イルポンカルテットが行く!

〜 エピソード IV/韓国ソチョン島@38度線 編 〜


2005年10月13日〜10月24日






また渡りの季節がやってきた。

いつのまにか僕らは、
当たり前のように韓国旅行の計画を立てるようになっていた。

今回イルカルが探鳥地に選んだ島は、黄海上、38度線近くに浮かぶ小島。
南北朝鮮の国境は緊迫した危険地帯だけれど、それは人間側の話。
鳥たちには関係ないどころか、
逆に人が少ないのをよいことに楽園を作る。

水平線の向こうに北朝鮮本土を眺めながら、
僕らは大陸の鳥たちの、

渡りの本流に近づいてゆく。




2005年10月13日(木) 
 気持ちのよい秋晴れの朝。いつものように岡山空港を発ち、僕は昼前にはインチョン空港に降り立った。今回の旅のメンバーは、Warblerさんとガリさんなんだけれど、まだ待ち合いロビーに二人の姿はなかった。また僕がイチバンノリだ。・・・ってゆうか、実は僅差のイチバンノリじゃない。1日早い韓国入り、なのである。“イルカル”としての旅程は、明日の金曜スタートなんだけれど、週末のエアチケットは1万円高。だったら、韓国に1日多く滞在した方が安く済む、ってわけ。
 せっかくの半日、何を見ようか、どこに泊まろうか何にも考えてなかったけれど、バスの車窓から見えたでっかい中華門にひかれてインチョン駅前で下車。急坂の中華街を登り詰めると、山頂の公園にマッカーサー元帥の銅像。韓国人とともに共産主義と戦ったヒーローとたたえられていた。けれど最近の世論は微妙なようで、元帥は銃と盾をもった警察官に護衛されていた。そして、カササギたちの乾いた声。
 タクシーで少し走って、日露戦争開戦の地、ウォルミド(月見島)へ。小さな遊園地のまわりに店が並ぶ、海沿いのレジャーランドだ。海鮮レストランの呼び込みがカタコトの日本語で誘う街並を通り抜けて、ウォルミサン公園の遊歩道へ逃れた。そして、ダルマエナガたちのやわらかな声。
 全身の感覚が、少しずつ、韓国に、なじんでゆく。
(写真;インチョン駅前之図。平日の昼間っから“オヤジ”たちが地べたで将棋をさしている。我が国のこのようなニッチェには、“ストリイトミュウジシャン”とか“ジョシコウセイ”という種が生息している。)
2005年10月14日(金) 
 風のある朝だった。とりあえずマッカーサーの公園へ登ると、遊歩道は中高年のウォーキング連れでにぎわっていた。道沿いに並ぶストレッチ用の運動器具にも空きはない。静かに鳥を見る雰囲気ではないほどインチョン市民の健康意識が高かったので、中華街で早めの昼食をとり、バスで港町へと向かった。
 まずは今夜の宿を決めてからWarblerさんとガリさんを迎えようと思い、街を歩いて料金チェック。金額交渉をして、まあこんなところだろ、といえる候補をキープした。待ち合わせの午後3時には少し早かったので、インフォメーションの女の子と話して時間合わせし、旅客ターミナルへ。すると・・・いたいた! 三脚をかついだ2人が、待ち合いロビーにいた! 「約束通り2人がいた。」 ただそれだけのことなのに、まだ何の言葉も交わしていないのに、この場所に集合できたというだけでこみ上げてくるうれしさ。近づいて後ろから声をかけると、ふり返った二人も笑顔だった。
 決めていた宿にすんなり入り、まずはテレビの天気予報をチェック。明日は風がやみ、波は穏やかになる。よおーし、これなら船は出る!(写真;イルカル完成!之図。“エピソードIV”、スタートです!)












2005年10月15日(土) 午前
 船の出港は早朝だ。日の出前に宿を出て、ターミナルへ。チケットカウンターにはまだ誰もいなかったけれど、電光掲示の案内板には僕らの船の時刻が光輝いていた。よしよし、これなら大丈夫。前回のように本土で足止めってことはないだろう。サンダルをぺったんぺったん響かせて出社してきたTシャツの女の子から、電話予約しておいたチケットを買った。この時点で“本日出航”を確信。そして乗船。
 はじめ船は穏やかに進んでいたけれど、外海に出ると揺れ始めた。きのうあれだけ風が吹いてたんだから、翌日がいきなり凪ってことはないよな、なんてヨユーかましていられたのもつかの間。波が高いうえにうねりが強くなり、やがてイルカルは全員無口になって、こみ上げるものに耐え始めた。
 さいわい“撒き餌”をすることなく上陸。船は島のいわば裏口に接岸するため、滞在する村までは峠をひとつ越えて行かなければならない。いつもいきあたりばったりのイルカルは、重い荷物をかついでこれを歩いてゆくのが常道。。。なんだけれど、今回の旅はちょっと違う。宿の予約がしてあるうえに、送迎用四駆車が港に来ているのである。チケットの予約もそうだけれど、出発の数日前から各自が手分けし、時間とコネを使って手配した。イギリス人から入手した詳細な島の地図さえある。
 宿のおかみさんはよそ者に冷たいカンジで、かたことの韓国語には取り合ってくれなかった。ところがラッキーなことに、日本語ペラペラの釣り客が登場して値切り交渉までしてくれたのである。さらに島の警察官のひとりが英語を話せるという前情報があったのであいさつに行くと、なんと彼は明日転勤で島を出るという。後任はほとんど英語を話せないとのことだったけれど、すんでのタイミングで申し送りをしてもらって、「困ったことがあればいつでも来て下さい」と歓迎をもらえた。これで島での生活面の段取りは完了だ。
 てなわけで、今度の旅はイルカル!らしからぬスムーズさで進んでいる。それはとっても良いことなのだけれど、そこはかとない物足りなさを感じる僕らは、少しわくわくした気分で当たり前のようにこう思っていた。「うまく行きすぎている。このあとよっぽどデカいトラブルが来るに決まってる!」 (写真;港の朝之図。船を見ると、毎度のことながら、「あれに乗れば、あふれるほど鳥がいる島へ行ける!」と期待は高まる(ガリさん撮影)。)

