〜アジア横断編〜

探鳥日記 中 国(上海市〜江西省)

(2001年5月20日〜6月9日)


 
5月20日(日)(曇一時小雨、時々晴れ/上海〜大倉市)
 朝はゆっくりと起きて、10時出発。上海の市街地から北へ出て、長江に沿うように北西へ。今日からは少し内陸に入ってみようと思っている。曇っているけれど、ときどき入る晴れ間は日差しが強く暑い。車の多い204号線から西へ折れて静かな道を進む。はじめ泊まろうとした太倉市の任陽という街では、宿入りの前に公安に声をかける必要があるということで、旅社の人と派出所まで出向いた。所長の頭が硬くて許可がおりなかったので、すぐにとなり街の石牌に向かい、酒家(レストランつきの旅館)に泊まった。ここでは公安は来ないし、宿がパスポート番号さえ控えることなく、あっさりOK。世の中、きっちりした人ばかりじゃないから、いいね。(写真;週末の下町)
5月21日(月)(曇/大倉市〜無錫市)
 せっかく酒家(レストランつき旅館)に泊まったのだからと思い、宿で朝飯をたのんだら「雷魚ラーメン」だった。切身の揚物が、今朝打ったばかりのコシのある細麺の上にのっていた。こってりした黒いスープはほんのり甘くてうまい。40円。
 7時半出発。長江沿い・・・とは言っても流れは20kmも離れているけれど・・・に西へ。このあたりは大小の湖がたくさんあって潤っている。だから、ときどきカエルを見かけるようになった。よくいるのは2種類 で、ヒキガエルみたいなのと、トノサマガエルみたいなの。ヒキ似の方は西日本のより色合いが薄くて、まだら模様がはっきり。水からそれほど遠くない乾いた場所をノコノコ歩いている。トノサマ似の方は、鳴声はそっくりだけれど、背中に縦長のイボはないし、かといってダルマガエルのように体形がずんぐりしているわけでもないやつ。
 川と湖にはさまれた地形では、道が少なく選べないので、1日中幹線道路を走ることになってしまった。クラクションが耳に残る。無錫(ウーシー)市に泊まる。(写真;レストランのいけす。テナガエビ、ギギ、ライギョ、でかいタナゴ、みたいな魚たち。貼ってあるステッカーにはカエルの絵もあるので、食べるらしい。)
5月22日(火)(曇時々晴/無錫市〜宜光市)
 8時出発。朝の通勤で混雑する市街地を抜けて、太湖(タイフー)沿いの道へ出た。西へ。おおざっぱな地図で見る限り、琵琶湖の倍くらいありそう。その北側は山になっていて、ゆるやかに湖へ突き出す岬の尾根を道は越えてゆく。中国に入ってからはまっ平らなところばかり通ってきたので、アップダウンを走るのは久しぶりだった。広い半島を湖の方へ向かって南下してみた。10kmも進むとまるで干拓地のようにまっ平らな地形になり、さらに数十キロすすんで、やっと湖のほとりにたどりつく。鳥は、レギュラーメンバーの、タカサゴモズ、カノコバト、シロガシラに、ハッカチョウが新しく加わる。遠目にはクロウタドリに似ているけれど、飛び立つと翼にある大きな白い斑がよく目立つ。
 岬を引き返して、また西へ。宜光市周鉄付近の旅社に泊まる。(写真;太湖。)
5月23日(水)(曇/宜光市〜長光市)
 7時半過ぎ出発。少し内陸に入ったせいか、朝はすずしくてさわやか。太湖の輪郭に沿って道は南西へ折れる。左手ほんの数キロ先が湖のはずだけれど、高低差がぜんぜんないので、湖面を見ることはできない。長光市の市街地に入ってから向きを変え、湖を背にして西へ進む。石灰岩地帯のようで、砕石場がいたるところにあって砂ぼこりがはげしい。山がちな地形で林はうっそうとしていて、森林性のタカがいそうな感じ。
