〜アジア横断編〜

探鳥日記 タ イ(バンコク〜タッバン)

(2001年10月7日〜11月5日)


10月6日(土)(アユタヤ〜バンコク Bangkok;鉄道)

 8時半、オーがゲストハウスの前まで迎えに来た。鉄道でバンコクに行く僕を駅まで送りたいからと、ゆうべ約束してくれたのだ。オートバイで船つき場へ行き、渡し舟で対岸の駅へ。オーに時刻表を読んでもらって切符を買い、見送られて列車に乗った。
 昼過ぎにはバンコク国際空港に着いた。到着ゲート近くのベンチに腰かけて、時間が過ぎていくのを待つ。やがてスーツケースを押す日本人がちらほらと見え始めたので、僕はゲートの正面に立った。真っ白なワンピースに小さめの旅行カバン、腕にエルメスをちょっとだけ光らせて歩いてくる女性がひとり。彼女だ! 香港以来、「元気だった?」。(写真;空港の到着ゲートで待つ。)
10月7日(日)(雨のち曇/バンコク;0km)

 チャオプラヤ川を行き交う大きな貨物船と小さな渡船。ホテルのカフェテラスでブランチをとりながら、遅い朝をゆくりと過ごす。電車で街に出た。すっかり遅くなってしまった彼女への誕生日プレゼントを選んだり、洋書の古本屋で思い思いの本を開いたり、自分の町にいるように歩く。金持ちが集めた骨董品の博物館の、ガイドの女の子。丸暗記した説明文をいっしょうけんめい話す表情と、日本人の一行の薄い反応に戸惑うしぐさ。カクテルを飲みながら過ごす、夜のはじまり。彼女といると、自転車のひとり旅ではまず見ることのない場面に出会える。まるで新鮮な風の流れ込んでくる「窓」のようだ。(写真;川沿いのリゾートホテル。)
10月8日(月)(曇時々雨/バンコク;0km)

 外国にいるからといって、僕らには「こなすべき行程」は何一つない。彼女にとっては忙しい仕事の、僕にとっては長旅の途中の、ひとときの休暇なのだ。僕らはバンコクに住むの恋人同士のように、普通の公園のベンチでスコールの雨宿りをした。彼女の口づさむ歌を聞き流しながら過ぎる、のんびりとした午後の時。
 帰りのフライトは午後10時過ぎ。もう暗くなったハイウェイを、時速130キロで飛ばすタクシーで空港へ。夕食の後、じゃあまたね、と手を振って、彼女を搭乗ゲートへ送り出した。また しばらく彼女とも日本語ともお別れ。ひとり鉄道の駅へ向かい、アユタヤ行きの列車に乗る。日付が変わる前には、ゲストハウスへ入った。(写真;ライトアップされるアユタヤの遺跡。客引きがうまいよなぁ、と思う。)
10月9日(火)(曇時々晴/アユタヤ〜ピトゥサヌローク;バス)

 今日からしばらくは自転車をゲストハウスに置いたまま、バスでトゥンサラエンルアン国立公園へ向かう。この公園には、先月の半ばに一度訪れたことがある。しかしこの時は、ビジターセンターはあるのに見るべきものがない北側から入ってしまった。だからベストシーズンの10月になってから出直して、南東側からもう一度入るつもりでいた。
 目的地に近い街はペッチャブーン Phetchabun だけれど、まずバンコクへ出ないと直通バスがないと言われた。しかたなく西回りでいったん公園の北側まで出てから、南東側の入り口へ行くことにした。30分遅れのバスに午後7時半に乗る。時々居眠りしているうちに、午前1時ピトゥサヌローク着。乗り換えの待ちが5時間だったので、宿には入らずにバスターミナルで徹夜した。(写真;子供がネットワークゲームを好きなおかげで、タイではどこの町でもインターネットにアクセスできる。どの家にも、必ず祭壇と王様の写真。)
10月10日(水)(曇時々晴/ピトゥサヌローク〜トゥンサラエンルアン;バス)

