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エジプトにはかつて数々の王朝が栄えてきた。ナイル川の豊かな水に支えられて、太陽神ラーを崇めつつ、ピラミッドを林立させてきた国がエジプトである。
だが紀元前四十七年にカエサル(シーザー)の援助を得て王位に就いたクレオパトラ七世は紀元前三十年にアクティウムの海戦でローマ軍に破れて自殺し、そこでプトレマイオス朝は滅亡、エジプトはローマ帝国領となった。エジプトは人口や軍団駐留などの面ではほとんどローマ帝国の属州といえたが、神政一致の王政に慣れ親しんできたエジプトの人びとを統治するには、政教が分離されたローマ皇帝が派遣した知事では役不足で、ローマの皇帝をエジプト王ファラオということにしてローマ皇帝が直接統治する必要があった。そのため、皇帝はエジプト領事を皇帝代行として派遣した。したがってエジプトは純粋には属州ではなくいわば皇帝の私領であったが、ローマ帝国の直轄地であったことには変わりはなかった。
そのエジプトにヨセフたちが到着してから、はや二カ月が過ぎようとしていた。この南の国では、もはや初夏が訪れようとしている。
エジプトで彼らは、エッセネ兄弟団とともに共同生活を送っていた。ユダヤの血ではパリサイ人サドカイ人と並んでユダヤ教の一派のような様相を呈しているエッセネ兄弟団――ナザレ人であったが、実はペルシャのゾロアスターの教えの流れを汲むもので、このエジプトの地で発祥したものである。だからこのエジプトこそが、ナザレ人のエッセネ兄弟団の本拠地なのである。この教えがユダヤへと伝えられたのは、ヨセフたちよりも二、三代前のことでしかなかった。
そんな生活の中でも、マリアの関心はもっぱらエリザベツ母子の安否にばかり向けられていた。
この頃、エジプトの中心地はアレクサンドリアにあった。ローマ皇帝が派遣したエジプト州領事もアレクサンドリアにいる。アレクサンドリアはナイル川の豊穣な三角州の西の端の地中海沿岸にあり、かなりローマ化された町並みである。ヨセフの一家が住み着いたのはその三角州の、アレクサンドリアとは反対の東の端にあるツォアンという町だった。この頃より千年ほど昔のエジプトの王朝のあった土地で古代の王の像やピラミッド、スフィンクスが残っているが、ナザレ人の僧院もあって多くのユダヤ人も居住していたのである。ヨセフの家族には僧院の敷地内の、ちょうど空いていた一軒家をあてがわれた。
エリフもサロメも同じ敷地内の僧院に住んでおり、毎日顔を出してくれる。いくら逃避行だからといって、ヨセフたちはこのエジプトの地でただ遊んで暮らしている訳にはいかない。ヨセフたちがナザレ人としての修養を積むため、教師としてエリフたちは訪れてくるのであった。
エリフたちは、時にはユダヤの律法を彼らナザレ人なりの教義で解釈した講義をしてくれたし、またほかのユダヤ教諸派は所持していない彼らだけの『エッセネの書』の注釈をもしてくれた。
またときには、アレクサンドリアの大図書館にヨセフ一家を連れて行ったりもしてくれた。この大図書館は地中海沿岸最大の規模を誇っていたが、かつてカエサルがエジプトを攻めた時にその大部分が破壊されて、多くの古文献が焼失した。それにもかかわらず、今でも威容を誇ってそびえ立っている。そこにはエッセネ教団の教義を形成した『ゼンダ・アベスタ』や『ヴェッダー経典』なども収蔵されており、ヨセフたちはそれらを自由に閲覧することができた。またエリフはヨセフたちを、時にはマレオティス湖畔にある同じ兄弟団のテウペラタイ僧院に連れて行ってくれたりもした。
そうこうして過ごすうちに、サロメだけが状況視察のために一度ユダヤに戻ることになった。そしてそれからさらに一カ月半ほどたち、エジプトではナイル川の水かさが減る夏となった。
ナザレ人は早朝、昇り来る朝日に向かって礼拝する習慣がある。
この日も木々の少ない乾燥した台地の上で、ヨセフたちを含むナザレ人たちは早朝参拝のために整列していた。だがその間も脇においてある手編み籠の中のイェースズがぐずりはしないかと、マリアはそればかりを気にしていた。しかし実際そうなったのはこれまで二回だけで、たいていイェースズは静かに眠っていた。イェースズはようやく座るようになってはいたがまだ這い出したりはしないので、一応安心していていい時期だった。
礼拝も終わり、人々は朝食をとるために僧院へと続く細い道を歩みだした。目の前には巨大なピラミッドが三基、夏の青空にそびえていた。この日も暑くなりそうだった。
