〜アジア横断編〜

とりとめのない話 ネパール(その1)


ネパールへ行こう!!
 ネパール全土に非常事態宣言が出てもう二ヵ月あまりがたった。マオイスト Maoist、つまり「毛沢東主義派」のテロリズムが相次いで、警察関係者、軍人、テロリストをあわせて700人以上が殺されている。新聞には今でも数人が死んだという記事が時々載る。とはいえ、状況はもう安定しているという感じだ。マオイストはある意味純粋に政治的なテログループで、一般の人や外国人を標的にはしていない。このことは去年非常事態宣言が出されて間もなく、宣言は警察、軍、テロリストグループに対するものであることを、国王が強調したことからもわかる。真夜中にひとりで暗い道を旅するならともかく、都市や外国人の多い国立公園を陽の高いうちに歩くのなら、旅行者がこの国でテロに会う危険性はほとんどないだろう。
 とはいえ、多くの人はそういう現実を知らない。だからネパールへの旅行を計画していたとしても、あえて非常事態宣言下に飛び込んで行くことは、やめるか先延ばしにするだろう。あるいは現実を知っていても、用心深い人なら同じようにするかもしれない。そのせいでネパールの観光客の数はいつもの半分以下。だから外国人旅行者相手の仕事についている人は、思うようにお客がつかまらずに困っている。これは旅行者側から見るとどういうことかというと、安くていいホテルに予約なしで入れるうえ、かなりのディスカウントに応じてくれる、ということ。さらに有名な寺やら国立公園やら、観光地に行っても混雑していなくて快適なのである。そう、今ネパールは、ものすごく旅しやすい国になっている。
 そのうえ季節は乾季だ。良く晴れて過ごしやすい気温の日が続く、ネパールを旅するのにいちばんいい時期。鳥だってヒマラヤ山脈の高いところやそのむこうのユーラシア大陸の北の方のやつが、平地に下りてきている。今もしあなたがこの国に鳥を見に来るなら、訪れるべき場所は二ヵ所。コシタプー Koshi Tappu 野生生物保護区とロイヤルチトワン Royal Chitwan 国立公園。僕はカトマンドゥに本部のあるネパール鳥類保全 Bird Conservation Nepal などを通して、両方にコネクションができた。事前に私信メールさえもらえれば、宿代やガイド代の大幅ディスカウントを頼むことを保証します。それに、今から一ヵ月以内なら僕自身がネパールにいる。スケジュ−ルさえ合えば、“現地添乗員”できますよ。
 「乾季のまっただ中の非常事態宣言下の安定」。安く旅したい旅行者にとって、こんな都合のいい巡り合わせはこの先あるだろうか。だから今、ネパールへ行こう!!。(02.02.07、サウラハ <注意>状況は良い方へも悪い方へも常に変わりえます。カトマンドゥなどに到着の後、必ず訪問先の状況について直前チェックをして下さい。また発展途上国に行くうえでの常識的な危機管理については、外務省のホームページなどを参照して下さい。)  
ロイヤルチトワン Royal Chitwan 国立公園とそのまわりの鳥
 ネパールには2つの世界遺産(自然モノ)があって、ひとつはエベレスト山域。そしてもうひとつがロイヤルチトワン国立公園。国の真ん中、南寄りの低地に横たわる広大な亜熱帯の森林だ。東西に流れるラプティ川を境界線にして、南岸がその国立公園になる。
