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船は西風と潮流に乗り、順調に東進した。数日たって、陸地が見えはじめた。右と左に二つ陸地があり、中央が海峡になっているようだ。その真ん中へと、船は進んでいく。
「あ、ここ、分かった!」
ヌプが叫び声を挙げた。もう彼らにとって、自分たちのいる位置が熟知の土地であるようだ。だから、
「あとは任せて下さい」
と、ヌプは言っていた。
「上陸するのは、右と左のどちらだね?」
イェースズの問いに、今度はウタリがしたり顔でうなずいた。
「右です。でも、今上陸しないで、このまま海峡を通って、そして海峡の向こうで右に曲がって上陸して下さい。その方が、コタンに近い」
ヌプもウタリも、かなり生き生きとしていた。遠くへの旅からようやく故郷にたどり着いたのだから、無理もないことであった。
イェースズもまた、感慨深げに景色を見ていた。空と海の境目に這いつくばるように、青い陸地は細長く横たわっている。初めてこの国に来た時は、霧の中の緑の大地に神々しさを感じたものだった。今は寒気の中で鋭利な風景を見せてはいるが、その美しさ、神々しさは変わらない。この神々しい大地を前にしたら、思わず神を賛美したくなる。今、光に包まれている、そんな感じだった。それは、これまで行ってきた世界のどこでも感じたことのないものだった。もしかしてこの島国全体が、天地創造の神様の御神体なのかもしれなかった。
船はゆっくりと進み、大地と大地の間の海峡へと身を進ませていった。
相変わらず風は冷たい。
船は右の陸地の岬となっている先端を過ぎた。陸の上は荒涼とした岩山がそびえ、霊気すら感じられた。その向こうに回りこんで、そのまま海岸線に沿って船は南下した。もはや陸の上は緑が生い茂るようになり、そしてヌプの舵取りで船は浅く大きな湾となっている一角にと滑り込んだ。祭ってある青龍神の御加護があってか波に揺れはしても、船は無事にここまでたどり着いた。白い鳥が無数に波の上をただよい、船を囲むように飛来した。まるでイェースズたちの船を護衛するかのように、白い鳥の群れは翼を広げて悠々と船とともに進んだ。
浜は砂浜で、そのすぐ近くにまで松の緑も鮮やかな小高い丘が迫っていた。その浜の方へと波をけって進んでいた船に手ごたえがあった。船底が海の底についたようだ。ヌプが水しぶきを上げて飛び降りると、ひざまでの水深だった。そのままヌプとウタリの二人で綱を引き、舟を砂浜に引き上げた。
イェースズは目頭が熱くなるのを感じていた。今、帰りついたのだという実感が、ひしひしと湧きあがってくる。この国を離れて生まれ故郷のガリラヤに到着した時は、こんなには泣かなかったのにと思うと不思議だ。今、こうして無事にここに戻ってくることができたのも、すべてが神の御守護の賜物と、イェースズは深く感謝を捧げた。そして砂浜を見ると、ヌプとウタリが抱き合って大泣きだった。そのそばに歩み寄って、
「有り難う。やっと戻ってきたね」
と、イェースズは彼らに言った。彼らは今度は、イェースズに抱きついてきた。
「先生こそ、有り難うございます」
「でも、一番感謝申し上げなければいけない御方がおられるよ」
イェースズはその場にひざまずき、霊の元つ国に戻って最初の天の御父の神への祈りを捧げた。それから、イェースズは周りの風景をさっと眺めた。そして、目の前の松で覆われた丘に目をとめた。
「無事に着けたのも、青龍様のお蔭もある。その御神体を御安置しよう」
青龍神の御神体のお供をして、イェースズは松の木の繁る小高い丘に登った。頂上は平らになっていて、大海原を目前に四方の景色がよく見えた。海には冬の弱い陽射しが、淡く光を落としていた。丘は独立したものではなく、いくつもの丘がその尾根をつながらせて次第に高くなり、遠くの山脈の方へと続いている。
「あの山を越えたら、僕たちのコタンですよ」
ウタリの説明に、イェースズもその方角を見た。イェースズの胸にも、懐かしさが込み上げてきた。かつて自分も暮らしていた村へ、ちょうど十年ぶりに戻ることになる。
「先生、早く行きましょう」
ヌプが促したが、イェースズは首を横に振った。
「もう確実にこの国に帰ってきたのだから、焦ることはない。まずはこの龍神様を祭る祠を造ってからだ。それまで、ここにしばらく住むよ」
ヌプもウタリも、それで不平を言うような二人ではなかった。イェースズはしばらくこの地に腰を落ち着けて、来し方行く末のことに思いを巡らせたいという感情もあった。
早速ヌプとウタリに言いつけて木の切り株の上を松葉で覆い、かろうじて風雨を防げる仮の祠をイェースズは造ってそこに龍神像を安置した。
「これは仮のもので、しばらくここに滞在して、本格的な祠をお造りするんだ」
イェースズたちは仮の祠に安置された青龍像に参拝し、それから再び周りの景色を見た。
「ここは、何という所なのかい?」
ウタリが答えた。
「ヤレコっていうんです。ちっちゃいころ、来たことありますから」
ウタリの得意な答えを聞いて、イェースズは納得したどころか驚きに口をぽかんと開けていた。
「ここが……、ここは昔からヤレコという名だったのかい?」
「昔から?」
ウタリは首をかしげたが、イェースズは満足げにうなずいていた。
「そうか、ここがタネコのヤレコの港だったのか」
「何ですか? それ」
ヌプが、首をつき出すようにして尋ねた。
「前にミコ様からお聞きしていたんだよ。太古にこの地の皇祖皇太神宮の分霊殿が営まれていた時に、全世界から参拝に来られた五色人の代表の方々が上陸した港がヤレコの港で、そこに通役所のタネコが置かれていたということだけど、ここがそうなんだなあ」
見わたしても、あまり人影も感じない静かな土地だ。ただ、今立っている丘の丘の南側に川を中心に平らな土地があって、そこに集落があるのが見えた。わらを三角錐に積み上げた竪穴式住居だ。
「とりあえず、あの村に行こう」
イェースズはヌプたちを促し、松林の中の道を丘の下へと降りて行った。
日はすでに傾きつつあった。
村に近づくと、何人かの人々が外で煮炊きものを始めていた。先が尖った土器を鼎にかけてに掛けて煮、沸いたら地に掘ってある穴にさす。
イェースズたちが近づくと、二、三人の男が顔を上げた。イェースズはニコニコして近寄っていった。顔を上げた男が、イェースズに尋ねた。
「旅の方かね?」
イェースズは笑ったまま、うなずいて答えた。
「はい。でも、わけがあって、この土地にしばらく住みたいんですけど」
「ああ、いいよ。どこに住もうと自由だ。海も山も、みんなカムイのものだからね」
やっと、ヌプやウタリにも解せる言葉での会話を、イェースズがしている。
「有り難うございます」
イェースズはまた、笑顔を見せた。当たりを見回して見ると、集落の背後には森があって、その中に池があるようだ。近寄ってみると、池の中には島があった。島とはいっても一ヶ所だけ堤のような細い道で、周囲の岸とつながっていた。
「あの島へ、行ってみよう」
イェースズが促して、三人で細い堤を渡り、島の上に立った。ちょうど竪穴式の家が一軒建つくらいの広さだ。
「ここにしよう」
と、イェースズは自分たちの仮の住まいを立てる場所を決めた。
「前にこの国にいた時に、ちょうどこんな池の中の島のお堂に四十日も籠もって修行した。池の大きさといい島といい、すごく似ているから懐かしくなってね」
そう言ってから、イェースズは声を上げて笑った。その時、池の外から彼らを呼ぶ声がした。
「一緒に、食事をしないかあ?」
イェースズたちは微笑んでうなずき合い、その言葉に甘えることにした。そして、一つの家の中に通された。土の床で、中央に炉がある。それを四人の家族が囲んでいた。
「遠い所から来なさったのだろう?」
長老のような長い白髭の老人が、イェースズにそう尋ねた。頭には、図柄の入った太い紺色の鉢巻をしている。
「その赤いお顔や高い鼻は、このへんでは見かけんからのう。ヤマトの方じゃな」
とりあえずイェースズは、そういうことにしておいた。とにかく、海を渡る前に通ったいくつかの村と違って、言葉が通じるのが嬉しかった。しかしそれだけではなく、やはりこの国は霊の元つ国だけあって人々の霊性が違うらしい。太陽の直系国の住民らしく、どこまでも陽気なのだ。
そこを辞して出てきた時は、もう暗かった。夜になると、まだかなり冷える。そこで島に戻るまでの間に木々の枝を拾い、島に戻ってから焚き火をして暖を取った。まだ住む場所を決めただけで、そこには何も建っていない。
「今、何月なのだろうか」
イェースズがぽつんとつぶやくと、ヌプがしたり顔で言った。
「さっきのおじいさんに聞きましたよ。今日はケサリ月のコモリム日ですって」
つまり、この国での二番目の月の二十六日であり、ユダヤではちょうどこの年はユダヤ暦でのうるう年で第十三の月の月末、つまり年末の押し迫った頃、ローマ暦では三月の晦日であった。だから、もう春めいてきていい頃なのである。しかし実際は、まだ寒気は冷たい。
また、池の外で誰かが呼ぶ。見る突先のイェースズの家族の若い男が、抱きかかえきれないほどのわらを持ってきてくれていた。これで、暖をとれというらしい。
「いやあ、至れり尽くせりだね」
イェースズは心の中で瞬時に、神に感謝の祈りを捧げた。
そして翌日は一日がかりで、家を建てた。まず、竪穴を掘り、拾ってきた木材で柱を立てた。わらは、村人たちがいくらでも提供してくれる。そして夕方までには、こじんまりとしたやはり円角錐の新築ができあがった。やはり大工の息子としての血が流れているようだ。
次の日からは、青龍神を祭る祠に着手した。何日かかかって建築を進めているうち、イェースズは作業中にふと、額の汗に気がついた。見れば、遠くに横たわっていた山脈の上の雪も、もうほとんどが消えかかっている。いよいよ春が来たようだ。
そして二ヶ月ほどかかって、祠がやっと完成した。新しい祠に青龍神のご神体を御安置すると恭しく三人は拝し、村人たちも段々参拝するようになった。
「いやあ、有り難い。村の護り神にしますだ」
長老は涙を流さんばかりに喜んで、イェースズの手をとった。そんな村人とも別れて、イェースズたちはいよいよヌプたちの故郷に向かうことになった。
道はすぐに山間の谷間となった。両側の山ともに緑が生い茂る低い丘で、ほとんど木々のトンネルの中を道は続いているようだ。何しろ海からちょっと歩いただけで、風景が一変する。そのことは、かつてもイェースズは感じていたことだった。そして自然たるや実に優美であり、繊細なのだ。雄大さや猛々しさはないが、包み込むような優しさがある。
今歩いている道は超太古においてはヤレコの港から分霊殿へ向かうメインストリートだったのだろう。今でこそ細い道になっているが、かつてはかなり整備された街道であったはずだ。その痕跡は、ほとんどといっていいくらいにない。
緑がまぶしい。こんなにも自然が美しい国は、ほかにないだろうとイェースズは実感していた。何しろ山という山が、すべて緑に覆われている。この国の人々にとっては当たり前のことかもしれないがそれまで岩山や砂漠を見続けてきたイェースズの目には、とても新鮮に映っていた。
一日目は野宿だった。食料となる木の実や小動物もふんだんにある。このままあと二日も歩けば、まずヌプの村に着くはずだという。