「太陽そのものが神様なのではないけれど、なぜ太陽を礼拝するのかご存じですか?」
不意にエリフが、マリアの耳元に歩きながらささやいてきた。毎朝こういった調子でエッセネの教義に関する小さな問答が、エリフとマリアの間で交わされるのがすでに日課になっていた。
「いいえ。でも、小さいときからそうするものだと教えられていましたし、またずっとそうしてきましたから、これまで考えたこともありませんでした」
「せっかくこのエジプトにいらっしゃったのだから、いろいろあなた方には知っておいて頂きたいことがありますから、今日はまずそのことについてお話しましょう」
「ええ」
マリアは少しだけ歩みを遅くして、年老いたしわだらけの年老いた尼僧の顔を見た。
「『ゼンダ・アベスタ』では、神様は太陽の神様です。そのことはご存じでしょう」
「はい」
「それにピラミッドが単なる王の墓ではなく、太陽神を祀った神殿だということも」
「はい。お聞きしました。昔からエジプトの人々は太陽神ラーを崇めてきたのでしたよね、確か」
「そう。一日一日の話を忘れずに、よくおいでです」
はにかんだように少し笑んで、マリアは目を伏せて歩いた。そしてまた目を上げて、エリフを見た。
「エジプト人のそんな習慣と私たちの早朝太陽礼拝と、何か関係があるのでしょうか?」
「このエジプトの地でモーセに神様が御出現になったのは、柴を燃やし尽くすことのない霊的な炎の中からだということは聖書にも書いていりますよね」
「はい」
「本当の話では、モーセは日の神の神殿、日来神堂より神のみ声を聞いたのです」
「そうなのですか?」
マリアは驚きの声を発し、視線を目の前のピラミッドに移してそれを凝視した。表向きにはエジプトの王家の墓ということになっているピラミッドが実は神殿で、それも太陽神を祀る神殿であることはナザレ人たちの間ではひそかに言われていたし、彼らの本山ともいうべき神殿はやはりピラミッドだった。
「太陽は神様の御存在が物質化したものであり、神の愛の具現なのです。父である神は太陽の神であり、それゆえに私たちは太陽を礼拝するのです。『エッセネの書』の中の『戦いの書』にも、来るべき光の子と闇の子の戦いのことが書かれているでしょう。
「はい」
「たとえ今は闇の子の時代であったとしても、われわれはどこまでも光の子でなくてはなりません」
そうこうしているうちに、僧院にたどり着いた。
その直後のことである。
ユダヤへ行っていたサロメが、ひょっこりと戻ってきた。庭に大きく開かれた入り口からサロメの姿を見たマリアは、同時にその背後に乳児を抱いた初老の女がいるのも見た。
エリザベツだ。すると、その腕の中の赤子はヨハネに違いない。
マリアは思わず庭に躍り出てエリザベツに駆け寄り、その両肩に手を置いた。
「お姉さま。無事でしたの? よかった。よかった。ヨハネも無事で」
マリアはエリザベツからヨハネをそっと抱き取り、奥に向かってヨセフを呼んだ。
「あなた! お姉さまがいらしたのよ。ヨハネも一緒よ」
「おお、おお、おお、おお」
ヨセフも小走りに出てきて、喜びの表情を弾ませた。
「いやあ、よくご無事で」
「ええ。サロメが探して下さったので」
「今まで、どちらに?」
「塩の海の近くの洞窟に、しばらく隠れていたんです。王様がすべての赤ちゃんを殺そうとしているって情報を、ナザレの兄弟の皆さまにお聞きしましたから」
「ああ、大変なことですよね。王はいったい何を考えているのやら」
「それでその後は、ナザレの家が匿って下さっていたのです」
「それはよかった」
「ところで、ご主人のザカリアは?」
一瞬、エリザベツに沈黙があった。その隣でサロメが悲痛な顔つきで、黙って首を横に振った。
ヨセフはすぐにはっとした顔をしたが、マリアはまだ状況をのみこめないでいた。だが、すぐにエリザベツは重い口を開いた。
「夫はヘロデ王の兵に殺されました」
「え? 殺されたって?」
マリアが目を見開き、ほんの少しの間だけまた沈黙が流れたあと、エリザベツは言った。
「夫はナザレ人ではないから、一緒に山には逃げなかったんです。そして祭司だから至聖所にいたら、そこへ兵隊が来ていろいろ詰問して、それでも夫は口を割らなかったからそれで……」
再び、沈黙が流れた。誰もが、なんと言っていいのか分からずにいた。そのとき、その沈黙を破るかのようにヨハネがけたたましく泣きだした。エリザベツは慌ててわが子をマリアから受け取った。その時、
「無事で何よりでしたね」
