〜自転車でペンギンを見に行こう!編〜

とりとめのない話 オーストラリア(その1)


カカドゥ国立公園とその周辺の鳥(その1;カカドゥの入り口手前)
   僕が自転車でオーストラリア大陸に行こう、と決めたのは、今年の4月 初め、インドのデリーでのことだった。自転車で旅をすることの魅力のひ とつは、そこで見られる文化や自然が、だんだん変わっていくのを感じら れる、ということ。例えば日本しか知らなくて、ある日飛行機で「ヒュッ !」とオーストラリアへ行けば、目に入るほとんど全てのものが、きのう までとは違う別世界。街も人も林も鳥たちも、今まで見たことのないもの ばかりだ。それは刺激的で楽しい旅かもしれない。けれど、その違いが、 日本からオーストラリアの間のどのへんで変わったのだろうか、とふと思 った時、果たして答えが思い浮かぶだろうか。それが中国あたりから少し ずつ変わったナレノハテなのか、あるいはオーストラリアとインドネシア の間の狭い海峡を越えた時に本当に突然に変わったのか、さっぱりわから ない・・・ということになりかねない。飛行機で飛んでしまった何千キロ という巨大なギャップを埋めるのは、充分な知識と正確な想像力を持って いる人にだけなせるワザだ。オベンキョウ嫌いの僕にそんな芸当ができる はずもないので、オーストラリア大陸へ向かう旅の出発点と決めたのは、 かつて日本から自転車でたどりついたことのあるシンガポール。そこから マレーシア、インドネシアを通って少しずつ近づいてゆく。そしてオース トラリア内の旅のスタート地点は、当然インドネシアに一番近い大陸の北 の先っぽの街、ダーウィン、ということにルートを決めた。
 ダーウィンといえばカカドゥ国立公園。街の東方に広がるこのオースト ラリア最大の国立公園は、そこに棲む動植物の多彩さだけでなく、先住民 族アボリジニの洞窟画や、ケタ外れにスケールの大きい滝や湿原や沈んで ゆく夕日など見所満載なので、多くの観光客が訪れる人気スポットである 。ダーウィン市内には、旅行代理店やバックパッカー相手の安宿がたくさ んあって、どこもカカドゥ国立公園行きのツアーを組んでいる。だから園 内の見所情報を集めるために、カカドゥへ行く前にこの街に滞在するのは いい手だ。けれど、バードウォッチャーにとってダーウィンに泊まる意味 は、それだけじゃない。ダーウィン周辺と、そこからカカドゥ国立公園へ 向かうまでの道中で、驚くほどたくさんの数と種類の鳥が見られるのであ る。
 ダーウィン郊外には、小さな国立公園や自然保護区(Nature Reserve)、自然公園(Nature Park)、植物園といった野生の動植物に与えられた生活の場が、市 街地から半径10キロ以内だけでも6つもある。僕が行ったのは自転車で 簡単に行けるイーストポイント保護区(East Point Reserve)とチャールズダーウィン(Charles Darwin)国立公園。トレッキングというほどのことをするわけで もなく、日陰の多い気持ちの良い自転車道を走ったり、ベンチに腰かけて 道行く人を眺めたり。チャールズダーウィン国立公園に行った時なんて、 主な保護区域は海岸沿いのマングローブ林なのに、日なたは暑いのでそこ へは行かずに、駐車場わきの木陰の芝生に寝転がり、ピザをかじってだら だらとリラックスした。それでもこの2ヶ所見た鳥は合計21種で、ゴシキゼイガイインコツチスドリ、チモールメガネコウライウグイス、オーストラリアツカツクリムギワラトキズグロトサカゲリ、ギンカモメ、ベニカノコバトモモイロインコハチクイ、パプアオオサンショウクイ、ノドジロハチマキミツスイ、ノドジロムジミツスイ、セッカ、シロガシラトビ、セイタカコウ、アカオクロオウム、 ミイロサンショウクイ、オーストラリアオニサンショウクイヨコフリオウギビタキ。大柄だったり、色鮮やかだったりして、なかなか華やかなラインナッ プ。ちなみにトビもたくさんいる。けれど日本のとはずいぶん違った雰囲 気。全身黒っぽく、鼻頭(ろう膜)が鮮やかな黄色で、なかなか精悍な面構え。