 旅行者が滞在する村は公園の対岸、つまりラプティ川の北岸にいくつかある。公園管理事務所のある村、カッサラ Kasara には、ラグジュアリーな旅行を求めるハイソサイエティな人用のホテル。僕のようなチープな旅をする人は、20キロほど東のサウラハ Sauraha に泊まる。しかし「チープ」とはいっても、サウラハをナメてはいけない。共産テロのために観光客の足が遠のいていることも手伝って、とんでもなく広くてきれいで眺めのいい部屋に、一泊あたりたった180円で泊まれたのである(ただし連泊によるディスカウント込み。)(写真下)。同じ宿に1ヶ月以上も泊まっていたイギリス人の女性ライターは、今のここを“Magic Place”と言った。その通り! カッサラよりも西に泊まるならメグハウリ Meghauli。僕はこの村にも1泊した。宿が少なく価格競争をしてないので、1泊280円、食事も高めだった。それから、厳密にはチトワン国立公園 ではないのだけれど、それの東側にくっついてあるパルサ Parsa 野生生物保護区にも半日だけ行った。保護区管理事務所から5kmほど南の町、シムラ Simra に泊まることになる。1泊280円。そしてもうひとつ、国立公園でも野生生物保護区でもないけれど、絶対行っておかなければならない場所がある。ビスハジャールタル Bis Hajaar Tal、直訳すると「二万の湖」。もうじきラムサール条約の保護区にリストアップされることになった湿原地帯である。サウラハから自転車で30分。入場料は今ならたった80円という安さ。ちなみに、サウラハにはレンタサイクルがあって、1日100円前後で借りられる。
 ガイドブックによれば、1日分の入場料900円を払いさえすれば、国立公園内をひとりで歩くこともできるようだ。とはいえ、日本で山を歩きなれている人でも、必ずガイドを雇いましょう。僕は一度、ガイドの指示で茂みの中にいたサイから走って逃げたことがある。一、二分後、そのサイは僕らのいた道に飛びだし、反対側の草地に突っ込んで行った。サイの間合いは、ツキノワグマとは違います。トラの足跡もかなりあるので、早朝は気をつけて下さい。ガイド料は半日450円くらいで、まる1日なら700円以下に割り引いてくれる。ちなみに鳥専門のガイドを頼んでも、9ヵ月鳥を見ながら自転車で日本から来た僕の方がよく知っていることもあった。ここの“珍鳥”が他のところの“駄鳥”であったりするからだ。そんなことを話しながらガイドと一日過ごしたら、ガイド料はタダでいいから、またいっしょに歩いて欲しいと僕は頼まれた。彼らもまた、向上心のあるバードウォッチャーなんである。歩きたくない人は、ジープや象に乗って園内を見て回ることもできるようだ。僕は初めっから乗る気がなかったので、値段は知らない。
  どこの村に泊まっても、公園内に入るにはラプティ川をボートで対岸へ渡ることになる。園内の環境は、背の高い草原か河畔林、少し湿地もある。冬の朝は寒くて、毎日濃霧だ。霧が晴れるまでは鳥はあまり飛びまわらないので、やぶでごそごそしているアカガシラチメドリとかムナフジチメドリとかを見たり、高枝でまだ半分眠っているようなダルマインコ、ホンセイインコ、コセイインコを見ながら進んでいく。霧が晴れるにしたがって、枯れ木のてっぺんに大きなアカアシトキがとまっていたり、インドクジャクが50メートルくらい先で道を先導してくれているのがわかる。日が差し始めると日なたは暑いけれど、空気が乾燥していてるので林に入って日陰に行くと肌寒く感じる。そういう所にいるアオムネハチクイは、かなり綺麗な大きい鳥で見応えアリ。オウチュウ類はカンムリオウチュウかシロハラオウチュウが多く、カザリオウチュウは少ない。水辺には、オオハゲコウ、コハゲコウ、スキハシコウ、エンビコウ、ナベコウと、大味なコウノトリ類の群れ。久しぶりにコチドリとかクサシギとか見て、おお、そういやこんなのだったなあと、ちょっとなつかしかったりした。