と言って、エリフがそばにやって来た。やっと泣きやんだヨハネを抱いて、エリザベツはエリフを見た。
「何から何まで、お世話になりました。今こうして私やヨハネが無事でマリアとも再会できたなんて、夢のような話で、不思議な気分です。全部、ナザレの兄弟の皆さんのお蔭です」
エリフは優しく笑んだ。
「本当、偶然にしては不思議ですね。でもすべては神様のみ意のまにまに仕組まれたことで、この世には偶然というものは一切ありません。神様の置き手(掟)がすべてを支配します。人間にとって偶然に見えることでも、神様からご覧になればそれは必然なんです」
落ち着いた雰囲気を持つ老尼僧のエリフを、エリザベツもマリアもヨセフも、そしてサロメも静かに見つめた。
「お二人の子供がヘロデ王の手を逃れることができたのも神様のみ意なら、ここでこれから私どもと神様のミチを学ぶことも一切が神様のお仕組みなのですよ」
「ええ。私もそんな気がします」
そう言ってからマリアはエリザベツに、今まで自分がこの地でエリフから聞いたさまざまな教示のことを話した。エリフはそれが終わるのを待って、三人に優しく問いかけた。
「あなた方はもう二、三年はこの地に留まって、神様のミチを学ぶ気持ちがありますか?」
マリアもヨセフもエリザベツも、静かにうなずいた。エリフはまた、にっこりと微笑んだ。
「今から僧院の皆さんに、私からのお話があります。どうか一緒にいらっしゃってお聞きなさい。ヨセフとマリアはもう何階か聞いた話でしょうけれど、エリザベツは初めてでしょうからね」
「ぜひ、お願いします」
エリザベツはもう微笑んでいた。
エリフの講話は、常に僧院に程近い林の中の広場で行われた。そこに円くなって腰を下ろし、立って話すエリフの講話を聴くのである。
その場所へ移動中に、先頭を歩きながらエリフは振り向かずに言った。
「人は皆誰でも、神様から使命を受けてこの世に生まれ出てくるものです。イェースズもヨハネも、何かしら神様がこの世に下ろされた御倚さしがあるはずです」
「どのような倚さしなのでしょう?」
ヨセフがエリフの背中に向かって、恐るおそる尋ねた。
「それは、人間である私には分かりません。でも、大いなる時代を切り開く先駆者になりそうな気はします」
マリアは、腕の中のわが子を見た。エリフの背中は語り続けていた。
「このようなお仕組みで生を受けたお子たちですから、特別の御倚さしがあるはずです。でも今は世ではまだ、いくら神様のお言葉が投げかけられても、それを受け入れる準備はなされておりません。やがて時が来れば、世の中も神様のみ言葉を受け入れる準備ができて、神様はみ使いを送って下さるでしょう。その時にはすべての人々が自分の国の言葉で生命の書を読み、光を見て光とともに歩み、また自らも光となって、神と人とが一体化できるはずです。そんな時が必ず来ると、私は信じています」
「それは、いつのことなのですか?」
ヨセフの問いに、少し間をおいてからエリフは初めて振り向き、
「さあ、私には分かりません」
と、言った。そのうち、林の中の広場に着いた。
そこにはすでに四十人ばかりのナザレ人の兄弟や修道者、尼僧などがいて、エリフの講話を聞くべく円隊形に着座して待機していた。そして、彼らの中に立ったエリフを、皆は拍手で迎えた。ヨセフたちも円の一部に加わって座った。
「お暑いですが、皆さんお元気ですか?」
「はい!」
力強い返事が一同から返ってきた。
「この暑さも、神様からのお恵みです。だからもう、暑くても寒くてもすべてが神様がなさっていることなのですから、感謝以外ないのですねえ。ことごと一切に徹底して感謝することが、皆さんがしなくてはならない第一の修養です」
時折聞こえる鳥の声とエリフのかん高いトーンの講話のほかは、静寂だけが広場にあった。
「森羅万象のすべてが、神様との関連の中で息づいているんですね。また、私たち人間と神様との関連ばかりではなくて、人間と人間の係わり合いもまた同じことですよ。誰でも、独りで生きていくことはできませんでしょ。すべての人と人は、神様の目に見えない糸で結ばれているんですね。だからそこで、全体の中の個というものを認識することが大切になってくるんです。全人類という全体があって、その中の一部としての一個人、つまり自分という存在があるんですね。その糸というのは、神様の愛の糸なんです。目には見えなくても、心の浄い人なら心の目で見ることができます。だから心の浄い人は幸せなんです。そういう人は、無償の愛というものをよく知っていますからね」
