イルポンカルテットが行く!

〜 エピソード III/韓国オチョン島再び 編 〜


2005年4月26日〜5月6日






 旅には常習性がある。

どんなに多くを見ようとも、踏み込むほどかき立てられる好奇心。
1週間やそこらの旅行で心が満たされることはない。
見落としたものがあるとわかっていれば、なおさらのこと。

 島での鳥見には射幸性がある。

渡りの途中の鳥たちがどのくらい島に下りてくるかは、
その期間の天候、鳥の個体数の年次変動、旅行者の日頃の行い、にかかっている。
大当たりを経験したことがある人は、それを越える刺激を求めてしまう。

 そんなわけで、僕らが次の旅の計画を立てるのに帰国後2ヶ月とかからなかった。
このメンバーなら鳥見を楽しめることはもちろん、
抜群のコンビネーションで旅の困難も乗り越えて行けることはすでに実証済み。
今回参加できなかった隊長にかわる強力新メンバーを加え、

イルポンカルテットがまたあの島へ上陸!















2005年4月26日(火) 午前
 ゴールデンウィークの岡山空港は、早朝から混み合っていた。国際線の出発ロビーには韓流ブームに乗っかった中年女性が列をなし、セキュリティチェックの前でハンドバッグの中から金属という金属を全部つまみ出していた。「バッグの中はX線でチェックするから、ポケットの中のだけでいいんですよ」と声をかけて、僕は先に進んだ。半年前と比べるとソウル(インチョン空港)便は倍増し、おまけに運賃は大幅値下げだ。僕と韓国がずっと近くなったといえる。これもすべてヨン様とオバ様のおかげ。世の中何が自分のためになるかわかんないもんだ。
 インチョン空港到着ロビー。待ち合わせ場所に行ってみると、今回も一番乗りは僕だった。iPodでm-floを聞いていると、まずは関西空港発のWarblerさん登場。僕は無意識にテンション押さえ気味に振る舞って、固い握手を交わす。だってそうしないと、うれしくってへらへらと笑い出してしまいそうだったから。しばらくすると、セントレア空港発のブルセテさんが合流。実は今回、サンダサン隊長がバンダー(鳥類標識調査員)免許の取得のために不参加なのである。そこで強力新メンバー、ブルセテさんの抜擢となった。“ブルさん”は今回で訪韓8度目(!)、韓国の鳥や自然環境ばかりでなく、韓国文化にもゾーケイの深い韓国通である。
 さて、残るはガリさん。遅れてるのはきっと荷物を開けられて、何かヤバいもんでも見つかったからなんじゃないの、ミールワームとか・・・、と僕らは冗談まじりにうわさした。とその時、Warblerさんの携帯電話が鳴る。相手はガリさんだった。「飛行機飛ばなかったんですよ〜。整備が間に合わなかったとかで〜。夕方の便で行くので、先に宿入りしてて下さ〜い。」・・・だって! まずはウォーミングアップのようなプチトラブルから、今回のイルポンカルテットの旅は始まったのである!(写真;5人@韓国。・・・って、5人目の女の子、誰!?)

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2005年4月26日(火) 午後
 日航の不手際のせいで“先発隊”となった僕ら3人は、まるで通い慣れた通勤路を行くようにバスを乗り継いだ。海岸を飛ぶヘラサギや街路樹のカササギの巣を眺め、ヒュンダイ自動車とキア自動車とデウ自動車の渋滞を眺め、高速道路のPAに止まっている“軽トラ露店”の怪しい品揃えを眺めながら、旅は進む。そして夕方、僕らはあの島へ渡る船の出るあの港町へ戻って来た。
 ホテルへ荷物を運び込み、夕食に出かけようとしていると突然部屋の電話が鳴った。あれっ?、ガリさんなら携帯の方にかけてくるはずなのに、誰なん? という雰囲気の中、Warblerさんが受話器を取る。相手は韓国美人のスーちゃんだった。 彼女は、これまでの旅行の中でイルポンカルテットが知り合った友達のひとりである。3人とも知らなかったのだけれど、今夜ここへ泊まることをガリさんがあらかじめ彼女に手紙で知らせていたというのである。
 すぐにいっしょにご飯を食べる話がまとまり、暮れなずむ街へ出た。女の子を交えた食事に僕ら3人はガゼン盛り上がり、カフェで食後のお茶までしてからスーちゃんを連れて部屋へ戻る。ここで、すでに到着していたガリさんと合流して、“イルカル”完成! 5人でぷしゅっと缶ビールを開けて、乾杯!! 壮行会、スタートです。(写真;この色づかい、嗚呼韓国。)
























