3
老人ヨハネの霊・幽体は、たちまちにその肉体を離脱した。肉体は仮死状態になったが、霊波線がつながっているので生命の火は保たれたままだった。先に霊界へと意識を上昇させていたイェースズが招いたのである。しかしそれは、イェースズの力だけではなかった。イェースズ自体が偉大な光と力に包まれ、その命ずるままにヨハネを呼び寄せていたのだ。
ヨハネが立っていたのは、荒涼たる四次元霊界だった。そこにぽつんと一人、何が何だか分けが分からない様子で唖然として立っている彼の魂に直接、真正面の胸の高さから霊界の太陽が光を当てていた。その正面から、イェースズはそっと近づいた。それは先ほど再会した老人のイェースズではなく、ヨハネがよく知っている四十年も前のイェースズの姿だった。あのガリラヤで、そしてエルサレムで、人々に教えを説いていた頃の髪の長いイェースズの姿だ。
「ヨハネ!」
その声はラッパのごとく、ヨハネの耳につき刺さった。
「先生!」
慈愛に満ちたまなざしを、若いイェースズはヨハネに向けた。するとたちまちヨハネの姿も、あの十二使徒の一人でエレアザルと呼ばれていた頃の姿に戻ったのである。驚いているヨハネに、イェースズはまた笑みを見せた。
その時、イェースズの中にも衝撃が走った。父なる神、国祖の神がこの四次元霊界にお出ましになったようだ。依然ご神魂は真主の海に鎮もられ、しかも、このパトモス島のあるヨモツ国の神霊界には天系、副神系統の水神、若武姫の神が統治している。従来だったらその幽界にお出ましになるのは難しかったが、岩戸開きの準備段階である国祖三千年の仕組みの時代に入ってもはや千年、国祖のご神魂は岩戸の中ながら少しずつ自由が利くようにはなっているようだ。何億年もの長い御隠遁生活の、ようやく最後の三千年が訪れているのである。その父神の御神魂と、今やイェースズの魂は相即相入に溶けあっていた。だから、ヨハネの目には、国祖・国万造主大神様が四次元界に変化された時のお姿である大国常立神様のお姿が、イェースズと重なって見えたのである。足元まである白い衣に金の帯び、それはまぎれもなく霊の元つ国の神霊界の衣であった。そしてそれは、神霊界の秘め事の象徴でもあった。右手に七つの星と七つの金の燭台を持つお姿は、宇宙大根元の神の勅命を受けて実際に万生の霊成型を創られ、地球を修理固成されたいわゆる体の面のみ働きであることを示していた。そしてその顔は、太陽の光の数万倍もまばゆく輝き、あたり一帯が光に塗りつぶされたようになった。
ヨハネの衝撃は大きかった。とても立って直視できず、彼はそのまま地面に倒れこむようにうずくまって震えていた。だが、なぜだか分からないのだが、その目からは涙があふれて止まらなかった。
――恐るる勿れ。吾、艮にして艮にして、艮に鎮まれる天の父なり。一度は隠れしなれど、そは深き経綸と神策ありてのことよ。吾はこの第四の界と、その中の冥府、幽界の鍵を握れるなり。七つの燭台は七つの教会にして、七つの星はその使いなり。そなわち、神・幽・現の三界をタテに貫き通す万生弥栄のミチの奥義なり。汝、その七つの教会に、吾の見せんとするもの、記して語るべし。
ヨハネのうずくまっている所まで、イェースズはそっと歩み寄っての肩に触れた。
「さあ、お立ちなさい。これから、七つの教会へのお示しを語る。そしてそれは、時には私の想念を空中に映し出す表象にて見せよう」
イェースズに促されてヨハネは立ち上がった。
「あなたはあのパトモス島で、いろんな土地から来た人々に接しているね。特に今、私の教えを奉ずる人々が作った教会は、大きいものだと七つある。その七つのそれぞれの教会へのお示しだ」
イェースズは想念だけで、ヨハネに語りかけた。その声は鋭く、ヨハネの魂に直接響いた。
――まずはエペソの教会。世に神護目かけませるクリーストスかく語りきと述べ伝うべし。エペソの教会、なかなか苦難のミチを歩み来たりしようなれど、よく耐えきたれるかな。偽使徒もうまく見抜くこともありき。されど惜しいかな、教えの基本、原点を見失いつつあれば、次第にもとあるようから離れ、水の教え、陰光の教えになりて、愛を失いつつあるならん。今や、枝の教えとなり、祖の教えの枝辺、枝辺祖となれり。
次にスミルナ。その人々は貧に喘ぐ。されど、物の貧なるを嘆かずして、陰の徳を積む結構、結構。そは、天の倉に宝を積むことになるなれば、非難や中傷にくじけるべからず。さもなくば物の主となりて、「主見るな」ともなりて、恐ろしき逆法の世とならん。
次にペルガモ。その土地は、邪なる霊の跋扈する地にて、それが人間を人間の王として崇め、いつの間にやら神を隠し申し、物の快楽のみ追求せんとする心の起こりうべき地なれば、注意肝要なり。人間の我、小我を減らせば、鎮もりたる神魂霊も燃え出づるならん。ゆえに「減る我燃」よ。
次にテアテラ。愛と信仰と忍耐と奉仕をよく持ち合わせあるなれど、よく人を惑わす一人の女あらん。それは人々に物や金をすべてと思わせる仕組み作りし、大きな力よ。されど、神理はさようなものにかかわりあるものにては非ず。物や金そのものが悪にあらず。そのものに執着せんとする心、それが毒を射る矢とならん。毒矢を抜きとり、やがて来る世にては陰を陽に転換せしめざるべからず。手を当てたなら、陰は陽に切り換わるなれば、「手当て陽」とも呼ばしめしよ。
サルデスなれど、この教会は死にものになりあるよ。信仰は名目ばかりにして、神の波調とズレおるならん。されば、原点への元還り、肝要なり。原点に戻り、基本に忠実に、足元を固めるべし。さなくば神の子人、霊止より離れ行きすぎて、人より人間となり、やがては獣性化さえして、「猿です」の世とならん。
そしてフィラデルフィアは、力なくとも教えに忠実なり。やがてそれは勝利に至り、神人一体、神人合一の境地に至らん。輪廻の解脱も起こり得べし。やがて、暁も近かみ行かん。ゆえに「日陽出る日天なり。夜明けは近し。
ラオデキアは神の教えに背かざるまでも、熱さが足りず。この地は商売の中心地なれば、今までを絶して物と金のサカユル町とならん。そは神をも否定し、霊も知らずに行けば、やがては行き詰るよ。物豊かなれば心も豊かになりて可なるも、もの豊かになればなるほど霊性低下せん人も中にはおるならん。すべて人間の損得は捨てて、神の算盤を持ち、物と金とに毒化されざらんことを。物の豊かさが、真の豊かさに非ず。真豊かなる人は心豊かにして、神の教え、示し事をすべて頭にては非ずして腹に入れ得る人になり、神の教えが霊的な食べ物となるなり。やがては神人合一の境地に至らん。ミロクの世の完成なり。
イェースズはまたもとの表情に戻って、もう一度ヨハネに立つように促した。
「今聞いたことを、それぞれの教会に送るといい。しかし、書きとめていいのはそれだけで、その奥義を聞かせよう。これは口外してはならない。七つの教会は現界の象徴であり、またこれから起こり得ること、未来の預言でもある。今語った七つの教会の順番に、時代はこれから進んでいくのだよ。そして最後の『ラオデキア』の時代に世は大きな終末を迎え、そして素晴らしい高次元の五次元神霊界に、この大地もろとも昇っていくんだ。だが、それは言ってはいけない。今世の人々に未来の預言をすると、それにこだわりすぎ、とらわれすぎて正しいミチを踏み外す人さえ出てくるからね」
ヨハネにはまだ、話がよく見えていなかった。ただ不思議なことに、イェースズが想念で語りかけた各教会の名の、霊の元つ国の言葉による言霊で説いた部分も、その言葉を知らないはずのヨハネにも意味が直接魂に響くのだった。
イェースズはヨハネに立ち上がるよう促した。そしてともに立ったあと、イェースズは瑠璃色の空を見上げた。蒼穹の如きその空は遥かに高く、その一角がぽっかりと穴が開いて、そこからまばゆいばかりの一条の光が射した。
「さあ、昇って行こう。これからの世界の様子を見せてあげよう」
イェースズがそう言った時、ヨハネは再び雷に打たれたような衝撃を受けた。気がつくと今度は、二人して雲の上に乗っていた。そこはまばゆいばかりの、黄金の光の充満界だった。ものすごい光圧に立っているのもやっとで、ヨハネはその場にひざまずいていた。その雲の上では、地上のような感覚はもはやなくなっていた。さらに高次元に来たようである。やがて光の渦の中に、これまたまばゆいばかりの大屋根の黄金神殿が見えてきた。その中へと、雲は吸い込まれていた。屋根も柱もすべて黄金で、壁はさすがに白亜の壁だが、とにかくものすごい光の充満にヨハネは雲から降りても立って歩くことができず、這いつくばる形でイェースズとともに入って行った。するとと突然大音声が,天井の方から響いてきた。
「ここは聖場なり。汝その履きものを脱ぐべし」
驚いたヨハネは言われた通りにし、さらに低姿勢で前進した。やがて前方にまた別の黄金神殿が見えてきた。今度は屋根や柱ばかりでなく、すべて壁も黄金である。エルサレムの神殿の、何倍もの大きさだ。不思議なことに、その神殿をさらに大きな岩が覆いかぶさり。まさしく岩にのみこまれようとしていた。ヨハネたちが近づくと、神殿の正面のはだまの形の大扉が音とともに開かれた。そしてその中に、まばゆい光に埋もれて玉座があるのがヨハネにも見えた。その玉座の上はものすごい光のかたまりであった。
「現界の我われにも理解できるように、仮象てお姿をお示し下さっているのだよ」
