〜自転車でペンギンを見に行こう!編〜

探鳥日記 インドネシア (ジャワ島 その2)

(2002年6月25日〜7月9日 )


6月25日(水)(晴シンガポール〜ナゴヤ Nagoya :高速艇+バス)
 さあ、うしろは降りかえらず、ジャカルタへ帰って旅を続けよう。シン ガポールとインドネシアのバタム島間の乗船切符は、往復で買ったのでも う持っている。けれど、バタム島からジャカルタへのチケットはまだ持っ ていない。というのは、ここへ来る途中の6日前、バタム島で船を乗り換 えする時に買っておくつもりだった・・・にもかかわらず、到着時刻の遅 れのせいでチケット窓口の営業時間に間に合わなかったのである。
 ジャカルタ行き船便のバタム島発が27日朝、ということはわかってい る。念のため2日前の今日のうちにチケットを押さえておこうと、高速艇 で出国。昼前にバタム島のセクパン Sekuupang 港に着き、さっそく切符売り場まで歩いていく。ところが係員に聞いて みると、2等、3等、エコノミークラスとも完売で、残るは7000円も する1等のみ。それを買わないのなら、出航当日の早朝だけに売り出され る追加エコノミーチケットを手に入れるしかないとのこと。なんでこんな に予約が混んでいるかというと、インドネシアの学校の年度変わりが7月 1日だから。その前後2週間くらいがスクールホリデイになっていて、家 族連れで旅行や里帰りをする人が多い時期なんだそうだ。これは大変なこ とになった。こういう国で当日券をゲットするなんて、きっと「スポーツ 」だ。あさっては、ちょっと覚悟して、もう一度ここへ来よう。
 バスで島の中心地ナゴヤまで行き、ホテルに泊まる。(写真;さらばシ ンガポール。)
6月26日(水)(晴/ナゴヤ:0km)
 バタム島には旅行者が見るべきものは何もない。シンガポールや日本の 企業がインドネシアの安い労働力を求めて工場や取引所を作り、仕事を求 めて来たジャワ島やバリ島の人たちが移り住んでいるだけだ。土砂や岩の 採掘で丘が削られ、あちこちに森の生傷のような裸地が醜く広がる。裸地 の前には、モダンな団地を描いた看板が華々しく建てられているけれど、 土地は整地さえされずに長い間ほうっておかれている。その少し先には、 角材とトタンで造られたバラックの集落があって、貧困層の人たちが収集 されないゴミの山を日々築いている。・・・それが、久しぶりのジョギン グをしながら見た景色だった。
 バタム島の物価は高い。首都ジャカルタのど真ん中で泊まるよりも15 0円も高い宿に、2泊目。(写真;バタム島は、土建業者が好き勝手にや っている瀬戸内海の小島、のような醜悪。)
6月27日(木)(晴/セクパン〜海上:客船)
 予想を大幅に上回る苛烈さだった。何がかというと、当日チケット取り 、である。7時半に船会社の事務所が開くというので、6時半過ぎには門 の前に着いた。すでに10人以上の客がいた。7時に開門するとみんない っせいにダッシュ。後ろの方にいた人は門を通らず、切符売り場に近いフ ェンスを乗り越えて来る。たった二つの窓口に50人ほどが並んで、嵐の 前の静けさ。7時半に窓口が開くと、もうみんなオギョウギ良く並んでな んかいなかった。進まない列にいらだって押す、野次を叫ぶ。前の方に並 ぶ人にリベートとIDカードを渡して、代わりに買ってもらう戦法に出る のもいる。そんなことをすると、切符売りは客のデータを一人分ずつパソ コン入力しなければならないので、ますます前へ進まない。エキサイトす る列の後の方。なんとか窓口に近づいたあとは、みんな狭い鉄格子の間か ら、お札と身分証明書を握りしめた手を突っ込んで先を争う。ここで引い ていては船が出てもチケットが買えそうになかったので、僕も真っ赤な日 本国のパスポートを必死にアピール。陽が高くなり始めて気温が上がると 、切符売り場は男の汗の熱気に包まれた。こりゃ地獄だ。