 6時にロムサック行きのバスに乗る。途中下車の場所がわからず、ロムサックのバスステーションまで行ってしまった。英語の通じない切符売り場でなんとか説明して、目的地のノンマエナに近いバス停になったら車掌に声をかけてくれるよう頼んだ。バスで少し西へ引き返して、何もない丘陵地の交差点で下車。そこから乗り合いトラック2台を乗り継ぎ、さらに2キロ歩いてやっとトゥンサラエンルアン国立公園へ。
   この国立公園のいちばんの「売り」は、ツンノンソン Tung None Sone という山。頂上が草原になっていて、マツの大木がまばらに生える。そこまで片道30キロ余りのトレッキングも魅力だ。往復2泊3日のつもり で準備してきた。ところが事務所に行くと11月まで閉鎖だという。公式パンフレットを開いて、ベストシーズンが10〜11月になってるから来たんだ、と抗議したけれど、聞き入れてもらえなかった。納得いかないよ なぁ。
 公園内にテント泊。(写真;乗り合いトラックの荷台から見る景色。)
10月11日(木)(晴/トゥンサラエンルアン;0km)

 朝5時半からツンノンソンの方向へ歩き始める。閉鎖区域とはいっても、日帰りならいいだろう。サバンナの草原を通る遊歩道は、霧のために少し先までしか見えない。鳥の方もこちらが見にくいので、不意にアジアマミハウチワドリやヤブヒバリがすぐ近くにやってきたりする。熱帯雨林に入る頃には霧も晴れ、梢の鳥も見えるようになった。ペットショップで売ってそうな鳥、ミドリサトウチョウの鮮やかな緑色は、熱帯雨林の葉っぱの色とぴったり同じだった。この公園内では道が広いので鳥を探しやすく、50種近く見た。
 往復30キロ歩いた。疲れた。シャワーを浴びて食事を終え、テントにもぐり込む。すぐに眠りに落ちた。(写真;朝霧のトゥンサラエンルアン国立公園。)
10月12日(金)(晴時々曇/トゥンサラエンルアン〜ペッチャブーン Petchabun ;乗り合いトラック)

 午前中は「ネイチャースタディーエリア」の遊歩道を歩いた。所々に林や動物の説明書きがあって、数キロの間にいろんな環境を通れるようになっている。林縁にハイナンヒメアオヒタキやズアカミユビゲラを見たけれど、風が強いせいもあって鳥が少ない。
 昼に公園を出て、乗り合いトラックの荷台に乗った。アユタヤからここへは西回りで来たけれど、公園の職員に東側から直接南へ下りてアユタヤへ戻れると聞いたので、とりあえずペッチャブーンまで出ることにした。
 夕方、ペッチャブーンに着く。遠距離バスのターミナルへ行ってみると、今日はもうアユタヤ方面行きはなかったので、バイクタクシーで旅社へ。(写真;川岸の石の上だけにいたハンミョウの一種。)
10月13日(土)(晴/ペッチャブーン〜アユタヤ;バス)

 8時のバスでまずはサラブリへ。ローカルに乗り換えてアユタヤ行き。フロントガラスに投石されたようなでっかいヒビのある、年季の入った路線バスだった。
 午後にはアユタヤのゲストハウスに帰る。行きより帰りのルートの方が短くて安かった。ガイドブックに載ってない目的地へ公共の交通機関で移動しようとすると、切符売りの窓口がどれだけ親切かで、使う時間とお金が決まる。(写真;寺、祭壇、宝石屋、ガソリンスタンド。いたるところに「象」がいる。)
10月14日(日)(晴、夜雨/アユタヤ〜カンパエン サエン Kanphaen Saen ;125km)

