〜アジア横断編〜

探鳥日記 ネパール(ポカラ〜マヘンドラナガー) 

(2002年3月9日〜3月20日)


3月9日(土) (晴/ポカラ〜ワーリン Waling :65km)

 9時半出発。自転車で進むの、いったい何日ぶり、いや何週間ぶりだろう。シッダールタ Siddhartha ・ハイウェイで南西へ。ポカラで会ったチャリダーのワタセ君から聞いた通り、車の少ない山越えの道。ミミハゲワシとシロエリハゲワシがふらふらと空に浮いている谷を、尾根を巻きながら登っていく。遠くまで響く高い声で「ピクルゥーゥ、ピクルゥーゥ、ピクルゥーゥ、・・・・」と延々とさえずる鳥。中国の雲南省で初めて聞いてから、時々耳にするのにずうっとわからなかった声の主。それを今日、とうとう見た。オオゴシキドリだったんだ。単調な音を繰り返しているところ、たしかにゴシキドリ類らしいよなぁ。
 朝食をとった食堂の人から、シルバリ Sirubari はマオイストがたくさんいるから泊まっちゃいけないと教えられていた。すぐ手前の小さな村でもう一度確かめてみても同じだったので素通り。大丈夫だと聞いた次の町、ワーリンのホテルに入る。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月10日(日) (晴/ワーリン〜ブトワル Butwal :85km)

 7時半過ぎに出発。初めは下りで、間もなくカリガンダキ川の谷底へ。これできのうから続いていたひと山を越えた。橋を渡って、もう一山に取りかかる。それを越えたら南部の平地だ。ところがここで、自転車にトラブル発生! リアギアのチェンジャーが動かない。これ、タイ南部の時のとおんなじだ。ワイヤーを一度外さないといけないから、直すの時間かかるぞ。そのうえ今回は、ネジがひとつ抜けてなくなってる。仕方ない、ここはだましだまし行こうと決めて、リアギアを軽い方に固定した。フロントギアだけしか使えないので3段変速だけれど、ま、なんとかなるだろ。
 タンセン Tansen の少し手前の村で遅めの昼食。あれだけ登ったんだ、標高1000メートル以上あるはず。なのに、すごい暑さ。ふたたび走り出すとすぐに峠だった。リアギアを今度は重い方に固定し直して、爽快に下っていく。下りきったところの街がブトワル。ホテルにチェックインしてから、騒がしい街を歩く。サイクルリキシャーの波がベルをかき鳴らしながら走り抜け、オートバイと大型車が砂ぼこりを上げてロータリーを回る。その道沿いには果物やファストフードの屋台がずらりと並び、色が黒くて彫りの深い顔立ちの女性が店に立つ。ここ、インドだ。インドが押し寄せてきてる。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月11日(月) (晴/ブトワル〜ゴルシンジ Gorusinge 付近:65km(うち20km迷走))

 暑いところには蚊が多いのである。早朝、かとり線香が終わった瞬間に一斉攻撃をしかけられた。そのせいで5時に目が覚めてしまった。眠いながら、自転車の故障をなんとかしようといじってみるけれど、薄暗いうえに十分な広さがないのでやりにくいこと。もういいや、もうちょっとやりやすい宿に当たるまで、ほっとこう。
 たぶんここがネパール最後の大きな街になるので、朝インターネットショップでメールチェックなどしておく。そして9時出発。マヘンドラ・ハイウェイを西へ・・・のつもりが、入り口を見過ごして10キロもオーバ ーラン。なんと泊まったホテルのすぐ近くのロータリーがそれ。ネパール東部では二車線路肩つきだったマヘンドラは、ここまで来ると中央線も路肩もない道になっていたのだった。
 道が狭いぶん、交通量も少なめで走りやすい。けれど、日差しは東南アジアにいた頃を思い出させるくらい強烈だ。昼過ぎには、もう今日はやーめたっ、と小さな町のホテルに入った。すぐ横が警察署なのがちょっと不安だ。とはいえ、そちら側に窓はないので、マオイストと警察が銃撃戦になっても流れ弾は入ってこないだろう。なあんて思ってたら、夜遅く、警察官が部屋まで荷物チェックに来た。見慣れないのが泊まってると聞きゃ、そりゃ向こうも不安だろなぁ。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月12日(火) (晴/ゴルシンジ付近〜ラマヒ Lamahi ;80km)

