7
七日間の禅定が終わって精舎に戻ったイェースズを待っていたものは、ウパー・サンパラと呼ばれる三百四十八もある戒律だった。まず、あらかじめ聞いていた三つの誓願の言葉を何度も唱えさせられた後、イェースズは精舎の中でもひときわ高い所に作られてる小部屋へと通された。
薄暗い部屋を蝋燭の明かりだけが灯し、体臭を消すための香が煙いほどたかれた部屋だ。その部屋の中にはビチャパチをはじめとして、三人の長老やさらに七人の僧がいた。イェースズが入ると、ビチャパチは静かに席を立った。
「ローマの僧、イェースズ。これから、そなたの入門式を行う」
厳かに言い放ち、ビチャパチは一つ咳払いをした。
「われらが世尊は、ニルマヤカーナのブッダである。つまり、われわれ凡夫を超越した存在である」
そのブッダというのは、かつてゴータマ・シッタルダーと名乗っていたクシャトリヤだと聞いている。
「そのブッダのお導きのもと、行を通して自己を完成させるのが、このサンガーでの修行の目的だ。そなたは今、入門を志してきた。これから三長老と七人の証人僧の前で、請願を立ててもらう。まず、入門資格の十三項目だが」
ピチャパチは早口で、十三の資格のチェック項目を言い渡した。その中には、今のイェースズには抵触する項目もいくつかあった。まず、年齢が二十歳に達していることだ。まだ彼は十六歳でしかない。また、両親の賛成を得られているかという項目もあった。しかし、いずれもイェースズが遠い異国の地からたった一人でこの国に来ているという特殊な境遇によって、特別な許しが下りた。それからイェースズは、三百四十八項目にもわたるウパー・サンパラの戒律を授けられたのである。
頭もきれいに剃られて入門式が終わった後、ビチャパチは七人の僧のうちから特に若いバラタ・アラボーというものを選び、イェースズに精舎の中を案内するように命じた。
そこは雪の山脈が見下ろし、陽光が降り注ぎ、全体が一つの楽園のようだった。青い空には、雲がいくつも飛んで行く。
竹林と草原の境あたりを歩きながら、イェースズは陽光の中の赤煉瓦の精舎の建物に目を細めた。
「ここでは、どんな修行をするのですか?」
目の前をゆっくり歩くアラボーに、イェースズは尋ねてみた。
「精舎の中での講義と、竹林の中でのそれぞれの瞑想、そして町への托鉢と説法です。でも、もうこれから雨季になりますから、精舎の中での講義が主となるでしょうね」
そう言ってから、アラボーはイェースズの方を振り向き、
「バラモンのような肉体苦行はありませんから、安心していいですよ」
と、言って笑った。
イェースズもやけに涼しくなった自分の頭をなでながら笑って歩いているうち、二人が出くわしたのはひときわ高くそびえる塔だった。
「バラモンの寺院のシカラとは、ずいぶん形が違うんですね」
イェースズは、塔を見上げて言った。塔そのもの自体、バラモン寺院のようにシカラとはいわず、ここではストゥーバーというらしい。砲弾のような形のシカラとは違って丸く椀を伏せたような形の上に輪が重なった棒が空を突いているストゥーバーの周りには、やはりぎっしりと彫刻がなされていた。その彫刻を見ながら二人は塔の周りを回った。彫刻もシカラのようなただ神像を数多く刻んでいるだけでなく、一回りで完結する一つの物語を表していた。そのことをイェースズが言うと、
「さすが、よく気がつきましたね」
と、アラボーはイェースズの目を見て言った。
「これは、偉大なる世尊、ブッダの誕生とその生涯の物語が刻まれているんです」
一つ一つの彫刻の画面に合わせ、アラボーはイェースズに説明してくれた。
「これがブッダのご誕生の時。当時コーサラ国といわれた国のシャキープトラー族の城、カピラヴァーストのルンビニーの園でブッダはお生まれになったんです。ブッダは城主シュット・ダーナー王の王子としてお生まれになったので、世継ぎとして華やかな生活をされていたそうですが、人間の四つの苦しみ、すなわち生老病死ということに悩まれて、城も妻子をも捨てて出家されたということです。それがこの彫刻ですよ」
