日記帳

いかだが浮くぞ
 うちの学校の4年生は、海が近いこともあって、環境教育とつなげての「いかだレース」に取り組んできました。子どもたちのグループごとにいかだを作って、うちの学校の海でレースを行います。何が素晴らしいかって、地域の人の協力が素晴らしいです。「協力」という言葉は正しくないかもしれません。「ともに、子どもたちのためにやっていこう」という感じなので、「学校のためにしてやっている」みたいな感じはまったくありません。うちの校区の子どもたちのために、「いっしょにやってくれてありがとう」みたいな感じを地域の方が持っているのです。とにかく、すばらしいです。土曜日の休みの日(7/23)も、「子どもの手にささくれが刺さったら、かわいそう」と、午前中に木に電動カンナをかけてもらいました。自分もうまれて始めて電動カンナを使いました。
 このごろ、学校に講師でこられた先生が言われた「武田節」?の一節「人は城。人は石垣」という言葉を思い出しました。地域との連携は学校の宝です。そのためには、地域に心を開く教師というのも不可欠です。なかなかなれませんが、何とかやってます。楽しいから。
 今度の火曜日は、校内の研究会で自分が授業して、「いかだの設計図作り」をします。このときも、地域のお父さんから「いかだレースへの思い」を話してもらいます。それから、6月30日に「親子レク」で、いかだの土台作り、7月7日に「いかだの進水式&いかだレース」があります。まさに、行事目白押し!倒れそうです。
 ちょっと疲れ気味ですが、うちのクラスの子どもたちは「のぼせ」ですから、しっかりがんばってくれると思います。楽しみ!
(6月24日)

大阪での殺傷事件
 今日の大阪教育大付属池田小学校での事件。
絶対に許せないことです。関係者には、ことばのかけようもありません。しかも、自分がその場にいたらとおもうとぞっとします。自分の子どもがその目に会ったら、同じように荒れ狂うことでしょう。
 しかし、その男をこの社会が「殺した」としても、ただの報復で、何の解決にもなりません。
 こういうことが二度と起こらないように、いろんな角度からこういう事例の科学的な分析をきちんと行い、今、このような人間を作らないような社会にしていくように、一人一人が何を行うかをしっかり認識することです。それが、死んだ子達に自分が出来るただ一つのことかもしれません。
 だって、予備軍は、いっぱいいるから、この世の中には・・。その人たちの大粛清とか行ってもどうもならないし、その基準は誰にもわからないし、その背景とかを分析することから、どう世の中を変革していくかが選挙権を持っていて、社会を作り上げる権利を持っているわたしたちの義務のような気がします。とてもむずかしいけど。
(2001年6月8日)

やっと終わった運動会
 体育担当としては、一安心です。うちの1ブロックは、とっても盛り上がっていたので、実力以上の力を発揮し、子どもたちもとても満足で、子どもたちの「いい顔」をたくさん見れました。うちの家族が見にきていたので、自分が放送担当で本部席のテントにいたときに、突然横に娘がいたりすると「一体何が起こったのか」気が動転しました。頭が仕事モードのときに、家族を見るとバランスが狂うものです。
 運動会の初めには、職員で「お神酒」を飲むのですが、おちょこに一口日本酒を飲んだだけで午前中の半分ぐらいは、体が熱くてだるかったです。本当に酒を受け付けない私です。
 酒が飲めない私ですが、いい気分になるとちゃんと3次会まで行きます。カラオケでは、「明日があるさ」「天体観測」「君は天然色」を歌ってしまいました。いい気分ですが、もうおっさんなので、疲れが一日で取れません。
 でも、今日は休みだったので「冷シャブ」と「『トマトいっぱいのペンネのパスタ』を生のほうれん草に熱いオリーブオイルをジュッとかけたもの」を作りました。
 さあ、今度は『いかだの取り組み』です。
                                       (2001年5月28日)

運動会
 
 今年の運動会は、5月27日(日)にあります。自分は、体育担当(体育主任という名前は嫌いなので、こう書きます)なので、全校体育の内容を考えないといけません。どんなふうに入場するか、どんな開会式にするかなど、全校を動かさないといけないので大変です。ただ、自分は、子どものころから「威圧的な教師」は、嫌いだし、「根性」でやりぬこうという考えも嫌なので、子どもたちに「どうしてこんなことをするのか」を納得させて、指導をしてます。合理的な私です。教師だけががんばって、子どもたちを鼓舞させてもだめで、子どもたちから「よしやるぞ」という気持ちを出させたいものです。それと、指導している自分が「楽しそう」じゃないと、子どもも乗ってこないし、「させられている」運動会になってしまうので、楽しくやってます。
 「ロック」が批判してきた封建的な体質や保守的な権力に対して、自分なりの考えをしっかりと見失わないようにして、「そっち側の人」にならないように気をつけていきたいです。
 