その他には、マガモ、カワアイサ、アカツクシガモ、ナンキンオシ、リュウキュウガモ、セキショクヤケイ、ヨーロッパウズラ、チュウサギ、コサギ、インドアカガシラサギアジアレンカク、バン、オオバン、オオハクセキレイ、オジロトウネン、イソシギ、アオアシシギ、アジアヘビウ、カワウ、トビ、カタグロトビ、ハイタカ、ハチクマ、カンムリワシ、ウオクイワシ、チョウゲンボウ、ハイガシラコゲラ、ヒマラヤズアカミユビゲラ、ムナフタケアオゲラ、コガネゲラ、ヒメアオゲラ、コモンアカゲラ、オウチュウ、カザリオウチュウ、コウハシショウビン、アオショウビン、カワセミ、ヒメヤマセミ、シラコバト、カノコバト、キンバト、タカサゴモズ、チベットモズ、ノドジロオウギビタキ、ヒメコノハドリ、キビタイコノハドリ、コウラウン、シリアカヒヨドリ、エボシヒヨドリ、ハシブトガラス、チャイロオナガ、ハイバラメジロ、キタカササギサイチョウ、シロボシオオゴシキドリ、ムナフムシクイチメドリ、ムナフジチメドリ、ツチイロヤブチメドリ、ビロウドゴジュウカラ、チャバラゴジュウカラ、シジュウカラ、ムラサキタイヨウチョウ、インドコキンメフクロウ、モリスズメフクロウ、ヒタキサンショウクイ、オオオニサンショウクイ、インドハッカ、モリハッカ、ホオジロムクドリ、オナガサイホウチョウ、インドブッポウソウ、クロノビタキ、ノビタキ、オジロビタキ、シロボウシカワビタキ、ハイイロモリツバメ、コサンショウクイ、ヒイロサンショウクイ、モズサンショウクイ、タイワンショウドウツバメ、ヒメアマツバメ、ヤツガシラ、オニクロバンケンモドキ、オオバンケン、インドトサカゲリ、シキチョウ、アカハラシキチョウ、ズグロコウライウグイス、チフチャフ、マユナガムシクイ、インドコヒバリ、チョウセンタヒバリキガシラセキレイハクセキレイ、ビンズイ、イエスズメ、レンジャクノジコなどで、識別できたものが111種類。レアもの、ベンガルショウノガンは狙ったけれど外した。いちばん見やすい時期は3〜4月だそうです。

 ちなみにカトマンドゥにあるネパール鳥類保全 Bird Conservation Nepal の事務所に行けば、この地域で確認されている鳥が全てリストアップされたチェックリストを190円で売ってくれる(写真上)。きれいに装丁された薄い本だ。毎日のバードウォッチングの成果を実感したい人は、ぜひお買い求め下さい。(02.02.09、ポカラ)   
非常事態宣言(その1)
   ネパールの旅も残すところあと3日。こんな小さな国、1ヵ月もあればヨユーだな、なんて思っていたけれど、それは思い違いだった。僕のよう なネイチャー派の旅行者にとっては、ネパールはいくらでもやることのある国だ。時には自転車をホテルに残してあっちへ行ったり、こっちへ戻ったり。終わってみれば、ビザの滞在期間いっぱいの60日間をきっちり使いきることになった。
 ネパールに行こうと決めたのは、去年の10月、タイを南下している時だった。雨季の東南アジアを早めに切り上げて、その代わりにちょうど観 光シーズンのネパールへ行こう、ということにしたのである。ところがその後の11月下旬、ネパール全土に国王から非常事態宣言が発令された。 共産主義の過激派グループ(マオイスト、毛沢東主義派)のテロリズムが頻発しているというのである。シンガポールにいた僕は、このニュースをインターネットで知ることになる。「なぁんてこった!」と一瞬ひるんだ。けれど、僕はこの時までにあるひとつの経験をしていたので、すぐに気を取り直した。その経験とは、あのアメリカの航空機テロである。