 9時出発。マヘンドラ・ハイウェイで西へ行ったり北に進んだり。街路樹や田んぼにインドハゲワシベンガルハゲワシの混じった群が降りていた。デカい鳥だこと。野良犬が群の中に入って行っても、素知らぬ顔で落着いたもんだ。こいつら見てると、恐竜を思い出すよなぁ・・・って、あたりまえか。だって鳥類って、分類学上の大きなくくりで見たら、恐竜の仲間に入るんだもんな。
 バガワンプール Bhagawanpur からは山道だった。はっ・・、はっ・・、はっ・・、と息でリズムをとりながら、立ちこぎで坂を登り汗をかく。そして次の谷を渡る橋まで、乾いた風を受けて下っていく。これが快楽!アップダウンを何度か繰り返すと、ゆったりしたラプティ川に出た。長い橋を渡ったあとはまた、まっ平 らな平野のまっすぐな道。
 ラマヒのホテルに入る。水シャワーで体の熱を冷まし、洗濯物をかたづけてから、こんな暑い日はキュッと冷えたビール。 (写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月13日(水) (晴/ラマヒ〜コハルプール Kohalpur;55+55(ヒッチハイク)km)

 8時半出発。西へ。緩やかな尾根越えを何度も繰り返す道。電線でさえずる小さなクロノビタキや二羽で飛ぶアオショウビンを横目に、森の茂った丘を越えてゆく。
 昼過ぎから強い向かい風になった。木の枝はしなり、巻きあがった砂が正面から走ってくる。この調子だと、次の町クスム Kusum に泊まることになるかも・・・と思いながら着いてみると、戸数たった20ほどの小さな村だった。家はみんなワラと土造り。そのなかの「ホテル」とさびた看板を出している民家へ。部屋を見せてもらったら、良く言って“ねぐら”だった。衛生面はともかく、いくらなんでもこれじゃ安全性に問題がある。かといってこの風だと、次の町には明るいうちに着けるかどうか。ここはヒッチハイクだな・・・と、大型トラックを止めて「コハルプールまで」。一台目が乗っけてくれた。途中、軍のチェックを受け たり、ハエが何十匹も飛び交う茶屋で一休みしたりしながらのドライブ。夕方ホテルの前で降ろしてもらった。店先で居眠りしている宿の親父を起こして、「日本人だ、泊めてやってくれ」と頼んでくれた親切な運ちゃん。ありがとう! (写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月14日(木) (晴/コハルプール〜タクルドゥワラ Thakurdwara ;75km)

 西風は季節風だから、今日も昼頃から吹くだろう・・・とわかっちゃいても、早起きできるほどキンベンな性格じゃない。9時半過ぎ出発。マヘンドラ・ハイウェイの交通量はもう全く気にならないほどに減っていて快適。十分に一度バスが通るかどうか、というところだ。昼前からやっぱり西風が吹いたけれど、道が北西へ向かっていたのでたいして邪魔にならない。ただ、目頭がイネ科の花粉を感じている。ときどき麦畑があるから、原因はそれだろう。
 アンバサ Ambassa から南へ折れ、未舗装の道を十キロあまり立ちこぎで進むとロイヤルバルディア国立公園。道行く人に尋ねながら、モーハンという人を探す。アンナプルナトレッキング中に、ガンドラックのナビンから紹介されていた人物だ。ちょうど仕事帰りのモーハンに会い、そのまま彼がサイドビジネスで経営するコテージへチェックイン。ガイドのラムGとボーイのケショップが迎えてくれる。今日も暑い一日だった。 (写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月15日(金) (晴/タクルドゥワラ:0km)

 もうひとつ体調が乗らなかったので、国立公園内に鳥見には行かずに、ビジターセンターなど回ってゆっくり過ごした。ここ、静かな村だ。たぶん電気が通ってないのがいいんだろう。家からもれてくるラジオやテレビの音というのは、もとは人の声のはずなのに電子音のような不快さがある。
 夜、微熱が出た。このところイネ科花粉症の症状も出てるし、ま、いつも通りの疲れだろうと思って、薬を飲んで寝た。ところが深夜、ひどい悪寒で目が覚めた。全身がガクガクと震えてじっとしていられない。これはただごとじゃないと思って熱を計ると、なんと39.7度、人生最高記録をマーク! とりあえず“熱さまシート”をペタリと額に貼りつけ、水をガブ飲みしてトイレに通ううち、37度台まで落ちた。あとは眠るしかなかった。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月16日(土) (晴/タクルドゥワラ〜ネパールガンジュ Nepalgunj :バス)

 目が覚めると微熱に戻っていた。薬棚がひとつあるだけの村の医院まで行ってはみたものの、熱を計ったあと5錠20円の解熱剤をくれただけだった。もしマラリアや肝炎だったら・・・と不安を残しておくのも体に悪 いので、町の病院まで出ることにした。ガイドのラムGがいっしょに行ってくれるという。日に1本のバスに3時間ゆられてネパールガンジュにつき、州立病院で血液検査。夕方、その結果が出た。すべてシロ。季節の変 わり目の普通の風邪、と診断された。
 村へ戻るバスはもう出てしまっていたので、この町に泊まることになった。行ったことのない町へ出て、病院を探して、受付をして、病院内外をウロウロしながら検査を受けて・・・というのは、かなり面倒な仕事だ。それがラムGのおかげでスムースに運んだ。大感謝。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月17日(日) (晴/ネパールガンジュ〜タクルドゥワラ :バス+オートバイ)