2005年4月27日(水) 午前
 鳥屋の朝は早い。6時過ぎには三脚をかついで出発、港を朝飯前に巡回してみる。セグロカモメ系の識別悩ましきカモメたちを覗いていると、僕がチラ見もしていないシギの名前をWarblerさんがつぶやいている。そんなんいるの?とフィールドスコープの方向を合わせてみると・・・なぁにこれ、めっちゃ遠いやん!
 いったん宿に引き返して荷物をまとめ、8時、チェックアウト。フェリー乗り場へ向かう。快晴の空の下、いよいよ島へ向けて出発だ。切符売り場に着いてみると事務所は閉鎖されていたけれど、移転の張り紙と新事務所へのシャトルバスの運行がわかって一安心。遅れ気味に来たバスに乗って新事務所に着く頃には、早くも鳥であふれる島を妄想してみんなうひうひしていた。ところが!である。残念ながらイイ気分もここまでであった。「フェリー本日欠航」。!!!。
 えぇ〜!? ・・・と言った後は言葉にならない。だってこんなに晴れて、波も穏やかで、なのにどうして?、と納得がいかないのである。切符売りの人とジェスチャーで会話してみると、沖はまだ波が高いということだった。なにしろ航路は外海だ。悪天のあと数日間波が落ち着かないこともあるらしい。
 そうとわかったら変わり身の早さはピカイチのイルカルである。まずは英語の話せる職員を呼んでもらって(職員ってゆうか、差し出された名刺には「局長」の肩書きがあったのだけれど・・・)、明日の朝は電話で出欠航の確認を出来るように段取った。さらにその人のワンボックスカーでホテルまで送ってもらえることに。ヒステリックなマスコミのおかげで、韓国人がみんな日本を嫌悪していると思い込んでいる日本人もいるけれど、だまされちゃいけない。同じ人間として、旅行者が困っていれば韓国の人は助けてくれるし、僕らはそのことに心から感謝する。
 宿に着く頃には今日のスケジュールは決まっていた。まずはトモエガモの世界最大の越冬地、クンガンへ。もちろん今のシーズン、カモは一羽もいないけれど、最近出来た野鳥センターがあるので、そこでこの辺の鳥見情報を仕入れようってわけ。「ブルさ〜ん、鳥そっちじゃないよっ! もっと左! 左にバカでっかいトモエガモが!!」 なぁんてふざけた写真を撮りながら、展示標本やビデオ上映を見て回る。その後はもちろん管理事務所にやんわりと押し込んで学芸員と名刺交換をし、干潟にある遠隔カメラのコントローラをいじらせてもらったり。さらに野鳥センターの庭で鳥の調査をしていた大学院生が、彼の四駆でカメラ近くの観察小屋まで送ってくれることになった。笑顔が最大の武器のイルカルは、図々しくもラッキーなのである。(写真;港の朝。)

