〜アジア横断編〜

探鳥日記 インド(西ベンガル州)

(2002年12月5日〜12月29日)


12月5日(水)(晴/シンガポール〜コルカタ(カルカッタ) Kolcata :20km(コルカタ空港〜コルカタ市中心部))

 予定通り7時にタクシーが来た。総重量45キロの荷物を積んで空港へ。機内食を食べ、居眠りをしているともうインド。
 両替カウンターの前で自転車を組み立てて、路上へ。初めてのインドは、僕の目にどう映るだろう。散乱するゴミ、窓ガラスのないバスから吐き出される凶悪な排気ガス、裸足で走り回る肌の黒い子供たち。今朝までとはまるっきり違う景色のなか、いちばん感覚がついていけなかったのは、太陽が低いこと、だった。たった数時間で、緯度を大幅にかせいでしまったのだ。やっぱとんでもねえなあ、飛行機は。
 ひとつだけ、今朝と変わらないものがあった。それは、残飯をあさるイエガラスの群。あの美容整形したような小ぎれいなシンガポールの街と、騒音の路上にぼろ布をまとった コジキが寝るこのコルカタ。一見違いすぎる2つの街がやっていることは、イエガラスくらいしか住めないほど人間が野生を踏みにじっているという点では、なんにも変わりはしない。
 コルカタ中心部のバックパッカー相手のホテルに泊まる。日本人がいっぱいいた。(写真;排気ガスにけむる街角。)
12月6日(木)(晴/コルカタ;6km)

 最近のネパールの治安は共産ゲリラのせいで悪くなっている。けれど、だからといって鳥が減っているわけではない。情報にはよく注意しながら、とりあず明日からネパール方面を目指すことにした。今日はその準備。自転車でネパール領事館へ行き、ビザを申請。フレンドリーな職員が、たった5分で作ってくれた。午後、市内の古本屋をまわり、ネパールのガイドブックと鳥の図鑑、インド東部の地図を買う。
 宿に戻ってバックパッカーと話していたら、ビザは国境でも取れるよ、と教えてくれた。まあ、その日のうちにもらえたんだから、時間もお金も損はない。夜は日本人の若い子たちがロビーでマリファナを吸って、遅くまでケタケタと笑い声がひびいていた。(写真;コルカタは古本屋の街だった。)
12月7日(金)(晴/コルカタ〜クリシュナナガー Krishnanagar :135km)

  宿に居合わせたカワノくんとサンドイッチスタンドで朝食をかじる。彼はイギリスから東へ進むバックパッカー。日本人の多いこの宿には、他にチャリダー夫婦のクボさんが泊まっていたけれど、結局ろくに話もできなかったのが心残り。またいつかどこかの国で会いましょう!
 8時出発、北へ。バスと大型トラックの大渋滞をすり抜けるように30キロ走ったら、やっと田園地帯。もう稲刈りはすっかりおわり、田んぼの真ん中で足踏み脱穀機を使う農家の人。良く見る鳥は、オウチュウ、インドハッカ、ホオジロムクドリ、コウハシショウビン。東南アジアと気候は違うのに、けっこう共通種は多いんだ。むこうで見なかったのは、シリアカヒヨドリ、ハイイロハッカ、モリハッカなど。
 インドの田舎を走るチャリダーは、まるで中国を走っていたときのように、注目度バツグンだった。たぶん、外国人自体が珍しいんだろう。歩いている人は立ちつくして見送り、追い抜く車からは顔を出して振り返る。
 クリシュナナガーのホテル(ロッジ)に入る頃には、真っ暗。ここは日が短いんだった。(写真;インドは、実は、「自転車の国」だった。)
12月8日(土)(濃霧のち晴/クリシュナナガー〜バハランプール Baharanpure :95km+190km(バス))