 また、体育担当の特権で、自分の嫌なことはどんどん切って、「やりたいこと」を入れてます。たとえば、
@全校でのラジオ体操をストレッチに(6年の先生の素晴らしいアイデアのおかげです)
A入場行進で運動を1周していたのを、入場門から直接入場へ(もっとかっこいい入場の仕方を来年はしたいな)
B各クラスの並び方を小さい順の男女2列から、男女混合の出席順に(自分は、小さい子だったので、小さい順ってずっと嫌でした)
 忙しいけど、自分のやりたいことをできるというのは、「原案提出者の特権かな?」とても気持ちいいものです。
 
 また、うちの学校は、子どもが主体の運動会なので、いろんな子ども達が活躍する場面があってとてもいいです。教師が威圧的に注意する場面は,見ていて見苦しくて、あまり効果がありません。「やらされている」という気持ちを植え付けるからです。それよりも、同じ子ども同士で、お互い注意したり、認め合ったり、励ましあったりするほうが素晴らしいものになると思いませんか?
 
 うちの学年は、@リレー(kokoroをつないで)A台風の目(台風くるくる)Bダンス(「明日があるさ」から振り付けを考えました。入場は、マグマとかにするわけには行かないので、無難にオブラディ オブラダにしました。
 
 来週は、総合学習で「地域のお年寄りに私たちの心を伝えよう」という実践で、「運動会の招待状」を地域の老人会の方の家に子どもたちと配って回ります。運動会の練習の仕上げと、総合の実践とめちゃくちゃ忙しい日々が続きます。うちのクラスの子どもたちが素晴らしいので、そんな自分を支えてくれるのがとってもうれしいです。どうもありがとう。
(2001年5月19日)

音楽と政治
 きょうは、憲法記念日なので政治ネタを・・。
 
 日本って、言論の自由があるようでない国なので、なんかいろいろな制約がある。学校に勤めていると特に、そのことを感じることがある。特に内容には、触れないが・・・。
 
 このごろの日本のロックは、とってもいいのがたくさん出てきていて、聴き応えもあるのだが、「政治」的な立場を明らかにした歌というのはほとんど見られない。もう昔になるが「忌野 清志郎」が弾圧にあったことや、もっと昔だと、「イムジン河・・」の歌であったり、という話はあったが、自分の思想信条に触れた唄は、今はまったくといっていいほど見られない。「愛」「恋」というのは、人生にとってもとても重要なテーマだけど、人生のすべてじゃないはずである。でも、そのテーマに限定された内容の歌に偏りすぎている。
 
 昔、フランクザッパが「フィルモアのマザーズ’71」の内ジャケットに「DON'T FORGET TO VOTE」とかいて、「選挙人登録をしよう」と呼びかけたことからもに自分の思想を表にだす人たちが多くいる。ロックというのは、「自分らしくあること」「自分らしさを伝えること」がメイン テーマである。だから、ディランであれ、ビートルズであれ、ストーンズであれ、ガブリエルであれ多くのミュージシャンが自分の立場を明らかにしていった。
 「どこに立っているのかが分かるのである」
 今でも、ヒップ ホップのアーティストなど自分のスタンスをはっきりさせている人たちは多い。しかも、政治的な姿勢を表に出していたレイジ アゲインスト ザ マシーンが全米ナンバー1を取り、ブルース スプリングスティーンがいまだ強く残る人種差別のことを強く抗議した41SHOTSが高く評価されている。
 今もいろんな形で弾圧が残っているのだろうか?
 かえって見えない形で弾圧が行われているから、たちが悪い。あんなに、前の総理大臣や政党政治に対して不満が上がっていても、そのことがまったく音楽に反映されなかったことを考えるとそう考えずにはおられない。「今の空気」を吸って、その「空気」を音楽にしないといけないはずなのに、歌詞の内容だけは「恋愛」だけに押し込められて、表現の幅を狭められている。悲しいことである。歌詞の内容で売れないということはないことは、世界の音楽が証明しているはずなのに。
THIS IS UP TO YOUとジョン レノンやピーター ガブリエルが発したメッセージが届いているだろうか?自分も含め、考えてみたい。
(2001年5月3日)