 長光市槐次の旅館に宿泊。となりの食堂で、夕食に「青蛙」というメニューを注文した。調理前に厨房で材を見せてもらった。蛙は小ぶりなトノサマガエル大で、つるんと皮をむいてワタが抜いてある。頭と、ひじと ひざから先は落としてあるけれど、カエルとわかる。料理が来た。アスパラや赤ピーマンなどの野菜といっしょに炒めて、とうがらしをきかせてあった。肉は淡白で、鶏肉よりプリプリしていた。このあたりの人は歌うのが好きなのか、きのうも今日もカラオケに誘われたけれど、朝が早いのでとことわった。(写真;さえずるタカサゴモズ。)
5月24日(木)(晴/長光市〜広徳)
 7時半出発。日差しは強いけれど、海沿いみたいに蒸し暑さがないので風をうけるとすずしい。山あいの農耕地を越えて西へゆく。潅木のてっぺんにとまって「クォッ・・・クォクォクォクォクォクォクォ」とくぐもった声で鳴くのはバンケン。もっと南の方の鳥かと思っていたけれど、図鑑をみたらこのあたりは分布がちょこっと北へ広がっているところに入っている。大きさはカラスより少し小ぶりで、翼が赤茶色、他はまっ黒の、おとなっぽい色合いの鳥。尾が長くて、飛ぶと黒と赤茶の十字架みたいに見える。午後に入った未舗装の農道が荒れていて、苦戦。通りかかったため池では、クロハラアジサシ5、6羽がはたはたと舞っては、時々魚を採っていた。
 夕方、両替のため閉店間際の中国銀行に入る。待ち時間に話しかけてきたクロークに、近くに安宿はない?と聞くと、もう仕事終わりだし、少し待ってくれたら連れていってあげるという。安全のために国営の旅館に行くよ、といって自転車で先導してくれるのについていくと、「中国人民解放軍安徽省広徳具武装部」の門をくぐってゆく。その中の民兵訓練基地招待所へ。こんなところに外国の旅行者が泊まれるとは知らなかった。そりゃ、ここなら安全だよ。(写真;丘陵地の農村。ナタネの収穫時期で、次は稲作。)
5月25日(金)(曇/広徳〜宣城市)
 8時出発で、318号線を西へ。少し南を高速道路が通っているせいか、幹線道路なのに交通量は少ない。丘陵地はいちめん茶畑で、平地には水田。水を引いたばかりの田んぼに松林からギンムクドリが下りてきて、おぼれた虫をついばんでいた。エナガの幼鳥の群れがいたので、道のわきにフィールドスコープを立てて、日本のとちょっと色が違うんだよなあなんて見ていたら、通りかかった公安のパトカーが止まる。職務質問のあと、無線で署に問い合わせをしはじめたので、こりゃ連行かも・・・と思っていたら、警察手帳の身分証明のページを開いて「何かあったら、私に連絡しなさい」とのこと。日本人が自転車で中国を旅しながら鳥をみるのは、罪じゃない。
 宣城市天湖の旅社に泊まる。宿の前の田んぼでは、夕方6時頃からたくさんの人が出て一気に田植えを終えた。昼間は暑いからね。(写真;ため池に水牛がもぐっていることがある。)
5月26日(土)(曇のち雨/宣城市〜池州市)
 7時半出発。318号線を西へ。この道はつくったばかりの4車線、盛り土で農耕地をつらぬく直線、アスファルトも上等。そのうえところどころ片側車線しかできていないので、車はこれを嫌って少ない。田んぼを見下ろしながら快適に走っていたら、小さな池のあぜ道をシロハラクイナが歩いていた。ちょっとした林のまわりをばらばらと飛ぶ小鳥の群れは、コシジロキンパラだった。  銅陵(ドンリン)市の市街地をバイパスでかわし、横港に向かう。港といっても海があるわけじゃなくて、長江を行き交う船の港。318号線は上海からまっすぐ西へ向かうけれど、長江は上海から蛇行しながら西へ向かうため、この街で再会する。長江には上海〜重慶を7日間で結ぶ航路があり、途中15くらいの港を経由している。これに3区間だけ乗って、長江を船から眺めるつもりだ。夕方5時前に港着。発着時刻なんか調べてこ なかったけれど、ラッキーなことに6時の便がある!すぐにチケットを買って30分遅れの船に乗った。乗客のなかに外洋船の船員2人組がいて、たどたどしい日本語を話せたので、ビールを飲みながらいっしょに夕食を楽しんだ。コウガイルカのことを聞いたら「少見」と言っていたから、時には見られるのかもしれない。(写真;横港からみる長江。川幅10kmはないと思う。)