翌朝、左前方の小高い山に、イェースズの目がとまった。一瞬ピラミッドかとも思ったが、どうも違うようだ。しかし、何かしら神聖な霊気が漂っている。
「登ってみよう」
と、イェースズは言った。
中腹から上は、松林だった。そこからさらにかなり登ると、平らな空間があった。頂上はまだ上だ。その空間には三ツ股に別れた一本の木があり、その股の部分に水がたまっていた。
「これ以上登るものは、これで手を洗えということかな?」
冗談半分に笑いながらイェースズは手を洗い、ヌプやウタリも従った。そうしてからさらに上に登っていったが、登れば登るほどますます霊気を感じる。そして、もうすぐ頂上という解きに、また平らな土地に出くわした。さっきより広く、その中央にはほかよりもひときわ高い松の木が三本生えていた。
イェースズはその松の前に歩み寄った。すると突然電流にも似たショックが、体中を書けぬけた。そしてはっきりと、内なる声を聞いた。
――この山こそ太古、鵜草葺不合朝三十七世、松照彦大王の御陵なり。
ハッとはじけるものが、イェースズの中にあった。すべての神聖な霊気のわけが、ようやく分かった。松照彦大王といえば、ヌプたちのコタンのすぐそばのムータインに世界政庁を置かれたお方だ。イェースズはそのことを思い出し、あとは一気に頂上を目指した。途中、空堀のようなところを渡って頂上にたどり着くと、そこには小さな円墳があった。イェースズは恭しくそれを拝し、遅れて登ってきたヌプやウタリも同じようにした。
それが終わってあたりを見わたすと、ちょうど山の南側だけ樹木が生えておらず、重なる山々や遠くに横たわる山脈と海などが一望に見渡せた。
「この国はちょっと歩いただけで、このような遺跡に次々に出会うなんて、本当にすごい国だな」
イェースズは誰にともなくつぶやいていた。
谷あいの道も、進むうちに高度が増して登り傾斜となってきた。やがて峠道となり、その峠を越えた時に目の前に谷に沿った細長い村が展開した。そしてイェースズにとって、上陸以来はじめてはっきりと記憶にある馴染みの風景がそこに展開した。そこがウタリの故郷、キムンカシ・コタンだった。丸木柱の頑丈な家、屋根の急傾斜、紋様入りの合わせ着と鉢巻きの人々……イェースズにとっても何もかもが懐かしかった。だが、当のウタリの気持ちを察すると、自分が必要以上に懐かしがるのはウタリにとってすまないという気さえしたイェースズは、ただ温かい微笑をウタリに向けた。
村に入ると、そこに居合せた人々はウタリの顔を見て驚いて手を止めた。
「あれまあ、あの洟垂れ小僧がいっぱしの若者になって戻ってきた!」
「おお、おお、元気かね」
口々に声をかけてくる人々に、ウタリはいちいち微笑を返していた。そして、山の方へ坂を登った所にあるウタリの家に続く土の階段を、ウタリが先頭になって登った。庭にウタリの母の姿があった。
「母ちゃん」
ウタリがひと言呼びかけると、ウタリの母は最初きょとんとして突っ立っていた。そして少ししてから、
「いやあ、おったまげた」
と、声を上げた。
「何でまあ、突然帰ってくるし、それに、母ちゃんより背も大きうなって」
ウタリの母は目にいっぱい涙を浮かべ、しばらくは成長した我が子を見ていた。それでも、元気そうだった。イェースズが初めてここに来た時の、あの熱病で瀕死の状態だった気配はもう全くない。あれから十年近くたっているのに、むしろ十歳は若返ったようだった。
「あの、こちらがあの時のあの先生かね?」
ウタリの母は涙をぬぐいながらイェースズを見て、ウタリに訪ねた。イェースズは笑って会釈した。
「お久しぶりです」
イェースズとて二十歳そこそこだったのが、今では三十歳を越えている。
「ま、どうぞ、中へ」
中に通されて、しばらく母は外で何かしていた。それは彼らの夕食の支度だった。
「せがれがお世話になりまして。で、今まではどちらに?」
「はい、私の生まれた国に行っておりました。息子さんとヌプはあとから追いかけてきたのですが」
「西の果ての国だよ。帰りは途中を船で来たから1年くらいで帰ってきたけど、行く時は歩いて行ったから3年か4年もかかった」
と、ウタリが口をはさんだ。
出された夕食は温かい獣の肉入りのスープで、それが旅の疲れを癒してくれた。それを共に食べながら、
「先生。しばらくはこの村にいて下さるんでしょう?」
と、ウタリが聞いた。
「いいえ」
イェースズは首を横に振った。
「明日、出発する。ヌプの村にも行かないとね。あなたはここに残って、しばらくお母さんのそばにいてあげることだ」
「そのあとは? まさか、ヌプの村に住むんですかあ?」
「先のことは分からない。ただ、一つだけ言えるのは、もう私は少なくともこの土地を離れたりはしない。この土地のどこかの村にはいる」
「本当ですかあ?」
やっとウタリの顔がパッと輝いた。
翌朝早くにウタリをおいて、イェースズはヌプとともに出発した。やはりウタリは、母としばらくいっしょにいられることが嬉しいようだった。
キムンカシ・コタンを出てから西に向かってさらに谷あいの道を進んだ。そして昼過ぎに、ムータイン・コタンを通過した。三角錐のトバリ山の麓の平地に広がるコタンで、イェースズもここで生活していただけあって顔なじみも多く、相変わらずの陽気な人々の歓迎を受けた。だが、今日はここは素通りだった。とりあえずは、ヌプの村に行かないと、ウタリがすでに母と再会しただけにヌプがかわいそうだ。
夕日が当たりを赤く染める頃、道の遥か低い所に輝く水面が見えてきた。トー・ワタラーの湖だ。イェースズは足を止め、その景色をしばらく感慨深げに眺めた。かつてこの地にいた時、この湖を故国のガリラヤ湖になぞらえて見たものだ。だが、実際の故国のガリラヤ湖をこの目で見てきての帰りである。やはりこの湖はこの湖、ガリラヤ湖はガリラヤ湖なんだと思う。この湖が見えてきたら、ヌプの村のオピラ・コタンはもうすぐということになる。
村には、暗くなる前にはたどり着けた。ヌプの父の祭司も元気だった。
「おお、帰ってきたのか」
と、ヌプの姿に目を細め、イェースズには頭を地につけんばかりにして礼を言った。
「本当にもう、息子がお世話になりました」
「いや、こちらの方こそ、いろいろと助かりましたよ」
イェースズはどこに行っても、太陽のような笑顔を忘れずにいた。
翌朝早く、イェースズはヌプとともに湖岸を散歩した。
周りを新緑の山並みに囲まれた貴婦人のようなその湖面は、足元のずっと下にある。湖に突き出た小さな半島が、イェースズの記憶を刺激した。かつてもここで、まだ少年だったヌプとこうして散歩したこともあった。生涯の中でもう一度同じような場面が巡り来たことが不思議であったし、それだけで感無量だった。しかも、同じ二つの場面の間には、おびただしい出来事がはさまれている。
「先生」
ふと、ヌプが声をかけてきた。
「先生は、これからどうなさるおつもりですか?」
やはりヌプも、ウタリと同じことが気になっていたようだ。少し間をおいてから、イェースズは歩きながら遠くを見つめて言った。
「実は、独りで行きたい所があるんだ」
「独りで?」
「あのムータイン・コタンのそばのトバリ山に、祠があったろう」
「我われ一族のヌサとは違う形の、あの祠ですね」
「それは、超太古の皇祖皇太神宮の分霊殿の名残のお社だよ。そこに参拝したい」
「独りでって言われるからまたどこか遠くに独りで行ってしまわれるのかって心配しましたけど、そんな近くなら安心しました」
ヌプが笑うと、イェースズも笑って視線を湖水へと落とした。
緑に覆われた山々を見ながら青い空と熱い日ざしを満身に受け、ゆるい上り坂をイェースズは登った。左手は崖となって落ち、下は谷川の小さな激しい流れだ。やがて山あいも切れ、なだらかな起伏の波を短い草が覆う高原へと出た。その高原を遠くに横たわる連山を見ながら歩いて行くと、やがてムータイン・コタンに着く。この島国では、地平線というものを見ることは不可能なようだ。故国を離れて以来初めて独りになったイェースズは、足早にムータイン・コタンへと向かった。イェースズはまだ、自分が再びこの国の土を踏んでいるということが夢のように思われてならなかった。懐かしい空気を吸いながら、酩酊感さえ感じる。故国での自分が、遠い存在のようにも思われてくるのだ。そして、それよりももっと遠い過去であったはずのこの国での出来事が、今や現実となって目の前に再展開する。
やがて山の間に、三角錐のトバリ山が見えてきた。相変わらずの霊気にイェースズは息をのんだ。
そしてムータイン・コタンに着くと、やはり人々は温かかった。イェースズは昔世話になった、この村の祭司を訪ねた。あいにく本人は不在で、応対に出たその妻にもてなされながら待つことしばし、戻ってきた祭司はイェースズのことをよく覚えてくれていた。また昔のように世話になりたい旨を告げると、祭司は快諾してくれた。
翌朝、イェースズは出かけた。村を見渡すと、広い草原に点在する家、樹木、池、そしてその周りのシダの葉の群生など、かつてイェースズがここをエデンの園だと思ってしまった要素がまだそのまま残っている。その村全体を静かに見下ろすトバリ山の麓の祠に参拝すべく、全身に霊圧を感じながらもイェースズはトバリ山に近づいていった。
もはやここは村はずれで、人影はない。記憶を頼りに探した祠はすぐに見つかって、イェースズはその前で額づいた。そして再びここに来て参拝させて頂けたことに、感激の涙が込み上げてきた。かつては五色人が集い、全世界からの参拝者であふれたであろう分霊殿だが、今は見下ろすほどの小さな祠だ。だがイェースズは、十分に承知していた。現界では朽ち果てたような小さな祠が、その場の霊界では巨大な黄金神殿だったりするのだ。
そこから少し離れた所にある仁仁杵栄の大木は、依然として威容を誇っていた。この分霊殿を再興された天之仁仁杵天皇様にちなむこの大木の木肌を、イェースズは感慨深げになでた。
その時、イェースズの魂に衝撃が走った。いつもの御神示が下される時の衝撃だ。イェースズはその場にかしこまった。ゆっくりと、肉耳ではなく魂に直接響く声が告げられた。
――神霊界の秘め事、汝に一つ聞かさん。裏の裏の経綸ありて、大根本の神、神界、幽界、現界とも自在の世と致しありしこと、既に告げしならん。されど大神の神策、いつまでも同じにてはなきなり。同じと思はば、間違うぞ。元つ仕組みは中つ神々もいまだ知らぬことにてあれば、裏のイシヤの仕組みに人間勝手に思凝せしものの加わりて、目も当てられぬひどき世に落つるを神は憂うるなり。さればこの方、艮に隠遁せしも、来るべき天の岩戸開きの準備のための鋭意画策を企てしをそれをそれ国祖三千年の大仕組みと申すものにして、それより既に汝らの年月にて千年の時が過ぎあるなり。岩戸開ければ光ひとつ上がるゆえ、身欲に意のままに操られ、我善しとなりて魂を曇らせ参りしためにあまりにも可哀想なことにならん人々の余りに多きを以って、神一厘の情けもて汝に歯止めかけしめしなり。この重大因縁ありて汝は先駆けて光一つ上がりたれば汝に明カナに告げ申したきこと多くあるも、それがためにはまず汝より、この方を求めて参れ。さすれば、更なる秘め事も告げ申さん。重ねて申し聞かさん。我は艮に鎮まれり。このほど近きにも一時隠れしも、今はさらに真主の湖に移りおるなり。汝、訪ね来よ。ミコに会いて後にてよきなり。