次の場面の彫刻へと二人は歩を進め、さらにアラボーは説明を続けた。
「ブッダはさまざまな苦行をされましたがそれでは悟りを開くことはできず、さっき長老の話にもありましたようにスジャータという娘が差し出した一杯の牛乳で中道ということを悟ったのです。そしてこの彫刻にもあるように、さまざまな悪霊、ラークシャサなどの誘惑に打ち勝って、」
アラボーはまた、歩を一歩進めた。
「このようにサルナートのビパラーの木の下で悟りを開かれたのです。こうしてはじめはわずか五人の弟子で始まったブッダ・サンガーでしたが、ブッダの教団設立以来約五百年、その間アショーカ王などの保護もあってここまで成長してきた訳ですよ」
感心したようにイェースズはいちいちうなずきながら、もう一度竹林の間に広がる精舎の広場を見渡した。
「最初はヴェル・ヴェナーと呼ばれる精舎から始まって、ブッダ御在世中にはジェッター・ヴェナーへと発展し、現在ではこの国だけで数百個所に精舎はできています。そう、あなたのようなローマのビクシュもいたことも多かったと聞いています」
「え? 僕だけじゃないんですか?」
「この国はお国のローマとは交易が盛んで商人がたくさん来ていますが、かつては道を求めてはるばる修業をしに来た人もいたようです。ちょうど、あなたのように」
「そういった人たちはみんな、はじめからこのサンガーを目指して来たのですか」
「いえ、最初はバラモンの寺院に行った人も多かったようですね。でもあの閉鎖的なバラモンの社会で、異国の僧が修行するのは大変なことではないですか? あなたもそうでしたでしょう」
「確かに」
実感を込めて、イェースズはうなずいた。
「でもこの国は異国人というだけでなく、同じ国の民でも階級が違うと決定的に違う目で見るんですね。そんなのは僕の国でも同じですから、これではわざわざこんな遠い国まで来た意味がないと思って、僕はバラモンの寺院を飛び出したんです」
「このサンガーでは人種、国境、階級、さらには男女の差別さえ一切ありませんよ。ですから過去においても異国の方は、この国ではバラモンの寺院ではなくこのブッダ・サンガーに身を寄せるしかなかった訳です」
アラボーの言うこと一つ一つが、イェースズにはもっともに思われた。この教団への疑問は確かにあるが、しかしバラモンたちよりは遥かにイェースズの普段の考えに近いようだ。
イェースズは、胸の中からうれしさがこみあげてくるのを感じた。ゴータマ・シッタルダーという一人物を崇拝しきってしまっていることや、修行の究極的目的を個人の悟りに帰していることなどは腑に落ちないが、それらのことはいずれ問いただしてみようとイェースズは腹をくくることにした。
「そういえば」
アラボーは、不意に言った。
「昔サンガーにいたことのあるお国の方の中でいちばん有名なのは、カリヤーナという長老だったといいますが、聞いたことがありますか」
「いえ。その方はまだはどこかにおられるのですか?」
「いえいえ」
アラボーは笑って、首を振った。
「もうとっくに亡くなっていますよ。だって、二、三百年も昔の人ですからね」
「ああ、なんだ。そうですか」
「その方は、たしかはローマでのお名前はカラーノスと言いましたっけ」
その名を聞いて、それはギリシャ人だとイェースズにはすぐに分かった。この国ではユダヤもギリシャも、全部ローマになってしまう。
そんな話をしているうちに、二人はストゥーバーの周りを一回りした。最後の彫刻は、ブッダとおぼしき人が台の上に横向きに横たわり、多くの弟子がそれを取り巻いているというものだった。
「これは?」
「ブッダがニルヴァーナに入られた時のものですよ」
「ニルヴァーナとは?」
