〜アジア横断編〜

探鳥日記 中 国(貴州省〜雲南省)

(2001年7月4日〜8月6日)


7月23日(月)(晴時々曇/師宗縣〜石林縣)
 8時半過ぎ出発。324号船を西へ。小高い峠の街路樹には、オオアカゲラが飛んできた。図鑑の分布図からは少し外れるけれど、あれは見慣れたやつだった。タカサゴモズは亜種tricolor?。頭が黒いところはフィリピンの亜種に似ていて、背中がオレンジなのは南東中国の亜種に似ている。カタグロトビの飛び方は、タカ類というよりはアジサシ類みたいだった。だだっ広い高原の青空をはたはたと飛んでは、ときおりカワセミのような停空飛翔をして獲物を探し、落ちていく。青空をバックに丘の上を歩く小やぎとやぎ飼いの少 年は、まるで雲の上を歩いているようにのどかだった。
 石林縣北大村の旅社に泊まる。少数民族のやっている食堂が並び、看板には漢字じゃない文字が並ぶ。(写真;雲南省!)
7月24日(火)(晴時々曇/石林縣〜昆明市)
 8時半出発。324号線を走るのも今日が最後だろう。標高5メートルの香港から目指してきた、標高1891メートルの昆明は、もうすぐそこだ。雲南省は観光地がたくさんある。そのせいで観光バスや家族連れのマイカーが多い。国道沿いにはレストランが並び、店員が呼びこみをしている。しだいに増える車にわずらわされながら、バイパスの路肩を注意して走り、市街地に到着。
 市区内の大酒店(ホテル)に泊まる。さて、中国の次をどうするか。ここにいる間に決める。
(写真;昆明市の中心にある広場。)
7月25日(水)(曇時々雨/昆明市)
 大きな街についたら予防接種を受けるのがお約束。狂犬病の3回目、ジャスト指定日だ。昆明には病院を紹介してくれる知りあいがいないので、飛び込みからタライ回しの5軒目でワクチンを見つけた。新しい注射器であることを確認させてもらってから、打ってもらう。これでノルマはほとんど終わった。あとは数ヵ月後に肝炎の3回目を受ければ、パーフェクト。本屋や自転車屋へ行ったり、いらなくなった物を日本へ送る準備をしたりして過ごす。昆明市内にはスズメばかりで、ニュウナイスズメを見なかった。
 昆明市に連泊。(写真;映画「チャーリーズエンジェル」の看板。メ美国モは米国。)
7月26日(木)(曇時々晴/昆明市)
 時間の制約は何もなかったはずの旅に一つだけタイムリミットができた。それは、日本を出る前にジャカルタに送っておいた、補給品の問題。とりあえずはパスポートのコピーと念書を送って、インドネシアの税関に輸入品ではないことを承知してもらってはいる。けれど、9月に本物のパスポートを持っていかなければならない。
 中国の次にベトナム入国、はない。というのは、昆明市ではビザが取れないから。必要なら香港で取れたけれど、ビザ待ちの時間とその間の滞在費を、フィリピンで使うことにした。ミャンマーは合法的には陸路封鎖。残るはラオス。この国が今、どれくらい危険なのかわからない。自転車の単独行ができるのだろうか。バスで進むことができる程度には安全らしいけれど、走れないのなら入国する魅力はない。
 結局、来月の初めに、昆明からタイのバンコクへ一気に飛ぶことにした。そして時間が許す限り、雲南省にいる。というのは、どう考えても、今まで行った中国の省の中で、ここがいちばんおもしろそうだから。これをあわてて素通りじゃ、もったいなさ過ぎる。というわけで、旅行会社でディスカウント航空券を買った。そして明日、自然保護区の多い雲南省南部へ、夜行バスで直行する。
 昆明市に3連泊。(写真;街角のキリギリス売り。竹の籠に1匹ずつ入っている。)
7月27日(金)(曇時々晴/昆明市〜(不明))
 10時過ぎにホテルをチェックアウト。十分余裕を持って長距離バスの駅に着く。食事などで時間をつぶす。新しくてきれいな観光バスで、ガイドさんもついて日本の高速バスと変わらない。午後2時半に発車。いくつかの街で人と荷物を積んで、西双版納(シースーバンナ)地区を目指す。距離700km、所要時間16時間と時刻表にある。チケットは2100日本円だった。
