〜アジア横断編〜

探鳥日記 ネパール(ポカラ〜アンナプルナ地域) 

(2002年2月9日〜3月8日)


2月10日(日) (晴/ポカラ:4km)

 朝、洗濯を終わらせてから街へ出る。ラジュはフリーのガイドらしく、いくつかの旅行代理店に顔は出すものの決まった事務所がない。だから彼の部屋へ行って話をすることになった。ラジュのアドバイスを信頼して、今回のルートは“フェディ発ジョムソン経由ムクティナート”の往復にした。最高所3800m、2週間の無理のないスケジュール。そのあとトレッキングの許可証申請をしてから、ラーメンとかチョコレートとか必要なものの買い出し。
 ところで、山へ行く前にいちばん大きな問題はトレッキングシューズだった。チャリダーがそんなもの持っているはずもなく、だからといって新しいのを買えば靴ずれで泣くことになる。だから履き慣らされたのを借りるのだけれど、ぴったりのなんてレンタル屋を回ってもなかなか見つからなかった。ところが、なんとラジュの靴がぴったり。で、解決。
 同じホテルに連泊。(写真;ホテルの窓から見たアンナプルナ地域。あしたから、あの辺へ行く。)
2月11日(月) (朝晴のち曇、夜雨/ポカラ〜ガンドラック Ghandruk:トレッキング)

 7時半、少し重たいバックパックを背負って宿を出る。バスを乗り継いでトレッキングの登り口へ。杖売りとガイドの“営業”がいて、これがよくしゃべる。いっしょに歩き始めたヨーロピアンの女の子が、「そのおしゃべりをストップさせるボタンはどこ?」と彼らに言ったので思わず吹きだした。
 森を通る急な登りを終えると、村を結ぶ小道。時々田んぼのあぜなんかも通るのんびりした雰囲気のルート。暑いなあと思いながら歩いていたら、曇ってきてちょうどよい気温になった。山の斜面はほとんどが農地になっているので、鳥はクロヒヨドリとかハイガシラモリムシクイとかくらいで単調だ。ラジュが作ってくれたスケジュールの2日分を一気に歩いたら、やっと森の入り口。ガンドラックのホテルに入る頃には、もう薄暗かった。(写真;山道を行く“トラック”。)
2月12日(火) (晴/ガンドラック〜バイシカルカ Baishikharka:トレッキング)

 アンナプルナ地域の自然や文化の保全と開発は、政府のACAP(Annapluna Conservation Area Project)が管理している。けっこう細かいところまで目が行き届いていて、薪に使う樹を伐採する場所の指定から、食堂のメニューの価格まで認可制になっているらしい。ガンドラックのACAP事務所にはバードウォッチャーがひとりいると、カトマンドゥで会ったニーレシュから紹介されていた。名前はラビン。
 午前中は事務所を訪ねて、ラビンからこの地域の鳥の種類や見所を聞いた。環境がぜんぜん違うんだから当たり前だけれど、先週見たチトワン国立公園の鳥相とはまるっきり違う。こりゃ楽しめそう。結局昼ごはんもごちそうになって、午後に出発。日本の紀伊半島あたりにありそうな感じの、苔むした森の中を歩いていく。そのうち、鳥の動きが下火になる午後に歩いちゃもったいないなあ、という気になってきた。ほんのちょっと歩いてバイシクハルカのホテルに入る。夕方鳥がまた動き始めると、ホオジロヒヨドリやズグロウタイチメドリがやってきた。(写真;ヒンドゥーの神の名をもらったテナガザル、“ハヌマーン”ラングール。)
2月13日(水) (晴/バイシカルカ〜タダパニ Tadapani:トレッキング)

 8時過ぎ出発、時にきつく時に緩くなる登り坂を行く。2時間も歩かないうちにタダパニへ。着いてみると、いかにも「ここでワシが飛ぶのを待ちましょう」、という見晴らしのよい地形だ。お茶を飲んで先へ行くつもりがなかなか離れられず昼飯、結局泊まることにした。すぐそばを滑空していく巨大なヒゲワシは、かなりインパクトのある姿。黒い翼に白い顔。目の周りは赤と黒で隈どりされて歌舞伎役者のイメージ、後頭部はオレンジ色に輝く。そのうえあごひげが生えているところがしゃれている。肩から背中の黒い羽毛には、一枚一枚縦に一本ずつ銀のスジが入っていて、細長いせいか風になびくとひらひらする。まるで美川健一の着そうな衣装。そのほかにもAquira属のワシが数回飛んだけれど、双眼鏡だけじゃあ識別むずかしいなあ。図鑑に載ってるだけでも、ネパールにはイヌワシ入れて6種もいる。(写真;宿の庭から見るマチャプチュ−レ山、6993m。)
2月14日(木) (晴/タダパニ〜ゴレパニ Gorepani:トレッキング)