「ブッダはクシナガラの地でニルヴァーナに入られたのです。そして第四の界、すなわちトゥシタ界の内院に誕生され、やがては再びニルマナカーヤのブッダとして下生されるということです」
「ああ、亡くなったということですか」
「違いますよ!」
いつになく、アラボーの目は険しくなった。
「ブッダは亡くなったのではない。ニルヴァーナに入られ、トゥシタ界にお誕生になられたのです。やがて時が来れば、ジャブ・ドウバーのケントマティに再来されるはずです」
「しかし僕は、ブッダはいとこのデーヴァダッタに追われて逃亡し、シンハダ国で行き倒れになっているところを弟子に発見されたと聞いていますが」
「とんでもない。そんな話、私は聞いたことがない!」
きびしい眼つきで、アラボーはイェースズの眼を直視した。
「ブッダほどのお方が道で行き倒れになって死ぬなんて、そんなことはあるわけないでしょう!?」
そう言われてみれば、確かにそうだ。イェースズにとっても、実はその点が引っ掛かっていた。しかし今ここでこれだけ二つの話が食い違っている以上、追及しても無駄なのではないかという気がしたのでイェースズは黙った。
何日かが過ぎていくうち、イェースズはここは住みやすい場所だと感じるようになってきた。修行僧のビクシュたちはだれもが柔和で、親切だ。常に笑顔が絶えない。バラモンの寺院では考えられないことだった。町に托鉢に行っても、サンガーの僧に対するバイシャやスードラの態度は、バラモンに対するそれとはまるで違って温かく布施をしてくれる。実に調和のとれた世界た。
ただ一つ、イェースズが閉口したことがあった。このサンガーの人たちの極度に哲学的な議論と講話で、決してそれで論争をする訳ではないが、その難解さときたら頭がこんがらがるばかりであった。
入門の時に渡された多くの書物は、素直に読めば「ああ、なるほど」と分かる。しかしひとたびその解釈を先輩に尋ねると、びっくりするくらいの難解な回答が返ってくる。そういう点、ヴェーダを盲信していたバラモンたちの方が素直だったかもしれない。彼らは「ヴェーダにこう書いてあるから、こうなんだ」の一点張りだったからだ。
一つの例として、イェースズは入門式のときに聞いた三仏身、すなわちダルマカーヤ、サンボガカーヤ、ニルマナカーヤということがいまひとつ分からなかったので、この点を先輩の層に質問してみた。質問には明るく対処してくれる。それはいい。その点、「いらぬ疑問を持つな」のひと言で片づけられたバラモンの寺院とは違う。しかし、問題はその回答だ。
「ダルマカーヤのブッダ、すなわちマハー・ベイロシャナーとは絶対なる理体で、諸仏の自性、中道の理体だよ。それは永遠に不変不滅な万有の実体、つまり法性とか覚性とかいうものなのだ。サンボガカーヤとは修行時代の諸願行が酬報を得て成就したところの万徳円満の仏身、すなわち因願酬報の仏身で、ニルマナカーヤとは報身仏を見ることができない下根劣機の衆生のために、応同顕現する仏身ということだよ。分かったかね?」
分かる訳がない。何を言っているのだか、イェースズにはさっぱり分からない。余計に、頭はこんがらがるだけだ。まるで、うまい宣伝文句に乗せられているような気さえしてきた。
また、僧たちが毎朝集まって唱和する、短いスートラがある。その「アタ プラジャナー パーラミター ヒルダヤ スートラ」の中に、次のような一節がある……「かの五つの元素は本性として空不実のものであると観ぜられた」……「今やすべてのものは空不実の性質を有するものにて」……などの一節に出てくる「空不実」についても、イェースズは質問をしてみたことがある。
「それは、虚しいもの、つまり無だ。あるかと思えば無い、しかし無いといえばあるという実体のないものでな、すべての存在するものの構成要素は実体が無いということを言っているんだ」
こうなると、それを答えてくれた人自身もはっきり分かって言っているのかどうかさえ、疑問になる。本当は分かっていないのに難解な語句を並べることによって自己陶酔しているのではないかと、その人が哀れにさえなってくる。
