〜アジア横断編〜

探鳥日記 インド(アッサム州)

(2001年12月30日〜2002年1月21日)


12月30日(日)(晴/コーチビハール〜ドゥーブリ Dhuburi :85km)

 8時過ぎ出発。今日は朝から暖かい。国道31号線を東へ向かう。中央線はなく、道幅は大型トラックが普通にすれ違えるくらい。シリグリから東へ折れてからこっち、日に日に交通量が減っていくのが嬉しい。道の両側のアスファルトがでこぼこの時は、ど真ん中を走れる。久しぶりにハシブトガラスを見た。あいかわらずイエガラスはいっぱいいる。
 午後、アッサム州に入る。いちおう危険地帯の北東インドに入ったわけで、早めの宿入りと、安宿を避けることを心がける。午後2時には、ドゥーブリのホテルへ。たぶん町で一番いいホテルで、シングル1泊400円。
 遅い昼食のあと、ホテルのオーナーと警察署まで出向いて外国人宿泊登録をした。そのあと散歩しながら町をぐるりと案内してもらう。これといって何もない、ブラーマプトラ Brahmaputra 川沿いののんびりした町。(写真;田舎の子供は働く。せめて仕事が終わったら、よく遊んでね。)
12月31日(月)(早朝霧、のち晴/ドゥーブリ〜ボンガイガオン Bongaigaon :110km)

 8時前出発。穏やかな天気の年末を向かえた。柔らかい日差しと、菜の花香る国道31号線を今日も東へ。新しくアスファルトを敷いたばかりの所が多く、走りやすい。ほんの少しずつだけれど、鳥が増えつつある。自然環境が“まだマシ”になって来たせいだろう。電線に止まるインドブッポウソウをよく見かけるようになり、ハチクマやチョウゲンボウの仲間が時々頭上を横切っていく。
 ボンガイガオンのホテルに泊まる。昼間、軍の検問に3回ひっかかったうえ、夜、宿にも軍人がチェックに来た。軍隊の治安維持のおかげで、僕は旅を続けられる。(写真;アッサム州の片田舎で、大みそか。)
1月1日(火)(晴/ボンガイガオン〜バルペータ Barpeta :65km)

 新しい年、2002年の第一日目。インドの正月はどんなのかなと、早朝ホテルから外へ出てみる。商店街の人たちは店を開けはじめ、通りには大きな荷物を積んだ自転車やサイクルリヤカーが行き交う。みんな初日から働く気満々だ。よかった、この調子なら次の町に着いてみて、ホテルやレストランが正月休暇中、ってことはないだろう。安心して、8時出発。国道に出ると、バスやトラックはいつも通り走っているし、道路工事もやっていた。予定通り国道31号線から、“バルペータ・ロード”というグワハティ Guwahati への近道に入ったら、この路面が悪いの何のって。
 2時前には、バルペータのホテルへ入る。一休みしたあと、時間あるし何か正月らしいことしようと思い、髪を切った。たった20円。安すぎないか!? 中国でさえ70円だったよ。
 夜、思いがけず一通の年賀状が部屋に届いた。この町の銀行員、イムールからだった。(写真;村の守り神。知っている慣用句で表現すると“愉快な仲間たち”。アラーしか信じないイスラム教やキリストしか信じないキリスト教と比べたら、ずっと楽しそう。)
1月2日(水)(晴/バルペータ:0km)

 朝、約束の時間より少し遅れてイムールが来た。仕事に行く前の一時間ばかり、町を案内してくれるという。暖かい朝の日差しの中をぶらぶらと歩いて町外れへ。彼とは歳が近かったので、仕事のことや家族のことなど、お互いの境遇を話すだけで国の違いがよくわかって会話が楽しい。成り行き上、今年の初詣は、築500年のヒンドゥー寺になった。彼は“正装していないから”といって門から中へは入ろうとしなかったけれど、僕は外国人だからということで、帽子を取って裸足になったら参拝を許された。本堂の前で地面に額をつけてお参り。中は薄暗くひんやりとしていて静か、少し甘いにおいのお香が、自然と気分を落着かせる。そのあと、周りの小さなホコラで賽銭を払うたびに、短いお経をあげてもらって、花やら枯葉やらを受け取った。青い空には、コハゲコウがゆっくりと輪を描きながら舞い上がっていく。今年もよい年になりますように。(写真:初詣したお寺の祭壇。うまく光りを使ってる。)
1月3日(木)(晴/バルペータ〜ランギア Rangia :80km)