 9月11日に起きたニューヨーク、ワシントンの同時多発テロは、間もなくアメリカ・イギリスとアフガニスタンの戦争へと発展。しばらく空爆 すればおさまるだろう、と僕が勝手に思っていた事態は悪化の一途をたどる。そしてテレビニュースを見ている限りでは、アメリカ側に抗議して、他の国に住むイスラム教徒がかなりヒートアップしているということだった。特に世界でいちばんイスラム教徒の多い国インドネシアの首都ジャカルタでは大規模なデモが起こり、とても西側諸国の人は近づけない、というような印象を与える報道をしていた。そのせいで僕はその頃、予定していたインドネシアの旅をやめようかと迷った。けれどニュースというのは、「そこに立っていたらどのくらい危険か。500メートル先ではどうか。隣町ではどうか。」という旅行者のいちばん欲しい情報はほとんど流していないので、もうひとつ役に立たない面がある。だから僕は南から上がってくる旅行者を見つけては、最近インドネシアにいたかどうか、あるいはいた人から何か話を聞いていないか尋ねていた。その返答はだいたいどの人も、旅するぶんにはどうってことないよ、というようなものだった。そうするうちに、ジャカルタのデモの中にいた、というオランダ人に僕は会うことができた。初老の男性で、もちろん白人だ。彼によると、あのデモは別に危険じゃなかったそうだ。彼はデモの中で民衆と肩を組み、笑顔で記念写真さえ撮っていたのである。この話を聞いた場には、何年も旅をし続けている人たちがいっしょにいあわせたのだけれど、マスコミなんてそんなもんさ、という反応だった。
 結局は雨季を自転車で走ることに飽きてきていたのでインドネシアへ行くのはやめたのだけれど、僕はこの時ひとつのことを知った。「そこへ行ったら自分がどれくらい危険か」なんて、自分でいろんな情報を集めて自分で判断するしかない。だって危険度って、ローカルな場所やそこへ行く日時、旅行者の国籍、性別、性格、体格、交通手段、服装、顔立ち、旅の中の生活レベル、その日の気分や体調とかの組み合わせで、ぜんぜん違う。つまり、ひとそれぞれ、なんだから。(つづく)
非常事態宣言(その2)
   さて、ネパール。シンガポールからインドのコルカタ(カルカッタ)に飛行機で飛んだ翌日、僕はネパール領事館に出向いた。暇そうな係官にビザを申請すると、ほんの10分でできあがった。まずツーリスト・ビザが出る、というだけでも“非常事態”が旅行者にとってそれほど深刻なものじゃないことがわかる。そして係官は、きれいな旅行ガイドを一冊くれて、よい旅を、と言った。僕は非常事態宣言下のネパールに行くことにした。
 入国したのはその1ヵ月半後。あいかわらず非常事態宣言は出っぱなしだったけれど、実際にネパールを旅してみると、町の人たちの暮らしは平 和そのものだった。時々チェックする新聞にはマオイストのテロでが何人死んだ、という記事が必ずといっていいほど載っている。けれど、ニュースを読めば読むほど、彼らの標的が警官と軍人、政治的な有力者に限られていることがわかってくる。マオイストはもともとヒマラヤ山脈の中の遠隔地に住む人たちに支持されてきた政治グループだ。ネパールが民主化されて16年。観光客の落とす金で発展する都心部とはうらはらに、山岳地の電気もなければ町へ出る道もない生活はいっこうに変らない。そんなところに住む人たちが共産主義に夢を持ったとしても、そりゃ仕方ないわなぁ。
 はじめは穏健だったマオイストがテロリズムを起こすきっかけになったひとつの事件がある。ある遠隔地の小さな村でのこと。男性はみんな出稼ぎで南部の街やインドに何ヵ月も出かけていて、残されたのは妻と娘たち。ここで警官によるレイプが繰り返されていた。戻ってきた村の人たちは警官に復讐。それからテロが少しずつ全国に飛び火した、というのである。実をいうとこの話については、裏をとっていないので・・・とはいえ僕の“裏を取る”というのは、せいぜい数人から同じ話を聞くか、古新聞からみつけるという程度のものだけれど・・・本当かどうかわからない。けれど、警官が庭先に座っている10代の女の子を撃ち殺したり、軍人がちょっと気のふれた村人を騒いでいるからと言って射殺したり、という事件は実際に起こっている。強姦くらいなら、殺人よりはたくさん起こっているのかも知れない。いずれにしても、この国の銃を持つ立場にある人たちが、市民とたびたび大きなトラブルを起こしていることは確かだ。
