〜アジア横断編〜

探鳥日記 マレーシア

(2001年11月6日〜11月26日)


11月6日(火)(曇時々晴/ナラティワット〜コタバル Kota Baru ;65km)

 10時出発。海岸沿いの403号線を南東に下り、国境の町タッバン Tak Ban を目指す。外国人の通れる4つのタイ‐マレーシア国境のうちの、いちばん東の端のだ。いちばんマイナーなのでもある。イミグレーションは船着き場の横の小さな家。ただハンコをポーンと押してくれた。
 船で渡ってマレーシアへ入国。はじめの街、コタバルまでの30kmを走る。それほど悪い路面ではないけれど、路肩が狭くて交通量が多いので、時々気を使う。けっこうゴミやビンのかけらが落ちているから、この国 の道ではパンクしやすいかも知れない。
 コタバルのゲストハウスに入る。夕方街へ出てみると、マレー語や英語の看板には「かな」がふってある・・・んじゃなくて、漢字がふってあった。レストランも中華系が多く、飛び込みで入った店の「エイ鰭のバナナの葉巻きムニエル、ターメリック味」はものすごくうまかった。中国人が多い幸せ。(写真;向こう岸がマレーシア。このちいさなフェリーで国境を渡る。チャリとも20円。)
11月7日(水)(曇時々晴/コタバル〜クアラクライ Kuala Krai ;70km)

 マレーシアに入ってから、天気が良いのである。ガイドブックのデータによると、東海岸のある街は11、12月にいつもの3倍以上の雨が降るとあったので、あきらめていた。ところが宿の主人に聞いても、ひどいの は1月で今年の11月はたいして降らないよ、という。チェックアウト時間の11時半ぎりぎりまで、街で買い物などして過ごす。そして国道8号線を南下。沿道のマレーシア人は、こちらを見つけると手を振るんじゃな くて、二の腕がぴったり耳につくようにまっすぐ手を上げて、「Hello!」と声を掛ける。こちらもつい、いつもより高く手を上げて答えてしまう。
 クアラクライのホテルに泊まる。夜、街はとんでもないことになった。何万羽というツバメがやって来て、電線という電線をぜんぶ占領してしまったのだ。それでも止まりきれないのは、窓枠にしがみついたり、屋根に平座りしたり。そのうえ新しく来ているのか、どこかから飛び立っているのか、じゅくじゅくとつぶやきながら大群が飛び続けている。日本から来たのも入っているかもしれない。こいつらこの時期、こんな事してたんだ。(写真;イギリス統治時代の建物。一度も植民地化されたことのない国タイから来ると、目を引く。)
11月8日(木)(晴時々曇、夕方小雨/クアラクライ〜ダボン Dabong ;40km(ボート)+50km)

 迷いまくった1日だった。9時半に宿を出発して、今日はグアムサン Gua Musang まで行けたらいいなと思いながら走り出す。マレーシアの人は親切で、道路案内板の前で地図を見ていると声を掛けてくれる。せっかくの気持ちを無駄にしちゃ悪いので、こっちですよね、と確認してみると、別の方向を指差す。そんなことが2、3度あって、クアラクライの町中をしばらくうろうろした。で、見つけたのがボート乗り場。そうか、道を行く場合と川を行く場合とあるから、人によって指す方向が違うんだ、と気づく。なにしろマレー語がまるっきりわからないので、悪いのはこっちだ。良く見たら地図にも観光スポットとして"River Cruise"と書いてある。面白そうなので、ダボンという町まで乗ることにした。そして居眠りしたのが間違いの始まり。
 着いたよ、と起こされて、僕と自転車は砂地の川岸に下ろされた。草の茂る階段を無理矢理自転車を押して登ると、小さな町ダボンだった。グアムサンの方向をたずねて、言われたままの道を行く。磁石で見るとどうも方向が怪しいので、不安になって通りかかる人に何度か聞くけれど、正しいようだ。未舗装のワインディングした道が終わり、はっきり方向がおかしいとわかった。この道は、クアラクライに戻っている!
 川の東岸に下りたのがいけなかった。きのう買った地図では、ダボンの町の丸印が川の西岸にプロットしてある。でもこれは微妙なズレで、ほんとは東岸にあった。東岸からグアムサンに行くには、いったんクアラクライ方向に戻る道がメインなので、尋ねた相手はみんなそれを教えてくれていたわけだ。起きぬけだったので、地図通り自分が西岸にいると思いこんで走り、のん気に山道トレーニングをしてしまった。
 前へ進んでも次の町は80キロ以上先なので、仕方なくダボンに戻る。町に1軒しかない小さなホテルに泊まる。(写真;ダボン川クルーズで調子良く進んでいた頃。)
11月9日(金)(曇時々晴/ダボン〜グアムサン;60km(列車))