 7時出発。肌寒い。しかもすごい霧。カッパを着て国道34号線を北へ。風になびく髪が濡れていく。昼前にやっと晴れた。水は豊富で、道の両側に小さな池や湿地があり、アマサギ、ダイサギ、インドアカガシラサギがいる。スキハシコウはタイで見たときと違い、すっかり薄汚いグレーの冬羽になっていた。路肩は未舗装で走りにくく、時々追いぬいていくトラックは大音響のクラクションを鳴らす。けれど、何がいいかって言ったら、絶対に雨が降らないという保証が付いていること。日中は汗ばむ陽気になる。
 午後、バハランプールのホテルに着いた。部屋に入って一息ついたあと、旅に出てから最大の失敗に気づいた。メガネが、ない! 走っている時はいつもサングラスをかけているので、メガネはハンドル前のカバンに入れている。それが、ない。同じ所に双眼鏡もカメラも入れていて、これを今日は4、5回取り出した。その時に落としたのかな。もしそうだとしたらもう見つからないだろう。あるいは、万が一ゆうべのホテルに置き忘れていれば、すげぇラッキーだ。すぐにツーリストセンターに行って電話番号を調べてもらう。けれどホテルリストに載ってない。こうなったら、ダメモトでも行くしかない。すぐにバスに乗り、来た道を戻る。真っ暗になったころに、クリシュナナガーに到着。ホテルに事情を話したけれど、ないという。そりゃそうだ、確かに今朝カバンに入れたもの。
 作り直そうにも、インドの田舎じゃねぇ・・・。パソコンのディスプレイと夜の街が見にくくなるけれど、ま、しょうがないさ。夜9時頃、バハランプールのホテルに戻る。(写真;朝、喫茶店でお茶を飲む。1杯ずつ丁寧にいれてくれる。うまい! 5円!)
12月9日(日)(霧のち晴/バハランプール〜ムルシダバッド Murshidabad (往復);30km(乗り合いタクシー))

 国道沿いの景色も飽きてきたので、休養もかねて、近くの村を観光することにした。ジープのような車種の乗り合いタクシーで30分、ムルシダバッドに着いた。18世紀の西ベンガルの首都で、今は静かな村。美術館になっているハジャルドゥワリ宮殿は迫力あったけれど、コレクションの印象派の絵は、僕にとっては見たそばから忘れていってしまうようなものだった。宮殿のまわりでは、子供たちが草クリケットをしてはしゃぎ、鮮やかな黄緑色のホンセイインコが飛び交う。小さな遺跡がところどころにある農村の小道を、ぶらぶらと歩く。きれいな景色がたくさんある。
 ところで、このあたりの人が話すベンガル語の“Yes”は、「アーチャー」という。英語で話しかけてきた人もあいづちにはこれを使ってくるので、「数日前にインドに来たところです。」「あちゃー。」「インドは初めてです。」「あちゃー。」という会話になる。なんか失敗をやらかしたような気になってくる。バハランプールのホテルに連泊。(写真;低い家並と椰子の木。青い空、乾いた空気。西ベンガル。)
12月10日(月)(濃霧のち晴/ベルハンポール〜ジャンギプール Jungipur :55km)

 調べた限りでは、次の宿は125キロ先だった。できれば距離をきざみたいけれど、途中の街ジャンジプールには、宿があるという人と、ないという人がいて、はっきりしなかった。7時半過ぎ出発。今日もすごい霧で、寒い。国道34号線に並走するフ−グリー川のせいだろうか。霧の中をシロガシラトビが低く滑空していく。
 ジャンジプールに宿はあった。車の入ってこない路地のホテル(ロッジ)に泊まる。階下から聞こえる自転車のベルの音、歩く人のざわめき、どこかの結婚式から聞こえるドラムとラッパの明るい音楽。いままで聞いたことのない、この喧騒。(写真;インドといえば、やっぱカレーでしょ。25円。)
12月11日(火)(霧のち晴/ジャンギプール〜マルダ Malda :80km)