5月27日(日)(雨/池州市〜徳安)
 8時過ぎ、九江(キュジョン)港に下船。雨だ。南へ向かう105号線は山道だけれど、交通量が少なく気持ちいいルート。ガスで山の景色を見られないのが惜しい。田んぼの横の茂みでは、ガビチョウが濁った声で騒 いでいる。小川の石の上にはカワビタキがいた。小さくて丸っこい灰色の鳥で、尾羽の両側が何枚かずつまっ白。ちょこちょこ歩きながら尾羽を開いたり閉じたりするので、フラッシュのように白色がぱっぱっと見え隠れする。かわいらしい鳥なのでもっと見ていたかったけれど、夫婦喧嘩しながら近づいてきた2人がすぐそばで修羅場になり始めたので、いたたまれなくなってその場を離れた。  徳安の市街地まで走り、中国人民解放軍武装部の招待所に泊まる。このあたりの人たちは、店番をしながらトランプや麻雀、ビリヤードをよくしている。招待所の豪快そうな女主人も、若い料理人を相手に卓を囲んでいた。(写真;稲作をしているところの景色は日本に似ている。けど、いる鳥はぜんぜん違う。)
5月28日(月)(曇時々雨/徳安〜叉安)
 朝から雨。朝食をゆっくりとって、9時まで待ったらあがったので出発。105号線を南下、山間の水田地帯を進む。農耕に使う水牛の群れが川辺で草を食んでいる。そのせいで河川敷きは、ゴルフ場みたいにきれいに刈りそろえられている。にぎやかにさえずるクロウタドリやシキチョウ、電線のオウチュウが目に付く。アオショウビンは体も声も大きくて、遠くからでもいるとわかる。電線や木の枝から田んぼに下りて、カエルか何かをつまみ上げていた。今日は一日中降ったりやんだりだったけれど、気温はちょうど良かった。
 叉安具中老付近の旅社に泊まる。ぬかるんだ道を走ってきたので、自転車が泥だらけで化石みたいだった。向かいのオートバイの修理屋で洗ってもらっていると、あっという間に20人ほどの人だかりになってしまい、筆談で大忙し。 (写真;ズアカエナガ。地鳴きはエナガと聞き分けられなかった。)
5月29日(火)(雨/叉安〜南昌市)
 小雨がぱらつく中、8時過ぎに出発。山にはガスが出て視界が悪い。景色や鳥がよく見えない日に走ってしまうのはもったいないような気持ちで105号線を南へ。雨はひどくなるばかり。スニーカーの中に水がたま り始めたので、2時過ぎに南昌市のホテルに入った。濡れたものをすべて洗濯して部屋中に干したけれど、空調の効きが悪くてちっとも乾かなかった。夕方には雨があがったので、街で買い物をして夕食には台湾料理を食べた。(写真;雨の日もある。)
5月30日(水)(曇時々雨/南昌市〜豊城市)
 9時過ぎ出発。市街地から105号線に乗るまでに、迷いに迷って昼を過ぎてしまった。きのうまで走ってきた九江市〜南昌市間の105号線はツーリング向きの気持ち良い道だったけれど、南昌市から南は交通量の 多い移動するためだけの幹線道路になった。
 豊城市の街中を抜け、施船の大酒店に泊まる。大酒店という名前は宴会場付きの大きなホテルによくあるけれど、ここは客間の窓ガラスが割れたまんまの安宿。そのかわり、夕食がとてもおいしかった。(写真;道端で牛をさばいていたりする。)
5月31日(木)(曇のち晴/豊城市〜狭江)
