〜アジア横断編〜

探鳥日記 タ イ(ノンカイ〜アユタヤ)

(2001年9月5日〜10月6日)


9月5日(水)(晴/ビエンチャン〜ノンカイ)

 午前中は本当に何もやることがなかった。自転車の整備をしてみたけれど、この街では何一つ欲しいパーツが見つからないので油を差すくらいだ。午後、ビザを受けとってその足で国境へ向かう。国境はメコン川、橋で 越えた。実は橋の入り口を見落として通りすぎてしまったのだけれど、路面がどんどん荒れていくので気づいた。まともなアスファルトは、橋からビエンチャンまでだけらしい。
 そして、タイ王国。最初の町、ノンカイに宿をとった。こんなに僻地なのに、ラオスの首都よりずっと物がある、サービスがある。(写真;国境の橋をバスで渡る。たった1キロなのに、自転車で走らせてもらえない。 )
9月6日(木)(晴のち曇/ノンカイ〜ウドンタニ Udon Thani)

 8時半出発。タイの道路は実に快適。交通量は結構多いけれど、車線が多くて路肩も広い。おまけに地形が平たいので、どんどん進む。田んぼの水牛の背中にオオハッカの群が乗っかっている景色は、なんとも牧歌的だ。
 昼過ぎ、最初の大きな街、ウドンタニに着く。自転車の整備とスペアパーツをこの街で何とかできれば、バンコクへ急ぐ必要はない。ウドンタニ はベトナム戦争の時の米軍の空爆基地で、今も流通の拠点だと聞いた。自転車屋に入ると、期待以上だった。日本と変わらない品数。リアタイヤの スポークを全交換し、ブレーキシューやチューブのスペア、壊してしまった空気入れの代わりも買えた。自転車の調子がいいのは、自分の体調がいいのと同じくらいハッピーになれる。
 ウドンタニの旅社に泊まる。看板の漢字「旅社」は中国人の行商相手に書いてあるのだろう。(写真;欲しいパーツが何でもある!自由経済の幸せ。)
9月7日(金)(晴時々曇/ウドンタニ〜チュムハエ Chumphae)

 きのうこの街で自転車の整備は全部できたし、ビザは60日間。そして 、出発前、インドネシアに送っておいた補給品の関税問題も、実はもう3 000円でカタがついている。自由、だ。こうなったらじっくり走らなきゃもったいない。次の国、マレーシア方面へは向かわずに、西へ行くこと にした。タイ王国最初の王朝、スコータイの遺跡を見たい。
 8時半出発。車の多いハイウェイは避けて、国道2153号線を南西へ 向かう。幹線道路じゃなくても、道はきれいでとても走りやすい。ノンブ アランプー Nong Bualamphuを過ぎ、夕方シーブアンルアン Si Buan Ruang で宿を探すけれど、ない。仕方なく次の町、その次の町と進む。でも、 ない。結局暗くなっても走りつづけるハメになり、走行距離は140キロ。いくら地形が平坦だからって、こりゃやりすぎだ。
 チュムハエの「クイーンズホテル」、中国名「皇后旅社」に泊まる。中国語が通じた。(写真;平たい国の夕日は綺麗。)
9月8日(土)(晴時々曇/チュムハエ〜プークラドゥン Phu Kuradun)

 目が覚めても、だるくて起き上がれない。きのうあんなに走ったからだ。うだうだと準備をして、9時出発。国道12号線を西、途中から201号線に乗り換えて北へ。プークラドゥン国立公園を目指す。この国立公園は、切り株型の山だ。標高1300メートルの山頂がだだっ広いひら地になっていて、そこに泊まることができる。気温は温帯なみ。涼しいところで何日かのんびりできるから、と思って、炎天下の登り坂をこいでいく。
 ところが着いてみると、雨期のため今月いっぱいは登山禁止。おまけに、ふもとに宿泊もできないのだった。あのガイドブック、当てにならない 時もあるなあ。仕方ないので、少し戻って有料テント場に行くつもりだった。明日朝の探鳥の下見のつもりで、少し遊歩道を歩いてから自転車に戻ると、呼ぶ声。ピシットさんという副園長クラスの人だった。彼は、自転車で日本から来た、ということを“Strong Heart”だと言って気に入ってくれて、園内にタダでテントを張らせてくれることになった。少しでも早く休みたかったので、これはうれしかった。とはいえ、明るいうちから眠るのももったいない気がして、前タイヤとチェーンを新品に交換。(写真;深〜い霧のプークラドゥン山。そりゃ、登山禁止だわ。)
9月9日(日)(雨のち曇/プークラダン〜プーパマン Phu Pa Man)