 朝8時過ぎ、イムールが宿まで送り出しに来てくれた。お茶を飲んでしばらく雑談のあと出発、町から出るところまで自転車で先導してくれる。彼はいつか日本に行きたいと願っていた。望みが叶ったら、そのときはきっと案内して回るよと約束した。
 目的地のグワハティまで、2つのルートから選ぶ権利があった。ひとつめは90キロの悪路を行く直行ルート。2つめは、悪路を10キロ走り、そこから国道を110キロ行く迂回ルート。迂回ルートは、グワハティより手前の町で1泊することになるだろう。当然、そっちを選んだ。だって、悪路で疲れるのヤだから。
 時々未舗装の悪路は走りにくいけれど、車が少ないということでもある。静かな湿地には、小柄な女の人ほどの背丈もありそうなオオハゲコウがたくさんいた。飛び立つのを見ると、よくあんなものが宙に浮くなあ、と思える。途中、ナルバリ Nalbari という町の近くを通る。この地域が危険であることは数日前から何度か聞いていたのだけれど、どうもその話は本当らしかった。というのは、これまでの道沿いで見てきた軍人は、アースカラーのシャツかセーターを着てベレー帽、銃口を上に向けて肩にショットガンをかけていた。ところが今日見た軍人は、迷彩服にヘルメット、たぶん弾薬などがポケットに詰まった重そうなベストを着て、アサルトライフルの銃口を前に向けて立っているのだった。
 ナルバリ地区を抜け、平和で小さな町、ランギアのホテルへ入る。(写真;寺の門と老女。)
1月4日(金)(晴/ランギア〜グワハティ(往復):鉄道90km)

 グワハティは人口が50万以上もの大きな街。できれば避けたいところ。けど、いくつかの用事があるので、行かないわけにはいかない。実はきのう宿についてからやっと気づいたのだけれど、“迂回ルート”方面からはグワハティを通らなくても、次の目的地テツプールにつながる別の道があった。なら自転車でグワハティに行って泊まることなんかない、朝ここから鉄道で行って、夕方に帰ってくれば良いわけだ。
 たっぷり30分遅れて来た各駅列車に乗る。席に座っていると、車内をいろんな人が回ってくる。お茶やナッツ売り、物乞い、それに楽団。奏でるのは、陽気なお祭りの音楽。3本弦のギターみたいなのとパーカッション、鈴の3人編成で、うち2人はボーカルもやる。ドドイツみたいな声で、ラップのような語りを入れたりしていた。客受けは良くて、物乞いにお金をあげない人たちも楽団にはチップを払っていた。
 銀行と郵便局での用事を午前中には済ませて、午後旅行代理店へ。アッサム州のあとに、できれば行きたいと思っているアルナチャルプラデシュ州のことを尋ねる。ここはインド人でも許可証のいる立入り制限区域。残念ながらガイドブックの情報通り、外国人はひとりではまず許可は下りないということだった。そういわれてもさらにもう1軒、アル・プラ州政府の事務所へも行ってみた。お役人は許可が出ないとは言わなかったけれど、まずニューデリーの事務所へ行けとのこと。無理、かな。(写真;町のアクセサリー加工屋で、切れた指輪の修理を頼む。ろうの炎に鉄のストローで息を吹くとバーナーになる。)
1月5日(土)(ランギア〜マンガルダイ Mangaldai ;60km)

