう、マシーンが火ィ吹いたんだよ。その時、死んだって思ったぜ。けど、俺たち生きててよう、でもこんな世界にいんだよ。だから金さえあれば、きっと帰れるんだよ」
  「そんな、お金があったって」
  「世の中、金なんだよ。金、金!  金さえありゃあ、できねえことはねえはずだろ!」
  その間、私のキュロットのポケットを探ってた一人が、顔を上げた。
  「ヘッド こいつ、本当に金持ってませんぜ」
  「ふん、金もねえやつには、用はねえ!」
  後ろから前に突き倒されて、私が地に倒れると男の子たちはみんな行ってしまって、やっと私は解放された。少なくとも、犯されずにも殺されずにも済んだんだ。
  その後、村まで私は足を引きずって、ふらふらになりながら帰っていった。
  「おや、どうしました?」
  隣の家のお兄さんの姿を見たとき、私は泣き崩れた。
  「なんなおのよォ!  あの連中。ちょっとォ!  恐喝罪よ。110番してよ!」
  「警察なんて、ありませんよ。ここには」
  そうだった。警察なんて、この世界にはなかった。
  「じゃあ、泣き寝入り?」
  「あなたをこんな目に遭わせた連中は、やがて自分で自分を裁くことになるでしょう。人が人を裁くことはできませんからね。彼らを裁く方は、別におられます」
  「またそれが神様だとかなんとか言って、お説教するんでしょ」
  私は地に伏せたまま、半べそだ。
  「もし神様といって抵抗があるんなら、運命といってもいいでしょう。あるいは、宇宙意志です。宇宙は巨大な生命体で、その意志には置き手ののり、つまり法則があるんです。ここには法律はなくても、こうすればこうなるといった法則は厳としてあるんです」
  法則、法則って物理の時間じゃあるまいし、もういいって感じで私は自分が建てた家の中へ転がり込んだ。
  きっとあの連中、自分のしていることが悪いとは思っていないだろう。ここでは誰もとがめないし、暴力でお金を取ることがいけない事だっていう規則もモラルもないんだ。誰も悪いとは言わないし、自分で気づくしかないみたい。
  やっと頭が冷静になってきた。
  そうなると不思議なもので、自分はどうなるのかなという考えが急に頭に浮かんできたりする。ここでは何をしてもいい――それはすごい解放感。でもそれに甘えて、食べたい時に食べたいものを食べ。好きなときに好きな所で好きなことしてる。学校へ行っていたら許されない事が、許されてる。何でもしていいってことでわがままになっているような気もするけど、誰も言ってくれないし、誰からも批判されない。やりたいことし放題だから、ここで誰でもその人の本性むきだしになっていくらしいけど、私の本性って?  それが分からないくらい演技でごまかした自分を、今まで本当の自分だと私自身思い込んできたみたい。うそついて、うそを隠すためにまたうそをつくって誰かが言ってたけど、本性があらわになるどころか、私の場合はますます自分が分からなくなっていく。その時、
  「ごめんください」
  と、隣のお兄さんが入ってきた。
  「あなたが、自分の本性は?……って思うのを待ってたんですよ。自分を知るのは、自分しかありませんからねえ」
  「何が言いたいんですかあ?」
  「ここでは、一度だけですけど、自分自身を知る手助けがしてもらえるんです。これは、ここへ来たみんなが誰しも経験しなければいけないことなんですけどね」
  「何ですか、それ?」
  「ま、とにかく、一緒に来てください」
  お兄さんはそう言って、出て行った。私は仕方なく、その後についていった。


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<少しだけ予告>

お兄さんがいう手助けって、とっても恥ずかしくって、耐えられるものではなかった。なんと、私の姿までもが……。真理香は?  真理香はどこに行ったの?  そして、この世界はいったいどういう世界?  私は家に帰れるの?