 8時出発、アップダウンのある森の中の道を行く。日陰には数日前に降った雪が残っている。谷底の小さな橋を渡るために急坂を下り、向かいの尾根をまた登る。滑らないようにと気をつけてゆっくり歩いていると、ノドジロチメドリが警戒もせずに間近へ来た。稜線へ出て遠くの雪山を眺めながら歩いていると突然大きなワシが頭上、これはゾウゲンワシで間違いないだろう。ルリビタイジョウビタキがさえずる枯れ野を下って、ゴレパニへついた。なぜか全ての建物が青いペンキで塗られているブルーな村。ガンドラックのラビンに紹介されたホテルに入ったけれど、あいにく彼の友達は留守だった。冷え込んできた標高3000メートルの夕焼け空にヒマラヤアナツバメが元気に舞う。(写真;修行僧にはたまに会う。ガレ場だろうと雪の上だろうと“ビーサン”でバクシンする。)
2月15日(金) (晴/ゴレパニ〜タトパニ Tatopani:トレッキング)

 7時前に宿を出て、近くの小さなピーク、プーンヒル3193メートルで朝日を見る。ゆっくりと朝食をとったあと10時半出発。ひたすら下りの日になる。森を抜けると山の斜面の村と畑、標高もどんどん下がっていくので、いる鳥の種類が初日と同じのに戻っていく。最後は深く急な谷を一気に下った。足元崖沿いの岩場には、かなりユニークな形の小鳥が歩いていた。例えるとこんな感じ。まず手のひらにすっぽりと握り込んでしまえそうなちょっとスリムなダルマを思い浮かべる。色はオリーブと茶色。その頭のてっぺんにちょこんと細めのくちばしをくっつけ、耳の位置に目を書いたあと、後頭部を人差し指でピンッとはじいて前倒しにする。それがそのままごそごそと歩きだしたような鳥、サザイチメドリ類(wren babblers)。わずか2メートルの距離で見え隠れしているのに、特徴が薄くて種類まで僕にはわからない。
 タトパニはオレンジと温泉が名物のあたたかい村だった。村外れのホテルに入る。夕方河原の露天風呂につかって、ふうぅぅぅ〜〜〜っ、と快楽のため息をついた。(写真;早朝の村のメインストリートと、近づいてくるニルギリ・サウス山6839m。)
2月16日(土) (晴、夜曇/タトパニ〜ガーサ Ghasa:トレッキング)

タトパニから先、北へ向かうルートはカリガンダキ Kali Gandaki 川に沿って大きな谷をさかのぼっていく。この谷が深い。なにしろ両側は6000メートル、7000メートルの山だ。そして人々の暮らしには、チベットの香りがしはじめる。
 9時出発。小一時間ごとにある村々に差しかかるときれいに石畳が敷いてあるけれど、村と村の間は遊歩道といった感じの土の道。ガレているところも多い。真っ青な空高くを、ノスリではないノスリ類の一種が滑空していく。
 途中、オーストリア人のアンドレアスと、彼の雇ったガイドのゴカルナに出会う。ゴカルナは首から双眼鏡、片手にクリップボードを携げていて、時々何か書き込んでいる。そう、彼はバードウォッチャーだったのである。合流させてもらって3人で歩くが、いちいち鳥のスケッチをとる僕は遅れがちになる。今夜は同じ宿に泊まることにして、昼食のあとはまたマイペースで歩いた。
 疲れがたまってきたせいか、もっと早くつけると思ったガーサに到着したのは夕方。夕食をとりながら、ゴカルナが山を下りたらコシタプー野生生物保護区へいっしょに鳥を見に行こうと誘う。(写真;チベット仏教寺院のホトケさんは、日本のやつよりナマっぽい。)
2月17日(日) (晴/ガーサ)