 2時間後、なんとかチケットと疲労が手に入った。出航30分前の船に 乗り込む。ちなみに当日券にはベッドもシートもありゃしないので、甲板 で昼寝した。船上のほとんど唯一の楽しみは食事の時間なのに、エコノミ ークラスのメニューは控えめに表現しても「上品な家畜の餌」だった。イ ンドネシアの人は日本人に対してフレンドリーなので、デッキで暇そうに していると、入れ替わり立ち代わりいろんな人がやって来ては話しかけて くる。一人旅でもおしゃべりをして時間をつぶせるのが救い。(写真;暇 を持て余し、みんな甲板をぶらぶら歩いている。)
6月28日(金)(晴/海上〜ジャカルタ:客船)
 はじめは甲板で眠ったものの、海風が思ったより寒かったので夜明け前 に目覚めた。船内のインフォメーションカウンターの前に陣取って寝直し たけれど、早朝のイスラムの単調な歌ですぐに起こされる。ちなみに船に は礼拝堂もあったりする。敬虔な信者は1日4回、足を洗ってその部屋に 入り、祈りを捧げていた。
 3時間遅れでジャカルタのプリオク港に入り、人の波にもまれて下船。 むらがってくる客引きのタクシードライバー。船内で知りあったインドネ シア人たちとタクシーを値切ってシェアし、街へ向かった。ジャクサ・ス トリートの、前に泊まっていたホステルへ。(写真;エコノミー・クラス というのは、地べたで寝るクラス。)
6月29日(土)(晴のち曇/ジャカルタ:15km)
 ニョーマンさんの息子さんたちは、今日が年度変わりの修了式。午前中 は成績表をもらいに両親とも学校へ行くとのことだったので、午後に自転 車を取りに行くことになった。電車で郊外まで出て、お宅を訪ねる。ロー カルのお菓子でお茶をいただきながらしばらく話をしてから、預けてあっ た自転車を受け取った。ジャクサストリートまで戻る首都の幹線道路は、 当たり前だけれど車とミニバイクと人であふれていた。(写真;夕方の交 差点。)
6月30日(日)(曇時々晴/ジャカルタ)
 もしインドネシアを旅行するのに、主要な島のうちのひとつを時間や資 金の関係でパスするならば、多くの人はジャワ島をはずすだろう。理由の ひとつは、この島の人口密度があまりに高すぎるから。二億人の国民の半 分もがこの島に住んでいて、町の景観は時にインドを思い起こさせること さえあるほど、人があふれている。インドネシア最大の都市は当然、西ジ ャワにある首都ジャカルタ。そして2番目が東ジャワのスラバヤ。この二 都市を結ぶ国道は交通量が多いうえ、見所があまりないのでバスで飛ぼう と思っている。けれど、今日夜行バスに乗ってしまうとワールドカップの 決勝が見られなくなってしまう。出発をもう1日先にして、明日のチケッ トをとった。
 午前中は先週も行ったムアラアンケで鳥を見て過ごした。ジャワアカガ シラサギやブンチョウなどを前回の記録に追加。ちなみにブンチョウはイ ンドネシアの固有種で、いまや絶滅の危機にある。その理由は、田んぼの イネを食べる害鳥として駆除されるから。そして、飼い鳥として捕獲・販 売されるから。みなさん、ペットショップで見かけても、買わないように しましょう。カネを出す人がいるから、採る人がいる。(写真;夜はカフ ェでワールドカップ。)
7月1日(月)(晴のち曇、夜雨/ジャカルタ:10km)
 スラバヤ行きのバスは午後。朝、チケット屋に念のためリコンファームをしに行く。すると、「バス会社が自転車を受けつけないと言っている。きのう電話に出た担当者は載せられると言っていたのに。」と困った顔をする。この時点で僕は今日のスラバヤ行きを半分あきらめた。インドネシアというのは、たとえビジネス上の信用がかかっていようとも、口約束なんか簡単にひっくり返されてしまうような国なのだ。チケット屋がバスターミナルまで行って交渉してくれるというので、予定通り昼過ぎに宿を出てタクシーに乗り込む。ターミナルについてわずか5分。タクシーの中で待っていると、チケット屋はあえなく撃沈されて帰ってきた。彼は本当にすまなそうな顔で「Sorry...」と言って、チケット代を差しだす。僕は「わかってるよ。インドネシアって、そういう国だよね。」と言って、領収書を返した。今、インドネシアはスクールホリデイ。大きな荷物を持った帰省客が多いので、自転車を入れるスペースがトランクにないということらしい。