 深夜3時から雨が降り始めたので、テントを屋根のある休憩所に移動した。寝なおして7時起床、雨はひどくなっていた。ピシットさんの厚意に甘え過ぎるわけにはいかないので、連泊はしたくない。テントをたたんで出る用意を済ませてから、小雨の中を散歩しながら晴れ間を待つ。池のほとりの林にはタカサゴダカがいた。こちらが近づくと、その分ちょっと飛んで間合いを取るだけで、あんまり怖がらない。ミドリオタイヨウチョウやマミジロキビタキなどもいたけれど、人工池とそのまわりの林に鳥は少ない。
 昼過ぎに出発。国道201号線を南に少し戻ってから、西へ折れてダート道。プーパマン国立公園に入る。テントを張って、さて晩ご飯、と思ったら食堂がなかった。ネムリンさんというやたらフレンドリーな公園の 職員に教えてもらって、さらに奥の村へ。小さな食料品店しかなくて、まともな食事はできなかった。夜、微熱が出た。2日前に無理したせいで、やっぱり、という感じ。(写真;プーパマン国立公園。)
9月10日(月)(朝と夕方雨、日中晴/プーパマン)

 朝、ネムリンさんが「山へ登ろう」とテントまで迎えに来てくれた。熱は引いていたけれど、疲れがたまっているので明日にすると断った。近くの村へ朝ご飯を食べに行くと、店先にたくさん人が集まっていた。何だろうと思っていたら、しばらくしてマラリアの採血検査の人たちが来た。定期的に無料でしてくれるそうだ。
 午後、また微熱が出た。まともな物を食べてないせいか、なかなか回復 しない。国立公園内にテント泊。(写真;村の子供たちと滝へ。)
9月11日(火)(晴のち曇/プーパマン)

 すっきりと目が覚めた。天気もいい。タカの声がするのでテントから出 てみると、タカサゴダカの親子が付いたり離れたりしながら飛んでいた。 そのせいでインドブッポウソウとシマキンパラの群が、警戒して時々騒ぐ。
 近くの村へ朝食を食べに行くと、きのう知りあったヘイマン君が山へ行こうと絶壁を指差す。マラリアになるから長袖で、と言われたので、出直して9時半出発。初め彼の犬もついてきていたけれど、道は険しくなって犬は帰り、やぶこぎ、浮き石の尾根を歩いて、標高500メートルほどのピークを2つ踏んだ。広々とした景色を眺めながら休んでいると、ミナミツミが浮いてきた。下りは竹林のゆるい斜面を通って、そのまま山の反対側の国立公園へ。テント3泊目。(写真;へイマン君と、彼の住む村。)
9月12日(水)(雨のち晴/プークラドゥン〜コーンサン Khon San)

 朝から雨だった。やむのを待って、9時から遊歩道を歩く。ズグロヒヨドリとムナフハナドリは混群になって、樹冠でにぎやかだ。ムナオビオウギビタキはフィリピン以来。あいかわらず忙しそうにしている。ノドアカヒメアオヒタキはこちらがじっとしていると、むこうから近づいてくる。
 昼過ぎに公園を出発。南下して国道12号線に出てから、西へ折れる。道沿いに飛ぶのは、キンメセンニュウチメドリ。クロノビタキ、これもフィリピン以来かな。
 コーンサンのゲストハウスに泊まる。(写真;インドブッポウソウ。トイレの屋根。)
9月13日(木)(晴のち曇/コーンサン〜ナムナオ Nam Nao)