イェースズが、ヨハネの耳元でささやいた。玉座の光のかたまりの上で赤瑪瑙のような輝きの光の束がタテに、白碧玉のような青い輝きの光の束がヨコになって十字に交わり、その中央に黄金の光があった。その光を見ているうちにヨハネの魂はどんどん洗われ、叡智が湧いてくるようだった。もはやイェースズが何も説明することもなく、ヨハネはすべてを次々とサトっていった。
黄金神殿の上には、虹がかかっていた。それこそ、神との契約の虹であった。かつての後の契約の虹が出現した時に、神はノアに「二度と水の洗礼による終末はない」ことを告げた。だがその言葉の裏を返せば、来るべきは火の洗礼となるという宣言にほかならない。
玉座の周りには、円形に光の玉が並んでいた。その光の中に人影のようなものが見えたが,それは人間ではなくまさしく神で、白い衣に一様に金の冠をかぶっているかのように見えた。数えると二十四柱となるが、円形にぐるりと玉座の向こうに回っているので、実際はその倍数の四十八柱の神々なのだ。こちら側を向いている二十四柱が体の面、今はまだ見えずに隠されている御存在こそが霊の面で、それおぞれのみ働きは言霊で表される。それは順にアのみ働き、イのみ働き、ウのみ働きと、アイウエオ、カキクケコ、~~の順番で進展する神の経綸でもある。隠された面の二十四柱のマ中心が「ス」であり、それは宇宙最高神、大根元の神を表していた。
その時、またラッパのごとき大音声が四十八柱の神々より発せられて、ヨハネの魂に直接に響いた。
――ヨハネよ。四十八の神の言霊の音が汝には分かるや。分かるならん。汝の名は四八音なればなり。
また見ると、玉座の前には七つの燈台があり、それは宇宙創成から神界、神霊界の創造、さらには現界の万生の霊成型つくりと大地の修理固成に携わった神代七代の御神霊の御座でもあり、来るべき時代の到来を告げる印の光でもあった。一切の御神前は、穢れの曇り一つない水晶の玉のごとき清浄なが漂っていた。
さらにはその玉座の周りを護衛するかのような巨大な四柱の神を、ヨハネは見た。見ただけでもう、その神々の御名もみ働きもすべて分かった。荒魂の速川の瀬に坐す瀬織津姫という神は牛のごとく力がある勇の火、和魂の荒塩の塩の八百塩の八塩道の塩の八百会に坐す速秋津姫という神は人の面のごとく智のある愛の水、奇魂の気吹戸に坐す気吹戸主という神は獅子のごとく俊敏な智の雷、幸魂の根の国底の国に坐す速佐須良姫という神は鷲のごとく自由がある親の風。この一切を浄化する風火水雷の祓戸の大神等は、ミソギハラヒの権限のかなりお強い大天津神々であった。皆それぞれ翼を持ち、左回転にゆっくりと回転していた。
やがて、玉座の中から、またラッパの声が響いてきた。
「吾は昔在し、今在し、永遠に在す、艮(アルファ)であり艮(オメガ)である艮の金神なり」
その声と同時に、玉座から巨大な巻物が空中を舞った。それには七つの封印がされていた。
「これこそ、アカシックレコードなのか!」
ヨハネは踊らんばかりだった。これこそ人類の過去から未来までの意識上の歴史のすべてが記録され、神霊界の秘め事である宇宙大根元の神による恐るべくして素晴らしい大立替え大建直しに至る大経綸もそこにはあった。ヨハネはそれを、自然とサトっていた。
――今の世に、この神大経綸を説く者がおるか!
ものすごい響きの声が、魂に直接響いて来た。
――今はまだ胎臓の世・陰光の世・水の世なれば誰も!
――物質の世のものには、説いても分からぬ!
声が次々と、玉座を取り囲む四十八の神から響いてきた。そもそもアカシックレコードは、物質意識を微塵にも持っているものは読むことができず、大宇宙の宇宙意識と一体になったものだけがそこから情報を引き出すことができるのである。
ヨハネはそれを思うと、思わず目に涙があふれてきた。
――汝、泣く勿れ。日神の系統のものなら、やがてすべてを明かなになさん。
その音声ともに、イェースズは玉座の前にいた。その姿は、ヨハネの隣にいた時よりも数倍は巨大化して、体中から黄金の光が発せられていた。そしていつの間にかそのイェースズの手に、巻物はあった。イェースズこそが、日系の身魂なのである。
一つの封印が、イェースズの手によって解かれた。さっと開かれた巻物は左回転にらせん状を描いて回った。なんとその巻物には裏にも表にも文字が書かれていたが、ヨハネにとってははじめて見る文字だった。だが、その表に記されたのは物質世界の過去の歴史から未来の預言であり、そしてうらには裏の経綸ともいうべき正神の神々の大仕組みが記されているということだけは、ヨハネの魂が直接知っていた。表の大経綸あれば、裏の仕組み、裏経綸が存在するのである。それが表裏一体の合わせ鏡となって、神仕組み、神大経綸の御神意は進展する。
第一の封印を解いて現れたのは、『勝利』の文字だった。すると突然ヨハネの頭上に、空中に浮かぶ映像が映し出された。これこそイェースズが先に言っていた表象なのだろう。その空中映像を、ヨハネはようやく立ち上がってぽかんと口をあけて見ていた。
最初の封印を解いたことによって映し出されたのは、巨大な白い馬だった。それを見るヨハネの魂には、すべての意味がごく自然に、当たり前のように流れ入ってくる。まず白い馬は、平和の象徴である。この馬に乗るのは人ではなく、神である。昔より、救世主は白馬に乗って現れると、ヨハネの国ではずっと言い伝えられている。すなわち白い馬に乗るは人に非ずして、神なのである。天地の初発、人類発祥の頃、国祖の神がご苦労にご苦労を重ねて産み出された人の霊成型が物質化し、初めて地上に降ろされた人類は、この現界での生活の仕方が何も分からず、すべてが神のご指示通りに暮らし、神もまた人々を手取り足取り教化し、人類は分からないことがあれば直接神に伺いを立てることもできた時代だった。いわば神と人が共存せる惟神のミチを人々は歩んでおり、人々もまた半神半人といった形で、限りなく神に近い時代だったのである。しかしそのような平和のままではいつまでも人類は進化発展しない。神も有目的的に人類を創造あそばされたのであり、その御目的の高度に発達した物質による地上天国・ミロクの世は望むべくもなかったのである。そこで、神の裏の経綸が発動された。宇宙の大根元の親神様は中津神々との糸を断ち切って自在の世とならしめ、天地創造、人類の霊成型を創造あそばされた天の御父である国祖の神を隠遁させることになった。すべて国祖の神も承諾の上ではあったが中津神々にはそれは裏の秘めたこととして伏せられていたので、国祖の神は水の系統の副神によって天の岩戸に幽閉され、艮に神幽られたのである。また、火の系統の正神の神々も天の岩戸に押し込められ、時代は夜の世、陰光・寂光・白光の世を迎えることになった。しかしここで最も重要なのは、天地創造の大業を成し遂げられた国祖の神は、力を合わせて事に当たった妻神と切り離されたことである。国祖御引退の艮(北東)とは正反対の坤へと妻神は神幽られ、これによって火と水が完全にほどかれたホドケの世を人類は迎えることになった。
そこで、第二の封印が解かれた。次に出てきたのは、赤い馬であった。それは神の白馬の平和と一転して、闘争、競争、支配欲、権勢欲の時代であった。まず中津神々にも愛欲が芽生えて色恋沙汰にて神界大波乱、その影響が現界にも映ってさまざまな災害となった。だが、人類を厳しく教化してきた正神の神々は表舞台から去っており、自由を重んずる副神は過度の自由がやがて放縦となり、現界も無秩序的な混乱に陥った。しかしそれは決して悪の時代ではなく、裏の秘めたる経綸にて人類に神の息吹の霊、即ち本霊のほかに副霊、すなわち物欲が与えられたためで、すべては物質開発のための方便であった。こうして人類は権力争いのための闘争を繰り返し、競争に勝たんがために物質を開発し、資源を掘り起こし、物質文化を発展せしめてきた。ここまでは、ヨハネにとっても過去の歴史であった。その物質開発の最大の役割を担った民が、ヨハネも属するイスラエルの民であり、ゆえに彼らは自分を選ばれた民を以って任じたのである。こうして幾万年の歳月が過ぎ、物質文明は神から離れすぎて行き詰るようになり、岩戸の中の国祖神に、宇宙大根本神からの耳打ちがあったのである。いよいよ国祖の神、艮の金神のお出ましも近み来て、国祖神は国祖三千年の大仕組みを敢行、いよいよ天の岩戸開きまであと三千年という差し迫った状況になって、神よりはなれすぎた人類に歯止めをかけんとさまざまな方策に出られた。御自らモーセの前に御出現になり、また全世界に聖雄聖者を配した。それはイェースズも、天の御父の神より繰り返し啓示受けしていたことである。それを思うと、ヨハネの目にも涙が浮かんだ。よく師のイェースズは「私は知っているが、あなた方にはまだ告げられる段階ではない」と言っていた言葉が、今甦る。イェースズが知っていても告げられなかった神理が今、ヨハネの頭上で映像となって展開している。そして、自分たちの造り主である神様を天の岩戸に押し込め奉ったその行為には、現界の人類までが加担していたのである。そのことを考えると、ヨハネは泣かずにはいられなかった。そして神の目もごまかせると錯覚し、さまざまな自己中心的な行いをしてきた。いわば今の人類は想念毒と罪穢、曇りで包まれているというのが現状だ。
――来たれ!