広場は背の低い雑草で覆われていて座りやすく、程よく木陰となっているので心地よかった。一陣風が今しもさっと広場を通り抜け、人々にさらに清涼感を与えた。
「さて、皆さん。皆さんの中で今私の話を聞いて『何をきれいごとばかり言ってるんだ』なんて、内心思った方はいらっしゃいませんか?」
エリフが微笑んでそう言っても、一同はまだ波を打ったように静まり返っていた。
「『何だ、この婆さんは、訳の分からないきれいごとのような御託を並べて、チマチマチマチマ話してるよ』なんてね。そういうふうに思った方」
エリフは笑いながら挙手を促すしぐさをしたが、人々は笑い声を上げるだけで挙手するものはいなかった。
「今笑った方は、思い当たる方ですね」
エリフがさらににこやかに言うと、また人々の中で笑いの渦が起こった。和やかな笑いだった。エリフは微笑みながらさらに続けた。
「いえいえ、それでいいんです。それで普通なんですよ。人間、誰しも心の中にはそのような思いがあるものです。だってそうでしょ。誰だってこのくそ暑いときに、こんな外で、訳の分からないお婆さんの話を聞くよりも楽しいことはいくらでもあるはずです。一日中寝ていたいとか、同じ辛い思いをするなら辛い思いをしても仕事をしていた方が金になるとか、まあ、男性の方ならですねえ、まあ、女の方といろいろと楽しいことがございますですよね。私は女ですから分かりませんですけど」
そこでまた、笑いが起こった。
「まあ、人間誰しも楽をしたいとか、気持ちのいいことをしたいとか、楽しいことをしたいとか、おいしいものを食べたいとか、どこかに遊びに行きたいとかいろいろある訳です。さて、そこでです。そのような心がどうして起こるのかということです。もちろん何も今言ったような心が、すべて悪いと言っている訳ではありませんよ。楽しむときは徹底して楽しむ、遊ぶときは徹底して遊ぶ、というふうにですね、すべてが神様のお恵みですから感謝して楽しめばいいのですが、でも、そればかりだとどうなりますか? 人間、どうなってしまうでしょう? だめですよね。それでは、何のために生まれてきたのかってことになります。楽しむために、楽をするために生まれてきたんですか? そんなことのために、神様は人をお造りになったんですか? 違いますよね。でも、ならどうして人間には楽をしたい、人を蹴落としてでも人に勝ちたいって気持ちが起こるんでしょう。そのことについて、今日はお話します。つまり、人間の自我についてです」
自我という言葉は、誰しもが初めて耳にする言葉だった。
「自我といってもギリシャの哲学家あたりが口角泡を飛ばして議論しているような、人知でこねくり回した自我ではないですよ、私が言うのは。私が言う自我とは、心よりもさらに奥にある霊魂の状態ということなんです」
聴衆の中には、互いに顔を見合わせている人もいた。
「自我と言いましても二つありましてね、一つは高い自我で、もう一つは低い自我です。その高い自我は真我といいまして、低い自我を偽我というのです。真我ってなんだかお分かりですか?」
一同静まり返って、誰も答えるものはいなかった。
「真我とは、神様から頂いた自我のことです。神様は土で人をお造りになってから、生命の息を吹き入れなさったって聖書には書いてありますでしょ。土でお造りになったのは肉体ですけれど、その生命の息というのが真我なんです。つまり神様がご自分の霊質を引きちぎられて、一人ひとりのここ」
そう言ってエリフは、自分の眉間を示した。
「ここに入れて下さったんですね。それが真我で、つまり人の霊魂というものです。私たちの肉体には霊魂が入っていますから、私たちはこうして立って息もしているし、話もできるんです。もし霊魂が入っていなければ、その肉体はただの土の塊です。どうですか? 死んで魂が抜けるとその体は冷たくなりますでしょ。体は動かないでしょ。放っておくと腐りますでしょ。同じ肉体なのに生きている私たちは体が腐りもせずに、立って動いて話ができる。これは霊魂が入っているからなんですね。しかもその霊魂というのは、神様の霊質なんです。だからこそ、私たちは神の子なんですね。『いいえ、私にはそんな霊魂は入っていない』なんていう人、いますか?」
再び笑いが起こった。だがエリフの次の言葉が始まると、人々はすぐにまた波を打ったようになった。