 テロと聞くと、街角でいきなり車が爆発して罪もない通りがかりの人が死ぬ、というようなイメージを持つ人もいるかも知れないが、少なくともネパールのマオイストがやっていることはそれとは全く違う。彼らは地下鉄でサリンをまくカルト宗教や、突然切れてナイフで人を刺し殺す中学生のような意味不明の気違いではない。政権を取るというはっきりした目的があり、その手段として“戦争”をしているのである。戦争には組織があり、作戦があり、統制がある。リーダーたちは国民の支持があり続ける(少なくとも反感を買わない)ことが必要だとわかっているし、外国人観光客が途絶えてしまっては祖国の経済がやってゆけないこともわかっている。だから彼らが一般市民や旅行者を殺すことはない。たとえ下っぱの兵隊の誤射であれ、もし外国人観光客を傷つけてしまえば、アメリカなど西側諸国の軍事介入を受ける引き金になって自分たちの立場が悪くなる、という保身の計算も当然あると思う。
 そんなわけで、僕の「日本人が自転車でネパールを旅するのは安全」という判断はずっと変わらなかった。2月の終りにはアチャム Accham 郡で大きなテロが起こり、130人以上の警官や軍人が殺されている。新聞によるとこれはネパール史上最悪のテロで、1000人以上のマオイストが空港と、少し離れたマンガルセン Mangalsen という町の警察署や銀行を同時に襲撃、深夜数時間にわたって銃撃戦となったという。にもかかわらず僕の「安全」という判断は変わらなかった。なぜなら、こんなことができること自体、マオイストがよく統制された軍事組織であることがわかるからだ。資金は銀行からたんまり強奪しているわけだし、彼らが僕を狙う理由はない。
 ・・・・・・・実を言うとここまでの話は、今まで時々書いてためてきたこま切れのものを、今(3月21日)まとめたものだ。そして僕はこの “とりとめのない話”を、「結局、非常事態宣言下のネパールを2ヶ月間旅しても、銃声ひとつ聞きませんでしたよ」と最後に書いて終りにし、ネ パールをあとにするつもりだった。ところが、である。3月19日の夜、僕は銃声を聞いた。銃声どころか、爆弾が炸裂する音も聞いた。それどころか、100人近いマオイストが隊列を組んで軍靴を響かせるのも聞いた。そして司令官の肉声演説さえ聞いてしまった。そう、その夜僕の泊まっ た小さな町は、マオイストに占領されてしまったのである!!(つづく、02.03.21、マヘンドラナガー)

野生生物保護区の鳥(その1;コッシーという名の保護区)
 コシタプ− Koshi Tappu  ネパール東部にコシ Koshi という地域(zone)がある。北の端は中国国境のヒマラヤ山脈、あの有名なエベレスト山から東側へ幅80キロ程、それを南はインド国境まで延ばした南北に長い帯。アルン Arun 川の流域、ということもできる。コシ地域の南部ではアルン川を含めるいくつもの河川が合流して、ネパール最大の川、サプタコシ Sapta Koshi 川となっている。この川はそのままインドに流れ込むのだけれど、国境近くに巨大な可動堰、コシ Koshi 堰がある。そのために堰の上流側数十キロは乾季でもかなり豊潤で、シベリアなどから渡ってきた水鳥たちのよい越冬場所になっている。ここがコシタプー野生生物保護区。