またあの大きな声が、ヨハネの魂に響いた。いよいよこれからは、未来の預言になるとヨハネは身を構えた。三つ目の封印が解かれた。今度は、黒い馬だった。白とは正反対だ。そしてそれは「秤」に象徴される物質文明、特に貨幣を媒体とする経済というものが人類界にも神によって用意されていた。その貨幣経済発達によって確かに物質文明は発達した。そして、その貨幣経済を全世界に浸透させたのもヨハネのイスラエルの民で、選民は終ってはいなかったのだ。だが、結局は支配欲、権勢欲、物欲で動くようになってしまった人々は、働く動機が金儲けと競争にあり、世のため、人のためではなくなった。ヨハネにとって今の時代、金がなければ飢え死にしてしまうのが世界広しといえどもユダヤやローマ帝国、ほかにイェースズがかつて行ったいくつかの少数の国のみだということをヨハネはまだ知らない。イェースズの方がそれを実体験として熟知している。だがやがて経済が世の中を動かす時代が到来し、その時は全世界の津々浦々まで貨幣経済が浸透して、それこそ金がないと飢え死にしてしまう世の中になる。また、等しく神の子である人類なのに、世界の地域によって貧富の差が生じ、金持ちは豪華な生活をする半面、その日の食料にも困る貧民がどの国にも増えていく。さらには戦争さえ起こり、殺し合いも大規模に発生するようになった。
そんな中で第四の封印が解かれ、蒼ざめた馬が現れた。戦争は、世界のどこかで常に行なわれるようになり、多くの人が命を奪われた。さらに農作物の収穫が低い年があり、またそれまで知られていなかった新しい病気が全国的に繰り返し発生するようになるようである。
そして第五の封印が解かれると、あたりは一変して明らかに現界ではない様相が映像に映し出された。そこにうごめくのは無数の霊たちで、必ずしも悪霊ではなく、現界にあった時は神を信じ、正義に生きたものたちも少なからずいた。それが不当な理由や方法で命を奪われ、怨念のかたまりにすらなっているものさえいる。だが、死せる後もひたすら神を信じて幽界の修行に励むものもまたかなりいた。それでも心の中に、なぜかわだかまりがあるのだ。自分たちを殺した人々は現界にて罰せられることもなく悠々と暮らし、中には再生転生すら許されてまた現界にて自適の生活をしている。なぜなんだと、彼らはそれを叫びたいようだった。それに引替え、霊たちは自分たちの境遇を呪う怨念のかたまりになったがゆえに、地獄に落ちているものたちも多い。なにしろ副神が表に立っておられる時代で、大根元の神とは糸の断ち切られた自在の世、すなわち逆法の世であるから、物質開発に熱心なあまりに我欲が生じて邪神に身を落とす神々も少数ではあるがあった。すなわち、堕天使である。さらには人間の悪想念が凝り固まった思凝霊が邪霊となって、邪神・邪霊の暗躍する時代にもなっていったのである。まさしく、悪の華咲く世で、正直者がひどい目に遭ったりもするのだ。そこでヨハネが見た光景は、そういったかつては正しい者であったのに怨念のかたまりに転落した霊が、一斉に現界に生きている人たちに憑依している姿だった。ヨハネがイェースズのもとで使徒として修行している間も、憑霊現象は数多く見せられた。しかし、これほどまでにひどくはなかった。まさしく空前絶後の大霊障時代が訪れるということになる。だが、心ある霊たちは、神の祭壇のもとで、正しい裁きが行われることを懇願しているのだ。神の言葉は、彼らに希望を与えるものだった。国祖三千年の仕組みも完成に近づき、いよいよ国祖・艮の金神が天の岩戸を立ち開きてお出ましになる。宇宙大根元の神の御経綸の進展により天意の転換期が訪れ、再び正神の神々が表に立たれるのだ。国祖はじめ正神の神々は厳しき立て分けの神であるけれど、また善一途の神であるので善と悪の二元に分けたそれまでの逆法の世の考え方では推し量ることは不可能で、悪を憎んで裁くというよなことはなさらない。しかし、それぞれの魂に刻み込まれた穢れ、曇りは、天意の転換期に当たって清算を余儀なくされる時代が来る。ヨハネはイェースズから言葉で何度も聞いていた最後の審判、世の終末を、今や視覚ではっきりと見せられている。天の時が来たら、悪の華咲く世は終わり、正しいものには栄光の運命が開け、悪は行き詰って没落して行く信賞必罰の世となる。それまでは悪もまかり通っていたのが不正がどんどん暴かれて明るみに出る「アバキの世」、そういったものたちが最後の悪あがきをする「アガキの世」、そして悪を裁くのではなく洗い浄めて清浄の魂に還さんとする神大愛のミソギハラヒの起こる「アガナヒの世」、そうして一点の曇りもないきれいな魂となったものたちがミロクの世を織りなす「アカナヒの世」の「四つアの世」が到来し、七つの燭台にも再び火がついて神経綸は完成する。しかし、何しろ正神の神々様がお隠れになっていた逆法の世が長く続いたので、アガナヒからアカナヒと簡単には言ってもちょっとやそっとでおいそれといくわけなはない。そもそもこの森羅万象は、国祖の神とその妻神とがみ力を十字に組んで、火と水のような相反するものを火水結びに結んで創造された。その地上が天の岩戸閉じに伴って前述のような悪の華咲くようなってしまい、人類の天津罪、国津罪は天まで届き、いよいよ以てアガナヒの世が到来する。国祖に先駆けてお立ちになった四柱の祓戸の大神たちは、いよいよそのアガナヒの世に当たって大浄めを断行される。その風火水雷のみ働きは、世界五大州にことごとくに発せられる。
そしてすぐに、第六の封印が解かれた。そこに展開されていたのは、愛すべき地球が恐ろしい状況になっている様子で、それはまさしく地獄の様相を呈してものすごい力でヨハネの身に迫ってきた。轟音とともに大地はうねり、ヨハネが見たこともないような巨大な建築物が林立する大都市が、地響きと土煙とともに崩壊していく。それは、地上の一つの都市というだけではないようだった。たちまちにして都会は炎の海となり、その煙が空を焦がして太陽の光が遮られ、月も赤く見えるほどだった。全世界規模で災害は多発し、火山の噴火、大津波、そして逃げ惑う人々の姿をヨハネはありありと見せられた。そこには、秩序というものはもはや存在していなかった。そして、そのような天変地異に加えて、全世界規模の戦争が勃発しているようだった。戦争とはいってもそれはヨハネの常識的概念の範疇にあるものではなく、雷の数十倍の爆音とともに発せられる砲火で多くの人が焼かれ、建物は爆破され、炎の爆弾が空から人々の住む都市へと無数に投下されるのである。地震で焼かれた後に復興した都会もまた、再び炎に包まれることになる。その爆弾の無数の投下は、ヨハネの目には天の星が一斉にイチジクの実が落ちるかのように大地に降り注いだとしか言い表しようがなかった。
その時、玉座の周りの四十八の神のお一人が立ち上がられた。そして、空中映像に向かってさっと手をかざされた。その方こそ型神名の「アの神」「イの神」「ウの神」の順で御経綸が進んできて、いよいよその完成期も間近だということを告げる御存在であった。ア行、カ行、サ行と進んできた御経綸は、いよいよヤ行まで進展していた。その方こそ、この火の洗礼の大峠を主宰あそばす「ヨの神」、すなわちヨニマス大天津神様にほかならない。そして東より光がさした。一つの大きな身魂、すなわち「ヨのみ霊」が神の使いとして現界に降ろされ、ヨニマスハラのみ働きをされるヨニマス大天津神様の地上代行者として魁のメシアは主神神向を獅子吼あそばされていた。その聖なる身魂は祓戸の大神様方の前に額ずき、「どうか、もう少し猶予を下さい。天変地異をやめて下さいといえる人類ではありませんが、少しでも軽く、少しでも先に延ばして頂きたい」と全人類になり代わってその罪障を詫びて、祈りを捧げていた。そしてそれだけでなく、はじめはたったお一人で多くの人々を救っていった。「我われも今後は、お救いさせて頂いたことがすぐに分かるように、神の子の因縁の身魂には主の神様のみ光でもって刻印をつけとう存じます。それが終るまで、もう少し待って頂けますか。今、多くの人の額に印をつけております。その額に印をつける暇をお与え下さい」。それは目には見えない十字の印で、霊眼のある人には分かる印だった。つまり種人で次期文明に残される人の印であり、そして魁のメシアが人々の額にその十字に光る印をつけている光景は、イェースズが故国にて火と霊の洗礼を人々に与えいていたのと同じ波動だった。だから、ヨハネは唖然とした。自分もやっていた火のバプテスマの業が、自分たちの場合は十二人の使徒のみに許されていたが、この時は求めるもの世界万人にこの浄めと癒しの業を伝授し得ているのである。これは天を仰ぎ地に付して慟哭しても有り難がらねばならないほどの驚愕の事実であった。九分九厘行き詰った人類界への、神一厘のどんでん返しの救いの業ともいえるものですらあったのだ。そしてそのみ使いこそ、イェースズが預言した「神理のみたま」にほかならないとヨハネはサトッた。イェースズから話を聞いた時は、そんなにもすごい方がやがて来られるというのを、自分の在世中のそう先のことではないと思っていた。しかし、このようにまだまだ遠い未来のことである。それでもそれは人間の感覚であって、大神様の何億年にわたる長い隠遁生活からみれば、もうそれも間もなく終るというのだから、もうその直前になっているともいえた。額に印のある者は、全世界のあらゆる人種に及んでいた。この印がある者の命を奪うことは、神は誰にも許さなかったのである。しかし、全世界の人類を救うには、その数は甚だ少なかった。だが、神は断言される。一万人の霊覚に目覚めた活動家、すなわち主神神向への決意を固めた神の子が現れるのなら世界を変えることができると。だから、これまで額に印をつけていた人々はますます今の出来事を冷静に受け止め、来るべきミロクの世へと準備に怠りなかった。やがて、大いなる光に包まれた人々の行進が見えた。男も女も、緑の筒袖のブレザーで統一された若者たちは、一糸乱れずに行進していた。
――あの者たちは、誰か?