 きのう迷走したわけのひとつは、ガイドブックのケランタン州の部分が手違いで手元にないから。それと、もうひとつは、疲れているから、だろう。これを一挙に解決することにした。9時15分ダボン駅発、ニワトリ 臭い貨物列車に、自転車といっしょに乗った。2時間ほどで州の南端の小さな町、グアムサン。すぐに旅社に入った。
 イスラムの国だからと思って、町を歩く時は一応気を使ってショートはやめてみるのだけれど、たぶんあんまり意味がない。というのは、中国系の人はイスラム教の戒律なんかお構いなしに、脚も肩も出している。食事はついつい中華の食堂に足が向いてしまうし、そうすると店の中には漢字がたくさんあって聞こえてくるのは中国語の会話で、なんだか中国を旅していた頃のようにリラックスしてしまうのだった。中国人は異国にいても無理になじもうとせずに、中国人であり続けるところがパワフルだと思う。(写真;貨物列車の行商のおばちゃん。)
11月10日(土)(曇時々晴、夜雷雨/グアムサン〜クアラリピス Kala Lipis ;120km)

 9時半過ぎ出発。国道8号線を南下する。まもなくパハン Pahang 州に入り、道はアップダウンを繰り返すようになった。初め遠くの山肌に見えていた熱帯雨林が、だんだん近くにも見え隠れするようになり、国道がタマンネガラ Taman Negara 国立公園のふちをかすめるとジャングルの中を通る。時々道沿いの樹冠がばさばさと大きな音を立てて揺れ、手足と尾がひょろりと長いサル、Banded Leaf Monkey が逃げていく。彼らは車やバイクのことは、ただうるさいだけの道を滑っていくモノとしか思っていないのか、気にも止めないようだった。けれど、チャリダーのことははっきり動物と認めて警戒していた。不意に近くをハチクマが舞う。たぶんもう渡りを終えたやつなんだろう、潅木に止まったり、また飛び出したりして、餌を探しているようだった。日本の夏が終わると、今度はこんな所で過ごしている。こいつら、あっついところが大好きなんだ。枯木のこずえには赤い仮面の精悍な顔をしたアマツバメ、コシラヒゲカンムリアマツバメが止まっていた。
 クアラリピスに入る少し前にハードな登り坂がひとつ。そのせいで、旅社に入る頃にはもう暗くなっていた。(写真;グアムサンのメインストリートと、駅裏にそびえる石灰岩の山。)
11月11日(日)(曇のち一時晴/クアラリピス〜バトゥセンビラン Batu Sembilan(往復);鉄道)

 ガイドブックを読むと、マレーシアの国立公園はガイドなしでは入園できなかったり、アクセスにボートを使わなければならなかったりと、タイの国立公園に比べて近づきにくいようだ。クアラリピスに近いケノンリンバ Kenong Rimba 州立公園のこともそう書いてあった。きのう街に着いた時には、もう駅前の旅行代理店が閉まっていたので、今朝出直した。ところが8時過ぎても店が開かない。鳥を見に行くのに午後まで待ったら意味がないので、自分で行ってみた。鉄道で3駅。そこからボートに乗ることになるのだけれど、これがハイヤーなので一人だとかなり高い。2、3日トレッキングするのならともかく、日帰りではもったいないのであっさりやめた。
 帰りの汽車まで4時間待ちの間、川沿いの二次林を歩いた。柳の高枝には小さな鳥の巣があって、ハシブトクモカリドリが2羽。しばらく様子を見てみたけれど、まだ繁殖期ではないのでそれが彼らの巣なのかどうかはっきりしなかった。植栽したヤシにはキミミクモカリドリ(蜘蛛狩り鳥)もいて、ちょこちょこ飛びまわっている。実際このあたりはハエトリグモが多く、気がつくとフィールドスコープに2、3匹くっついているのだった。チゴモズの若いのがやぶの上にいて、シロハラクイナは水辺からずっと離れた草むらでごそごそしていた。
 午後、街に帰っても旅行代理店は閉まったまま。そういえば、今日は日曜日だった。旅社に連泊。(写真;無人駅のプラットホーム。)
11月12日(月)(曇時々晴/クアラリピス〜ジェラントゥット Jerantut ;60km)

