〜アジア横断編〜

探鳥日記 インド(アッタープラデシュ州〜デリー)

(2002年3月21日〜3月28日)


3月21日(木) (晴/マヘンドラナガー〜シュタインガンジュ Staingunj :75km)

 10時前出発、国境までたった6キロしかなかった。イミグレーションで出国印はもらったものの、まだネパールのお金がポケットに残っていたので、ひき返して二度目の朝食。インドに入り、最初の町バンバサ Banbasa を抜けたところでT字路を南へ折れた。すると、前からひとりチャリダーが来る。あれ、見覚えあるな、と思ったらポカラで会ったフランス人のシームリーだった。これまたすごい偶然だ。あと2分向こうが早ければ、再会することはなかっただろう。彼は時々フランスに戻ったりしながら6年間旅を続けている人。37歳の彼には娘がいて、旅先に会いに来ることがあるそうだ。それが同世代の僕には、カッコよく映る。チャイを飲みながら情報交換をしたあと、メールを書く約束をして2度目の“See you.”。ほんとうにまたどこかで会えそうな気がする。
 シュタインガンジュのホテルに入ったものの、実は手元にインドのお金がほとんどない。この町の銀行では、外貨換金はしてくれないとのこと。そうだった、インドで換金するのはタイヘンなんだった。ツーリストの国“ネパールボケ”してる場合じゃない。大きな街か、観光地に行かないと。(写真;この小さな村が国境。)
3月22日(金) (晴/シュタインガンジュ〜カシプール Kasipur :105km)

 8時出発。国道74号線で西。ネパールに行く前にもインドを走っているけれど、今思うとあのコルカタからシリグリへ向かう国道34号線はほんとうにひどい道だった。路面や交通量もそうだったし、周りの環境も徹底的に農地化した、いわば砂漠。それにくらべると、ここはかなりマシだ。街路樹があって、ハイイロコサイチョウが飛ぶ。
 午前中にはルドラプール Rudrapur について換金するために銀行へ。・・・ダメだった。けっこう大きな街なのに。もう手元に100円くらいしかなかったので、銀行に来た客に闇換金してくれるところを聞き、20ドルだけ換えた。これで3、4日はもつだろう。
 カシプールのホテルに泊まる。(写真;砂ぼこりとサイクルリキシャー 。またインドに帰ってきた。)
3月23日(土) (晴/カシプール〜ダハンプール Dhanpur :90km(うち20km迷走))

 8時出発。北西へ行きたいのだけれど、どうも地図の道が実際と違うようで、予定していた番号の国道に乗れない。地図に載っていない町を通ったりしながら、いつの間にか南へ下る自分に気づく。10キロ逆戻り。タクルドゥアラ Thakurduara から西へ向かう道はほんとうにひどかった。ふかふかの砂で自転車を押さなければならないところもある。強い日差しと午後からの向かい風の中 、木陰で休みながら少しずつ進んだ。
 泊まることになった町ダハンプールも僕の地図にはのっていなかった。ゲストハウスに宿泊。(写真;サトウキビの収穫時期まっさかり。精糖工場からは甘い匂いがただよう。)
3月24日(日) (晴/ダハンプール〜ハリドワール Haridwar :100km)

 8時過ぎ出発。国道74号線を北へ。きのうとはまるっきり違う快適な道。路面はいいし、二次林とはいえ森の中を通ることもある。つまり木陰を走れるということ。午後3時過ぎにはハリドワールのホテルに入れた。
 インドといえばガンジス川の沐浴。バラナシとかリシュケシュもよく知られているけれど、たぶんハリドワールが一番神聖な場所だろう。どんなテンションでみんな川に入るのかと思って見に行ったら、家族連れで来て水の掛け合いやら、背泳ぎやらして、楽しそうだった。頭上を飛んでいくのは、でっかいオオズグロカモメ。ちなみに沐浴場はガンジス川に沿う運河でする。本流の方は少し上流に可動堰があって、干上がっている。(写真;ガンジス川を崇拝する儀式、ハルキパイリ。)
3月25日(月) (晴/ハリドワール:0km)