 夕暮れ時のバスの中、することもなく窓の外を眺めていると、このバスが自転車をこぐもうひとりの自分を追いぬいたり、街角の小汚ない食堂にこしかけている自分がいるような幻想にとらわれた。僕の居場所は、このリクライニングシートの上ではないのかもしれない。(写真;夜行バスで行く。)
7月28日(土)(曇時々雨/(不明)〜景洪市)
 休憩だの検問だのでバスが止まるたびに何度か起きた。6時、まだまだ外は真っ暗だ。この3ヶ月で、ずいぶん西まで来たんだな。9時前に景洪市に到着。ものすごい数のヒメアマツバメが空を舞う。荷造りと朝食をのんびりとしてから、市内の観光地はすっとばして北へ。とりあえず野生のゾウを見たいので、野象谷熱帯雨林景区を目指す。途中、西双版納(シースーバンナ)原始森林公園という看板。名前に引かれて入ってみたけれど、ハイヒールでも行ける観光地だった。というか、ほんとうにニシキヘビがいそうな原生林には遊歩道がない。これは、動物たちにとっていいことかも。竹林が多いせいかマミジロムシクイをよく見かけた。コシジロキンパラは巣作りの真っ最中。シュロの皮のような繊維を運んでは、横に出入り口のあるつぼ型の巣を2羽で作っていた。はハデで、陸貝は殻の上に肉質がかぶっていた。
 夕方から雨が降り始める。このあたりが雨季と知って来たんだからしょうがない。景洪市の孟力(以上1文字)界(似た当て字)の招待所に泊まる。(写真;熱帯雨林の谷。からみつく葉は幹とは別種。)
7月29日(日)(曇一時雨/景洪市孟力(以上1文字)界(似た当て字)〜景洪市三盆河)
 10時に出発。北へ向かって山道をゆく。尾根をいくつか越えて、昼前に「野象谷熱帯雨林景区」に到着。ゾウの生息する自然保護区の一部に、遊歩道をつけて入れるようにした森林公園だ。園内の宿泊施設にチェックインし、さっそく歩き始める。
  森は、はじめて聞くさえずりにあふれていた。エボシヒヨドリ、ギンムネヒロハシなど、その種はもちろん、科さえ初めてみる鳥が次々に現れる。衝撃的だったのは、ホオアカコバシタイヨウチョウ(タイヨウチョウはメsunbirdモの意)。のどもとがオレンジ色、胸と腹がレモン色で綺麗な鳥だなあ、と葉陰でちょこちょこ動くのを見ていた。ら!、ちょっと日なたに出たとき、背中がギラッとふかみどりに輝いた。昆虫の色だった。2キロほどの遊歩道を様子見で往復してみた。沿道にはゾウのフィールドサインがいたるところにあった。(写真;初めてのフィールドに入ると、野帳にメモがいっぱいたまる。夜、図鑑と照らす。)
7月30日(月)(曇、早朝と夕方雨/景洪市)
 7時前、そろそろ出発しようと身支度していると、外でバサッと音がする。小道をはさんだ向かいの食堂で、なにかが落っこちたか、倒れたかしたのかな、と思った。窓から見ると、なぜだか木の葉が一枚、はらはらと地面に。たいして気にも止めずにさあ出発、と外へ出ると、大きめの鳥が地面から飛び立つ。なんとこれがカンムリオオタカ?だった。足に獲物を持っている。そうか、さっきの音はハンティングだったんだ、と思いながらいっしょうけんめい目で追う。背面は青味のない淡褐色、下尾筒が上面にめくれ上がって腰が白くみえる。下面と、肝心のカンムリが見えないまま、林内へ。林に近づいて探したけれど見つからず、そのうち小尾根の向こうから「キュウーン、キュウーン」という聞き慣れたオオタカそっくりの鳴き声が聞こえた。
 自転車で遊歩道の入り口まで行き、朝霧の残る森へ入る。ゾウは見られるだろうか。良く出るポイントで待ちながら川を見下ろすと、倒木におおとかげの子供がペッタリと貼り付いている。まだ80cmくらいしかないけれど、倍以上になるやつだ。切り株にはアガマ科?のとかげ、40cmくらいある。鳥は、セキショクヤケイなどを追加した。けれど、ゾウは、出てこなかった。園内の宿泊施設に連泊。(写真;象を待つ。)
7月31日(火)(曇時々雨/景洪市)
 千円の部屋に泊まりつづけるのは無理なので、朝、相部屋に荷物を移して9時半から森に入る。きのうと同じ場所でゾウを待つ。この場所にいちばん多い鳥は、ノドジロカンムリヒヨドリとメジロヒヨドリだ。ハイガシラチメドリが時々やってくる。