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2005年4月27日(水) 午後
 午後の鳥見は、間違いなく今回の旅行のハイライトのひとつだった。「うぉーっ!」「すっげぇー!!」というありきたりな子供っぽい言葉を、僕はいったい何度叫んだだろう。
 タクシーでセマングムの河口へ移動した僕らは、広大な干潟を横目に川沿いの道をてくてくと歩いていった。塩田跡地の水たまりでは、ウズラシギの群れとヨーロッパトウネンが忙しく餌をついばみ、ヨシ原からはダルマエナガの甘えるようなさえずりが聞こえてくる。数キロ歩いて中洲や干潟との間合いを見計らうと、僕らは川の護岸に上がった。そして、潮と、時が満ちるのを待つ。
 はじめはかすかな前兆だった。足下からずうっと向こうまで広がる干潟の、そのまた向こうの中洲の上にうっすらと積もった灰。それがシギの群れだと気づいたのは、沈む中洲からその灰が舞い上がったからだった。鳥たちは足下に水が満ちると飛び立ち、次の居場所を見つけては水際に降り、別の群れと合流してまた飛び立ち、少しずつ僕らの方へ近づいてきた。群れはやがて3万羽に届くんじゃないかと思えるほどにまで成長し、滑らかに形を変える黒雲となって川の上を飛び回る。その圧倒的な個体数は見る者から鳥の大きさの感覚を奪い、まるで昆虫の群れを見ているような錯覚に陥らせる(→動画:近日公開!)。
 シギは、オバシギだった。そこへ混じるのが、オグロシギオオソリハシシギ、キョウジョシギ、チュウシャクシギ、ホウロクシギ、コオバシギ。日本で見慣れたハマシギやトウネンの群れと比べると、個々の“細胞”の大きさが断然デカく、それが迫力に拍車をかけるのである。
 やがて夕日が朱色の夏羽をよりあかあかと照らし出し始めると、シギたちは少しずつねぐらへ帰ってゆく。飛び立った小さな群れは川上へ流れ、その輪郭を霞の中へ溶け込ませつつ、遠くの葦原のかげへ次々と消えて行くのだった。最後の群れを見送るころには、僕らの心は目の前の潮のようにひたひたと満たされていた。鳥たちの去っていった景色をしばらく見つめたあと、穏やかな気持ちで帰り支度をし、三脚をかつぐ。そして、タクシーの待つ河口へと、僕らはゆったりと歩いて行った。(写真;ひ、広い。。。)
2005年4月28日(木) 
 朝八時。天気はいい。全員で宿のフロントへ下りてゆき、出欠航を確かめるためにフェリー乗り場へ電話をかけてもらった。果たして結果は・・・「本日欠航」。風が少し強いのでうすうすわかってはいたものの、前へ進めないのはやっぱりヘコむ。
 こんな日は、鳥見の予習をするのが正しいバードウォッチャーの過ごし方というもの。持参した図鑑を開き、これから行く島へ下りてくる可能性がある鳥種をリストアップ。それぞれの種の生態、繁殖地や越冬地、渡り時期の確認。鳴き声や若鳥の羽衣もチェック。個体数の年次変動が大きい種については、韓国内でのリアルタイムの出現状況をネットで調べなきゃ・・・って、んなわきゃねぇだろっ!
 こんな日は、とにかくナンセンスに過ごすのが一番。まずは部屋に帰って、ゆうべの残りのトンドンチュ(にごり酒)で朝っぱらから乾杯! スナック菓子をぼりぼり。昼はキムパ(巻き寿司)食いに街へ。このお寿司、海苔が韓国のりで、具に白胡麻と胡麻油をかけるので、日本の味とはちょっと違う。
 午後も布団にごろ寝して、テレビのリモコン片手に「日曜日のお父さん」を決め込むWarblerさんを残し、僕ら3人はタクシーでショッピングモールへ出かけた。
 広大な駐車場を併設した店舗の様子は、日本の例えばジャスコと変わらない。これは、両国の文化が似ているからというよりは、両国ともアメリカべったりの国だからだろう。さて、店内をまわると、韓国ならではの一角があった。家電売り場で見つけた、洗濯機のような冷蔵庫。冷蔵庫なのに“二槽式”で、温度管理が細かく設定できるようになっている。これが、家庭用キムチ製造・保存機。売れ筋らしく、いろんなタイプが十数台も並んでいた。10万日本円也。食品売り場には薬草を並べた棚があって、本場の朝鮮人参が土のにおいを漂わせていた。贈答用のキノコ詰め合わせ、1万9千円也。いちばん驚いたのは、乾物売り場。なんとスルメ1袋のおまけに、ドクド(竹島)Tシャツがついてくるのである。胸に「ドクドは韓国の領土だ。」って書いてある。スルメはドクドで穫れた海産物ということらしい。10枚1600円也。収益が右翼活動家に渡るのかどうかは知らないけれど、領土問題を民間レベルで商売とからませ、まるでトレンドのように扱うセンスは、日本人にはない。
 夕方、駅前に出てみた。歩道には行商のおばちゃんが魚を並べ商店街には唐辛子屋粉ひき屋チマチョゴリ屋トッポギ(餅の甘辛いため)屋をはじめ、屋台もある。日本の駅裏商店街をちょっと濃くしたような風情をかもし出しているのは、やっぱ両国の文化が似ているからだろう。混沌、雑然、安価。う〜ん、アジアだなぁ〜。(写真;街の片隅に1軒だけ残ったトラディッショナルな民家。再開発によって簡単に伝統を捨てていってしまう軽さも、日本に似ている。)
