 8時出発。霧と寒さはいつも通りだ。今日も34号線を北へ。地形は相変わらず平坦で、インドに来てからこっち、ひとつも山を見ていない。稲刈りのすんだ広々とした農耕地の、ちょっと集落があるところ、かなりデカい鳥がトビに追いかけられていた。ベンガルハゲワシだった。
 午後、ガンジス川を渡る。橋は軍が警備していて、100メートルごとに銃を持った兵隊が立っている。遠くに千羽くらいのカモが浮いていたので、立ち止まって双眼鏡で見る。ハシビロガモはいるようだけれど、他は 霧のせいでよくわからない。ひとりの軍人がやって来て、毎年シベリアから来るんだよと教えてくれた。あと、橋の上は撮影禁止だとも言った。この橋、軍事施設なんだろうか。
 マルダ市内は道路工事中ですごい砂ぼこりだった。目に付いたホテルに、すぐ入った。(写真;パンク修理にギャラリー50人。マウンテンバイクとナマ外人が珍しい。)
12月12日(水)(霧のち晴/マルダ〜ライガンジュ Raiganj;75km)

 今日の霧はかなり気合が入っていた。階下を見下ろすと道行く人の顔も良く見えないし、ベランダの洗濯物は干す前より濡れている。9時出発、北上を続ける。草地の上の電線にはオジロビタキ2羽いて、時々虫を採りに茂みに下りていく。この鳥は、別種とも考えられている2つの亜種が両方インドにいると教えてもらったけれど、どっちの亜種だろう?
 夕方、ライガンジュのホテルに入る。水シャワーは日の入りまでには浴びないとつらくなってきた。(写真;昼飯は、村のこんな店で食べることになる。)
12月13日(木)(濃霧のち晴/ライガンジュ〜キサンガンジュ Kishanganj :80km)

 9時過ぎ出発。国道34号線を北上。インドの道の路面状態は、チャリダーにかなりキビシイ。アスファルトではあるけれど、よく穴が開いているし、穴を補修したパッチワークが小刻みなジャブをかましてくる。時々通る小さな町中は、でこぼこの石畳。いっしょうけんめい地面ばかり見て走ってしまう。脚よりも肩が疲れ、大きめの湿地の近くで休憩していたら、レンカクやケリがえさを探して歩いていた。その上を、こげ茶色のチュウヒ類が旋回。西へ傾いた太陽に照らされて、顔だけ薄茶色に光る。ヨーロッパチュウヒのメスだった。
 キサンガンジュのホテルに入る。シャワーを浴びて一休みしていると、ショットガンを持ったインド軍の兵士が4人も部屋に入って来た。こと細かな質問をして書類をつくり、「良い旅を」と言って帰っていった。今、インドには、まわりの国からテロリストがたくさん入って来ている。たぶんそのせいで、外国人のチェックを念入りにしているのだろう。(写真;稲刈りが終わる頃、菜の花の季節。)
12月14日(金)(晴/キサンガンジュ〜イスランプール Islampur ;30km)

 霧もなく朝から暖かかった。9時出発。今日から国道31号線を行くことになる。ほとんど全面的に拡幅工事中。旧道は、交通量が多いのにかなり狭いので危険。だから建設中の新道のうち、整地が済んでいるところが あれば、まだ舗装前でもあえてそこを走る。
 たった30キロに3時間もかかった。イスランプールのホテルに入り、午後は昼寝。電気も水も時間制限あり。(写真;作成中のヒンドゥーの神様、カーリー神。血に飢えた女神。)
12月15日(土)(晴/イスランプール〜シリグリ Siliguri :75km)