 同じ所にいるのに退屈して、昼過ぎに散歩。一羽の鳥が頭上の樹冠に止まった。ヒヨドリよりずっと大きい。腹側しか見えないけれど、とんでもない色をしている。下尾筒は鮮やかな赤。腹は深緑とエメラルドグリーンのうろこ状で、側面に行くにしたがってレモン色になる。胸元の羽根は光りの加減かキラキラする。尾羽は空色で、黒く縁取られている。首から上は黒くてギョロリとした目、肌色の太い嘴で木の実を食べている。野帳にメモとスケッチをしたあとで、こんな鳥ゃいねえよ!、とひとり突っ込みをしてしまう。図鑑を調べると、オオゴシキドリだった。熱帯の鳥を見るのは、エキサイティングだ。
 園内に3泊目。(写真;今日も、ゾウを待つ。)
8月1日(水)(雨/景洪市)
 9時出発。遊歩道入り口の駐車場で、いきなりメどモ珍鳥を見つけた。キセキレイだ。この時期、こんな南に居残っているやつがいていいんだろうか。地鳴きもぴったり、あの声。子育てでもしていたら、いい記録になるのかも知れない。
 展望台でゾウを待つ。きのうからここに泊まりこんでいた中国中央電視台のスタッフは、エリグロヒタキとセミだけ撮って帰って行った。番組は「ゾウには出会えなかったが、森を歩くとその息づかいを感じるようだった・・・」とかのナレーションでよしとするのかもしれないけれど、こっちはそんなに大人にはなれない。アオバネコノハドリはオスメスもライムグリーンの全身を、レモンとスカイブルーで飾る。このあざやかな色合いが、エバーグリーンの森ではデキのいい保護色になっているのだった。寸詰まりのキツツキが出てきた。全身朱色のやつと、地味〜なオリーブ色のやつ。背格好が良く似ているのでつがいかなと思ったら別種、インドミツユビコゲラとアジアヒメキツツキ。熱帯雨林の鳥たちは、少しくらいの雨なら平気で飛びまわっている。
 園内に4泊目。夜、大雨。(写真;昼、このレストランの定食を食べるのが、日課になった。)
8月2日(木)(雨のち曇のち晴/景洪市)
 朝から雨だ。弱気な気分で、もし今日新しい鳥が出なかったら、ゾウはあきらめてここを出ようか・・・と思っていたら、窓の外にいきなりハイムネハウチワドリコシジロヒヨドリを追加。森が呼んでいる。
 昨夜の大雨のせいで川は増水し、遊歩道には土砂崩れ。いつもの場所でゾウを待つ。ムナフタイヨウチョウやキバネヒヨドリが通っていく。居座る鳥と流れる鳥がいるようで、こっちは毎日おんなじ所にいるのに、やってくる鳥の方が変わる。昼前、すっかり顔見知りになった食堂のジンメイさんが、社員用の空き部屋に、ただで寝泊まりさせてくれるという。宿泊所の方をチェックアウトするため、午後いったん谷を出た。自転車でフロントへ向かっているとき、カンムリオオタカを発見。灰色の横顔とレモン色のアイリングが記憶に残る。
 夕方、青空が広がった。西双版納(シースーバンナ)地区に来て初めてだ。野象谷熱帯雨林景区に5泊目。(写真;熱帯雨林で夜を過ごす。うれしい。)
8月3日(金)(曇時々晴/景洪市)
 7時に起きた。食堂の従業員4人と朝食をともにする。今日も一日、いつもの場所でゾウを待つつもりだった。ところが8時過ぎに、電話がかかってるよ、と呼ばれる。心当たりがあるはずもない。出てみると、この公園のガイドのひとり、ダイ族の女の子だった。5日も同じ所に通っていれば、すぐみんなと顔見知りになってしまう。彼女は英語を使うので、夕食の時に一度話したことがある子だ。覚えてるよと言うと、連休だから街へいっしょにいこうと誘う。悪いけどゾウを見たいんだと断ったけれど、メPlease give me a chance.モと言われて「ノー」とは返せない。
 バスでメコン川を渡り、景洪(ジンホン)市区へ。彼女は8人きょうだいの末っ子。勉強家で、西双版納(シ_スーバンナ)地区のことなら、たいていのことは知っている。鳥は427種いるそうだ。食事をし、テーマパークを歩き、ショッピングをした。夕方6時半、夕食に誘う彼女を街に残し、最終バスでひとりメコン川を渡る。メBecause ..... elephants are waiting for me.モ以外に、何と言えば良かったのだろう。
