〜アジア横断編〜

探鳥日記 中 国(雲南省)

(2001年8月8日〜8月21日)


8月8日(水)(晴時々曇/不明;車中泊〜昆明市)
 午後、バスは昆明市についた。ラオス領事館が開くのは2時半。食事などで時間合わせをして、ぴったりに到着。1時間でできるというので、待っている間にホテルへチェックインを済ませた。それと、キャンセルした航空券の払い戻しも。
 領事館の前でどう見ても日本人のバックパッカーと会い、いっしょに夕食に行くことになった。弾けないギターをかついだ彼は、神戸の22歳の男の子で、彼女に振られたその日のうちにインド行きのチケットを買っていた・・・という歌で聞いたような成り行きだった。インドのことを聞いても、「“草”キメまくってたから、覚えてないっすよぉ〜」と笑う。ラオスのあとはカンボジアにも行くという。鉄道や乗り合いバスで回るぶんには、いくらカンボジアでも狙撃されることはないだろう。自転車の単独行とはスタンスがだいぶ違う。健康管理や危機管理、天候や標高のことを気にしなくていい、そんな旅も気楽でたのしそうだった。(写真;ラオスのビザ。このハンコが5000円もする。)
8月9日(木)(晴/昆明市〜玉渓市)
 8時半出発で、二度目の昆明市を後にする。今日から再スタートだ。自転車で西双版納地区へ。国境の街、孟力(以上1文字)月昔(以上1文字)を目指す。国道213号線を南下。小さな町をいくつも通るので交通量が多い。合間の農耕地ではセッカやハクセキレイが飛ぶ。久しぶりにヤツガシラを見た。たしか最後は上海より北、だったよなあ。
 玉渓市刺桐関の飯店に泊まる。(写真;まだ眠そうな新聞売り。昆明市。)
8月10日(金)(曇一時雨/玉渓市〜新平縣)
 8時出発、いきなりパンク。まだ朝飯も食べてないのに、と思いながら直して国道312号線を南へ。多少のアップダウンはあるけれど、おおむね下りだ。午後、通り雨。空家の軒先で雨宿りしていると、聞き覚えのあ る「パフパフッ!」というふざけたラッパの音。セブだ!彼がこの道を北上していることは予想していたけれど、こんなに早いとは思わなかったので驚いた。もっと驚いていたのはセブの方。何でこんなところにいる?バンコクはどうした?というので "You changed my destiny. I got the visa of LAOS!" と答えると喜んでいた。それから雨がやむまでの小一時間、旅の話をして過ごした。物腰から細やかな神経の持ち主であることがわかるし、話の中身はどうもナチュラリストのにおいがする。聞いてみると大学では植物学を専攻していたそうだ。彼の住む南仏には、冬場、スカンジナビアからものすごい数の鳥がやってくる。けれど、名前がわからなくてチェックリストをなかなかつぶせない。一度いっしょに見に行かないか、というので、フランスに行くことがあったら連絡すると約束した。雨が上がり、お互い背を向けて走り始めた。「Chao!」、「Sayonara!」。2度目だ。
 新平縣揚武の旅社に泊まる。(写真;「セブ、その格好、国籍不明だよ。」)
8月11日(土)(晴時々曇/新平縣〜元江縣)
 おとといあたりからイネの花粉が飛んでいるようだ。目がどうもすっきりしない。8時半出発。国道213号線で昆明市から景洪市へ行くには、大きな谷を3つ横切らなければならない。最初の一つ、元江の谷。一気に 1500mを下り、同じくらいまた登る、というクレイジーなつくりになっている。下り坂とはいえ、ところどころ土砂崩れがそのままになっていて、濡れた土で滑りやすい。谷底の橋を渡る頃には、田んぼの稲は花の時 期から刈り入れ時へと一気に変わり、花粉も感じなくなった。そして上り坂。急なところは自転車を押して少しずつ進む。
 まだまだ続く上りを明日に残して、元江縣大水平?に泊まる。(写真;街角の自転車屋。この中から自分のチャリに合う部品を探す。)
8月12日(日)(曇時々晴、夕立のち雨/元江縣〜墨江縣)
 8時半過ぎ出発。山越えルートだけれど、思ったほど急な坂ではなく、ゆっくりと高度を上げていく。墨江縣城区の手前10キロほどのところ、谷向かいの山が突然、原生林だった。ハイバラメジロの群の近くから別の鳥の声がする。探すとゴシキソウシチョウがいた。白、黒、灰、黄、オレンジ、赤の絵の具できっちり塗り分けられたような、きれいな鳥。ルリハコバシチメドリもいた。地味な褐色系の全身だけれど、翼と尾羽のふちに青紫がうっすら入るのが目をひく。こういうのを「混群」と言うのかどうか、彼らは付かず離れずのルーズなグループで、なんとなくいっしょに移動しているようだった。