 10時出発。9日ぶりにチャリダーに戻った。自転車をこぐのに使う筋肉の疲れがすっかり取れているので、ペダルが軽い。交通量の多い道を避けるために、なるべく数字の大きい国道を選んで南下する。まわりの田ん ぼは収穫時期の終わりで、もう次の田植えのために代かきをしているところもある。耕うん機をかけているまわりではアマサギやツバメ、オオハッカが虫をついばみ、水を張り終えた所ではスキハシコウやセイタカシギが歩き回る。バンコクに近づきすぎないよう、パトゥムタニー Pathum Thani から西へ向きを変えた。
 バンレン Bang Len に泊まるつもりだったけれど、宿がなくて20キロ追加。日が暮れてからカンパエン サエンのホテルに入る(写真;ほとんどが日本車。4駆のトラックがはやり。)
10月15日(月)(晴のち曇/カンパエン サエン〜ラッチャブリ Ratchaburi ;75km)

 8時出発。国道321号線から4号線と乗り継いで南下。はやくバンコクから遠くへ離れたいと思いながら、車の多い道を走る。真上から照りつけてくる太陽。ほんの数秒で通りすぎる街路樹の日陰に、あっ、涼しい! と幸せを感じる。
 夕方前にラッチャブリに着いた。もう少し進みたかったけれど、宿がありそうな次の街が遠いので、旅社に入った。(写真;いったん日陰に入ると、勇気を出さないと日なたに出られない。)
10月16日(火)(晴/ラッチャブリ〜チャアム Cha-am ;100km)

 8時半出発。国道4号線を南へ。やっと細長いマレー半島の、根っこのところまで来た。タイ中部を抜けたので、鳥相も少しずつ変わってくるだろう。久しぶりにチャリダーに会った。オランダ人のリー。ランニングシャツにバイクパンツ。速そうな格好してるなあ、と思ったらほんとに速かった。シンガポールからここまで3週間だそうだ。
 夕方、チャアムのゲストハウスに入る。ビーチリゾートの町なので、外国人旅行者がたくさんいる。夜食を買いに入った店の40歳くらいの女性に、日本語の手紙の代筆を頼まれた。いいですよと気安く受けたら、書く前に80歳過ぎた老人のラブレターを何通も読むことになった。漢字は旧字だった。(写真:リー、旅行中?それとも、レース中?)
10月17日(水)(晴、夜雨/チャアム〜カオサムロイヨット Khao Sam Roi Yot ;(車30+)55km)

 8時半に出発・・・のつもりで荷物を積んでいると、宿のおやじさんが話しかけてきた。南へ行くのか、と聞くので、そうだと答えると、これからトラックで買い物に出るところだから乗って行きなよ、という。たまには車もいいな、と思って乗った。荷台で風を受けながら、快晴の国道4号線を南へ飛ばす。途中で車を降り、今度は自転車。東へ折れて細い道で海辺へ向かい、昼過ぎにはカオサムロイヨット国立公園に入った。テントを張ってから海岸へ出ると、ヤシの木やサボテンが茂るその向こうに、ダイシャクシギ50羽の群れ。砂浜近くの草原にはミドリハチクイがいて、杭から飛び立っては虫を捕まえている。ここにはナンヨウショウビンヤマショウビンも時々やってくる。海岸から少し内陸へ入るとアオショウビンやカワセミもいて、南国ムードいっぱいの色鮮やかさ。
 夜は大雨になった。タイの雨季は北から開けてくる。一時は乾季のエリアにいたけれど、南へ進んで雨季に追いついてしまったようだ。(写真;天気のいい日に荷台に乗るのは、思わず歌い出すほど気持ちいい。)
10月18日(木)(晴、昼頃スコ−ル、のち曇/カオサムロイヨット〜プラチュアップキリカン Prachuap Khiri Khan;60km)

 6時頃から自転車で海岸へ行った。国立公園内だけれど村があり、エビの養殖池が多い。湿地にはタカブシギやアカアシシギ、アオアシシギ、草地にはタヒバリの仲間がいた。くちばしの長さ胸の縦斑の感じから、たぶんヒメマミジロタヒバリなんだろうなあ、と思いつつ、そっくりなマミジロタヒバリの方を見たことないからどうしても決められない。白くてデカい鳥シロハラウミワシが、切り立った岩山の上を、ゆっくりと飛んで行った。テントをたたむうちに雲行きがあやしくなり、やがてスコール。1時間待って昼過ぎてから出発。国道4号線を南下。
 むかし大日本帝国軍が上陸した街、プラチュアップキリカンのホテルに泊まる。南へ下るにつれて、半袖ではいられないほど暑くなってきた。古着屋で長袖のシャツを買った。(写真;カオサムロイヨット国立公園。)
10月19日(金)(雨/プラチュアップキリカン〜バンサパン Bang Saphan ;95km)