久々の御神示に、イェースズは身を震わせた。そして、艮の地を訪ねよという至上命令にも身が震える思いであったが、その前にミコに会えとのことであった。この国に戻ったことを師に告げねばならないのも道理と思い、イェースズはすぐに決断してそれを実際行動に移した。翌朝、イェースズは早くもムータイン・コタンを離れる旨を祭司に告げた。
ムータイン・コタンを出発した時は山の木々の緑などは色濃く、夏の匂いを感じさせる頃であった。
イェースズはヌプ、ウタリをそれぞれのコタンから呼び寄せて、ミコのいる父山に向かうので同行するように言い、三人で再び上陸したヤレコの港へ向かった。港を出た船は、一度北上して半島の突端を西に進み、この島国の西側に出た。そのまま、荒海を南下する。ミコのいる父山へ陸路旅するよりも、船の方が速いとイェースズは判断した。幸い、大陸から乗ってきた船は、そのままヤレコの港にあった。しかし、今度は大海を横断するわけではなくただ浜沿いに進むだけなので、航行もさほど困難ではなかった。イェースズは船の舳先に立って、行く先に思いを馳せた。ミコ様は元気だろうか、まだあどけない少年と少女だった二人の子供はどうしているかなど、イェースズは船の上でも走りたくなるような気持ちだった。
そのまま何日かが経過したが、陸地伝いなので景色を楽しみつつの航海で、退屈はしなかった。一度だけ岬の先を回ったが、あとはまっすぐな海岸線だった。右手に大きな島も見えたりした。さらに十数日が過ぎ、もうすっかり夏本番という頃になって、ようやく巨大な山脈がそのまま海にな誰落ちている地点を通過した。海のすぐそばまで天を突くような山岳が迫っている。ここは、陸路なら最大の難所だ。そしてそこはイェースズが歩いて越えた記憶もある場所で、そこを越えたら目指す父山はもうすぐなのである。海岸は大きくなだらかな湾となって、行く先を大きな半島の島影と、その上に連なる山並みが遮った。
いよいよだ。イェースズは慣れた手つきで櫓を漕ぎ、船を左の岸へと近づけつつ、ヌプ、ウタリに笑顔を見せた。十年ぶりに見るこの景色に、イェースズの心は高鳴った。上陸してしばらく行くと、山に囲まれた平地に広がる草原の遥か彼方に横たわる小高い丘が見えてくるはずで、それが皇祖皇太神宮のある御皇城山である。記憶をたどれば、そんな風景が展開することになる。イェースズはそんなことをヌプたちと話しながら、浜辺の松林の間をぬけた。
ところが、そんな記憶はすぐに破壊させられた。松林が切れて目の前に展開されたのは、草原ではなく一面の水田だった。青々とした稲穂が水面に影を落とし、風にそよいでいた。一瞬、上陸地点を間違えたのかと、イェースズは思った。ヌプやウタリも、目を見張っていた。ヌプたちの民族のいる北の国なら水田はあるが、この地方の人々はまだ狩猟生活をしていたはずだ。この平地の西の、半島の先まで連なる山並みの峠の向こうでないと、水田はなかったはずだ。十年という歳月が、こうも景色を一変させていた。
「先生、村があります。行ってみましょう」
と、ウタリが言うので、イェースズはうなずいた。近づいてみるとその村は見慣れた竪穴式のわらを円錐形に積み上げた家ばかりでなく、高床式の住居や倉、物見の櫓まであって、村全体が柵で囲まれていた。そしてその柵からイェースズが一歩村に入るやそこにいた人々はイェースズを見てさっと道をあけ、両側にひざまずいて二拍手を打ち鳴らし、イェースズを迎えた。人々は皆、白い環頭衣を着ていて足ははだしだった。ヌプとウタリはその奇妙な風習に驚き、途惑いを見せていたが、イェースズには覚えのある風習だった。
「大人様、峠の西からおいでなすったのですか?」
一人の老人に訪ねられ、イェースズは、
「おう!」
と、答えてから、
「この村の長のヒコ殿に会いたい。聞きたいことがある」
と、言った。それはヌプたちとの会話で使っている言葉とは違う、イェースズが久しぶりに使うヤマトの言葉であった。
案内された高床式に建物の階を、イェースズは履物を脱いで上がった。この村の「ヒコ」は若い男で、イェースズが上がるとヘブライ語で「シャローム」とあいさつしてきた。イェースズは、もはや驚かなかった。笑顔でヒコはイェースズに座を勧め、
「いやあ、ようおいでなさった。ヤマトから来られましたのかな?」
日本国は黒い髪と黄色い肌の紛れもないこの国の人だったが、流暢なヘブライ語を話した。そこでイェースズは、いきなりきり出した。
「この近くに父山、もしくは御皇城山と呼ばれている山があったはずだが」
「さあ」
ヒコは首をかしげたが、イェースズは地形を説明すると、やっとうなずいて、
「ああ、呉羽山のことですな、それは」
と、言った。
「今は、そういうのですか? でも、確かにあるんですね」
「あ、あ、ありますけど」
ヒコは、少なからず狼狽していた。しかしイェースズは、あえてその先を言った。
「そこへ行ってみたいのだが」
「な、何ですって? いったい何をしに行かれるのですか?」
ヒコの腰を抜かさんばかりの様子を見て、イェースズは不思議でならなかった。その想念を読み取っても、何かを隠しての演技ではないようだ。さらに、声を落としてヒコは言う。
「あれは、祟りの山だ。入ったら、生きて出られない」
「そんなあ」
イェースズは訳が分からなくなった。御皇城山が祟りの山とは、どういうことだろうか。イェースズはもう一度地形を説明したが、どうもヒコのいう呉羽山と御皇城山とは同じ山らしい。
「この地方じゃ、知らない人はいないですだ。話題にすることすらはばかられます。とにかく、あの山はいけません。仮に生きて出られたとしても、あの山に入ったものはたとえ大人様でも処罰されます」
「処罰って? 誰に?」
「この越の国の王にですよ」
昔にイェースズが初めてこの国に来た時、上陸地点はコシの国といっていた。今は、このあたりまでコシの国になっている。ただ、この地方の古い呼称は「天越根の国といったはずだ。
とにかく、行ってはいけないというということは、絶対に何かがある。しかも、そここそがイェースズの今回の旅の目的地、皇祖皇太神宮のある地である。
イェースズは村を辞して、とにかく御皇城山へと急いだ。
水田の間の道をだいぶ進んでいくうちに、川に出た。見覚えのある川だ。そしてその川の向こうに、紛れもない御皇城山が見えた。川の対岸に、右から左へと細長く延びる丘のうち、周りよりほんの少し高い所、そこが皇祖皇太神宮のある御皇城山だったはずだ。
そして手前の川のほとりに御皇城山のメドの宮、そして赤池白龍満堂があったはずである。だが、さっと見わたしたところ、それらしいものは見当たらなかった。ただ、川の土手の上に上がってもう一度あたりを見わたして見ると、一面の水田の中の一角に空き地があった。そこでヌプやウタリを促してそこへ行ってみると、何やら建造物の跡らしきものがあった。もはや礎石のみが残っているといってもいいようなものだった。それを見てもしやと悪い予感がしたイェースズは、記憶をたどってある方向に歩いた。果してそこには片葉の葦が繁り、それをかき分けて進むと赤い水の池が忽然と現れた。
イェースズは、大きく息をのんだ。池の中央にあったはずの四角四面の赤池白龍満堂は、跡形もない。そこに十日間も籠もり、神啓接受した場所なのだから間違えるはずはなかった。すると、先ほど見た建物の跡は、位置関係から間違いなくメドの宮だ。
一瞬呆然としたイェースズだったが、メドの宮がこうなっているということは御皇城山は……と、居ても立ってもいられなくなったイェースズは一目散に駆けだした。ヌプとウタリが慌ててそれを追ったが、イェースズはすぐに川にかかる丸太を組んだ橋を渡って御皇城山の方へと水田の中を駆けていっていた。
山の入り口は木の枝や幹などで入れないように道が塞がれていたが、三人ともそのようなものはお構いなしに一気に飛び超えた。山の上に続く杉木立の間の昇り坂は、昔のままだった。そこを三人は駆けた。道が右に旋廻し、その先の長い石段を登ると、太古の巨大神殿のわずかな名残である小さな祠のような皇祖皇太神宮があるはずだった。
だが、何もなかった。何かあった形跡だけはある。しかし皇祖皇太神宮自体も倉も、ミコの住居も何もなかった。
イェースズはただ呆然とし、肩で息をしながらしばらく無言で突っ立っていた。ところがまだ何も思考が働かないうち、右前方で音がした。見ると木の水桶を足元に転がした若い娘が、おびえきった表情でイェースズたちを見て立っていた。この山は誰も入ることが許されないはずなのにと不審に思ったイェースズは、ともかくもその娘の方へと歩いていった。
美しい娘だった。だが、イェースズにとって美しいかどうかなどよりも、その娘がどういう人で、なぜここにいるのかの方が大きな問題だった。娘は、今は怯えきった様子だった。そしてイェースズが近づくにつれますます体を硬直させ、逃げ出すことさえもできないほどに震えて立っている。言葉すら出ないようだ。ただ、村の人のような白い布の環頭衣ではなく、獣の皮衣を着ているのが妙だった。
イェースズは、笑顔を見せた。そのことがほんの少しではあるが、娘の恐怖心を和らげたようだった。
「ちょっとお聞きしたいのですが」
イェースズの言葉に、娘の体はビクッと反応した。だが、次の瞬間には強張った表情も幾分和らいだようだった。そこでイェースズはあることに気付き、ますます笑顔を見せて言った。
「私はこの山のふもとにいるような大人じゃありませんよ。昔、ここに」
イェースズは地面を指さした。
「ここに住んでいたんです」
娘は、不審そうに首をかしげた。イェースズは言葉を続けた。
「そう、もう十年くらい前に、この山に住んでいたんですよ。でも、その時あったものは全部なくなっていて……。その時にここでお世話になった方たちがいるんですけど、何かご存じありませんか?」
今度は娘はびっくりしたような表情になって、じっとイェースズの顔を見つめていた。そして小さな声で、
「あのう、昔、十年前くらいにここに住んでいたって……、私もずっとここにいますけど。もちろん十年前も」
と、言った。
「十年前にもいたって、失礼だけどその若さで十年前だとまだ……」
「小さな子どもでしたけど……」
イェースズの中でもしかしてという思いがあってそれを尋ねようとしたが、それよりも前に娘の方が、
「もしかして、昔ここにいたお兄ちゃん?」
と、ぽつんと言った。
「やはり、そうか!」
と叫んだのはイェースズの方だった。すると娘の顔もパッと輝き、小走りに近寄ってきた。
「そう、お兄ちゃんでしょ。私がちっちゃい頃にここにいた、あのお兄ちゃんでしょ!」
「君は、そう、確か名前は、ミユ!」
「え?」
娘が驚いたような声を出すので、イェースズは忘れかけていた風習を思い出した。この国では、実名を呼ばれるというのは相当親しい間柄の証しなのだ。だが、ミユの顔はますます輝いた。
「ねえねえ、本当にあの時のお兄ちゃん?」
「そうだよ。イェースズ、いや、ここではイスズって呼ばれていたっけか?」
「うわあ」
ますますイェースズの近くに来たミユは、イェースズの手をとって飛びはねた。イェースズも笑みの中で目を細めた。