 ダーウィンからカカドゥ国立公園の入り口までは東へ170キロの距離 、自転車では1泊2日あればヨユーで行ける。ただし入り口には入場券の 販売所があるだけ。メインルート沿いの最初のキャンプ場、サウスアリゲ ーターはそこからさらに40キロ先で、ダーウィンからのトータル距離は 200キロを越える。だから僕はのんびりと2泊3日で行くことにした。 その道中に追加した鳥は41種。
 まずダーウィンの市街地から抜けると、間もなくカカドゥへ続くアルン へム・ハイウェイへの分岐。そのころまでには道の両側にサバンナ林が広 がっていて、アカビタイムジオウムやチョウショウバト、カノコスズメ、フエフキトビなどが 飛ぶ。いくつか低い丘を越えて50キロほどゆくとやがて林が開け、右手 に湿地が広がる。季節にもよると思うけれど、8月下旬ではハイウェイか らわずか20メートルくらいのところにいくつか池ができていて、水鳥た ちが餌を探して歩きまわったり、岸で休んだりしていた。その顔ぶれは、 カササギガンコシグロペリカンシロハラコビトウオーストラリアヘラサギとミナミクロヒメウノドグロカイツブリオーストラリアヘビウトサカレンカク、シロガシラツクシガモ、ムナジロクロサギ、 チュウサギ、ブロンズトキ、マミジロカルガモ、セイタカシギ、クロハラ アジサシ。
 湿地を越えてハイウェイをさらに進むと、少し開けた林や潅木の散在す る草原の中を走ることになる。そういうところでは、オーストラリアチョ ウゲンボウ、チャイロハヤブサアオバネワライカワセミヒジリショウビンモリショウビンが見 つかる。夕方には予定していた90キロを走り終え、ハイウェイ沿いのガ ソリンスタンドが経営するキャラバンパークに入った。キャンプ場に、ミナミガラスノドグロモズガラス がいた。
 二日目は1時間半だけ走って、午前中には道すがらにあるメリーリバー Mary River 国立公園へ。ここはワニ(Saltwater Crocodile)で有名な公園で、4WD車に乗って奥地へ行くと 、かなりの大物が見られるという。僕の持っているガイドブックの見所欄 に書いてある売り文句は、こんなのだ・・・「あなたはもはや食物連鎖の 頂点ではない−−−メリーリバー湿原の5メートルのワニ」。とはいえ、 重い荷物を積んだ自転車で、未舗装の道を何十キロも走るのはタイヘン。 だから僕はここではワニをあきらめて、ハイウェイからすぐのキャラバン パークにテントを張った。そして夕方、キャンプ場が出発点のトレッキン グルートを2時間ほど歩いた。環境は竹の生える河畔林で、コサギ、アフ リカクロトキ、パプアソデグロバト 、キジバンケン、マミジロナキサンショウクイ、テリヒラハシ、オウギビ タキ、タイワンセッカ、アオツラミツスイ、 ノドアカムジミツスイ、アサヒスズメ、ハイイロカッコウ、テリオウチュウ、シロガシラサギ、シ マコキンを追加。僕は行かなかったけれど、ダーウィン方面に5キロほど 戻ったところから未舗装の横道に入ってしばらく進むと、バードビラボン Bird Billabong という池がある。キャラバンパークの受け付けカウンターの女の子は、 水鳥を見るならそこがいいよと推薦してくれた。
 そして3日目、半日走ってカカドゥ国立公園の入り口へ到着。ダーウィ ンからここへ来るまでに見た鳥は、すでに62種になっている。高速道路 の料金所のような券売所で、有効期限1週間のチケット1100円を買う 。そして、いよいよメイン・イヴェントへのゲートをくぐる。(つづく、 02.09.14、ホールズクリーク)

カカドゥ国立公園とその周辺の鳥(その2;カカドゥ国立公園)
 カカドゥ国立公園の面積は、約2万平方キロメートル。こういう広さを わかりやすく表現する時に、「甲子園球場の何百倍」というのがよく使わ れるけれど、あれってわかりやすい? 僕にはサッパリなので、こんな風に書いてみる。
 カカドゥ国立公園は、おおざっぱに言うとちょっと縦長の長方形をして いて、そのなかにバランス良く「フ」の字型のハイウェイが通っている。 フの字を書くときの、書き初めの所が“北出入り口”で、書き終わりの「 はらう」のところが“南出入り口”。右肩の角の所が、ビジターセンター に近いジャビルー Jabiru という小さな町。北出入り口からジャビルーまでが90キロ、ジャビル ーから南出入り口までが150キロ、合計240キロだ。つまり、公園内 で観光を何もせずに、普通のチャリダーのペースでただ自転車でハイウェ イを走るだけで2泊3日かかる、という広さ。さらにジャビルーから右上 へ、つまり北東へ35キロのところに、ウビルー Ubirr という先住民族アボリジニの洞窟画などがある丘がある。これは見逃せ ないので、往復70キロプラス、つまりもう1日プラスということになる 。走るだけで3泊4日。チケットの有効期間が6泊7日。どう工夫しても 自転車で見て回るにはデカ過ぎる国立公園なのである。