 ジャクサストリートへ戻り、つい一時間前にチェックアウトした宿に再度チェックイン。突然の予定変更でやることもなく、街を歩く。ふと入ったカメラ屋でフジフィルム社のデジタルカメラを見つける。そういえば、ずいぶん前から僕のカメラのカーソル・ボタンが壊れていて、使い勝手が悪いよなと思い出す。なんとかだましだましやっているけれど、そのうち全く使えなくなるだろう。この国で直すのなら、ジャカルタ以外では不可能に違いない。店長に修理できるかと聞くと、できる店の住所を教えてくれた。自転車でそこまで出かけて修理日数を聞くと、一週間かかるとのこと。あれこれと旅の予定を考え、迷いつつも、結局は頼むことにした。
 さて、明日からどこへ行こうとも、7日後にはジャカルタへ戻ってこなければならなくなった。西ジャワの中の、どこか気持ちのいい森のあるところへミニツアーに行こう。夕食がてら、地図とガイドブックを眺めるつもりで、エアコンの効いたレストランへ。ところがたまたま相席になった日本人、タケシさんと話し込んでしまう。彼は僕と同い歳の同郷で、仕事は国連の職員だ。スケールの大きい人の話はおもしろいうえに、頭がいい人の話し方というのは、分野違いの聞き手にも実にわかりやすい。レストランの閉店後は、彼の部屋まで行って日付が変わるまで話した。やさしい人あたりのなかに熱い意志を感じさせる、ガッツィ−な印象の人だった。
 深夜、宿に帰る。あれっ、明日からの予定がなんにも決まってない! こりゃ、ジャカルタもう一泊だなあ。(写真;綺麗な人。)
7月2日(火)(晴/ジャカルタ)
 シンガポールからジャクサ・ストリートに帰ってきて、今夜でもう5泊目。特にすることもないのにひとつの場所に長居すれば、毎日顔を合わせる人たちの素性を垣間見ることになる。まずは朝部屋を出ると、6年間日本に住んでいたというフィリピン人が「オッハヨウ!」と少し変な日本語で話しかけてくる。
 朝食をとりにレストランへ行くと、スマトラ島出身の女性、ティナ32歳に会う。彼女の夫は75歳のオランダ人。結婚後、彼は帰国してしまい、最後に会ったのが8ヶ月前、最後に電話で声を聞いたのが3ヶ月前だそうだ。手紙や電子メールを書いても、ほとんど返事は来ないという。家のないティナは、月々夫から振り込まれるお金を使って、この安宿でもう2ヶ月も一人暮らししている。その男も罪なことするよな、とは思うけれど、ま、ひとんちの話。彼女のいちばんの悩みは、子供が欲しいけれど旦那の年齢からいって難しいということだと聞いた。生まれた時にもう将来排卵できる個数が決まっている卵子と違って、精子は常に新しく生産されつづけているので遺伝的に劣化しにくいことや、人工受精の医療技術を説明してあげたら、ティナは目を輝かせて聞いていた。
 向かいの部屋に泊まっているのは、ナニワの写真家、ノリ。良い被写体を見つけるために、ここ数日はジャクサ・ストリートをとりしきる極道屋さんのところへ通い詰めている。僕も誘われて、高麗人参と葡萄から造ったワインを2、3度飲みに行ったことがある。ゆうべはカメルーンの旅行者同士がカフェでケンカになり、極道屋さんたちが棒っ切れを持って仲裁に出動したそうだ。ノリの部屋の隣には、口ヒゲをたくわえた背の低いふとっちょのインドネシア人ホモが寝泊まりしていた。時々ノリに手を伸ばしてちょっかいを出すのだけれど、落とせないとわかると部屋を変えて他を探すのだった。