2005年4月29日(金)  午前
 3度目の朝8時がやってきた。僕ら4人は、試験の合格発表を聞きに行くような気持ちでフロントへ下りた。受付のおっちゃんが受話器に話しかけるハングル語に、わかりもしないのに耳を傾け、受話器を置く手を目で追い、こちらに向き直った顔を見つめた。そしておっちゃんは、うなずいた。本日出航! 「ヨォーーッ!!」と声を上げて全員ガッツポーズを決める。すぐにホテルを出るとタクシーをつかまえ、フェリー乗り場へ向かった。
 晴れ渡る空の下の波は沖に出ても穏やかで、昼前には無事島に上陸。もうすっかり友達になった宿のおばちゃんにひとりひとりハグで迎えられたあと、イルポンカルテットはある人との運命的な出会いを果たすことになる。あるいは、必然的な出会い、と言ってもいい。ある人とは、ソウル在住のイギリス人バードウォッチャー、ナイルである。
 ナイルさんは間違いなく韓国バードウォッチング界の第一人者。国内での鳥の確認種数はダントツトップで、野外識別力で右に出る者はいない。もともとイルポンカルテットがこの島に来るようになった理由の一つは、彼が公表したデータを見たからである。彼がこの島へ通っていることを知っていた僕らは、いつかは会うんじゃないかと思い続けていた。その日が、今日だった。
 ナイルさんの日本語は流暢だった。宿の食堂でお互いに自己紹介をすると、彼はWarblerさんにこんなところで初対面となったことに驚き、敬意を払い、それから鳥の話を始めた。ここ数日の鳥の出具合を彼に教えてもらったあと、情報交換として、去年秋の「イルカルが行く! エピソード II」の時に見た鳥の話を僕らはした。ガリさんがハイイロオウチュウの写真を差し出すとナイルさんは目をまん丸にし、自分がこの島で最初に見つけたかったのに、と悔しがった。その様子は子供みたいでちょっとかわいいのだった。そのあと始まったWarbler vs ナイルの「トップ会談」は濃かった。さえずりでしかはっきり識別できないエゾムシクイ P.borealoidesとウスリームシクイ P.tenellipesの顔つきと色合いについての話で、僕は目の前の会話が100mぐらい先からうっすら聞こえているように感じたのだった。(写真;ジョーリク! すっげえ荷物。。。)

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2005年4月29日(金) 午後
 午後だというのに、島はすっぽりと霧に包まれていた。僕らの乗って来たフェリーはとんぼ返りに本土へ戻るのだけれど、ナイルさんが大きな荷物をかかえてこれに乗船した。実は彼の家族にご不幸があって、これからイギリスへ帰郷しなければならないというのである。僕らはそんなナイルさんの事情も知らずに鳥の話ではしゃいでしまったことを詫びた。ナイルさんは渡りの時期のまっただ中に島を離れなければならないことを残念がり、僕らに探鳥を託して、霧の黄海へと消えて行った。
 さてさて、昼ご飯を軽く片付けると、いよいよイルカル出動。これをするために韓国へ来たんだ。島の鳥たちが呼んでいる!
 集落を抜ける一本道を山手へたどり、漁港から交番、小学校、グラウンド、畑、貯水池へとなだらかな坂を登ってゆく。先行するWarblerさんとガリさんから、アカガシラサギの成鳥を見つけたと連絡が入ったけれど、ブルさんと僕は畑のそこかしこにいるムネアカタヒバリに釘付け。くちばしが控えめなせいか、なんてかわいらしい顔をしているんだろう。
 道からそれてグラウンドへ入り、小川沿いにキリスト教会の裏手へ出ると、そこは“春”だった。民家の庭先に花々が咲き誇り、それを借景にシマノジコ、アオジ(亜種シベリアアオジ)を眺められる。地味な色合いのムネアカタヒバリだって、ツツジを背景にすれば、この華やかさ。ここは今回僕のお気に入りの場所になった。せっかくのんびりと鳥を見られるんなら、きれいに見られた方がいい。
 草地では気になるさえずりが聞こえていた。ウグイスである。ウグイスなんだけれど、ホーホケキョとは鳴かずに、ホーホケキキョと1音節多い。しかも「ホケキキョ」のところは間延び気味。日本でよく聞く「ホケキョ」はずっと早口だ。これがチョウセンウグイス。日本の学会ではウグイスの1亜種とされているけれど、Warblerさん&バッキーさんの図鑑では別種として扱われている。さえずっているやつはのどを膨らませて形の印象が変わってしまうので、食事中のやつを選んでよく見てみた。デカいし、赤みが強いし、地鳴きがぜんぜん違う。ちなみにこの島にはウグイスもいる。いつも聞くさえずりと地鳴き、いつも見る色と大きさだった。
 島での初日を終えて、ひとつわかったこと。イルカル初参加のブルさんは、まるで今回欠場のサンダサンの生き写しみたいに、黙々と鳥を探す人だった。ツグミ(亜種ハチジョウツグミ)とか、一人っきりで海岸を歩いて出してる。いぶし銀です。
(写真;島にはお寺もある。けど、荒廃していた。アカハラカラアカハラ、クロウタドリが、蔦につく虫を食べに来る探鳥ポイント。)




