 8時出発。このところ日中暑い。タイで買った日焼けどめクリームを久しぶりに使った。グワハティ方面へ行く国道31号線から52号線に乗り換えて、東へ。
 昼過ぎにはマンガルダイにさしかかる。体はもっと走りたがっていたけれど、宿があるとはっきりしている次の町までは100kmもあるのでホテルに入った。小さなマーケットがあるだけの、安全な町。ミネラルウォーターを買おうと店にお金を渡したら、このお札使えないよ、と返された。なぬぅと思ってよく見た ら、これブータンのお札じゃん。だれだぁ、おつりにブータン紙幣を混ぜたやつぁ。(写真;霊験アラタカそうに店を広げるアクセサリー屋。拾ってきた針金で作ったような指輪とか売ってる。)
1月6日(日)(晴/マンガルダイ〜テツプール Tezpur :105km)

 9時出発。インドに入って初めて、雲を見た。日本の秋空に見るような、薄い白い雲が浮いている。国道52号線を東へ。アスファルトの真新しいところ以外は、相変わらず路面はいいとは言えないけれど、細かいガタガタにはもう慣れてきた。インドの人には英語を話せる人が多いので、自転車で走っているとスクーターや車が横に付けてきて、よく話しかけられる。アッサム州に入ってからはそれだけじゃなくて、時々住所と電話番号を書いた紙を渡され、「何かトラブルがあったら、連絡して」と言ってくれる。
 オラン野生生物園 Orang Wildlife Sanctuari の入り口は素通りして、ナメリ Nameri 国立公園方面、テツプールに夕方着。明日からナメリに数日行っている間、要らない荷物を預けたかったので、信用できそうなホテルに入る。思い切って、1泊430円。(写真;韓国ではウシ、中国ではスイギュウ、インド・西ベンガルではラクダとすれ違った。アッサムでは、ゾウ。)
1月7日(月)(曇のち晴/テツプール〜ナメリ Nameri;65km(うち25km迷走)) 

 荷物を半分ほど宿に預かってもらって、身軽に8時半出発。国道31号線からそれて、ナメリ国立公園へのマイナーロードに入る。これがサイクリングに気持ちのいい田舎道。やがて道沿いに木々が目立ち始め、インドに入って初めて森の中を通る。気候が乾燥しているので木の葉は小さく、樹と樹の間も広くて明るい。国立公園への入り口の案内板を見逃して、10キロオーバーラン。だってその看板、ヒンドゥー語で書いてあるんだもの。引き帰して来て、裏側から見たら英語だった。
 午後、公園管理事務所の隣の宿、“エコ・キャンプ”に到着、竹とわらで作ったシングルルームに入った。静かでのんびりしたいいところ。夕方、庭木にシロボシオオゴシキドリがやってきた。夜は村の人が焚き火を囲むほど寒いのに、草むらにはホタルたちが飛んでいるのだった。澄んだ夜空に輝く冬のオリオン座。それをバックに、星よりほのかな明るさの光がゆるーりと飛んでいく。ちょっと不思議に感じる光景。ひとつ捕まえてみると、オバボタルみたいなやつだった。(写真;夕暮れの“エコ・キャンプ”。)
1月8日(火)(晴/ナメリ:0km)

 朝6時、散弾銃を肩に掛けたガイドが部屋まで迎えに来た。いや、英語が話せないんだから、彼はガイドではなくてただのガードだ。ナメリ国立公園は“エコ・キャンプ”からボライ Bhorai 川を渡った対岸にある。ボートを下りると、さっそくシワコブサイチョウが上空を飛んでいく。川岸で朝の羽づくろいをするのはアカツクシガモ
 小柄なガードのあとについてトレッキング。環境は広大な河川敷の河畔林、鳥が多い。時々当たる群に2、3種しか混じっていないことが、ちょっとなつかしく感じる。なにしろ、ここんとこ見続けてきた熱帯の群は、多い時には10種も入ってたからなぁ。目立つのはオウチュウ類で、カンムリオウチュウにヒメオウチュウ、ハイイロオウチュウ、ヒメカザリオウチュウ。カザリオウチュウの髪形は、東南アジアの亜種の“リーゼント”をものすごくエスカレートさせた“ロン毛オールバックの寝ぐせつき”になっていた。たまにあるトラの足跡は、大人の手のひらほどもある。こんなのが猫の俊敏さで襲ってきたら、ひとたまりもないよ。
 ぐるりと回ってまたボライ川沿いに出た。園内作業のために職員が使う交通手段はゾウだけなのだけれど、たまたま管理事務所へ向かうゾウに出会ったので便乗させてもらった。あの高さで森をゆくのは実に気分いい。でも、結構ゆれるので双眼鏡は使えない。
 家族連れでエコ・キャンプに遊びに来ていた、見かけそのまんまの土建屋さん、ムクルとムーンに声を掛けられた。勧められるまま、昼食時からウォッカをあおる。昼寝で熟睡。連泊。(写真;ゾウをヒッチハイク。手前左は自分が乗っているゾウの頭。)
1月9日(水)(晴/ナメリ:0km)