 9時半出発。クアラリピスの中心地を出ると、すぐにプランテーションや二次林の中を走る田舎道。路肩はほとんどないけれど交通量が少なくて走りやすい。すれ違う車は軽くクラクションを鳴らして手を振って行ってくれるので、こちらもルームミラーに向かってあいさつをする。時々ある尾根越えのアップダウンも、刺激になってちょうどいいくらいだ。このあたりにはカンムリワシがやた ら多く、あっちでもこっちでもぴーぴー鳴いて飛んでいる。木のてっぺんには、ゴシキドリ(五色鳥)界でもっともシブイと評判の(?)チャイロゴシキドリ。鳴き声も細く「スィーー」と、あくまで地味に徹する。国道64号線は一部が新しく開通したようで、地図通り大回りしなくても目的地についた。
 丘あり山あり林ありの、楽しいサイクリングだった。まだ暑いうちにジェラントゥットのゲストハウスに入る。この街に自転車を残して、明日からタマンネガラ国立公園へ。(写真;アブラヤシのプランテーションと丘を行く道。西マレーシア中部の典型的な景色。)
11月13日(火)(曇時々晴、夜大雨/ジェラントゥット〜クアラタハン Kuala Tahan;車、ボート)

 今日は「スウェーデン人の日」だった。朝、ロビーへ下りると、大学生のクリストファがいた。タマンネガラ国立公園へ行くというので、いっしょにホテルの送迎車に乗ってクアラテンベリン Kuala Tembeling へ。ここからテンベリン川をさかのぼるボートで、公園内へ入る。景色を見るのに飽きると、時々たあいもない話をしながら2時間半の船旅。髪が黒いのは船頭さんと僕だけだった。クアラタハンの船つき場で、クリストファが二人組みのスウェーデンの女の子に声を掛けて、午後から洞窟ツアーへ行こうということになった。パンフレットを読むと、どうせコウモリが見られるだけのつまらなそうなトレッキング。女の子がいなけりゃ、 絶対に断っていた。行ってみると、ぶら下がっていたのはコキクガシラコウモリみたいなのだった。
 夕食後、彼女らと別れてゲストハウスのドミトリーに帰ると、同室には別のスウェーデン人が2人いた。(写真;彼女らはジンジャー、つまりショウガを知らなかった。東洋のスパイスだと言ったら、「ああ、だからスパイスガールズにジンジャーって子がいるの?」。ごめん、いちいちひとりひとりの名前覚えてないって。)
11月14日(水)(曇時々晴、夜雨/クアラタハン周辺;0km)

 7時半から遊歩道を歩いた。ゆうべの大雨のせいで、鳥たちはびっしょり濡れていて羽づくろいに忙しい。クロバンケンモドキも長い尾羽を広げて東の空を見つめている。今まで時々しか見なかったカザリオウチュウは、ここまで南に下ると群になってたくさんいる。木陰にいたキガシラヒヨドリは、オレンジ色の頭が鮮やか。綺麗だけれど、目つきは悪い。
 森がかなり密なので、少し奥へ入ると見通しがきかなくなってくる。そこへ遠くから「ヒュッ!、ヒュッ!、ヒュッ!」と大きな羽音が聞こえてきた。音だけで2羽飛んでいるとわかるくらいだ。これはサイチョウ類に間違いない。木もれ日を見上げて樹冠の隙間から一生懸命探すと、空高く を、これはサイチョウ、が飛んでゆく。・・・けど、真下からじゃ肝心の赤い角が見えない!
 ゲストハウスのドミに2泊目。他の客はみんなチェックアウトしていて、シングルとして使えた。(写真;ルリコノハドリのオス。林縁によくいる。)
11月15日(木)(曇時々晴/クアラタハン;0km)