 8時半出発。国道12号線を西へ。平坦な道はスロープになり、登り坂になっていく。道沿いの木では、セアカハナドリがさえずっていた。黒っぽくてちっちゃな鳥で、頭のてっぺんから腰までが、真っ赤な太い帯になっている。午後、ナムナオ国立公園に入る。ビジターセンターに着くと、 オランダ人のツアー客が、ちょうどトレッキングに行くところだった。公 園のガイドさんが僕を紹介してくれて、いっしょに歩くことに。モモアカヒメハヤブサがいて、キタカササギサイチョウが飛んで、ゾウの鳴き声が聞こえた。
 夕飯を食べに食堂へ行く途中、校外学習で来ていた女子高生に声をかけられた。外人が珍しい盛り、といった感じで、かわるがわる英語で話しかけてきたり、いっしょに写真を撮ったりで、いちいち歓声を上げて大騒ぎだ。結局食後に彼女たちのバンガローへ遊びに行くことになった。行ってみると4クラス分の生徒と先生、みんなすぐに受け入れてくれた。急遽「日本人と話そう!」の時間になって生徒たちとおしゃべりをし、先生たちとお酒を飲んで、遅くまで楽しんだ。テントへ帰る途中、すっかり酔っ払った昼間のオランダ人と合流。ウイスキーのビンを“回しラッパ飲み”しながら歩くのだった。あしたは5時前に起きなきゃならないのに。だって、高校生と日の出を見に行く約束をしてしまったのだ。(写真;女子高生は、とにかく元気であっかるいのだ。)
9月14日(金)(曇時々晴、午後スコール/ナムナオ)

 約束通り、まだ暗いうちに高校生のバンガローへ。先生の運転する車に 乗り込む。車はトヨタ、トラック型の4駆で、生徒を荷台に満載して出発 。少し離れた展望所、車を置いて丘を登ると、一面の原生林を見下ろす壮 観だった。火の見やぐらみたいな見晴らし台に、生徒が大騒ぎしながら登っていく。そして日の出。シルエットの森が少しずつ緑に色づいてゆく。ゾウやトラやヒョウの棲むこんなに綺麗な自然を、当たり前のこととして見て育つなんて、タイの高校生がうらやましかった。
 いったんテントに戻ったあと、遊歩道を歩いた。樹上で、ヒグラシの声を力強くしたように鳴くのはコガネゲラ。真っ赤に染めた髪をモヒカンカットにしたような頭の、でっかいキツツキだ。もうひとつのハデなやつはキエリアオゲラ。こっちは後頭部の黄色い毛ががツンツンに逆立っている。オウチュウも2種類いて、カザリオウチュウとヒメカザリオウチュウ。しっぽから2本、長ーい軸が伸びていて、先っぽに羽根を1枚ずつちょんちょんとつけて「飾る」。カザリオウチュウの方は頭をリーゼントにしている。その他、やぶにはミヤマヒメアオヒタキ、ハイガシラヒタキ、タテジマクモカリドリ、ノドジロオウギビタキなどがいた。遊歩道が長いので、いろんなところでいろんな鳥を見ることになる。
 午後いちどスコールがあったけれど、天気はわりと落着いていた。公園内にテント泊、2日目。(写真;原生林から立ちのぼるガスの向こう、朝陽が昇る。) 
9月15日(土)(晴時々曇/ナムナオ〜ロムサック Lom Sak)

 快晴だ。6時から公園内を歩き始める。朝っぱらから「ゲーン!ゲーン!」と大声で鳴いているのはヘキサン、黄緑色のカササギ類。ノドジロガビチョウも大音響で「フィーフィーフィー、ポパーポパーポパー」とか、いろんな鳴き方を谷に響かせる。今朝、はじめに出会った混群には、キビタイコノハドリ、コサメビタキ、マミジロキビタキ、ビロウドゴジュウカラ、ヒタキサンショウクイが入っていた。枯れ木のてっぺんに、ムネアカゴシキドリがちょこんと止まっていたりする。
 鳥を探していると、バンコクから来た探鳥会のグループに会った。見やすい場所は決まっているので同じルートを歩くことになり、何度も出会ったり、別れたりした。僕は日本で鳥関係の会には何一つ入っていなかったので、実はこのとき初めて探鳥会というものを見た。少し離れた所から見ていると、彼らの入っていった林から、次々に鳥が飛びだしてくる。大勢で乗り込んで行くんだから、当たり前といえばそうだけれど、ありゃ講師の人、たいへんだなあ。
 食堂で昼食を食べてから、公園をあとにする。国道12号線を西へ向かい、夕方、ロムサックに到着。ゲストハウスに泊まる。(写真;白黒の長い尾羽がチャーミングな、コシアカシキチョウ。)
9月16日(日)(晴/ロムサック)