 一時寒かったのは寒気でも入っていたのだろうか。ここ数日は朝から晴れて暖かい。8時半に出発し、国道31号線を北へ。風もなく穏やかな天気で、気持ち良く走る。目的地のシリグリまで、あと10キロくらいのと ころ、インドに来て以来、初めて山が見えた。いきなり千メートル級だ。路面状況が今までと比べてかなりマシで、午後の早い時間にホテルにつけた。この街はベンガル丘陵部の交通の要所で、北のダージリンや東のアッサム州、西のネパールに行くための起点になる。
 チェックインのあと、鉄道の切符売り場へ行く。2つしかない窓口に長い列。はじめは明日の朝出直そうかとためらったけれど、思いきって加わった。なかなか進まなくてうんざりしつつも、救いはインド人が規律正しいこと。絶対に横入りを許さないし、列からちょっと抜けてから戻った人には、まわりからいちいちチェックが入る。2時間かかって、コルカタへ戻る夜行列車のチケットをとった。来週、彼女とダージリンで会う予定が、フライトの都合でコルカタに変更なったんである。(写真:こんなに東の方から、もうラクダを使っている。)
12月16日(日)(晴/シリグリ:0km)

 シリグリで唯一見るべきものといえば、“ホンコンマーケット”。朝から散歩がてら、てくてくと何キロも歩いていく。途中、マハナンダ川を渡る。橋の上から眺めると、河川敷きに暮らす人たちの生活レベルは、なかなかハードなものがある。
 マーケットは朝からにぎわっていた。店舗も露店もぎっしりと売り物を並べ、道行く人に声をかける。名前の通り、雰囲気は中国のマーケットみたいだ。“ニワトリ通り”が一角にあって、道端でがんがんニワトリをさばいている。実に手際良くて、首のない丸裸のニワトリがカゴの中でバタバタと動いていた。
 とっても通信スピードの遅いインターネットショップでメールを読む。ひとつうれしい知らせ。ジャカルタの知人は、仕事が多忙だったため、こちらが頼んだ補給品のシンガポールへの転送はしていない、とのこと。ラッキー。
 同じホテルに連泊。(写真:マーケットに行けば食材はいくらでもある。彼らはそれを、全部カレー味にしてしまう。)
12月17日(月)(晴/シリグリ:0km)

 朝起きたら、頭が痛い。数日前からのどが痛かったから、たぶん風邪だろう。半年以上を真夏の地域で過ごしてきて、この一週間で突然秋の所へ来たんだから、そりゃ体調も崩れるわ。薬を飲んで寝なおす。
 午後、旅行代理店へ行き、今月末に行く予定にしているアッサム州の最近の様子を尋ねる。というのは、アッサムを含む北東インドは、独立気運で慢性的に危険地帯だといわれているから。場合によっては自転車をこの街へ置いて、バスか鉄道で行こうかと考えていた。食事に入った店の人などにも聞いてみたりしたけれど、返事は意外に楽観的で、夜はともかく、昼間チャリで走るのは大丈夫だよ、と言う人ばかりだった。公共の情報事務所“アッサムツーリズム”は月曜なのに休みで、明日出直すことに。
 “デリーホテル”に3連泊目。(写真;夕方の街。)
12月18日(火)(晴/シリグリ〜不明:鉄道)

 9時に“アッサムツーリズム”に行った。まだ閉まっていて、事務所の前にいた人が10時からだよと教えてくれた。10時半に出直す。相手はお役人、もし仏頂面の高飛車野郎だったらやりにくなぁ、と思いながら入っていくと、待ってましたよと笑顔の係官。自分の国のお役人でムカついたことがあったからって、インドもそうかも知れないと疑って申し訳ありませんでした。さて、アッサム州の現況をたずねたところ、今は独立運動についてはぜんぜん問題ない。アッサムにはいいところがたくさんあるし、サイクリング楽しめますよ、ということだった。路面のいいルートと、宿のある町も教えてくれて、とても親切な対応だった。事務所兼住居のようで、ときどき子供さんがガイジンを見るために、奥の部屋から顔をのぞかせるのもほのぼのとしている。
 昼前にホテルをチェックアウト。自転車と荷物のほとんどはホテルに預けた。喫茶店やマーケット、インターネットショップに時々入っては、夜8時過ぎの列車までの時間をつぶしながら、駅へ歩いていく。寝台のベッドは広くはないけれど、ちょうどいい硬さ。ゴトンゴトンという列車の振動が心地よい。(写真;夜のNJP駅。)
12月19日(水)(晴/不明〜コルカタ:鉄道)