 朝6時から、ボライ川の手前岸を歩く。こちら側は国立公園ではないので、ガードを雇わなくても歩くことができる。ちょとした川をはさんでるだけだから、鳥はあんまり変わらないだろうと思ったのは大間違い。伐採と野焼きをしていて林はスカスカ、鳥の数は向こう岸と“くらべものにならないほど”少ない。どこにでもいるシリアカヒヨドリ、チベットモズ、ミドリハチクイ。畑の鳥ロクショウヒタキ、オウチュウ、チャイロオナガ。川の中にいるやつも向こうから見るより少なくて、アジアコビトウ、カワアジサシ、シロボウシカワビタキ程度。とはいえ、コンクリート大好きの日本の河川敷にくらべりゃ、これまた“くらべものにならないほど”マシなんだけどね。
 エコ・キャンプに3泊目。あしたはもう1回、向こう岸へ行こう。(写真;向こう岸、ナメリ国立公園から昇る朝日。)
1月10日(木)(晴/ナメリ〜テツプール:40km)

 朝6時に出発、またガードつきでボライ川を渡った。船つき場に近い林縁からもう鳥の群、オナガベニサンショウクイとチャバラゴジュウカラ、ハイガシラコゲラの混群。やっぱこっち岸は違うわ。すぐにきのうおとといで見たやつに20種ほど追加して、さて、ゾウだ。両側を林に挟まれた広い河川敷をトレッキングして一時間半程で「観察塔」に着いた。あたりに真新しいゾウの足跡と糞。ゆうべのらしい。塔に登って少し待つと、ゾウの低いうなり声が森の中から聞こえる。ここから二、三百メートルってところだろうなぁ。期待して待った。けれど、出て来てはくれなかった。
 宿に戻って昼食のあと、公園管理事務所のバードウォッチャー、ポンカジュさんを訪ねた。名前のわからなかった鳥のスケッチを見せながら、聞かれるままに見えた限りの特徴を答えていく。鳥の行動やローカルな分布の状況をよく知っているので、それをバックにカウンセリングのように種名まで導いてくれる。
 午後、チェックアウトしてテツプールへ戻る。荷物をあずけていた宿はシングル満室だったので、別のホテルへ。(写真;ボディガードと川を渡る。)
1月11日(金)(晴/テツプール:0km)

 朝、出発準備はしたものの、なんとなく出るのをやめた。テツプールは国道から少し離れているので、静かで過ごしやすい町だ。古い寺を見たり、公園を散歩したりして無為に過ごす。ホテルの従業員のひとりが、いつか日本に行って広島、長崎を旅したいとあれこれ聞いてきた。ずいぶん細かく聞くので、インターネットショップに行って、JRのホームページで所用時間や乗車料金を調べてあげた。インドの人と日本の話をすると、原爆の話が出てくることが多い。彼らから見た日本という国は、被爆して、ものすごいスピードで復興して、世界一のハイテクノロジーを持つようになった国。むかしインド国民軍と力を合わせて、領主国イギリスと戦った国でもある。
 同じホテルに連泊。(写真;薄暗いタイル張りの部屋で、赤い布を着せた石柱に祈りをささげるお坊さん。)
1月12日(土)(晴/テツプール〜カジランガ Kaziranga :75km)