 自転車でカカドゥに行く場合、問題は広さだけではない。公園内にはハ イウェイからはずれて、“4WDオンリー”の悪路を走らなければ行けな い場所がいくつもあるのである。例えば景勝地として有名な「ジムジム・ フォール(滝)」なんかは、ハイウェイからの距離60キロ。そこまで自 転車で行って楽しむのは、事実上不可能だ。バードウォッチングに良いポ イントとしてガイドブックが推奨している場所には、例えばノドジロクロ セスジムシクイやチャバネイワバトがいるというグンロム Gunlom があるけれど、これもハイゥエイから30キロの未舗装路(ただしこち らは、2WD可)。もちろんツアーに参加したり、自転車をハイウェイ沿 いのキャンプ場に残してヒッチハイクをしたりしてそういう場所まで行く 、という手もある。けれど、まあ、そこまでしなくても・・・、というこ とで、初めからハイウェイ沿いの鳥だけ見ると割りきって、僕はカカドゥ での鳥見を始めた。
 鳥を見た場所は、サウスアリゲーター地区のグ・ンガレ Gu-ngarre ウォーク3.6km、マムカラ Mamukala 湿原の観察小屋、イーストアリゲーター地区のウビルー1km、マンガ レ Manngare ウォーク1.5km、バーデッドジルイドゥジー Bardedjiilidji ウォーク2.5km。あとはいつも通り、道沿いを自転車に乗りながら 、である。キバタン、クスダマ インコ、ズグロサメクサインコ、ハゴロモインコ、ムナグロヤイロチョウ 、フタイロヒタキ、レモンオリーブヒタキナマリイロヒラハシ 、セアカオーストラリアムシクイ、ヨコジマウロコミツスイ、サメイロミ ツスイ、クロオビミツスイ、キイロムクドリモドキ、オーストラリアヅルアシナガツバメチドリ、ダイサギ、オオリュウキュウガモ、オーストラリアメジロガモ、アオマメガン、オオバン、セイケイ、アオアシ シギ、オーストラリアマルハシ、チャバラモズツグミ、ムナフオウギビタキの25 種を追加。
 当然僕は、チケットの制限日数いっぱいの6泊7日間を園内で過ごすつ もりだった。けれど、最終日のキャンプ場と決めていたガンガラル Gungural に水場がなかった。そこでやむをえず、6日目の夕方にはに南出入り口 から公園を出て、100メートル先のメリーリバー Mary River ロードハウスに泊まることになった。公園の門を出たからって、急に何 かが変わるわけじゃなく、相変わらず見渡す限りの原生林が続いている。 ここのキャンプ場には、オーストラリアカワリオオタカ、コブハゲミツスイヒメハゲミツスイヒメモリツバメオオニワシドリがい た。これでダーウィンを出発してからのトータルは92種。そして鳥見は まだまだ続く・・・。(つづく、02.09.17、フィッツロイ クロッシング)

カカドゥ国立公園とその周辺の鳥(その3;カカドゥの向こう)
 カカドゥ国立公園での6日間を終え、僕が次に目指した場所はニトミラ ック Nitmiluk 国立公園。カカドゥのすぐ南にある小さな国立公園だ。ここへ行くには 、パインクリーク Pine Creek、カスリーン Katherineと2つの町を通って、カカドゥの南出入り口から1 80キロ自転車で走らなければならなかった。しかし地図で見ると、距離 が長いのは道が東西に振っているせいだとわかる。実際にはカカドゥ国立 公園の南端とニトミラック国立公園の北端は、ほんの10キロそこらしか 離れていない。