 7時半出発、105号線を南下する。朝方は曇っていたけれど、だんだん天気が回復していって・・・というか、こちらが雲の少ないところに進んでいって、昼前には晴れて暑くなった。街路樹ではもうセミが鳴いてい る。ニイニイゼミの声を少し濁らせた感じの鳴き声。このあたりはもう山がちな地形ではなく、丘陵地に水田が広がる。川沿いで休憩しながらリンゴをかじっていたら、ヒメヤマセミが飛んできて電線で羽づくろいをはじめた。つがいなのか2羽が少し離れてとまり、魚を探してキョロキョロする。ダイビングを見ようと待っていたけれど、2個目のリンゴの皮をむいている間にいなくなっていた。
 国道沿いに街がいくつも続くので、交通量が多く走りにくい。狭江具八都付近の旅館に泊まる。洗濯した物は走っているときに荷物の上にくくりつけているが、やっと今日で全部乾いた。(写真;ヒメヤマセミ。)
6月1日(金)(曇/狭江〜吉安)
 出発前、宿のお女将さんが朝食代はいらないと言うので「いや、払わせて下さい」「いいから」「そういうわけにはいきません」「いいのよ」と、おばさん同士みたいなみたいなやり取りのすえ、なんとか受け取ってもらった。中国には親切な人が多くて、ときどきお金をちゃんと払うのに苦労する。日本円にしたら100円ほど、どうか払わせてください。
 8時半出発、105号線を南下する。道の両側は田んぼが広がり遠くには山が見えるけれど、交通量が多くて鳥の声や姿はみつけにくい。吉安市の街中を抜けて幹線道路から外れると、やっと静かな田園地帯に入った。 ヒメヤマセミはたいてい2羽でいる。並んで停空飛翔しながら魚を探し、5、6m下の水面に突っ込んでいく。かなり水しぶきが飛んで、痛そうだ。果樹園でじゃれあっていたすずめは、ニュウナイスズメだった。すぐあ とにスズメも見たので、棲み分けてはいないのかもしれない。
 吉安具永陽の招待所に泊まる。宿の滞在費は、今までの最低額を更新した。(写真;朝夕食付きで、1泊170円の宿。良く働く娘さんはいつも歌をうたっていた。)
6月2日(土)(雨/吉安〜碧青)
 朝から雨。気分よくは走れないけれど、屋根のあるところに1日中こもっているよりマシだろうと思い、9時過ぎ出発。少し南下し、国道319号線に合流してから西へ。標高1500mの井岡山を目指す。道は広く、路線バスが時々通るくらいの交通量で走りやすい。たまに小さな集落を過ぎながら、進めば進むほど山が急峻になり、林はいい感じになってくる。両側に山の斜面が迫っているところでは、聞いたこともない鳥のさえずり が聞こえるけれど、雨とガスでなかなか姿を見つけられない。サンジャクはカラスの仲間で、くちばしは赤色、顔が黒、背中が空色で尾羽が体よりも長い、目立つ鳥。アオショウビンとの2ショットは華やかだ。カヤノボリはピッキュピッキュと鳴きながら、ススキの高いところにとまってこちらを警戒していた。
 雨はやみそうになかったので、少し早めに宿に入った。碧青の旅館に泊まる。夕食に出た猪の排骨スープは昆布だしで、久しぶりに和食の香り。(写真;中国は小さな町でも人が多い。)
6月3日(日)(雨/碧青〜井岡山市)
 また雨だ。小雨の中、8時半出発。国道319号線を西へ。山間部に入ると大雨だった。しかも井岡山(ジンガンシャン)市の手前20kmはアップダウンが激しく、自転車を押したり乗ったりのくり返しで、ちっとも距離をかせげない。汗ダクで、カッパを着ていなくても同じくらいびしょぬれになった。やっと標高820mの市街地に着き、3泊の予定でホテルを探す。初めに入ったホテルは外国人を泊められないから他を紹介するという。教えられたホテルに行くと1泊3400円と観光地価格。とはいえ、大雨の中を走りたくなかったので600円だけ値切って1泊はここで妥協した。部屋中に荷物を広げ(テントまで!)、雨具や着ていた服を全て洗濯してハンガーにかけ、扇風機と空調を全開にして乾かした。