 ニューヨークの航空機テロ。きのうのブッシュ大統領の報復措置の表明。ナムナオで高校の先生たちとも話したけれど、近々大きな戦争になるかもしれない。タイは仏教国だし、国立公園を自転車で回って鳥を見ているぶんには、アメリカべったりの国、日本にいるよりはずっと安全だろう。けど、この先どうなるのか気になる。新聞はタイ語で読めないから、ちゃんとした情報源はインターネットくらいだ。少し様子を見るために、ネットカフェのあるこの街にもう1日いることにした。
 朝から晩まで、いい天気。雨が降らないどころか、一日中快晴だった。雨期の終わりはもう近いみたいだ。きのうと同じゲストハウスに連泊。(写真;夕方の町。食べ物の屋台が並ぶ。)
9月17日(月)(晴、夜雨/ロムサック〜ピトゥサヌローク Phitsanulok ;130km)

 8時半出発。国道12号線を西へ。なだらかな山を越え、もうひとつ登ると、今日の目的地のトゥンサラエンルアン Thung Salaeng Luang 国立公園についた。ここで2、3日鳥を見るつもりだった。ところがビジターセンターのある公園の北側部分には、見るべきものはなんにもないのだった。いいところは全部、ここから60キロ南東へ行ったノンマエナ Nong Mae Na から入っていくようになっている。だったら向こうにビジターセンターをつくりゃあいいのにさ・・・と思いながら、さて、これからどうしようかと考える。パンフレットを読むと、ますますこの国立公園をトレッキングしたくなってきた。でも、ノンマエナに行くには、今越えてきた山をもどらなければならない。それは精神衛生上、よくないだろ。ベストシーズンは来月からだというので、ここは後回しにして、先に世界遺産のあるスコータイへ向かうことにした。休憩中に、とりあえずチャバネサシバ
 ピトゥサヌロークに着く前に日が暮れてしまった。こんなことなら、「ピトゥサヌロークに行くんなら乗ってくかい?」と声をかけてくれた在住パキスタン人の四駆に、乗っときゃよかった。ホテルに泊まる。(写真;トゥン サラエン ルアン国立公園。ニットの帽子は、炎天下で働く労働者の定番。)
9月18日(火)(晴、夜雨/ピトゥサヌローク〜スコータイ Sukhothai ;60km)

 8時半出発。国道12号線を西へ。今日のルートは平坦で短いので、のんびり行けばいいや、と思っていたら、快晴になってものすごい暑さ。こんなことなら、少し前に「スコータイに行くんなら乗ってかない?」と声をかけてくれた3人組の女の子の四駆に、乗っときゃよかった。あれ? きのうも同じようなことがあったような・・・。
 午後、川沿いのゲストハウスに入った。庭先のレストランの、スレート屋根の下にいても暑い。もう良く冷えたビールを飲むこと以外に、やるべきことは考えられなかった。(写真;宿の庭先に来たミミジロヒヨドリ。)
9月19日(水)(朝方曇、のち晴、夜大雨/スコータイ;30km)

 起きた時の曇空は、すぐに青空にかわった。荷物は宿に置いたまま、自転車でスコータイ歴史公園へ。小一時間で、七百年前の遺跡が残された世界遺産に着く。芝や樹が良く管理された綺麗な公園だった。あざやかな緑の中に、すすけたレンガ色の仏舎利塔が静かにそびえている。石造りの建物の表面は、もうずいぶん時間に削られてしまっているけれど、時々残っている彫刻は繊細だ。とはいっても、“ソーゴン”とか“ケンラン”とかいう印象だけではなくて、レリーフのお坊さんの足が短かったり、コミカルなかわいらしさがある。
 行ってみてわかったんだけれど、公園内は鳥が見やすかった。林がすいていて鳥が人慣れしているので、仕草や表情がよく観察できる。いちばん多いのはキバラタイヨウチョウ。ネムノキみたいな樹の花の蜜を吸うのだけれど、すっかり開いてしまった花だけじゃなくて、膨らみかけのつぼみに、もう細い嘴を突っ込んでいる。黄色い顔のスズメ、セアカスズメは大木の枝先の巣に出入りしていた。「ちりちりちりちり・・・」という鳴き声が、記憶の底をつついた。オジロビタキだった。数年前の冬、愛知県に来たやつだ。
 きのうと同じゲストハウスに連泊。(写真;巨大な仏さんは、どれもバツグンに姿勢がいい。そのまま空へ飛び立って行きそう。)
9月20日(木)(晴時々曇/スコータイ〜ターク Tak ;95km)