本当にゴータマ・ブッダという人はこのような教えをクシャトリヤやバイシャに説いて、人々を教化したのだろうかとイェースズは疑問で仕方が無かった。どうしてもそう思えないのだ。イェースズには、自分で納得したつもりのことをそのまま民衆に説いても、民衆には理解してもらえなかったという苦い経験がある。だから、先ほどの先輩のイェースズに対する回答のような難解な理屈を民衆に説いたところで、人々の心をつかんでこれだけの教団を打ち立てることは、いくらブッダであっても不可能であっただろうとイェースズは思うのである。
そこで、手渡されたブッダ・スートラについて、イェースズは先輩に尋ねてみた。そうすると、ゴータマ・ブッダ自身が著した書物というものは、一冊もないとのことであった。最初のスートラが書かれたのはブッダの滅後九十日目に第一回の結集が行われ、ヴェル・ヴェナーの洞窟に弟子のマハー・カシャパー、ウパリ、スゴティー、マハー・カチャナー、アサジ、マンチュリヤー、マイトレーヤー、アヌルッダ、アナンダ、テイシャー、ウパシカらが集まって、それぞれのブッダの言葉の記憶を出しあって編纂されたのだという。だから多くのスートラの書きだしは、「私はこのように聞いている」で始まるのである。つまり、すべてが伝聞なのだ。第一の問題として、その伝聞しているものが、ブッダの教えを真に理解していたかということがある。人知による解釈やさまざまな曲解が、そこにはつけ加えられよう。ましてや、多くのスートラは第二回、第三回の結集で編纂されたものだ。こうなると、ブッダの入滅後何十年、何百年とたっていることになる。
長老にものを聞いても頭が痛くなるだけなので、イェースズはアラボーと話をしてみることにした。彼ならイェースズより四つぐらい年長なだけで、まだ若い。
竹林の中の適当な石に二人で腰をかけ、イェースズは空を見上げた。空は一面に曇っている。今にも泣きだしそうだ。
「ここで勉強するのも、いろいろ大変です」
と言って、イェースズは笑った。
「まだまだ分からないことが多すぎますよ」
「ブッダの教えは、奥深いものですからね。でもあなたは私たちの知らないあなたの国の教えも知っていますから、少しは違うのではないですか?」
「いえ、それだけに余計に疑問が生じるんです。まず、ここでいうベイロシャナーという御方と人間とのかかわりですよ。僕の国では、神様がご自分の姿に似せて人間を創られたとはっきりと教えられていますけど」
「人間の魂は何度も生まれ代わっては死に換わり、この現世と来世を往復しているものだというのがブッダの教えです」
「それは僕の国でも、特に僕の家族が所属しているエッセネという教団ではそう教えています。人の魂は何度もこの世に再生するって」
「そうです。それが輪廻転生です。それがありますから、この世でのすべての結果は前世に因縁があるんです」
「ええ。ただ、僕が知りたいのは最初の最初、何度も輪廻転生する前の初発のことを、ブッダはどう教えておられたのかということです」
「人間とて、自然の一部ですよね」
ため息まじりに、アラボーはつぶやいた。イェースズはそのことに関しては異論はないが、イェースズの問いかけに対するアラボーの答えはただそれだけのようだった。イェースズはもう、それ以上の問いを発しようとはしなかった。
その時、二人の背後の竹林の中にたたずんでいる人がもう一人いた。長老のビチャパチ尊者だ。彼はずっと二人の話に耳を傾けていたが、イェースズもアラボーもそれには気づかなかった。