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2005年10月15日(土) 午後
 昼飯は行動食で済ませることにして、僕らはすぐに鳥見に出かけた。初めてのこの島を早く歩いてみたくて、待ちきれなかったのである。
 島は東西に細長く、村は南岸の東寄りにあった。村の前は入り江になっていて、岩礁の間に固く締まった砂浜が細く続いていた。海沿いを東へ進むとなだらかな登り坂となり、道沿いに小さな牧場があった。村から西へ進むには、港のある北方向へ少し戻って左折。これが島のいわば背骨にあたる道で、西端まで行くと灯台があることがわかっている。僕らは、とりあえず灯台まで行ってみようか、と西へ歩いてみたのだけれど、ひとつ目の丘に上がって先を見通したとき、愕然とした。灯台は遠くに見える尾根のそのまた向こうにあるらしく、これっぽっちも見えていなかった。道のりはとんでもなく遠いのである。おまけに、どういうわけか鳥が全然いないのだ。目につくものといえば、シジュウカラとウミネコキマユムシクイばかり。当然、ゼンカイイッチで先へ進むのはやめた。
 夕食のあと鳥合わせをしてみると、本日の確認種数はわずか34種。これまでのイルカルの旅で、こんなに鳥が見られなかった日はない。はっきり言って、島はスッカラカンなのであった。明日もこんなんだったらどうしよう、と不安がよぎったが、まだ初日なのでそれほどの深刻さはなかった。あしたは新しい鳥が入ってくるよ、旅がうまく行きすぎてるから、今日鳥が出なかったことが今回の旅のトラブルなんじゃないの、なんて話に落ち着いた。こうして島での初日は、これといって何事もなく静かに幕を閉じたのである。
 ・・・ちょっとだけ先走って書いてしまうと、心配しなくっても、翌日は感動的なハイライトの日になったのである。それからトラブルの方についても、心配しなくっても(?)、この程度のハンパなモンじゃ終わらないことは、2日後にわかることになる。 (写真;「この島思ったよりデカ!」之図。灯台はコンクリ道を延々歩いて行った先にある。)
























2005年10月16日(日) 午前
 7時に宿を出た。きのうの鳥見はポイントの下見程度のものだったので、今朝からが本番。まずはひとりで廃校の横を抜けて行く林道へ。
 この道はいろんな環境を通っていて楽しいので、今回のお気に入りの場所である。最初の谷を渡るところは風裏にあたり、穏やかな雰囲気の明るい高木林。樹種も下草も多い。その先の薄暗い林内を通り抜けると、空がよく見える稜線に出る。そこからゆるやかな尾根道を登ってゆくと、最後は小さな水道施設のあるかすかなピークへ。ここに立つと、軍艦が浮かぶ海原と、その向こうに北朝鮮本土が見える。その驚くほどの近さに緊迫感を感じるのも旅情。
 とりあえずシマノジコ、オジロビタキ、ルリビタキ、シロハラホオジロを見つけてから村へ引き返した。このころWarblerさんとガリさんは牧場でオオカラモズ。なかなかイイカンジの滑り出しだ。
 今日こそは灯台まで行ってみようという話になっていたので、僕は二人に合流しようと西へ向かうメインロードを歩き始めた。すでにタカ類が渡り始めている時刻。上空をオオタカが滑って行くのだけれど、これがびっくりするほどデブ。胴回りの太さはノスリ並みで、日本で繁殖しているヤツとは全く違う亜種のようだ。
 ひとつ目の丘への急坂を登って行く途中、丘の上にいたWarblerさんたちから連絡が入った。「アカアシチョウゲンボウが目の前でハンティングしまくってる! はやく!!」 重さ10キロもある撮影機材をかついでいるので思ったように走れず、もどかしくも早足で到着。村を見下ろす雄大な景色の中に、時折急降下や急上昇を繰り返すシャープな猛禽が5,6羽、縦横無尽に飛び回っていた。そのうちの一羽が、少しずつこちらへ近づいてきた。きーたきたきたきたきたキターーーーッ! 目の前を通過してゆく一瞬に、目に飛び込んでくるネーブルオレンジ色の足と鼻先の鮮烈。幼鳥なのに、あんなに奇麗に色づいているんだ。去年のオチョン島では高空を通過する個体をちょろっとしか見られなかったアカチョウが、今、目の前を! もう大興奮である。注意深く見てみると、彼らはアカネ属のトンボを狩っているようだった。この島では開けた草地へ行くとスナアカネを大量に見かけるので、それだろう。
 この丘で東の空を眺めていると、大量のノスリに混じってオオタカ、ハイタカ、ツミやハチクマが次々に流れて来る。そこへ謎の鳥出現! 真正面から飛んで来たその鳥が尾根をかすめる時に見せた下面は、真っ白だった。僕が「ハチクマの超淡色型?」と思い、がりさんが「ハイイロチュウヒ?」と思った時に、「セ、セーカーや!!」とWarblerさんが声を上げた。これがセーカーハヤブサ!? えらいこっちゃ、写真撮らないと!! 大慌てで三脚をかつぐと飛び去った方向へ坂を下り、遠ざかって行く姿をなんとかCCDに焼き付けた。
 アカチョウから続く大興奮の中で撮影されたこの写真は、のちにイルカルの記念碑的画像となったのである。。。それも、ネガティブな意味で(*´Д`)=з
(写真;“アムールの丘”から見下ろす之図。アカチョウ = 英名アムールファルコンにちなんでそう名付けられた バーイ Warblerさん。)