 海外旅行をする人に一番多く使われているガイドブックは、たぶん「ロンリープラネット」シリーズだろう。この旅の中で僕が見る限り、少なく見積もっても半分以上のシェアがあると思う。こういうのに書かれていることは、いわば「常識」になる。その本の中のテライ Terai 地方のページ。テライ地方とは、東西に長いネパールのうちの南の平野部を言う。ちなみにこれに対して、北の山岳地帯はグレートヒマラヤ地方と呼ばれている。“ロン・プラ”がテライ地方の見るべきハイライトとして挙げているのは4つで、そのひとつめがコシタプー野生生物保護区、である。そのあとロイヤルチトワン国立公園、ブッダ生誕の地ルンビニ、ガンジス平野の小数民族、と続く。にもかかわらず、僕はここを訪ねることを2度もとりやめている。
 問題は値段にある。ネパールは観光をメインの産業とした国だ。海外からの旅行者が落とすお金で国が回っているといってもいいくらい。だから良く知られた観光地はすべて“外国人慣れ”していて、宿や食事の価格に外人プライスが設定されている。いちどガイドを連れて歩いた時に彼の払った食事代を聞いてみたら、同じ物を食べたのにだいたい3分の1くらいだったことがある。コシタプーは、まさにそういう“クオリティ・ツーリズム”の観光地だった。
 ネパールに入国して3日目、僕は自転車でコシタプーのすぐ横を通った。けれど、入っては行かなかった。なにしろガイドブックによると、保護区内のホテルに泊まるには、入区許可料やバードウォッチングのガイド料、川下りのボート(ラフティング)代など全て込みで1泊2万円から、と いうことだったから。冗談じゃない、話半分としても(?)絶対に払えないよ、と思った。20キロほど離れた小さな村バハンタバリ Bahatabari に泊まって保護区へ通う、という手があるにはある。けれど、夜明け前から自転車で走って行くのはかなりあわただしいバードウォッチングになるだろう。いずれにしろ楽しめそうになかったので、僕はコシ堰を自転車で渡ってこの保護区を素通りし、西へ向かう旅を続けた。このころはまだ、非常事態宣言下で旅行者が減っているために、旅行業界はどこも大幅ディスカウントをしていると知らなかったのである。
 次にコシタプーを訪れるチャンスがやってきたのは、カトマンドゥでだった。その日僕は、ちょっとしたことから知り合ったネパール人バードウォッチャーのニーレシュに会い、国内の鳥の見所を聞いていた。彼が初めに口にしたのは、コシタプーのことだった。「コシへは行ったか?ネパールで鳥を見るなら、コシが一番だよ。」という。ここで話はかなり違う方向に飛ぶけれど、僕は子供の頃から「コッシー」と呼ばれている。毎日会う学校の友達がそう呼ばなかった時期があっても、バイト先などで呼ばれ続けてきた。就職してからはすっかり定着して、今、仕事でかかわるほとんどの人からそう呼ばれている。だからニーレシュが「コシ」というたび僕はちょっとギクリとしながら、「いや、行ってないんだ。値段が高くて。」と答えた。すると彼は、友達が旅行代理店をやっているのでディスカウントを頼んであげる、という。オートバイに二人乗りして事務所へ向かい、交渉してみると全込み2泊3日で2万円、もし食事と宿代、入区許可料だけなら1万円にしてくれる、という。これは一晩考えた。僕の旅のレベルでは2泊3日で1万円使うのは、かなりの高額商品だ。けれど、コシタプーはネパールいち押しのバードウォッチング・サイトだという。ここは金の使い所じゃないか?いろいろ考えた末、翌日僕は旅行代理店に出向いて、せっかくの値引きだけれどまた次の機会にします、と断った。そのあとしばらくしてパルサ野生生物保護区を訪ねたのだけれど、管理事務所の人と話していたら、またしても「コシへは行ったか?ネパールで鳥を見るなら、コシが一番だよ。」と言われた。僕はまたギクリとしながら「いや、行ってないんだ。」と答えた。彼は、一週間続いていたコシのバードウォッチング・フェスティバルが、きのうちょうど終わったところだよ、とも教えてくれた。そう、コシは今、春の渡り鳥シーズン真っただ中なんである。(つづく、02.03.14、コハルプール)