 全行程の真ん中の日。今日はこの宿にもう1泊して体を休めることにした。朝、アンドレアスとゴカルナを見送ってから村を散歩する。ガーサ周辺の山は広くマツ林に覆われる。その林が終わるくらいまで登ったら高山性のキジが見られるよ、と教えられた。宿の犬といっしょに途中まで行きかけたけれど、これがとんでもない急斜面。途中でやめた。これじゃ休息日になりゃしない。アマツバメとチャイロツバメが林の上を群れて飛んでいた。
 食事はピザとかラザニアとかデザートにアップルパイとか、今日はちょっとぜいたくに。チーズはヤク(バッファロー)のもので臭みが強くて好みの味。パイには大好物のシナモンがたっぷり。(写真;ニルギリの連峰を右手に仰ぐ。)
2月18日(月) (晴のち曇のち夕方雨/ガーサ〜トゥクチェ Tukuche:トレッキング)

 8時半出発、風が強くて寒い。松林の斜面はまもなく終わり、植生が貧弱になっていく。ガレた緩やかな斜面では、ヒゲホオジロが小さな茂みを渡りながら、ツイッツイッと澄んだ声で鳴く。
 冬の間は川の流れが安定しているので、河原がトレッキングコースになっている。大きなごろごろした石を踏みながら北東へ進んでいくと、景色はどんどん火星化していく・・・って、いや、火星に行ったことはないんだけれど、NASAの公開する映像とか、映画「トータル・リコール」とか「ミッション・トゥ・マーズ」とかから、何となくそんな感じかなぁなんて。
 トゥクチェのホテルに入る。この村は富山県の利賀村と姉妹都市の縁組をしていた。そのため毎年5人ほどが日本へ行っていて、上手な日本語を話す人に何人も会った。(写真;乾き赤茶けていく景色。)
2月19日(火) (晴、朝強風/トゥクチェ〜カグベニ Kagbeni :トレッキング)

 8時に出発、大きな石のごろごろした緩い登り坂を歩いていく。強い向かい風が吹いているのは、ガイドのラジュが教えてくれた通りだ。日が差すまでは目出し帽と厚手のグローブで寒さをしのぐ。見覚えのある二人組みが前から来たと思ったら、おととい宿から見送ったアンドレアスとゴカルナだった。彼らは雪のため、予定のルートを短くして引き帰してきたそうだ。昼頃、小型飛行機の空港のある町ジョムソン Jomson に通りかかる。お金のある人はポカラからここへ飛んできたり、飛んで帰ったりする。人は多いしゴミあさりのイエガラスがいるし、いけすかない所だなぁ・・・と思いながら通りすぎようとしたら、パン屋の前に「シナモンロール」の看板。“反射的”どころか“化学反応的”に店に入ってしまう。値段は下界の4倍だけれど、おいしいんだからしょうがない。
 今日の目的地のカグベニは、北へ向かうルートのどん詰まりの村。その先も道は続いているけれど、外国人がそこアッパームスタン地方を旅するには十万円単位の金がいる。小高い丘から見下ろす北の方は、ますます火星みたいになってきている・・・って、いや、火星に行ったことはないんだけれど、NASAの公開する映像とか、映画「トータル・リコール」とかで・・・・・・・・・・・・・・。
 小川沿いのホテルに泊まる。(写真;向こうがアッパームスタン地方。)
2月20日(水) (晴のち曇、夕方から小雪/カグベニ〜ムクティナート Muktinath 〜ジャルコット Jharkot :トレッキング)

 8時半出発。カグベニからはカリガンダキ川沿いに北へ進めないので、東へ折れて支流のジョンクー Jhong ku 川の谷を上がっていく。昼には500メートル登ってジャルコットのホテルに荷物を預け、身軽になってさらに500メートル登るとムクティナート。標高は3800メートル。そのまた少し上に、ヒンドゥー寺院とチベット仏教の寺が混在する聖地がある。
 最終目的地と決めていたのは、ジョワラマイ Jwala Mai 寺院。長くて覚えられない名前の何とかいう高僧が、悟りを開いたところだそうだ。低い塀で囲まれた寺の敷地には低木の小さなやぶが茂っていた。その下の雪の上をぴょんぴょんと跳びはねながら、真っ赤なセスジシロボシマシコが餌をついばんでいる。偉い坊さんがここに来ようが来まいが、悟りを開こうが開くまいが、そんなことにゃお構いなしに、そのずうっとずうっと前から、ついばんでいる。
 夕方にはジャルコットまで下ってホテルに部屋をとる。暗くなる少し前から、雪がちらつきはじめた。(写真;ムクティナートからの展望)
2月21日(木) (晴/ジャルコット〜トゥクチェ:トレッキング)