 9時過ぎ出発。雨なのに、なぜか気分はいい。国道4号線を南へ。暑いよりは雨の方が消耗しないので、午前中は調子良く走る。午後、カッパのフードにしとしとと当たる雨の音と霞んだ景色が眠気を誘う。
 夕方、バンサパンのホテルへ入る。タイ南部の東海岸は軒並みビーチが続いている。海水浴やダイビングの観光客相手の宿ばかりで値段がちょっと高め、600円もする。(写真;「今、絶対押さえたいファッション・ブランド・イミダス」。タイでは日本語Tシャツがトレンド。これなんかまだちゃんと文章になっている方で、「なやかに!!」とか「清はポチ58」とか、無意味なものが多い。)
10月20日(土)(曇、夕方小雨/バンサパン〜チュンポン Chumphon ;115km)

 8時過ぎ出発。国道4号線を南下。タイ南部へつながる細長い半島にたいした山はないけれど、道はフラットではなくて、スロープのアップダウンを繰り返す。走っている途中、突然後のギアのチェンジレバーが動かなくなった。トップギアに固定されてしまったので、前のギアも3枚のうちの外側2枚しか使えない。27段変速から、いきなり2段変速。走れないわけではないけれど、登り坂は立ちこぎになる。まるでトレーニングをしているようだ。「近道」という看板に従って、半信半疑で国道から横道にそれてみた。目的地の街に着いてみたら、こっちのほうが10kmも近くて、得した気分。
 チュンポンの白人相手のゲストハウスに泊まる。チェンジレバーが動かなくなったのは、幸いディレイラーではなくて、手元の変速機の故障らしい。(写真;ガイドブックの「食べる」のページに、この街のシーフードは“Fantastic”だと書いてあった。市場で「カブトガニ弁当」を売っていた。)
10月21日(日)(曇時々晴、夜雨/チュンポン;4km)

 このところの雨で汚れた自転車をまず洗い、チェーンを潤滑剤でコーティング、伸びたワイヤーを調整して、さて変速機。上下のふたを開けて構造を見るけれど、どこが悪いのかわからない。変速機本体を分解すると戻せないことになりかねないので、まず自転車屋に持っていくことにした。ところが悪いことに今日は日曜日。街中を走ってやっと見つけたマウンテンバイクショップは休みだった。開いていた普通のチャリ屋に入ってみたけれど、予想通りお手上げだと言う。
 明日にならなきゃどうしようもないので、昼寝した。きのうと同じゲストハウスに連泊。(写真;用もないのに毎夜マーケットに通ってしまう。タガメにコガネムシ。食える、けど、特においしくない。)
10月22日(月)(雨のち曇/チュンポン;2km)

 朝、自転車をマウンテンバイクショップへ持っていった。急げば午前中には修理できるけれど、できれば夕方まで待ってもらえないかと言う。他のお客の都合もあるだろうし、飛び込みで行って急がせるのも悪いので、この街にもう1泊することにした。どうせならと、ついでにタイヤの交換も頼んだ。どこへ行っても路面のいいタイでは、オフロードタイヤは必要ない。
 チュンポンは珊瑚礁の島々へ渡る足がかりの街。1日だけのツアーの看板もたくさん見かけるけれど、天気が悪いので行く気もしない。結局、インターネットショップでニュースを読んだり、買いもしない服を見て回ったり、この先6ヵ月のうちならいつ受けても構わない、A型肝炎の予防接種3回目を打ってもらったり。夕方、自転車を受け取った。同じゲストハウスに3泊目。ここは平日の夜でもにぎやかな街だ。(写真;州立病院の待ちあいは、月曜日のせいか通院患者でごったがえしていた。)
10月23日(火)(晴/チュンポン〜チャイヤ Chai Ya ;156km)