2005年4月30日(土)  午前
 6時過ぎ、霧の中へめいめい宿を出発。それが“ハイライトの日”の始まりだった。今朝も先行するガリさんから、何がいた、何を見た、と入る連絡に耳を傾けながら、僕は昨日見つけた“お気に入りの場所”へまっすぐに向かった。コンクリで護岸された小川をのぞき込むと、シロハラクイナにツメナガセキレイ(亜種キタツメナガセキレイ)、あと今日もたくさんいるムネアカタヒ。ちょうどガリさんが近づいて来たとき、2人の間にヤブサメがちょこんと飛び出した。ガリさんはすかさずカメラを構え、マシンガンを撃つように連写。すばやっ。
 公衆トイレに入ったガリさんが置いて行った望遠レンズを横目で気にかけながら、向こう岸の畑を跳ね回るトラツグミを見ていると、1羽の鳥が電線から小川へ下りた。これって、ぼやっと白っぽいけど、セキレイの幼鳥?? いや、色は淡いだけでぼやけてるわけじゃないから幼鳥じゃなさそうだし、だいいち顔立ちにセキレイ系のさわやかさが感じられない。マミジロタヒバリ系の精悍さも感じられない。んじゃなにかってゆうと、タヒバリの顔なんである。ちょっとやぼったい印象の、タヒバリの顔。けど、胸の縦斑がこんなにかすかで、羽色がこんなに明るいタヒバリの個体変異ってあるのかな。
 「ねえちょっとガリさんあれ見て、変な鳥がいるよ。」 
 戻って来たガリさんは双眼鏡をのぞくとそのまま無口になり、しばらくして「ヤバい鳥」と判断。すぐにWarblerさんを呼んだ。三脚をかついでやってきたWarblerさんの反応は、早かった。一目見るなり「これタヒバリやないで。」と言うと、鋭い眼光で食い入る。ひとしきり見終わってから、ミズタヒバリかも知れない、と口にはしたけれど、断定はしなかった。つまりこのことは、すでにガリさんや僕の達している野外識別力の限界を振り切っている、ということ。ガリさんはこの鳥をあらゆる角度から写真に残すことに専念し、僕はこの鳥が最後にどの種に落ち着こうとも、この次にどこかで見つけた時にはこいつと判断できるように、特徴と印象を焼き付けた。
 朝食のあとは、サシバが良く飛んだ。ざっと、60羽! (写真:昼飯食いに。。。。いっただっきまーす!(Warblerさん撮影))

< 後日談 > 

 帰国後、この鳥はWarblerさんによってミズタヒバリ( Anthus spinoletta、Warter Pipit )と識別され、その中の3亜種中もっとも東に分布する亜種 A. s. blakistoni と考えられる、と結論づけられました。ナイルさんによれば、この個体は韓国内で確認されたミズタヒバリとしては、9個体目または10個体目だということです。 
 旅行中のことですが、Warblerさんはこの鳥を見てからの数日間、時々思い出したように考え込むようになり、突然「なぁCoshy、あれがタヒバリと思うか!?、なぁ、思うか!?  あんなんが!??」なんて言い出したりしました。僕が「思わないですよ! だぁからすぐ呼んだんじゃないんですか!!」と答えると、「せやろぉ?」と言ってまた遠くを見るような目をしていました。見た経験の少ない鳥については判断を急ぐことをせず、真摯な逡巡を繰り返すWarblerさんの慎重さを僕は見ました。
 なお、日本の学会は、ミズタヒバリ A. spinoletta、イソタヒバリ A. petrosus、タヒバリ A. rubesens の3種をまとめてタヒバリ A. spinolettaとしています。今回この島には、タヒバリ A. rubesens もいて、ミズタヒバリと同時に観察することができました。タヒバリがもっぱら乾いた畑で採餌していたのに対し、ミズタヒバリは、畑にいる姿も見られたものの、護岸された小川の水際を歩き回っていることの方がずっと多く、行動的にも差があるように感じられました。