「いやあ、信じられない。子供だったのに、すっかり娘盛りになって」
「もう、十年もたっているんだから。私、今、二十一。お兄ちゃんこそ、もうお兄ちゃんじゃなくっておじさんって感じじゃない」
後ろでヌプたちも、驚いて見ていた。それをミユもちらりと見た。
「ああ、あなた方もあの時いっしょにいたお弟子さんよね。お二人とも、大人になってる」
ヌプたちは照れていたが、イェースズは自分を棚にあげてのミユの言葉がおかしくて大笑いをした。
「ところで、ミコ様は?」
急に真顔になって尋ねたイェースズだったが、
「お父さん? お父さんも元気よ」
のミユのひと言に、安堵の笑顔に戻った。
「今は、どちらに?」
「ここにいるわよ。そうだ、早くお父さんに会って。お父さんも心配していたから」
案内するミユのあとに胸躍らせながらイェースズはついていき、ヌプ、ウタリもそれに従った。ミユは杉林の木立の中に入って行く。中は鬱蒼として暗い。その登り傾斜となっている細い道をミユは慣れた足取りでどんどん登っていき、イェースズもヌプもウタリも遅れることなく身軽について行った。この上が、かつてミコから超太古に巨大な黄金神殿があった所だと聞かされていたのをイェースズは思い出した。
その時、前方にパッと人影が立ちふさがった。まるで猿か何かのようにすばしっこく、一目散にこちらへ向かってくる。
「ミユ! そいつは山の麓の人間じゃないか!」
叫び声と共に巨漢ともいえるたくましい青年が、ミユを通り越してイェースズの前に立ちはばかって身構えた。
「何をしに来た!? 妹をかどわかしに来たのかッ!」
イェースズはミユを見た。ミユを妹と呼ぶということは、この男は……とイェースズが考えているうちに、ミユが困惑しきった表情で男にすがりついた。
「お兄ちゃん、やめて。忘れちゃったの? この方は、ほら」
男の威勢が一瞬ひるんだ間に、イェースズはその若者に笑顔を見せた。
「君は、もしかしてスクネか?」
「え?」
若者は呆気に取られて、身構えを解いた。
「立派な若者になった。確か、このヌプやウタリと同じくらいだったよな。今は、ちょうど私がここにいた頃の年齢になっているよね」
「あ、あ、あ、あ、あの、もしかして……」
「そうよ。昔ここにいたお兄ちゃんよ」
と、ミユが口をはさんだ。スクネと呼ばれた若者はとたんに表情を変え、イェースズのそばによってきた。
「いやあ、たくましくなったなあ」
イェースズにそう言われて照れるスクネに、ヌプやウタリも、
「やあ」
と、声をかけた。三人は手を取りあっていた。
「今、お父さんの所につれて行こうとしていたの」
兄にそう言ってからミユは、愛くるしい笑顔でイェースズを見た。
「さあ、行きましょう」
スクネとミユにさらについて行くと、兄妹は山の中腹の洞窟の中に入っていった。中は真っ暗だ。洞窟は、かがんでやっと歩けるくらいの狭いものだった。だが、奥から光が漏れているので、なんとか足元を確保して歩くことはできた。
突き当たりは広くなっていて天井も高く、そこに灯火に照らされて一人の細身の初老の男が座っていた。その顔を見た途端、イェースズの目に熱いものが込み上げてきた。向こうもイェースズの顔に驚いてすぐに立ちあがり、
「おお、おお、おお」
と、感嘆の声を洩らしていた。かなりやせ細り、頭もほとんどが白髪になっていた。それでも、紛れもない武雄心親王だった。
「ミコ様!」
「イスズよ。戻ってきたか!」
ミコは、しっかりとした足取りでこちらに歩いて来た。体力は衰えていないようだった。二人は固く抱き合った。こらえていたものが、イェースズの頬を伝わった。
「約束どおり、生きて戻って参りました」
「そうか、そうか。それはよかった」
それからミコはイェースズに座るように促した。
「よう帰ってきたな。もう十年になるな。よくここが分かったな」
「ミユとばったり会って、案内してくれました」
「十年もたったのだから、スクネもミユも大きくなっただろう」
「はい、最初はぜんぜん分からなかったのですよ」
ミコはうなずき、そして立ち上がった。
「では、御神殿にお参りをするといい」
「そういえば」
イェースズの顔が、急に真顔になった。
「御神殿といっても、なくなっていたではありませんか」
ミコは笑った。
「あるんだよ、それが、ちゃんとここの中にね」
ミコは立ち上がり、イェースズが通ってきた入り口に向かう洞窟へと歩いて行った。入ってきた時は暗かったのでよく分からなかったが、実は一本の通路ではなく分かれ道があり、ミコはその右に折れる別の通路へと入って行った。それはすぐに行き止まりとなったようで、ミコがさっと灯火をかざすとそこには腰ぐらいまでの石の小さな祠が二つ、こじんまりと鎮座していた。
「これが今の皇祖皇太神宮だよ」
と、ミコは言った。イェースズは瞬いてその祠を見、そしてすぐに視線をミコの横顔に移した。心なしかミコの顔は、悲しそうに見えた。
イェースズはその祠の前に額づき、とりあえずもこの地に再度戻れたことの報告と感謝の祈りを捧げ、それからもとの広間に戻った。そして開口一番、ミコに今までの疑問をぶつけた。
「ミコ様、どういうことなんでしょう? もとの御神殿も何もかもなくなって、皆さんはこんな洞窟の中に。今日、上陸して以来の麓の風景も一変してしまっていますけど」
「君が故国に帰っている間に、ずいぶんと変わったのだよ」
イェースズは、小首をかしげた。
「確かに海の向こうのシムの国も、前に私がその都の長安に来た時には新という国だったはずなのに、今では漢という国になっていました。だから、十年という月日で変わるのは分かります。分かりますけど、なぜミコさまがこんな洞窟の中で暮らしているのですか? 確かに世界では穴暮らしの民族もいました。でも、ミコ様は以前は立派な建物に住んでおられた。それだけではなくて、全世界の五色人類が崇める皇祖皇太神宮までこんな小さな洞窟の中へ」
ミコはしばらく黙っていた。そして、目を挙げて空中を見ながら言った。
「今、たいへんなことがこの霊島に起ころうとしているだ。この霊(日)の元(本)つ国にね」
「たいへんなこと?」
「昔、君が初めてこの国に来た時も、西の山の向こうには君と同族の人たちがいたろう」
確かにいた。砂漠に消えたイスラエル十支族のエフライムとこの国で出会って、イェースズは驚いたものだった。
「その人々がこの十年の間にだな、稲作をする下戸たちを引き連れてついに峠を越えて、この地方にも入り込んできたんだ」
「そうだったんですか。でも、もとからあった皇祖皇太神宮を壊して、ミコ様たちをこんな所に押し込めたのも彼らなんですか?」
「まあ、わしらは押し込められたというよりも、難を避けてここへ逃れてきたのだがな。何しろ超太古からの大切な御神宝を護らないといけない」
「どうして彼らは、ここを狙うんでしょう?」
「歴史だよ。歴史に問題がある。稲作の民が大人と呼ぶ君の同族の人たちは西の方から勢力範囲を広めて、この島国をすべてその掌中に納めようとしているんだ。彼らはもとからこの国の民だった黄人を下戸と呼んで服従させている。その彼らが困るのは、ここに超太古からの莫大な歴史の記録、つまり真正人類史があることなんだ。よその土地から来た彼らだけに、自分たちのこの国での統治の正統性を作り出すためには、ここにある本当の歴史が彼らには邪魔なんだよ。この国が霊の元つ国であっては、彼らにとって都合が悪いのだ。だから本当の歴史を伝える我われ一族を抹殺しようとしたんだ」
驚きに眼を見開きながらも、あり得ることだとイェースズは思っていた。そして、ミコが「彼らは君と同族」と言った言葉に、重みを感じた。狭義には彼らは十支族、イェースズはユダ族だから同族ではないが、ともにイスラエルの民であるという意味では同族だ。そして今のイェースズにとってイスラエルの民は自分の同胞というよりも、かつて自分を十字架に掛けようとした民族、しかし実際には弟のイシュカリス・ヨシェを十字架上で殺してしまった民なのだ。
その時、イェースズの中で衝撃が走った。ミコが今話しているのはあくまで現界的な話だが、その裏にある高次元での霊的な意味をイェースズは瞬時にしてサトッてしまった。だが、ミコはそんなことも知らずに、話を続けていた。
「彼らはこの国に固有にあった文字までをも使用禁止とし、この国には文字はないとして、海の向こうの国の文字を強制的に使わせようとしている」
「漢の国の文字ですね。私も最初はあの文字はだめでした。世界でいちばん複雑な文字ではないでしょうか。象形文字の森の中に迷い込んでしまいそうな気がしていました」
イェースズが「最初は」と言ったのは、前世記憶が戻る前のことだ。今や彼は自分の一つ前の前世が今の漢のある所に昔あった国で学者をしていたことが分かっている。その前世記憶によって今は漢の字も言葉も、自在に操るイェースズとなっていた。しかし、そのことはあえてミコには言わなかった。するとミコも、しばらく黙っていた。やがてまた、顔を上げてイェースズを見た。
「彼らはどうしてこの国に来たのだろうか。どうして、この国をほしがるんだろうか」
イェースズの中では、実はもう明確な答えが出ていた。だがそれをあからさまにミコには言わず、
「この世での現象の発端は、すべて神霊界にあります」
と、だけ言っておいた。神霊界での出来事が、物質化してこの地上で同じことが起きる。イスラエルの民の東進を神霊界から操っている御神霊は、他ならない副神系統の天若彦の神である。国祖ご引退されりと言えども、この霊の元つ国の霊界は正神系統の天照彦の神が統治されているが、そもそも国祖の神のご引退によって霊の元つ国霊界を天照彦大神が統治することになったのは、他らなぬ山武姫大神の策謀によるものだった。だが今や、山武姫大神と天照彦大神は相容れぬ仲となっている。その霊の元つ国の霊界は霊的には非常に大事で、何しろ世界の中心なのだ。その天若彦を裏で糸を引いているのはヨモツ国の神霊界に君臨する副神系統の神々の親玉、山武姫の大神に他ならない。今やその腹心であったはずの金毛九尾にも歯向かわれている山武姫大神は、副神の最高の神だけにどうしてもこの霊の元つ国の霊界を掌中に収めたいのだ。だが、その支配欲ために現界で操るのがなぜイスラエルの民なのか、それもイェースズはすべて瞬時に承知した。ユダヤは物質を司る使命がある。そもそも副神系統の神々の役目は、この地上の物質開発であった。それも天地初発の時の大根本神の裏の経綸があって、一時神・幽・現の三界とも大根本神との糸を断ち切った自在の世となし、そのための国祖ご引退まで仕組まれたのである。そういった裏の仕組みも知らない中つ神々と欲心を与えられた人類が、自在の世を火と水のほどけたホドケの世、水の世となしてしまっているのである。だから、究極的には悪ではないのだけれど、一見悪のようにも見える世の中となったのだ。そして山武姫大神と天若彦大神は、この霊の元つ国にましてかつては全世界の棟梁であった天皇に、山武姫大神の御神魂を持った魂を降ろそうとしている。いや、むしろもう降ろされているのだ。だがその天皇はもはや世界の棟梁ではなく、この島国のみを治める他の国でいう国王や皇帝と同じような地位になってしまうことになる。
だが、それらのことはあえてミコには言わずに、ただ、
