〜アジア横断編〜

探鳥日記 中 国(香港区〜貴州省)

(2001年7月4日〜7月22日)


7月4日(水)(晴/香港島〜南海市)
 8時出発、タクシーで病院へ。狂犬病の予防接種2回目を打ってもらう。1回目と2回目は1週間のインターバルで受けなければならないので、その間フィリピンへ飛んでいたというわけ。7階の食堂で遅い朝食を食べながら街を見下ろしていたら、旋回するトビ。中国に入って初めて見た。もしいちばん日本らしい鳥を選ぶとしたら、トビかハシブトガラスかもしれない。地下鉄で九龍へ渡り、ホテルに預けてある自転車を迎えに行く。フェリーターミナルへ。午後のカタマラン(双胴船)で南海市平州へ向かう。香港入りした時と同じルートを戻ったのに、なぜか手荷物代を取られずに1500円以上も安かった。
 前にも泊まったことのある招待所に宿泊。みんな覚えてくれていて、歓迎してくれた。(写真;香港フェリーターミナルの出航ロビー。きれいなビルの3階。)
7月5日(木)(晴/南海市〜肇慶市)
 最近、日中の真上から照りつける太陽が、かなり力強い。だからなるべく早朝から走るために、ゆうべ夜店で目覚ましつきの置き時計を買った。80円で大丈夫か?と心配したけれど、ちゃんと時間通りに鳴った。ただし、自転車で持ち運んでいる間はでたらめだ。職務に忠実な“置き”時計。
 8時出発。交差点を奔放に横切る自転車の波。老人とちょうど出会い頭になり、ちょっとブレーキをかけて譲る。目が合うと、彼はニコリと笑った。そうだ、中国に帰ってきたんだ。国道321号線を西へ。佛山市の市 街地を抜けると、まっ平らな農耕地帯の中のまっすぐな道。やっぱ、自転車は気持ちいい。昼頃から曇り始めたので暑くならず、快適に1日走った。(写真;センターラインは茶碗のかけら。どうやって何百キロも埋め込んでいくのだろう。)
7月6日(金)(曇のち大雨/肇慶市〜雲浮市)
 今日はレースの日。台風4号、“尤特(ユーテク)”が追ってくる。空は晴れ間があったり黒雲があったり、不安定そのもの。7時半スタート! この時点でユーテクは北西向きに時速20キロで進んでいて、香港に上陸しつつあった。荷物を満載した自転車は時速15キロほど、スリリングな速度差だ。国道324号線を西へ。何度も後ろを振り返って、空を見る。市街地で手こずっている間に、雨雲がみるみる近づいてきた。時折強い風で揺さぶりをかけてくる。10時過ぎには小雨につかまった。駄菓子屋にピットインし、アイスティーでエネルギー補給。雨具を装備してコースへ戻る。雨が本降りになると、風がやんだ。昼飯を食べながらニュースを見る。ユーテクは上陸しても中心気圧975ヘクトパスカル、最大風速25メートルをキープ、もうだれかひとり殺している。しかも陸に上がったあと方角を真西へ変えて、広州市から肇慶市方面。こっちと全くおんなじルートだ。しつっこいやつ。
 午後2時、横なぐりの雨のためリタイア。記録61キロと30メートル。雲浮市夏洞街の旅館に宿まる。(写真;バナナ畑を抜ける強風は、悲鳴のような風切り音を上げる。) 
7月7日(土)(雨/雲浮市〜夛定市)
 台風は熱帯低気圧になり、しとしとと雨を残した。7時半出発、国道324号線を西へ。田んぼの稲はもう黄金色で、重たそうにうなだれている。近づいてきた山には石切り場があって、道沿いに石材屋の集落がいくつ も続く。絶壁にあるちょっとした穴やひびには、巣なのか休み場所なのか、ハッカチョウが出入りする。午後にはいったん雨があがり、追い風が吹いた。
 夛定市(夛は似た当て字を使っています)の大酒店に泊まる。今日は7月7日。本家の中国でも太陽暦のこの日が七夕になるのかどうか知らないけれど、とりあえず夜空は思いっきり曇っている。(写真;地下性のヘビ、だと思うんだけれど。道でたくさん死んでいた。) 