 2等寝台は、案外良く眠れた。これで600円、600キロは安い。8時半にシェールダー Sealdah 駅着。少し歩いてから地下鉄に乗り、前に泊まったことのあるホテルへ。満室だったのでチェックアウト時間まで待たせてもらったら、シングルルームが空いた。
 午後、西ベンガル旅行センターへ行く。野生のトラがたくさんいる世界遺産、サンデルバンズ Sunderbans 野生生物園へのツアーを予約するため。実ははじめ間違えて、近くにある管理事務所の方へ行ってしまったのだけれど、ここのお役人が実に親切な人で、ツアーの内容について丁寧に教えてくれた。残念ながら、明日来る彼女の滞在中はずっと予約がいっぱいだった。今、インドは観光のハイシーズンだ。(写真;帰ってきました、コルカタ。)
12月20日(木)(晴/コルカタ:0km)

 あいかわらず日本人の多い宿だ。今月初めに泊まった時、いっしょにサンドウィッチをかじったカワノくんと再会。彼はバングラデシュから戻ったところで、明日ミャンマーに飛ぶという。あれこれ話し込んで情報交換したあと、映画に行く彼を見送ってから出かけた。来週、シリグリへ帰るための列車のチケットをとりに行く。30分歩き、30分並んで、満席だった。仕方なく長距離バスのチケット売り場へ。3分で買えた。
 夕方、彼女と約束したホテルのロビーへ行き、「半信半疑」で待つ。というのは、彼女が今日インドまで来られるかどうかは、タイのバンコク空港で“スーパートランジット”に成功したかどうかにかかっているから。乗り継ぎ時間、わずか40分。通常のミニマムトランジットタイムを1時間以上も割り込んでいる。来る確率、まあ4割だな、と思いながら、ゆったりしたソファにすわって、礼儀正しいガードマンが開け閉めする大きなガラスの扉を、遠くから見ていた。
 6時少し前、彼女は、来た。バンコク着陸の前に席をドア横に変えてもらい、空港ターミナルを2から1へ全力疾走し、もう閉まっていたチェックインカウンターを10ドル札でこじ開けて、コルカタ行きに乗ることが できたのだった。成功おめでとう! 夜はタイ料理で再会を祝った。そして、頼んでおいたメガネを受け取る 。(写真;街でいちばんゴージャスなホテルをリザーブして、彼女はやって来る。)
12月21日(金)(晴/コルカタ:0km)

 喧騒もなく空気のきれいな朝なんて、インドで初めてだ。予約がいっぱいだったサンデルバンズ野生生物園へのツアー、もしキャンセルが出たらすぐに予約するようにコンシェルジェに頼んでおいてから、コーヒーショップへ。ゆっくりしたブランチは、しばらく会えなかったふたりのスピードを合わせるのに、どうしても必要な時間だと気づいている。
 午後、明日から泊まるホテルを探す。トップエンドクラスを外さない彼女の値切り方はこうだった。まず受付で胸を張って名刺を切り、フロントマネージャーを呼び出す。不在だからと言って代わりに出て来たアシスタントマネージャーに、「この街のホテルを視察している。部屋を見せてもらいたい。気に入れば泊まる。」と言う。スタンダードやスイートを案内されて見てまわり、部屋数や繁忙期、額面価格、実売価格を聞く。そのあとスイートフロアのサロンに通され、お茶が出て、談話。僕は適当に話を合わせながら、この先どうなるのかワクワクしていた。彼女はここでもう1枚、きのう空港からホテルまで雇った運転手の名刺を切る。これで定価の約6割引きになり、手を打った。ついでに近くのおいしいレストランを紹介してもらって、夜は中華。(写真;裏通りのマーケットは、インドらしい一面。)
12月22日(土)(晴/コルカタ:0km)