 傘を借りて外出し、明日のために安い宿を探す。とりあえず1700円の宿をおさえた。夕食に入った酒家(食堂)の人に聞くと、1400円くらいがここの相場だそうだ。(写真;牛の散歩は子供の仕事。)
6月4日(月)(曇時々雨/井岡山市)
 朝飯を食べにきのうの酒家(食堂)にいくと、700円の宿を紹介してくれると言う。部屋を見せてもらったら、バスタブと空調がないだけできれいな部屋だった。すぐに荷物を移し、予約していた1700円の部屋をキャンセルした。
 9時半に出発、井岡山の自然保護区に向かう。入り口までタクシーで10分。景勝地なので観光バスも来ていたが、遊歩道を歩く人はいない。小高い展望所ですぐ近くを飛び交うアマツバメを見ていたら、遠くで猛禽の声がする。空を探すとカンムリワシが飛んでいた。他にも何かいないかなと思いながら枯れ木をチェックしていくと、湖畔にクロカッコウハヤブサがいた。後頭部にトサカの立っている変なタカだ。フィールドスコープで羽づくろいをするのを見ていたら、もう1羽やってきて交尾した。雄と雌は同じくらいの大きさだった。クロカッコウハヤブサが飛んでいったあと、この枯れ木には、カンムリオウチュウがとまったり、シロガシラクロヒヨドリが巣立ち雛を連れて来て餌を食べさせたり、と楽しめた。帰りに見つけたクワガタムシは大あごが上に反りかえっていた。ふもとの「井岡山自然博物館」に寄ってみた。小学校の教室くらいの部屋に、剥製やホルマリン漬けが置いてあった。クマタカは冠羽が長い亜種nipalensisのようだった。一番驚いたのは、井岡山には体長80cm以上もあるイグアナとトカゲがいることだった。恐るべし中国。
 夕食にまた同じ酒家に行くと、僕宛に置き手紙があった。店の女の子の妹さんからのもので、もう待ち合わせ時間まで決まっていた。(写真;井岡山、1586m。)
6月5日(火)(晴/井岡山市)
 快晴!こんなにいい天気は何日ぶりだろう。今日は自転車で井岡山へ向かった。きのうと同じ展望所でタカを待つ。自転車で走りながらだとあまり猛禽類を見つけられないので、こんな時に見ておきたくなる。クリイロヒヨドリやカンムリオウチュウの群れのあと、ミナミツミが出た。ハイタカの雌に似てるといえば似てるけれど、はっきり別物。日本で猛禽調査の仕事中に万一見たら、1週間くらい悩んでしまいそう。色や顔の模様まで見えれば迷わない。
 午後、きのうの置き手紙通り待ち合わせ場所へ行き、街の公園を女の子3人と散歩した。以下、文霞的日記(日本人のみなさん、文字化けではありません)。「今天、Coshy、我、麗麗、搨エ在井岡山的人工湖。我們在石橋辺照了几張相、迹有在樹陰底下照了几張相、也就照片。迹有在一个樹陰下、看到一只小鳥。后来Coshy喝(ma)上就知道是雌性烏鶇、他真是好棒!」(文霞、我的電脳不知中語的漢字「ma(喝)」。対不起(^o^)。)
 夕方から龍潭景区に鳥を見に行った。滝と岩壁が続く景勝地だ。朝見た鳥のほかに、クリミミチメドリ、ミヤマヒヨドリ、カヤノボリなんかがいた。日が長いので、7時頃まで鳥を見ていられる。初夏は日暮れ頃が一番気持ちいい。(写真;通った酒家(食堂)の人たち。厚底サンダルだったりする。)
6月6日(水)(晴のち曇/井岡山市〜遂川)
   ゆうべはインターネットカフェで夜ふかししたので、遅く起きて9時半過ぎ出発。初めの20kmは下り坂で快走。そのあとは峠をいくつか越えながらゆっくり高度を落としていく。下界は暑い。川は渓流から平瀬になり、ヤマセミが川岸の木にとまって水面を見下ろしている。いつも茂みでごそごそしているアオハウチワドリが、電線に出てきて早口でさえずっていた。