またヨハネの魂に、声が響いた。だが、ヨハネが知るはずもなかった。
「どうして私が知り得るでしょう?」
――あの者たちは多くの試練を乗り越えて、栄光をつかみし人々なり。遥かなるムーの子ら、御神縁深き人々で、長い転生の過程で結びついた光の子たちなり。
そして、第七の封印が解かれようとしていた。この封印が解かれることによって、さらに詳しく火の洗礼の大峠の詳細が分かるようになろうという予感が、ヨハネにはあった。果たして封印が解かれると、一見穏やかな平和な時代が訪れたかのような光景が展開していた。全世界はグローバル化し、モラルが人々の間を支配し、産業は発展し、人々の生活水準も向上して、情報網は網のごとく全世界に張り巡らされ、光速で情報が飛び交う時代であった。だが、それは表面上の見せかけの繁栄であり、物欲による弱肉強食の支配、競争欲に根ざす貨幣経済の蔓延などは、逆法の世界から何ら変わりはなかった。繁栄は一部の大都市であり、全世界の大部分は飢餓と貧困に喘ぎ、戦争は依然として局地的には継続されていてその戦火に倒れ伏すものも多数、正規の戦争よりも恐ろしいテロ事件が各地には頻発し、また地震や津波、火山の噴火などの災害も年を追うごとに多発、また大地全体が年々熱くなってきているのであった。気候が明らかに変動し、豪雪地帯の冬でも雪が少なく、冬でも夏の姿で暮らす人々の様子も目についた。夏などはまさしく炎の中で生活するがごときで、熱病に倒れるものも多く、太陽もその光度を増し、森林は減少して砂漠が増え、旱魃に農作物は軒並み不作、そうかと思うとその地域のすぐ隣の地域では大洪水で多くの人命が失われたりもした。大地全体が温暖化どころか,超温熱化していっているのである。さらには大気も水も大地も食べ物さえもすべてが毒にて汚染され、人類は毒矢を射こまれた状態になっていった。ところがそれでも、それは嵐の前の静けさであった。
そのような天地かえらくは、逆法の世から天意転換による正神の神々の天の岩戸を開く開き手のお出ましの御世に当たり、物質一辺倒の逆法の世から霊主のの御世である正法の霊文明を打ち建て、地上天国建設の神大経綸の成就のための神界・幽界・現界の三界にわたる大掃除であり、世の立替立直しであって、神大愛から発する大浄化なのであるが、国祖の神はそんな人類の救いのために七人の聖者の身魂を現界に遣わし、御神示を下して人々に警鐘を打ち鳴らしめんとされた。いわば神のみ言葉を預かる神のラッパ吹きであった。
第一のみ使い、ラッパ吹きが世に降ろされた。まだまだ月神系統の副神の統治する夜の世、逆法の世が続いていた時ではあったが、確実に「夜明けは近い」といえた。ラッパは叫んだ。「すべての創造主である神がお出ましになるぞよ。今まで隠されていた真の神のお出ましの御世ぞ。隠されていた悪の華もアバキ出されん」。だが、人々はそのようなラッパの声に耳を貸そうともしなかった。そしてヨハネが見た映像は、再び天から無数の星が地上に降り注ぐ様子で、実際は恐ろしい爆弾が空中よりおびただしく投下されているのだった。人類の歴史始って以来の世界規模の大戦争が起こっている様子で、やがてその惨状が消えた頃に、世界の三分の一が赤い旗の群れで埋め尽くされた。赤い旗、赤い星、シュプレヒコールと人々の群れ、そんなもので満ちている。だが、それとは関係なしに、世界中でそれまでは存在しなかった伝染病が発生し、人々はどっちに逃げようにも逃げ道すら分からない状態になっていった。人々の逃げる足よりも早く、肌が異常に腫れあがったまま死んでいく病気が世界中に広がり、追い討ちをかけるように次々に新しい病気が現れては世界中に広がって人々の命を奪っていった。
第二のラッパ吹きが地上に下ろされると、大いなる火は海の上にも落とされた。ヨハネの常識では考えられないことだが、戦争によって非戦闘員である一般の住民が殺戮されるようになってきた。海での戦いも空中を飛ぶ巨大な鉄の鳥が、やはり巨大な船に突っ込んで船は次々に火を吹く。そして船は爆発して炎上し、煙が空に立ち上るのだった。戦闘機などをヨハネが見たことあるはずがないので,ヨハネの目には鉄の鳥にしか見えない。あちこちで上がる船の爆発の炎と煙、さらには鉄兜をかぶり銃を持った軍隊の群れが、あちこちで小競り合いを続けていた。その時、ラッパ吹きが獅子吼した言葉は、「アバキ出されし逆法にしがみつく人々は災いなり。そはアガキとなって、いつまでも苦しみゆかん。されど、すでに正神に逆らいし神々も改心致し、もはや正神に楯突くものはおらぬぞよ。邪神・邪霊のアガキ、一段とキツクならん」というものだった。
第三のラッパとともに、ものすごい閃光をヨハネは見た。それと同時に、轟音が辺りを響かせた。熱せられた光る雲が、ものすごい勢いで閃光から周囲へと拡がっていく。周囲の森林はたちまち焼かれて灰になり、すべての生き物が息絶えた。幸いその近くに大きな都市はないようだったが、川があった。その川の水がいくつもの大きな都市に流れていく。見た目にもはっきりと毒を帯びた水の流れになっているのが分かり、その水を多くの人々が飲んでいた。そして次々に、倒れていく。川の水が、安心して飲めなくなっている。それはその巨大な爆発の場所のみならず、全世界規模で川の水の毒化が進んでいる。背骨の曲がった奇形の魚を食べれば、その毒は数十倍にもなってやがては人体をも毒化する。まさしく人類は、死の魔女のネグリジェの中に抱かれているといっても過言ではなかった。清らかな水が流れるのが川という概念は、その世界では通用しないようだった。白いあぶくの川、真っ赤に水が染まった川、どろどろの異臭を放つ泥の川など、ヨハネに取っては常識の範囲外だった。それほどまでに水質も、そこに生息する生き物までもが毒化してしまっているのである。そんな状況とは裏腹に、人々の心はいまだに物質的繁栄のみを競い、それが公教の福利のためならともかく、動機はすべて金儲けと名誉欲、競争に勝ちたい、支配したい、世界の経済をこの手に牛耳りたいそんな欲望を膨らまし続け、そのために水質の汚染も進んでいった。直接口に入るべき農作物にさえ毒がまかれ、それも見栄をよくするため、売れるため、金をもうけるためと、自己中心の想念から、それを食して害を受ける人類のことなど眼中にないのだ。
第四のラッパが吹き鳴らされると、今度は水質どころか、大気までもが汚染され始めた。細長い筒から絶えず出る煙が天を多い、太陽の光さえも隠してしまう。また、馬もなくものすごい速さで走る不思議な馬車が全世界の隅々にまで大量に走り回っているのをヨハネは見たが、その車の後ろの筒からもまた有害な風が吹き出されて空に昇っていく。そうして吐き出されたガスは大地を覆い、太陽の光を遮る。さぞや地上は寒くなっているのだろうと思いきや、ヨハネが見たものは熱さに喘ぐ人々だった。冬でもどんどん熱くなり、地上は超温熱化を迎えていた。大地を覆うガスは光は遮断しても熱は通し、その熱が今度は空へと拡散して消えるのを抑えこむ効果になっていた。だから熱が逃げられずに、地上が暑くなっていっているのである。しかし、問題はそれだけではなかった。太陽自体が膨張し、放射熱がおびただしい量になっているのである。だから、これまでのどの時代よりも太陽は熱く、やけにまぶしい。そんな太陽光線が降り注ぐものだから、大地全体がどこか病んだように生気を失っていた。そして、大地を覆って直の太陽光線から人類を守っていた空の上の層が崩れ、穴が開き、太陽光線はやがて人類を直接焼くようになっていた。焼くといっても火が着いて燃えるわけではなく、肌に異常をきたして、それが原因で命を落とすものもいた。
そしてその時、空に大きな鷲がものすごい早さで飛ぶのをヨハネは見た。事実、それは鷲のマークの入ったジェット戦闘機だった。多くの星およびモーセの雲の柱と火の柱がデザインされた旗のついたその戦闘機は、その旗を持つ強大な国の力が衰えつつあってもまだ健在であり、災いがまだまだ続くことを次げているかのようであった。
第五のラッパが吹き鳴らされた。またもや巨大な閃光と爆音をヨハネは見た。前に見たのと同じようにその巨大な爆発は周囲を焼き尽くしながら炎を広げ、またあまりにも巨大な、ローマの町全体がすっぽりと入ってしまいそうなほどの大きな穴が地上に開いて、そこから炉の煙のごとくキノコ状の雲が中天よりも高くそびえて上がった。まれと違って、今度は人造の戦争のための兵器のようだった。まさしくそれは大量破壊兵器だ。戦争といっても、ヨハネの知識を遥かに越えたその状況、すなわち空を飛ぶ鉄の戦闘機が次々に敵国の都市に空爆を加え、またそれを迎え撃つための弾道ミサイル、スカットミサイル攻撃などは、ヨハネはそれを女の髪の毛、ライオンの歯、鉄の胸あてを持つ馬のような鉄のイナゴとしか認識し得なかった。そしてそのために、地上の人類の大部分といってもいいほどの人々がそのために死に、それぞれの大都市では破壊された建物の瓦礫の山の隅に多くの人々の焼けただれた死体が山のごとく積み上げられていた。だが、戦争は一度のみならず、再び世界規模の戦争が起こる兆しがあった。