「彼らは私と同族であって同族ではないのです」
と、イスラエル十二支族の歴史をミコに話した。
「十二の支族がそろって栄えていたのは、ソロモンという王様の時代までなんです」
「それは、いつごろのことかな?」
「そうですね、千年くらい前でしょうか」
「やはりな」
ミコの説明ではイスラエルがもとっも栄えていた時は、この国では前の王朝の葺不合朝が致命的な崩壊を遂げた頃だという。だからイスラエルの民とこの霊の元つ国は神様が選ばれた合わせ鏡であり、言霊ではユダヤは枝の国だ。霊の元つ国は縦、ユダヤの物力は横で、その相反するを十字に組む時に新しい力がそこに現れるというのだ。
イェースズはうなずきながら、黙って聞いていた。
一晩寝て、翌日はいい天気だった。ミコは洞窟の外で、木の実を土器で炊いていた。イェースズが近づくと、ミコは笑顔で顔を挙げた。
「この山の中だけでも、食料にはこと欠かないよ。木の実もふんだんにあるし、鳥獣もたくさんいるからね」
ミコの話だと、貯蔵用の貝や海のものはスクネが夜の闇にまぎれて採ってくるのだそうだ。麓の村は昔と違って貝を使わなくなったので、海には貝が余るほどあるとのことだった。イェースズはかつてここに来るまで大きな大陸を横断する旅をしていても、一度も食うに困ったことはなかったことを思い出した。すべては神様が必要な時に必要なだけ与えて下さる。そもそもこの大地には、人類が最初から食うに困らないだけのものを神様は埋蔵してお創りになっている。それが自然であり、それがそのまま至善なのだ。それを、人知で作りだした貨幣というものがないと食うに困る社会というのは、どこかおかしい。「おかしい」というのは一見「悪」のように見えるが、イェースズはそのすべてが神様の裏経綸で必要があっての神仕組みなのであることも理解していた。
そして夜、イェースズは洞窟の外で焚き火をしながら、ミコと二人だけで語らっていた。
「実は君が戻ってきたばかりでこのような話をするのもなんだけど、実は君がいない間もずっと考えていたことなんだ」
ミコは神妙な顔をしてそう言った。イェースズは息をのんで、ミコの次の言葉を待った。
「近々わしは、御神宝も御神殿も封印してしまおうと考えているんだ」
驚いてイェースズは、ミコを見た。
「ミコ様は、どうなさるんですか?」
「わし一人くらい、何とかなる」
ミコは笑って言う。その一人というのが、イェースズには不審だった。スクネはミユはどうするのだろうか……、それにミコの妻は、昨日から姿が見えない。イェースズがそんなことを考えているうちに、お構いなしにミコ話を続けた。
「いつ麓の連中が、この山にも登ってくるかも分からん。それで君たち三人は、あのヌプやウタリの故郷の艮の国に早く帰るがいい。せっかくここに戻ってきたばかりで申し訳ないのだが」
ミコの口調だと、状況はかなり切羽詰っているようだ。
「その日髙見の国が、今はいちばん安全だ」
イェースズはミコの言葉の真意のほかに、ミコの言った「艮」という言葉が引っかかっていた。そして、国祖の神よりの最近の御神示を思い出した。国祖の神は艮(東北)の方角に神幽られたということだった。そしてその隠遁の地に自力で来いというのが、イェースズに下された神命だった。
ミコはさらに続けた。
「それと、もう二つばかり頼みがある。御神殿を封印してしまうのは本当に天の神様に申し訳ないことで、だからせめて御分霊をかの日髙見の地でお祭りして、それをお護りしてほしい」
「承知致しました」
「もう一つは、スクネとミユもいっしょにつれて行ってほしい」
それでミコが先ほど「わし一人、何とかなる」と言ったわけも理解した。ミコは、最初からそう考えていたようだ。
「ミコ様は?」
「わしはしばらくここで、様子を見る。後からわしも行くかも知れんがな」
「そうですか、それなら安心です」
「もう、今日の夜には出発しなさい。早い方がいい」
ミコの口ぶりは淡々としていていた。そしてその想念を読めば、ミコの妻は二年前に熱病で亡くなっていたようだ。
「それから、封印してしまう前に、君にだけはあの文献を見ておいてもらおう」
ミコが言った文献とは、洞窟の中の神宝の中にあった膨大なものだった。
「君が前にここにいた時に、あの赤池の中の白龍満堂でこの書物の内容は、三日がかりで君に伝授したんだ。でも、文献で見せるのは初めてだから、その内容をよく腹の中に入れておいてくれ。腹だぞ。頭じゃないぞ」
イェースズはミコがなぜそういうように言うのかも、総て熟知していた。それからイェースズは一日がかりで、かなりの数の巻物を読破した。それは紙ではなく動物の皮をなめしたものに書かれており、文字はこの国の固有の文字で、ミコはそれを越文字だと言った。
遥か悠久の昔の天地創造の様子が、イェースズの故国の聖書の創世記よりも詳しく正確に綴られている。それはかつてミコが講義してくれた内容よりも詳しかった。宇宙の創世が天神七代という神々によって創造されたことはミコから聞いた通りだが、その宇宙大根本神の皆が、ここではモトフミクライヌシの大神という御名になっている。そして第二代ナカナシワカレヌシの大神が時間の神、第三代アメツチワカレヌシの大神が空間の神で、この時に天地剖判し、その間324億32万16年だという。第四代は男女一体神のアメツチワカシオソコヌシの大神とアメツチワカシオソコメの大神で、それぞれ火の神、水の神であり、すなわち底津岩根大神であって、これで時間、空間、火、水の四大元素が創造されたことになる。その次が第五代アメハジメアメハシラノシの大神で、この神が大根本神のご真意をすべて代表するみ役を持ち、その次、第六代クニヨロヅツクリヌシの大神が大根本神の体の面として実際にこの地球と人類の霊成型をお創りになったいわゆる国祖の神様であり、大天底に総ての神々を勧請して神霊界で初めての神祭りを行い、またコノメハルタツの人正月元旦とする暦を制定したという。そして第七代アメミヒカリオオヒナカキオウヒノオオテルヒの大神、すなわちアマテラスヒ大神様であり、この時に天祖降臨が行われてここより皇統の時代に入るのである。
話はこの世のものではなく、遥か高次元の神界、神霊界に及ぶものである。神霊界に魂がたびたび呼び出されているイェースズであっても、その雄大さには気が遠くなる思いだった。そして彼の心の中に甦ったのは、国祖の神の御神勅である。自分は、艮を目指さねばならない。ミコがここに着くや即日ここを離れるように言ってくれたのも、背後にそのようなご真意による仕組みを感じずにはいられないイェースズだった。
それからイェースズは洞窟の中の石の祠でみ魂分けの神事を行い、夜になってからミコに別れを告げてヌプ、ウタリ、ミユ、スクネの総勢五人で闇にまぎれて海岸まで行った。そこにはイェースズの船がまだあったので、一行は早速それに乗り込んだ。
「ミユ、寒くはないかい?」
兄のスクネが心配して声をかけると、ミユは笑顔のままみんなが座っているあたりにやってきた。明るい陽光の中を北へ進む船の中でもミユはじっとしていることはなく、ちょろちょろと船内を動き回っていた。
「落ちるぞ」
とイェースズに冗談を言われながらも、ミユは船から身を乗り出し、
「あ、お魚」
と、濃緑色の水面を指さして笑っている。
「何だかまるで、遊びに行くみたいだな」
そう言って、兄のスクネが苦笑した。イェースズも愉快そうに、そんな兄妹の様子を見ていた。一度は死を覚悟した自分がこうして再びこの国でこの兄妹と共に同じ船に乗っていることに、運命の妙を感じずにはいられないイェースズだった。ミユは今でもイェースズのことをお兄ちゃんと呼ぶ。
「本当はお兄ちゃんじゃなくて、おじさんと呼びたいんだろ」
イェースズが笑って言うと、
「うん」
と大きくうなずいておきながら、
「うそうそ」
と笑って答えるミユは、本当に天真爛漫だ。もうすでに二十一歳の娘盛りではあるが、イェースズにとってはまだ十何歳かの頃のあどけない少女のイメージがぬけなかった。
やがて左手の大きな島との間を通過し、右手の陸の上には裾野が美しく広がる高い山を見ながらさらに数日の航海で、海に西につき出た半島にでくわした。その半島の突端の岬を回ってまたしばらく行くと、、海岸には砂浜が続くようになった。ここはすでにアラハバキの領域、ミコのいう日髙見の国だった。もうそろそろ秋の気配を感じる頃になっていた。
その後の航海も順調で、船は海峡を越えて再び南下し、無事にヤレコの港にたどり着いた。生まれて初めて来る異郷の地でスクネもミユも緊張しているのではないかとイェースズは気遣ったが、何のことはなく、ミユなどは楽しそうにはしゃぎ回っていた。港から西へと内陸に進む道のりでも、ミユはちょろちょろして、気がつくとふとどこかへ行ってしまったりした。そんな姿を見て、
「子どもより始末におえないね」
と、イェースズは笑った。ミユやスクネはヌプたちの言葉が分からないので、二人のいるところではヌプもウタリもイェースズと話す時にはなるべくスクネたちにも分かる彼らの言葉で話すようにしていた。
道が山道になって何日か歩くと、目の前にトー・ワタラーが展開した。
「うわっ、きれい!」
それを見たミユのはしゃぎようは、尋常ではなかった。あふれんばかりの陽光のような笑顔で、それでいてよく人のことを気遣うミユは、やはりミコの娘だった。
ヌプの村のオピラ・コタンでは、祭司であるヌプの父がいきなり大人数とともに息子が帰ってきたので驚いたようだったが、それでも温かく迎えてくれた。
村に入るや初めて接する異文化にミユの好奇心は爆発し、あっちへ行ったりこっちへ行ったりで、子どもがいたら通じるはずもない自分の言語で話しかけ、気さくに迎えてくれる村人にありったけの笑顔で手を振っていた。文化が違うとはいっても人々の顔つきは自分たちとほとんど同じなので、ミユはそれほど警戒心も持っていないようだった。
その夜、寄宿させてもらっているヌプの家で、イェースズは祭司であるヌプの父と二人きりで、例の相談ごとを持ちかけていた。ミコより預かり、ここまでお供をさせて頂いた皇祖皇太神宮の御分霊殿の御神体をお祭りすることである。
「どうか、この村にお祭りさせて頂きたいんです」
ヌプの父の反応は、しばらくはなかった。何かを考えているようでもあったが、やがてあごに手を当てて口を開いた。
「私は荒吐の神の、この村のヌサを祀る祭司ですからねえ。異民の神をこのコタンで祭るのはねえ、ちょっと。だいいち、村長が何とおっしゃるか」
「ちょっと待って下さい」
イェースズは右手を上げ、ヌプの父の言葉をさえぎった。
「今、異民の神とおっしゃいましたけど、そんなのおかしいと思いませんか? 民の数だけ創造主の神様がいらっしゃっるんでしょうかねえ? 確かにそれぞれの民族の担当の神様というのはいらっしゃるでしょうけど、大根本の神様はおひと方でしょう? 私はこの民族だからこの神様に創られた、私は何々族だから別の神様に創られたなんて、そんな馬鹿な話ありますか?」
「んん」
ヌプの父はうなったまま、うつむいてしまった。イェースズは穏やかな笑顔で、話し続ける。