 7時出発。朝から晴れていていい感じだ。国道41号線を南下。まる2日も休んでいたので、自転車が軽い。昼前、ランスアン Lang Suan から車の多いハイウェイを逃れて、並走する田舎道へ。この地図に載ってない道は、通りがかりの親切な在住ドイツ人がついさっき教えてくれた。しばらくして上空にタカ柱を発見! 「タカ柱」とは、渡りをするタカが上昇気流の起きている場所に自然と集まり、群れになって旋回しながら空高く上がっていく様子をいう。自転車を止めて双眼鏡をのぞく。サシバだ。50羽くらいだろうか。小さなハイタカ属も混じっている。その群れが空高く上がっていってしまうと、また別のが北からやってきて旋回上昇をはじめる。今度はハチクマもいる、小ぶりなハヤブサ科もいる。日本で繁殖して、東南アジアへ越冬のために来たやつらだろうか。だとしたら、愛知県の伊良湖岬を通ってきたんだろうか。実をいうと、自転車でアジアを横断しようと決めた直接の引き金は、5年前に伊良湖で見たタカの渡りだったのである。彼らはいったい何日くらい前に向こうを出たんだろう、4月の下旬に下関を発った僕を軽々と抜いて、南南西のかなたへ滑空していった。
 この日は渡りの「当たり日」だった。ランスアンからラマエ Lamae までの20キロあまりを走っている途中に小さな群れを何度も見かけ、一度は300羽くらいがまるでねぐらへ帰るカワウの群れのように飛んでいくのを見た。考えてみたら、毎年サシバたちがタイ南部に着く頃は雨季なわけだ。今日のように珍しく良く晴れた日をねらって、みんな一気に南へ下るんだろう。
 チャイヤのホテルに泊まる。1日の走行距離が旅に出て最長をマーク。(写真;空。鳥には翼がある。道。僕には自転車がある。)  
10月24日(水)(曇一時雨/チャイヤ〜スラットタニー Surat Thani ;65km)

 8時出発。朝から今日の行き先をどこにしようか、迷いながら走っていた。30キロ南下して、右に折れれば国立公園だ。初めの計画では行こうと思っていたけれど、タイ南部の雨季は思ったより雨が多いので、トレッ キングはやりにくいだろう。行かないのなら、左に折れて車の少ない東海岸沿いを走る方がいい。結局、交差点に着いてからやっと決めた。東へ行こう。
 きのうの疲れを取るために、早めに切り上げた。スラットタニーの旅社に泊まる。(写真;波打ちぎわで寝る犬。) 
10月25日(木)(曇一時小雨/スラットタニー〜シチョン Sichon ;75km)

 8時過ぎ出発。マレー半島の東海岸沿いを走るために、401号線で東へ向かう。悪いことに向かい風だった。しだいに強くなる風に、力を込めてペダルを踏む。と、後から追いついてきたチャリダーに声をかけられた。どう見ても女性で、流線型のヘルメットからのぞく髪の色はシルバーだ。驚いて自転車を止め、立ち話をする。イギリス人の彼女はシーラ、なんと61歳。さらに驚いたことに、彼女はイギリスから自転車で来ていた。しかもここまでたった7ヵ月。速すぎる!
 今日の目的地が同じだったのでいっしょに走ることにして、シーラの後に従った。その歳でどこにそんなエネルギーがあるのか、ペースは僕と変わらない。後から見る彼女は決して軽々と自転車をこいでいる訳ではなく、力強く踏み、時々立ち上がっては背中を伸ばし、追い越す車の乱気流にゆられながら、チェックのシャツに風をはらませて突き進んでいく。たまに後から話しかけると、ちょっと低めの落着いた声で答えてくれる。こうゆうの、かっこいい、と言うんだろう。
 珍しいこともあるもんで、対向して来たもうひとりのチャリダーに出会った。アルゼンチン人のフバルデス。このラテン男は、なんとギターを荷台にくくりつけていた。長く後方に突きだしたネックの先に、テールランプをちょこんと取り付けている。彼からはイスラムの国マレーシアの情報をもらえた。
 3時過ぎにはシチョンに着いた。シーラは海辺のリゾートに泊まるというので別れて、僕は町の安ホテルに入った。夕方、インターネットショップに居合わせた女の子に誘われて、ビーチへ行った。シーラに会えるような気がしたら、やっぱり会えた。(写真;イングリッシュ・アイアンウーマン、アルゼンティーナ・ギタリスト、ジャパニーズ・バードウォッチャー。)
10月26日(金)(曇一時雨/シチョン〜ロンピブン Ron Phibun ;85km)