 朝、気分はすっきり。全快だ。バスでバルディア国立公園へ戻る。途中のブーリーガオン Bhrigaon という町で、あと20キロを残して下車。4時間あまり、次のバスを待たなければならない・・・と思ったら、ラムGが「オートバイは運転できるか」と聞く。昔乗ってたよと言うと、どこからともなく200ccくら いのオンボロを調達してきてこれで帰ろうという。彼をタンデムシートに乗せ、単気筒のここちよい振動を感じながら、マヘンドラハイウェイの風を切っていく。チャリもいいけど、たまにはオートバイも悪くない。ちなみにこのインド製バイク、ギアチェンジはロータリー式で、スロットル以外のスイッチ類は全て左ハンドルの手元についていた。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月18日(月) (晴/タクルドゥワラ :0km)

 朝7時、ラムGと国立公園内を歩き始める。目標はベンガルショウノガン、それ以外の鳥は休憩がてら見る程度。朝日を受けた赤い花とホンセイインコの美しさ。インドトサカゲリは繁殖期に入っているため、近づくとどいつもこいつも殺気だった声を上げる。草原にぽつんと立った大木にかけられた大きな巣には、インドハゲワシが入っていた
 2時間ほど歩いてベンガルショウノガンのポイントへ。草原をひと通り歩いたあと、観察塔で「待ち」に入る。インドクジャクやミミハゲワシが飛び、シカ(Spotted Deer, Swamp Deer)やジャッカルが通りすぎてゆく。暑い時間を昼食と昼寝でやりすごし、午後、また草原を歩き回る。夕暮れの時間いっぱいまでいたのに、ショウノガンは現れなかった。ラムGはごめんと謝ったけれど、バードウォッチングってこういうもんだよね。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月19日(火) (晴/タクルドゥワラ〜ラムキー Lamkhi :35+15(バス)km)

 10時半に自転車で出発。今日から休暇をとっているケショップもいっしょだ。目的地のラムキーは彼の実家のある町なので、里帰りがてらいっしょに走ろうということだった。「トラ出没のため歩行者・自転車通行禁止」の区間はバスに乗ったりしながら、ふたりでマヘンドラ・ハイウェイを西へサイクリング。バスを使ったせいで昼過ぎには着いてしまった。
 ラムキーは国道沿いの小さな町だった。ケショップの実家は布生地屋。その向かいのホテルにチェックインした。ひとりの僕に気を使ってか、ケショップは家には泊まらずツインだったこちらの部屋に来た。彼は昼間の自転車に疲れていたらしく、早くから眠り込んでしまった。そして夜10時。とんでもないことが起こった。突然停電したかと思うと、銃声と爆弾が炸裂する音。警察署が炎上し、マオイストたちが次々に町へやってきた。本物のテロリズムだ。「戦ってるよ。」とケショップを起こし、真っ暗な部屋の中から、真っ暗な外をうかがう。リーダーが大声で「この町はもう我々の支配下にある!」と勝利宣言をしたあと、彼らは手際よく銀行強盗。隊列を組んでザッ、ザッ、ザッと足音を響かせながら引き上げていった。帰り際、彼らは政府有力者の経営する系列のガソリンスタンドに火を放って行った。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月20日(水) (晴/ラムキー〜マヘンドラナガー Mahendranagar :85km)

 マオイストの襲撃から一夜開けた早朝。町の人たちは襲われた銀行やガソリンスタンドを見て回ったり、近所の人が集まって話し込んだりと、路上に人があふれていた。時々軍人を乗せたトラックが警察署の方に走っていく。マオイストはおそらく警察関係者を全員殺しているので、死者は30人以上だろうとのことだった。もし軍が通行者の荷物チェックを始めたりしたらなかなか町から出られなくなりそうだったので、ケショップにく れぐれも気をつけてと言って握手を交わし、早々に町を出た。
  マヘンドラ・ハイウェイを西へ。警察署の前の田んぼに転がるいくつかの死体。初めて銃で殺された人というものを見たけれど、眠っている人ではまずありえない格好で横たわっていた。さらに町から西30キロ以上にわたって、ところどころ道沿いの大木が切り倒されて車止めになっていた。たぶん町の東側も同じだろう。当然マオイストの仕業だ。通りかかった車にテロを見られたり、警察の援軍が来たりするのを阻止するためだ。そういえばゆうべ、テロのあとは一台も車の通らない異常に静かな夜だった。
 マヘンドラナガーのホテルに泊まる。当然、警察署と銀行の場所のチェックは忘れない。(写真;通信トラブルのため写真なし。)

探鳥日記 インド(アッタープラデシュ州〜デリー)