第六のラッパが吹かれ、一部の心ある人々の中の選ばれたものに、御神示は降ろされていった。それとは裏腹に戦火は拡大し、地上には戦車が走り回って敵陣に砲撃を加えていたが、その音は雷どころか耳をふさがずにはられないほどの爆音だった。そして場所も、ヨハネの霊勘がすぐに当てた。それはアブラハムの故郷の地のメソポタミアで、流れている川はユーフラテス川だった。その国はほとんど無秩序状態と化しており、そこへ全世界から軍隊が集まってきているといっても過言ではなかった。ある国は輸送艦が湾岸の港で兵士と戦車をおろし、また空輸用のヘリコプターも飛び交い、世界中のすべての国の軍隊がここに集まったのかとも思えるくらいだった。その戦闘は長期化し、戦場はやがてヨハネの故国、イスラエルへと拡がっていった。しかも、ガリラヤ南部の大地の上で、ついに軍隊は対峙した。アブラハムの長男イスマエルの子孫である人々と、選ばれた民を自認するイスラエルの民の国の人々がそれぞれの国の命運をかけてのにらみ合いが続いた。その時、ヨハネは見た。故国イスラエルにダビデの星の旗がひらめき、自分たちの文字が書かれた看板が町に並ぶ……。今はイスラエルの民は故国を追われ、このローマ帝国内に分散するのを余儀なくされている。終わりの日には、再び神とモーセの契約の地であるカナンの地に自分たちの民族は世界から集まって再び国を建て、そこに安住しているのだ。だが、ヨハネが見た映像は、決して「安住」でないことも物語っていた。イスマエルの子孫と兄弟イサクの子孫はこの地で大きくにらみ合い、破壊行動を繰り返し、多くの人を殺傷し、きな臭い空気が漂っていた。だが、それは二つの民族の対峙に終らなかった。イスラエルの民はそのイスラエルの国だけにいるのではなく、西の海を越えた世界一の超巨大国をも動かし、それを世界の金融経済の中心たらしめ、その超巨大国の王ともいうべき大統領までをも操り、世界制覇を目論んで地下組織さえ作っていた。だからここでの戦いには当然世界警察のようなつもりでいるその超大国、またそれぞれの民族と同盟国であるその他の国々をも巻き込んで行った。東の方からは赤い旗とともに多くの黄色い肌の軍勢が鉄の馬、空飛ぶ鉄のイナゴとともにユーフラテス川を越えてこの地域になだれ込み、北からはヨハネの知る言葉ではメシェクとトバルを統治する、すなわちモスクワとドボルスク空軍基地から発した白い軍隊が、コーカサス地方を越えてこの地に南下してきた。そしてガリラヤの南、サマリヤの北のメギドという丘の上で戦端は開かれた。鳴り響く銃声、砲撃の音、そして爆破、その繰り返しの光景に、ヨハネは脂汗を流しながら見ていた。このような激しい戦闘は、ヨハネの時代にはない。こんな火と火で焼き合う戦争などしたら世界の人類はみんな死んでしまい、まさしく終末戦争になってしまうとヨハネは震えた。それでも人々は貨幣経済への偶像崇拝といもいえる信仰を捨てなかったし、お出ましの正神の神々にも心を向けず、世界最大の国家の首脳でさえ邪神・邪霊と交流交感してものごとを進めていたのである。
空中の映像に気をとられていたヨハネは、その時目の前の玉座の方からまたものすごい声がするのを聞いて我に還った。声の主は先ほどこの映像に向かって手をかざしたことによって東の国から光をもたらした「ヨの神」で、そのいでたちは白い服に髪は左右の耳元で鬟に結い、腰には太刀を佩いて、天の八重雲を稜威の道別きに道別きて天降ってきたがごとくに、玉座から出てヨハネの前に立った。その姿はヨハネが遥かに見上げるほど巨大だった。頭上には火の洗礼の象徴たる虹を戴き、その顔は光に包まれていた。そして左足は霊の象徴たる大地に、右足は体の象徴たる海に降ろして立っていた。そしてその手には、すでに封印が切られた巻物があった。
――こは、メシア降臨のしるしなり。
その声ライオンの咆哮のごとく、ヨハネの魂に刻み込まれた。
――汝が今見し世に、神理のみたま、魁のメシア、降臨せん。その時、真の天の岩戸開かるるなり。の開ける人類最後の天の岩戸開きを手伝いし、また多くの心ある神の子にも手伝わしむることの許されたる真の「岩戸開人」よ。そはまさに、正神真神お出ましの御代なればなり。
ヨの神は、たちまち天を仰いだ。
――おお! もはやこれ以上、延ばさるることなきならん。第七のみ使いのラッパ吹きならされん時、一切の神理はことごとく明かなに告げられ、神策太古よりの大経綸はここに成就せん。
そして巻物が、ヨハネに手渡された。
――そに記されしことは、汝ら人類の初発よりも悠久の昔からの、神・幽・現三界にわたる宇宙大経綸なれど、今はまだ水神統治の逆法の世なれば、汝それをゆめ他言すべからず。また、いかなるものにも文字にて書き取らすもまた不可なり。汝の腹の中にのみ、しまいおけ。
ヨハネはそれを手に、さっと開いた。書かれている文字は数文字で、ヨハネには見たこともない文字だった。しかしその中のたとえひと文字でさえ、ヨハネの用いる現界の文字で記したなら数万冊の書物が書けるくらいの情報量を伝えていた。そして、そこに記されていたのは恐るべき預言だった。神の経綸が成就し、地上天国が完成すれば、そこはミロクの世であり、かつてのエデンの園のような神人一体の生活に、さらに高度に発達した科学文明とが十字に組まれた霊主立体文明が展開されることになる。人々はそこで神とともに、一点の曇りもなき水晶のごとき魂を持って喜びのうちに惟神の生活をする。労働はそこでは苦しみではなく、皆が自分の思うままに自分のやりたい労働に喜々として従事し、またそのやりたい労働を必要とする人も必ずいて、互いに感謝に満ち溢れ、報酬なそ求めることはない。もっとも、もはや金銭など存在せず、生命の糧は自然に与えられる。現界がそんな様子であるばかりではなく、神界・神霊界も宇宙の最高神である主神の直々のお出ましの元に、正神も副神も互いにその働きを十字に組んで愛和のもとの統治であり、そして幽界というものはもはやなくなる。ヨハネが気付くと、現界も今のような三次元現界ではなく、人々の肉体も三次元の物質ではなく半霊半物質、つまり現界全体が五次元へと次元上昇していたのだ。それは読んでいて口に甘い蜜のように、ヨハネの魂を躍らせた。
だが、そこに至るまでは、今の逆法の世がすんなりとそのような地上天国に切り換わるのは不可能だということはヨハネの頭でも理解できた。果たして、そこに至るまでのものすごい様相もまた描かれていた。かつて人類は百三十回もの天変地異を繰り返し、中でも大天変地異は六回あってその都度万生も人類も滅亡寸前まで行って、そのたびに時の天皇様を真中心にして、行き残った人々は文明を一から再建してきたのである。だが、神経綸の最終的成就の前には七度目の大天変地異があり、それが七度目の天の岩戸開きで、地上は灼熱の世となり、また火は水を呼んで火攻め水攻めの世ともなって大地はすべてことごとく焼かれ、その後に中天にまでそびえるほどの巨大な津波が全地を覆うことになる。そこで人々はすべて死ぬ。だがそれは肉体が、三次元の物質の肉体が死ぬのであって、魂は残る。その時に、魂が秤にかけられ、曇り多き重い魂は下に沈み、水晶のごとき軽ろらな魂のみが残されてミロクの世の半霊半物質の体の中に転生が許されるのである。そのためには魂の選択によって魂の曇りを祓い、罪穢という神からのお借金を清算しなければならず、それが差し引きゼロになった時にその身魂は残されるのである。その数は、全人口の三分の一にも満たないという。自余の魂は、あるいはその時点まで幽界の下の方のいわゆる地獄にいた霊たちは、抹消されて宇宙の原質に戻されることもあり得た。また、残される魂の救済のために、多くの聖霊が降下して空中に携挙するという。それは決して神の裁きではなく、宇宙の大法則の秩序どおりに起こる現象であるが、裁きよりも冷徹で、また厳しいものであった。裁きには人情も入り得るし情状酌量というのもあるが、法則通りだとそうはいかない。一切の「例外」がないからだ。もちろん口実や不満は言っても無駄である。かつてヨハネが師のイェースズから聞いてイメージしていた「最後の審判」とは、だいぶ状況が違っていた。その厳しい現実をヨハネが腹に入れると、先ほどは口に甘いと感じたこの巻物が、腹の中でとてつもなく苦いものに思えた。神の経綸は神の甘ちょろの大慈観ばかりでなく、厳しい大悲観を十字に組んだもので、また世は国祖の神様のお出ましによってすでに自在の世を終え、限定の御代に入っていたからである。
恐ろしくも厳しい現実にヨハネが震えていると、その手に秤が手渡された。
――人々の想念を、秤にかけてみよ。
そうは言われても、ヨハネはなすすべを知らなかった。
――聖所の外の庭は論ずるに足らざれど、聖所と聖壇の数を調べよ。
その時ヨハネは、秤は象徴であって、自分で調べるというよりこれからそれを見せられるということをサトッた。果たして、例の映像には遠い未来の人々の想念が言霊となって映し出された。論ずるに足らずと言われたのは、ヨハネにはまだよく理解できないが、科学というものを信奉するものたちだった。科学というものは神の道とは反対に人知から発し、下から上へと真理を追究していくものらしい。そして究極の科学者になると、神に到達する。しかし驚いたことに、そこまで達していない二流、三流の科学者は、神の存在すら否定してしまっているのだ。目に見えないから、実証できないから「ない」と決め付けている。ヨハネの時代の感覚では、どんなに悪人でも神の存在を知っている。知っていて、わざと背を向けるのが悪人なのだ。また、異教徒とて、皆それぞれの神を信じている。それなのに、遠い未来では神の存在を認めないなどという迷信がはびこる世界になるということで、ヨハネは気が遠くなるほどその恐ろしさに震えた。しかも未来世界では、そういう人たちが決して悪人ではなく、善良な市民として生活しているのだ。だが今は、確かにヨハネに告げた御神霊の言葉通り、そのようなものは論ずるに足らずだ。ヨハネが見せられたのは、未来においても神を信じるものたちだった。だが、その姿も悲惨なものだった。