 8時半出発。国道12号線を西へ。まわりには水田が広がる。道沿いに時々小さな池があり、アオショウビンが飛び立ってスカイブルーの鮮やかな翼を開く。草地につながれているのはコブ牛ばかりで、水牛はほとんど 見なくなった。背中に乗るオオハッカは、どちらでも構わないみたいだ。
 午後、タークに着いた。街から少し離れたゲストハウスに泊まる。(写真;小さな街の朝。)  
9月21日(金)(晴のち雨のち晴/ターク〜タクシンマハラット Taksin Maharat ;35km)

 8時出発。南へ折れる国道12号線から逸れ、105号線に乗り換えて今日も西、ミャンマー国境に近いメーソット Mae sot 方面へ。ゆき先はタクシンマハラット国立公園。山を一つ登ったところだから、すぐだな、というのは甘い考えだった。道はいいけれど、自転車を押して進む急坂の連続で、たった35kmに半日かかってしまった。ビジターセンターについて標高が1000メートルとわかり、そりゃ大変だわと納得。ちなみにこの105号線は、イスタンブールからシンガポールを結ぶ「パン‐アジアンハイウェイ」の一部・・・なんだけれど、とりあえずミャンマーが陸路越えを封鎖しているので、タイから西へは進めない。走れたら楽しそうなのになぁ。
 公園に着く少し前から雨と霧。夕方晴れてから鳥を見ていると、バンコクの高校の先生に声をかけられた。ミーティングという名の慰安旅行らしい。ガーデンパーティーに誘われたので気安く行ってみたら、メンバーは100人近かった。いきなりのマイク自己紹介から、食って飲んで、カラオケ大会。スキヤキを歌えと言われて「上を向いて歩こう」を歌い、なんか英語の歌を歌えと言われて「Hotel California」を歌った。自転車で走っているときにはよく何か口ずさんでいるけれど、人前で歌うのは爽快な気分になれる。
 公園内にテント泊。(写真;高校の先生たち。良く飲み、良く歌う。)
9月22日(土)(曇、昼前から雨と霧、午後晴れ間/タクシンマハラット ;0km)

 すごい霧。鳥なんて見えやしないなあと思いながら園内の道路を散歩。昼前には雨が降り始め、消えかかっていた霧が濃くなる。午後3時にやっと晴間が見えたので、谷底の遊歩道を歩いた。竹林にはノドジロヒタキがたくさんいて、体を左右に揺らしながら翼をふるえさせてさえずる。その仕草がかわいい。ルリコノハドリは後から見ると、羽先と尾先と顔が黒くて、あとは深い瑠璃色の綺麗なツートーン。枯木の上の方に群でいた。テントに戻るともう夕方5時をまわっていたので、ここに連泊することにした。
 夜はまた、バンコクの先生たちと飲んでカラオケ。たった2日間のつきあいだったけれど、話したり歌ったりするうちに、少しずつその集団に受け入れられていく感じは、悪くない。(写真;タクシンマハラット国立公園。でっけえ木だなあ。)
9月23日(日)(晴のち曇、夜雨/タクシンマハラット〜カンペーンペット Kamphaeng Phet ;110km)

 9時過ぎ出発。105号線を東へ戻る。十数キロも続く下り坂、トラックを追い越しながら一気に下りていく快感。路肩に車にはねられたオニカッコウが落ちていた。午前中には、2日前に泊まったタークの街へ。暑い 時間をクーラーの効いたインターネットカフェで過ごした。雲が広がってから再出発、国道1号線を南下する。まっ平らな水田地帯の中の、広ーいまっすぐな道。
 夕暮れ時に、カンペーンペットに到着。安ホテルに泊まる。(写真;ローカルなお祭りをやっていて、大混雑。)
9月24日(月)(晴、時々スコール/カンペーンペット〜ピチット Pichit ;90km)