「ですから、聖書には、神は『ご自分に似せて』人を造られたと書かれているんです。ですからこの真我、つまり霊魂こそが人の本質なんですね。目に見える肉体が本質ではないのです。肉体が自分ではないんですね。ところが先ほど申しましたように、人間には真我と反対の偽我というものもありまして、楽をしたいとか人を蹴落としたいとか、お金がほしいとか、挙げ句の果てには人を憎んだり恨んだり怒ったり、そんな想念はそこから出てくるんです。だってそうでございましょ。人の本質は神様から頂いた真我という霊魂ですけれども、それだけでしたら今申しましたような悪想念が出てくる訳はないでございましょ。神様は善一途のお方ですからね。それなのに、そのような想念が出てくるというのは、人間には真我とは別の偽我が存在しているからなんですね。すべてのものには表と裏がありまして、光があれば闇がありますように、真我の裏返しが偽我なんです。まあ、ひと言で申しましたなら、真我は神様の御愛情の現れで、偽我は人間の欲望と憎しみの現れなんです。でも、人間って、偽我の言う通りに行動する方が楽ですよね。そうでしょう? どうですか? 朝早くから起こされて太陽を拝んで、こんなお婆さんの話を聞かされるより、ずっと寝ていた方が楽でしょ? でも楽を追い求めていたら、どんどん真我から離れていってしまうんですね。それはそうですよね。偽我は真我の対極なのですから。そして真我から離れるってことは、神様からも離れていってしまうってことなんです。神様から離れていってしまったらどうなりますか? 行き着く先は地獄でしょ? 違いますか? 『エッセネの書』にもそう書いてありますよね。そこで地獄へ行かないためには、自分の想念や行動が真我からのものか偽我からのものか、それを見極めることが大切になってくるんです。自分自身が自覚を持って、自分の想念や行動を一つひとつ点検することが必要ですね。いいですか。皆さんお一人お一人がそれをなさるんですよ。話を聞いて『ああ、いい話だった』で終わってしまったら何にもなりません。行動が、実践が大事です。教えを請いたいって皆さんは思っておられるでしょうけど、自分を救えるのは自分自身なんです」
広場には、咳払い一つするものはなかった。
「神様は何かお考えがあって人間にそのような偽我をお許しになっているのでしょうし、そのことは人知の計り知るところではありません。今の時代ではまだ分からないことです。ですけど、真我のみが神様に通じる神の子としての本質であるということだけは、忘れないでほしいんです。偽我とは、楽をしたいとか物やお金がほしいとかいう肉体保存欲です。つまり、自己愛から発する肉欲、物欲です。自己愛とは、自分さえよければ他人様はどうでもいいといった自己中心的な考えですね。そんなところから発する偽我ですけれど、これがまた今自分が自分の意識だと認識できる表面に出てきてしまっているんですね。しかし、表面には出てきていても、それは仮のものなんです。仮のものはいつか滅びます。仮のものを真実だと勘違いする人も滅びます。表に出ている意識が本質ではないのです。それは肉体に属するものです。だってそうでしょう。表面の意識というものは、目で見て、耳で聞いて、口で味わって、鼻でかいで、手で触って、そうして認識するものでしょ。すべて肉体を通してですね。表面の意識が、本質ではないのです。あくまで本質は霊魂、つまり真我です。真我は永遠ですよ。ですから皆さんは自分の想念と行動を見つめ直し、反省して、真我と偽我をはっきりと見分けて下さい。いいですか? それは簡単なことではないでしょうけど、いちばん大切なことですからね。それでは、今日のお話はこれで終わります。有り難うございました」
広場の人々から、高らかな拍手が沸き起こった。
こうしてエジプトにおけるヨセフ一家の勉学の日々はつつがなく過ぎていった。
確かに外面的には変化のない単調な毎日だったが、その実エリフが毎日与えてくれる講話は汲んでも汲みつくせない真理の泉のようであったし、それだけで毎日が楽しみのうちに過ぎていった。しかもその講話というのがギリシャの哲学のような難解なものではなく、たとえ無学で読み書きすら自由にできないような人々にとってさえ分かりやすいものだった。また、時折アレクサンドリアに行ったりテウペラタイ僧院に行くのも楽しみの一つだった。
さらに親たちにとっての、単調な毎日の中での最高の楽しみは、わが子の成長であった。
ナイル川の増水が始まる秋のはじめごろにはイェースズは這いはじめ、目を離すと勝手に手編み籠から出て庭まいで這い出すこともあった。ヨハネはもう、ものにつかまっての伝い歩きができるようになっている。
そしてマリアの腹にはすでにもう一人の子が宿っており、この頃にははっきりと見た目で分かるようになってきていた。