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2005年10月16日(日) 午後
 10時半頃から始まった“アカアシチョウゲンボウの狩りの舞”は、昼過ぎには幕となった。しかし、祭りはこれだけでは終わらなかった。なんとアカチョウ40羽の群れがやってきたのである。初めはその数の多さが信じられず、チゴハヤブサじゃないかとひとつずつ双眼鏡でチェックしてみたのだけれど、これも、これも、これも、これも! あれも! あれも!! アカチョウだ。さらに、である。丘を西へ下ってからもう一度見上げると、今度はなんと真上に70羽。しかもこの群れは低く飛ぶ一団で、そのまた上空に同じくらいの量の黒い点が流れていた。フィールドスコープで見てみると、少なくとも視野に入ったのは全部アカチョウだった。もはや僕らのテンションは最高潮に達していた。なんという幸運だろう! 僕らは今、間違いなくアカチョウの渡りの本流ど真ん中にいる! そしてこのタグイマレナ状況を正確に象徴するWarblerさんの叫び声が響き渡った。「ソチョン島、フォーー!!!!(HG風に)」
 さて、群れが通り過ぎて一段落したあと、僕らは再び灯台をめざして歩き始めた。島にあるもうひとつの集落へさしかかる少し手前でのこと、宿の送迎用四駆車が僕らを追い越した。そしてブレーキランプ。なんだろうと思って見ていると、両側のドアが開き、白人のバードウォッチャーが2人降りて来た。韓国在住のアメリカ人ロッキーとアフリカ人のトムだった。自己紹介もそこそこに5人で空を見上げ、今も流れ続けているアカチョウの小群を眺める。しばらく双眼鏡を覗いていたロッキーさんはやがてコトの重大さに気づき、「It's really fantastic...」とつぶやいた。
 さてさて、まだ見えてもいない灯台を目指してイルカルは進む。“電波塔の丘”へ登る途中、イワツバメの群れがぐるぐると飛んでいるのに出会った。その中に1羽だけ混じっているニシイワツバメをWarblerさんはお約束のように見つける。そして、識別点となる腰の色合いとパーツごとの色分けについて詳しく説明してくれる。目の前のサンプルについてリアルタイムで、である。海外バードウォッチングツアーの講師もつとめるWarblerさんのレクチャー、買ったら高いぞ〜とか思ってると、Warblerさんが「はい、500円な。」と言って手のひらを差し出してくる(^^)。ってゆうか、安っ! なにその中途半端なボケ。
 さてさてさて、電波塔の丘を登りきるとついに灯台が見えた。。。のだけれど、これが、まだまだ遠い。しかも間にもうひとつアップダウンがあるぢゃないか。当然、2度目のゼンカイイッチで先へ進むのはやめた。あんなところまで歩いて行くのは、疲れるよ。(写真;遥かなる灯台之図。800ミリで撮ってもこの大きさかよっ!)

< 後日談 > 

 後に僕らは、この日のアカアシチョウゲンボウ確認数を300+と記録しました。いちいちフィールドスコープで見なければ断定できない「たぶんアカチョウ」レベルのものを入れれば、軽く500羽は突破していたのだけれど、性齢判断ができる程度に観察できたものに限定してみると、このぐらいの数でした。それでも、過去に韓国内で1日に確認されたアカチョウの最高個体数は96羽とのことなので、3倍を超える大ヒット。
 今回僕らは島に8泊9日間滞在しましたが、渡りの大集団が見られたのはこの日だけで、他は10羽、6羽、2羽の日がそれぞれ1日ずつあっただけ。韓国のさまざまな離島を調査しているナイルさん(→エピソードIII、2005年4月29日参照)でさえ見たことがない大集団とのこと。ひょっとしたらこんな日は1年の中でたった1日なのかもしれません。
 このような貴重な渡りの日に当たった場合、バードウォッチングの“成果”を考えるならアカチョウのカウントに専念するべきですが、僕らはしませんでした。だって、他にどんな鳥が島に入っているかわからないのに、上だけ向いてるわけにはいかないもの。
























2005年10月17日(月) 午前 
 午前7時。イルカルとロッキー&トムの計5名は、宿の四駆に乗り込んだ。そう、あの遠すぎる灯台まで歩いてたどり着くことはあきらめて、車で送ってもらうことにしたのだ。島の西端は、一夜を島で過ごした鳥たちが、旅立つ前に一時的に溜まる場所。朝一に見ておくべき探鳥ポイントなのである。ちなみに、ゆうべ宿のおばちゃんに車を頼んでくれたのはロッキーさんだった。イルカルはちょっと込み入った内容になると、日本語と英語と中国語の筆談しか話せない。そのせいで、お隣の国の人と話すのにアメリカ人を介さなきゃならない、という一見ヘンテコリンな状況が生み出されていた。
 車はものの30分で到着。さすが化石燃料だ。灯台は南西に突き出した尾根の先っぽに立っていて、その東側が南向きの緩やかな谷になっていた。以前農耕地だったのか一面の草地で、いかにも渡り途中の小鳥たちが潜り込みそうな環境。背の高い草本の間にはホオジロ類、低木のあるところにはムシクイ類が入っていて、多いのはキマユムシクイ、カラフトムシクイ、チョウセンウグイス、アオジだった。メボソムシクイもいたが、なんだか日本のとは声が違うようで亜種不明。Warblerさんから、浜の少し手前にカラフトムシクイを撮影できる場所がある、と教えられた。行ってみたら、本当に撮れた。ちなみに、今回イルカルが装備している望遠レンズは、ガリさんのキャノン500mmと僕のシグマ800mmなんだけれど、ロッキーさんがザックから取り出したレンズはそれらの合計金額をしのぐ超高級大口径レンズ、キャノン600mmだった。車を売って買った渾身のショッピング。
 さて、谷の中を見終わって稜線沿いの道路へ上がって行く途中、ガリさんがなぜか心配そうな顔でたたずんでいた。どうかしたのと聞くと、ついさっきロッキーさんたちのいる方向からヤバい音が聞こえたと言う。
 「ゴーン!!! ・・・ Oh!! Ahhhuh!! Uhhhhh!! Ohhhhh!!! Ohhh my!!!!」
 何が起こったかは明らかだった。バードウォッチャーなら誰でも一度は見る悪夢。三脚が倒れたのである。
 現場へ行ってみると被害は小さくなかった。離ればなれになったレンズとカメラ本体は二度とくっつくことはなく、カメラはスイッチを入れても起動しなかった。機材の損害もひどいが、この旅行中にもう鳥の写真が撮れなくなったというソフト面の損害も大きい。呆然とするロッキーさん。僕らには人ごととは思えない事故で、どう声をかけたらいいのかわからず、ただため息をつくばかりだった。が! ここでTPOをまったく理解しない鳥が出現! なんとゴビズキンカモメが見下ろす海上を飛んだのである。しかも見られたのはWarblerさんだけで、手前の崖にさえぎられて見えなくなったという。ロッキーさんには悪いと思いながらも、僕らは反射的に駆け出していた。崖の向こう側が見えそうなところを探したけれどうまい場所はみつからず、もう一度このカモメが姿を見せることはなかった。
 猛禽類の渡りタイムに入ってからは、灯台に近い高台に上がって、島を出てゆくノスリたちを見送った。低く飛ぶ鳥に目をやった時には、頭を抱えて座り込むロッキーさんが視野に入ってしまうこともあった。そんな時は、なんだかイルカルにつきもののトラブルを彼が代わりにかぶってくれたような気がして、少し胸が痛かった。(写真;自動車で鳥を見に行こう! 之図(Warblerさん撮影)。)