 8時出発、国道37号線を東へ。今日の目的地はカジランガ国立公園。ここには絶滅寸前のサイ、One-horned Rhinocerosが棲んでいる。残っている野生個体は地球にたった2000頭たらず、そのうちの150頭がここにいる。このサイを見ることが、北東インドに来た目的のひとつ。
 進むにつれて道沿いの林が密になり、少し離れた山に原生林が見え始める。「カジランガ国立公園へようこそ」の看板をいくつか越えていくと、左手に大きな湿地。野生のスイギュウの群がいた。「やっぱ家畜のやつとはぜんっぜん違うなあ、見なよあの角!」なんて思いながら自転車で過ぎようとしたら、その向こうにちょっと白っぽいやつがひとついる。立ち止まって双眼鏡を覗いてみると、これがサイだった。でっかいな〜。背中には、時々アマサギやモリハッカがやって来ては、休んでいる。しばらく見ていたら、子連れだということがわかった。背の低い坊やはママに寄り添いながら、いっしょうけんめい首を伸ばして水面から顔を出していた。暖かい昼下がりの太陽のもと、近くにはハイイロペリカンがプカプカ浮いていて、空にはウオクイワシが飛んでいく。遠くからはトラの声。そんな光景だった。
 もう見るべきものは見てしまったけれど、せっかく来たんだからと思い観光ホテルのドミトリーに入る。ここで思いがけない人に再会。数日前、自転車で走っているときに、スクーターから話しかけてきた男の人だった。彼は野生生物保護のNGO“グリーンソサイエティー”の副会長で、メンバーを連れてここに来ていた。あいにく入れ替わりにチェックアウトだったので、いっしょに昼食をとり、メルアドを交換して、見送った。(写真;“グリーンソサイエティー”のメンバーと。)
1月13日(日)(晴/カジランガ:0km)

 カジランガ国立公園内に入るには、車かゾウに乗らなければならない。一番安い方法は、ジープをハイヤーして相乗りすること。きのうホテルの人に教えられた通り7時半に入園許可事務所へ向かい、同乗者を探す。年配と中年の二組の夫婦と乗ることになったのだけれど、ドライバーが悪かった。ただ車を運転するのが仕事、というサイテー限の職業意識。サイがいるところでちょっと止まるだけで、鳥になんか目もくれないでぶっとばして行く。つまんねぇなぁと思っていたら、園内で双眼鏡をぶら下げたオーストラリア人のレナジーに話しかけられた。もう2週間もここにいる彼は、いいドライバーをキープしているので午後はいっしょに行こう、と誘う。おかげで昼からは、鳥もけものもたっぷり楽しめた。大型哺乳類のいる風景って、なんだかすごく豊かに感じられて、いいよなぁ・・・。
 夜、ドミトリーの同室にイギリス人のポールがチェックインしてきた。彼はテレビドラマの脚本家で、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を知っていた。夕飯を食べながら彼を誘って、明日は朝からいっしょに公園へ行くことになった。ところで、もし「ねじまき鳥」を実在の鳥に当てはめるなら、オジロビタキなんてどうかな、なんてアジアを旅しながら思っている。(写真;ジープに乗って森や草原をゆく。)
1月14日(月)(晴/カジランガ:0km)

 7時前にポールと部屋を出て、駐車場でレナジーと合流。彼専属のドライバーのジープに相乗りして、午前中は公園の西部を回る。違う場所には違う鳥。きのう見てない鳥に次々と会える。たとえ小鳥でも見つけたらいちいち止まってくれるので、しぐさを楽しみながらゆっくりと進んでいける。バードウォッチングが初めてのポールは、すっかりのめりこんでいた。
 午後はきのうと同じ公園中部へ。朝にくらべると鳥は少ないけれど、景色は午後の方がずっときれい。夕暮れ時、水辺でサイやスイギュウ、シカの群が草を食む。かたわらの潅木の枝で実をついばむオオサイチョウのつがい。赤い夕焼けをバックにねぐらへ帰るサギの群が、きれいに水面に写る。知ってる日本語でいちばんぴったり来る表現は、「いとをかし」。(写真;公園内でアルナチャルプラデシュ州からの観光客一行に会った。正装の帽子には、サイチョウ類のくちばしとカザリオウチュウの尾翼、タカの一種の風切り羽を飾る。)
1月15日(火)(晴/カジランガ〜ジョルハット Jorhat :90km)