7月8日(日)(曇時々晴のち夕立/夛定市〜容縣)
 アオハウチワドリのさえずりを聞きながら、国道324号線を西へ。午前中には小さな峠を越えて広東省をクリアし、広西省に入る。道は広く、平坦で、アスファルトも新しい。そのうえ交通量が少なくて、走ることが 心地よい。風水では「東風(ドンプウ)」は吉兆だという。午後から東の風、つまり追い風になった。すべてがうまくいっているような気持ちになり、幸福感さえ感じ始める。
 夕立ちを橋の下でやりすごしてから容縣の街へ入る。城区内のホテルに宿泊。走行距離が130kmを越えたのは久しぶり。こんなことすると、そのあと何を食べてもおいしく感じてしまう。(写真;食堂で拾った小ぶ りなカブトムシ。オレンジ色の女の子が、「手ぇ洗いなよ」と言った。) 
7月9日(月)(晴/容縣〜興業縣)
 8時出発。今日も国道324号線を西へ。広西省に入った頃から、ひとつ変わったことがある。いままで走ってきたところのほとんどは、少し走れば次の町に入る「どこに行っても人がいる中国」だった。でも、このあ たりは、様子が違う。国道を走っているのに、場所によっては、食堂や宿のある集落が数十キロも離れている。両側の農耕地は、はるか遠くの山まで広がり、小高い丘を登りきったところから見下ろす景色は雄大だ。自転車で走るには、やっぱりこんなところが気持ちいい。ただし、鳥はあんまり見られない。たたきつけるような日差しの午後にはセミの声しか聞こえず、たまにいるのはタカサゴモズくらいだ。
 興業縣城区内の旅社に泊まる。道にははだか電球をともした露店が並び、亜熱帯の街は遅くまでにぎやか。(写真;7月はじめにこんな景色。作業はすべて手。) 
7月10日(火)(曇のち晴/興業縣〜賓陽縣)
 8時半出発。午前中は曇っていたので走りやすかった。平地には田んぼ、丘陵地に入ると一面のバナナ畑。ところどころマンゴーやライチの畑もある。午後は良く晴れてかなり暑くなる。真上から照りつける太陽は、景色から陰と現実感を奪う。アスファルトから照り返す熱を受けて走っていると、今、登り坂なのか下り坂なのか、という感覚さえも、薄れてゆく。数日前から、昼間に虫に刺されるようになった。これがものすごく小さくて、とまっていても翅を見分けられないほどで、ただの黒点。最初はノミかと思った。店先で冷たいものを飲んでいる時に狙われる。刺し跡は、蚊にやられた時くらいの大きさに腫れて、真中に赤い点が残る。双翅目だと思うけれど、ブユの仲間だろうか。
 賓容縣黎塘の旅社に泊まる。(写真;午後5時。気が済むまで走っていいよ、と太陽が言う。) 
7月11日(水)(晴時々曇/賓容縣〜南寧市)
 川沿いの国道を西へ。それにしても台風4号の爪跡はひどいもんだ。水位は5メートル以上も上がったらしく、岸近くの田んぼは、一面まっ茶色になった稲が倒れている。ガソリンスタンドで読んだ新聞には、フィリピン北部では120人が死んで、行方不明が70人と書いてあった。食堂で台風被害のテレビニュースを見た。料理を持ってきた女の子に「中国では何人死んだの?」と聞いたら、目を合わせて一瞬の間をおき、「知らなーい」の一言だった。そりゃそうだ、と思って笑った。
 南寧市五塘の旅社に泊まる。宿の向かいのちょっとした広場は、夜遅くから星空カラオケになった。酒を飲み、大声で歌う。みんな陽気だ。(写真;宴の後。中国人に「ガラ入れ」という発想はない。椅子の下の“大地”に捨てる。)
7月12日(木)(晴/南寧市〜隆安縣)