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2005年10月17日(日) 午後
 午後は、宿へのあの長い道のりを戻りながらの探鳥。茂みに鳥の気配を感じてのぞき込んでは、また歩き、海上に鳥影を見つけて立ち止まっては、また歩き。沖の岩場にはウたちが並んでいて、ウミウもいるけどヒメウが圧倒的多数派。ショックから立ち直ったロッキーはゴージャスな三脚にフィールドスコープを取り付け(あの重たい望遠レンズといっしょにスコープまで持って来ていたのには驚いたのだけれど)、シノリガモを見つけた。
 アムールの丘に着いた時にはもう午後4時だった。きのうあれだけ飛んだアカアシチョウゲンボウは、今日はたった数羽しか見られなかったけれど、この丘にはチョウセンメジロのねぐらがあるのだ。付かず離れず歩いて来た5人はここで合流。一番最後に着いた僕はとりあえずカメラの乗った三脚を道に立てて置き、さて、チョウセンメジロたちはグミの茂みに集まっているだろうか、と二、三歩前へ進んだ。その時、背後で突然の破裂音。
 「パッカーーーン!!
 何が起こったかは明らかだった。バードウォッチャーなら誰でも一度は見る悪夢。三脚が倒れたのである。
 まさかの事態に僕は「えぇーーーーーーっっ!?」と叫んでそのあとは言葉にならずにしばらく固まったあと、コンクリの上に寝転んでいる機材にゆっくりと手を差し伸べた。カメラ本体はシャッター側の上部が砕け散って基盤が露出し、金属製のレンズフードはひしゃげて半開きのまぶたのようになっていた。まるでデジャヴのような今日2度目の大事故に一同言葉もなく、トムさんが拾い集めたカメラの破片を気の毒そうに無言で手渡してくれた。ただロッキーさんだけが、首を左右に振りながら「今日はなんて日だ・・・。」と言葉をかけてくれた。
 三脚をしっかりと立て直し、どうせダメだろうと思いながらカメラのスイッチを入れてみた。すると、重傷にもかかわらずカメラ本体は起動したのである。この頃には、僕は旅行保険に入っていることを思い出していて、修理代については心配していなかった。けれど、レンズのオートフォーカスが効かないことがわかると、また濃いブルーに落ち込んだ。フォーカシングリングが鏡筒ときしんでスムーズに動かないのだから、つまり、レンズ本体が微妙に曲がったのだろう。と、ゆーことは、たぶん光軸ずれてるだろう。。。も、勘弁してくれよぉー、まともな写真撮れねーじゃん!
 “シャッターを押せば、画質は分からないけれど、写真は撮れる。” とりあえず今は、機材のチェックはここまで。帰国してから保険で修理するために、しておかないといけないことがある。僕は現場の状況写真をコンパクトデジカメで撮影し、交番へ行って警察の事故証明をとった。そして宿に帰ってから、まるでジグソーパズルを組み立てるようにプラスチックの破片を瞬間接着剤でつなぎ合わせ、カメラを外見だけは元の姿に近づけておいた。(写真;その晩、ふと空を見上げると月食だった之図。不吉な予感・・・って、遅いよ!! )










2005年10月18日(月)
 今朝も良く晴れていた。手負いのレンズをかついで7時に宿を出発。ガリさんと二人で東へ向かった。小さな牧場のある緩やかな谷を渡り、尾根を南へ越えると海を見渡すヘリポートがある。もちろん軍事用で、対空機銃で武装してある。沖にはオオミズナギドリの群れ、頭上にはコシアカツバメの群れ。まともな写真が撮れるかどうか、ここでとりあえずイソヒヨドリ雄若鳥なんか撮影してみるが、朝日はまだまだ弱くてシャッタースピードがかせげない。村へ戻って洗濯をするというガリさんと別れ、さらに東へ。日なたのアカゲラや日陰のシマノジコなどを撮影しては、液晶で画像を拡大表示し、画質をチェック。そこそこ奇麗には撮れているけれど、これが事故の前の元通りのものかっていったら、そうだ、という確証が持てない。アングルも背景も無視した、どうでもいい写真を大量に生産しながら昼過ぎには宿に戻った。
 軽く昼寝をしてからアムールの丘へ向かい、ガリさんと合流して再び写真の大量生産を始めた。撮るたびにガリさんに画像を見せ、「いいかげんにしろっ!」って言われそうなくらい意見を求めた。辛抱強くつきあってくれて感謝。おかげさまで、浜で撮ったハクセキレイ(亜種ホオジロハクセキレイ)の写真を最後に、結論が出せました。光線状態が悪いと被写体の輪郭に多少の収差が出るけれど、明るいところなら気にならないレベル、ということで。今回の事故をまるで自分のことのようにヘコんでくれたWarblerさん、心配をおかけしました。
 なお、僕が一日中液晶ばっかり見つめている間に、Warblerさんとガリさんは、カタシロワシ、トラフズクと着実に確認種リストの行を増やしていたのであった。。。 (写真;島の東端にある基地之図。周辺には、道に沿って有刺鉄線が張られた場所がいくつかあって、赤いハングル文字が書かれた看板が立っている。地雷原だって。)

< 後日談 > 

 帰国後、損壊したカメラ(ニコン D70)とレンズ(シグマ APO AF800mm/5.6 EX HSM)を修理見積に出しました。メーカーからの回答は、カメラは全てが正常に稼働するものの、内蔵のダイキャストフレームに亀裂が入っていて修理不能というものでした。レンズの方は、修理費13万8千円。
 契約していた保険会社に保険金請求をしたところ、カメラについては買値10万円から1年間の使用期間分を差し引いた8万円が、レンズについては1品に対しての支払上限額10万円が支払われました。
 いちばん驚いたのは、レンズ修理費のうちの6万3千円がレンズフード代であることでした。ネジ1個がついただけの、ただの金属製の筒がロクマンサンゼンエン! 思わずICチップや超薄型バッテリでも組み込まれていないか確認しちゃいました。。。冗談ですが。シグマ社製のレンズをご使用の皆様、レンズはもちろん、レンズフードも大切にしましょう! (写真;事故直後の愛機之図。)
