クリスティアノスは、全世界の津々浦々にまで拡がっている。だが、単に拡がっただけでなく、おびただしい数の分派派閥があって、互いに相容れずにいる。そして、アブラハムの長男イスマエルの子孫の人々の間では、同じ神を奉じる別の宗教が広がって、ものすごい力を持っている。先ほど見た戦争の映像でこの民族が、本来は兄弟であるイスラエルの民と対立して戦っている背景には、その宗教の問題があった。とにかく、ものすごい数の教団だ。そして、いかがわしい偽預言者も世界のあちこちに出没し、人知の教えを広めている。そして、瞬時にして情報を世界各地とやり取りできる不思議な箱を、未来の人々はほとんどすべて所持しているようだ。その網のようにつながっている情報網で、人々は情報を交換している。それは正しい教えの伝道にも使われているが、逆にそれを阻害するもの、神はいないという科学迷信を宣伝するためにも使われてる。そういった連中は神に創られた神の子人を、猿が進化したものだと信じられないような理屈をこねくり回している。そういった人々はそれはそれで仕方がないが、もっとひどいのは人類の救済ではなく、自らの金儲けという欲望を満たすために教団を立ち上げているものたちも多い。金銭のみならず、性的欲望処理のために教団を作るものすらいる。確かに師のイェースズが自分たちといっしょにいた頃、終わりの天の時には偽預言者があちこちに興るから警戒せよとも、またイェースズ自身の教えが全世界に広がっているとも言っていたことをヨハネは思い出した。そんな宗教界さえ副神に支配されて水の教えとなり、現世利益を求める人々が押しかけるのだ。
そんな中に、国祖三千年の仕組みとして釈尊やイェースズが地上に降ろされた。だがそれも人知の尾びれがついておかしな方向に行き、そしていよいよ天の時にはまたヨニマス大天津神が手をかざした時に降ろされる神理のみたまの地ならしとして降され、国祖の神直々の御神示を受けて正法を世に伝えるものも出た。だが如何せん次期が早すぎて、二人のみ使いの魂は世間から弾圧を受けてその神殿さえも破壊された。さらにその流れから、初めて癒しと浄化の業を許されたみ使いの魂も山の頂きで御神霊のピチピチ生きある姿を見せられ、敢然と立ち上がった。そしてバプテスマのヨハネ教団からイェースズが出てきたように、そこから神理のみたま、魁のメシアがいよいよ登場するのである。
すると映像が一変して、そこはもはや地上ではないようだった。すなわち神霊界の宇宙空間である。神界・神霊界の出来事が如何にこの世に影響するか、それがはっきり見せられるように工夫されていた。前に見た世界中の軍隊が対峙するような現界の大戦争も、実はすべて神霊界の霊界現象が現界に投影された結果なのである。そのヨハネが見た神霊界の様子は、三次元の目を持つヨハネに分かりやすいように実際の神霊界を三次元の現象に置き換えた姿であった。
正神の神々の、特に四次元エクトプラズマの霊界に変化した時のお姿は、龍神の形態を取る。龍というと人間よりも動物に近い印象があるがそれもそのはずで、かつて国祖の神をはじめ正神の神々が人類の霊成型を創造した時に、何万年にもわたる試行錯誤の末に最終的に人類の霊成型を創られた。その時にまず試作として数々の動物が、それも無駄ではなく役割を持たせて創造あそばされたが、その動物は龍体の一部を物質化したり、あるいは全体的に縮小したりしてお考えになった形象だから、龍が動物に似ているのではなく動物の方が龍に似ているのである。
しかし、ヨハネが見た未来世界の神霊界を跳梁する龍は、赤い龍であった。すなわち、地上のいくつかの国を神否定の唯物思想で充満させた赤龍であって、それは同じ火の系統ではあっても真釣りからではなく魔釣りから生じたもの、すなわち実は龍ではなく蛇なのであった。高次元から天下ったのが龍神なら、地から湧き出たのが蛇である。すなわち人間の知恵(人知)、ひいては身欲の固まりが現象化したのがこの霊的な蛇といえよう。だが、今やその赤龍、すなわち蛇も地上から追い落とされていた。一時は世界を二分するほどの勢力で台頭していた赤龍に率いられた国々もある一定の次期を境に次々に崩壊し、体制が変革されて自由な国になっていった。神霊界においてこの蛇が地に追い落とされたことの現象化が、少し遅れて地上で物質化したのである。そうして天の岩戸開き、国祖お出ましのみ世を迎え、超太古に神界の政権の座にあった正神の神々が一時幽閉され、あるいは隠遁されていたりしたが、いよいよお出ましになって再び政権の座に就こうとされた。しかし、それまで地上にて人々の物質文明、唯物文明を、物質開発を導いてきた副神の神々が政権についていては元の神政復古はおぼつかない。何しろ炒り豆をまき注連縄を張って封印し、「鬼」もしくは「悪魔」と呼んで恐れていた正神の神々がお出ましになるのである。
こうして神霊界では火の系統の正神すなわち地系・龍神系の神々と、水の系統の副神、天系・天使系の神々との熱き戦いが繰り広げられた。だが、戦いとはいっても三次元の人類の戦いとは違い、武器で相手を殺傷するというようなものではない。国祖の神様、ひいては宇宙大本の主神との霊波線をいちはやくつないで頂いた神々は、長いこと人類の物質欲を高め、またイデオロギーをも操っていた副神の神々に追々説得し、それまで秘密だった超太古の国祖御隠遁のいきさつ、そしてそのすべてが宇宙最高神、大元の光である主神様の御経綸であることも打ち明けられて改心していく、それが即ち戦いなのである。改心した副神の神々、正神の神々と十字に組み、これでやっとホドケの世が終わる。だが、かつて国祖御隠遁のきっかけさえ作った副神系統のいちばんの親玉である山武姫の神も、もはや正神の神々と十字に組むことに躊躇はなかった。だが、かつてはその取り巻きであり、人間の悪想念が凝り固まって発生した思凝霊、さらには金毛九尾のキツネなど邪神・邪霊がまだ暗躍し、人類を神から引き離し、自らが人類を支配しようと虎視眈々と狙っている。こうした神霊界の戦いが現象化して、現界の戦争となっているのである。この超太古における天系地系、すなわち天使系と龍神系の神々の戦いが現界に反映した例として、ムーとアトランティスの攻防があった。現界では、この未来の時代でも太陽国ムーの子孫の身魂の集団が救世の魁として世を救おうとしているのが、アトランティスの直系の霊団は、ほぼ同じ教義を持ちながらムー系霊団を目の仇にするのである。だから逆法の中で再生・転生を繰り返して何万年と生きてきた人類の魂を浄化し、曇りを消していかないと、九分九厘行き詰った人類界への神一厘の救いの業は発動されないのである。あらゆる相反するもの、火と水、日と月など、それらを十字に組んだところに生産力が生じる。そして国祖艮の金神と、その妻神の坤の金神は、かたや北東かたや南西と別々に隠遁あそばされていた。その二神がともに岩戸を押し開きてお立ち上がりになり、十字に組れる。それは超太古の天地創造の時の状態の神様に戻るわけで、こうして国祖・艮の金神・国万造主大神の厳霊と坤の金神、すなわち国万造美大神の瑞霊が十字に組まれればそこに伊都能売の身魂が顕現して五六七大神となり、それでミロクの世へ一歩近づいたことになる。正神の神々と副神の神々が神結びに結び給いて、霊主立体十字文明の暁を迎えるのである。それを結びつけるみ魂こそが真澄のみ霊、神理のみ霊であるヨのみ霊である。この火と水が十字に組まれて左回転すると、中心に空洞のパイプラインができる。それこそが主の空間なのである。
ヨハネが見ている風景は、一変した。そこは大海原だった。一見穏やかそうに見えるその光景に、ヨハネの気持ちは若干和んだようであった。
ところが、その平和を打ち砕いたのは、海から突然巨大な何かが海から飛びだしてきたからだ。それは差し渡し十メートルもある核弾道ミサイルで、先端には十本のアンテナがあってさらにその先端部は七つに分かれており、それぞれが一つずつの小型ミサイルになる構造だ。だが、そのようなことを知るはずもないヨハネには、それがとてつもない巨大な獣に見えた。その銃は煙を吐きながら、大空へと飛んで行った。だが、その獣の正体を知るはずもないヨハネなのに、その裏に隠された意味はすぐに読み取れてしまう。このミサイルは、それを所持する国の象徴であった。赤龍が地に落とされてから活発な動きはなかったとしても、一応はまだその赤龍という蛇に蹂躙されている国だ。かつては弱かったのだが、今やその勢いを盛り返し、世界の脅威ともなっている。その眠れる獅子がついに吠えた。この国は長いこと唯物思想が旺盛で物質科学のみを崇拝し、科学万能を標榜して一切の御神霊の存在さえ否定するようになっていた。これほど巨大なミサイルは、これまでに見たものは一人もおらず、保有はしていても実際に使われるのは初めてのことである。
するとヨハネの目の前に、今度は奇妙な形をしたビルが現れた。これもあまりに巨大すぎてヨハネの目にはもう一つの獣としてしか刻まれようがなかった。そしてこの建物を中心とする組織が、ヨハネのイメージの中に湧き起こった。それはシオニズムを根本理念として全世界を陰で操り、世界を我がものにしようとして、それは半ば成功していた。この組織に操られる国はヨーロッパのほとんどであり、また先ほどの獣のようなミサイルの国とも同盟関係を結び、ともにユーフラテス川を囲む地域を目指して進軍した。そしてもう一つの獣からのミサイルも確実に目標物に着弾し、そのために皮膚は焼けただれ、肉親とも離れて泣き叫びながら、多くの人が死んでいっている様子もヨハネは見た。そうした状況が局地的なものではなく、世界の大部分の状況になっていた。