アサヒ旨茶から男女共生を考える

 CMのことで一言。なんか気に障るので・・。
 「アサヒうま茶」のCMである。
 内容は、男と女(かわいい内山理名ちゃん)がドライブ中に渋滞に引っかかり「お前のナビだめジャン」といわれた理名ちゃんが、「じゃあね」と一言、車を降りる。男は、「おいおい」と引き止めるがどこかに行ってしまう。その後、理名ちゃんが「お待たせー」とアサヒうま茶を2本持って現われ、「渋いのから、旨いの」みたいな歌が流れ、二人は仲良く、笑顔で、理名ちゃんのかわいい声で「すすめぇ」という終わり方をするCMである。
 
 何が頭に来るかというと、「お前のナビだめジャン」と渋滞にかかったことを人のせいにする男(ドライブ、行くなら自分で道、調べろよ!!)と、「どんなに嫌なことがあっても、女は我慢して、男に気に入られることをすれば物事は収まる」という雰囲気があることである。あのカップルは、これからも万事そんなふうに男のわがままとそれを我慢していくかわいい女という構図で続いていくのだろうか。CMのことだから、大した事ないかもしれないが、こんなカップルが増えてきていることと、夫婦間暴力や付き合っている相手に暴力をふるう男が増えてきていることは関係あるような気がする。
 とにかく、威張っている男は嫌いであるし、不必要に我慢する女もなんか嫌である。CMを作る側に、そんな意識が潜んでいるんだと思う。なんかこのCM見ていると、頭に来る。内山理名ちゃんが可愛いだけになおさら頭に来る。
(2001年4月25日)

家庭訪問が好きな私
 自分は、持ち上がりなので「家庭訪問」はないので少しさびしい。でも、「家庭訪問にきてください」といわれるととってもうれしい。人の家にあがるのがうれしいのか、保護者と話すのがうれしいのか、ずーっと話してしまう。かっこよく言うと、いろんな出会いがるからである。今日も、2軒。気持ちよく話してきた。「あの先生、よくしゃべりんしゃあ」といわれているだろうな。
 新任のときに一日に10軒回ることがあって、ある家だけ出された飲み物を飲まないことがあった。すると、その子が「私の家では、先生、飲み物を飲んでくれなかった」と悲しそうにいったことがあった。
 そのことをそのときの教頭に話すと「あなたにとっては、10軒のうちの一軒でも、そのこにとっては1軒のうちの一軒だよ」といわれてから、どんなにおなかいっぱいでも飲み物だけは飲むことにしている。お菓子は、食べたいときだけ食べている。でも、途中でトイレをしに、学校に帰ってこないといけないけど・・・。
                      (「トイレを貸してください」がいえない内気なぼく)
 連れ合いは、中学校の家庭訪問でクラスの子の家を間違って、隣の家をその子の家と思い込み(苗字が同じ)、しばらくの間その家で話していたという逸話を持つ。
 お家の人がいろんなことで安心してくれたらいいな。

 娘が反抗期で、書き込んでいるときになんやらかんやら騒ぐので、本当は何が書きたかったのかわからなくなってしまった!
(2001年4月24日)

このページの大掃除
 このページを始めて8ヶ月になるけど、いろいろとおかしなところとか、とりあえず作っとけみたいなところがあったので、少し見やすいようにいろいろと手直ししてみました。ちょっとはすっきりしたかな?
 まだ、やりかけのアルバムレビューのコーナーとか、この曲、大好きのコーナーを更新しないといけないです。せっかくの音楽のページなのに、なかなかそこが進まない。
 
 このごろのお気に入りは、CSがあるのでよく見る映像からでは、「真心ブラザーズ」の「流れ星」の最高です。永瀬くん(キョンキョンのダンナね)の演技がとっても切ないです。それと、ジュディ&マリーのピースのストリングス ヴァージョンもいいです。
 
 でも、なかなか新しい洋楽の音に出会えないです。レイディオヘッドの新作、ブルース スプリングスティーンのライブ、マグマの再発と楽しみはあるけど。それと、禁断の木の実「ピーターハミルのソロ」を聞いてしまって彼のライブでの圧倒的な魅力にまたはまってしまったので、あの膨大なソロ作を買い続けることになりそうです。
(2001年4月14日)