2005年10月19日(火) 午前
 宿の四駆は、まだ薄暗いうちに出発した。行き先はもちろん灯台だ。日の出前から島の西端で鳥を待ち受けようとイルカルは気合いを入れて早起きしたのだけれど、残念なことにロッキー&トムは同行できなかった。彼らは今日の午後の便で島を離れるので、その前にもう一度灯台へ行く予定にしていた。ところがトムさんがきのうから体調を崩し始め、今朝は出かけられる様子ではなかったのだ。
 そんなわけで日の出間もない灯台を、イルカルは3人占めしてしまうことになった。夢見がちな僕は海からそそり立つ絶壁にカベバシリがいないかと、半分冗談で、でも半分本気で探す。歩き始めてわずか15分。海へと落ち込んでゆく急峻な岩場に、イワヒバリ7羽の群れをガリさんが発見。おぉ! イワヒバリ見たのなんて、かなり久しぶり。それに群れなんて初めてだ。彼らは岩の間に生えた草の周りで忙しく落ち穂をついばんでは、ロッククライミングするような絶壁をぴょんぴょんと跳ねながら上がってくる。朱色の体が控えめに華やかで、下くちばしに可愛くレモン色のワンポイント。でも、赤茶色の目はちょっと恐いかも。僕ら3人が写真を撮り終わると、まるでそれを見届けたかのように彼らは一斉に飛び立ち、「ジュジュッ、ジュジュジュッ」という声を残して二度と現れることはなかった。やっぱ“早起きは3ウォンの得”だなー・・・って、安っ!
 宿への長い道のりを歩いていると、やがて猛禽類が渡り始める時間。電波塔の丘へ登ってみたら、次々に流れてゆくノスリたちを見下しで眺められた。翼の上面がよく見えるのでオオノスリを期待したけれど、、、残念。通りかかった釣り客グループのトラックを笑顔三連チャンでヒッチハイクし、荷台に揺られてあっという間に村へ帰った。
 宿に寄ってロッキーさんにイワヒバリの写真を見せると、驚いた様子。韓国ではレア物とのことだった。早々にまた宿を出て、もう少し残っている午前中を全てヘリポートに賭けた。僕には珍しく、これが当たった。松林の奥から、幻想的な「ピュゥーー・・・・・・ピュゥーー・・・・・・」という鳴き声が。低めの音で「チャーチャーチャー」と続けることもある。こんなに特徴的な聞いたことのない声、きっとライファーに違いない。ドキドキしながら鳴き声が動いて行く方向を辛抱強く探していると、小さな鳥が飛び出してヘリポートを横切った。逆光の枝に止まった影は、細長いくちばしを斜め上に向けてせわしなくキョロキョロしている。まるでハナドリ類の姿勢と動きだ。少し飛んで順光の枝に移った後姿は、背の色が え!? と思うほどきれいな青色で、たまに見せる横顔がハクセキレイ亜種ホオジロハクセキレイのように白黒に塗り分けられていた。そして飛去。僕にはこの鳥がどの分類群なのかもわからず、う〜んなんだったんだあれわあ〜、と思い悩み続けて宿へ戻った。頭をかかえる僕に、「それゴジュウカラの仲間ちゃうか?」とWarblerさん。後にこの鳥は、チョウセンゴジュウカラとわかった。ライファーゲットです。(写真;夜明け之図。太陽はもちろん、我が祖国ヒイヅルクニから昇る。)

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2005年10月19日(火) 午後
 ばらばらに行動していたイルカル3名は、午後の船で島を離れるロッキー&トムを見送ろうと昼食時間に宿に集まった。けれど、彼らは予定を早めて午前の便で帰っていた。たしかに彼らにしてみれば、トムさんの調子は良くないし、ロッキーさんはもう鳥の写真を撮れないし、長居する意味はあんまりないだろう。最後にさよならを言えなかったのは残念だけれど、この4日間寝食を共にして僕らは友達になり、すでにひとつの約束を交わしていた。この次は、いっしょにアメリカで鳥を見ましょう!
 昼飯のあとは3人でヘリポートへ。チョウセンゴジュウカラよもう一度、とねばってみたけれど、なかなか出ないので地べたに座り込んで待つことにし、そのうち靴を脱いで横になり、ぽかぽか陽気に誘われて眠りに落ちたのはガリさん。いやぁー、これでいいんだよ。だって、休暇中なんだから。
 先にヘリポートを出たWarblerさんから、フタオビヤナギムシクイがいると招集がかかった。ガリさんと僕はカメラをかついで出動。この鳥の写真を撮影することは、もはやイルカル韓国ツアーの悲願となっているのだけれど、これがなっかなか。茂みに入るし小さいし、とどまらずに流れて行くし、大きな群れになっていることはないしで、今回も撮り逃し。その後僕は、崖のてっぺんにとまるチョウゲンボウを見つけて、まったりと眺めていたのだけれど、彼は夕日が沈む時間に、う〜んと伸びをしてから、ねぐらへと飛んで行った。それを見届けて、僕も宿へ帰った。
 ところで、イルカルには楽しみな気がかりがひとつあった。ロッキーさんが言い残した、「宿のおかみさんによると、近々イギリス人バードウォッチャーがチェックインしてくるそうだよ。」という言葉。イギリス人? この時期に韓国の離島に来るイギリス人? ・・・って、ひょっとして、いや、絶対に、あの人だよ。他に考えられないもの。そう、あの人! マチガイナイ!(写真;家庭料理之図。豪華じゃないけど、長期滞在にはこうゆうのがイイんです。)
