 カジランガ国立公園は、動物を見て過ごせばいつまでもいられそうなところだ。とはいえ、入園料だのジープのハイヤー代だのでお金がかかるので、もう次の町へ行くことにした。まだ寝ていたポールと自転車を部屋に残し、7時前に歩いて駐車場へ向かう。今日も公園へ行くためにドライバーを待っているレナジーを見つけ、お礼とさよならを言った。カジランガを楽しめたのは、2日前に彼が声を掛けてくれたからだ。朝食をとって部屋へ戻るとポールが起きていた。彼にもさよならを言って9時出発。国道37号線を東へ。きれいなアスファルトの道で、爽快に走れた。
 目的地のジョルハットは空港もある町。大きな街かどうかちょっと心配したけれど、それほど車の混雑もないところでひと安心。とはいえ中心部に近づけば自転車では走りにくくなるので、最初に目に付いたホテルに入った。(写真;毎朝きれいに並べる。ちなみにインドのお菓子はビスケットが主流。)
1月16日(水)(晴/ジョルハット〜マジュリ Majuli:バス+フェリー+バス)

 7時半にホテルを出て、バスとフェリーを乗り継いでマジュリ島へ向かう。川にある島の中では世界最大だというので、まず島そのものを見たかった。それともうひとつ、サトラ Satra というヒンドゥー教の修道院が島の中にたくさんあるので、それがどんなものか見たくて行ってみた。フェリーでスイッと渡って、バスでサトラをひとつかふたつチラッと見て、夜には戻ろうと小さなカバンひとつで出かけた。インドの辺境にある世界最大の島を、ナメていた。
 まずジョルハット側の河原でフェリーを2時間待ち。到着した船はボートと言った方がいい小ささで、そこにこぼれんばかりの人がキャビンの屋根にまでマンサイされていた。自転車やオートバイの他、車も2台積んでいる。よく沈まないよなあ。ちなみに「フェリーターミナル」は、ふかふかの砂の急斜面と、岸と船の間に板を立てかけただけのもの。降りた車は何人もの人に押されて、砂の坂道をヤットコサ上がっていく。大幅に送れて出航した船が島に着いてみると、船着き場からバス停まで延々1キロ以上も砂丘を歩く。今は水位が低いため、いつもの船付き場まで行けないんだそうだ。バス停から村までの道は、砂の河原をゆく。わらを敷いてスタックしないようにしてはいるものの、時々あるアップダウンのところは、バスは勢いをつけて斜面を降り、その惰性で次の坂を登る。
 村に着いてサトラをひとつ見たら、もう帰りのフェリーの時間だ。もちろんあの砂漠の中を行くみたいな道をバスで戻るんだから、もう間に合うわけがない。今日は島に泊まることにして、隣村のサトラへ。すすめられるまま、遠方から来ていた信者といっしょにサトラ内に泊まることになった。そこで見てしまったヒンドゥー教の世界。(写真:夜通し上演されるヒンドゥー教典の劇。)
1月17日(木)(曇、朝と夕方雨/マジュリ〜不明:フェリー+バス+夜行バス)

 劇は朝3時半まで続いていたようだった。眠くて部屋に戻ったので、ラスト2時間は見られなかった。朝方、雨の音を聞いた気がした。起きてみると、本当に雨上がりの曇り空。
 いつ来るか当てにならないバスはあきらめて、フェリーターミナルまで何キロも朝の散歩。小さな船に百人以上がてんこ盛りに乗り込むと、座礁して出航できない。いったんは下ろされたのだけれど、乗務員の指示があいまいなのでちっとも客が動かない。なんとか走り出したものの、しばらく進んでまた座礁。男は降ろされ、岸から船をロープで引っ張ったり、板で船底にテコ入れしたりでもうタイヘン。でも、運動会みたいでわりと楽しかった。
 ジョルハットに戻ってみると、もう午後。今日は日中ずっと曇り空で、夕方にはまた雨。北東インドの「冬」の始まりだ。僕の東へ向かう旅の終わりと、ぴったり重なった。自転車といっしょに夜行バスに乗り、西へ戻る。次に目指す国は、ネパール。(写真:フェリーを降りて、バス停へ向かう乗客。そして村は、遠くに見える林の向こう。) 
1月18日(金)(曇/不明〜グワハティ:夜行バス)