新学期

 いろいろと忙しくなって、なんか切ない。新しい先生が異動になってきて、やってきたんだけど、まだしっくりこないし。きんしゃった人は、子どもとしっくりと行くだろうか。
 きょうは、「おこもり」です。地域の厄年の人の「神事」の後に、もちまきがあって、それから、芸能大会です。うちの組は、自分が滝廉太郎の「花」を伴奏して、地域の方が歌ってもらった後に、「慎吾ママはおはロック」をみんなで踊ります。下の娘は、親からは離れないので、自分がギターを弾いているときは、うちんとが抱っこして、慎吾ママをうちんとが踊っているときは、自分がだっこして公民館の舞台に立たないといけません。愛想のいい うちら夫婦は、近所に溶け込んでしまいました。でも、今年でお引越しです。いい人ばかりなのに、ちょっと残念。
(2001年4月8日)

3・1文化祭

 まだ、掲示板が復旧しません。数少ない皆さんとのつながる機会なのに、困ったものです。また、今日は、うちの連れ合いの誕生日なのですが、「なんかいるね?」と聞くと、「電動歯ブラシがいい」といってました。また、「自分がもらうと、あなたの誕生日にもなんかやらないかん」といってました。こんなやつです。

 3月24日は、福岡市の千代小で「3・1文化祭」がありました。毎年、この時期にあるのですが、「在日コリアン、日本人が一緒になって韓国・朝鮮の文化を楽しもう」というお祭りです。1919年3月1日の朝鮮での「3・1独立運動」を記念して、今年で12回目の開催になりました。
 内容は、プンムル(農楽)の演奏(ケンガリ、チン、プク、チャンゴの四つの打楽器による圧倒的な演奏)や、韓国・朝鮮の遊び(シーソー、こま、ユンノリ、チェギ)、パジ チョゴリ・チマ チョゴリの試着、そして、韓国・朝鮮の美味しい料理などがあります。とにかく、打楽器の演奏が圧倒的です。毎年聞きに行ってますが、体がゆれます。体から響いてくるので、いつも感動します。ウッドストックのI WANT TO TAKE YOU HIGHERを聞いているときのように昂揚感があります。
 娘たちは、去年までは太鼓の音が怖くて泣いていましたが、今年はばっちりと聞けました。娘たちは、かわいいチマチョゴリも着れたし、うまいチジムは食べたし、とにかく最高の一日でした。お土産に買ってきたキムチがまたうまい。やっぱり本場のオモニが作ったやつは味が違う!!
                                              (3月26日)

掲示板がおかしいです。

>www80サーバートラブルのお知らせ 投稿者:info  投稿日: 3月23日(金)16時29分39秒

www80サーバーで、ハードウェアの不調により障害が発生しております。
>交換等を実施しておりますが、数日不調が予測されます。また一部データの紛>失も
>発生しております。
>お困り・お急ぎの場合は、www81で新規に掲示板を作成しご利用ください。
>こちらでは、引き続き作業を実施しております。
と言うことだそうで、大丈夫なのかよくわからないので、ちょっと待っておきます。
(3月23日)

はじめてDVDを買った
はじめてDVDを買いました。何を買ったかというと、「ウッドストック」と「THE SONG REMAINS THE SAME」です。まあ、定番ですね。ウッドストックは、やっぱりフーと、サンタナと、スライ アンド ファミリー ストーンが最高!!サンタナのドラムのマイク シュリーブは、かっこいい!!でも、やっぱり一番は、I WANT TO TAKE YOU HIGHERかな?文句なしにからだが動きます。
(3月23日)

こんなにいい天気なのに
「あゆみ」の所見書きでお留守番です。うちの前の道から「つくし」と「可也山」を写してみました。
(3月18日)

はしか
 下の娘が「はしか」である。昨日、マリノアシティに行った時から元気がなかった。たぶん、かぜだろうと、うちのばあちゃんに病院に行ってもらった所が「はしか」であるということ。40度近い熱が出て、時たま震えたりしている。お尻から解熱剤を入れているからいいんだけど。この忙しい学年末に限って病気になるものである。うちんとも成績を各担任に出さないといけないし、自分も学年まとめに向けていろいろと取り組みもある、それに卒業式も近い。
 今週一週間は、交代で休んだり両方のじいちゃんばあちゃんに頼ったりしないといけない。
 でも、ゆっくりといろんなことを考え直せと言うこともかもしれない。
(2001年3月12日)