 すっきりと晴れていた。ゆうべホテルの従業員とホームメイドのお酒、ロキシー(大麦の蒸留酒でアルコール分は炎がつくくらい高い)を飲んでから寝たせいか、頭もすっきりして爽快。8時出発、さて、今日から山を下りることになる。
 ゆうべ降った雪はほんの足首くらいまで積もっているだけだった。そのくらいの新雪があった方が、足元が滑らなくっていい。一気にジョムソンまで下り、またシナモンロールに誘引されたあと、3日前に泊まったトゥクチェの宿へ入る。下りは速いなあ。(写真;雪の山はきれいだね。)
2月22日(金) (晴のち曇/トゥクチェ〜ルクセカハーラ Rukse Chhahara :トレッキング)

 よく寝た。9時過ぎ出発。登って来たカリガンダキ川沿いの道を下流に向かってずんずん進む。きのうの朝からもう標高で2000メートル近く下っただろう。Tシャツ一枚でも暑い。午後からは曇ってきて助かった。
 夕方、ルクセカハーラの宿に入った。実はこのトレッキング中に百人以上殺されるテロがネパール西端のインド国境近くで起こっていることは知っていた。さらに今回のトレッキングの終点と決めていたベニという町で、数日前に二人殺されていることも聞いていた。そのあおりで、ここの村は夜7時以降の外出禁止、消灯が決められていた。そんなに早く眠れないよ、と思っていたら、何のことはない、すぐに寝ついた。そのかわり3時前に目が覚めて、やることなし。(写真;500年前の宮殿の遺跡に住む。チベットって、こんな感じのところかな。)
2月23日(土) (晴/ルクセカハーラ〜ティプリン Tiplyng :トレッキング)

 8時半出発。南へ下るにしたがって、バナナやブーゲンビリヤの花をよく見かけるようになる。午前中のうちに温泉の村タトパニに着く。行きは東側の山からここへ下りてきたけれど、帰りはそれを戻らずに南、カリガンダキ川沿いの道をさらに下流へ。騒がしいハイガシラホンセイインコの群が谷を渡り、南国ムードになってきた。
 テロがあったベニに近づきすぎないようにするため、午後早くにはずっと手前の村ティプリンのホテルに入る。ちなみに数日前には、カトマンドゥを出たバスがテロリストに襲撃されて5人死んだそうだ。最近またマオイスト(毛沢東主義派)が活発になってきている。巻き添えをくわないようにしないと。
 遅い昼飯の後、夕方前からのバードウォッチングタイムに双眼鏡をぶら下げて村外れを歩いた。断崖絶壁にあるエジプトハゲワシの巣を見つけた。(写真;一休みする“運送屋”の青年。この家具を背負って、十キロ先、千メートル上の村を目指す。笑顔。)
2月24日(日) (晴/ティプリング〜ポカラ:トレッキング+バス)

 トレッキング最終日。朝6時、やっと薄明るくなってきた頃に出発。宿の人たちは、まだ寝静まっていた。南へ下るほどに谷が開けてきて、周りの尾根は低くなる。もちろんスコップやツルハシだけでやる道路工事を迂回したり、軍隊の荷物チェックを受けたりしながら、ガレスウォー Galeswor についたのは朝9時過ぎ。そこから乗りあいジープにゆられてベニへ到着。10時発のバスのチケットを買って乗り込むと、アンドレアスとゴカルナに再々会した。先に行ったはずの彼らだったけれど、きのうまでバスがストライキをしていたため、結局同じ日に帰ることになった。
 ポカラについたのは3時過ぎ。ゴカルナとホテルの庭でお茶を飲みながら、コシタプー野生生物保護区へ鳥を見に行く話を詰める。旅行代理店に勤める友達にかけあって、移動から宿泊まで安くアレンジしてみると彼が言う。その返事待ちでこちらはしばらくポカラで暮らすことになった。けど、どっちみちトレッキングの疲れをとるつもりだったのでちょうどいい。(写真;道で会ったネパールの女の子。)
2月25日(月) (朝と夕方雷雨、日中晴/ポカラ:0km)