 ・・・などなど、いろんな人がいるもんだ。とはいえ、程度の差はあれ、どれもどこかで聞いたことのあるような話。どこの国のどんな素性のひとであっても、人間のやることなんて、カラスとキツツキほどには変わらない。突然街路樹に登り、歯で幹をドラミングしはじめる人なんていやしない。あ、そういえば中国では、街路樹の枝で眠る乞食を見たことはあるけれど。あのときは、バカでっかいゴミが枝に引っ掛かっているのかと思ったなぁ。(写真;ノリ、ジャカルタではいい写真撮れた? <カメラ修理中のため、別の日に撮影したものです。>)
7月3日(水)(晴/ジャカルタ〜ボゴール:65km)
 朝っぱらから頭が痛いのである。朝食をとっても直らないから、低血圧が原因じゃないだろう。ま、それほどひどくはないので、のんびり行けば大丈夫。11時前に宿をチェックアウトした。
 今日の目的地ボゴール〜ジャカルタ間は高速道路が通っている。だから、一般道はそれほど車が多くはないだろうと思っていたら、これが大間違い。ミニバイクとミニバスの波、波、波。朝宿を出てから夕方宿に入るまで、一時も気を抜くことのできないサイクリング。ジャワ島の人口密度はキキシニマサルなあ。ボゴールに着き、宿探しで6軒のホテルを回ったけれど、全て満室。7軒目で最後のひと部屋をゲット。スクールホリデイのあおりは結構大きいのである。
 ロビーで挨拶を交わした客のひとりが、西ジャワ地域を担当するインドネシア人のツアーガイドだった。南アフリカの白人老夫婦を連れて回っている途中で、老夫婦は高級ホテル、ガイドはこの安宿に泊まるというわけ。雑談がてらこの辺の道路情報をもらい、明日予定していたルートが距離45キロで標高1050メートルを登る、と知った。まだ頭が痛いし、こりゃあさってに延期だな。(写真;路上の食 その1:フルーツ屋。少しだけ冷えている。<カメラ修理中のため、別 の日に撮影したものです。>)
7月4日(木)(晴/ボゴール)
 9時半、宿から歩いて15分のボゴール植物園へ。シンガポールの前に も来ているので2度目。平日なのに休暇中の学生が大挙押し寄せていた。 ゴイサギの多い池のほとりにフィールドスコープを立てる。日陰のベンチ で涼んでいると、ルリカワセミやカルカヤバト、ハイガオハシブトアオバ ト、インドネシアサイホウチョウなどがやって来た。暑い時間は宿で休ん で、夕方から再度植物園へ。朝買ったチケット50円で、もう一回入れた 。チャノドコバシタイヨウチョウがたくさんいるので、メスを選んでよく 観察してみる。もしジャワ島に、チャノドとそっくりなノドアカコバシタ イヨウチョウがまぎれこんでるとしたら、識別はかなりキビシイな。
 同じ宿に2泊目。(写真;路上の食 その2:揚げ物屋。バナナ、豆腐、サツマイモ。<カメラ修理中のため 、別の日に撮影したものです>)
7月5日(金)(晴のち曇/ボゴール市内:30km)
 9時半過ぎに出発、自転車でゲデ・パンゲランゴ国立公園を目指す。2 つの活火山を擁する山岳地の熱帯雨林。標高1400メートルで涼しい週 末を過ごしてから、ジャカルタへ戻るつもりだ・・・・・った。けれど、 あきらめることになる。
 ボゴール市内の交通渋滞はひどいもんだ。インドネシアの大きな街はど こでもそうだけれど、ドライバーが車線を守らないので、自転車でもすり ぬけられないほどに車が詰んでいる。宿を出て10キロ、やっとまともに 走れるようになった。ところがそれもつかの間、数キロ進むとジャカルタ からのハイウェイと合流して、行楽客のマイカーと観光バスの列。その間 を、ミニバイクとミニバスが縫うように走りまわる。排気ガスが光化学ス モッグになるのか、目がしみる。国立公園の手前20キロまで行ってみて も、様子はいっこうに変わらなかった。この調子だと公園はかなりの人出 で、下手をすると宿が取れないかもしれないだろうと判断。引き返すこと にした。田舎育ちの僕は、暑い寒いは気にしないけれど、人と車が多いの にはどうしても耐えられないのである。