チャリダーと猛獣
 チャリダーは道を走って旅をする。道が町へ入れば車や人ごみをすり抜 け、田園を通ればウシやヤギの群をかわしながら走る。そして国立公園の中を突き抜ける道を通れば、当然野生動物に出会うこともある。
 僕が初めて野生のサイを見たのは、自転車の上からだった。インドのアッサム州にあるカジランガ国立公園へ行く途中のこと。国立公園の南側境界線になっている国道37号線を走りながら、北側に広がる湿地の景色を楽しんでいた。野生のスイギュウの群を見つけ、2メートル近くもありそうな角先と角先の幅に見入っていたら、奥の方に一頭だけ色の違うやつがいた。双眼鏡を覗いてみると、これがサイだった。しばらく見ていたらこのサイが小さな子供を連れているのに気づいた。子連れの猛獣は、普通どれも危険だ。けれど、この時は300メートルあまり離れていたので、何の問題もなくゆっくりと眺めていられた。
 僕がこの旅で会ったチャリダーの中には、ヤバい経験をした人もいる。ネパールのポカラで会った日本人のワタセ君は、その少し前の一ヵ月間をスリランカで過ごした。スリランカは国立公園の島、といっていいほど森がいっぱいある国。そこでの話。車の少ない道を走っていたら、前方にロープのようなものが落ちている。あまり気にも留めずにその右側を通りすぎようとした時、前輪がロープの端をちょっと踏んだ。実は、これがコブラだった。蛇は全身がしなやかな筋肉だ。しっぽを踏まれたコブラは一瞬にして身をひるがえし、ハンドルを握るワタセ君の左手に噛みつかんばかりに迫ってきたそうだ。彼はあせって全力疾走し、しばらく進んでから振り返った。すると、コブラは頭を起こしたあのお決まりのポーズで怒っていたという。おーこわ。
 中国の雲南省で会ったフランス人のセブ。彼と僕は地球を回る方向が逆にもかかわらず2度も会い、その後電子メールの交換もしているのだけれ ど、彼はネパールでなんとトラに会っている。「信じるか信じないかはそっちの自由だけれど」という書き出しで、セブはその時のことをメールで教えてくれた。彼は早朝、ロイヤルバルディア国立公園内を抜ける国道、マヘンドラ・ハイウェイを自転車で走っていた。そして突然森から現れたトラに遭遇。めっちゃビビりながらも携帯していた催涙ガスを構えて「そのモンスターと戦う覚悟をした」そうだ。もちろん僕は彼の話を信じてるけれど、半分うらやましさを込めて、「自転車からトラを見られたなんて、信じられないくらいラッキー(またはアンラッキー!?)だね。けど僕にとっては、催涙ガスを持ってるチャリダーの方が信じられないかも。」と返事に書いた。
 その後半年以上して僕はそのロイヤルバルディア国立公園を訪れている。季節は春。草木がやわらかな新芽を出すと、それを食べる草食動物が草原に現れる。すると肉食動物もそこへ“食事”にやってくるので、大きな動物を見るには一番いい時期だ。その日僕は、マヘンドラ・ハイウェイを走っていた。そして僕はまさに今、セブがトラを見た国立公園内に入って行きつつあった。自転車をこぎながら彼の話を思い出し、トラが現れるのをちょっとだけ期待しながらも、やっぱりこのほとんど車の通らない道じゃ会いたくないなぁとも思ったり、いつも通りの気楽なサイクリングをしていた。そして道が国立公園内へ入るところにさしかかってみると、軍のチェックポイントがぽつんとある。この非常事態宣言下のネパールでマヘンドラを走っていれば、日に何度も“マオイスト・チェック”をするチェックポイントを見かける。