〜アジア横断編〜

探鳥日記 フィリピン

(2001年6月28日〜7月3日)


6月28日(木)(曇のち雨/香港〜ムニョツ)
 8時半出発。雨は降っていないけれど、雲行きはあやしい。中国政府外交部でビザを、日本領事館で郵便をピックアップ。郵便は、旅に出る前に留置きで送っておいた東南アジアの図鑑など。空港へ。バスを使うため、かなり時間に余裕を持って向かったらすぐに着いた。ロビーで本を見て時間をつぶす。図鑑が変わると、おんなじ鳥でもイラストの感じがだいぶ違うのがある。
 フライトは2時間。入道雲の上の青空を飛んで、雲の下に戻ってフィリピン入り。夕方5時半、入国手続きを済ませて待ちあいに行くと、迎えに来てくれたカシメロさんが手を振る。ここから車で150km北のヌエバ エシジャ州へ。雨と大渋滞につかまって、ムニョツについたのはなんと夜11時だった。彼の職場の研究所の、ドミトリーに泊まる。滞在中はここのゲストという立場、あしたは挨拶回りになる。(写真;フィリピン農業省米研究所、略称フィルライス。)
6月29日(金)(曇時々雨/ムニョツ)
 6時過ぎに起きた。朝のしたくをしていると、窓の外に小さな鳥がいる。チョウショウバトだ。木立の中のムナオビオウギビタキは、やたらと忙しく動く。ちょこちょこと枝を代え、連れだって飛び、スズメに追われて逃げまわる。その合間には、尾羽を開いたり閉じたり、上に反らせたり。やっとフィールドスコープで捕まえたと思ったら、これはメグロヒヨドリ。大きさと色合いが良く似ている。
 約束通り、8時にカシメロさんが来る。午前中は研究所内を案内してくれる段取りだ。まず車で広大な試験農場へ。田んぼにいるサギは、リュウキュウヨシゴイかヨシゴイ。鮮やかな黄緑色のルリノドハチクイもいた。戻って研究室を見て回る。6000品種もの稲の貯蔵庫から、バイオテクノロジーの実験室まで。丁寧な説明を聞いて、好き勝手におもしろそうなところだけ質問できて、気楽なもんだ、と楽しんでいたら、そのあとナイジェリア人ライターのインタビューを受けるハメに。関連機関のイントラネットニュースに載せるという。午後は、数キロ離れた中央ルソン大学のキャンパスで、少し鳥を見た。(写真;米製品の研究室では、開発途中のライスワインを飲んだ。ジュースみたい。)
6月30日(土)(曇時々雨/ムニョツ〜スビック(往復))
 6時過ぎ出発。カシメロさん一家とザンバレス州へドライブ。道中の田んぼにはチュウサギの大きな群れがいて、セイタカシギが混じる。池のほとりの草むらにはギンパラがいた。やがて景色は一面まっ平らなサトウキビ畑になり、その土は火山灰。ピナトゥボ山まで何十キロも離れているのに、10年前の噴火で埋もれた教会や展望台の軒先が目の高さにある。
 スビックベイはもと米軍基地だ。ゲートを越えて林の中の道を進むと、モリツバメが飛び交っていた。枯れ木のてっぺんにはスンダガラス。図鑑にはハシブトガラスによく似ていると書いてあったけれど、体がずっとスリムでくちばしがやたら長いことが、ひと目でわかる。このころにはもう双眼鏡が3人の子供たちのものになってしまった。ハイライトはカラスくらいの大きさのこうもりの群れ。時々雨だったので大群で飛ぶのは見られなかったけれど、木の枝にたわわにぶら下がって、ざわめいていた。(写真;ドライブ帰りに眠るドンナちゃん。) 
7月1日(日)(晴/ムニョツ〜バルンガオ(往復))
 7時出発。今日はパンガシナン州にあるカシメロさんの奥さんの実家へ行く。果物や稲を栽培する広い農場で、池や小川や林もある。耕したあとの田んぼでは、ヒメマミジロタヒバリが地面で羽づくろい。ハリオハチクイは水たまりの上を行ったり来たりして、何か虫を採って食べていた。若鳥は数羽の群れになって飛んだり、 木の枝で付かず離れずじゃれあったりする。タカサゴモズは中国のとは色の違う亜種nasutus?だった。ナンヨウショウビンは「ゲェッゲェゲェゲェゲェ」というダミ声が聞こえるばかりで、なかなか姿を見せない。農家の人に巣があると聞いた林の近くで、やっと見られた。下枝にとまることが多くて、アオショウビンのように目立つ場所には出てこなかった。
 帰り道、すれ違った自転車の少年が鳥を持っていたので、呼び止めた。ツルクイナの若いオスと、もう1種は知らない鳥。今晩のおかずにするそうだ。(写真;カシメロさんの親戚の家。風通しが良くて涼しかった。)  
7月2日(月)(晴/ムニョツ)
 6時半出発、息子さんを高校へ送るカシメロさんの車に便乗して、中央ルソン大学へ。今日は1日中ここで過ごす予定だ。庭木は巨木に育ち、キャンパスはどこまでが構内なのかわからないくらい広い。低い枯れ木のてっぺんでは、これでもセッカ !?と疑うほど巨大なオニセッカがさえずる。若鳥はかなり黄色っぽくて、成鳥とはまるっきり色が違う。牧草地の電線には、チビっこいクロノビタキがちょこんととまる。くちばしから目玉、足まで全部まっ黒で、羽根と腰にだけまっ白が入る。木立の中のゴジュウカラ顔は、マダラナキサンショウクイ。見慣れたバンケンやハッカチョウもいた。
 午後は大学の図書館で鳥の本を見た。自転車に積む重さを減らすため、フィリピンの図鑑は持っていないからだ。1946年の本によると、きのうの自転車の少年が晩ご飯にしたうちの、名前を知らなかった方はRal lus philippinesらしいということがわかった。けれど、手もとの世界の鳥リストには載ってないので、シノニム(異名同種)で消えたのかもしれない。夕方研究所にもどると、イントラネットのオンラインニュースに「"Birdman" visits PhilRice」という記事が載っていた。(写真;フィリピンでは自由に鳥が採れる。手に網、腰にバン。)
7月3日(火)(晴/ムニョツ〜香港)
 朝4時半出発。フィリピン大学へ向かう車に便乗して5時間のドライブ。この国は交通事情がかなり悪いので、研究所の人たちは遠方の会議に出るのに、しょっちゅうこんな具合だそうだ。大学周辺の街で、食事をしたり、いらなくなった荷物を日本へ送ったりして過ごす。帰り道の途中、空港へ落としてもらって出国。1時間半の夜間飛行で香港へ戻る。
 香港島コーズウェイベイの安宿に泊まる。フィリピンでは暇がなかったので、夜中に洗濯をした。(写真;サイドカータクシーから見たムニョツの街。)

探鳥日記 中 国(香港区〜広西省)