 7時出発。東海岸沿いの道を南下・・・とはいえ、海は遠くて見えない。頭の上で、シロガシラトビがくるりと輪を書いた。そのまま南下を続けるとシーサイドサイクリングになりそうな地形だけれど、予定を変更して西寄り、つまり内陸側に入った。というのは、きのうは東風が吹いていたから。今日も同じなら海風をまともに受けることになる。見晴らしは良いかもしれないけれど、どうせ曇りだし。昼はナッコンシタマラット Nakkhon Si Thammarat のインターネットショップでひと休み。対テロ戦争なのか、アメリカのアフガン侵略なのか知らないけれど、戦争が始まってからこっち、ついついアクセスする回数が増えてしまう。
 ロンピブンのバンガローに泊まる。(写真:雨宿り。1日1回は土砂降りだ。)
10月27日(土)(曇時々晴れ間、一時雨/ロンピブン〜パッタルン Phattalung ;70km)

 8時過ぎ出発。半島の真ん中を抜けていく国道41号線を南下する。交通量は思ったより少ない。時々黒い雲が浮いていて、運が悪いと雨に降られ、運が良いと時間差で切り抜けて、路面が濡れているだけ。カッパを着たり脱いだりだ。昼過ぎにパンク、タイで初めてのこと。ちょうど晴れて暑かったので、日陰で休憩がてら直す。午後、激しいスコールにあう。こうなると決まってヒメアマツバメが地上1〜15メートルくらいの低空に 降りてきて飛びまわるけれど、あれは何をやっているんだろう。こんな土砂降りの中じゃ虫が飛んでるわけでもないだろうに。彼らなりの一休みかな。
 パッタルンで一番安いホテルは汚いとガイドブックに書いてあったので、二番目のに泊まる。(写真:熱帯の人も、熱帯魚を飼う。彼らにしてみりゃ、「川魚」だ。)
10月28日(日)(晴のち曇、午後時々雨/パッタルン〜ハチャイ Hat Yai :95km)

 何となく気分が乗らなかったので朝はゆっくりして、9時過ぎ出発。国道41号線を南へ。午後は例によってスコール。その後は降ったり止んだりだ。夕方、あと目的地まで20キロというところでパンク。2日連続だよ、ついてない。タイ南部の道は、どこまで行っても同じような景色で進んでいる実感がないなぁ・・・なんて思いながらハチャイに着いてみると、え?ここタイだよね?と疑うほど、きのうまで見てきた町と雰囲気が違う。中国人やイスラム教徒がかなり多くて、インド人っぽい人もよく見かける。たぶん隣のマレーシアは、この感じに近いんだろう。国境は線で区切られているけれど、人の暮らしはそうきっちりとは分けられない。
 キャセイゲストハウスに泊まる。バックパッカーのたまり場で、3人部屋のドミトリーに入った。(写真;バックパッカー宿のロビー兼レストラン。)
10月29日(月)(曇のち雨/ハチャイ〜パダンベサール Padang Besar (往復);バス)