そしてその頃、ローマ皇帝の盟邦の王で暴君として恐れられていたヘロデ王は死んだ。ただでさえ権勢欲旺盛によって残忍な性格によって人々から嫌悪されていたが、例の幼児大量虐殺以来人々の心はどんどん王から離れていき、逃亡する家臣も多かった。王妃マイアムネをはじめアンティパル、アレクサンドロス、アリストプロスの三人の王子はすでに謀反を企てたということで、王自身の手によって処刑されている。もう一人の王妃テシアも王に見切りをつけて、マリアたちに幼児虐殺の情報を伝えてから逃亡していたが、その後発見され、さらし者にされた揚げ句に飢え死にさせられた。
だが、そのヘロデ王自身が死んだ。人々は当然喜んだが、その喜びも束の間だった。ユダヤは、ヘロデ王の処刑されなかった王子たちで分割統治されることになったのである。つまり、ガリラヤはアンティパス、ヨルダンはフィリポス、エルサレムを中心とする地域とサマリアはアルケラオスが、それぞれ統治することになったのである。そしてエルサレムのヘロデ王の宮殿を受け継いだアルケラオスは、父親に輪をかけた暴君だった。ただ幸いなことに、ヨセフたちの住むガリラヤを治めるアンティパスは、それほどでもないといううわさだった。
ヨセフとマリアの家族はこれで故郷を離れている必要はなくなったわけだが、しかし二、三年はこの地にとどまって勉学するようにというエリフの言葉があったので、ヘロデ大王の死はそのまま帰郷を意味するものではなかった。
ローマ暦でその年の終わり、つまり冬にはイェースズもやっと歩きだし、砂嵐の季節である春の訪れとともに短い距離なら一人で歩けるようになった。砂嵐は強い風に乗って砂漠の砂が飛んでくるもので、たいていは数時間で収まるものだったが、春はそれがひっきりなしにやってくる。そんな季節にイェースズはちゃんとした言葉にはなっていないものの、幼児特有の訳の分からないことをしゃべったりするようになったのである。
そしてマリアはその頃イェースズの弟を出産し、名はヨシェと名づけられた。今自分たちがエジプトにいることにちなんで、ヨセフはかつてこの地にユダヤ人が定植するきっかけとなった聖書の中の人物のヨセフに自分をなぞらえて、その子を定植のあとの出エジプトの中心人物であるモーセになぞらえてヨシェにしたのである。
そしてイェースズが人並みの言葉をしゃべり、庭を走り回るようになると、年子の弟のヨシェもすぐに兄の成長の過程を追っていった。さらにイェースズにとっては、ヨハネという同じ年のまた従兄の遊び相手もいた。
「子供たちの成長を見ていると、月日がたつのはあっという間ですね」
住まいの庭でおぼつかない足取りで歩くイェースズやヨハネ、それを追って這うヨシェを見ながら、マリアはサロメに言った。ヨセフは男性だけの集会に出るために、僧院の方へ行っている。ヨシェも間もなく物につかまって立ち上がる頃だから、目を離せない。
「本当に、あっという間よね」
サロメがそう言っている間にも、イェースズが転んで泣き声を上げる。ヨハネはなすすべも泣くそれを黙って見ていたが、そのうちつられて一緒に泣きだした。
「あらあら、あんなことになって」
慌てるサロメを横に、
「いいんですよ。男の子はあれくらい元気じゃなくちゃ」
そう言ってマリアは、二人の兄たちのそばのヨシェに目をやり、それから少し顔を伏せた。
「月日って、確実に流れていくのですね」
「ええ」
サロメの目は輝いていた。
「天地創造の昔から今に至るまで、そして未来へと流れは続いているのよ。神様が時間というものをお造りになって以来ずっと。そしてその流れとともに進展する神様のご計画というものがあるはずだと、私は感じるのですよ」
「その中で、私たちも生かされているのですね」
「その通りです。神様のみ意は、大自然の中にいちばんよく現れているのではないかしら」
「大自然の中に……」
「そう。たとえば、大自然には季節というものがあるでしょう。それと同じように、すべてのものごとには時期というものがあるのね。太陽には太陽の、月には月の教えをもたらす時期っていうものがあると思うの」
「でも私たちは光の子なら、太陽の教えを知らなくては」
「そうね。でもやはり、それにも時期というものがあるわ。エッセネの『戦いの書』にもあるように、やがては光の子と闇の子の戦いの時期が来るでしょうけれど、今は闇の子の時代、つまり月の季節よね。月の季節に太陽の教えをもたらしたら、人々の心の中では枯れ葉のように散ってしまうんじゃないかしら」
「でもいつかは、神様のご計画も進んでいくんですね」