 10時出発。交通量の多い国道1号線を避けて、115号線で東へ向かう。南東にあるカオヤイ国立公園に行くにはちょっと遠回りになるけれど、気持ち良く走れるほうがいい。田園の中を走る一本道、もちろん護岸工事されていない小川がはりめぐらされて豊潤。湿地やハス池、こんもりした林もある。そのせいで鳥の数が多い。このあたりの「電線の鳥」は、アオショウビン、ハイイロモリツバメチョウショウバト、コシジロヒヨドリ、インドブッポウソウ、ベニバト、タカサゴモズ、アカモズ、オウチュウ、インドハッカ、ホオジロムクドリ、オオハッカなどなど。もうどれも見慣れた鳥だけれど、中国南部やフィリピンルソン島の似たような所にいた鳥と比べると、ぴったり同じ種類がいる一方で、似た別の種に入れ替わっていたりするのもいて、そのとりあわせが新しい。
 ピチットの街はずれの旅社に泊まる。(写真;夕暮れ時、街が見たこともない色に染まることがある。)
9月25日(火)(曇時々小雨、のち晴/ピチット〜ノンブア Nong Bua ;105km)

 8時半出発。1118号線で南下。まっ平らな水田地帯、数十キロごとにしか町はない。路肩の草地にはイエスズメがいたかと思えば、スズメもいた。刈り取り後の田んぼには、インドトサカゲリの成鳥と若鳥。親子か な。
 国道11号線に乗り換えて、ノンブアへ。宿があるかどうか前もって知らなかったけれど、着いてみるとセブンイレブンがあったので一安心。セブレブがあって宿がなかったことは、今まで一度もない。思った通り、バンガローがあった・・・けれど、町に一軒しかない宿が1泊900円もするなんて、ひどい。(写真;広い国道の路肩には、数キロごとに休憩所がある。もしかしたらバス停かも知れない。炎天やスコールの時間を、ここで過ごす。)
9月26日(水)(晴、昼過ぎスコール/ノンブア〜タークファ Tak Fa ;65km)

 9時半過ぎ出発、国道11号線を南下。首都バンコクから200キロほどのところにある二桁番号の国道なのに、交通量は少ない。時々路肩に段差があるけれど、車道はきれいなアスファルト。地形は平たいし、タイはチャリダーにはうれしい国だ。
 午後、タークファに着いた。まだ時刻は早かったけれど、宿がありそうな次の町は遠いのでここに泊まることにした。小さな商店街でたずねると、バンガローで1泊750円とのこと。高い!2日も連続で、そんなに払いたくはない。もっと安いところはないですかと聞くと、ある店のおかみさんが裏の空き地にテント泊してもいいよ、という。で、いったんはテントに落ち着いた。しばらくすると別の人が来て、このところ夜大雨が続いているからと言って、近くにある肉体労働者の長屋に話をつけてくれ、空き部屋に泊まれることに。あそこの家にドラッグやってるのがひとりいるから、それだけ気をつけてねと、“ご近所情報”までくれた。みなさまに感謝。(写真;夕食はいつも屋台。メニューから料理を選ぶように、街角から屋台を選ぶ。)
9月27日(木)(晴、午後と夜スコール/タークファ〜ロッブリ Lopbri ;90km)

 7時に出発したものの、商店街の人たちに宿のお礼を言いに行って話しこんでしまい、8時半。国道1号線を南へ下る。道沿いには時々小さな町があるけれど、交通量は思ったほど多くない。
 午後3時にはロッブリのホテルに入った。しばらくして激しいスコール、やんでから街を歩く。ロッブリには最初のタイ王国スコータイ朝よりもっと古い、クメール人のアンコール Angkor 帝国の遺跡が残っている・・・けれど、街中に点在する仏閣は、押し寄せる車やカラフルな看板に霞んでいた。(写真;12世紀の遺跡なんて、もう土に帰ろうとしている。)
9月28日(金)(晴時々曇/ロッブリ〜サラブリ Saraburi ;65km)