 8時過ぎ出発。西へ。南寧市の中心地を抜けると、洪水だった。国道は完全に水没している。警察が出て通行禁止の看板を立ててはいたけれど、みんなズボンをまくり上げてじゃぶじゃぶと入っていく。台風から6日もたっているのにこの状態じゃあ、待ってどうにかなるものでもない。自転車を押して進むことにした。深いところはひざより上。そこへ強行突破のダンプカーが近づいてくるもんだから、歩いている人たちは「おいおいマジかよ〜」と言うように顔を見合わせて、浅瀬に非難。打ち寄せる波を、つま先立ちでかわす。大喜びなのは、カワセミと子供たちだ。声と水しぶきを上げてはしゃいでいる。ちゃっかりした大人は、街路樹にサシ網を渡して、ひれの赤い大きな魚を採っていた。1キロあまりを歩き終わったときには、サイドバッグはびしょ濡れ。そのまましばらく走って、通りかかったガソリンスタンドの片隅で炎天下に荷物を広げさせてもらい、洗面所で靴と足を洗った。
 隆安縣城区内の旅社に泊まる。宿の女の子が口ずさんでいたのは、きのうカラオケで何度か聞いたデュエット曲だった。(写真;沈む国道324号線。)
7月13日(金)(曇のち晴/隆安縣〜百色市)
 8時半出発。田んぼの中を抜ける324号線を北西へ。見晴らしのいいところにとまって独り言のように鳴いているのは、ハイイロモリツバメ。ついこの間フィリピンで見たモリツバメとは、胸の色がはっきり違う。け れど、飛んでいるときはどちらの種か見分けられなかった。シロガシラを久しぶりに見たら、頭の白くない亜種Hainanus?だった。巣立ち雛もいる。
 昼過ぎに平果縣の城区に入る。あまりの暑さにもう今日はここまでにしようかと思っているときに、長距離バスの駅を見つけた。時刻表を見るともうすぐ出発、これで行こう! 座席は「フルタイムリクライニング」で、靴を脱いで足を投げ出して座る。自転車を隣の席に載せてくれたので、その横に寝そべった。何がすば らしいって、ずっと日陰にいられるってこと。いつのまにか、ぐっすり眠っていた。
 夕方、百色市の市区に到着。安宿2軒に外国人は泊められないと断られ、ホテルへ。1000円の部屋、エアコンも温水シャワーもあるし、テレビの画面なんてフラットだ。オリンピック選考委員会の投票中継を見る。 2008年は北京に決まった。この街でも花火が鳴り、人の歓声が聞こえる。よかったね。(写真;2階建て「寝台」バス。女の子が車掌。)
7月14日(土)(晴/桃色市〜田林縣)
 8時半出発。国道324号線を北西へ。刈り入れの終わった田んぼでは、次の田植えのためにもう苗代をつくっている。まわりは山がちな地形になり、横を流れる楽里河を見下ろしながら進む。ところどころ数人のグループが川に入り、魚を採っている。爆弾漁法だ。ドンッ、という腹に響く音がして2、3メートルの水柱が立つ。すぐに網を持った人が浮いてきた魚をすくう。池では電撃漁法も見た。ランドセルくらいの電源をしょった人が、電極をつけた竿を水面に漬けながら池の回りを歩き、もうひとりが網ですくう。
 田林縣の城区に入り、旅社へ。シャワーを浴びてくつろいでいたら、外国人は泊められないから国営の招待所へ行ってくれとのこと。娘さんしかいないときにチェックインしたため、お女将さんが戻ってきてそういうことになったらしい。こっちはこんなことにはもう慣れっこだけれど、娘さんは責任を感じて招待所までついてきてくれた。大きなホテルだったので値段を心配したけれど、古い棟の料金は安宿と変わらなかった。(写真;土曜の朝飯屋は、家族連れが多い。)
7月15日(日)(雨のち曇/田林縣城区〜田林縣桃板)
 このところ早朝は曇っていてだんだん晴れるパターンが多い。でも、今日の雲行きはどうもおかしい。頭がすっきりしないのは気圧が低いからだろう。いったん出発したけれど、すぐに引き返して宿のロビーで様子を見る。9時半から大雨になった。出かけなくてよかったと安心して、ソファーで居眠り。正午、小さな青空を見つけたので出発。