 もう数日でビザの期限が切れるので、延長を申請しようとツーリストインフォメーションへ行った。すると、それよりもバスでマレーシアへ出て、すぐ戻ってきた方が安いよ、と教えられた。その足でバスステーションへ行き、昼前には国境の街、パダンベサールに着いた。歩いて国境越え。マレーシアで昼飯を食べて、また歩いてタイに戻った。文字表記はアルファベットで、車両左側通行で、1円玉より小さいコインを使う国だった。往復160円のバス代だけで、あと30日滞在できることになった。
 帰り道、そういや、今日は母親の誕生日だと思いだして、プレゼントを買った。カヨちゃん、あした発送するからね! きのうと同じゲストハウスのドミトリーに泊まる。(写真;バスの運転席の周りは、花が供えてあったり、やたらゴテゴテしている。)
10月30日(火)(曇、午前中時々雨/ハチャイ;0km)

 きのうの昼から降り続いていた雨は、朝にはいったんあがっていた。けれど、午前中は時々雨。今日は休もう、と決めた。自転車の整備をして、郵便局で荷物と手紙を日本へ送り、インターネットショップでニュースを読んで、午後にはビール。
 ところで、対テロ戦争のあおりで、世界最大のイスラムの国インドネシアがヒートアップし始めている。この先行くつもりなので、宿で南から来たバックパッカーを見つけては様子を聞いてみる。10日前までの2週間 をスマトラ島で過ごしたアイルランド人は、ノープロブレムだったという。かと思えば別の人から、スマトラ島からマレーシアに引き上げた在住ヨーロピアンに会ったとも聞いた。
 インドネシア入国はまだ1ヵ月以上先の話だから、今は成り行きを見るしかないなぁ。ま、南へ下って行けば、新しい情報も入るだろう。ゲストハウスのドミに3泊目。(写真;イスラム系の食堂に入ると、壁にビンラディン。)
10月31日(水)(曇のち晴/ハチャイ〜タレーバンThaleh Ban;105km)

 8時出発。ハチャイまで国道41号線を南下してきたが、その東を並走する4号線で少し北へ戻る。イスラム教の人はかぶり物でそれとわかる。仏教の家は祭壇でそれとわかる。おもしろいことに41号線沿いは仏教、4号線沿いはイスラムだ。南東へ折れて406号線、サトゥン Satun 方面へ。工事中の道は走りにくく、あいにくの向かい風、小雨もパラついてきた。おまけにイネ科の花粉が飛んでいるようで、くしゃみが出る。午後、晴れた。西へ曲がって4184号線。マレーシア国境に近づくに従って、両側の山が迫ってくる。ひさしぶりの原生林だ。さっそくでっかいワシが飛んでいる。シロハラウミワシの幼鳥だった。国境2キロ手前のタレーバン国立公園へ。
沼のほとりのレストランで夕食をとっていると、シロハラクイナとノドフズアカチメドリが姿を見せた。公園内のバンガローに泊まる。(写真;1軒1晩、900円。)
11月1日(木)(曇のち雨/タレーバン〜ハチャイ;ヒッチハイク、バス)

 6時に起きた。花粉症のせいか体調がよくない。ここの国立公園には、レア物のオナガサイチョウがいるというので来たのだけれど、雨季にはほとんど姿を見せないよ、ときのう公園の人に聞いていた。言う通りだった。3時間ほどジャングルの中を歩いたけれど、サイチョウ類どころかバードウェーブ(いろんな鳥の混じった群れ)にさえ一度も会わなかった。山を下りると、今度は沼の周りの遊歩道から稜線を見上げる。大きな鳥が飛ばないかとしばらく見張ってみたけれど、ただチビハリオアマツバメがジャングルの上を忙しく飛びまわっているだけだった。そうこうするうちに、雲行きはどんどん怪しくなってくる。自転車でハチャイに戻る時間はもうないけれど、かといってここにいてもしょうがないし・・・。で、バスで帰ることにした。バス停のある国道406号線までは、はじめてヒッチハイクをしてみた。仕事帰りのトラックが拾ってくれた。
 夜、おとといまで泊まっていたゲストハウスに戻った。(写真;タレーバン国立公園。雨季に行っちゃいけない。)
11月2日(金)(雨時々曇/ハチャイ;0km)