 ニトミラック国立公園の別名は、カスリーン峡谷。渓流が砂岩を浸食し てできた深い峡谷で、赤い岩肌の崖が、川の両岸に垂直に切り立っている 。つまり環境は、「岩場」である。カカドゥ国立公園では悪路を走らなけ れば岩場にたどりつけなかったので、そういう所にいる鳥をアクセスしや すいこちらで探そうというわけ。早朝にキャンプ場から出発し、丘ひとつ 越えて峡谷へ下りてゆく「バタフライ Butterfly ウォーク」を歩いた。往復3時間ほどのショート・トレッキング。カカ ドゥで取りこぼしていたチャバネイワバトを 拾うことができた。その他、ハイイロツチスドリ 、アカハラモズヒタキ、クチシロミツスイ、ハイイロモズガラス、カオグロモリツバメニジハバトなどを見 た。また、カカドゥ国立公園を出てから、ニトミラック国立公園へ着くま での道中に追加した鳥は、カザリリュウキュウガモ、マガモ、アカハラオ オタカ、オグロキノボリ、オナガイヌワシ、クロムネトビ、タイワンセッ カ、マミジロヒタキ。これでダーウィンからのトータルは107種。主に ハイウェイ沿いで見られる種類数といったら、このくらいでしょう。
 ところで話は変わるけれど、オーストラリアはカンガルーの国。国全体 では全部で39種いる。このうち僕がカカドゥ周辺で見たのは、Agile Wallaby、Shrot-eared Rock Wallaby、Euroの3種類。カカドゥ国立公園内には、Bla ck Wallarooという、全身真っ黒でちょっと風変わりなやつがいる んだけれど、これは見ていない。生息環境は切り立った岩場。4WD車で 長いオフロードを走ったその先に棲んでいるのである。いろんな事情で見 ようと思っていたものが見られないことは、よくある。そういう動物たち には、「また次の機会にお会いしましょう」と思いを残して・・・。(0 2.09.17、フィッツロイ クロッシング)
パースを目指して!
 2002年8月18日、僕は生涯2つめの大陸、オーストラリアへ降り立った。場所は大陸北端の街、ダーウィン。前日までいたインドネシアに一番近い国際空港のある街だ。ここから自転車で南岸を目指し、野生のペ ンギンを見るというのが、この旅の目的のひとつ。
 ダーウィンからオーストラリア南岸を目指すには、3つのルートがある。ひとつは「直進南下ルート」。大陸の真ん中をまっすぐ下り、赤く乾いたアウトバック Out Back の大地へ。アリススプリングス Alice Springs を過ぎ、途中、超有名なエアーズロックを寄り道観光して、南岸に出るとアデレード。そこからカンガルー島へ渡るとコビトペンギンが見られる。ふたつめは「東海岸ルート」。直進南下ルートと同じ道をその3分の1ほどまで下り、スリーウエイズ Three Ways から東へ折れる。大陸の東半分を横切り、グレートディバイディングレンジ Great Dividing Range と呼ばれる山脈を越えて太平洋に出ると、そこがブリスベン。そのあとは山手の国立公園を時々楽しみながら、きれいな珊瑚礁のビーチの続く海岸線を南下。シドニー、メルボルンとサイクリングロードの良く整備された大都市を経由し、フィリップ島へ。オーストラリアで一番有名な、コビトペンギンの繁殖地である。みっつめは「西海岸ルート」。やや内陸を西へ向かい、起伏のあるキンバリー地方を抜けると、ブルーム Broome でインド洋に出る。そこからは海岸線に沿って南下。途中、エクスマウスガルフ Exmouth Gulf、シャークベイ Shark Bay と遠浅の湾の珊瑚礁に足を伸ばすと、ウミガメやクジラ、ジュゴンに会えるかも。そしてパースへ。すぐ沖には、その名も“ペンギン島”がある。
 これら3つのルートは、どれにも難所はあるものの、常に多くのサイクリストが走っている走破可能なコースだ。僕は3つのうちのどれを選ぶか決めずに、とりあえずダーウィンからカカドゥ国立公園に向かって走り出した。どのルートを行くとしても、カカドゥの南のカスリーン Katherine までは同じだし、国立公園の中で1週間は過ごすつもりだったから、追い追い決めりゃいいや、というわけ。
