〜自転車でペンギンを見に行こう!編〜

とりとめのない話 オーストラリア(その2)



マウントアイサから来た男(その2)
 
 起伏の少ないノーザンテリトリー州から、ウエスタンオーストラリア州 への州境をグレートノーザン・ハイゥエイで越えると、そこはキンバリー 地方。傾斜は緩やかだけれど、丘を越えるとまた次の丘が目の前にある、 という休みなくアップダウンを繰り返さなければならない地形が続く。見 えてくる丘の景色はさっき越えた丘とほとんど変わらず、まるでビデオテ ープを巻き戻して同じ場面を何度も見ているような錯覚を起こしそうにな る。朝からそんな道を走ってきて、そろそろうんざりしはじめた頃。僕は これから登っていこうとしている坂の途中に、一人のチャリダーが立って いるのを見つけた。
 彼の名はシュウ。実はこの日までに、僕は彼のうわさを合計3回聞いていた。その話から、最初にカカドゥで会った日本人カップルから聞いた「赤いヘルメット」は、広島カープのヘルメットであることと、「ふっらふらしながら走ってい」るのは、彼の足には障害があるからだ、ということを前もって知っていた。追いついて「こんちわ〜。」と声を掛けると、彼は「Are you a Japanese?」と返した。それから僕らは、しばらくキンバリー地方の坂のことを立ち話してから、いっしょにこぎ出した。シュウの話し方は礼儀正しかった。けれどそれは、よく学生やフリーターの旅行者と話すときに感じる先輩後輩関係ではなくて、社会に出て客相手の仕事をしたことのある人の人あたりだった。僕にはそれが少し懐かしく感じられた。シュウは、自分は走るスピードが遅いから先に行って下さいと丁寧に言い、僕は「じゃあ、町でまた。」とあいさつをしてその場は別れた。
 その日暗くなってから、シュウは僕と同じキャラバンパークにチェック インして来た。テントを立て終わってから僕らは外灯の下の芝生に座り込 み、缶ビールを開けて「ども、お疲れさんです〜。」と“仕事のあと風” の乾杯をした。今日は坂が多くて疲れたから、明日は一日ここでのんびり するよ、と僕は話した。すると彼は、「よかったー、そういう人がいてく れて。自分は明日休もうか進もうか少し迷っていたんだけれど、いっしょ に休もうかな。どうも働いてた時の癖が抜けなくって、ついつい忙しく動 こうとしてしまって・・・。」と、僕の勤勉ではないところを、たぶん、誉めてくれた。
 翌日僕らは、朝からキャラバンパークのプールサイドで過ごした。暑くなったら少し泳ぎ、そしてまた日陰のテーブルで冷たいジュースを飲んだり、時々話をしたり。シュウの歩き方は少し前かがみで、歩幅は30センチくらいだ。自転車に乗るときには、先に自転車を寝かせておいてからまたぎ、ハンドルを持ち上げて起こす。もちろん重い荷物を積んだあとに、それをすることになる。そしてペダルのこぎかたは、まず右ペダルをグッ!と下まで踏み、そして次に左ペダルをグッ!と踏む、という動作の繰り返しである。それらを毎日やりとげている彼の全身には、引き締まった筋肉がフィットしていた。
 正直なところ、僕は彼の足のハンディキャップについては、わかってあげられない。見た目より大変なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。それにひょっとしたら、シュウは別にわかって欲しくもないと思っているのかもしれない、とも想像したりする。けれど、同じオーストラリアを旅するチャリダーとして、僕にはひとつ、身にしみてはっきりとわかることがある。それは、荷物のことだ。シュウの進む距離は、1日に10時間使って70キロメートルだ。ふつうのサイクリストなら100キロを越える。この30キロあまりの差は、町と町が遠いこの国では、大きな違いになる。例えば次の水場や町まで300キロだとすると、毎日100 キロ走れば2泊3日で行ける。シュウの場合はもう1泊と1日プラスになる。つまり、そのぶん水と食料を自転車に追加積載しなければならないということ。これは少なく見積もっても5キログラム。乾いていて日中の気 温が高くなる季節や場所によっては、10キロ近いプラスになるだろう。荷物が重くなれば体の疲労はもちろん、自転車のタイヤやスポーク、キャリアにかかるダメージもプラスされる。そういう条件のもとで、シ ュウはすでにシドニーから3ヶ月のサイクリングをやり遂げている. 僕は彼に敬意を払う。(つづく)
マウントアイサから来た男(その3)