 朝はインターネットカフェで過ごした。アメリカのテロ事件は、いきなり大戦になるような様子じゃない。この先、アメリカの空爆、イスラムテロの逆報復、また空爆、・・・になっていくんだろうか。CIAもまた暗 殺作戦を始めるみたいだ。
 9時過ぎ出発で、南へ。そろそろバンコクまで100キロくらい、交通量はどんどん増えていく。夕方、サラブリに到着。旅行者にとってはなんにもおもしろいものはない、ただの街。バスターミナル近くのホテルに泊 まる。(写真;日陰が、ない。)
9月29日(土)(曇時々晴、午後スコール/サラブリ〜パクチョン Pak Chong;70km)

 8時半出発。カオヤイ国立公園には北側から入ることにして、国道2号線で北東へ。8車線もあるハイウェイだ。こんな道はどこの国でもおんなじ雰囲気、車窓から投げ捨てられた空き缶、不法投棄のごみの山、野犬、高速で走り抜けていく大型車の、風切り音とタイヤの摩擦音。いやなものを感じつづけていると、耳や目や鼻の感覚が少しずつ閉ざされていく。こりゃもうサイクリングではなくて、ただの移動だ。そしていつのまにか気持ちは疲れ、体が消耗している。
 一気に国立公園に入るつもりだったけれど、パクチョン止まりにした。ゲストハウスに宿泊。(写真;なぜか、宿の犬が街へついてきた。本屋やインターネットカフェに入ると、入り口にちょこんと座っていつまでも待っていてくれる。)
9月30日(日)(晴/パクチョン〜カオヤイ khao Yai;45km)

 8時半出発。もう間近のカオヤイ国立公園へ向けて南下。なだらかな登りを進むと高原の雰囲気で、山小屋風のゲストハウスが道沿いに並ぶ。ドアの前には、エコツアーのコマーシャル。公園内に入るとアップダウンが激しくなったけれど、昼にはビジターセンターに着いた。地図を買い、バンガローに入って、さてどう歩こうかとベンチで考えているうちに眠り込んだ。涼しくなった夕方、宿に近い遊歩道を歩く。とにかくシカが多い。こんなにいれば、そりゃトラも食って行けるわ。
 園内のバンガローに泊まる。夜は同室の中国人バックパッカー、タイ人の大学生と飲み会。(写真;レストランの裏をオオトカゲが歩いている日常。)
10月1日(月)(晴、午後一時雨/カオヤイ;8km)

 朝から良く晴れている。暦の上では今日から乾季だ。7時に出発。公園はかなり広いので、遊歩道の入り口まで自転車で数キロを走っていく。ビジターセンターの北の野生動物観察塔があるところから歩き始める。ハシブトアオバトが高い梢で群れていた。途中、タイの高校生とプエルトリコ人の大学生のグループに会った。ガイドの人をつけていて、これからキアカエウ山へ行くという。自転車では無理だろうと思っていた場所だったので、合流させてもらってトラックに便乗した。未舗装の山道を登りながら、景色のいいポイントを回るドライブ。広大な原生林の谷の上を、カザノワシ?がゆっくりと滑翔していった。午後はみんなで滝つぼに泳ぎに行った。
 園内のバンガローに2泊目。(写真;カオヤイ国立公園。熱帯サバンナ。)
10月2日(火)(早朝雨、晴時々曇/カオヤイ ;9km)

 7時にバンガローを出発。きのうと同じ入り口から遊歩道に入る。良く茂った熱帯雨林の中の道、キタカササギサイチョウ、クリチャゲラ、ヒメアオゲラ、カザリショウビンがいっしょになった群。熱帯の鳥の混群とはそういうものなんだろうけれどサイチョウ類とキツツキ類とカワセミ類がいっしょにいる。ふうん。
 さらに奥へ歩いていくとニシキヘビがいた。遊歩道をまたいで寝そべっているその体の、色と艶。ゆっくりと森へ帰っていくヘビに、ちょっといたずらしてしっぽをつかまえてみた。むこうは倒木や下生えに巻きついて体を縮め、すごい力で引きよせる。あの手応えは忘れられない。
 園内のバンガローに3泊目。(写真;倒木と見間違えて、思わず踏んづけそうになった。)
10月3日(水)(晴、日中スコール/カオヤイ;8km)