 まず始めに候補から消えたのは、「東海岸ルート」。走り出してわかったのだけれど、まっ平らなオーストラリアでのサイクリングは、風の影響を強烈に受ける。例えば、向かい風で時速12、3キロの日に、ためしに逆方向へ走ってみたら25キロ以上のスピードをキープできた。5時間走ったら、走行距離は50キロ以上も違う計算になる。そのうえ疲労度は向かい風のほうが格段に高い。季節や地形にもよるけれど、オーストラリアでは、風は原則として反時計回りに大陸を回っている。だからダーウィンからブリスベンを目指すのは、風向きに対して逆走することになるのである。オーストラリアを周るサイクリストにとって、反時計回りの方向へ進むのは常識(あるいは定石)になっているようで、実際僕はもう10人以のチャリダーに会ったけれど、逆走していたのはたった一人だった。ちなみにその人と会った時には、僕は他の4人のチャリダーといっしょにいたのだけれど、彼は質問攻めに合っていた。なにしろ、これからみんなが行こうとしている道をつい最近通ってきたのである。ウォータータンクのある休憩所や撤去されている休憩所、水の残っている川と干上がっている川、地形の起伏や日中の気温。だれもが聞きたい最新情報を彼は持っていたのだから。
 「直進南下コース」は魅力的だった。乾ききった赤い大地で、地平線を追って走る日々。昼は気温40度、夜は氷点下。夕日がさらに赤く染めるエアーズロックの威容。これぞオーストラリア!、と実感できそうなルート。ただし難点は、陸地をずうっと走っていくと、突然南海岸へ、つまりペンギンの生息域へ出てしまう、ということ。そりゃ、繁殖地のある島へ渡りゃ、ペンギンはいる。けれどそれを見て、まるで“2泊3日の週末ツアーの中で、シンガポール動物園へ遊びに来たジャパニーズの女の子”のように、「きゃあー、みてみてー、ペンギンがいるぅー、かぁわぁいーー!!」と言って帰るわけには行かないのである(注;この部分、創作です。シンガポール動物園には行ったことがないので、ペンギンが飼われているかどうかも定かではありません。ただ、去年タイで会ったシンガポール動物園の飼育係二人組(ひとりはサル、もう一人はカメレオン担当)によると、週末には日本人がたくさん来て、女の子は「かぁわぁいーー!!」を連発しているとのことでした。)。あと、もうひとつの難点。このルートは距離が短いのである。オーストラリア大陸の南岸は真ん中がへっこんでいて、アデレードはそこにある。だからダーウィン〜アデレード間は3000キロしかない。途中、西へ外れてエアーズロックまでの往復をしたとしても、3500キロ。オーストラリアの観光ビザは、有効期限が3ヶ月もあるんだから、もうちょっと走りたいところ。
 で、結局僕が選んだのは、「西海岸ルート」。これならコビトペンギンの分布の北限シャークベイから、繁殖地のペンギン島まで、ペンギンたちのすみかの様子が変わっていくのを感じながら進んでいける。それに距離も5000キロほどで、パースに着くのは11月。ペンギン島は繁殖期の9月から10月までの間は上陸禁止になっているので、ちょうどそれが開けた頃に島へ渡れて、季節的にもいい感じ。
 そんなわけで、僕は今、パースを目指して自転車をこいでいる。今日までにダーウィンから2500キロを走り、ポートヘッドランドという港町に着いた。ペンギンの棲む海は、まだ遠い。(02.09.29、サウス ヘッドランド)
マウントアイサ Mt Isa から来た男(その1)
 その日本人チャリダーのことを初めて聞いたのは、ダーウィンを出発して6日目、カカドゥ国立公園のビジターセンターでのことだった。オーストラリアを走り出してはみたものの、最終の目的地をメルボルンにしようか、アデレードにしようか、はたまたパースにしようか、まだ決めていなかった時だ。日が暮れて夕食が終わると、僕は毎晩キャンプ場のテーブルで地図を広げ、どのルートをたどろうかあれこれと思いをめぐらせていた。
 オーストラリアでのサイクリングは、それまで僕が経験してきたアジアでのものとは、まるっきり性格の違うものだった。地形は平坦でハイウェイの路面は抜群に良く、自転車で1日100キロ走ることは物理的にはたいして苦労はいらない。中国の雲南省のように、朝標高1000メートルを下って谷底の橋を渡ったら、午後から反対斜面をまた1000メートル登らなきゃならない・・・なんていう場所は大陸じゅう探したってありゃ しない。けれどそのかわり、オーストラリアでは常に飲み水と食料を、次の町につくまでの日数分持ち運ばなければならない。この「次の町につくまで」の距離が長い。アジアではまあ30キロくらいだったのが、ここで は300キロもあったりする。食料は工夫して軽くすることはできても、水はどうしようもない。