 朝からものすごく風が強い。トタン屋根があばれて、ばったんばったん言っている。どのみち今日は走らないつもりだったので、風は関係ない。というのは、換金しないともう前には進めないのである。開店時間を待って銀行へ。ところが今日は休みだという。月曜なのにというと、祝日なんだそうだ。たしかに郵便局も閉まっていた。あした半日まで足止めか。故障中のリアギアのチェンジャー、分解してみたけれどどうにもならなかった。(写真;聖地のみやげ物屋はきんきら。)
3月26日(火) (晴/ハリドワール〜サハランプール Saharanpur :75km)

 10時前に銀行に行き、まず換金をした。インドでは銀行とか駅の切符売り場とか、事務処理をするところはとにかくチンタラやっている。今日は30分で済んでマシな方だった。11時半出発で国道74号線を西へ。日が長くなってきているので、遅くまで走っても暗くなることは心配しなくていいんだけれど、真正面から照らす西日はこれまた暑い。
 サハランプールのホテルに入る。そろそろ眠ろうと思った頃、ベッドの上にナンキンムシ成虫を発見。つかまえてフロントに持っていき、部屋は変えてもらった。とはいうものの、建物中にいるとしたら逃げ場はない。(写真;体重計測屋。1回3円足らずで、数字を読み上げてくれるサービス付き。観光地では案外客が来る。)
3月27日(水) (晴/サハランプール〜アンバラ Ambala :90km)

 毎日よく晴れる。国道74号線を西へ。9時頃から暑いと感じ、午後1時から2時は完全休養タイムだ。国道沿いの食堂の店先には、木枠にビニールひも編みのベッドがいくつも置いてある。トラックの運転手がよくやっているように、これを木陰までずらして昼寝した。少し風が吹くだけで涼しい。この道沿いに時々立っている案内標識の距離表示は、でたらめだった。あと60キロたらずのはずの目的地が、90キロと書いてあったりする。なはずぁない、と思いながらも、一瞬ドキリとする。
 夕方、アンバラのホテルに入る。この街からデリーまでは、国道1号線を南へ200キロ下るだけ。明日、この街からバスでデリーへ行く。パキスタンビザを取るために。(写真;どこの街に行っても、あふれる人、人 、人。インドはへヴィーな国だ。)
3月28日(木) (晴/アンバラ〜デリー Delhi :バス)

 朝からホテルのマネージャーとケンカしなければならなかった。きのうチェックインした時にフロントにいた従業員は、デリーに行っている間荷物を預かってくれると言ったのに、彼はだめだという。約束が違うとねじ込んだけれどいっこうに聞き入れてくれず、結局「警察を呼ぶ」「あぁ呼んでもらおうじゃないか」ということに。しかし彼がいくら警察に電話をしても些細なことに警官が来るはずもなく、電話口で「駅の手荷物預かり所に置きなさい、それで解決でしょ」と言われてそんな手があるのかと僕は納得。5日で300円くらいだそうだ。マネージャーも警察に何を言われたのか急にクールダウンして、チャイを出してくれたうえ、従業員を駅までの道案内に付けてくれた。
 バスで4時間、デリーのパハルガンジュ地区に着いて客引きに連れられるままホテルへ。そこでばったり出くわしたのは、ネパールでアンナプルナ・トレッキング中に会った日本人のウッシ。彼もパキスタンのビザを取りにここへ来たそうだ。そして彼は衝撃的なことを言った。今日申請に行ったけれど、ビザは出ない、という。インド国内のイスラム系テロのせいか、日本領事館がパキ・ビザ申請に必要なレターを発給してくれなくなっている。彼はパキスタン領事館に二度と日本領事館に一度足を運んでなんとかならないかとかけあったけれど、ダメだったとのこと。バングラデシュかスリランカかネパールあたりでビザを取って出直すしかない。そうと知って「ドット疲れた」そうだ。別の日本人が10日ほど前に、ビザなしで直接国境に行って当たって砕けた、とも教えてくれた。話を聞いて、僕もドット疲れた。とりあえず日本を出発した時に目的地と決めていたデリーは踏んだ。そしてさらに西へ進もうと思っていたのに、この先どうしよっか。ところで、僕は今日で35歳になった。悩み多き年頃、である。(写真;さらに今日は春の到来を祝うヒンドゥー教のお祭り、ホーリー Holi だった。カラーパウダーを誰彼構わず投げつけるブレイコウ。)


〜 自転車で鳥を見に行こう!「アジア横断編」完 〜


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