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2005年4月30日(土) 午後
 この日の午後、新しい探鳥ポイントがWarblerさんによって発見された。いつも鳥を探しに往復する谷沿いのメインロードから外れて、集落の中の小道を少し登ったところにある教会の関連施設だ。人が住んでいるので、勝手に「神父の家」と呼ぶことにする。もし牧師さんの家だったら、ゴメンナサイ。僕は「まるで鳥のように」宗教には無関心なのである。
 神父の家はちょっとした高台にあって、足下から緩い傾斜地に耕された畑が広がっている。その向こうに家々の屋根を見下ろし、いつも僕らが通っているグラウンド、小学校、教会も眼下にある。背後は韓国海軍の基地がある山で、その主稜線は北西から南東だ。神父の家に立っていると、なんと背後の山から鳥たちがつぎつぎと畑やグラウンドに下りてゆくのが見られるのである。
 つまり、ざっくり言うと、こういうことらしい。ユーラシア大陸の東岸は、シベリアからマレー半島にかけて北東から南西の方向に、斜めに切られている。海岸線近くを渡る鳥たちはこのラインに沿って、春は北東へと飛ぶ。中国本土から黄海を渡ってこの島へ来た鳥たちは、まず海軍の尾根にぶち当たる。そして主稜線を越えると休息のために斜面に沿って降下してゆき、ちょうど神父の家をかすめるようにバラバラと着地していくのである。
 「ズグロチャキンチョウみたいなんが、警察署の庭に降りたで。」
 神父の家にいたWarblerさんから連絡が入ったのは、汗ばむ日差しのふりそそぐ午後3時。島じゅうに散っていた他3名は大慌てで警察署へ向かった。そこに待っていたのはなんとも特徴の薄い、アカマシコのようでもあり、ブリーチをかけたイカルのようでもあり、前にスマトラ島で見たハタオリドリ類のようでもあるだった。ズグロチャキンチョウは、オスなら鮮やかな黄色と黒に塗り分けられたその顔面で、他の鳥と見間違うことはない。なのに、ここに来たのはメス。これまたWarblerさんなくしては、どうにもこうにも、首をひねってひねって、ひねりすぎて筋を違えてしまいそうな鳥だったのである。
 レアものが2つも出たので、思わずそのことばかりを書いてしまったけれど、今日見た鳥は全部で75種。池のほとりで旅の疲れを癒すアオアシシギ、くりくり目玉のコサメビタキ、忙しく飛ぶ虫を追いかけては枝に止まるノビタキ、漁師の家のアンテナで空を見上げるイソヒヨドリ。日本でもおなじみの鳥たちだ。日本じゃあんまり見ないのは、赤とオレンジ色が目にしむギンムクドリ、熱帯鳥のオーラ漂うヤマショウビン、航空機みたいな色合いのアカハラダカ、港にたたずむ識別悩ましきセグロカモメ類(Larus taimyrensis?)、パチンと噛まれたら痛そうなコイカル。。。島の鳥見、滑り出し快調デス。
(写真;韓国料理・・・ジャジャミョン、ビビンパ、煮豚、朝食セット(ブルさん撮影)。この国は飯がうまいので、長く旅しても気疲れしない。)
























2005年5月1日(日)  午前
 朝、目が覚めると、声が出なかった。出にくいんじゃなくって、全く出なかった。のどを通る息を口元で微妙に変えて、なんとか意思を伝えることができるといった具合。原因はわかってる。大陸風土の乾いた空気と、“笑い過ぎ”である。
 ことの始まりは3日前。フェリー欠航で暇を持て余した僕らはスーパーマーケットに行って買い物をしたんだけれど、そのときパーティーグッズの「おもしろメガネ」を買ったのである。一種の変装道具だ。このたあいもないオモチャが、僕にはツボだった。メガネをかけた顔がおもしろいというだけで大爆笑しているのに、そのうち芸達者なWarblerさんが、人相に合わせたキャラを演じ始めた。しまいにゃそのキャラで、鳥の解説を始めたのである。フツー図鑑の著者が、こんなおもしろいことするかぁ?? 僕は腹筋を痙攣させてのたうち回った。「8時だヨ!全員集合!」世代だからかもしれないが、ナンセンスな笑いにはめっぽう弱いのである。もちろんそれ以外にも、鳥見中のバカな冗談で笑う、毎夜の飲み会で笑う。とにかくこのメンバーでいると、声帯が使い物にならなくなるのも納得がいくくらい笑うのである。
 さて、鳥の話。今朝のヒットは、ガリさんの見つけたシロハラホオジロだった。もっともこの鳥、渡りの時期には日本の離島などに毎年訪れるので、他のメンバーは見慣れているかもしれない。けど、僕にとってはライファー(生涯でまだ見たことのない鳥)だ。トウモロコシ畑にもぐったヤツを、身を低くして一生懸命探すと、こいつは地面でじぃーーーっとしていた。なんて変わったホオジロ類だろう。ふつうのホオジロ類は、警戒する時は高みに出て、ちっちと鳴きながらきょろきょろするもんだ。それが身を伏せ、地鳴きさえしないなんて。こっちも負けずにじぃーーーっと見続けていたら、そのうちごそごそと歩き、落ち穂をついばみ始めた。落ち着いたやつ。
(写真;島の小学生たち(ブルさん撮影)。「竹島は日本のものか!? 韓国のものか!?」と詰め寄ってくる子もいた。宿に帰ると、その場面を見かけた人が知らせたのか、「子供は学校で聞いたことそのまま言ってるだけで、なんにもわかっちゃいないから、気にしないようにね」と宿のおかみさんが気遣ってくれた。外交カードに使われるためだけの国際問題なんかほうっておいて、一般人同士は大人の常識でつきあえばいい。)