「その通りよ。この世のすべてのものは、決して同じ状況ではあり得ないでしょう。すべてが刻々と変化していくけれど、でもその変化の中に厳として動かない久遠の真理というものもあるはずだわ」
「久遠の真理……」
マリアはもう一度庭に目をやった。先ほどまで泣いていた二人の子供は、もう楽しげに遊んでいる。庭全体が暖かい陽気に包まれていた。ここエジプトには冬はあってないようなものだが、その冬も終わって、彼らがここに来てから三度目の春である。
「今日は私、不思議と元気で、生命が躍っているみたい。なぜでしょうね」
庭を見ながら、マリアは言った。
「今日は私たちの父神様のことを、ほんのかけらでも知る日なの」
マリアは、目を輝かせてサロメを見た。サロメは優しく笑んで語り続けた。
「今日は特別な日だから、一位、三位、七位の神様について特別に話すわね。本当はね、このことは兄弟団の中でも上級の資格を持つ人にしかお話できないんだけれど」
「はい」
いつしかマリアは、身を乗り出させていた。
「天地創造の前には万物は一体で、それが一位の唯一の神様なの。そして聖書には『光あれ』という神様のみ言葉があったって書いてあるけど、まず火と水が創られて、それによって万物が生成化育してきたのね。それから土が生じて、火・水・土、日・月・地の三位一体になっていったの」
「やぱり、私には難しい」
マリアは困ったような愛想笑いで、首を横に振った。
「やはり難しかったかしら。でも、今聞いていれば、あとできっとあっと思い出すときがくると思うわ。それでね……」
「はい」
「三位一体の神様の呼吸で七つの霊が生じて、これが七位の神様で、この七位の神様によってこの人間の世界と神様の似姿の人が創られたって訳なの」
「聖書に、この世は七日で創られたって書いてあるのは、そういう関係なのですね」
「七日といっても今の私たちにとっての七日ではなくって、その一日は何億年にも相当するのでしょうね。大昔のはるか東の果ての人々は神様の霊気を大道と呼んで、その人々の間に伝わる古文献には『大道は万象の創造化育繁茂悠遠の弥栄の主で、一位がほどけて二となり、二は三の実へと成就って、やがて七位となって宇宙一切を表現す』ってあるそうよ。そしてその同じ古文献には『人には大道に通じる霊があり、大道の七霊気中に住む心があり、肉の土地から生じる情欲の体がある』ともあるんだって。つまり、人の体も三位一体なのね」
マリアは、くすっと笑った。
「昔は同じ僧院で修行していたサロメが、なんだか遠い雲の上の人になってしまったみたいですわ」
「そんなことはないのよ。僧院でもいちばん聡明だったあなたなら、きっと理解できるはず。その大道に通じる霊は本来真・善・美の浄い存在で、土の肉体は利己的な情欲なのね。人間って、いつもこの両者の葛藤の中に生きているみたい。でも霊が勝って、低き偽我が抑えられた人は幸せね」
その時、エリフが僧院の方からマリアの住まいにやってきた。
「マリア。いい話を聞いていますね。あなたにはその話をしっかりと、お子のイェースズに伝える役目がありますよ」
「はい」
マリアは居住まいを正した。エリフはマリアの住まいの中に入り、マリアとサロメの程近い位置の適当なところに座った。
「昔、東の方の国にはブラフマンという神様を拝している人々がいたんですけどね、それはとてもすばらしい教えだったそうです。ところがだんだんと肉欲に走る僧侶が出てきたりして、教えの内容にも人知が入り込んで腐敗していったんですよ。それでも、ブラフマンのみ名を汚さないようにと正しい教えを守った人々もいましてね、その中の一人があなた方もよく知っているアブラハムなんです」
マリアもサロメも、エリフを凝視した。
「また今のバルチアにもブラフマンの教えは広まっていきましたけど、そこでも同じように腐敗の道をたどりまして、それで立ち上がった聖者がゾロアスターなんです。ゾロアスターは太陽の光に姿を映しているという霊気オーラ・マツダを崇めて、それで皆が太陽神殿を拝するようになったのですね。ここエジプトでも太陽神ラーを崇めて、太陽神殿のピラミッドが建っているでしょう。モーセはこのピラミッドを、『ヤハエのお山』と呼んでいたっていわれてますしね」
「オーラ・マツダのことは『ゼンダ・アベスタ』に出てまいりますね」
サロメが口をはさんだので、エリフはサロメを見た。
「さすがはサロメで、よく知ってますね」
エリフは微笑んだ。