 墨江縣双龍?の「娯楽城」に泊まる。カラオケ、マッサージ、食堂がいっしょになったトラックドライバーの安宿。(写真;女の子たちは長い髪を昼間に洗う。お湯もドライヤーも使わないから。)
8月13日(月)(曇時々晴、夕立/墨江縣双龍?〜墨江縣通関)
 8時半過ぎ出発。越えなければならない3つの谷のうちの2つめ、阿墨江へ下る。道はアスファルトがデコボコでワインディング。ブレーキレバーを握る手が痛くなる。
 ハムネハウチワドリは、野象谷熱帯雨林風景区で巣立ち雛とその世話をする親を見た。その時の印象が強かったけれど、さえずりを覚えてしまうと一面のトウモロコシ畑や街の空き地にもたくさんいることがわかる。自然保護区の鳥だけ見ていたら、ほんとうの姿を間違うところだ。景洪市で何百羽も飛び交っていたヒメアマツバメもちらほら見かけるようになった。2週間前、バスでブッとんで行ってしまったために、ぷっつりと途切れていた鳥相の線が、少しずつつながっていく。
 昼間には橋を渡って、対岸の尾根にとりつく。今日はけっこう進めるかも、と気楽にかまえていたら、登り坂が思ったよりハード。夕方、尾根上の街、墨江縣通関にやっとついた。まだ陽は高かったけれど、疲れていたので宿入りした。物干し場に乾きかけの洗濯物を釣っておいたら、突然の夕立でまたびしょ濡れに。(写真;山でも谷でも、どこまでもたくましく耕してある。)
8月14日(火)(曇のち晴、時々雨/墨江縣〜普耳(似た当て字)縣)
 9時出発。泊まったのは尾根上の街だったので、まずは下り。山の中に入ると濃い霧がかかっていた。カーブを回ると、谷側の木にクリミミチメドリの大きな群れがいた。熱帯の鳥がルーズな混群で動くのは「野象谷」で何度も見たので、他の鳥を期待して、ちょっと様子をみることにした。しばらくすると別の鳥の声が混じってきて、谷から次々に赤や黄や黄緑の色鮮やかな鳥たちが上がってきた。セアカモズチメドリ、アオノドゴシキドリ、オナガベニサンショウクイ、クロガシラウタイチメドリ、コシジロヒヨドリ、ハイバラメジロ。シジュウカラも混じっている。
 把辺(似た当て字)江まで数百メートルを下ったので、そのあとのハードな登りを覚悟していたけれど、道はスロープ状でゆっくりと走れた。普耳(似た当て字)縣同心大橋の飯店に泊まる。外人好きのねーちゃんがひとりいて、やたら抱きついてくる。シャワーは露天で裏のバナナ畑を見下ろしながら浴びた。髪を洗うのを手伝ってくれるのはうれしいんだけど・・・、触るなって!!(写真;中国の川は黄色い。南に下ると赤くなる。
8月15日(水)(曇のち晴、時々雨/普耳(似た当て字)縣〜景洪市)
 ブタが騒ぐので目が覚めた。他の客が乗りつけたトラックの荷台のやつだ。8時出発。今日のルートは、ほとんど下り。思芽(スマウ)市街を過ぎ、市境を越えて西双版納地区の入り口、景洪(ジンホン)市に入る。すると、急に道沿いの森がよくなった。原生林だ。常緑の広葉樹に蔦がからまり垂れ下がり、幹から着生植物が葉を広げる。笹や竹が中国らしい雰囲気にする。観光でやっていく地区だから、伐採や放牧を取り締まっているのだろう。鳥や虫たちも、自治体の方針で生きたり死んだりするわけだ。
 景洪市坡脚の飯店に泊まる。また「カラオケ大会の宿」に当たってしまった。(写真;村はずれのお寺。)
8月16日(木)(晴/景洪市坡脚〜景洪市孟力(以上1文字)養(似た当て字))
 8時出発。晴れだ。空気はまだひんやりとしていて、気持ちいい。国道213号線を南へ。ひとつ尾根を越えるごとに、森はどんどん良くなっていく。それだけで気分がよくなり、ペダルが軽くなって、爽快に山道を駆 けぬけてゆける。道は「国家級自然保護区」の中へ。あの1週間“暮らした”野象谷風景区でいちばんよく見た、ノドジロカンムリヒヨドリやメジロヒヨドリも出始めた。午後、野象谷の前を通過。これで自転車での走破ルートを、ひとつにつなげられた。バスと全くおんなじルート700kmを走ってみたのは、おもしろい実験になった。バスのときに見た鳥は、ツバメだけ、たった1種だった。
 景洪市孟力(以上1文字)養(似た当て字)の飯宿店に泊まる。1泊70日本円、1ヵ月1000円、と貼り紙がある。(写真;“ゲーセン”で遊ぶ小坊主。ダイ族は仏教徒だ。)
8月17日(金)(晴のち夕立/景洪市孟力(以上1文字)養(似た当て字)〜景洪市曼空万(似た当て字))
 夜明け前、とんでもない集中豪雨。たたきつける雨の音で目が覚めたのは初めてだ。宿のすぐ裏の川があふれて、中庭の排水溝にすごい勢いで逆流してきた。店の女の子たちの部屋に浸水、大騒ぎしながらドアの前にレンガを積んでいる。干していた洗濯物はもう手遅れだったので、また寝た 。