 バスは朝5時にグワハティについた。すぐにホテルへチェックイン。ネパール国境に近い町シリグリはまだまだ遠いので、ここで一拍入れることにしていた。それともうひとつ、“エコ・キャンプ”で知りあった土建屋さん、ムクルとムーンに会いたかった。彼らはグワハティに住んでいる。
 ムクルの携帯に電話をすると、夜、ムーンの経営するバーで飲もうということになった。約束の時間、ムクルの部下がホテルまでスクーターで迎えに来た。建設現場の事務所で忙しそうに指示を出すムクルと会い、車でムーンの店へ。2人とも日本人チャリダーとの再会を大歓迎してくれた。おいしかったタンドリー・マナガツオ。海の魚を食べるのは久しぶりだった。飲んで、食った。
 その夜はホテルへは戻らずに、ムーンの家に泊まった。6階建てマンション2棟のオーナーでもあって、その1階に5人の家族と数人の使用人で住む。帰ったのは夜10時過ぎだったけれど、夕食は家族そろって食べた 。(写真;ムーンのバーにて。カウンターに低く構えるムーンには、裸一貫からのし上がった男の気迫。) 
1月19日(土)(曇時々晴/グワハティ:0km)

 朝、ムーンは愛車のフィアットを使用人に洗わせた。市内の寺へ案内してくれるというので、きれいになった車に乗り込んで出発。丘の上のカマキヤ寺院は、早くから参拝客で混み合っていた。彼が参道を歩くと、次々に知り合いが挨拶に来る。「顔」だった。丘を下りると彼の仕事仲間が車に同乗し、そのまま僕は彼の仕事に付き合うことに。ムーンはマンション、バー、建設会社の他、レストラン、小麦の製粉工場や製氷工場を経営していた。それをチェックして回ることと、レストランで使う食材やお茶の仕入れが仕事だった。寺を見るよりもムーンの仕事を見る方が、僕にはよっぽどおもしろかった。
 いっしょに昼食をとったあと、ホテルまで送ってもらう。もう1泊ここでして、明日の夜行バスでシリグリへ戻ることにした。(写真;カマキヤ寺院の彫刻。腰をちょっとスライドさせているのがキュート。)
1月20日(日)(曇一時雨/グワハティ〜不明:夜行バス)

 チェックアウト時間の12時にホテルを出る。荷物はフロントに預けて商店街を歩いたり、食事をしたり。雨のあとの街はとっても汚い。ゴミと泥がぐじゅぐじゅになって、それを車が跳ね上げていく。
 久しぶりにメールチェックをしてみると、雲南省で会ったフランス人チャリダーのセブから手紙が来ていた。2月には世界一周を終えてフランスへ帰ると聞いていたので、そろそろ北アメリカ大陸を横断し終わる頃かな、と思っていた。ところがメールを読むと、まだベトナムにいるという。「この街にもう3ヶ月もいる。ここで、ガールフレンドができちゃったんだ。 Big Problem!」だってさ。セブ、イカしてるぜ!
 夕方、夜行バスに乗って、西へ。(写真;ブラーマプトラ川ってのは、デカい魚がたっぷり獲れるところみたい。)
1月21日(月)(曇時々晴/不明〜シリグリ:夜行バス)

 バスは朝7時にシリグリについた。ここに来るのは3回目になる。すぐにホテルにチェックイン。本を読んだりして、ゆっくり過ごす。車中では良く眠れたし、すぐにネパールに向かうこともできたんだけれどしなかった。何ていうんだろう、とにかくバスの移動スピードは速すぎる。体だけここへ着いてしまったようで、感覚がついて来ないのだ。天候もだいぶ違う。さいわいなことに、時々晴れ間が見える。明日から西へ向かえば、もっと良くなっていくだろう。(写真;この街には、なぜかサイクルリキシャーがやたら多い。)

探鳥日記 ネパール(カカルビッタ〜ポカラ)