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2005年5月1日(日) 午後
 島に来て3日目、僕らはここの鳥相が変わって来ていることを実感し始めていた。あんなに目についたムネアカタヒバリが減ったかわりに、爆発的に増えた鳥がいた。コホオアカである。畑や草地、プレハブ倉庫の横の狭い裸地で、必死に地面をつついている。十羽ほどの小鳥の群れが地面から飛び立ち、木の茂みに入ったのを辛抱強く探すと、やっぱりコホオアカなのであった。
 さらにコホオアカだけでなく、ホオジロ類全体が増えたような印象もあった。が、これは新しい探鳥ポイント「ホオジロ類の成る木」が見つかったせいかもしれない。この木は乾いた畑の脇にある葉の落ちた低木なんだけれど、地面で採餌している数十羽の小鳥たちが何かに驚くと、いっせいにこれに飛び乗りあたりを警戒するのである。夕方、宿に戻る前に行ってみた。すると、いるわいるわ、ノジコアオジキマユホオジロコホオアカシマアオジシマノジコの豪華顔ぶれ。おまけにズグロチャキンチョウまでいた。とっても贅沢な気分になれました。
 夕食後は、今夜も行きつけの雑貨屋でビアジョッキ片手に「鳥合わせ」。ブルさん、キョウジョシギとコアジサシ、他の人は見つけてないよう。やっぱやることがサンダサンばりに渋いよう。おまけにとってもシャイで、せっかく韓国語いっぱい知ってるのに、コミュニケーションって局面になったら赤面して、サンダサンばりにかすんじゃうよう。でも大丈夫。ずうずうしく出なきゃいけないところは、僕とガリさんで押しますから!
(写真:新聞の折り込み広告で見つけた一品(ガリさん撮影)。「このプリンター、商品券もこんなにきれいに!」・・・って、いいのか!? そんな営業で、いいのか!?)
















































2005年5月2日(月)  午前
 今朝も快晴だ。朝5時半にガリさんと出撃。今回の旅では、イルカルは望遠レンズを2発装備している。ガリさんの500ミリ砲と、僕の800ミリ砲だ。二人ともこれを最近買ったばかりで、撃つのが楽しい盛りである。レンズに手ぶれ補正機能がついているガリさんはゲリラ型である。ばく進しながら、至近距離で見つけた鳥を片っ端から撃ち落として、戦果を上げる。今日も朝飯前にマミチャジナイを撃墜していた。僕はスナイパー型である。「である」と言うよりは、「であることに自分で気づいた」と言った方が正確かもしれない。鳥の入った茂みの前に三脚を立て、がさごそと動く影に照準を合わせて追い続ける。そして、姿が見えた瞬間にロックオン! 連射で撃ち込んで撃沈する。これを1時間続けても苦にならないということに、自分で気づいたのである。センダイムシクイキマユムシクイが恰好のターゲットになる。
 朝食の後は、いつもの探鳥コースをぶらぶらしながら、シロハラオオヨシキリ、ビンズイ(亜種カラフトビンズイ yunnanensis )なんかを撮影していたのだけれど、きれいなコウライウグイスの成鳥を眺める頃には、僕らは時間を気にしはじめた。というのも、今日はブルさんが島を離れる日なのである。実は今回の旅、ブルさんは「イルカルが行く!」とかけ持ちで、「韓日干潟共同調査」に参加するという多忙スケジュール。あさってから調査団に合流し、環境保全活動家へと転身するのである。
 正午近くとなり、グラウンドで4人並んで記念写真を撮った。そして、船の出発時間に合わせて港へと戻って行く途中のことである。むこうから歩いて来るひとりの韓国人青年。首に双眼鏡をぶら下げ、フィールドスコープのついた三脚をかついでいる。ありゃ、どう見たって、バードウォッチャーだ! 近づいて来たら、肩からは望遠レンズのついた一眼レフデジカメをかけ、デジスコ用のコンパクトデジカメも装備しているのがわかった。これがぜんぶ一流メーカー品で、総額100万円に届く完全武装。キミはいったい、どこの、誰!?
(写真;巨大なレンズを振り回す二人(Warblerさん撮影)。何をしているのかと言うと、高速で通過していくショウドウツバメを手持ち撮影してるのである。露出からフォーカスまですべてマニュアルで設定しておいて、あとは連写でシャッターをめくら撃ち。500枚くらい撮ると、いいのが1枚くらいある。フィルムカメラじゃマネできない、デジカメの威力。)