 朝はのんびりして、10時出発。メコン川沿いに南下していくと、町や村の様子ががらりと変わった。家が高床式の木づくりだ。ふだん着の民族衣装もよく見かける。なんだかもう中国を出たような気分。青く実った田んぼの中の一本道を、気持ちよく走る。暑くても、やっぱり晴れている方がいい。
 夕立で軒を借りたところが、宿だった。景洪市曼空万(似た当て字)の飯店に泊まる。(写真;ダイ族式の民家。)
8月18日(土)(晴時々曇、のち夕立/景洪市〜孟力(以上1文字)月昔(以上1文字)縣)
 9時出発。東へ。民家はまばらで、いよいよ辺境の雰囲気になって来た。アップダウンはあるけれど、路面が良くて走りやすい。午後の暑い時間を孟力(以上1文字)仝(似た当て字)の熱帯植物園で休むことにした。森を歩くと、いつの間にかクワガタムシを探しているのは、子供のころからの癖だ。ハイノドモリチメドリは、つたを縦にチョコチョコと登ったり下りたりと忙しい。鳥や虫も多かったけれど、それよりこの公園では、植物に圧倒された。まずその量。高木から林床の草、シダ、コケまでびっちりと生えている。それらが寄り添い、絡み合い、寄生したりされたり、少しでも光と養分を手に入れようと戦略の限りを尽くして、空間を奪いあう。気根はもともと海に生えていたころのおもかげ。地殻変動でインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し、海辺だった西双版納は押し上げられて陸に。その天変地異を進化で切りぬけたわけだ。気の遠くなるような長い時間の魔法。板根なんて恐竜の足を思い浮かばせる迫力だ。樹は動けない。動かないことを当たり前とした生き方には、静かだけれど、地鳴りが遠くから聞こえてくるような凄みがある。
 孟力(以上1文字)月昔(以上1文字)縣孟力(以上1文字)醒農場の飯店に泊まる。(写真;“絞殺”樹なんてゆうなまやさしいモンじゃない。寄生植物はコンクリートを塗り固めるように大木にからみつき、栄養を 奪って殺す。)
8月19日(日)(曇のち晴、夜雨/孟力(以上1文字)月昔(以上1文字)縣孟力(以上1文字)醒農場〜孟力月昔縣城区)
 9時出発。中国製の地図に距離35キロとあったのに、実は目的地まで倍あった。しかも山越えルートで上りはハードサイクリング。そのぶん周りの森はとても良い。自然保護区の合間に集落がある、といった感じ。よ く茂った林の地面をイワミセキレイが歩いていた。このあたりでは冬鳥のはず。野象谷で見たキセキレイにしてもそうだけれど、南に居残って子育てするやつがいるんだろうか。それとももう南へ帰ってきた気の早いやつを見つけたんだろうか。急峻な地形は滝と岩清水をつくり、日本の山を思い出した。
 孟力(以上1文字)月昔(以上1文字)縣城区のホテルに泊まる。日曜日の夕方、町の人たちは広場を散歩し、花壇にこしかけておしゃべりをし、子供は風船を買って、のんびりと過ごしている。(写真;民家の軒先には捕虫網。大人も子供も蝶を採って、標本商にたぶん買い叩かれている。)
8月20日(月)(雨のち晴/孟力(以上1文字)月昔(以上1文字)縣城区)
 ラオスに入る前に体調を整えるつもりで、休息日と決めた。特にすることもなく、昼寝をしたり、街を歩いたり。郵便局に寄ったらその隣が美容院だったので、衝動的に髪を切ってみた。
 きのうと同じホテルに連泊。(写真;中国の1圓はラオスの1200キップ。100圓(1400日本円)ほど換金しただけで、札束。)
8月21日(火)(晴時々曇/孟力(以上1文字)月昔(以上1文字)縣城区〜孟力敢)
 9時出発。長かった中国も今日まで。ゆるやかな坂道の続く山の中を、南へ。たまに乗り合いバスが通るくらいで、静かだ。途中、後輪のスポークが2本折れたので修理。もういいかげんに全交換したいけれど、バンコクあたりの自転車屋に行かないと工具がないだろう。こうなったら折れても折れても直して走ってやるっ、というつもりで、通りかかった町でスペアをたっぷり買い込んだ。
 国境の街、孟力(以上1文字)敢(モーハン)の飯店に泊まる。夕食は、警察官やらテレビ局の記者やらの10人ほどに誘われて、円卓で飲み会。いつも通り「乾杯(カンペー)!」と言っては焼酎の一気飲みを何度もすることになった。中国人は中国最後の夜まで、人なつっこい中国人のままだった。(写真;国境近くには軍人。夕日のなか、両手にレンガを持ってジョギングする。)

探鳥日記 ラオス