2005年10月20日(水) 午前
 今朝も日の出前に灯台に到着。もちろん宿の四駆に送ってもらったのだけれど、ゆうべおかみさんに車を頼むのにはちょっとだけ苦労した。通訳をしてくれていたロッキーさんが本土へ帰ってしまったからだ。韓国語で「6時半」とか「車」とか「灯台」とか、単語を並べてこちらの言いたいことは言葉にできるんだけれど、相手の返事がわからなかったりする。それでも今朝は時間通りに発車して一安心。
 さて、灯台周辺の鳥はきのうとかわりばえがしなかったので、今日はいつも戻る稜線沿いのメインロードではなくって、北側の海岸線に沿って帰ってみようということになった。島の北岸は、西端から電波灯の丘あたりまでは絶壁が続いていて人を寄せつけないが、もう少し東からなだらかに北の浜へ降りてゆく分岐道がある。
 下り始めの平坦な草地にはホオジロの群れがいた。この島にはホオジロ類(Emberiza属)が10種以上もいるので、一番身近なザ・ホオジロの地鳴きを比較対象のためにあらためてチェック。海岸手前の畑では、「タッ、タッ、タッ」と鳴く声がやぶの中から聞こえた。このテのヨシキリだかムシクイだかのウグイス科の声は、姿を見なけりゃどれだかわからないのだけれど、チラ見じゃかえって迷いが深まるというやっかいもの。3人がかりで茂みをのぞき込み、Warblerさんが指差す先に目をこらすと、ムジセッカがいた(。。。とはいえ、実際には写真判定で確定したのだけれど)。岬の先端へ行くというWarblerさんと別れ、ガリさんと2人、斜面をトラバースする林道を歩いてゆく。地面に割り箸をメッタ刺ししたようなヤマシギの食痕があったり、ビスケットをかじりながら休憩していたらカケスがこちらの様子をうかがいに来たり。2時間ほどのお散歩探鳥で港を経由し、宿へと戻った。
 昼飯にはちょっと早かったので、部屋でカケスの写真を見ながら「亜種はミヤマカケスでいいのかな?」なんてガリさんと話していると、ガチャ!っと宿のドアが開く音が。入って来た人の気配は僕らの部屋の前まで来ると、こちらを青い目でのぞき込んで、こう言った。
 「コンニチワ!」
 「あぁー! やっぱりナイルさんだったんだ!」
 (写真;地元の人がサムシギと呼ぶカサゴのような魚之図。島のまわりで簡単に穫れるので、刺身になったり鍋の具になったりして、毎日食卓に並ぶ。)

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2005年10月20日(水) 午後
 僕らはナイルさんに、今は外出しているがWarblerさんもいっしょであることを伝え、半年ぶりの再会をとりあえず3人で喜び合った。ちょっとくせのある日本語をいっしょうけんめい話すナイルさんは、あいかわらず子供のような奇麗な目をしていてとても元気そうだった。とりあえずすぐに鳥見へ出かけると彼が言うので(まるで到着した日の僕らのようだ(^_^))、この6日間の情報を手短かに伝えた。その中で彼の気をいちばん引いたのは、チョウセンゴジュウカラだった。それもそのはず、チョウセンゴジュウカラは留鳥、つまり渡りをしないとされている鳥なのである。ちょっといぶかしげな顔をするナイルさんに僕が見つけた時の様子を話すと、彼は三脚をかついでまっすぐにヘリポートへ向かって出動して行った。(・・・結果、彼はチョウセンゴジュウカラに加え、ゴジュウカラも見つけて帰って来たのである! やっぱすごいわこのひと。)
 「留鳥」といえば、今日、他にも見つかった鳥がいる。エゾライチョウだ。これこそ「まさか渡らんだろう」というたたずまいの鳥だが、僕とWarblerさんが別々に全く違う場所で見ているのである。あまりにもイレギュラーな発見のため、なんとか写真を撮ろうとこの日からできるだけ茂みの中を歩き回ったのだけれど、結局2日後にガリさんがそれらしいのをもう一回だけ目視をするにとどまった。いずれにしても、ソチョン島というのは、大陸系の留鳥が入ることもあるちょっと変わった鳥相の島らしい。
 夕食。4人で乾杯し、イルカルとナイルさんとの再会を改めてお祝いした。ナイルさんはソウルで自然保護活動を仕事にしているのだけれど、ここ数年は鳥インフルエンザ関係の相談が持ち込まれることが多くって対応が大変だという。離島で大好きな鳥を見ることは、年に2回のストレス発散なんだそうだ。ビールでいい気分になった僕らはそのまま部屋に流れ、ナイルさんにこの島で撮った写真をカメラの液晶で見せながら情報交換をはじめた。そしてひとつ、大恥をかくことになる。
 Warblerさんがこれこそ最終兵器とばかりに、自慢げに見せた一枚の写真。
 「ナイルさんほら、この鳥、なんやと思います? ほら、これ。セーカーですよ!セーカーハヤブサ(ワキスジハヤブサ)が出たんですよ!」
ところが、自信満々で興奮気味のイルカルとは対照的にナイルさんの反応は鈍かった。そしてひとこと。
 「これ、サシバの幼鳥です。」
それを聞いた一同、「あぅ!」とボディーブローを食らって一瞬にしてノックダウン。そうだよ! これサシバの幼鳥だよ! ノーマークだったよ! ・・・・と、薄らいでゆく意識の中でとめどない反省を繰り返していた。。。
 あのときアカアシチョウゲンボウに大興奮して浮かれてたからなぁ。まぁ、こういうミスを「島の魔力」とか言ってヒトノセイにすることもできるけれど、そんなみっともないことしなくっても、「欲は目を曇らせる」ということを僕らは知っている。(写真;ほうらね、サムシギこんなに穫れる之図。)











2005年10月21日(木) 
 風の強い日だった。冷たい北風が、北朝鮮本土から海を渡って吹きつけてくる。いい感じだ、とナイルさんは言う。寒気の南下に伴う強風は、冬鳥を島へ運んでくるのである。
 7時前に宿を出た。これまでは島の西半分を歩くことが多かったので、今日一日は東半分に使うことにした。実は、島の東半分は軍事施設が多いことや地形が急峻であることから、この島に通い詰めているナイルさんでもあまり歩いていないらしいのだ。実際、鳥の種数は少ないのだけれど、まだナイルさんがここで見たことのないエゾライチョウを見つけたのはこっち側だし、3日前にどう考えてもコウライキジのメスとしか思えない後姿を僕が見たのもこっち側だ。チョウセンゴジュウカラもそう。
 そんなわけで、島の東半分をひとりてくてくてくてくてくてくと3周しもたのだけれど、残念ながら目新しいものと言えばチョウセンミフウズラの死体を拾ったのと、“やたらもの静かで恥ずかしがり屋のツグミ”の居場所を見つけたくらいだった。チョウセンミフウズラの方は、ナイルさんに「生きてなきゃ見たうちに入らないね」とバッサリ切られ、なにやら怪しいツグミの方は、はっきり識別する前に逃げられてしまった。あ〜もう、あしたも東半分に行かなきゃすっきりしねえ。
 ところで今日のWarblerさんはと言えば、島の北側にある岬の先っぽにナイルさんと並んで立ち、吹き飛ばされそうな北風に向かって両腕を差し出して、
 「カモーーン! カモーーーン!! カモーーーン レア バード!!!」
 と超ハイテンションで叫びまくってたとさ!(写真;地を這う生き物たち之図。トガリネズミ科ジャコウネズミ属の一種、ナミヘビ科サラサナメラ Elaphe dione、ナメクジ科ツシマナメクジ属の一種。)