 山あいを抜けていく国道324号線を北西へ。尾根を越えるアップダウンとカーブをひとつひとつ過ぎながら、高度を少しずつ上げていく。稲刈りまっ最中の田んぼもあれば、もう2度目の田植えが済んでいる田んぼもある。曇り空にカンムリワシが浮いていて、山肌で上昇気流を探すが見つからない様子。何度か濃い雲に追いつかれたけれど、たいした雨にはならなかった。
 田林縣桃板の郵電局が経営する招待所に泊まる。いつも通り最低額の部屋を頼んだら、その値段でいいからと別棟の「貴賓館」に入れてくれた。どう見ても払った何倍もしそうだ。日本人だからか、自転車の旅だからかわからないけれど、店や宿の人は親切にしてくれる。(写真;カメラを向けると、恥ずかしそうにするおばあちゃんと、お構いなしに歌い続けるおばあちゃん。かわいいひと。)
7月16日(月)(曇時々晴、一時雨/田林縣〜隆林縣)
 泊まった宿は小さな谷を少し入った静かなところにあった。朝、チョッ、チョッ、チュヒ、チュヒとせわしない鳥の声が聞こえる。庭を見ていたらズアカチメドリが出てきた。ゆうべ明かりに飛んできた蛾をくわえて茂みに戻る。8時過ぎ出発。しばらくは川沿いの平坦な道を行くが、両側の山が迫ってきて山岳ルートになる。山は全て伐採済みのうえ、そのあと水牛を放しているので、ろくな植生じゃない。草地や開けたところに棲むヤマザキヒタキやカオジロガビチョウなどが目に付く。レンジャクノジコのオスは全身まっ黒、翼と尾だけ赤茶。頭の細い冠羽をピンッと立てて梢でさえずる。メスは褐色のまだらで地味な色合い。地面をごそごそと歩いては青虫を見つけ、巣立ち雛に食べさせていた。
 大きな峠を一つ越える頃にはもう夕方。下りを一気に終わらせて、隆林縣委楽の飯店に泊まる。夕食は、町の教育委員会の若いメンバーに誘われて、飲み会に。(写真;石造りの家に住み、山羊を飼う。「東洋」のイメージが間違っていたことに気づく。)
7月17日(火)(晴時々曇/隆林縣〜安龍縣)
 8時半出発。川沿いの国道324号線を北西へ。すぐにゆるやかな登りが始まる。川沿いから谷に入ると、長い急な登り坂。採石場に出入りするダンプカーと労働者を運ぶ乗り合いタクシーの上げる砂ぼこりに苦戦しな がら、なんとか稜線近くまで上がる。登ってきた谷を見下ろしながら尾根を巻いて、さらに道は標高を上げていく。
 だらだらと続く登りと暑さに力尽きて、安龍縣玻脚の餐館、坂の途中の一軒宿に宿泊。今は標高1800mの街、昆明を目指している。(写真;数百メートル下の農村を見下ろしながら進む。)
7月18日(水)(晴時々曇/安龍縣〜興義市)
 泊まった宿は山の斜面にあった。部屋から小さなテラスに出られて、見下ろしで鳥を探せる。朝、フィールドスコープを立てて待っていると、シマキンパラが低木の実を食べに来た。イソヒヨドリ(ツグミ類)のオスの若鳥は、背中の青色がやっと出始めたところ。ヒヨドリ類は、すべてノドジロヒヨドリだった。ということは、ここは標高800m以上ということになる。
 9時出発。きのうから続いていたのぼり坂は1時間で終わり、少し下ってから丘陵地を越えていく。久しぶりにカッコウの声。昼前に安龍縣の城区に入る。駄菓子屋でお茶を飲みながらこの先の道のことを聞いたら、急坂はないという。走ってみたら緩やかな下りで爽快・・・と思っていたら自転車の調子がどうも良くない。はじめに見つけた宿に入ってチェックすると、後輪のスポークが7本も折れていた。さらに、あとで前輪がパンクしていることもわかった。あーあ。今から直すのもウザったいし、明日にしよう。興義市鄭屯(鄭は似た当て字)の飯店に宿泊。〈写真;駄菓子屋の中は涼風、外は灼熱。)  
7月19日(木)(晴のち雨/興義市)
 後輪のスポークをちゃんと交換するには、まずスプロケットを外す。そのためには、専用工具がいくつか必要だ。これがけっこう重たいので、持ってきていない。ちょっと細工をすれば工具なしでも直せるけれど、ひょっとしたら自転車屋にあるかも知れないので、まず街へ出た。乗り合いバスで小一時間、興義市の市区へ。それほど大きな街でもなく、何軒か店を回ったけれどやっぱりない。ま、いっかと、宿の子供にあげるお菓子だけ買って戻る。