その獣の組織の世界制覇の手段は、次のようであった。まず、敵対する国は徹底的に空爆し、都市としての外観さえもなくしてしまう。それが世界中の国々に及び、まるで火を天から降らせているかのようでもあった。そして、それまでは影に隠れていたこの組織のボスが、ついに表に出た。といっても本人が群衆の前に立ったわけではなく、その顔が画像として配信もしくは中継され、どの国でもその映像に向かって熱狂的な歓声が上がり、それも瞬時に全世界に広まった。そして、その人物に異を称える人々は、ことごとく警察にひかれていったのである。そして女に象徴される大群衆の上に君臨したその組織は、完全にその目的である世界制覇を果たし、その中心部をバチカンのど元のローマに置いていた。
そしてどの国でも自国のすべての国民に番号を振って登録させ、そこにはその国民一人一人の個人情報、すなわち経歴や思想の変遷などまでがこと細かに記録されており、またそれを示すようにすべての国民の手にバーコードの印がつけられた。機械を通せばこのバーコードでその人の個人情報はすべて分かるようになっており、これがないとものを買うことすらできないのである。バーコードはそれぞれの立て線が数字を表しているが、左右と中央の長い線には数字はふられていない。そのふられていない数字が実は6なのである。つまり、左右と中央で合わせて666であった。その数霊に、ヨハネは重大な意味を読み取った。三つの六で「ミロク」となるが、実はこれがとんでもない偽ミロクの数なのである。人々はこの独裁者をミロクか、もしくは救世主のように喜々として熱狂的に膨れ上がっている。本当のミロクの数霊は「五六七」もしくは「三六九」で、いずれも足せば十八となる。
――この獣は昔在りしが、やがていなくなり、また後に現れ出でん。
ヨハネの魂に、言葉が響いた。さらに言葉は続く。
――アガキ、アバキの世は終わりしなり。やがてアガナヒの時よ。アガナヒなさずして、アカナヒにはなれぬなり。その、いよいよアガナヒの時、来たれるなり。それは麦の収穫にも等しきものにして、曇りて濁れる魂は鉛のごとく深く沈みいき、軽き魂は放っておいても水面に浮かぶものなり。裁きにあらず。それは、神界の法則なれば、致し方なし。罪穢深きものは自ら積極的にアガナヒて、罪穢消すこと肝要ならん。さにあらずば消極的アガナヒ、すなわちさまざまな天災や人災の業火に焼かれ、いよいよ苦しむなり。今や世界は、九分九厘行き詰まりしよ。
ヨハネは、その言葉がもともと誰の言葉であるか理解していた。イェースズの母、聖母マリアに他ならなかった。
そしていよいよ、第七のみ使いがラッパを吹き鳴らす時が来た。そのラッパの声は、こうだった。
「大いなる災いは、浄化の炎なり。これにより浄められし地は次元上昇し、いよよ神の国、地上天国が顕現されるなり。何億万年にわたる神大経綸の、いよいよの成就よ。神・幽・現三界にわたる大建て替え大建て直しよ。真の岩戸は、すでに開かれたるなり。の直接統治、五色人類こぞりてに直接お仕えする太古の惟神の御代の復活なり。神政復古なり。見よ。物質の世、物主逆法の世は終わり、霊主心従体属順序正しき神理正法の新真霊主立体文明がここに起こらん」
だが、映像に映し出された地上は依然として戦乱が続き、独裁者が世界の経済と政治、産業の大部分を牛耳ったままで、気候も年を追うごとに異常が拡大し、大地全体がますます温熱化していっていた。これのどこが地上天国なのだといえる様相が続き、しかもそれがますます悪化していく。世界の大部分が戦乱と貧困、災害と異常気象にあえぐ反面、一部の先進国ではレジャーが流行し、人々は快楽を追い求めつつも、外国からの流動人口によるテロや暴動に常におびえていなければならなかった。
ヨハネがそんなことを思っていると、また声がした。
――九分九厘行き詰った世に、神は一厘の救いの業持ちあるを忘るるなかれ。
その瞬間、ものすごい轟音が起こった。山が火を吹いている。その山は小さな島国にある山だが、その小さな国こそ世界の太古の霊的中心であった霊の元つ国であり、その霊島でいちばん高い山が火を吹いたのである。これによりて、神の三段の構えは終った。そして神経綸はますます加速化して急カーブを描き、一気に、突然急速に大進展する。人々から見れば、まさしくそれはある日突然始まる青天の霹靂で、まさに盗人のごとく訪れるXデーなのである。
その日、本来は真冬である多くの国々は皆半袖姿で汗を拭きながら歩き、年に一度のお祭り騒ぎで大きな建物も人工の灯火で飾られて光を発しており、音楽が町じゅうに流れていた。だが、人々は次の日の朝の太陽を見ることはなかった。同じ頃昼である地域は、太陽の光が突然失われて闇になり、星すらも空には見えなかった。人々のパニックは言うまでもない。そして、あれほど暑かった大地がどんどん冷めていき、ほとんど氷付けになったのである。そして、闇の中でも人々の人工の明かりはすべて消え、それが灯されることはなかった。
そしてヨハネが見たものは、映像がどんどん巨大化していき大地が小さな球になった時、宇宙の彼方からものすごい太さの巨大な光の帯が現れ、その中に大地だけでなく太陽や月までもがすぽりと入ってしまった。しかし、それは三次元の現界宇宙の光景で、神霊界から見れば、ヨニマス大天津神様がお立ち上がりになり、御直々に両手を三次元界に向かってかざされ、そこから発せられるみ光の中に地球も太陽もすっぽり入ってしまったのである。
地上の極寒の時間は長くはなく、やがて太陽は穏やかな温かい光を人々に再び与え始めた。それも昔のようなさすようなどぎつい光ではなく、肉眼で直視しても大丈夫なくらいに優しい光で、しかもその光を浴びると人々は心の安らぎを得て、精神の高揚を感じるのだった。まさしくこれが、天の岩戸開きかとも思われた。だが、すべての人がそう感じていたとは限らなかった。訳が分からなくなってパニックの続いている人々は凶暴的になり、温かい光の中でもますます混乱していった。
だが、その状態もまた長くは続かなかった。地震が起こった。いや、「地震」という言葉で表していいのかと思えるほどの巨大なそれは、しかも局地の地震ではなく全世界全地の地震だったのである。おそらく人類史上初めての最大規模の地震であろう。瞬間にしてすべての物質の建造物は崩壊して粉々に砕け、さらには地震による大津波が中天近くまでも盛り上り、大地と人類を含むすべての生物をのみこんでいった。この地震は地殻の大変動によるものらしく、世界の大陸の様相が一変した。ある大陸は沈み、また超太古に存在していた大陸は再び浮上してきたりした。人々の苦しみは、頂点に達した。そしてついに地球がひっくり返り、北極と南極の位置が変わった。地震による津波のほか、両極の氷が一気に溶けたための大津波が、再び全世界を襲った。
その時、ヨハネはものすごい音量の泣き声を聞いた。それは映像の中ではなく、目の前の玉座から発せられていた。神の子である人類が苦しむ様子に、創り主の親である国祖の神様がお泣きになっているのである。神経綸成就のために致し方ない現象ではあるが、神の子一人一人を子として愛して下さる親神としての最後の苦しみであった。そして、一人残らずすべての人類と万生は死に絶えた。人々がいちばん恐れていた現実、それは人類滅亡であり、とうとうそれが現実化してしまったのである。
すると映像から大地が消えた。映像が終ったのではなく、球となった大地が太陽や月ともども宇宙の遥か彼方に瞬間移動していたのである。映像はそれを追いかける。どのくらい移動したか、ヨハネはとてもそれを言葉で言い表せないくらいの距離だが、三次元的ないい方では三万三千光年、銀河系の中心に向かっての瞬間移動であった。もはや地球は北極も南極も別の位置にあり、大陸もそれまでとは全然違う形になっていた。そして、宇宙自体が、それまでと違った。今見ている映像は三次元物質界の宇宙ではない。そこはまぎれもなく五次元神霊界であり、その世界の宇宙に地球は浮いている。地球全体が次元上昇したのである。地球は生まれ変わっていた。その地球の表面はもはや物質界ではない。神の調和の心あふれる世界であった。そして、いなくなったはずの人類が、あちこちでムックリとからだを起こし始めたのである。そして起き上がった人々は涙を流し、すぐに神を賛美して感謝を捧げた。また、互いに知り合いや家族を見つけるとさらに涙を流して再会を喜び、無事を祝した。その人々の体ももはや物質の肉体ではなく、半霊半物質の体だった。そして、すぐに彼らはそれにまばゆい光を見た。国祖の神がお出ましになり、人類の一人ひとりに直接お声かけをなさったのである。
なお、ここで起き上がった人類は、かの大災害で死に絶えた人類すべてではなかった。数にして、訳三分の一くらいしかいない。すなわち、地球が瞬間移動する時に物質はすべて一度素粒子に戻り、そして移動後に再び半物質化したわけだが、波動が荒い肉体は素粒子からの再生が不可能だったのである。そして、魂は残っている。救われた魂はこうして半霊半物質の体に再生してきたが、どうしてもそれが不可能な霊層の魂はこの新しい地球には再生不可能で、なんとかあと一歩の魂は地球の代わりに創られた三次元世界の宇宙の別の星に転生させられるようであったが、どうしても見込みのない魂は魂の抹殺が行われて宇宙の原質に戻されてしまった。これ以上の不幸はないだろう。もはや四次元世界の中に幽界といわれる世界は消滅しており、幽界の地獄の方に落ちていた霊たちは、ほとんどが抹消されたともいえる。
新しい世界は地上天国、陽光文明、すなわちミロクの世で、それまでのすべての時間がリセットされていた。あれだけの大災害だったはずの地球なのにその爪跡は全くなく、大地全体を豊かな緑が覆っていた。また、なんと動物までもがすでに生息しているのである。そして人々は食べ物は特に必要なく、食べたい人は嗜好品として食事を楽しむくらいになった。その体は、もはや千年はもつということであった。一気に十倍以上の寿命となったのである。人々は、感謝の想念に満ち、明るい陽光文明の霊文明人たちはこの世界の種人となるのであった。こうして種人進化期に入り、神主霊主文明が起ころうとしていた。
