〜アジア横断編〜

探鳥日記 シンガポール

(2001年11月27日〜12月4日)


11月27日(火)(曇時々晴/コタティンギ〜シンガポール:90km)

 10時半出発。ポケットに残っているリンギット札を気にしながら、シンガポールへ向かう。マレーシアでは、大きな都市はぜんぶ避けるルートを走ってきたけれど、国境の街ジョホールバルだけは仕方ない。車の排気ガスを吸いながら騒音の中を通る。国境は海を渡る数キロの堰の道。オートバイのレーンを通りながら、さらばマレーシア、と振り返ると、ビル街の看板は、“Canon”、“National/Panasonic”、“AIWA”・・・すべてニホンゴだった。
 シンガポールに入るとそのままハイウェイを走ることになった。規則正しく並んだ背の高い街路樹が左右の視界をさえぎり、延々と続く似たような景色が方向感覚をにぶらせる。気づいた時には出口を20キロも通り越していた。夕方やっと市内に着き、バックパッカー宿のドミトリーに入る。(写真;国境。シンガポールへ。)
11月28日(水)(曇時々晴/シンガポール;6km)

 朝、次の目的地インドの領事館へビザの申請に行く。申請書は4ページもあって書き込みに時間がかかった割には、たいして確かめもせず、すんなり受け取ってくれた。しかも手数料はたった1000円だった。
 マウントエリザベス病院へ。街に出た時のお約束、予防接種。今回がファイナルラウンド、B型肝炎と破傷風の3回目を受けた。これで向こう5〜10年は、この2つと、A型肝炎、日本脳炎、狂犬病に、耐性の体にな った・・・はず。とはいえ、健康には気をつけて、疲れたらサボりながら走ろっと。
 もうひとつやらなければならないことは、インドまでの交通手段の確保。できれば航路で行きたい。というのは、6月にフィリピンへ渡った時、飛行機の圧倒的な破壊力に嫌気がさしたから。何が壊されるかと言えば、旅の連続性だ。日本を出てから、自転車に乗りながら、トレッキングしながら、船上の甲板から見てきた鳥や人のくらし。その細い糸のような感覚の線をできるだけ切りたくないと思っている。旅行代理店やツーリストインフォメーションを回って、普通の旅行用の船便が出てないことはすぐにわかった。あるのは金持ち相手の豪華クルージングだけ。ならば貨物船で、と、ダメモトでワールドトレードセンターまで行ったり、イエローページで調べた何社かに電話をしてみた。けれど、やっぱり荷物しか運んでくれない。
 暗くなる頃には早々とあきらめて、空路で行こう、と決めた。自転車やバスで半日走りまわってわかった。この息が詰まるような人工的な街並みは、どうしても肌に合わない。なるべく早く次へ行きたい。
 ドミに連泊。(写真;ホテルのような病院のロビー。)
11月29日(木)(曇時々晴/シンガポール:0km)

 飛行機のチケットの手配をする。インターネットで相場を調べ、旅行代理店をたずねて航空会社を選ぶ。ディスカウントチケットもあるけれど、悪いことに、今シンガポールはスクールホリデイだった。大学生がこぞって海外旅行に行くので、カルカッタ行きの飛行機は軒並み満席。しばらくこの物価の高い国にいなけりゃならなさそうだ。電子メールでなるべく早いチケットの注文だけ出しておいて、宿をもっと安いところに移すために歩き回る。で、ゆうべより250円安い550円のドミトリーを見つけた。
 夕方、インドビザを受け取った。夜、カルカッタ行きのチケットをようやく仮押さえ。来週の水曜日まで、あと6泊もある。(写真;シンガポールの“トライショウ”は人力車界のリムジン。大容量バ ッテリー搭載で、電飾とステレオつき。)
11月30日(金)(曇時々晴/シンガポール:0km)

 待っていた返事、ジャカルタの知人から電子メールが来ていた。“補給品の一部を、在シンガポール日本領事館へ転送すること、了解。”、とのこと。うーん、日程的に微妙だなあ。実はなかなか返事が来なかったので、もう転送のことはあきらめていた。これから送ってもらって、仮押さえした水曜日のフライトに間に合うだろうか? 待つか? いや、出発を先伸ばしにすると滞在費が高くなるので、間に合わなければ見捨てよう、ということにした。中身は鳥の図鑑とガイドブックだ。むこうで何とかできるだろう。エアチケットを正式に予約。
 あと5泊もあるのか。街には用はないし、こうなったらもう日本にいるみたいに普通に暮らすしかないなあ。で、夕方ジョギング。ポケットに残っていたマレーシアのリンギット札は、同室の日本人、イワさんが日本円に換えてくれた。(写真;あれ、ここ日本だっけ?と錯覚しそうなショッピング街。)
12月1日(土)(曇時々晴/シンガポール:0km)