考えてみれば故郷を後にしたのが十三の時で今はもう十六だから、イェースズがこの国に来てから三年が過ぎたことになる。これから始まる雨季が終われば四年目になるということを、イェースズは精舎の泉のほとりで禅定を組みながら何気なく考えていた。そしてこの三年間、この国で自分が何をしてきたのかも一つ一つ点検してみた。しかし、ただ出来事が走馬灯のように駆け過ぎるだけで、本当になすべきことをしてきたのかどうか自信が持てない。それでも色々あったのひと言でくくってしまえば、若干の満足感はある。なかなか有意義な時間だったと思う。
しかし、まだまだ未来もある。
今ここで、ブッダ・サンガーという新しい環境を与えられた。これからここで何をするのか、何をするべきなのか、イェースズは心を調和させて熟慮してみることにした。この精舎では、心の調和による自己の完成を目指して誰もが修行をしている。それはアラハンの境地と、生きながらにしてシュバラーと化し、やがては死後にトゥシタ界の内院浄土に生まれ、輪廻からの解脱を図るための修行なのだ。そのこと自体は、バラモンと何ら変わりはない。ただ違うのは階級がないということと、バラモンのような肉体行ではなく、禅定という心行が中心であるということだ。
心の調和、八正道という正しい心の物差し、中道の心……どれも間違ってはいないだろう。心というものを無視し、肉体が主体、物質主体、目に見えるものしかあてにしない一般の民衆よりは、はるかにましだといえる。しかしサンガーの人たちが心、心と強調するのを聞くにつけ、イェースズにとっては心よりももっと奥のもっと根本的なものがあるような気がしてならなかった。また、自己を完成するためだけの修行には、何ら愛が感じられない。そこのところも、イェースズにとって腑に落ちないことだった。人に説法するためではなく自分の疑問を解決するためだけに禅定をしていても、偉大な光明の叡智は何ら回答を与えてはくれない。つまり、叡智はそこまでは甘やかしてはくれないのだ。
昼過ぎから、ビクシュたちは一丸となって町へ出た。始まりかけている雨季に備えて、その間の蓄えをするための托鉢だ。また、折に触れて、民衆に説法もすることになっている。
ここに来てから何日かたってすっかり打ち解けていた十数人の先輩と一緒に精舎を出たイェースズは、町の入口で彼らと別れた。ここからは、それぞれが一人ずつになる。
先輩たちといっても、彼らはイェースズを新参者だからとか若いからとかで差別したりはしなかった。古参、新参というだけで人を色分けするのは、ブッダ自身が大いに戒めていたことだという。年が若いといってもそれは今生だけのことであって、前世では必ずしも年齢の上下が同じであったとは限らない。今の大人から見た幼児の魂が、前世では逆にずっと大人だった可能性もある。だから、そのようなことで人を断定するのは馬鹿げたことであり、心の状態こそがすべてだとブッダは教えたのだということだった。
イェースズは一人で、やはり雨季に備えてあくせく働くバイシャやスードラの中に立った。精舎を一歩出ると世界はこうも違うものかと、イェースズはあらためて気づかせられる思いだった。人々の目に生気がない。ただ黙々と、何が目的なのかも分からないように働いている。彼らは自分の人生の目的をどのようなものだと考えているのだろうかと、ふとイェースズは思った。常に民衆の中にいて、民衆とともに生き、民衆の側に立って真理をつかみたいと思っていたイェースズにとって、自分と民衆との境遇の違いが衝撃となって襲いかかってきた。自分は、あまりにも民衆を知らなさすぎる。かつてシシュパルガルフ郊外の村でスードラと一年間寝食を共にしてきた時でさえ、本当の民衆の心はつかんでいなかったのではないかと今さらながらに感じられた。特別な一軒の小屋に入って生き神のように崇められ、ただ難解な理屈を彼らに押しつけていた。彼らの魂を真に開くこともできずにシシュパルガルフを離れなければならなかったのも、無理もないことだったかもしれない。
「坊さんや。もし、お坊さん」
老婆のしわがれ声が、そこまでのイェースズの思考を断ち切った。はっと我れに返って目の前を見ると、老婆が粥を布施してくれようとしているところだった。