 桂東へ出るつもりが、ライダーズハイ状態でペダルを踏んでいるうちに別れ道を見逃して、遂川へ。まあいいや。旅館なみの安さの賓館(ホテル)に泊まる。(写真;いっぱいいる鳥、シロガシラ。)
6月7日(木)(曇夕方から雨/遂川〜)
 旅に出る前に、日本からジャカルタの知人に送っておいた補給用の荷物にトラブル。インドネシアの税関が、関税を6万円も払えという。交渉のすえ、輸入品ではないという念書とパスポートのコピーを郵送することになった。ほっとして、10時前出発。国道105号線を南下。大型車の交通量が多いうえ、採石場の跡地や林道が山のところどころに大怪我の跡のように残り、自然林は急斜面にしかない。植林もせいぜい数十年齢。それをみて日本の山を思い出してしまうのは、ちょっと悲しい。3時半頃、遅い昼飯を峠の酒家(食堂)で食べていたら、黒い雲が山の向こうに。まだ早いし、次の集落まで走るつもりだったけれど、宿付きの店だったのでそのまま泊まることにした。30分後に土砂降り。夕立かと思ったら、今もまだ降り続けている。(写真;長いのぼり坂の途中でトラックはエンジンの調子が悪くなる。峠には修理屋と、飯屋と、安宿がある。) 
6月8日(金)(雨/沙地〜潭口)
 きのうの夜入ってきたトラックは、夜通し修理をしていたみたいだった。ビニールシートでちょっとで雨よけして、エンジンまで開けている。8時半出発。坂と交通量の多い雨の105線を南へ。ただ、走る。昼前から降りが強くなってきたので、ゆっくり昼飯を食べて雨宿り。章州市内(章は似た当て字を使っています)の銀行でトラベラーズチェックを換金しようとしたら、外貨の取り扱い窓口が休憩時間。待ち合いの長いすで昼寝して、気持ち良かった。市区を抜けて、潭口の酒家に泊まる。疲れていたのですぐに眠ってしまい、今日もインドネシアの税関に手紙を出せなかった。(写真;店の「レジ」はどこでもこんなもの。治安が悪いわけがない。) 
6月9日(土)(曇時々雨/潭口〜大余)
 出発の支度をしていると、突然の大雨。やり過ごして9時前出発。105号線を少し南下し、323号線に乗り換えて、やっと車が減った。西へ。遠くには高い山が見え、道は丘を越えてゆく。草地で餌をついばむクビワムクドリがいた。図鑑の分布からは100kmくらい北に離れているけれど、鳴き交わしと交尾もしたし、ま、ここに棲んでるんだろう。午後からはまた降ったりやんだりのいやな天気。カッパで蒸れながら走っていると、先のほうに1台のトラックが止まる。手を上げて車を止めた人は、後ろのコンテナに自転車を積んで乗り込む。自転車もイケる乗り合いバスだ。雨はやみそうにないし、あれで行こっと決め、猛ダッシュで追いついた。大余まで20km、40円だった。
 さて、早く着いて時間ができたので、今日こそインドネシアの税関に手紙を書かなきゃならない。まずパスポートのコピーをとらないと。コピー機なんてこの小さな町にあるんだろうかと思いながら走っていると、時々こういうことがあるのだけれど、「Hello!!」とバイク屋のにーちゃんが冷やかしで呼ぶ。いつも通り愛想で軽く手を振りながら目をやると、バイク屋の隣の店先に、コピー機があった!パソコン教室だ。そんなものがあること自体に驚く。“Helloのにーちゃん”に安ホテルを紹介してもらって入り、「ジャカルタの知人に送ったものは輸入品ではなくて滞在中に使うものだ」と念書を書いた。すぐに自転車に乗って、閉まる間際の郵電局へ。宿の女の子がついて来てくれて、国際郵便の手続きを手伝ってくれた。(写真;定員7人の乗りあいバス。) 

探鳥日記 中国(広東省〜香港区)