(写真;景洪市内。街路樹が・・・。)
8月4日(土)(曇時々晴、夕立/景洪市)
 朝目が覚めて、思う。もうここに6泊した。いくらなんでもこれ以上は無理だ。もう1ヶ所行っておきたいところがあるし、ゾウが出なくても明日にはここを出よう、と決めた。朝食をすませ、いつもの散歩コースへ。ヒメオウチュウが谷川の両岸を行き来しながら、トンボを採っているのを見ていた。すると、食堂の従業員のひとり、シャオツーが呼びに来る。ゾウは、来ていた。それも、みんなが眠っていた、日の出よりずっと前に。
 シャオツーに聞いた場所に行くと、真新しい足跡と糞。10頭分くらいだという。ゾウは谷の下流から、川より一段高い林の中を歩いてきていた。僕らが寝起きしている建物の50m手前にある湿地でしばらくうろうろしたあと、斜面を登って森へ帰っていた。残念だけれど、縁がなかったとあきらめた。
 野象谷熱帯雨林景区に7泊目、最後と決めた夜。(写真;金色のツノカメムシ科??。武器のような後ろ脚。)
8月5日(日)(曇のち晴/景洪市〜孟力(以上1文字)海縣)
 熱帯雨林にいるのは楽しくて、竜宮城の浦島太郎のように過ごしてしまった。親切にしてくれた食堂の人たちにお礼を言って、谷を出る。自転車に乗り、南下。次はミャンマーとの国境の町、打洛(ダムルー)を目指す。
 昼過ぎ、水田地帯の緩やかな坂を登っていると、遠くからサイドバックをつけたマウンテンバイクが下りてくる。メWow! A bicycle tourist !モと手を振って声をかけると、むこうはパフパフッとふざけた音のラッパを鳴らして答える。旅に出て3ヵ月半、初めて会ったチャリダーは、フランス人のセブ。道端に座りこんであれこれ話し込む。セブは旅立って17ヶ月目、フランスからユーラシアを横断している途中で、そのあとはアメリカへ飛ぶ予定だという。「画家のチャリダーには会ったことあるけど、バードウォッチャーは初めてだよ」という彼は双眼鏡を持っていて、デジカメのヒメオウチュウを見せると メOh, Drongo.モ という程度には鳥を知っていた。フィールドスコープがないから、大きな鳥と獣だけ見るそうだ。
 景洪市から西へ折れる。まわりの鳥はカタグロトビやタカサゴモズ(亜種tricolor?)、リュウキュウヨシゴイなど、メ普通のモに戻っている。要するに人間が壊した環境にも住める鳥たちだ。55km走ったところでコンテナつき相乗りタクシーに乗り、孟力(以上1文字)海縣の城区まで35km。そこから自転車でさらに25km走って強引に距離をかせいだ。これであした雨が降っても、打洛に着ける。孟力混の旅社に泊まった。軒先にヒメアマツバメの巣がある。(写真;夕方6時半、日の入りと競争しながら自転車をこぐ。)
8月6日(月)(晴/孟力(以上1文字)海縣孟力(以上1文字)混〜孟力(以上1文字)海縣打洛)
 ゆうべから迷っていることがある。きのう会ったフランス人のセブ。彼はシンガポールから北上、ラオスを自転車で突き抜けて来た。セブによると、首都ビエンチャンと中国国境の街ボーテンを結ぶ国道は国軍が完全に征圧していて、たまにある銃撃戦は山奥だけ、という。だったら、ラオスを走りたい・・・けれど、インドネシアの税関問題もあるし、ビザをとるには、昆明市まで戻らなければならない。8時半に出発して、あれこれ考えながら走る。昼過ぎ、打洛(ダールー)森林公園に到着。すぐに公衆電話をかけて、バンコク行きの航空券をキャンセルした。税関問題は・・・なんとかなるだろ。明日の午後からバスで昆明へ戻り、そこからやり直し。ビザを取ってから自転車で国境を目指し、ラオスへ行くと決めた。
 公園内の宿泊施設に泊まる。ここは水田地帯のちょっとした丘に残った森。大木もあるけれど、良く育った二次林という感じ。竹林は原生林らしい。(写真;打洛森林公園。これも中国。)

探鳥日記 ミャンマー