「坊さんは、サンガーの坊さんじゃろう」
「あ、はい。そうですが」
「どうか、布施をさせて下せえ」
老婆の手は今にも折れそうな枯れ枝のようで、やはり目に生気がなく、厳しい表情には人生の苦労のあとが刻まれていた。
「おばあさん」
と、イェースズは話しかけていた。老婆は手を止め、イェースズの顔を見た。イェースズもさらに、その老婆の顔を見た。
「おばあさんは、どうしてそんな悲しい顔をしているのですか?」
「悲しい顔?」
「生きているということに、喜びはないんですか?」
「おっしゃっていることが、よう分からんのですがのう。ただ生きるため一所懸命働いて、働いて、働くだけですだ。ただそれだけで、ほかには何にもねえだ」
「何のためにそんなに働いているんですか?」
「なんのためって……働くことが生きていくことだ。働くだけで何も望みはねえ。悲しくても苦しくても、ただ働くだけだ。生きていくために働かなければなんねえ。働くことが終わったら、ブッダのもとで休むことだけたった一つの楽しみだで」
「そんな人生って……」
イェースズは言葉に詰まった。目の前で自分を見つめている老婆が、哀れでならなかった。
「働いて、それが苦しいというのは私には理解できません。人は本来働いているときが一番幸せなはずで、そうさせるのは希望ではないでしょうか。そうすれば、生活そのものが天国でしょう?」
いつの間にか、イェースズの周りには人垣ができてしまっていた。みんな同じように悲しみをこらえて働いている民衆たちだ。
「天国って極楽のことかい? それだったら、すっと西の方の空にある国じゃろう。ああ、遠い遠い。わしらにゃ遠い。そこへ行くには、何度も生まれ代わり死に換わりせにゃならん」
と、老婆は言った。
「違います!」
思わずイェースズは、大きな声で叫んでしまった。
「それは違います。天国って遠い所にあるものじゃあないんです。ましてや、空の上にあるわけじゃあない。この世と表裏一体なんです。要は心の持ちようと、魂の状態ですよ。そうすれば、生きながらにしてここは天国になるんです。神様は決して天国と地獄などというふうに、分けて造られたりはしていません。地獄というのは人間の悪想念、つまり悪い心が集まって勝手にそのような世界を作ってしまったんです。だから、心の持ちようで生きながらこの場が天国である人だけ死んでからも極楽に入り、地獄の生活を送っていれば死んでからもやはり地獄行きですよ。何度も言いますが、神様は人間を懲らしめるために地獄を造られたんじゃないんです」
「じゃあ、わしらはみんな地獄行きかの」
「誤解しないで下さい。そのようなこと言っているのではないのです。そういう意味ではなくて、たとえ貧しくても生きることが幸せに感じられ、働くことに喜びを見出し、愛の中で生活をしていれば、今の暮らしのままで天国です。あの世に天国を求めないで、今のこの地上を天国にしてしまうことが大切ですよ。この世で苦しんで死んでから天国へ行くことだけを目的として生まれてくるなら、人は初めから生まれてこなければいい。生まれて来たからには、死んでからというよりこの世で何か目的があるはずです。違いますか?」
「ようよう、お若いお坊さんよお」
人垣の中の黒い顔をしたスードラが、老婆の隣へと出てきた。
「お話はごもっともだがよ、あんたがたは坊さんの話を聞くたびにいつも思ってたんだけど、俺たちみんな必死なんだよ。ただ、その日一日生きるために必死なんだよ。愛だの希望だのってあんたがたはきれいごとを並べるけど、俺たちはかまっていられないんだよ。分かるかい? そんなこと言っていたら、野垂れ死にしちまうだ。でも、生きていかなきゃなんねえ。はいつくばってでも生きていかなきゃなんねえ。それで悲しくても苦しくても、歯を食いしばって働いてるんだ。へたな同情はかえって迷惑なんだよ」