 タマンネガラ国立公園の玄関口クアラタハンは、テンベリン川でまっぷたつに分けられている。北岸が公園内で、管理事務所や「リゾート」がある。アメリカ人の老夫婦や、良く太った中国系の家族連れ、新婚旅行の日本人が泊まっている。南岸は「村」で、バックパッカーや自転車を町に置いてきたチャリダーが泊まっている。「村」からは、片道15円の渡し舟に乗って、毎日公園へ通うことになる。
 しっかり朝寝して、昼頃リゾートのキャンプサイトに行ってみた。中国からこっち、街中にも、畑にも、二次林にもいたシキチョウは、このジャングルの林縁に一番多い。実のなる木がいくつかあって、ヒヨドリ類もたくさんいる。白い目のが2種。メジロチャイロヒヨとカンムリオリーブヒヨドリ。“カンムリ”の方は中国で見たメジロヒヨドリにそっっっくり。だけど、声質がまるっきり違って、きしんでいる。赤い目のも2種。アカメチャイロヒヨドリとコアカメチャイロヒヨ。その他ハイガシラカンムリヒヨドリもいる。鳥は朝見るのが良いと言われているけれど、熱帯では夕方4時からもう一度見頃になる。
 ドミに3泊目。(写真;吊り橋で樹冠を歩ける。)
11月16日(金)(曇時々晴/クアラタハン;0km)

 この時期、だいたい朝は曇っていて涼しい。林縁のベンチに腰かけて鳥を見ていると、まずヒヨドリ類が木の実を食べに来る。あんな大きな実、飲み込んで大丈夫かなあ、なんて思いながらしぐさを楽しんでいると、林の中を渡るオオバンケン、ハシナガクモカリドリ、キホオゴシキドリなどが時々姿を見せる。空高くで輪を描くハチクマやカンムリワシを見かけるようになる頃には暑くなってきて、ヒヨドリたちは木陰に入って静かになる。そうなるとハチクイの時間だ。どこかからルリノドハチクイの群がにぎやかにやってきて、高枝でキョロキョロ。飛ぶ虫を見つけては、サッと飛んで長いくちばしで捕まえ、枝に戻って食べている。
 動物観察小屋のことを、マレーシア語で“ブンブン”という。ジャングルの中にはいくつもブンブンがあって、管理事務所に届け出れば、150円で1泊できる。一番遠いブンブン クンバンで一晩過ごそうと思っていたのに、ほとんどが改修中。開いているのは一番近いブンブン タビンだけだった。まあ、いつかやらなきゃならないなら、雨季に修理するわなぁ。普段ひとけが多いところだから動物を見られるという期待はできないけれど、ドミトリーより安いので泊まることにした。夕方、アカハラコガネゲラが来た。夜は雨が降り始める午前2時まで起きていた。けど、哺乳類の収穫、ほとんどなし。(写真;ブンブン。開けっぴろげな小屋だけれど、ベッドもトイレもある。)
11月17日(土)(雨一時曇/クアラタハン〜ジェラントゥット;ボート、車)

 朝起きても、雨は止んでいなかった。空を見上げると厚い雲。マレーシアに入って、初めて本格的な雨になりそうだ。仕方なくカッパを着て山道を戻る。雨の日の鳥は高くを飛ばずに林の中にいるから、近くで見られるのがいい。カンムリカケスはまるで人形劇に出てきそうな鳥。まっ黒な全身にうなじと目の周りだけが白くなっているうえ、頭のてっぺんに、いくらなんでも長過ぎない?、と言いたくなる羽根がおっ立っている。首をかしげたり、枝移りしたりするたびに、この冠羽が前に後に右に左にゆらんゆらんと揺れるのだった。同じように全身白黒だけれど、ありきたりなデザインのクロカケスもいっしょにいた。
 初日にいっしょに遊んだスウェーデン人の女の子2人とは、結局毎日どこかしらで会った。滝で泳いだり、川を浮き輪で下ったり、7時間も森で迷ったりして遊んだそうだ。そして今日からは2泊3日のジャングルトレ ッキングに行くといって、雨の中を勇ましく出発していった。エネルギッシュだよなぁ。僕はといえば、午後のボートで町へ帰った。なにしろ今日から1ヵ月のラマダン(断食)、イスラム教徒しかいない「村」は、何かと不便になる。ジェラントゥットのゲストハウスに泊まる。(写真;蛇行するテンベリン川を見下ろす。)
11月18日(日)(曇時々雨/ジェラントゥット;0km)