 7時出発。今日も“北の観察塔”から歩き始める。昼前には草原と熱帯雨林を抜けるルートを一本終えた。シワコブサイチョウを近くで見られてよかったな、と思いながら自転車まで戻る途中に、突然のスコール。夕方や朝方に大雨になることはあっても、日中にはあまり降らない。珍しいこともあるもんだと駐車場にたどりつき、小屋の軒先で雨宿り。その十分後、ほとんど奇跡と呼べることが起こった。ずぶ濡れのヨーロッパ人の女の子がひとり、ふたりと遊歩道からピックアップトラックへ帰ってくる。ツアー客なんだろうなと思いながら何気なく眺めていた。そして最後に日本人男性がひとり、車の方には向かわずに、にこやかにこちらに近づいてくる。あれ?見覚えが・・・・あっ、ねちお!!えぇー!?来てたの!?
 こんな偶然があるだろうか。ねちおが「9月下旬」にタイの国立公園へ来るかもしれないとは聞いていた。けれど、80以上もある国立公園のうちのどこかは知らなかったし、もう10月に入ってる。まさか、今、カオ ヤイに来ているとは思わなかった。こちらの居場所も、ホームページ公開が1ヵ月遅れで進んでいるので、むこうにわかるはずもない。だいいちこのだだっ広い公園の中、いることがわかってたって会えるもんじゃない。もし雨が降らなかったら、僕はさっさと午後のルートへ移動していたはず。それをほんの少し足止めされためぐり合わせ。僕と自転車は一行に合流させてもらい、トラックの荷台に乗ってレストランへ。久しぶりに日本語を話しながらの昼食。もう1ヵ月近くタイにいるけれど、会った日本人はたった2人。そのひとりが良く知った友達だなんて。食後、バンコクへ帰るねちおを、まだちょっと不思議な気持ちで見送った。元気で!またいつか、どこかで!
 公園内のバンガローに4泊目。(写真;ふつーこんなとこで会えるかぁ?)
10月4日(木)(晴のち曇、時々雨/カオヤイ〜ノンカエ Nong Khae;125km)

 7時出発、荷物を満載した自転車で公園を後にする。北から登ってきた山を、南側へ下りる。アサクラサンショウクイの群がこずえで飛び回ってはさえずり、その下生えではムナフムシクイチメドリの群が鳴く。原生林の中の道をぐんぐん下って、国立公園の出口まで30キロあった。田んぼの広がる高原から国道33号線に出て、西へ向かう。1号線に乗りかえると車の波。
 ノンカエのホテルに泊まる。(写真;コブラ注意。)
10月5日(金)(晴のち曇/ノンカエ〜アユタヤ Ayuthaya;45km)

 8時半出発。良く晴れて暑かったけれど、今日の目的地は近いので一気に走りきる。昼過ぎにはアユタヤのゲストハウスに入った。この街は15世紀、アユタヤ朝の首都だったところ。さてどういうルートで遺跡を見て回ろうか、と考えながら昼飯を食べていると、オーというはたち過ぎの男の子に声をかけられた。寺に行くならいっしょにいこう、と誘う。ここに越してきてまだ間もないの彼も、行ったことのない所が多いという。それなら、ということで50ccオートバイにタンデムして街の西部へ。
 遺跡はデカかった。残っているだけでも、かなりの規模。こりゃ当時はダイトカイだったろうな。建物の配置やバランスが良くて、角度を変えて見ても綺麗にキマる整然。寺の裏の林には、コサンショウクイがいた。暗くなるまでダンキンドーナッツで時間をつぶしてからもう一度出かけ、ライトアップされるのを見に行った。日本人の女の子たちが、幻想的に照らしだされた世界遺産をバックに写真を撮ってもらっている。近づいていって値段を見ると、なんと、1枚900円。オーと僕は「うわっ、高っ!!」と顔を見合わせて、逃げるようにその場を立ち去るのだった。そのあと古風な町を抜け出し、盛り場へ飲みに行った。(写真;ライブハウスは夜がふけるとショウパブになり、タイ語はわからないけれど、しぐさで笑わせる。)

探鳥日記 タイ(バンコク〜タッバン)