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2005年10月21日(木) 追記
 島に来て一週間がたった。これまでのイルカル!で訪れていたオチョン島では、宿の夫婦も、鳥合わせのために夜な夜な生ビールを飲みに行った店のおばちゃんも、いつも笑顔で接してくれていた。ところが今回の宿のおかみさんは英語で言うところの「ハードフェイス」。つまり無愛想で冷たかったのだけれど、僕らはこの氷の壁を数日で溶かしてしまい、今や道ですれ違う時には笑顔で手を振ってくれるようになっている。どうやったか、といえば、食欲で突破したのである。
 イルカルのメンバーは、とにかく食う。量も食うし、好き嫌いなく食う。一番多く使う韓国語は「アンニョンハセヨ!」で、二番目が僅差で「マシッソヨ!(おいしいです!)」だ。実はあとでわかったことだけれど、毎夜食卓にならぶサムシギは雑魚中の雑魚。島の人も選んで食べたりはしない。それを毎晩、キムチチゲだろうとテンザンチゲだろうと、ご飯をおかわりしてまで完食しては、「おいしかったです! ありがとう!!」と言う日本人。むこうは悪い気はしないはず。日本の田舎でもそうだけれど、たくさん食べることは、サブカルチャーレベルでは、おもいっきり礼節を尽くしたことになるのである。
 ベジタリアンなのでそれができないナイルさんは、僕らにぽつりとこう言った。「そういうの、いいですね。」(写真;「日本人か。良く来た、まあ飲んでけ。」之図。僕らはこういう歓迎を断らない。)










2005年10月22日(金) 日中
 ヤマヒバリの声のする朝だった。きのうまでだれも、ただの1羽も見なかったのに、林から空から、サンショウクイの歌い出しみたいな澄んだ声が降りてくる。
 今日の僕のノルマは、“やたらもの静かで恥ずかしがり屋のツグミ”をなんとかすることだった。きっと“撃ち落として”やろうと、ガリさんを誘って望遠レンズ2砲を装備。島の東半分へ進軍し、現地に着いた。林道から見上げる常緑林の中に無言で動く鳥。きのうとおんなじだ。込み入った葉影からこちらの様子をうかがっているところを、マニュアルフォーカスで2方向からとめどなく撃ちこんで連写。この鳥、喉の縦斑のつき具合がジンジョーじゃない。ノドグロツグミの若いのなんじゃない?、と期待。Warblerさんに最終判定をゆだねようと宿へ帰る途中、足元からチョウセンミフウズラが飛び立ち、生きているのもゲット。そして問題のツグミ類の方は、上尾筒の色にも不審な点はなく、「ノドグロツグミでいいと思うで。」とWarblerさん。やった! (ちなみにWarblerさんは、2日前にすでに別の場所で見つけていたのだけれど。。。)
(写真;ヘリポートの対空機銃之図。日本にいると普段そんなことは考えもしないが、ヘリポートは敵軍にとっても着陸しやすいところなのである。当たり前すぎる話。)

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2005年10月22日(金) 夕方から
 さて、夕方となりシャッタースピードも手ブレを気にするほど落ち込んで来た頃。僕はひとり牧場で、日暮れまでの穏やかな時間を、アトリアオジを相手に過ごしていた。アオジは亜種まで見ようとするとなかなか手強い相手なので、なるべくいろんな個体を撮影しておこうと心に留めている。と、そこへ突然の叫び声が。
  「ハ・ヤ・ク! ハ! ヤ! ク!!」
村の方から真っ赤な顔をして走ってくるのは、ナイルさんだった。着ぶくれた巨体を揺らしながら息を切らし、ほとんどパニック状態だ。何事かと驚いてこちらも駆け寄ると、「キバラシジュウカラが出たんだ! 韓国初記録!!」と英語で叫ぶ。このとき僕は運悪くトランシーバーを持っていなかったので、ヘリポートにいるWarblerさんたちに連絡できなかった。君はハヤク村の東の谷へ!とうながすナイルさん。見上げる尾根のてっぺんにあるヘリポートの方角に向かって、「ミナサーン!!、ハ・ヤ・ク!! ハ・ヤ・ク!!」と叫び続けるナイルさんを背に、僕は三脚をかついで走り出した。
 間もなく日が暮れてしまい、僕はその鳥を見つけることができず、Warblerさんたちに連絡がついたのもそのあとになってしまったけれど、夕食の時にはナイルさんを囲んでお祝いをした。乾杯をするナイルさんの横顔は、実に満足そうだった。僕は一生懸命走って知らせに来てくれた時のナイルさんの必死の顔を思い出し、この人は本当に鳥見が好きで、そして鳥を見る人が好きなんだ、と感じた。(写真;「リトル・ジャパン」(by ナイルさん)之図。こういう雑魚寝体制の部屋に何日も耐えられるのは、実は“ウサギ小屋”に住める日本人の特技だったりする。(Warblerさん撮影))
2005年10月23日(土) 
 島を離れる日となった。時刻表通りにいけば、船は午後出航のはずだった。けれど、寒波が南下しているために、ここ数日海が荒れ続けている。そのせいできのう来た船は本土に帰らず島で停泊、半日遅れで今朝出航と決まったのである。僕らはこれに乗ることにした。
 日の出からの数時間を、僕はナイルさんと歩いた。未練たらしくキバラゴジュウカラの谷へ入ってみたものの、見つからなかったのはお約束。けどそんなことよりも、弾丸のように通り過ぎてゆくアカマシコや、やぶに潜む亜種シベリアアオジやの地鳴きを一瞬で判断するナイルさんと話しながら鳥見をするのは、実に新鮮な時間だった。
 ソチョン島の鳥たちをナイルさんに託し、イルカルは8時半に船に乗り込んだ。沖に立つ白波を高台から見てしまっていたので船酔いを心配したけれど、それほどは揺れず、昼過ぎには韓国本土へ着岸。
 港へ着いた僕たちには、出迎えてくれる人がいた。コールバンの運転手、シンさんだ。コールバンというのは、つまりバンの貸し切りタクシーだ。実はナイルさんのアレンジで、明日は鳥見プチツアーが予定されているのである。ゆうべナイルさんは、「僕はイギリス人だけれど、韓国に住んでいるから君たちは僕にとってゲストだ。ぜひ、旅の最終日を楽しんで。」と言って、港でシンさんと顔合わせする段取りや、値切り交渉まで携帯でしてくれたのである。(写真;土鍋屋之図。下の方の商品はどうやって売る??)




