 朝から天気が悪かったけれど、今日は休養するつもりだったので、気にしない。この町でインターネットショップを経営しているアズミさんは、7年も日本に住んだことがあって日本語がぺらぺらだった。居心地がいいので、昼間っから店に居付いてしまう。町じゅうにブロンズ色で赤い目のちょっと不気味な鳥がいて、これはミドリカラスモドキ。フィリピンでよく見たメグロヒヨドリもいる。
 同じゲストハウスに連泊。(写真;ラマダン(断食)とは言っても、日が暮れたら食べる。にぎわう夕方のマーケット。)
11月19日(月)(曇時々晴、夕方と夜雨/ジェラントゥット〜マラン Maran ;90km)

 9時出発。国道64号線を南へ向かう。周りはアブラヤシやゴムのプランテーション。二次林の中を通ると鳥の声がにぎやかだ。快適に走れるのは、どうもなだらかに道が下っているかららしい。ラマダンのせいで開い ている食堂を見つけられず、昼飯はパンと豆乳でごまかした。
 マランに着いてみると、町に一軒しかないホテルがつぶれていた。まいったなあ。一番近い他の宿までどのくらいあるのか、とある店に聞きに入る。すると、うちでよかったらどうぞと泊めてくれた。ありがとうございます! お世話になります!(写真;マレーシアには、漢字とアルファベットが同じくらいある。)
11月20日(火)(曇時々晴/マラン〜ペカン Pekan ; 100km)

 9時半出発。2号線から19号線に乗り換えると、丘越え。パハン川に突き当たってから、川沿いの道を下流に向かって進む。これが、車は少なくてアスファルトがなめらかな実に気持ちいい道。こんなルートに当たるとサイクリングは楽しい。周りの二次林には灰色のサル、Long tailed Macaque がいて、「コカカカ・・・コカカカ・・・」と鳥のような警戒の声を上げる。午後、時々見かけるシロハラウミワシが、もう海が近いことを告げる。
 河口の町、ペカンのホテルに泊まる。中国式の「旅社」で、階下が中華食堂。(写真;放棄されたゴム園。ひとがお金を稼ぐのをやめれば、すぐにいい感じの自然が帰ってくる。)
11月21日(水)(ペカン〜クアラロンピン Kuala Rompin ;100km)

 8時半に出発。時々左手に海が見える国道3号線を南へ。海から吹くモンスーンの風は強いけれど、幸い少し北よりで、背中を押してくれる。道沿いに集落は少なくて、草原、ジャングル、マングローブ林と、周りの景色は次々に変わって行って飽きない。あんなに広いマングローブ林は、初めて見た。
 夕方、クアラロンピンに着く。当てにしていたシーサイドの静かなゲストハウスは、雨季のせいか閉まっていた。国道沿いのホテルに泊まる。(写真;海沿いの草原は“寒々とした”雰囲気・・・だけど、実際は蒸し暑い。)
11月22日(木)(晴のち曇、午後通り雨/クアラロンピン〜メルシン Mersing ;65km)

 9時出発。晴れていた。海沿いの国道3号線を南下。橋を越える時、マングローブ林にコウハシショウビンがいた。2羽で鳴き交わしをしていたので、もう巣造りの時期なのかもしれない。今日の目的地までは近いしなと思いながらのんびり走っていたら、対向してきた大型トラックが軽くクラクションを鳴らす。いつものように挨拶なんだろうとこちらが手を上げると、ドライバーがうしろを見ろと身振りする。振り返ると、遠くから黒雲が迫ってきていた。どう見てもその下は雨だ。
 昼食もとらず休みなく走って、午後メルシンに着く。ゲストハウスに入って10分後に雨。幸い雲は薄くなっていてすぐに止んだ。ドミトリーに泊まる。(写真;メルシン港。)
11月23日(金)(曇時々晴/メルシン〜アイルパパン Air Papan (往復);30km)