「それぞれの民のそれぞれの神祭りは、その民の伝統文化としては尊重しなければならないでしょうけど、でも宗門宗派というのは人知が作った垣根なんですよ。神様は、そんなことをお命じになってはいないんです。いいですか。大根本の最高神はおひと方で、全世界全人類に共通なんですよ。神様の置き手の法も、全人類に共通なんです。だって、そうでしょう? 私は何々族だから食料は半分でいい、私は何々族だから四分の一でいいってわけにはいかないでしょ?」
イェースズは少し視線をそらし、そこの皿に盛られていた塩に目をやった。
「例えばですね、この調味料は全人類共通でしょう? これをあなた方は何といいますか?」
「はあ、シッポですが」
「そうですか。これをヤマト人はシホといいます。私の国ではメラフといい、隣の国ではハルス、その向こうではサールというんです。でも、どんな名前で呼んでも、これは同じものでしょう? それなのに、これはシッボだ、いや違う、これはサールだといって争っているのが今世の人々なんです。あなた方がカムイといい、ヤマト人がカミといい、私の国ではエロヒーム、そしてセオスとかデウスとかいっても、同じ方の別名なんですよ。この御神体はそういった全人類共通の祖神様や実際にこの世と人類を創られた七代の神様をはじめ、あらゆる神々を合祀したものです」
「え、今、七代の神様と言われましたね?」
「ええ。親神様より七代にわたって、そして何百億という時間をかけて、神様は神界・神霊界をはじめ、この世をお創りになっていったんです。それは全人類共通の出来事で、そうなると神様の天地創造はもう一つの宗教の話ではなくなるでしょう?」
「あのう、私どもも同じです」
「ほう」
イェースズは感心した声を上げた。
「祖神荒吐の神七柱といいまして、七代のカムイがこの世をおつくりになったと伝えられています」
「ほらね、そうでしょう。私の国の聖典では、七代を七日という表現にしていますけどね」
「はあ」
ヌプの父は分かったのか分かっていないのか、とにかくうなずいた。
「それで」
イェースズはひざを一歩前に進めた。
「この近くのムータイン・コタンのそばの三角の山、つまりトバリ山の麓に祠があるのをご存じですか?」
「とんでもない」
ヌプの父は、急に慌てた。
「あの山には、誰も足を踏み入れたりはしないはずだ」
まだ頑なにそう信じている人もいるようだ。むしろこのあたりではその方が普通だ。
「あそこに、祠があるんですよ」
「祠って、ヌサですか?」
「ええ。しかも、超太古に世界が一つだった時、世界のあらゆる民族の万人が崇め奉った黄金神殿の分霊殿が、あそこにはあったんです」
「そんな話は、我われが受け継いでいる話にはありませんけどなあ」
イェースズは口元に、笑みを含ませた。
「それはそうでしょう。何しろ何万年も昔の話ですから」
想像を絶する年代を聞いて、ヌプの父はうなった。そして、次の瞬間には勢いよく顔を上げた。
「分かりました。どうぞ先生のお考えの通りになさって下さい」
イェースズの顔が、パッと輝いた。そして、ヌプの父の手をとった。
「有り難うございます」
「先生には、せがれがお世話になりました。それに、前にここにいらした時に先生からお聞きしたブッダという人の話が、十年以上たってもまだわしの頭から消えないですだ」
「そうですか」
「ええ、ありゃ素晴らしいお話だった。そんな先生のおっしゃることなら、間違いない」
イェースズは、今度は恭しく頭を下げた。
翌日さっそくに御神体の遷座が行なわれ、イェースズとヌプの父の祭式で皇祖皇太神宮の分霊殿がこのオピラ・コタンの郊外、トー・ワタラーの湖を見下ろす丘の上に営まれた。それは太古の分霊殿のあったトバリ山から、目と鼻の先の所だった。一切が偶然ではあり得ない。規模こそ比べようもなく小さいが、それでもいわば太古の分霊殿が数万年の時を経てこの地に再興された訳である。そのために自分を神様はお使い下さった。それだけでも感謝があふれて涙を流すイェースズだった。
分霊殿の形態は全くコタンのヌサと同じで、御神体だけがイェースズが父山からお供してきたものであった。だから村の人々は「異民族の神」という意識はなく、自分たちの新しいヌサができたくらいにしか思っていなかった。これはイェースズの方から申し出たことで、むしろヌプの父の方がそれでいいのかと訝ったくらいだった。
「全人類共通の神様ですから、お祭りする場所の民の風俗に合わせてで構わないんです。要はそんな形ではなくて、お祭りする想念ですから」
そう言いながらもイェースズはヌプの父を祭司として尊敬していたし、ちょっとでも異郷・異端の臭いがあると排斥する自分の故国の祭司や律法学者とは雲泥の差で、やはり霊の元つ国人の黄人だなと認識を新たにしていた。
すでに秋も深く、トー・ワタラーの湖の周辺の山も見事な錦に彩られ、至高芸術とはかくやということを思わせる風景であった。この国に戻ってからようやく三つの季節を過ごしたが、地球上の他のどの国にもない季節ごとの美しい変化と大自然の妙を、イェースズは味わってきた。大陸のような雄大さと壮大さはこの国にはないが、その代わり実に繊細で巧妙な自然の美がここにはあった。
だがイェースズは、そんな秋の風情をのんびりと楽しむ余裕はなかった。父山より戻って席が温まる暇もないうちに、イェースズは再び旅立つことが運命づけられていた。それは、例の御神示である。国祖の神のご引退になった艮を、自ら訪ねてまいれとのことだった。本来なら直受直行でいかなければならないのが御神示の性格だが、神の方からそれより先に父山に行ってミコに会うことを指示してきた。その旅より戻ったのだから、間を置かずにイェースズは直ちに出発しなければならない。
スクネもミユも、もうすっかりこの村に溶け込んでいた。村人たちと同じ服を着て、頭には鉢巻きをもしめた。そしてミユの太陽のような笑顔は、村の誰の心をも暖めていった。かつてヌプやウタリが父山でミユやスクネから彼らの言葉を教わったように、今度はヌプが二人に自分たちの民族の言葉を教えた。ミユは行動的な娘で、気がつくともうどこかへ行って一日帰らなかったりもした。村の中の同世代の娘たちの仲間の輪にも加わった。イェースズや兄のスクネ、そしてヌプの家族などと一緒にいる時よりも、その娘仲間といる時の方がミユは楽しそうだった。声に特徴があるので、家から少し離れた所で談笑していても、ミユの笑い声だけは家の中にまで響いてくる。
そんなスクネとミユの様子にイェースズは一応安心して、いよいよ出発することにした。まずはヌプとウタリに、早速旅立ちを告げた。
「え? ここから艮、つまり東北の方角っていいましても、ご存じの通り海があるだけですよ」
ウタリが目を丸くした。イェースズは穏やかに微笑んでいた。ヌプの家の前のちょっとした広場の腰掛に、三人は横一列に並んで座っている。
「でもヌプが前に、海の向こうにも陸地があると言ったじゃないか」
「そう。アイヌモシリっていう大きな陸地があって、そこにいるのは僕らと同族ですけど、この村には誰もそこに行ったことがある人はいません。とても寒くて、農耕すらできない土地だそうですから」
しかし艮の方角に陸地があるということは、イェースズにとって朗報だった。遥か前にヌプが何気なく言っていたことを、イェースズは急に思い出したのだった。
その日の夜にヌプの父に旅立ちのことを話すと、案の定猛反対だった。その理由はこれから冬になるからで、冬になればすべての村も山も雪で閉ざされるから、だめだというのだ。
「お父。先生と僕ら二人、もっとすごい雪の大草原を旅してきたんだよ。その時は僕らもいっしょだったんだから、僕らだって平気さ」
確かに大陸での冬の旅を思えば、イェースズにとっては雪に閉ざされた大地の旅なんてどうということはなかった。だが今のヌプの口ぶりでは、完全に自分やウタリも師の自分と同行するつもりであるらしいことはすぐに分かった。だから、
「今回は、私一人で行くよ」
と、いうイェースズの言葉に、二人とも耳を疑っていた。だが、遊びに行くのではないのだ。二人をどうにか説得して、いよいよ出発の日の朝にイェースズを、村が総出で見送った。
まずはいつものように、ヤレコの港までは徒歩である。そしてもうすっかりなじみとなった自分の船をイェースズは巧みに操り、沖に出た。あらかじめ調べておいたのだが、砂浜を背に左前方へ行けばそこが艮、つまり東北である。だが今は、その方角には遠くに水平線があるだけだった。
ところが出航してから二日目の朝に、もう行く手に陸地が見えてきた。やはり海の向こうに陸地があると言ったヌプの言葉は本当で、そうだとするとこれがアイヌモシリだということになる。山脈が左右に長く延びて水平線を遮っているが、右手の方は次第に山が低くなって途切れている。どうやら大きく海に突き出る巨大な半島か岬のようだ。ここで上陸しても、そのまま直進したら岬の向こう側の海に出るだけのようなので、イェースズは船に乗ったまま岬を迂回することにした。岬の先端は鋭く尖り、岬はきれいな三角形だった。
やがて半日も航海するとすぐに、また大きな陸地が見えてきた。大きく湾曲して、前に見た岬とはつながっているようだ。今度は半島ではなく本格的な陸で、その上には相当高い山々がそびえ、その頂は早くも冠雪していた。東北に直進してきたその突き当たりが、この陸地のようだ。イェースズはその砂浜で船を降りた。山までの間は平原が続いているが見渡す限りの原野で、人の姿は全く見られなかった。もちろん、農耕の形跡もない。とにかく一面に広がる広大な空間はどうも湿原のようで、この国にもこのような雄大な風景があったのかとイェースズは驚いた。どうにも繊細なこの島国には似つかわしくなく、どちらかというと大陸的な風景であった。
イェースズは上陸した。その時点でもうかなり宵闇が迫っていたので近くの川で大きな魚をいとめて夕餉にし、それから焚き火を炊いてその脇で野宿をした。翌朝は、さらに東北に向かって進む。どこに行くというあてがない旅だけにその足取りは慎重だったが、自分が行くべき道は神が示してくれるという絶対な安心感と共にイェースズは歩いた。だが、とにかく湿原で歩きづらい。下手をすると大きな沼にはまってしまう危険性もある。それでもイェースズは上手に道を選んで、山の方へと向かって行った。
山の麓に着いた時は、日は西へと傾き掛けていた。暗くなるまでにはまだ間がありそうだったが、道はどうもこれから山にさしかかるようなので、イェースズは大事をとってまたそこで野宿をした。それまで、誰一人として人に会わなかった。大陸では数十日も人に出会わない旅はざらにあったが、この島国では珍しいことだった。
翌朝は、山道へと入って行った。そして昼前、道は峠にさしかかったようで、目の前に大パノラマが展開されるはずのようだが、この日は峠の向こうの下界に一面に霧がかかり、何も見えなかった。だが、その方からものすごい霊を感じた。しかもそれが、清浄ななのである。神々しいに包まれてイェースズがたたずんでいると、遥か遠くの霧の中からものすごい閃光が放たれ、たちまちそれはすごい速さでイェースズの全身にまで飛んできてぶつかり、イェースズは閃光に包まれた。そしてイェースズが果てしない上昇感を感じているうちに、その閃光の中に神々しいまでのまばゆい黄金の光を放つ巨大な龍が出現した。その目は慈愛に満ち、イェースズは本当の故郷に帰ったように胸が熱くなって、とめどなく涙があふれた。
――イスズよ。我が、愛する子よ!