 一日じゅう本を読んで過ごした。部屋で読むのに飽きたら、街へ出れば洋書屋はいくらでもあるし、高島屋の紀伊国屋書店へ行けば日本語の新刊も平積みされている。ただ、デパートの中は日本でもそうだし、香港でもそうだったけれど、クーラーが効き過ぎているのがつらいところ。2時間でギブアップしてしまう。それにしても、小林よしのりの「戦争論2」、おもしろいなあ。絶対わざと過激に書いてると思うけど、その分わかりやすい。
 同じドミトリーに泊まる。何泊目だっけ?(写真:街を歩くと、こんなとこばっかり。ジム・キャーリー主演の「トゥルーマン ショウ」という映画を思い出す。)
12月2日(日)(曇時々晴、夕方大雨/シンガポール:0km)

  この整然とした街にいるのは、そろそろ限界だった。息抜きに地下鉄とバスで小一時間、ブキッティマー Bukit Timar 自然保護区へ。森は二次林で、鳥はそれほど多くはない。そのうえ日曜日なので、ときどきにぎやかな家族連れや疾走するマウンテンバイクに出会って“静かな森”からは程遠い。それでもトレッキングすれば気分はよくなってくる。翅端がやたら長いシジミチョウや、目玉のふちまでエメラルドグリーンの小さなハンミョウがいた。
 夕方、ジャッキーとの待ち合わせ場所へ行く。マレーシアで知りあったシンガポール人の友達で、というか、正確には中国系人種でマレーシア国籍でシンガポールに永住権があるシンガポール在住の友達で、夕食へ行く約束をしていた。シーフードをリクエストしたら、ずっと郊外の方にあるおいしい店へ。久しぶりに良く飲んだ。Thanks Jacky!(写真;ニュージーランドの冬山へ行くために、熱帯雨林でトレーニングするシンガポールの人。)
12月3日(月)(曇時々晴/シンガポール:0km)

 注文しておいた航空券を受け取りに行く。地下鉄を乗り継ぎ、ビルの5階へ。インドで空路入国の際は、帰りのチケットがないと最悪その場で出国用の航空券を買わされた例もある、という。まず大丈夫だと思いますけどね・・・と言いながら、カウンターの綺麗なおねえさんはダミーの“予約航空券”をプリントアウトしてくれた。
 日本にいるよりはマシだけれど、この国で過ごすのにはかなりお金がかかる。だいたい僕は、チャリでアジア横断をしたいと思ったら、がまんできずにほんとうに出発してしまうような、ストイックからは程遠い性格。街を歩いていて、いいにおいに誘われりゃシナモンロールも食べるし、読みかけた本がおもしろけりゃ二千円でも買うわな。その点、節約家のイワさんはすごい。ビーチサンダルの鼻緒が切れるとポリ袋をねじって作ったり、長ズボンのお尻の所が擦り切れて来ると、すそを切って当て布にし、半ズボンとしてはいたり。とても、真似できない。
 このドミに5泊目だ。トータルでシンガポール7泊目。(写真;なし。あとこの国の、何を撮れって?)
12月4日(火)(晴/シンガポール:0km)

 バスで西の郊外にある“ジュロングバードパーク Jurong Bird Park ”へ。これ、野鳥観察公園ではなくて、鳥の動物園。カゴの鳥を眺める趣味はないのだけれど、ジャッキーにすすめられ、食わず嫌いもよくないなと思って行ってみた。入り口の“New Commer”が、地面を歩き回るサイチョウ類、ミナミジサイチョウで、いきなり惹きつけられる。いつかアフリカで見てやろうと思ってたやつだ。池のまわりの水鳥はネットがあるわけでもないのに逃げていかず、中を散歩できる巨大なケージの小鳥は元気に飛びまわり、案外鳥たちは幸せそうだった。ただ、森で見たことのある鳥はどうしても色あせて映り、気の毒に感じてしまう。
 夕方宿に帰る。チャリ屋でもらってきたダンボール箱に、自転車を分解してパッキング。それを明日の朝、飛行場まで運ぶためのワンボックスのタクシーを予約。シンガポール最後の夜、8泊目。日本領事館に電話をしてはみたけれど、ジャカルタから転送されるはずのインドの鳥の図鑑は、届いていなかった。ま、いっか。団体客が宿に来たため、エアコン部屋に移ることになった。(写真;この落差30メートルの人工の滝が、“鳥かご”の中にある。)

探鳥日記 インド(西ベンガル州)