ぼくが買っている雑誌

 どんな雑誌を皆さんは買っていますか?
 自分は、レコード コレクターズ(トッド ラングレンの特集号、1988年ぐらい)とロッキン オン(1980年ごろから)(確かフィルコリンズが「ぼくは29歳だが・・」みたいなことを言っていたことをインタビューで言ったいたことを覚えている。それと、九州ウォーカーと、ヴェアゴスティーニ社から出ている「ヴィジュアル日本の歴史」それに「月間歌謡曲」である。「ゲッカヨ」は、買うとクラスの歌にしやすいし、新しいコードをたくさん覚えることができるからとても便利である。でも、ゲッカヨを毎月買っているプログレファンって珍しいだろうな。
 また、このごろ、マンガもほとんど読まなくなって「美味しんぼ」を全巻と、それと、「マスターキートン」が大好きだったので、「モンスター」を楽しみに買っている。
 自分の考え方とかは、「ロッキンオン」からはだいぶん影響を受けていると思う。だからこそ、いつまでも新しい音を探していたいと感じている。それに、時代に対する批評性を忘れずにもっていたいと思っている。ありがたいことです。
(2001年3月7日)

卒業を祝う会

 今の時期は、自分たちの地域の小学校では,一斉に「6年生を送る会」が開かれる。卒業式が「卒業証書授与式」という堅苦しい名前に名を変え、「儀式」としてして厳粛さを求めてくる「上」の指導によって子ども主体じゃなくて来ている中で、「6年生を送る会」は、在校生と卒業生とのお別れの会として、「児童会」や、クラス一人一人の思いがこもった会としてとても大切にしている。

 
ほかの学年の出し物もとても面白くて、いろいろと工夫されていた。自分たちの学年は、最初は、「半日村」の劇をしようと思ったけど、体育館に暗幕がないので断念。そこで、一年間に「総合学習」でやってきたことを小出しに出していく「5つの宝物」をすることにした。
 
 「『探検隊』が自分たちの国を救うためにいろんな宝を見つけていく」という設定にしました。
 1つ目の宝は、国語の「3年とうげ」で、韓国・朝鮮の事を題材にした話。「えいやらえいやら・・」とか子どもたちが声を合わせるところでは、自分がチャンゴをたたいて、盛り上げました。
 2つ目の宝は、台湾の方を呼んで学習したので台湾の「ひよこと狼」という遊びを紹介。 3つ目は、うちの学校の「ひまわり学級」の子がトランペットで「聖者の行進」をひくのが得意なので、ちょうど音楽の教材で「聖者の行進」をリコーダーで練習していたので、その曲を演奏。
 4つ目の宝は、うちのクラスのこの一人にお母さんがフィリピンから来ている子がいるんので、フィリピンの踊りを教えてもらったので「バンブーダンス」を披露、そして、6年生への思い出が5つ目の宝。さいごに、「世界中の子どもたちが」という曲を自分のギターをバックにみんなで歌う。
 そんな出し物をしました。途中で、子どもの一人が机で頭を打って怪我をしたといったハプニングがあって、出し物どころじゃなくなったけど、子どもたちは十分に満足していました。まだまだ、声を出して欲しいとか、きちんと振りをして欲しいとかあったけど、いいところがたくさん出せる取り組みだったので満足でした。         (2001年2月25日)

納豆を貪り食う娘たち

自分たち夫婦は、小さいときから「納豆」を食べる習慣がなく、「食べ物」として認識をしていない。においをかぐだけでもいやで、思わず息を止めてしまう。それに、学校の給食に納豆が出たときも「拒否権を発動して」食べていない。自分たち二人の約束事であり、納豆を拒否するのは当然の権利であったはずだ!!
 それが・・・
 うちの娘たちは、小さいときから「保育園」の給食で、小さいときから「納豆」を食べている。今日、買い物に行ったときに、「自分が食べるから、納豆買って」と言ってきた。
そして、今日の夕食である。いつもは、「早く食べなさい!!」「ご飯は!!」と言われる娘が納豆でどんどんご飯を食べている。まさに、貪り食う状態である。「混ぜ混ぜまして〜ぇ」とか言っている。そこで、娘たちのはしで「混ぜ混ぜ」した・・においが充満している。それに、納豆がいっぱいついた服で抱きついてくる。「どうして、納豆食べんと?」とか言っている。
 しかも、ご飯粒が残っているので、お茶を入れて食べているじゃないか!!普通は、ご飯を残すことが多いのに、このときは2杯も食べた。部屋中納豆のにおいだらけなので、寒いのに窓を開けて、空気の入れ替えをした。
 つらい夕食である。
(2001年2月17日)