 同じ宿に出戻り。インドネシアの“ゴールデンウィーク”に、かんっぜ んにハマってしまった。(写真;路上の食 その3:サテ(串焼き)屋の仕込み。 <カメラ修理中のため、別の日に撮影したものです。>)
7月6日(土)(晴のち曇、夕方から雨/ボゴール)
 この時期の西ジャワの人ゴミのひどさは、きのう思い知った。おまけに 今日から週末だ。おとなしくカメラの修理が終わるのを待とう。9時から ボゴール植物園へ。もう何度も通っているけれど、ここ以外に混み合って ない所といえば、ゲストハウスのロビーくらいしかないからしょうがない 。川沿いの小さな林にキムネサトウチョウがいた。ガイドブックにたくさ んいると書いてあるアオハナドリが、どうしても見つからない。
 午後からは宿で過ごす。フランス人の泊り客は、今日、ゲデ・パンゲラ ンゴ国立公園へ行こうとして玉砕したという。ミニバスがどれも満員で、 乗り場に長蛇の列だったそうだ。(写真;路上の食 その4:売店。この“箱”に寝泊まりしている。<カメラ修理中のため 、別の日に撮影したものです。>)
7月7日(日)(晴のち曇、夕方から雨/ジャカルタ:電車)
 朝食のパンケーキにナイフを入れながら、西ジャワからは早いところ前 向きに逃げよう、と思う。昼前、荷造りをして駅へ向かう。自転車ごと電 車に乗り、1時間半でジャカルタへ戻った。そして旅行代理店へ。バスが ダメなら、船。船でスラバヤまで行こう。思えばこの3週間、人の多いと ころから逃れられないでいる。日本で暮らしている時でさえ、まずありえ ない状況。時々頭痛がしたり、体調がもうひとつよくないはずだよ。この 人ゴミからすぐに連れ出してくれるのなら、飛行機だって使ってやる、と さえ思う。
 チケットの値段や出発時刻、自転車を載めるかどうかなどを調べてもら い、あとは明日のカメラ待ち。(写真;路上の食 その5:ホームで電車を待つジュースの車内販売。氷とストローを入れ たビニール袋に移しかえて、客に渡す。<カメラ修理中のため、別の日に 撮影したものです。>)
7月8日(月)(晴のち曇/ジャカルタ:15km)
 カメラ屋に電話がつながったのは、10時を過ぎてからだった。今日が 修理出来上がり予定の日。尋ねてみると、まだ修理工場から戻ってきてな いという。部品がすぐになかったためらしい。ふぅ。悪い予想通り、とい うところか。こちらが旅行者である事情を説明したら、工場の電話番号を 教えてくれた。担当者と話すと、できたところだ、という。オッケイ!す ぐに店にカメラを送ってくれ、と頼む。そしてまずチケット屋へ行き、ス ラバヤ行きの乗船券の手配を頼んだ。今日の出航にはギリギリ間に合いそ うだ・・・けれど、まだカメラを手にしているわけじゃないのでここは慎 重に。この国の口約束は、何がどうなるかわからない。念のため明日の便 にした。
 昼前、カメラが僕の手に戻ってきた。予定通りにコトが運ぶなんて。思 わず拍手。(写真;路上の食 その5:ホームで電車を待つジュースの車内販売。氷とストローを入れ たビニール袋に移しかえて、客に渡す。<カメラ修理中のため、別の日に 撮影したものです。>)
7月9日(火)(晴のち曇、夜時々雨/ジャカルタ〜海上:客船)
 直前に手配したスクールホリデイ中の乗船券は、あたりまえのようにエ コノミークラス。乗る前から「ハイソサェイティな奴隷船」だとわかって いる。エコノミーには早い者勝ちで取れるベッドがわずかにあるだけで、 3等以上の乗客とは搭乗口も違う。当然こちらの入り口だけ、先を争う超 大混雑。階段の踊り場に相棒の自転車と寝るスペースを確保し、意識をオ ーストラリアのガイドブックの中へと飛ばす。
 「上品な家畜の餌」の配給には並ばず、持ち込んだ食べ物を少しだけ口 にして、浅く眠る。(写真;乗船下船は軍が取りしきる。)

探鳥日記 インドネシア(ジャワ島 その3)