もし気温35度を越える炎天下でのサイクリングを3日間するとしたら、あなたは何リットルの水が必要ですか? もちろん料理や、手や顔を洗う水も含めての話。20リットルなら20キログラム、30リットルなら30キログラムの荷物を、いままでの装備に上乗せして自転車をこがなければならないのである。オーストラリアをすでに2500キロ以上走った今では、常に2日分の食料と10リットル以上の水を持って走るのは、僕にとって当たり前のことになってしまっている。けれど入国間もないその頃は、他のサイクリストたちはいったいどうやってこの問題をクリアしているんだろう、フィールドスコープやデカい三脚なんか持っている場合じゃないんだろうか、なんてことを考えていた。
 そんなある日。僕がカカドゥ国立公園のビジターセンターで早めの昼食を終え、さて午後はどこまで走ろうか、と駐車場の方へ戻っていたときのこと。「自転車で周ってるんですか?」と声を掛けてきたのは、日本人の若いカップルだった。しばらく立ち話をして、お互いの事情を聞く。東海岸のゴールドコーストで3年間暮らした彼らは、帰国する前にオーストラリア一周をしておこうと、車で旅をしているところだという。東海岸からカカドゥへ来るには、マウントアイサを通ってきているはずだから、そのあたりのようすがどんな感じなのかと尋ねる。
 マウントアイサとは、ブリスベンからダーウィンへ向かう途中にある町の名。ブリスベン側からくると、そこから先が人のほとんど住まないない荒野になる。とはいえ、川や地下水から年じゅう水を調達できる場所には、“ロードハウス”がある。ガソリンスタンドとキャンプ場とコンビニが合体したような店だ。チャリダーは、そこで次の数日分の飲み水と食料を補給して旅を続けるのだけれど、マウントアイサの西には、ロードハウスさえない区間の距離が200〜300キロもあるところがいくつかある。
 「何にもないね。」と、カップルは言った。「川は干上がって水はないし、牛も死んでる。車でも『なっげぇなぁー』とか言いながら次の町まで運転してる。」。う〜む、かなりハードなサイクリングになりそうだ。自分にやり遂げることができるだろうか、と僕は少し自信を失う。そしてカップルは続けた。「そういえば、マウントアイサの西で自転車の人を見たよ。日本人で、赤いヘルメットかぶってて、ふっらふらしながら走ってた。」。おお!気合の入ったチャリダーいるんだ、それも日本人。ぜひ会ってみたい。水場や気温の情報、いったい何リットルの水を持って走っているのか、どんなところで眠っているのかなどなど、聞きたいことは山ほど思いつく。けれど、それよりもどんな人なのか会って話してみたい、と思った。「2回目に見たときは、彼はエアーズロックの方には行かずに北へ向かって走ってたから、これから南の方行くんなら、すれちがうよ。」とのことだった。僕はその見知らぬ日本人を、勝手に“マウントアイサから 来た男”と名づけ、ちょっとしたヒーロー像をイメージしていつか会える日が来ることを願うのだった。その後僕は最後の目的地をパースに決め、西海岸へ向かうことになった。「マウントアイサから来た男」が反対車線を走ってくることを期待しながら、カスリーン Katherine までは南下したものの、彼に会うことなくハイウェイを西へ折れた。
 旅も2週間目ともなると、道すがらの様子がだいぶわかってくる。例えばロードハウスのない区間にはレストエリアという駐車場があって、少なくともノーザンテリトリー州ではそこにウォータータンクが設置されていることが多い。また、ハイウェイを走っている車の多くは旅行者のキャンピングカーで、彼らにレストエリアで会うと、こちらが頼まなくても水や冷たいコーラや熱いミルクティーをごちそうしてくれることがよくある。平坦な道できれいな追い風を捕まえれば、1日に150キロ走っても翌日に疲れは残らない。キャンプサイトは、道から外れてちょっとブッシュの中に入っていけば簡単に見つかる。・・・などなど、実際には当初考えていたほど「何もない区間」を走るのは、楽ではないけれど危険ではない、ということがわかってきた。マウントアイサ越えも、多くのサイクリストが走るメインルートなのだ。それじゃあ、“マウントアイサから来た男”もその大勢の中の一人でしかないのかというと、そうではなかった。それどころか彼は、旅行者の間ではかなりの有名人で、国籍を問わず誰もが認める勇敢な男だったのである。初めて「マウントアイサから来た男」の話を聞いてから10日目。僕は路上で、とうとう彼に会うことができた。実は北上していた彼もカスリーンからは西へ向かっていて、そこへ追いつくことができたのである。(つづく、02.10.02、シャーロックリバー)