イェースズは思わずアラム語で、
「アパ!」
と、叫んでいた。
――よう、訪ねまいりしかな。
その胸に響く声は、幾度となく邂逅した高級神霊なのだ。
――この地こそ我が神魂隠遁の地、艮の貴門なり。艮は艮にして艮にてもあり。これまでもたびたび汝に示しありし通り、今は自在の世にして、宇宙大根本の神のご意志によりてその糸を切られしも、そも何ゆえにかようなる仕組みありしやは、大いなる神の経綸の神策あればなり。その自在の世を迎えて何億年、地上に物質にて神の文明、地上天国成り鳴りならしめん天意にてあれば、中つ神にも汝ら人類にも物欲与えしめしが、中つ神もまた人類も皆行き過ぎ、火と水ほどけしホドケの世、逆法渦巻く暴虐の世となさしめしは、大根本神の御神意を体得してこの写し世・第三の界と人類および万世の霊成型を無より生ぜしめしこの方としては、身をひきちぎらんばかりにただ大根本神への涙の詫びに明け暮るるのみなり。
いつにない、厳しい御神示であった。イェースズは身を引き締めて聞いていた。
――そも隠身なる大根本神の天地剖判の砌、大いなる立て別けありて、時間の神の中末分主大神、空間の神の天地分主大神、火の神の天地分大底大神、水の神の天地分大底女大神在れまして、その御名たるや汝ミコの元にて文献見しならん。そは仮凝身第六の界の神にして、その代表神を天一天柱主大神と称え、次の第五の界は耀身の界にてそこよりこの方、駛身の第四の界にて龍体を付し、汝と今見えん。さなくば、耀身の大天津神のままにて限身の第三の写し世に出でますはなかなかのことなるよ。
イェースズは、静かに目を上げた。
「御名を、御名をお明かし下さい」
イェースズとて何度も邂逅する父神の御名を知らないわけではなかったが、ここはモーセの例に倣ったのである。
――この方の名は艮に神幽りたる故に、世人は艮の金神などと申すならんも、我が名は国万造主大神、駛身にありては国常立大神と変化申すなり。
イェースズの意識は自分を包む御神霊とほとんど一体になって、その神示を腹に収めていた。
――そも、こたびの天の岩戸閉じの真義を聞かさん。それ天地初発の時よりの大根本神の経綸には、裏の経綸あり。創造、統一の世と経綸進展せしに、統一のままにては宇宙の調和は保たれありしも人類はそのまま神と通じ故に自力による精進を知らず、地上天国顕現の経綸は進歩発展は望むべからざる状況にませば、宇宙創造の神業は全く退歩萎縮するを免れざるを以て、天地根本大祖神の御意志発露ありて、宇宙全般は其の統一時代を経過し終りていよいよ次の時代たる自在の時代に入る事となれり。即ち、この自在の時代においては各神霊それ自らの意志のままにその欲する所を行ひ、人類にも欲心与えらるるなり。これ、天の岩戸閉めなり。いよいよ神々はそれぞれその個性に応ずる能力を発揮して、この自在の世にて初めて生ぜしが、争闘なり。愛慾に依りて、ここに争闘がひき起こすなり。そしてこれらの愛欲に依りて生ぜし争闘を調和ならしめんとする力を司配権といふなり。宇宙創造神は、この自在の世に神霊界および人類界にこの愛欲及び支配欲の二箇を顕現せしめたるなり。神々の世界にても天照彦大神の金龍姫大神への横恋慕という天の掟破りが生じ、それに便乗せし若武姫大神による天照彦大神の抱きこみによりて、若武姫大神はヨモツ国、ろの国の霊界にありてこの方に歯向かい来たりて、若武姫の天の御三体の神々への直訴によりて、その方、隠遁をやむなきにされしが、これらすべて宇宙大根本の神の経綸なり。それより人類は暗黒、夜の世となり、今に至りしなり。されど、それら総て大根本神の書かれし戯曲なり。そのこと知るは天の御三体の神とこの方ばかりにて、その他のすべての中つ神も知らぬ大いなる秘め事なり。この方をはじめとし、総ての日・火の系統の正神は一時身を引く事を決意せしなり。はじめこの方、汝らの申すトー・ワタラーに隠れしも、さらに艮を目指してこの地の霊界に至るなり。
イェースズは、衝撃に打たれた。国祖である父神が一時隠遁されていたのがトー・ワタラーだということで、その湖に感じる清浄の霊と神々しさ、そして何よりも自分がその地にて暮らす霊的因縁の総てを了知したのである。ただ単に、太古の神都があった所といだけではなかったのだ。やはり、三千世界は寸分も狂わぬ必然の中にあることを実感した。
――十が○となりて、これにて、陽よ。されど陰光の今世にてありては、やがて陽は消え行くならん。そして今この地の霊界深く封印され、この方は隠遁せしなり。ここぞ、真主の湖なり。
イェースズがこの峠道を越えた時、目の前に展開していたのは霧の海だけだった。その霧の下に「真主」の名の湖があったのだ。
――されど、経綸はひと時も止まりてはおらず。やがて自在の世も終わりて限定のみ世来るならん。閉じられし天の岩戸も、岩戸開きの時迎えるなり。その備えのため今より汝らの申す時間にて千年ほど前に、この方は大きなる仕組みせしよ。これ、国祖三千年の大仕組みなり。すでに三分の一の千年が経過せしも、来るべき天の時には、今世人類のままにてはかなりかわいそうな時ともならん。その時の様相、前に汝に示せし通りなり。
「その終末の時の様子は、お聞きした通りに私もかつて故国で使徒にも話しましたが、もっと具体的にどうなるのでしょうか?」
すると突然目の前の黄金の渦の中に、空中映像が始まった。そこに映った人類の文明は、イェースズには想像もできないほどの別世界の文明のようであった。エルサレムの神殿よりも数十倍も巨大な四角い箱のようなガラス張りの建造物がなんと数十基も林立して空を突き、その間をものすごい速さで走る乗り物、さらには空にさえ翼を持つ鉄の乗り物が飛びかっているそんな文明だった。だが、各地で戦争が起き、その戦争もイェースズが知っているような戦争ではなく、空から火の雨が降り、ものすごい規模で火薬が爆発するような戦争だった。そして火山の噴火、大地震、大津波、そして人々の日常生活が瞬間冷凍されるなど、背筋が寒くなるようなもので、それよりもそのような人災・天災の災害に、阿鼻叫喚となって逃げ惑う人々の姿にイェースズは涙せずにいられなかった。そんな人々が火で焼かれ、大津波に飲み込まれていく姿がどうにもいたたまれずに、イェースズは全身を振るわせながら、嗚咽とともにその場にうずくまった。
しばらくしてから顔を上げると映像はすでになく、黄金に輝く龍の姿と、周りすべてを埋め尽くす光の洪水があるだけだった。
「こ、これは……、未来の姿なんですか?」
あまりのむごさに、イェースズはそれだけだしか言葉を発せられなかった。神の声が響いた。
――これまでも神々の都合により、地上全体を泥の海と化せしこと幾たびかならん。されど、我が仕組み即国祖三千年の仕組み終りて天意が変わり自在の世より限定のみ世なる時に、本来なれば人類そのままにてその時を迎えさせてやりたきが神の情けなり。されど、このまま人類の物質欲行き過ぎて、「我善し」の身欲のみに生きんとする人々があふれ、神の大調和の波調と波調が合わずなりて、ただ地を汚すのみの存在となれば、神、ひたすら泣きながらも本来の神の子を大掃除せずんば得ざる事態となるを憂れうるなり。今、汝に見せし幻は今のままにては避けるを得ざる事態にして、今後の人々の目覚めと実践によれば、回避もまた可能なるものなること忘るべからず。天意の転換は神が仕組みしものにて、これまでの火と水のほどけたる世より十字に組まるる世へと転換するを天意転換と申すなれど、やむを得ざる大掃除の火の洗礼の大峠は神が仕組みしものにはあらず、神より勝手に離れし人類の自ら招来せるものなり。ここに、人類の魂の輪廻転生も終り、見込みなきものは魂の抹殺さえ起こり得るを知れ。信心大切よ、そして神向き大切よ。汝もただ精進し、己をさらに昇華せざるべからす。この大掃除終りて神の転生再生してきたものにてあれども、それより後はその転生再生すらなくならん。神は、神の子が一人残らず救わるるを望むなれど、人類より勝手にその救いの手を払いのけるならば、何をか言わんやとなるなり。
全くその通りである。神様も好きで天変地異を起こされるわけではない。神経綸成就のために葉、地上天国建設のためには、一度どうしても穢れきった世を大掃除しないといけないのだ。それが大神様の清浄の発願だが、そのための火の洗礼の大峠を、人類が神より離れずぎるために迎えてしまう。神様は神の人類を、もっともと愛したいに違いない。その愛する神の子人類を焼き浄めねばならぬというのは、神様にとって断腸の思いだということもひしひしと伝わってきた。本来は、親である神様のお喜びになることをするのが子である人類の務めである。それなのに逆に、悲しませ申し上げている。神様が人類を創造し、至れり尽くせりの大仕組みですべてをお与え下さり、大愛の中で育み、生かして下さっている。その神様に生かされているという御恩に報いるどころか、その神様を足蹴にしているのが今世人類なのではないだろうか。そう思うとまたイェースズは、申し訳なさで次から次へと涙があふれてくるのだった。そのお詫びと、生かされていることへの報恩感謝の証として何がさせて頂けるのか、自問するイェースズだった。
――されどまた、汝にだけは告げおかん。これ、重大因縁の秘め事にして、中つ神々もまだ知り得ざることどもにてあり。その大掃除に生き残りしもの、あるいは死しても仮死でマコト第四の界・幽界にはのぼらざりし者も含め、一度は既に半霊半物質なりたる体に戻るなり。すべての神を求むる神の子が、一人たりとも業火に焼かるることなく御経綸成就致し次ぎ世の種人となりてともにミロクの世を建設せんことを望むなり。この地の上は間もなく宇宙に向かいて次元を越えての航行するなり。前に光一つ上ぐると申せしも、このことよ。さらに、これまでの第三の世にはあらずして第五の世にと地上すべてが次元上昇致すなり。いよいよ神策の成就よ。地上天国、ミロクの世よ。この方、この地の霊界の岩戸を開け、封印が破られる時近し。その時に、すべてが始まるなり。立て! イスズ。立ちて、御用努めよ。
次の瞬間、イェースズはもといた地上へと戻されていた。ところが、驚いた事に、それまで峠の向こうは一面の霧だったのに、その霧が晴れていく。
そしてイェースズは、目を見張った。そこにはトー・ワタラーよりも少し大きい湖が横たわっていた。その神々しさに、イェースズは言葉を忘れていた。空も晴れた。そして気がついたのは、湖の真ん中にまるでと同様の小さな島があった。イェースズはこの壮大な眺めにのみこまれそうになりながら、そのまま帰途に着こうとしていた。だから見せられた幻がものすごい衝撃で放心状態になって、なかなか歩が進まなかった。
イェースズがオピラ・コタンに帰りついた時は、ちょうど雪が積もり始めた頃だった。そして一年に一度の大行事の、イヨマンデの祭りが近づいて来ていた。祭りの支度で飛び交う男たちや急に装いはじめた娘たちでにぎわい、さらにここ数日好天続きとなった。
祭りの前夜には篝火が炊かれ、火の粉が夜の闇に舞った。それが前夜祭の饗宴である。ご馳走と酒が振舞われ、人々は歌って踊った。特に初めて見るミユはとても興味深そうに、あれこれと無邪気にイェースズに質問していた。
「この祭りは、熊の祭りなんだ。冬は飯倉に貯えられた米のほかに、熊の肉が重要な栄養源になるんでね、その殺された熊の魂の鎮魂のために、山から頂いた子熊の魂を神様に送るんだ」
「神様に送るって?」
「明日になったら分かるけど、たとえどんな内容でも、ここの人たちの伝統文化なんだからあれこれ言わないようにね」
と、それだけをイェースズは言っておいた。
翌朝、広場には祭壇が設けられ、村中の人がそこに集まり、やがて人々の輪の真ん中に子熊が引かれてきた。
「わ、かわいい。ねえねえ、熊、見に行こう」
無邪気にミユはイェースズの手を引いたりするが、この子熊のこれからの運命を知っている彼はミユには見せたくないと思っていた。果してミユは、行事の途中から席をはずした。無邪気に遊ぶ子熊に弓が射られ、首がしめられ、ばらばらに解体される様子は正視に堪えなかったのだろう。
イェースズの故国でもエルサレムの神殿で生け贄の小羊の血が流される。神がそのような行為を要求しているかどうかは別としても、人々は神のためよかれと思ってしていることであり、その赤誠が神様には通じるのだと、ふさぎこんでいたミユにイェースズは説明した。また、自分の民とは違う民が、自分たちと違うことをしたからとてそれを否定してはいけないとも言った。神様はいろんな文明をこの世に降ろし、単一の単色ではなく、いろいろな文明が錦を織り成す立体的な文明をご覧になりたいのだということも説明すると、ミユは納得していた。