2005年10月24日(日) 
 シンさんが迎えに来たのは早朝も早朝、まだ真っ暗な午前4時。KIAのファミリーバンに乗り込むと、水銀灯の並ぶハイウェイを北へ北へと向かった。今回の旅で訪れたソチョン島は、黄海に引かれた北朝鮮国境ギリギリのロケーションだった。そして今僕らは、本土に戻ってもこうして国境ギリギリを目指している。。。目的地は南北朝鮮国境、非武装地帯。北緯38度線に横たわる、誰も住むことのできない広大な地雷原。
 すっきりと晴れた空が青さを増してくる頃、僕らはベグマゴジ(白馬高地)の戦争記念公園に着いた。韓国戦争の際、10日間で砲弾30万発が炸裂した激戦地。展望台へ上がる遊歩道のまわりでは、あちこちから聞こえるキマユムシクイの声と、枝に遊ぶコゲラエナガ(予想に反して、エナガは亜種シマエナガじゃなかった)。そして登り詰めた高台から見下ろす静かな田園には、自動小銃を構えた兵士を2人ずつ配備した見張りやぐらが点在し、向かいの山頂には、韓国旗と国連旗がはためく砦が何重もの鉄条網で取り囲まれて、北を見下ろしていた(写真 上、Warblerさん撮影)。
 ニンゲンノイトナミは置いといて、周辺に広がる水田地帯に目を移すとマガン数千羽の群れの壮観。たまに飛び立っては帯になって、別の田んぼへと流れていた。朝日に立つマナヅルたちは、人間の欲望や悪意なんかお構いなしに、社会主義と資本主義、独裁者と民主政治、貧困と飽食のはざまで、おいしそうに朝御飯を食べていたのだった。

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 次の目的地までは、さらに国際緊張度アップの道中だった。2車線の道路はところどころバリケードで半分閉じられていて、スピードを落として通過する時に迷彩服の兵士が車内へ視線を投げ入れてくる。通りかかった軍事基地の入り口には、カモフラネットで覆われた戦車がスタンバっているだけじゃなくて、よく見ると何十人もの兵士が小高い丘に伏せていて、こちらに銃口を向けていた。そしていよいよ非武装地帯の直近にさしかかると検問に止められ、ついにはひとりの兵士が同乗して来た。
 シンさんは兵士の指示通りにハンドルを切り、着いたのは山あいの湖のほとり。ここはクロハゲワシの越冬地なんだけれど、残念ながら今年は鳥たちの到着が遅くて1羽もいなかった。けれど、どっぷり非武装地帯ん中、湖の真ん中あたりに見えていた岬が、岬だと思い込んでいたものが、ぜんっぶマガンだったのには声を上げて驚いた。
 さて、ここからがイルカル流の旅の楽しみ方(そのほとんどは“Warblerさんイズム”によるものなんだけど)。この探鳥ポイントは兵士を車に同乗させなければ近づけないうえ、現地ではさらに4人の兵士が銃を構えているという緊張感。危険なので湖側(つまり北朝鮮側)にカメラやスコープを向けてはいけない、という規制も受けた。はじめは神妙に鳥を見ていた僕らも、しばらくして「ここの兵士たち、みんな若いな。。。」ということに気づいた。たぶん徴兵された学生なんだろう。そうとわかると、「この緊張感を崩して、兵隊さんたちと打ち解けちゃおうかなぁ〜。」という出来心が増幅してくるのだった。
 突破口はすぐに見つかった。ちょっと離れたところにいた兵士たちの会話に「コンニチワ」とか「サヨナラ」とか日本語が入っていたのだ。つまり、僕らのことを話題に雑談しているということ。ここでWarblerさんがすかさず、「ハ〜イ! こんにちわ! こんばんは! さよなら! ありがとう!」とか言いながらにこやかに手を振って話しかけた。向こうも笑顔を見せたので、ガリさんと僕がたたみかけるように手招きをして、「ほら、このスコープのぞいてみなよ、すんごい数の鳥がいるから」と身振りする。一人の兵士がのぞいて「うわっ、すごっ!(適当に和訳)」と声を上げたあとはもうこっちのもの(写真 中)。かわるがわる見に来る兵士全員にイルカル最大の武器“笑顔”を浴びせると、一気に“肩を組んで記念撮影”まで寄り切った。
 探鳥を終えて車へ戻る途中、Warblerさんが「ええかCoshy、『せーの』で振り向いて敬礼するで。いくでっ。せぇーえのっ!」と言うので、振り向きざまにかかとをカツン!とそろえ、口を真一文字に結んで敬礼!!  すると、兵隊さんも“カツン! 敬礼!!”で答えてくれたあと、一瞬おいて、日に焼けた顔にニッと白い歯を見せた。僕らは大きく手を振って、彼らに笑顔でさよならをした。

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 電柱のヤマゲラに見送られて非武装地帯を後にし、僕らは空港へと向かった。途中、有名な観光地「自由の橋」でひと休みしてからのドライブは、イムジン河に沿って延々と続く有刺鉄線を眺め続けた。そして中洲には、すやすや眠るコウノトリやサカツラガンの群れ。こんなにも不信感に満ちた国境を、僕はこれまで見たことがなかった。あまりにも異常な光景。
 空港についた僕らは、シンさんとひとりずつ握手を交わして感謝を伝えた。そしていつも通り、イルカルはチェックインカウンターの前で解散し、それぞれの飛行機で、それぞれの空港への帰路についた。
 離陸。。。これで韓国とは、また半年間のお別れ。(写真 下;「右手に見えますのが、北朝鮮でございま〜す!」 之図。 ・・・ って、有刺鉄線でぜんぜん見えねぇ!)

イルポンカルテットが行く!

〜エピソード IV/韓国ソチョン島@38度線 編〜 ・完