 そんなことをあれこれと想像しながら礼儀正しいシュウと話していると、自転車旅行者になることのできる条件とはいったい何なんだろう、と考えさせられた。運動能力の高さとしては、歩くことができれば十分だということはシュウが無言で語る。おそらく彼は強靭な精神力の持ち主だと推測するけれど、精神力の強さというのも必須ではないということは、自分自身をふり返ればわかる。朝走ろうと決めた距離なんか、ちょっと強い向かい風が吹けば簡単に50%割引大バーゲンだ。それでも自転車で旅はできる。ということは、つまり、運動能力も精神力も、他の何かで補えるものだということ。短絡的に考えると、運動能力の低さを精神力の強さで補ったり、またはその逆に、精神力の弱さを運動能力の高さで補ったりすればなんとかなるんじゃないか・・・と思いついたりするけれど、そりゃまるで漫画“巨人の星”の世界の話だ。何事もがんばりたくない僕が避ける「試練の道」。
 で、いろいろ考えて、今のところ一番それらしいかな、と僕が思っている条件は、「準備ができる」ということである。簡単に言うと、こういう人だ。明日から300キロ店と水場がないところを走る。今日のうちに、スーパーマーケットに行って、いるもの買っとかなきゃ。じゃあ何がいる?・・・という時に、自分に必要で十分なものを選んでカートに放り込める人、である。“必要で十分な”、というのがポイント。「このくらいあれば大丈夫」という見込みが甘ければ物資不足で旅は続けられないし、逆に「念のためこのくらいは持っていこう」という見込みが過剰だと、荷物が重くなりすぎてこれも旅を長くは続けられない。
 そうは言っても、その“必要で十分な”という見極めが難しいんじゃないか、と思う人がいるかも知れない。さっきの例で具体的に言うと、明日から300キロもの長い距離を補給なしで走るのだけれど、そんな経験は初めてで、何がどれだけいるのかわからない、ということ。けど、これも「準備」で解決できる。その300キロ区間に着くまでに、もっとたくさん店があるところを走りながら、自分が1日に必要な水や食料の量をあらかじめ実験しておけばよい。そのデータを「準備」しておけば、何をどれだけ買うかを決められる。
 そしてここがいちばん大切なところなんだけれど、「準備」をする時には、運動能力の高さや精神力の強さは関係ない。なぜ関係ないかというと、だってスーパーマーケットに行って買い物をするくらい子供だってできるじゃん!・・・・・・ということを僕は言いたいのではない。それも確かにあるけど。話を戻して、なぜ関係ないかというと、例えば自分の運動能力がかなり低かったり、精神力がめちゃめちゃ弱かったりしても、それに合わせて日程を立て、必要十分な「準備」をすれば旅はうまくいくからである。もし必要十分な準備をしたはずなのに旅がうまくいかなかったら、それは何を意味しているか。運が悪かった、という場合もあるだろう。けれど、多くの場合、準備に失敗した、のである。準備が必要十分ではなかったのである。ではそうなった原因は?
 一歩踏み込んで考えてみると、全ての「準備」のもとになる「準備のための準備」というべきものがひとつある、と僕は思う。それは、自分の体力や精神力がどのくらいのモンかを知っている、ということである。だってそれをもとに、食糧の量や装備の種類はもちろん、旅する国やルートさえ決めるわけだものね。体力や精神力の“見積もり”は正確なほどよいことはいうまでもないのだけれど、これがナッカナカ、自分自身のことなのにうまくできない時もある。あるいは、できない人もいる。自分の今の体力や精神力を、現実よりも低くて弱い、と思い込んでいる人は、ファンタスティックな自転車の旅ができるせっかくの才能を見過ごしているかもしれない。逆に、自分の今の体力や精神力を、現実よりも高くて強い、と思いこんでいる人は、たぶん長期の自転車旅行との相性は最悪だろう。思い込みの大和魂がゼロ戦の装甲を厚くするはずもなく、敵のバルカン砲に容赦なく機体を打ち抜かれることになる。
 自転車をこいで進む旅は、ある意味実直な世界だ。ペダルを踏んだだけ前へ進む。ペダルを踏んだだけしか前へ進まない。10キロ走ると、目的地は10キロ近づく。10キロ走ると、目的地は10キロしか近づかない。物理学の中の力学法則的な世界、と言ってもいい。大ラッキーもなければ、抜け駆けもだまし討ちもない。シンプルであたりまえで、正々堂々とした世界。僕はそれを、晴れ渡った冬の朝の空気のように、クールでクリアだと感じる。自転車の旅の魅力のひとつは、そこにある。
 最後にひとつ、誤解されたくないので念のために書いておく。僕はこの小文で「自転車旅行者になれる条件」について書いたけれど、これは決して、自転車で旅をすることが、バスや飛行機、あるいは徒歩で旅行することに比べて勝っている、と考えているからではない。それぞれの旅の方法には長所と短所があり、旅行者は個人の目的と価値観と適性でそのうちのどれかを選んでいると思う。僕が自転車を選んだように。だから全ての旅行者はその人にとってベストの(少なくとも、思いついて実行できる方法のうちのベストの)方法で旅をしているはずで、もしそうでない人がいたなら、その人はとても不幸だ。旅を続ける義務や責任や、やむにやまれぬ事情でもない限り、やめて家に帰ったほうがいい。(パース、02.11.08)

とりとめのない話 シンガポール