  早起きできなかった。近くの森林公園へいくつもりだったけれど、やめた。かわりに、自転車でひとけのないビーチへ行った。いちおう双眼鏡を持って行ったけれど、着いてみるとなんにもする気がなくなって、ただ海を見ていた。考え事をするには、そういや海が一番良かったなと思いだした。何時間も過ごした。
 町へ帰る頃には、インドネシアへは行かないことを決めていた。いろんな旅行者から聞いた話をまとめると、実はスマトラ島やジャワ島は今、ほとんど危なくない。どうもCNNやBBCの大げさな報道が誤解を生んで いるようだ。ひょっとしたら戦争肯定の世論を作るための情報操作をしているのかもしれない、とさえ思える。それでも行かないことにしたのは、雨季だから。スマトラはオランウータンのいる森の島。行くんなら、しっかり回りたい。いつかボルネオと合わせて、必ず出直すことにした。
 そうと決まったら、ジャカルタへ送っておいた補給品の転送と、シンガポールから先の交通の確保をインターネットで頼む。あとは返事待ちだ。しばらくこの町でぶらぶらしようか。ドミに連泊。(写真:海から吹くモンスーンの風。)
11月24日(土)(雨、昼頃と夕方から曇/メルシン〜ウタンリパー Hutan Lipour (往復):バス)

 早起きできた。でも土砂降りだった。きのう行けなかった森林公園へ行くつもりだったのに。どうしようか迷いながら顔を洗って、結局バスで行くことにした。天気はすぐに良くなるだろうというのは、甘い考えだった。8時に着いてから昼まで、屋根のある休憩所でねそべって過ごした。雨が上がってから遊歩道を歩く。ひなびた感じのいい公園で、樹冠で鳴くテナガザルの声が谷に響く。鳥はほとんど見たことあるものばかりだったけれど、1種だけ新しく追加したのはムネアカハナドリモドキ。背側は落ち着いたブルー、腹側は鮮やかなレモンで、頭のてっぺんにシャインレッドの丸い斑がある。ふだんは木のてっぺんにいるそうだけれど、天気のせいか下生えにいて良く見えた。
 午後、また小雨がパラつきはじめたので、タクシーで町へ帰った。ドミに3泊目。(写真;モスク(イスラム寺院)のタマネギみたいな屋根、中から見上げるとこうなってる。)
11月25日(日)(曇一時雨/メルシン:0km)

 町を散歩した。メルシンは海沿いの小さな町だ。ひとつずつ店をのぞき、マーケットの人ごみに身をゆだねても、昼前には見終わってしまった。気に入ったTシャツを1着買った。薄手の綿のパンツを1本買った。午後、それを着てストレッチをし、5キロほど走った。旅に出てから初めてのことなので、7ヶ月ぶりになる。息を切らして宿に帰ると、おかみさんに「ジョギングなんかして、暑くないの!?」と言われた。北緯2度に住んでいる人に“暑くないの!?”と言われた。
 待っていたメールは来なかった。ドミに3連泊目。(写真:イスラム男性の正装。“ソンコ”という小さな帽子に“サーバン”を巻いて、“ウバハ”という足元まである白いワンピース。)
11月26日(月)(曇一時雨/メルシン〜コタティンギ Kota Tinggi :90km)

 8時過ぎ出発。国道3号線は海沿いから内陸に少し入って、シンガポール方面へ折れる。アブラヤシの“海”の中を通るスロープのアップダウン。電線に止まっている鳥の群は、どこにでもいるインドハッカ・・・じゃないなこれ、色がオオハッカみたいで、前髪がボサッとちょっと立ってる・・・あこれ、初めて見る鳥だ。と思ってフィールドスコープをのぞくと、Javan Mynaだった。小1時間ほどの雨もカッパを着て走りつづけ、すんなりコタティンギに着いた。
 午後3時前にはホテルに入る。夜、ニュースを見て大ショック。ネパールに非常事態宣言! なんてこった、インドネシアをあきらめた代わりに、ネパールを回ろうと思っていたのに。あのへんって共産ゲリラがまだ元気だったとは知らなかった。(写真;商店街より百貨店より、マーケットは遅くまでやっている。)

探鳥日記 シンガポール