 目が覚めると雷の音。窓を開けると雨で、山の方の真っ黒な雲には時折イナズマが走る。きのうまでとはいきなり季節が変わってしまったような天気だ。この分だとアンナプルナの方はかなり荒れてるだろう。きのうのうちにトレッキングを終わらせておいてマジ良かった。
 昼前晴れてきたので、山でためこんだ洗濯物を洗う。そのあと日当たりのよいホテルの庭でのんびりと過ごす。ここ、オナガサイホウチョウがやたら騒がしいんだよな。これから巣造りでもするんだろうか。夜はゆうべ知りあったコンドー君たちと晩飯・・・に出ようと思ったら、また激しい雷雨。紫の閃光が街を照らす。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
2月26日(火) (晴/ポカラ:0km)

 良く晴れていた。乾きかけだった洗濯物を屋上に干してから朝食へ。午後は観光客相手の通りを歩いて買い物をしたり、インターネットショップでメールチェックをしたり。カトマンドゥに帰ったゴカルナから一通来ていた。“コシタプー・ツアー”は3月3日、あのサウラハからスタート、ということになった。もうあと二日ほどこの町で時間をつぶそう。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
2月27日(水) (晴のち曇/ポカラ:0km)

 いっしょにコシタプー野生生物保護区へ鳥を見に行くゴカルナとの待ち合わせ場所は、ここから南東のサウラハ。きのうまでは、明日から二日がかりで南西のブトワル Butwal まで自転車で下りて、そこから路線バスでサウラハへ入ろうと思っていた。けれど最近のテロを見ていると、路線バスは安全な乗り物とはいえない。そこでちょっと値段は高いけれど、保険だと思ってツーリストバスで行くことにした。だったら、旅行者の街ポカラから乗った方が都合がいい。こんな街中にいてもやることはないけれど、何しろ宿泊代がシングル1泊たったの90円。安く過ごすにはこれ以上の場所はない。
 夜は“フルムーンパーティー”でコンドー君やラジュと会った。同じ宿のフランス人、コリンも来ていた。実はDJが皿を回すのをナマで見てみたいなあと思って行ったのだけれど、コンドー君に「トランスだからスクラッチとかやらないっすよ。」と教えられてちょっとがっかり。CD使ってた。非常事態宣言のせいで客が少ないので、こういう遊びはもうひとつ盛り上がらない。0時過ぎには早々とホテルに帰った。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
2月28日(木) (晴/ポカラ:0km)

 朝食は新聞とテレビのある店に足が向いてしまう。先週の日曜日にアシャム地方で起きたマオイストによる最悪のテロ。なんでもローカル空港に1000人ものマオイストが攻撃をしかけ、何時間も銃撃戦になったそう だ。警官や軍人が130人以上死亡。アシャム地方政府は何度も中央政府にテロの可能性を警告していたのに、政権が分裂していて後手後手の対応。こりゃもう内戦だ。インドではイスラム教信者がヒンドゥー教のナショ ナリストを狙って列車テロ。客車は黒焦げで、57人死んでる。このあたり、キナ臭いなぁ。
 郵便局とか銀行とか、いつ行ってもいいような用事で時間をつぶす。午後は宿の庭でまだ日も高いうちからウイスキーを飲みながら、コリンたちフランス人3人組みと話す。彼らは明日から3週間のトレッキングに行くというので、もういらなくなったグローブやら目出し帽やらをあげた。(写真;ネパールのお札の裏には、動物のイラスト。)
3月1日(金) (晴/ポカラ:3km)

  今日何をしたかといえば、飯を3回食って、明日の朝発のバスチケットを買ったくらいだ。体の休め過ぎで逆にダレてくる。ポカラの街では、だいたいどこからでも真っ白に輝くマチャプチュレ山が見えるのだけれど、ここんところ午前中のうちにもう雲がかかる。イエスズメが巣材の枯草をくわえて飛んで行ったり交尾をしたりするのを時々見かけるし、4日前の嵐で本当に季節が変わっちゃったんだろうか。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月2日(土) (晴/ポカラ〜サウラハ:バス)