 午前中はブランチに使うのが定番になってきた。午後、サンデルバンズ野生生物園へのツアーにキャンセルが出てないか、未練たらしく旅行代理店まで行ってみる。が、席はない、と言われる。こういう時、英語で細かいやりとりをするのは疲れるので、いつもは良くわからないところがあっても引き下がることがある。けれど、今日は違う。ふたりいる。片方が疲れるともう一方に代わるという波状攻撃をして、むこうの事情をすべて飲み込んで、行けないことを納得。
 そのあと市内観光を少しすると、彼女は排気ガスにギブアップした。僕も街を歩くのは好きではない。となれば、じゃあ何食べる?という話になって、夜はインド料理。普段の10倍も出すんだから当たり前といえばそうだけれど、ひとり800円も払えば、おいしい料理とお酒を腹いっぱい食べて飲めてしまう。(写真;いちばん見たかったハウラー橋。橋脚のないクレイジーな作りは、メイド・イン・ジャパン。下は沐浴場。)
12月23日(日)(晴/コルカタ:0km)

 街はいよいよクリスマスムードになってきた。ホテルの庭木や街路樹は赤や黄や青の電球で飾られ、街角ではサンタクロースが客を呼び込む。昼時、イタリア料理を食べに入ったレストランでクリスマスパーティーが始まる。下手なところがいい感じの年配の人たちのバンド、おめかしした子供たちは目をまんまるにして、ありきたりな手品に見入っている。店の人がポラロイドカメラを持って回ると、あるテーブルのお父さんは仮装のサンタを恐がる娘さんといっしょに、無理矢理写真を撮ってもらっている。泣き出す娘さんの気持ちもよくわかるよ。だってインド人のサンタって、赤白い肌色のお面に深い穴みたいな黒い瞳が覗き、真っ赤な衣装のそでから出た手はチョコレート色なんだもの。
 夜は彼女がすっかり気に入ってしまった、おとといの中華の店へ。顔見知りになったウェイターのアントニーが、ほとんど専属のようについてくれて、量や味付けを好みに合わせてくれる。(写真;カーリー寺院と参拝者。いけにえのヤギの首を大上段から振り下ろす剣で、ずどん、と落とした。)
12月24日(月)(晴/コルカタ:0km)

 寒くないのにクリスマス・イヴだった。街はいつもに増して、ものすごい人の波。あふれる人をすり抜けながら、“ニューマーケット”のみやげもの屋を回る。けれど、彼女が買うべきものは何も見つからなかった。人ごみを避け、ホテルの静かな中庭へ。チャイを飲みながら過ごす静かな夕暮れ。シキチョウが時々さえずり、オナガサイホウチョウは植え込みのかげをちょこちょこと動き回る。もし自分が鳥だったとしても、この庭で暮らすと思うな。だって、外は、スゴいもの。
 クリスマスディナーはもちろん、お気に入りの中華料理屋へ。中に入ると、アントニーが2階席から手を振って歓迎してくれる。一番見晴らしのいい席に通され、彼女の首にはふさふさした銀色のレイをかけてくれた。(写真;ツリーにコットンの“雪”はつけない。)
12月25日(火)(晴/コルカタ〜不明(夜行バス))

 早朝、タクシーで空港へ向かう。いつもなら、ふたりレストランで出国までの時を過ごすのだけれど、コルカタ空港は航空券のチェックインをするともう外へは出られないのだった。冷たい銀色のフェンスをはさんで、向かい合うしかない。イミグレーションへ消える彼女を見送ってから展望室へ上がり、離陸する機体を目で追った。
 コルカタからシリグリへ向かうバスは夜。それまで時間をつぶそうと、インド博物館へ。着いてびっくり、無料開放かと思うほどの人でごったがえしていた。家族連れがあちこちに座りこんでお弁当を広げ、子供たちがはしゃぎまわっている。大混雑は、どうも年末の恒例行事のようだった。自然史系の常設モノはひどいありさまだったけれど、たまたまやっていたブータン展に見入る。ブータンはすぐそこ、行きたくなってきた。
 バスは、予定通り午後8時に出発。(写真;大盛況のインド博物館。)
12月26日(水)(晴/不明〜シリグリ:(夜行バス)+3km)