 部屋でスポークを取り替えてから、近所の自転車屋でホイールバランスを取ってもらう。応急処置だけれど、しばらくはこれでいこう。パンク修理もして、とりあえずOK!、と思ったら、今度は不注意で空気入れを壊してしまった。あした街でなんとかしないと。ついてない時はこんなもんさ。(写真;職人肌の人。すごくいいホイールだね、と身振りした。)  
7月20日(金)(晴時々曇のち夕立/興義市〜夛平縣)
 8時半出発。まず空気入れだ。パンクしたらそこで終わりかと思うと安心して走れない。アルミ棒のネジ山の所を折ってしまったので、空気入れの修理は無理。かといって、フレンチバルブ用のポンプはまず中国では見つからないだろう。つまり、壊れた部品を使って、自作するしかない。道の脇にビーチパラソルを立ててポツンとこしかけた自転車修理屋がいた。気の良さそうな若い人だ。事情を身振りで説明して、道具箱の中をのぞかせてもらう。なんとかなりそうだ。2人であれこれと試作し、普通の空気入れでもイケるアダプターを作った。次に通りかかった小さな街で空気入れを買って、道具はそろった。実際に使ってみると、ポンプを押す人とアダプターを持つ人の2人がいることがわかったけれど、どうにかはなる。
 昼過ぎに興義市の市街地を抜けると、工事中の未舗装路だった。パンクを心配しながら数十キロを走り、夕方、雲南省に入る。とたんに静かな走りやすい道になった。川沿いの茂みの中にはカオジロガビチョウの群れがいて「ピヨッ、ジュー」「ピヨッ、ジュー」と鳴き交わしている。ノドグロハウチワドリも顔を見せた。夛平縣長底の旅社に泊まる。(写真;無理矢理作ったポンプ一式。長さはもとの2倍、重さは5倍になってしまった。)
7月21日(土)(曇りのち雨のち晴/夛平縣長底〜夛平縣城区)
 8時過ぎ出発。川沿いをうねる道は、平坦で快適。時々ある丘越えもなだらかで気持ちいいなあ・・・と思ったら、そう、涼しいのだ。田んぼの稲はまだ花が咲く前だけれど、この気候だと2作目じゃないだろう。標高を知るものが手元にないけれど、1500mくらいあるのかも知れない。山が迫った地形には平地がほとんどなく、斜面でなんとかトウモロコシやタバコを作っている。川には危なっかしい吊橋がたまにあるだけで、向う岸の人たちはたった30mの川を渡船で渡っている。久しぶりに「貧しい中国」に再会した。街路樹にはオウチュウが目につく。翼と尾の先が茶色がかっているのは若い鳥だろうか。韓国以来見ていなかったノビタキもいた。
 雨が降り始めると肌寒いくらいだった。夛平縣城区の賓館(ホテル)に泊まる。もう宿泊費の相場がすっかりわかっているので、最近値切り方がうまくなってしまった。(写真;トウモロコシ、タバコ、ダイズなどに塗り分けられた丘をこえてゆく。)
7月22日(日)(晴時々曇/夛平縣〜師宗縣)
 9時出発。市街地を抜けると高原を走るさわやかな道。田んぼにアオサギを見つけた。なつかしい友達に会ったような気分だ。雲南省に入ってから、てん足のおばあちゃんを見かけるようになった。三角形の小さなとがった靴で、杖をついてちょこちょこと歩いている。
 午後、後輪のスポークが1本折れていることに気づいた。古いやつだ。旅に出てからもう5000kmを越えているから、ちょくちょく交換していくことになりそうだ。修理のため、師宗縣城区内の初めに見つけた宿に入る。レストランやマッサージ、カラオケ、美容院なんかがいっしょになった「娯楽城」の中だった。宿のオーナーはシトロエンに乗るお金持ちそうな中年。(写真;歯医者は「牙科」という。なんでこう、開けっぴろげなんだろう。)

探鳥日記 中 国(貴州省〜雲南省)