 ネパールに入国して3日目、僕はコシタプー野生生物保護区のすぐ横を自転車で通っている。しかしこの時は、宿代が目玉の飛びだすほど高いと聞いていたのであきらめた。そのあとカトマンズでニーレシュに会い、彼の友達を通してかなりのディスカウント価格を見せてもらった。けれど、一晩考えてやめた。そしてトレッキング中に知り合ったバードウォッチャー、ゴカルナの誘い。値段もさらに安くなっている。もう、行くしかないっしょ。
 この旅の出発地点はサウラハ、ここでゴカルナと待ち合わせることになっている。バックパックを“バードウォッチング仕様”にして残りの荷物は宿に預け、ポカラ始発の早朝のバスに乗り込む。午後サウラハ着、前に来た時と同じホテルに入る。特にすることもなかったので、ジョギングをした。夕食は、同じバスに乗り合わせていたナツミさん・ヒロコちゃん母娘といっしょに。料理をみんなで取り分けて、テーブルにお皿がたくさん並ぶ食事は楽しい。(写真;サウラハ、再び。)
3月3日(日) (曇一時雨とひょう、のち晴/サウラハ〜コシタプー:バス)

 2時、3時と目が覚めて、4時に起きた。まるで遠足の日の子供のようだ。真っ暗な中、バックパックを背負ってホテルを出る。こんな時間にウロウロしてりゃ軍の職務質問を受けるけれど、外国人だとわかればすぐに放免してくれる。隣村のバス停にじゅうぶん時間の余裕を持って到着。それに乗ると少し先のバス停でゴカルナがあとから乗り込んでくる、という打ち合わせだ。ところが、1時間待っても5時発のバスは来なかった。乗れなかった場合はホテルに戻ってゴカルナを待つという約束。ルーフトップのテーブルで朝食をとっていると、彼がやって来た。「バスこなかったね、ごめん」と言うけれど、バス会社のトラブルは彼のせいじゃない。
 7時半に出直して、いよいよ“コシタプー鳥見ツアー”のはじまり。まずは馬車でゆく。パカポカと小気味良い音を響かせながら村を抜けると、馬は西部劇みたいに川さえ渡っていくのだった。国道沿いの町で長距離バスを待っていると、遠くから黒雲が近づいてくる。ふり始めたので茶屋の軒先に入ってまもなく、バラ、バラバラバラ!バラバラバラバラバラバラバラバラバラバラ・・・・とトタン屋根が大きな音を立てる。大粒のひょうだ。ツアーはいきなり荒れ模様なのであった。
 夕方、コシタプー野生生物保護区に着いた。“アクア・バード・キャンプ”へチェックイン。バスの中、立ち続けたせいで疲れていたので、バードウォッチングは明日からということにして、上品な夕食と、熟睡。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月4日(月) (晴/コシタプー:0km)

 まだ星が輝く早朝、眠っているゴカルナを残してテントを抜けだした。ハイタカジュウイチは夜通しさえずっているんだろうか、すぐ近くからもう声が聞こえる。少し冷え込んでいたので、カッパをはおって観察塔へ行く。ゆっくりと白んでくる東の空と少しずつにぎやかになってくる鳥たち。バードウォッチングの雰囲気を楽しむハイライトタイムだ。見下ろす湿地ではシロハラクイナが下 を見つめながら歩きまわり、チュオッチュオッと鳴きながらシベリアヨシキリらしいのがやぶの中を動く。水辺に群れていたセイケイが一羽また一羽と、まだ田植え前の田んぼの方へ餌を探しに飛んでいく。
 朝食の後、いよいよコシタプー野生生物保護区の中へ。サプタコシ Sapta Koshi 川の堤防を歩くと、インドコキンメフクロウがうとうとと眠っていた。しばらくすると道の反対側からもう1羽飛んできて、居眠りしてるやつのすぐ近くの枝にとまる。つがいだろうか。林に入るとズグロコウライウグイスが鳴き交わす声が聞こえる。とまっている1羽をときどきかすめるように、もう1羽が周りをぐるぐると飛びまわる。これもつがいなのかもしれない。どうやらネパールはすっかり春めいてきているようだ。見た時に思わず「うおぉぉ〜」と声を上げたのは、広大な川の中洲にいる200羽のシロエリハゲワシ。ゴカルナの話だと、たぶんスイギュウかなんか、大きな動物の死体でもあるんだよ、ということだった。もちろんそれを確かめに行くことはできない。だって生きた野生のスイギュウがいっぱい休んでいるんだもん、危ないったらありゃしない。
 非常事態宣言下なので、5時前にはキャンプに帰らなければならなかった。夕食まで、バナナの生える庭のテーブルでゴカルナと図鑑を開く。鳥見の旅、満喫。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月5日(火) (晴/コシタプー(宿〜コシ Koshi 堰(往復)):60km(バス))