多重人格の私

 2月11日(日)の夜の12時25分から、日本テレビで、『ドキュメント’01』「多重人格の少女!37人の私の過去とは」という番組があっていた。最初ぼんやりと見ていたんだが、うちの連れ合いと二人で見ていて重たい雰囲気になってしまった。
 父親の虐待によって、いくつもの多重人格を作り出してしまった少女。多重人格については、いろいろと話で聞いていたし、うちんとも「ビリーミリガン」の話を読んでいたんだが、こうやって実際に映像で紹介されていくとショックである。15歳になるヒロという少女、母親、13歳の妹の暮らしの様子を長期取材したものなのだが、ヒロが37人の人格に代わっていく様子、ネガティヴな性格が表れていく様子、そして、同じように父親から虐待を受けてきた妹もいくつかの人格が現れていく様子、どれをとってもショッキングである。カウンセリングとかの様子とか見ていても、「人格統合に向けて」やっていくのだが、一向に好転しない。番組の最後には、少しは好転した姿を見せてくれるだろうと思っていたが、結局あまり変わらないまま。これからどうなっているだろうという不安でいっぱいである。父親を裁いてくのも一つの手なのかもしれないが、この「ヒロ」という女の子が今後どうなっていくのかが心配である。
 自分もこういう子どもと今後出会っていくこともあるかもしれない。どうしていったらいいんだろうか?その子その子で状態は違うとは思うけど、重たいことは違いない。だって、その子が突然0歳になったり、18歳になったり、自分を傷つけ続けた父親になったりするわけだから・・・。
(2月12日)

  


節分
 このごろは、うちの連れ合いがいろいろと忙しいので、何か自分も忙しいです。自分の職場は、そんなに忙しくないんだけど、何かきつい。また、更新もなかなか進んでないし、来てくれる人も少ないので何とかしないといけないとは思ってますが。どうしたらいいものか、悩んでいるところです。
 節分は、保育園の豆まきでうちの子どもたちは大泣きでした。鬼が怖かったみたいで、うちでも豆まきができませんでした。
 また、クラスの子どもたちには、「なぜ鬼の髪は、くしゃくしゃなのか。なんで赤くて、胸毛がいっぱい生えているか」という話から、自分のクラスの子にもいろいろな子がいるねと言う話をしました。今度は、浦島太郎の話でもしようかな。
                                        (2月4日)

とっても悲しいこと

 自分が初めてLPを買ったのは、1976年。そのときからずっとLPからCDまでを買っていた店が今度つぶれてしまいました。不幸な閉店みたいです。いろいろとサービスもしてもらったし、たくさんそこで買ったのでいろいろと思い出もあるし。何とかつぶれないでいてほしかったんだけど。自分にできることなんてないようなものだし。買いに行く店がなくなると言うことも悲しいんだけど、「お店の人がとても不幸な状況になるだろうな」ということを考えるととっても悲しいです。それが現実なのかも知れませんが、痛んでいく人を見るのは自分のような「温室で育ったような」公務員(自分だけかもしれませんが)には、たまらないことです。
 何とか早く復活してもらいたいと願うだけです。
(1月31日)

  成人式のこと

 今年の成人式のことで物議を醸しだしている。高松市のこと、高知県のことなどは、確かに見ていて、ひどいことだと思うし、各地の成人式の様子を見ても自分はあまりその場にいたくないなあと思う。でも、東京都知事の対応じゃないが、大人の対応も全く「大人げない」。すぐに、「今の若い者は・・・」という世代間のことに問題がすり替えられてしまう。でも、あんな風な表現しかできない若者もいれば、そうでもない若者もいる。同じことは、「大人」といっても全然話を聞こうとしない人がいれば、全然えらそうじゃない偉い人もいる。もっと一人一人の人たちを見ていかないといけないなと思う。そのためには、自分はいろんな人ととの出会いは決定的にかけている。
 昔、関東大震災があったときは、デマのせいで多くの朝鮮人が朝鮮人であるという理由だけで虐殺されたし、マイルスデイヴィスは「黒人」だという理由で、自分の家の鍵を開けていて、警察に泥棒と思われて連行された。日本でも、○○と言うところに生まれたという理由だけで、差別されている人がいる。
 高松市で逮捕された5人は、どんな小学生だったんだろうな。
 今年のことをきっかけに成人式のあり方を考え直していかないと、この事件は起こるべきしておきた事件である。
(2001年1月14日)