ステュアートと走る日々
 オーストラリアは自転車旅行者の国のひとつ、と言ってよい。圧倒的な シェアを持つ旅行ガイドブック、「ロンリープラネット」では自転車旅行 用のシリーズも始まっていて、その初めの数巻のうちにオーストラリア版 がすでに入っているということからもわかる。実際この国に来てみると、 驚くほど多くのチャリダーがいる。1ヶ月で10人以上に会うなんて、僕 がこれまでに周ってきた10ヶ国ではまずありえない。
 白人種であろうと黄色人種であろうと、自転車旅行で1日に走れる距離 にたいした差はない。だいたい100キロメートル前後だ。先を急げば疲 れて何日か休息をとることになるし、それに人それぞれ見たい場所があっ て、気に入ったらしばらくは居ついてしまう。そんなわけで、同じ方角を めざす旅行者とは、抜きつ抜かれつちょくちょく顔をあわせるようになり 、「あ、ひさしぶり、元気だった?」なんていう挨拶を交わすようになる 。
 オーストラリア人チャリダーのステュアートと初めに会ったのは、まだ スタート地点のダーウィンに近い、カスリーンを出てすぐのことだった。 ゴミ箱とテーブルがあるだけの休憩所で相席をして、僕はその日2度目の 朝食をとった。彼は東海岸のブリスベンから出発して、西海岸のシャーク ベイにある大陸最西端点、スティープポイント Steep Point を目指して旅しているという。初めて他のチャリダーと会ったときにい つもそうするように、僕らは少しだけ会話をし、その場は別々に走りだし た。・・・ものの、進むペースがちょうど同じくらいの僕らは、この日か ら何度もお互いを見かけるようになる。そしてちょうど町やロードハウス に居合わせれば、バーへ飲みに出かけるようになった。
 46歳の彼は、15年間勤めた仕事をやめたところだと言った。以前は 国の行政機関、Department of Conservation and Land Management (日本では環境省にあたる)で植物の調査を担当していた。それをやめ た理由をこう言う。「飽きた。来る日も来る日も、植物と土壌の水分量を 調べるのに。」  僕も会社をやめたことがあるけれど、ま、やめる理由なんてひとことじ ゃ語れやしないもんだ。ステュアートはこんなことも言っていた。「太っ た上司が、定年3ヶ月前に心筋梗塞で亡くなったのを見た。ああはなりた くない。」  「いつも何か新しいものを探していて、ひとところに落ち着くことがで きない性分なんだ。」  で、彼は結局“お役所”をやめ、小さな会社を設立して、お金よりは自 分の時間を優先して確保することにした。あるかどうかわかりゃしない年 老いてからのリラックスよりは、好奇心の赴くままに今できるチャレンジ を取る、という方向に毎日の過ごし方をシフトした、というわけだ。
 旅行中に会ったチャリダー同士というのは、その時点ですでにいくつか の共通点がある。その国を、その年、その季節に、自転車という交通手段 で旅しよう、と考え、実行する人というのは、そうそうどこにでもいるわ けじゃない。けれどステュアートと僕には、チャリダーであるということ と、いつも野生生物のことが視野にあるということを越えて、考え方や感 じ方の根本、パソコンに例えるならいわばインストールされているOS、 にいくつも共通点があるように感じられた。「ハイスクールでは、バスケ ットボールやらクリケットやら、競争的なスポーツをすることを強制させ られたもんだ。それが大っっ嫌いだった(I hated it !!)。」と彼は言う。僕は、全くもってその通り(Exactly right !!)、と答える。だってこちらが勝てば、相手は負ける。そのこと考 えたら、勝ったってちっともうれしくないじゃないか。僕は今回の自転車 での長旅に必要な体を作るために、トライアスロンという“競技”をして きた。けれどあれは僕のような凡人にとって、レースじゃない。長い長い 、丸1日がかりの旅だ。