そしてヨハネがさらに見ていると、一頭の白馬が天より降臨して来た。ミロク・メシア下生の白馬で、そこにはスの霊統を万世一系に受け継ぐメシアが乗っていた。その方は白い高御座に坐す神の地上代行者として世を統べることになり、人間神性時代の幕開けとなった。それはそのまま高度神政時代へと発展する。新しい大地には最初は何もなかったが、人々は物質時代の記憶と経験でその物質時代の通りに町を作り、科学文明を再興していった。科学といっても唯物科学ではなく、神中心の陽光科学文明であった。なにしろ想念通りにすべてが現象化してしまうのであるから、文明が復興するのはあっという間だった。そういう意味では、超太古の神政時代とは違って人々には物質時代の経験と体験があるだけに、より高度な神政時代となるのである。だが、物質時代に存在したあらゆるマイナスのエネルギーを持つような邪悪なものは何一つ作られなかった。それもそのはずで、そういったものを作り出してしまうような悪想念の持ち主は、もはやこの世界には入れなかったからである。当然貨幣経済は存在せず、人々の仕事はすべてボランティアであった。そういった端を楽にする「働く」という利他愛のスピリチュアル・ボランティアに喜びを感じ得ない人も、もはやここには存在していなかった。喜びとともに人々は自分がしたい仕事をさせて頂き、またそれをしてもらった方は感謝をするという、「感謝」が貨幣の代わりだった。感謝に満ち、神のみ意にはス直で、心の下座もできている人々は常に互いに「お蔭様で」と功績を譲る人々であった。そんな人々が造る世界は清潔で、よく整頓されており、また誰もが資源を節約して使い、常に落ち着いて着実に行動できる人々であった。
その何もかもが変わった新天地に、巨大な黄金神殿がゆっくりと降臨するのをヨハネは見た。日の塔、月の塔の二基の塔を前にしてノアの方舟のような湾曲した三角の大屋根がそびえ、その屋根はすべて黄金で葺かれていた。大屋根の棟の中央には四十八弁の蓮の華の中に赤い珠があり、破風の部分には神護目神紋が輝いていた。屋根の下の壁には宝石がちりばめられ、そこに十二の門があり、それらを囲む城壁には三つの門があった。その宮殿が降りたのは、高い山の上だった。
すべてが栄光に輝いていた。宮殿の前には水晶のような生命の泉から流れ出る川が横たわり、紺碧の空を映していた。
「すべては成就した。神経綸御神策は成就した。すべてが新しくなる」
人々の歓声が、宮殿を囲んだ。
映像はそこまでで、たちまち掻き消えた。国祖の神の玉座ももはやなく、温かい光の四次元霊界でヨハネとイェースズの二人だけが向きあって立っていた。ヨハネはまだ呆然としていて、見たものの強烈さにすべての思考が奪われているという状態だった。だいぶたってから、やっと少しずつ我に還ったヨハネは、前に立っているイェースズを認めた。
「先生!」
涙とともにヨハネは、力なくイェースズの足元に崩れてすがった。しばらく、何も言葉が出ないようだった。イェースズも、しばらく何も言わなかった。霊界における表象を見せる力、それをイェースズは使ってヨハネにすべてを示した。何も語らず、黙って示したのである。
ヨハネの体は震えていた。そしてやっと顔を上げて、小さな声で途切れがちに、
「先生、ローマは、ローマは滅びるのですね。イスラエルの民の世が、新しいエルサレムが天から降臨するのですね」
と、だけ言った。今までの映像を見てのヨハネの理解力がその程度だったとしても、それは仕方のないことであった。おそらくヨハネだけでなく、ヨハネが書き記すであろう彼が見た幻の記録を読んだものも、その程度の解釈しかできないに違いないとイェースズは思った。しかし、天の時が来れば、神理のみたまがすべての真実へと人々をお導きになるはずである。
イェースズは、震えるヨハネの肩に手を置いた。
「これは秘めおけと言われたこと以外は、見たことを書き記して、人々に知らせなさい」
ヨハネはそのままイェースズの足から離れて、地に頭をつけてイェースズを礼拝した。
「生ける神の御独り子、主よ」
「いけません!」
ぴしゃりとイェースズは言った。
「私を拝んではいけない! 私を崇めてはいけない! 拝むべき方は神様のみで、神様にのみ仕えなさい。私は神の子、しかしあなたも神の子、すべての人は神の子だよ。私だけが神の御独り子だなどということはない」
イェースズは、ゆっくりとヨハネを立ち上がらせた。
「やがて来る世は罪で魂が曇っている者はますます包み枯れを積んでしまい、浄まったものはますます神性化していく世となる。信賞必罰の世になるから、犬のように神向があるように見えてもそれがご利益神向であったり、自分本意の自己中心的な、神をかつぎ出して利用するだけのお神楽信仰であったりするもの、邪霊と霊波線を結んで奇跡を行う霊媒信仰のもの、想いと言葉と行いが一致しないものは、皆神の国には入れない。今日あなたが見たものからは、誰も逃れられない。必ず起こることである。しかし、それは今のままならばの話だ。今日、私があなただけにこのことを告げ知らせることが許されたのは、それを聞いた人類が一日も早く一人でも多く悔い改めて改心することによって、火の洗礼を少しでも小さく、少しでも先に延ばして頂くためだ。苦しくても、神の教えにス直にかじりついていくことだ。神に義なる人には、神試しも来る。磨かれもする。しかし、あなた方の信仰は、巌のごとき不動の精神で護持していきなさい。そうしてこそはじめて神から愛でられ、弥栄えていくもととなる。私は明けの明星だ。私が帰る所も、そこだからだ」
イェースズの言葉が終ると、ヨハネは頭が朦朧としはじめたようで、しかしそんな意識の中でも力を振り絞って、「マラナタ!」と叫んでいた。
イェースズが三次元の自分の肉体に戻って再び老人の姿になった時、やはり老人に戻ったヨハネはまだ足元に倒れていた。もう彼の魂や霊・幽体も肉体に戻っているはずだが、疲れて眠っているのだろう。イェースズはもう一度、ヨハネのしわだらけの老人としての顔を見た。目覚めたあと、ヨハネは見たことを夢だったと思うかもしれない。ただ、開きとめてくれさえすれば、それでいい。必ずヨハネはそうするであろうことを、イェースズは知っていた。そしてそれを読んだ一人でも多くの人が救われることを、イェースズは切に祈っていた。そして母の骨像と遺髪をしっかりと抱いて、意を決してイェースズはその場をあとにした。
洞窟を出ると、ひんやりとした風が頬に当たった。岩山を歩いて、やがてすぐに海岸に出た。監視のローマ兵が慌てて駆け寄ってきたが、しかしそれよりも早くイェースズは落ちていた板切れを二枚拾うと、それをさっと海に投げた。穏やかな波間に漂うその板の上にさっと空中を飛んで飛び乗ると、呆気にとられているローマ兵を後にイェースズは海面を歩行して、夜の闇の中を沖合いへと消えていった。
数ヶ月にわたる航海が、また始まった。船は、イェースズが歩いて渡ったエペソの町ですぐに手に入った。たった一人の船旅ではあったが、神ともに在すイェースズにとって孤独という言葉は無縁だった。
夜となって朝となり、その繰り返しの毎日が何十日も続き、一片の島影もない洋上でイェースズはそんな毎日を過ごした。途中、またマヤの地に寄港してそこで船を乗り捨て、大陸のいちばん細い部分を歩いて横断し、再び船を捜して見つけ、大洋に乗り出した。
さらに二ヵ月半ほどした朝、肌をさすような朝の空気の中、何もかもが澄みわたる風景の中に神々しい緑の大地が行く手に横たわった。海岸からすぐ近い所が小高い緑の山になっており、その緑は実にこまやかな繊細な緑だった。引き締まるような空気、青く透明な空、暖かな朝日、それらはまぎれもなく神秘の国・霊の元つ国のものだった。
ついにイェースズは戻ってきた。それと同時に、神の懐に戻ってきたという実感さえ湧いた。
岸が近づく。遥か遠くから松林が見える。白い砂浜に打ち寄せる波、飛び交う白い鳥……。イェースズは帆を降ろし、櫓を漕ぎながら目を細めた。そして、大きく息をついた。
民家がある。小さい。山も林も人々の姿も、何もかもが小さい。小さいというより、細かいと言った方がいいかもしれない。しかし、それだけに愛らしさと美しさを感じる。実に調和のとれた風景だ。まさしくここは「和」の国だった。
イェースズは故国に帰った。しかし、故国はなくなっていた。そこはもう故国ではあり得なかったし、住む所すらないほど自分はよそ者だった。それよりも今の彼にとって、故国とは今目の前にある神秘の国に他ならなかった。
イェースズは上陸した。村の人々は驚きもせず、親しげに近寄ってくる。今いる位置を、イェースズは訪ねた。村人たちは突然現れた赤い顔の老人が、流暢に自分たちの言葉をしゃべるので親近感を持ったようだ。そしてイェースズも、だいたいの位置を把握することができた。目指す懐かしい村に帰るには、海岸沿いに北へ行けばいい。イェースズは再び船を出し、岸伝いに北上した。
三年近い年月を隔てて、懐かしいイヴリート・コタンが見えてきたのは、夏になってからだった。その村の姿に、イェースズは驚いた。山間の村の周りのわずかな平地は、埋め尽くすような黄色い波だった。荒地だった所が開墾され、一面のヒマワリ畑になっていたのだ。そしてそれを取り囲むように山の麓も切り開かれて、リンゴの果樹園が延々とムータイン・コタンやキムンカシ・コタンの方まで続いていた。
ようやく彼は、このヒマワリとリンゴの樹に囲まれたこの地で、静かに余生を送れそうだった。