![]() 2001年の4月下旬に日本の下関を旅だった僕は、翌年3月終りに目的地と決めていたインドのデリーに着いた。9ヶ国を見て回ったほぼ11ヵ月の旅。毎日がインスピレーションにあふれていた。 旅に出る前、何人かの知りあいから、デリーの次はどうするんだ、と聞かれた。そのたびに僕は、デリーについてから考えるよとはぐらかしていたのだけれど、その訳を正直に言うと、旅を始めた時点では、自分が果たしてデリーまでさえ行き着けるのかどうか全く自信がなかったのである。というのは、僕は外国での一人旅はもちろん、自転車の旅さえほとんど初めてだったからだ。ビザなんか取った事はなかったし、空港以外で国境を越えたことはない。自由に使える言葉は日本語だけ。自転車の整備なんて、チェーンに油を注すくらいしかしたことはなかった。実を言うと、初めて自分でパンク修理をしたのは中国、チェーン交換はタイ、カセットギア交換はインドという始末だった。それでもなんとかなるもんだ。日本にいる友達や彼女や、異国の名前も知らないたくさんの人が僕を助けてくれたし、時々かかえた不安やトラブルなんて好奇心がものすごい勢いで追い越して行ってしまうから。 香港を越えた7月上旬頃だろうか、僕は自分がデリーまではたどり着けるだろうと確信した。そして地形的にも政情的にもいちばん難関だと思っ ていたラオス北部の山岳地帯を抜けた8月下旬には、デリーを越えてヨーロッパまで行こうと思い描き始めた。ところがそこへ降りかかってきた災 難が、9月に起きたあのニューヨーク・ワシントンの同時多発テロ。英米軍がアフガニスタン空爆を始め、パキスタンには軍が展開してインドとの 国境が閉じてしまった。そのころタイにいた僕の気持ちは、まるであの崩れ落ちるニューヨークのビルのように、絶頂からどん底へと沈んでいった。 インド-パキスタン国境がまた開いた、と聞いたのは1月、ネパールでだった。日本人のバックパッカーが通っていることもわかって、おお、マ テバカイロじゃないか、と僕は好運を喜んだ。ネパールをビザの期限いっぱい楽しんだあと、3月下旬にはインドのバンバサ Banbasa へ出国、1日も早くパキスタンへ行きたかった僕はデリーへは向かわず、国境の町アムリトサル Amritsar をまっすぐ目指した。ただしパキスタンビザを取るためには、どうしても一度デリーへ行かなければならない。だから、ルート上でデリーにいちばん近い途中の街アンバラ Ambala に自転車と荷物を残し、バスに4時間ゆられて首都に入った。そしてそこで衝撃的な事実を知った。今、デリーではパキスタンビザが取れなくなっている、というのである。これが3月28日、35歳の誕生日のことだった。ため息をつく僕の心とはうらはらに、街は春を祝うヒンドゥー教の お祭り、ホーリー Holi (写真)に浮かれていた。(つづく) |
「自転車でペンギンを見に行こう!編」へのプロローグ(その2) 僕はとりあえずデリーの日本人相手の宿にチェックインした。そして、そこに出入りする旅行者の話を聞いたり、レストランに置いてある情報ノートやインターネットの関連サイトを読んだりして現状を調べた。要するにこういうことだった。国境は開いている。けれど、パキスタンビザが出ない。正確に言うと、パキスタン領事館がビザを出さないわけではなくて、その申請に必要なエンバシーレターをデリーの日本領事館が出してくれないのである。つまり、国境を通らせないようにしているのは日本外務省だ。たしかに、最近インド北部で起きているイスラムテロのせいで、両国関係は緊張している。けど、ネパールに比べりゃ、パキスタンの方がずっと安全だと思うよ。頼むよ外務省、おれの払った税金を接待費に使って豪奢なメシ食ったり、女囲ったりしてるやつもいるんだろぉ。レターくらい出してくれよ~、なんて思いがよぎったりする。レターなしで3日間のトランジットビザを取った人もいるという話も聞いたけれど、そんな短期間じゃチャリダーにはなんにもできない。ネパール、スリランカ、バングラディシュなど、隣の国へ行けばレターなしでビザは出ているようだった。 この先どうしようか、考えがまとまらないまま、あっという間に4日間が過ぎた。5日目、ショックからやっと立ち直った僕はとりあえず自転車と荷物を取りにアンバラへバスで向かい、その日の夕方にまたデリーへ戻った。翌日、旅行代理店にあるガイドブックを読みあさる。これからの時期、パキスタンは暑季に向かう。インダス川沿いの平地なんて、日中の気温が40度オーバーだ。日陰のない路上はいったい何度になるんだろう・・・・・・・・う~ん、も、そんなあっついとこ、やめやめ! どうせ暑いとこ走るんなら、年中変らない赤道直下。それか、涼しくて気持ちいいとこ行こう。北半球が暑いってことは、南半球は涼しいんだよな。おお、そういえば去年の12月に雨季だったから行くのをやめたイン ドネシア、そろそろ乾季じゃん。これを島づたいにオーストラリアへ入るルートがある。オーストラリアは有袋類の島。哺乳動物はどれ見てもおもしろいだろうなぁ。それに南岸まで行けばペンギンがいる。そうだ、ペンギン見に行こう! そうと決まったらじっとしちゃいられない、次の日には航空券を手配し、空港の待ち合いで1泊したあと、あくる日の夕方には旅の出発点と決めたシンガポールへ降り立った。デリーには結局7泊もしていた。日記もつけない無為な日々、こういうのを「沈殿」というのかも知れない。 出国前、僕は日本にいる彼女に電子メールを送り、“さよなら”を告げた。最後に会ったのはクリスマスのコルカタ、そしてこの先会える見通しはない。彼女が仕事をやめられないように、僕は今、旅をやめるわけにはいかない。会えない女と、いつまでも形だけ付き合っているというわけにはいかないのである。(02.04.06、ポンティアン) |