 カスリーンから1300キロほど先へ進んだサウスヘッドランドという 町あたりから、僕らの走るペースはちょうど同じくらいになり、しばしば 並んで走るようになった。ステュアートはインテリではあるけれど、カタ ブツではなかった。話し好き、聞き好きで、身の回りのことから国際関係 まで話題はつきない。動物や植物の話が終わると、僕らはよく戦争の話を した。第二時世界大戦では、日本軍はオーストラリアを何度も爆撃し、オ ーストラリアは日領インドネシアに上陸している。戦争は、日本人とオー ストラリア人の間の会話にはちょうどよい共通の話題だ。

      「以前、オーストラリア軍は、10人乗りくらいの小型戦車を配備しよ うとしたんだ。
      キャタピラじゃなくってタイヤで走るやつ。」
     「安いんだろうね。小回りも効くし。」
      「そう。火器の性能は良くて、エンジンのパワーもある。装甲が薄かっ たけれど、それは
      補強すればなんとかなる。軍は乗り気だった。ところがタイヤひとつの重さが450
       キロもある。だから内陸の砂の深いところへ行くと、沈むってことがわ かった。」
      「なんだそりゃ。道のあるところしか行けないんだ。」
     「そう。」
     「そりゃ礼儀正しい戦闘になるねぇ。ハイウェイと市街地だけで撃ち合う。」
     「生態系には何の影響も与えない。」
     「おぉ、すぅばらしいっ!! 自然に配慮した戦争だ。どんな戦争でも、野生生物に
      はなんの責任もないよね。」

 夕方までいっしょに走れば、日も暮れてきたからそろそろ閉店しようか 、なんて話ながらハイウェイを外れ、ブッシュの中に並べてテントを張る 。夕食のあとは満天の星空の下でお茶を飲みながら、こんな話をする。

      「オーストラリアには全長2000キロにもおよぶ川がある。ゆったり 流れていて、2キロ
       進んでも高さ10センチしか下らないんだ。水源でも標高たった300 メートル。もし今
       度自転車で旅をするとしたら、ボートに自転車をとりつけて、この川を こいで下って
      みたい。」
      「日本の公園の池には、スワンボートってゆうのがあるよ。二人乗りで 、ペダルを踏む
       とフィンが回るようになってる。テレビの若者向けの深夜番組に『電波 少年』という
       のがあって、その企画で日本沿岸をスワンボートで旅する、というのが あった。」
     「ほう。で、それはうまくいったの?」
      「・・・と思う。全部見てないけれど。めちゃめちゃ日焼けしてた。」
      「いいなあ、そのスワンボート。オーストラリアにある水上自転車は、 子供の三輪車
       のタイヤを、ばかでっかいプラスチック性のフロートにしたやつだ。と ころでこの計画
      には、ひとつ大きな問題がある。」
     「なにそれ。」
     「堤防が高くて、景色が見られない。」
     「あははは、ぜんぜんだめじゃん! 潜望鏡がいるね、潜水艦のみたいなやつ。」
     「他にもうひとつやってみたい旅がある。」
     「今度は何?」
      「自転車で鉄道を走る。タイヤをレールに合うように改造して。もちろ ん、日に何本
      かの貨物列車が走るだけのような田舎で。」
      「あ、それおもしろい。アナーキーだし、絶対今まで誰もやったことな いよ。あ、いいなぁ。」
      「路面の抵抗が少ないから、一日200キロも進める。列車の通る日中 は、ロードハウス
       まで道路を走っていって、ハンバーガーでビール飲んで、涼しい朝と夕 方に走りゃあ
      いい。」
      「その自転車、二人乗りのやつで作らない?
       僕も走ってみたい。貨物駅についたときの、作業員の顔が見たい。」
     「あははははは! そりゃそうだ。どんな顔するんだろう。」

      ・・・・・・・・

 こうしてブッシュの中でのキャンプの夜は更け、目覚めるとまた朝が来 ていて、僕らは朝日を背に走りだすのだった。(02.10.09、エク スマウス)

とりとめのない話 オーストラリア(その2)