「でもね、サロメ。何かで読んで知っているのと、本当に分かっているのとは別のことですよ。知っている内容が自分の命の糧そのものにならなければ、価値はないんですよ。どんなにすばらしい教えでも頭で知っているだけではだめで、それを日々の生活の中で実践し、己の血と肉にしなければだめなんですね」
「はい」
厳かにサロメはうなずき、マリアも同調した。
「とにかく今までは唯一絶対の神様のご計画で、いろいろな教えがこの世に下ろされましたけど、究極の真理の峰は唯一つなんです。ブラフマンという神様を信じていた人は異教徒かというと、そうではありません。同じ神様の別名にすぎないのですよ」
「そうですね」
マリアが目を上げた。
「エルサレムでは同じ神様を拝していながら、派閥に分かれて争っているなんておろかなことですね」
「その通りです。だから私たちが何とかしなければならないと思うのですよ。それでは、明日の朝の礼拝では大切な話がありますので、そのおつもりでいらして下さい」
エリフは立ち上がると、にっこり微笑んで出て行った。
朝の太陽礼拝には、ここのところマリアとエリザベツは交替で出ることにしていた。一方が残って子供の世話をするのである。ところがこの日はエリフが大切な話があるというので、それぞれが子供をもつれて出ていた。あたりはかなり明るくなっており、森の方からは小鳥のさえずりも聞こえた。
マリアとエリザベツはイェースズとヨハネがふざけて騒ぎはしないかと心配していたが、二人ともおとなしく座っていた。ヨシェだけがアワアワと何か言っているが、マリアはそのヨシェをひざの上に抱いたまま何度も軽くお尻をたたいてあやし、何とか落ち着かせた。
そのうち東の空が明るさを増し、朝日が顔をのぞかせた。そして人々の沈黙の上で、サロメの言葉が響いた。いつも参拝の前に訓示をひと言与えるのが、サロメの役になっている。
「皆さん、昇り来る太陽を見つめましょう。太陽は神様のお力と愛の表れです。神様は大自然というものを使って、私たちにメッセージを下さいます」
その言葉の間にも、朝日はどんどん昇っていく。それにつれて、周囲はどんどん明るさを増す。
「祈りとは自分の罪をいちいち告白することでもなく、また徒らに神様を賞賛することではありません。祈りとは、まず自分のすべての行動が光となり、善となって、またその自分の奉仕の行動によって万世が弥栄えていくように願うことです。一方的な祈りばかりしてあとは知らん顔というのでは、本当の祈りではありません。神様のみ意を汲み取ってそれに沿った生活をした上で祈る、つまり行動を伴った祈りでなくてはなりません。単なる言葉の羅列ではなく、想念を凝集し、それが言葉となって発せられたものが本物の祈りです。では、ともに祈りましょう」
人々は一斉に大地にひれ伏した。そのような人々を見下ろしながら、ゆっくりと太陽は昇る。しばらくして人々が頭を上げると、太陽はほとんどその姿を現していた。
本来ならここで解散になるところだが、この日はエリフが立ち上がって、朝日を背に人々の前に立った。
「今日、私たちはヨセフとその家族の皆さん、そしてエリザベツとそのお子さんに、お別れを告げなければなりません」
みなの視線が、ヨセフたちに集まった。エリフは、今度はヨセフやマリア、そしてエリザベツに話しかけた。
「私たちがあなた方に教えるべきことは、もうこれで全部です。あなた方はもう、これ以上ここに留まる必要はありません。状況も変わって安全になりましたから、あなた方は郷里にお帰りなさい。あなた方には今後の使命があります。どうかあなた方のお子さんを、浄く明るく正しく直く育てて下さい。道は決して平坦ではないと思いますけれど、常に自分を低きに置いて、学ぶということを忘れないで下さいね。私があなた方に語るべきことは、すべて語りました。あなた方の行く手に、神様の栄光があらんことをお祈りしていますよ」
一斉に拍手が沸き起こった。ヨセフが代表して立ち上がり、その拍手に応えた。
こうして一行はエジプトをあとにし、故郷への帰途に着いた。思えば三年ぶりの故郷である。エルサレムの辺りは暴君アルケラオスの支配下にあったので避けて、一行は塩の海の東を回ってガリラヤへと向かった。そしてエリザベツとヨハネの母子は、塩の海のほとりの親戚のもとに留まった。
こうしてガリラヤのカペナウムで、ヨセフ一家の生活が再び始まった。
ヨセフはもとの生業である大工に復し、イェースズもヨシェもすくすくと成長して、マリアはさらに三人目の子を設けた。子はヤコブと名づけられた。そして月日は過ぎ、六歳になったイェースズは、ある日突然自分の中に特別の力があることを発見したのである。