そしてイェースズは思った。今はまだ熊だからいい。やがて天の時が到来したら、全人類の上にもっとむごいことが降りかかるのである。
祭りはクライマックスを迎えていた。解体された子熊は毛皮は男たちによってたたまれ、肉と内臓は素早く女たちによって調理される。そして頭の骨はヌサに供えられ、神に捧げられる。そして、村の中心の建物の屋根の上には若い衆が一人昇り、四方八方に向かって団子をまく。子供たちは、これを一番の楽しみにしているのだ。そうして、祭りは終わっていった
やがて雪に閉ざされる季節も終り、ゆっくりと北の国にも春が訪れようとしていた。ミユがふさぎこんだのは祭りの日だけで、もうその翌日からは村人と共に天真爛漫な笑顔で生活を続けていた。兄のスクネも、ヌプと意気投合しているようだった。
日一日と雪も溶け、陽射しに温かさが感じられるようになった。思えば二年前の今ごろはエルサレムにいて、十二使徒に囲まれていた。あれからわずか二年しかたっていないのにこれほどまでに境遇が変わると、エルサレムでのことが遥か遠い昔のことのように思えてならなかった。
雪もかなり薄くなり、もう春もそこまで来ていると感じられた。
「屋根の雪を下ろすのも、もういらぬな」
ヌプの父がぽつんとつぶやく。イェースズはコノメハルタツの日もそろそろだと知り、その日が来るとスクネやミユ、そしてヌプとウタリであの丘の上野皇祖皇太神宮分霊殿にて神祭を執行した。艮の真主の湖で自身が邂逅した御神霊、国祖の神が超太古、第四の界の大天底に大天津神々を勧進申し上げて執り行った神霊界最初の神祭りが立春の祭りである。しかしこの村の村人は、そのような天祖・人祖をお祭りすべき太古の神祭りの存在すら知らず、ただの平日として暮らしている。だがまだこの国の西の方の人々のような、恐るべき豆まきをしないだけ救われていた。
その祭りも済んだある日、前の日までニコニコとイェースズと話していたミユが、急に無口になった。
「ミユ」
家の中でイェースズが呼びかけてもそっけなく返事をして、ミユはつらそうに腕を枕に前かがみに伏せた。
「どうした?」
「何でもない。大丈夫」
ふとイェースズは、ミユの額に触れてみた。
「おお、熱が出ているね」
その声に、ヌプがすぐに飛んできた。ヌプの父も、顔を出した。
「ミユが熱を出したって? すぐ薬師を」
ヌプの父が家から出て行こうとしたが、イェースズはそれを呼びとめた。
「クスリなんていりませんよ」
イェースズはなるべく心配の念を出さないように気をつけながらも、外見は心配しているふりをして、ミユの額に手をかざしてパワーを注入していた。
翌朝、ミユはけろっとしていた。
「お兄ちゃん。元気になったよ。有り難う」
ミユはただそれだけをイェースズに言うと、さっさと外に行ってしまった。
そしてそれを境に、ミユはあまりイェースズと口を気かなくなった。まさしく態度異の急転硬直化ともいえる状況で、話しかけても、
「なに?」
と、そっけなく言うだけであり、話を聞こうともせずにいってしまう。それでいてヌプやウタリ、そして自分の兄のスクネとは相変わらず無邪気で愛想のいい笑顔でこれまでと変わらずに接していた。
だがイェースズは、気にもとめなかった。ミユの心の中をすでに読んでいて、それは喜ばしいことだと思っていたからである。
それからしばらくミユとイェースズは、同じ家の同じ屋根の下で暮らしながら、ほとんど会話のない日々となった。そんなある日の朝、散歩に出たイェースズは村のはずれでこの年初めての紫色の花が咲いているのを見つけた。
その時、背後に人の気配を感じた。振り向くと、ミユがいた。ミユはイェースズにニッコリと笑った。久方ぶりにイェースズに向ける笑顔だった。
「お兄ちゃん、話があるの。家に戻って」
「話って、何だい?」
分かりきっているイェースズも、わざととぼけた。とうとうミユも打ち明ける気になったか、その時が来たかと、イェースズはミユに体する祝福の気持ちで嬉しくて仕方がなかった。
ヌプの家に戻ると、もう面々は顔をそろえていた。真ん中にミユが座り、ヌプもヌプの父も妙に神妙だ。ウタリだけがいつもの調子で、
「あ、戻られた」
と、イェースズを見て叫んでいた。
「どうしたんだい? みんな集まって」
「どうした」のか知っているイェースズも、わざと何も言わなかった。イェースズはヌプを見て、微笑んだ。
「自分から、話します」
と、ヌプが顔を上げた。そしてヌプは、イェースズを見た。
「大事な話があるんです。実は」
そこまで言って、ヌプはその先の言葉が言い出せない様子で、口の中でもごもごしていた。イェースズはヌプが言わんとしていることをあえて知らぬというふりをして、ヌプの言葉を待った。ヌプの父が痺れを切らしたように、真顔でヌプに代わって切り出した。
「実はこのミユを、せがれの嫁にということで」
「え?」
イェースズはわざと驚いて見せて、ヌプとミユの顔を交互に見た。ミユははにかみ、笑みを含みながらも下を向いて黙っていた。
「そうか、そうか」
イェースズは笑って、目を輝かせた。
「先生、ご異存は?」
ヌプの父が恐る恐る尋ねた。
「異存など、あるはずはありませんよ」
イェースズが笑うと、ヌプもミユも心底からの笑みを漏らし、それをウタリが横目でからかっていた。それを見て、イェースズは高らかに笑った。ヌプの父もやっと笑顔になって、胸をなでおろした。
「ああ、よかった。ミユの父親代わりの先生にお許し頂ければ」
「父親代わりというには、私はまだ若すぎますよ。ミユとは十一、二歳くらいしか離れていないのに」
「先生、申し訳ありません。今まで言い出せなくて」
ヌプが頭を下げると、ミユも同じようにペコンとして、
「ごめんなさい」
と、付け加えた。
まだまだイェースズの中で幼い少女の頃のイメージがぬけないミユが嫁ぐのであるから、何か不思議な気分だ。ヌプとて、ヌプが少年の頃からの付き合いである。あのイヨマンデの祭りの頃からミユの態度がおかしかったのは、ヌプとこういうことになったのに自分に言い出せないでいる罪悪感と照れからだということはとっくに見抜いていたイェースズだったが、あらためてこういうふうに打ち明けられると嬉しくもあった。
「でも、ちょっと待ってくれ」
イェースズは、そんな空気の中に水を一滴落とした。話は、ヌプの父に向けてだった。
「私がいいと言っても、私は親代わりとはいえ親ではありませんからね。やはりこういうことはミユの本当の父親であるミコ様の知らない所で話を進めるのはまずい」
それは正論だが、でもどうやってミコの了承を得ればいいのかと誰もが想念の中で訝っていた。そこでイェースズは、ひざを打った。
「まずヌプは、直接ミコ様にお話するべきだ。そして私も、いっしょに行こう」
「行くって、父山にですか?」
「そう」
「え? お兄ちゃん、有り難う。私も行く」
ミユの言葉に、イェースズは首を横に振った。
「今、あそこは危ないということは、ミユが一番よく知っているだろう。ミユはとりあえず留守番していなさい」
「え、そんなあ」
少し頬を膨らませたミユだったが、
「大丈夫。すぐに帰ってくるよ」
と、優しく言うヌプの言葉にうなずき、それを見ていたウタリが今度は声を上げて本格的にからかいだした。それからウタリは、
「僕も行きます」
と、言った。
「いいよ」
イェースズはすぐに承諾したが、そいのあとに、
「僕も行きます」
と、言ったスクネには首を横に振った。
「君は残って、ミユを守るんだ」
そしてイェースズは、もう一度ヌプとウタリを見た。誰かが幸せになっていくがイェースズはいちばん嬉しかったし、それが崩れざる幸になるように祈るばかりだった。
「夫婦とは火と水、つまりタテとヨコの結び合いだ。だから、まず地上天国の最小単位としての、愛和の家庭を作る責任があるよ」
ヌプもミユも、大きくうなずいていた。
今回の旅も、海路を取った。南に向かうとあって、海上を進めば進むほど春になっていく。そしてイェースズとヌプ、ウタリの三人を乗せた船がミコの住むオミジン山のある海辺の盆地のあたりに近づくと、陸の上では所々で木に薄い桃色の花が一面に咲いているのも見えた。海にそのままなだれ落ちる巨大な山脈の上はまだ白い冠があったが、そこを通過すると途端に春真っ盛りとなった。
そのまま、夜を待って上陸した。幸い月があったので行動に不便はなかったが、水田には今は何もない状態なので気をつけないと人目についてしまう。かといって、つきがなかったら身動きができない。
明け方近くに御皇城山にたどり着いてそのまま山に入ったが、この間までミコの一家が住んでいた穴居は完全に塞がれていた。ヌプもウタリも慌てていたが、イェースズが落ち着いて周りをよく見ると、ほど近い岩肌にもう一つの新しい穴があるのを発見した。
そして三人の話声が聞こえたのか、
「おお」
と、言ってミコが出てきた。
「誰が来たのかと思ったら、君たちか」
「ミコ様」
イェースズの表情がパッと輝いた。ヌプもウタリも安堵の表情を見せていた。
「びっくりしただろう。前の穴は御神宝といっしょに塞いでしまったよ。今はわし一人が寝るのに十分な、この穴に住んでいる」
ミコはひとしきり笑った。穴は確かに奥行きも人が一人寝られるくらいしかない。それからミコは、少し真顔になってイェースズを見た。
「ところで、どうしたんだ? 急に」
「あ、実は」
と、言って、イェースズはヌプの背中を軽く押して前に出した。
「実はミユとこのヌプがいっしょになりたいということで、それでミコ様のお許しを頂かなくてはと思いまして」
「ほう。それで、わざわざ」
ミコの住む穴は狭すぎてこの人数は入れないので、まだ明けやらぬ林の中での立ち話だった。
「とりあえず、かけたまえ」
ミコは、近くの岩を示した。自分はそのそばの木の切り株に座った。
「そうか、なるほど」
「どうでしょうか?」
ヌプは照れてうつむいている。ミコはそんなヌプを見ながら、ゆっくりとイェースズに言った。
「いいだろう。いずれは嫁に出さねばならぬが、ここにいたらそれもかなわぬかもしれないと心配していたんだ」
それからミコは、ヌプの手をとった。
「娘を頼む。そしてわしの娘の血を子々孫々に伝えていってくれ。君の子孫はミコの跡と呼ばれることになるからね」
やっとヌプは、ミコに笑顔を返した。ミコも笑顔でうなずいてから、三人を見た。
「穴はわし一人で満員だけど、この林の中は誰も来ないから、安心してゆっくりしていきなさい」
「はい。有り難うございます」
イェースズはニッコリと微笑んだ。だが、ミコの言葉ではあったが、春とはいえ夜はまだ寒く、三人は目的を果たしたということで、その日の夜にはまた船に戻って翌朝早く出航する事をミコに告げた。
日もかなり高くなり、ミコにイェースズがそれを話していた時だった。ミコを含めてイェースズの周りのヌプやウタリも何かの衝撃を感じたらしく、驚いたような表情になった。その時、イェースズには例の声が聞こえていた。
――西へ行け。やがておぬしの神魂も明かされよう。さすれば、おぬしはもはや神と一体となり、おぬしの御神業の範囲は神霊界にまで広がるならん。
イェースズはそのままミコを見て、
「私は帰りません。西へ行きます」
と、言った。ヌプとウタリは、さらに驚いた顔をしていた。
「先生、いっしょに帰らないんですか?」
「西へ行くといっても、この島国の中の西へ行くんだ。君たちは二人だけで船で帰りなさい。それからヌプ」
「はい」
「私が帰るのを待たなくていいから、ミユといっしょになりなさい。君の民のやり方でいい。お父さんに祭式してもらうんだ」
「有り難うございます」
それからイェースズがミコを見ると、ミコはイェースズの目を見て言った。
「いいことだろう。前にフトマニ・クシロを張り巡らせとこい言ったが、この国は世界の縮図だから世界のために重要な場所もある。今のこの国の状況など一応無視して、心の通りに歩いてくるがいい」
夕方、海の方へと向かうヌプとウタリの二人を、イェースズはミコとともに見送った。それからイェースズは一晩、林の中で寝た。そして朝になったらいよいよ出発だ。ミコに別れを告げ、単身になったイェースズは新たな旅路を開始した。