 泊まったキャンプは保護区のすぐ東側、つまりサプタコシ川の東岸にある。きのうはその周りを歩いたので、今日は保護区南端、コシ堰のまわりへ。巨大な可動堰の上流は湖のよう、下流は白い砂浜の海岸のようだ。実はきのうから宿のガイドを連れて歩いているのだけれど、これが良くしゃべる男ではっきり言ってうるさい。今朝もお役所のパンフレットに書いてあるような、つまらない話をたれ流し続けている。きのう一日それとなく避けていたのに、彼は態度から相手の心を察するという芸当ができないらしい。こういうお子様にははっきり言うしかないので、少し静かにしてくれ、君の騒音のせいでゲストが旅を楽しめていないよ、と教えてあげた。
 ぷかぷか浮いてるメジロガモやアカハシハジロ、群で飛んでいくクロトキを眺めたあと、さて今日一番楽しみにしているもの、それはイルカだ。そう、ここには淡水性のガンジスイルカがいるのである。昼食後、下流を注意深く見ながらコシ堰を渡っていく。と、ガイドが「あそこ!」と声を上げる。その時は水面に広がる波紋だけしか見えなかったけれど、それから20分くらいのうちに水面に顔や背を出すイルカを、近くで何度も見ることができた。体長1メートル半くらいだろうか。ゴカルナも初めて見たと言って、うれしそうにしていた。それにしても背びれ、ちっちぇえなあ。
 良い子は5時に宿に帰らなければならない。忙しい軍人さんの手をわずらわすわけにはいかないのだ。夕食前、ひとりぶらぶらとキャンプの敷地内を歩いていると、なんとヒメカッコウを見つけた。こりゃ、大ヒット!! (写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月6日(水) (晴/コシタプー〜タンディ Tandi :バス)

 6時にテントを出て、ひとりキャンプの周りで鳥を見た。早朝の鳥って警戒心が薄いと思う。ヤツガシラなんてフィールドスコープの視野に入りきらないくらいまで近づけてしまう。草地ではオニセッカがさえずっている。フィリピンで見た時、もうちょっと灰色っぽかったような気がするなぁ。朝食の時間にレストランへ戻ると、ゴカルナと宿のガイドもちょうど着いたところだった。ゆうべ教えてあげた場所で、ヒメカッコウを見てきたという。「たしかにヒメカッコウだったよ」と、ふたりは言った。
 これで、コシタプー・ミニツアーはおしまい。また長距離バスにゆられて僕とゴカルナはサウラハへ。ホテルに戻るつもりだったけれど、ゴカルナがもし良かったらいっしょに姉の家に泊まろうと言ってくれたので、厚意に甘えた。6人きょうだいの子供たちは、突然やってきた外人に照れたりはしゃいだり。(写真;レア物、ヒメカッコウ。コシタプー野生生物保護区での確認記録、“less than 5”。)
3月7日(木) (晴/タンディ〜ポカラ:バス)

 ゴカルナは朝、長距離バスの停留所までいっしょに歩いてくれた。こういう彼のホスピタリティのおかげで、僕はこの4日間のミニツアーをリラックスして楽しむことができた。Gokarna, thank you so much for everything!
 バスは午後まだ早いうちにポカラへ着いた。自転車を預けていたホテルに戻ると、従業員から書き置きを受け取った。サウラハで会ったヒロコちゃんからだ。彼女はひと足早くポカラに着いていて、きのうからトレッキングに出かけているという。あさって帰ってくるとのこと。う〜ん、もう一度会いたいけれど、そろそろビザの期限が迫ってきてるからちょっと無理かなぁ。またいつか、どこかで!、ね。(写真;通信トラブルのため写真なし。)
3月8日(金) (晴/ポカラ:0km)

 休息日。ポカラは、外国人旅行者のための街レイクサイド地区、ダムサイド地区と、地もとの人たちの街、通称“バザール”に分かれている。レイクサイドはのんびりして過ごしやすいけれど、いろんな人種がぶらぶら歩いている「国際村」という感じでネパールにいるという気がしない。新しい野帳やスニーカーを買うのに、市バスでバザールまで行った。旅行者相手の変な楽器売りやマリファナ売りもいないし、人ごみの街角では女の子が友達とサンダルを選んでいる。普通、だった。(写真;通信トラブルのため写真なし。)

探鳥日記 ネパール(ポカラ〜マヘンドラナガー)