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2005年5月2日(月) 午後
 僕らとその韓国人は、にこやかにアンニョンハセヨ〜と挨拶を交わして立ち止まった。とりあえず英語で話し始めてみたのだけれど通じず、ハングルの単語とジェスチュアでの簡単な自己紹介。彼はついさっき着いた船で上陸し、この先2週間滞在するという。聞きたいことはたくさんあったけれど、ブルさんの乗る船の出港時間が迫っていたので、今夜一杯やりましょうと約束してその場は別れた。
 港に着いたのは遅れ気味になったけれど、船がブルさんを置き去りにすることはありえなかった。なぜなら、僕らはチケット売りのおばちゃんとすっかり友達になっていて、必要なら船を足止めしてくれるからだ。笑顔で手を振りながら離岸してゆくブルさんをみんなで見送ると、ちょっとした寂しさが流れた。
 午後は貯水池のほとりに三脚を立て、セキレイたちがファインダーに入ってくるのをじっくりと待った。彼らは水際をちょこちょこと歩きながら、池の上を通る羽虫を見つけては捕まえに飛ぶ。縄張り意識が強くって、他のセキレイが近づいてくると、追い払いにまた飛ぶ。けど、けんかばかりしていると、虫を反対側のお隣さんに採られてしまう。そればかりか、池の上を高速で巡回するツバメたちに盗られてしまうことも多い。彼らの食事は、スポーツだった。メンバーは、ハクセキレイ(亜種ホオジロハクセキレイ)、ハクセキレイ(亜種タイワンハクセキレイ)、ツメナガセキレイ(亜種マミジロツメナガセキレイ)、キセキレイ
 夜はビール片手に韓国人バードウォッチャーと鳥合わせとなった。向こうも男3人組で、昼に会った青年は大学院生であり、若き鳥類学研究者だった。ガリさんは彼を「1号機」と名付けた。謙虚でありながらも、韓国鳥類学を背負っていく気概を感じさせる新進気鋭の好青年。外国人であるナイルさんを越えていかなければならないこの国の最新兵器として、ぴったりのネーミングだ。他二名は、1号機の研究室の「センパイ」と、民間生物研究所の「カメラマン」。話は鳥の情報交換から始まってとめどなく続き、深夜に。鳥屋は朝が早いので、話し足りない分は明日の夜に仕切り直し、ということでお開きとなった。明日は僕らを「刺身で宴会」に招待してくれるという。楽しみっ!(写真;ブルさん旅立つ(Warblerさん撮影)。道中、気をつけて〜。)

< 後日談 > 

 翌日ブルさんは韓日干潟共同調査団に合流し、5月6日にかけて調査や集会への参加を続けました。行程は、馬山湾(馬山市)→洛東江河口(釜山市)→大和江河口(蔚山市)→江華島という精力的なもので、その活動が5月5日の韓国の新聞に紹介されたということです。
 日本では、最近になってやっと自然破壊をともなう強引な公共事業が見直されるようになって来ましたが、その実効性はまだまだ疑問。韓国の状況はさらに悪いものです。現在進行中のセマングム河口堰建設は、長崎県諫早湾潮受堤防の巨大版といえますし、洛東江河口堰建設は、徳島県吉野川河口堰の巨大版に巨大埋め立て工事がドッキングしたようなもので、こういったかなりむちゃくちゃな事業がまかり通っているのが韓国の現状です。
 各国にはそれぞれの社会的、経済的、国際的な事情があり、環境保全に対する取り組みの程度もさまざまです。しかし、国境というのは人間が勝手に地図上に引いた線でしかなく、鳥たちがそんな後付けのものになんか関係なく生活している以上、鳥の保全を願う人たちが他国に干渉していくことは自然な流れといえるでしょう。ただしそれを民間レベルで行うと、実際には参加者個人への大きな負担を伴うことになります。ブルさんはそれを受け入れ、保全活動を体現しているひとりです。
 ブルさん、お疲れさまでした。
(写真;クロツラヘラサギ(ブルさん撮影)。干潟の破壊がその存続を直撃する世界的な貴重種。)

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