それだろうと思い、外国人旅行者ですと挨拶だけして通り過ぎようとした。そう言えばたいがいはノーチェックか、2、3簡単な質問をされて、行ってよし、ということになる。ところが今回は違った。この先は、自転車は通行禁止だと止められたのである。なぜかと尋ねるとトラが出るからだ、という。よくよく聞いてみるとこういうことだった。去年の夏、トラに食われてひとりの男性がこの先で死んだ。なんとオートバイで走っているところを襲われた、というのである。オートバイは二人乗りで、亡くなったのは後に乗っていた方。小川沿いで待ち伏せしていたトラが、後方から飛びかかったらしい。運転手は転倒して気絶。トラは同乗者を森の奥深くまでくわえて運び、食べた。だから自転車、歩行者は通行止めだということだった。チャリをバスに積んで次の町まで行け、との指示。オートバイでさえ、車といっしょでなければ通さないのだそうだ。
 話を聞いた僕は真顔になっていた。セブがここを通ったあと、そんな事件が起こっていたのである。トラとは、オートバイに乗っている人を襲うような動物なのである。自転車に乗っている時に会うなんて、とんでもない話なんである。僕はいつもなら仕方なく乗るバスに、この時ばかりはよろこんで乗った。(02.03.19、ラムキー)
コシタプ− Koshi Tappu 野生生物保護区の鳥(その2;ゴカルナと行く3泊4日鳥見の旅)
  カトマンドゥでコシタプーへ行く2度目のチャンスを断った僕はまた自転車で西へ向かい、ポカラに着いた。そしてこの街に自転車を残して、アンナプルナ山域の2週間トレッキングを始めることになる。
 ビレタンティから歩き始めて標高2500メートルの森林地帯を通り抜け、温泉の町タトパニへ下る。そこからカリガンダキ川沿いに北上しなが らチベット文化のにおいを楽しんでいた6日目。僕はネパール人バードウォッチャーのゴカルナに会った。彼はフリーのトレッキングガイドで、そ の時はオーストリア人観光客をひとり連れて歩いていた。こちらから声をかけて昼食をいっしょにとり、あの鳥は見た?、この鳥は?、と同じ図鑑を開いて話し込む。午後は別々にあるいたけれど、その夜ホテルで再会。そして夕食の時、ゴカルナは言った。「コシへは行ったか?ネパールで鳥を見るなら、コシが一番だよ。」。僕はまたギクリとして「いや、行ってないんだ」と答えた。
 翌朝、僕は体を休めるために同じ宿に連泊を決め、先を急ぐゴカルナたちを見送った。にもかかわらず、数日後に雪のために早々と引き返してきた彼らと再々会。その後もアンナプルナからポカラへ戻るバスがストライキをしたために僕が彼らに追いついて再々々会と、不思議に縁があった。会うたびに僕らは二人でコシへ鳥を見に行く話を詰めた。結局、3泊4日で15000円、はじめからおわりまでゴカルナが同行して、交通費・食 事代・入区許可料込み、さらに現地ではコシに詳しい別のガイドも付く、という内容になった。ただし、一般の外国人ツーリストとして行くとホテルにふっかけられるから、以前からの友達だということにしておいてくれ、とのことだった。これはクオリティ・ツーリズムとしては、かなりのお買い得価格だ。もちろん僕は二つ返事でOKした。金額も今まででいちばん割安なこともさることながら、何よりもゴカルナの人柄がいい。なにしろ、彼は四十半ばのいい歳して、鳥を見ている時には子供のような目をして喜び、野帳を開くと道ばたに座り込んで書き込みはじめるのである。そんなゴカルナを見ていると、なんだか鳥類調査の仕事を日本でしている時の自分を思い出して、僕は思わず苦笑してしまうのだった。(つづく、02.03.16、バルディア)

とりとめのない話 ネパール(その2)