意外にも厳しい世界であった。同じスードラでもシシュパルガルフのスードラは、まだ裕福な方だったのだ。
イェースズは言葉に詰まった。確かにほとんど苦労もなく両親の愛に包まれて育ってきたイェースズには、何も言うことができなかった。
先ほどのスードラは、まだたまって家を見つめている。その厳しい目つきは世間知らずのイェースズを頑なに拒んでいるようだ。その拒絶感の中に、いかに今まで自分が分かっていたようで分かっていなかったかを、イェースズは思い知らされた感じだった。ほかの群衆も、みな無言でイェースズを見つめている。
しかし、このような人たちであっても、心のあり方一つを変えればそれで救われることはできるのだという確信だけは、イェースズの心の中にあった。
「皆さん。お気持ちよく分かりました。でも、こんな話があるんで聞いてほしいんです。昔、ある人が畑を耕して生活をしていたんですけど、その畑は土地が痩せていて、毎日毎日、一日中働いてもやっと家族が飢えをしのぐくらいの収穫しか得られませんでした。ところがある日、一人の鉱夫が通りかかってその畑の持ち主に、『あなたの畑の下には、金や銀がどっさり埋まっていますよ。あなたは毎日その金や銀を足の下に踏んで、わずかばかり無駄に掘って作物を作っている。地面の表だけしか見ていないから、宝見えることもなく、わずかばかりの作物をとっているだけなんです。しかし、ずっと深く掘ってごらんなさい。そうすれば今のように、無駄に掘ることはなくなりますよ』と、言うのです。そこでお百姓は自分の畑を深く掘ってみると、そこには鉱夫の言った通りに金や銀が埋まっていたというお話です」
イェースズは、ふっと息をついた。群衆は静まりかえっていた。
「人は誰でも苦労して、土地の表を耕していますね。それは先祖代々そうしてきたからで、またそうすることしか知らないからです。でも鉱夫の言うことをス直に信じて、自分の心の奥ふかいところを掘り下げてごらんなさい。そうすれば、今まで知らなかった宝を見つけることができるでしょう。皆さんはその心の中に、自分では気がつかない愛と喜びという宝が埋まっているんです。ただはそのことを知らないで、それを足の下に踏みつけて働いているだけなんです」
群衆はざわめきだした。彼らが話を理解したのかどうかはよく分からなかったが、とにかく今言えることはそれだけだったので、イェースズはその場を後にした。その時のイェースズの心の中には、さきほどのスードラが言った「その日、一日を生きるために必死なんだよ」のひと言が、まだ衝撃とともに木魂していた。
雨季が始まった。イェースズはもう、この国の雨季には慣れていたが、去年もおととしも海に近い町や中原で迎えた雨季だった。しかし今年は違う。ずっと大陸の奥地の、白い壁のような山脈のふもとにある北の国で迎える雨季だ。従って、雨の量がまるで違う。ここでは滝のような、いや瀧そのものといっていいような豪雨になった。精舎の窓からわずか数メートル先の広場の反対側の森が、もう見えないのだ。広場はというと、ほとんど海だった。精舎の建物がぽっかりと浮かんだ船のようでもある。
こんな毎日が続き、ビクシュたちは精舎の中に缶詰めになっていた。雨に対する感傷など、湧いてきはしない。その豪雨は、人々に恐怖心を与えるだけだ。この日も二百人は入る講堂に、合図の梵鐘の音でビクシュたちは一斉に集められた。とにかく、時間にだけは厳しいところだ。合図の梵鐘で起床し、食事、禅定、講義とスケジュールは時間できちりと区切られ、遅刻は認められない。全く時間などというものが存在しないかのような錯覚を起こさせる悠久のこの国において、ここは特殊な信仰集団といえよう。乾季ならまだいい。太陽である程度時刻をあらかじめ知ることができるからだ。しかし雨季になってしまうとそうはいかないので、常に梵鐘の音に神経をとがらせているなければいけなかった。