 晴れていなったらチェックアウトはしないと決めていた。朝起きたらくもり、まもなく小雨が降り始める。体調ももうひとつだ。花粉症が残っているのと、胸やけがするから胃腸も弱ってるんだろう。本屋でマレーシアの地図を選んだり、デパートで何かいるものがなかったか見て回ったり。そうだ、イスラム教国に入る前に髪の毛黒くしていこう、と思い立って、ヘアカラー売り場へ。「Black」というのも色気がないなあと思い、 「Blue Black」にした。
 ゲストハウスのドミトリーに2泊目。(写真;雨のハチャイ。)
11月3日(土)(晴、夜雨/ハチャイ;0km)

 起きたら頭が重いので出発はやめた。ゲストハウスのロビーで食事をしたり、テレビを見たりして朝を過ごしていたら、見覚えのあるヨーロピアンの女の子。おととい、タレーバン国立公園を出る時に、入れ替わりにやってきた子だった。滝までトレッキングをすると言っていたので、どうだったか様子を聞いてみたら、思った通り雨。サイチョウ類は見られなかったそうだ。やっぱ雨季のタイ南部は、だめだなぁ。午後、体を休めるために昼寝をしようとしたけれど、うまく寝つけなかった。夜、熱を計ったら36度ない。たぶん血圧もだいぶ低いんだろう。
 同じゲストハウスに3連泊目。ぐっすり眠れない。(写真;東南アジアは、旧車を見るのにいいところ。犬は毛皮を脱いで裸。)
11月4日(日)(曇時々晴、午後一時雨/ハチャイ〜パッタニー;115km)

 朝、気分はそれほど悪くはなかったけれど、熱を計ると35.7度。体 はやる気なさそうだ。ゆっくり朝食をとっている間に天気が良くなってきた。もうここに3連泊、タレーバンへ行く前を合わせると6泊もしている。いいかげん飽きてきたので、出ることにした。同室だった日本人のヨシさんにあいさつして、10時出発。国道43号線で、シーサイドを東へ。気は乗らないが、思ったより体は動く。
 パッタニーのホテルに泊まる。寝る前に体温を計ると、あいかわらず36度をきっている。いったん寝ついたけれど、2時間で目が覚めてもう眠れなくなった。体調が狂っているのは、たぶんメンタルなストレスが原因 。何が気になっているかといえば、旅のこの先のことだ。スマトラ島情勢の先行きがわからないもどかしさ。ある日本人は、宿を探していたらイスラム教徒に町を出るように言われたそうだ。パキスタンではイスラム教過 激派グループの代表者が軟禁された。それがもとでクーデターでも起こり、タリバン寄りの政権でも立ったら、隣のインドも一気に危険地域になりかねない。深夜にガイドブックや地図を開いて、いろいろな場合の道程をあれこれと考えてみる。情報が少な過ぎて、どれかに決めることはできないけれど、悩まずにはいられない。(写真;タイの南の端には、マレー料理屋がたくさんある。これがうまい。)
11月5日(月)(パッタニー〜ナラティワット Narathywat ;95km)

 結局、朝方まで寝つけなかった。起きたら9時半。急いで準備して10時に出発。国道42号線を南東へ下る。周りは田植えをしたばかりの水田や湿地。南の遠くには、高い山が見えるようになった。マレーシアだ。もう渡りを終えたサシバだろうか、ピックイーと鳴きながら2羽でのんびりとヤシの木の上を飛んでいる。電線にいた燕の群れは、リュウキュウツバメだった。ついこの間見たのはツバメだったから、この時期はいっしょにいるんだろう。ところでこのリュウキュウ(琉球)ツバメってゆう和名はなんとかならないんだろうか。ものすごい移動力のあるツバメ類のような動物に、虫の名前みたいな狭い範囲の地名をつけるなんて・・・。ちなみに英名は Pacific(太平洋) swallow。
 ナラティワットのホテルに泊まる。(写真;駄菓子屋の奥にインターネット。その昔、日本の駄菓子屋の店先にインベーダーゲームがあったのと同じ感覚。)

探鳥日記 マレーシア