21世紀の始まりに
とうとう21世紀である。ずっと先だと思っていたことが、現実になってしまった。さあ、新世紀の始まりだと、心して除夜の鐘を聞いていたところが、上の娘が昨日昼飲んだモスシェイクでお腹をこわして、「気分悪い」といって、ゲロをはいていた。すると、下の子も一緒に泣き出すし、結局新世紀を迎えるという気分が日々の暮らしになってしまいました。まあ、それでいいんだけどね。
 
 きのうの紅白の「平井 堅」は、うまかったな。
 
 元日からいろんな店で初売りがはじまっている。楽しいんだけど、働いている人の労働条件とか守られているのだろうか?いろんな意味で無理をしてきた「ダイエー」が煮詰まってきている。今、無理に働かせておいて、会社の経営がまずくなったら「ぽいっ」と捨てられるのではないだろうか?北九州の「そごう」とがいい例であるけど。ちゃんと体をこわさないような勤務実態なんだろうか?そこで働いている人は、ゆとりある生活が送れているだろうか?年取ったから簡単に首をきられていないだろうか?子育てをじっくりとする余裕はあるんだろうか?何か陰で泣いている人がいるんじゃないかと思って・・。
 人を大事にする世紀であって欲しいけど、働いている人の一人一人が大事にされていくことからはじまることだと思う。
(2001年1月1日)

アンパンマン考
 今回のネタは、アンパンマンである。「子どもが絵本と出会う時(解放出版社)」という本からの引用である。
 うちの子どもも他の子どもと同じようにアンパンマンが好きである。アンパンマンは、内容をぜんぜん知らなくても、親の名前を呼ぶことができなくても口に出して「アンパンマン」と言わせて、好きにさせてしまうほどの素晴らしいキャラクターぞろいである。下の娘は、まだ「お父さん」と言えないのに「アンパンマン!」とはっきりと発音ができる。一つ一つの客たーもよくできていて、明確な性格設定もあって、どれもこれも愛すべきキャラクターである。
 このごろ本屋さんから「アンパンマンのクリスマス」という絵本を買ってきた。絵本だと作者のやなせたかしの考え通りに作られるので、とても心温まる優れた絵本であった。しかし、アニメのアンパンマンは、この絵本のように心温まる気持ちになれないのである。初期の絵本と今のアニメとの大きな違いが大きな原因である。この違いによって、人気がどっと出たのかもしれないが、この違いによって作者が最初に描いていた温もりはすべて失われてしまうことになった。
 「バイキンマンの登場である」
 アニメでバイキンマンを見ていると、何一ついいことがない、全く持って悪役で同情すべきものの何もなく、ただやっつけられるだけのキャラクターである。かわいらしいキャラクターデザインであったり、ドキンちゃんなどの存在もあってどぎつさは感じられないが、バイキンマンは「やっつけていい、殴りつけてもいい」キャラとして描かれる。それに対してアンパンマンは、完全無欠で何一つ悪いことがない。子どものお話だから、それはそれでいいのかもしれないが、
「アンパンマンの読み聞かせを始めて、子ども同士のいさかいがふえた」
という事例もある。もしも子どもが自分をアンパンマンと同化し、ある子どものことをバイキンマンのように「やっつけていい、殴りつけていい存在」と思いこんだなら・・・そういう考えが心の奥底に植え付けられたなら・・・。ヒューマニズムに満ちた物語としてアンパンマンが描かれるだけに、子どもや大人の内容を受けとめる姿勢は大きい。アンパンマンのようになりたい、なりなさいとなるわけで、勇気を持った、「正しい」もののために戦うひとになることは素晴らしいのだが、「正義の名の下に『やっつけていい、殴っていい』というものがある」というのがおかしいのは、日本が前の戦争でアジアの人にしたことからも実証済みである。
 やなせたかしは、今のこの話に満足しているのだろうか?
(2000年12月26日)

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