 途中バスの故障があって、シリグリに着いたのは昼前だった。やっぱり寝台列車よりは、寝心地は悪かった。荷物を預けてあったホテルへチェックイン。シャワーを浴びてから、自転車で街へ出る。
 一万キロも走るとギアが擦り減って、ペダルを強く踏んだ時チェーンが歯飛びする。直すには後のスプロケット(カセットギア)を交換するしかない。新しいパーツは彼女が日本から届けてくれたので手元にあるのだけれど、取り外しの専用工具がない。インドではギア付きの自転車はほとんど見ないから、自転車屋にも置いてないだろう。つまり、ありあわせの工具でやるしかない。あるチャリ屋に入って事情を話し、店の人といろいろ試した。歯と握りが直角に曲がった変形プライヤーを使ったら、何とかなった。そのかわり、工具を力いっぱい握りしめた時、クリスマスにもらったばかりの指輪はぶっつりと切れた。
 そのあと日本へ送る小包みなどを持って郵便局へ行ったけれど、窓口は3時まで。はっやいなー。明日朝10時過ぎてから出直すことになる。(写真;床屋は街角にもある。)
12月27日(木)(晴/シリグリ:0km)

 きのう出せなかった手紙などを日本へ送るため、郵便局へ。ついでに、シンガ ポールで夕食をおごってくれたジャッキーにも一筆書き、お礼に本を1冊贈るこ とにした。窓口の列に並び、表書きのしかたなどを何度かやり直しさせられれば 、もう午後。シリグリにあと1泊となる。散歩や洗濯をして過ごす。(写真;朝 方冷えると、みんなホッカムリしている。)
12月28日(金)(晴/シリグリ〜ジャンジプール Jungipur :45km)

 8時出発、チャリダー復活。道行くサイクルリキシャー(力車)の波に混じって南東へ向かう。市街地から抜けると、線路沿いの田舎道。田んぼのわきの茂みには、もうすっかり馴染みになったシリアカヒヨドリたち。
 国道を通らないで行ける近道があって、昼過ぎにはジャンジプールのホテル「ペイングゲスト」に入る。観光旅行専門のホテルで、設備、サービス、価格とも文句なし。インドで泊まった宿の中のベスト・バイ、250円。(写真;これ、乗り合いサイクルタクシー。)
12月29日(土)(晴/ジャルパイグリ〜コーチビハール Koch Bigaru :115km)

 7時半出発。国道31号線を東へ。始めは肌寒かったけれど、すぐに汗ばむ陽気に。インドに入って3週間、このあたりまで来て、やっと「植生」と呼べるものが道のまわりにちょこちょこ見え始めたように思う。もちろんちょっとした草地や二次林になりかけの「二次やぶ」程度のものだけれど、なにしろコルカタからシリグリまでは、それらさえほとんどないのだった。一面に広がる刈り取りあとの田んぼにはたくさんのウシやヤギが放牧されていて、やっと生えた草の芽出しを地面をなめるように食べてしまう。そのせいであぜ道にさえ緑のない、土色の荒野が広がっていた。10億の民が食べていくということは、そういうことなんだろう。干上がったティスタ Tista 川の広大な河川敷きの真ん中、細い流れにナベコウがいた。
 コーチビハールのホテルに泊まる。オーナーが大の日本びいきで、お茶や夕食はおごってくれるし、電子メールは自由に打たせてくれると言うし、しまいにはダージリン産オレンジピコーのおみやげまで持たせてもらった。(写真;インド女性の綺麗さは、今まで経験したことのない新ジャンル。)

探鳥日記 インド(アッサム州)