この日はマンネリの長老の講話ではなく、少し嗜好を変えてそれぞれ指名された者が前に出て、聞いているビクシュたちをバイシャやスードラだと思って説法をせよということになった。これは面白い、とイェースズは感じた。変化があった方が、毎日が退屈しないで済む。ほかの人々も同じ考えだったようで、そのことが告げられた時、場内にどよめきが上がった。
まずは、中年の一人の修行者が使命された。彼はひどく照れて前に出ると、ニコニコしながら話しだした。しかし、顔は笑っていてもかなり緊張している様子が見受けられた。話の内容はさしさわりのない経典の話題で、しかもさっぱり要領を得ないので、聞いている方としては何が何だか分からなかった。要はしゃべっている本人も、真に理解はしていないからだろう。
次に立った若いビクシュは、難解な哲学的論理をただ押し付けがましく淡々と述べているだけだった。
そのあと何人かが指名されたが、皆美辞麗句を用い、あるいは我流のめちゃくちゃな論理で、真理を説くどころかかえって道を誤らせるようなことさえ言う者もいた。人の真の生きざま、赤裸々な姿というものを彼らはどうもとらえていないらしい。ここの人たちがサンガーに入門する前にはどんな境遇にあったのか、イェースズは知らない。知らないまでも、ブッダのように悩み、あるいは生活のどん底にあえいでいた者はいないようだった。ここに集う人々は縁生はあっても、真の意味でブッダの弟子と言えるのだろうかとイェースズは疑問でならなかった。しかし、そのように断定してしまってここにいる人たちを裁く権利は自分にはないと、イェースズがそんな妄想打ち消そうとしてるとき、自分の名前が呼ばれた。突然の指名だった。いくら新参古参を差別しない所だといっても、これだけの先輩たちを前に説法するのはいささかためらいがあった。しかし断るわけにもいかないので、イェースズは立ち上がった。そして最前列へたどり着くまでの間に、とにかく今考えていることを話そうと彼は思った。
前に出ると、ほかの人たち同様にビチャパチに一礼し、イェースズはくるりとビクシュたちの方を向いた。だれもがこの若い異国の新参者が何を語るのか、興味津々で息をのんでいた。
「皆さん」
イェースズの第一声が、ひんやりとした空気の堂内に響き渡った。激しく屋根うがつ雨の音が、人々の静けさを一層際立たせていた。
「ブッダはその『サッダルマー・プンダリカ・スートラ』の中で、何度もたとえ話で法を説かれました。あの天国へ入る門は狭いという火宅の教えなどは、特に有名ですね。そこで私は、今日はたとえ話で皆さんにお話をしようと思います」
ざわめきが若干起ったが、すぐに静まった。頬にいくぶん笑みを持たせ、それでも力強くイェースズは語りはじめた。
「あるぶどう畑がありました。あまりよく手入れされていなかったのでつるが伸びて、枝も葉も生い茂っていました。葉っぱがあまり茂っているものですからそれが日光をさえぎり、ぶどうの実は少ししかなっていませんでした。そこへある庭師が来て、葉も枝もどんどん切ってしまい、ぶどうの木は幹と根ばかりになってしまいました。それを見ていた人々は『あいつは馬鹿だ。これじゃぶどうは台無しだ。こんなにめちゃくちゃにしてしまって』と、口々に言いましたが、庭師はにっこり笑って、『何とでもおっしゃい。収穫の時にまた来て、見てみなさい』と、言っただけでした。そして収穫の時、このぶどう畑にぶどうの房がぎっしりと稔っているのを、人々は見たのです。この世には、人間のつるが今や伸び放題です。飾りたてたきれい事だけの言葉、荘厳な儀式や形式、これらは枝と葉です。そういうものばかりが茂っているから、日光すなわち神の光は人々まで届かないんです。だから言葉の枝葉を切り取れば、人としての生活の赤裸々な幹ばかりが残り、そうして初めて多くの実を結ぶことができるんです。私の話は以上です」
一礼して自分がいた席にイェースズが、戻るまで、人々はざわめいていた。