〜アジア横断編〜

探鳥日記 中 国(青島市〜上海市)

(2001年5月6日〜5月19日)


5月6日(日)(濃霧のち晴)

 5時に起きて甲板に出てみると、すごい霧。船はひっきりなしに霧笛を鳴らしてトロトロ進んでいる。8時、とうとう停泊。視界は100メートルもない。時間を持て余してデッキを歩いていると、ゆうべの中国人男性が部屋へ招き入れてくれて5人ばかりと雑談して過ごす。うち2人は英語をしゃべるので話ははずみ、弁護士の女性が、知りあいが働いているからといってその日の宿を携帯電話で予約してくれた。11時過ぎても船は動かず、無料昼食が振る舞われる始末。暇つぶしに自転車の整備をしていると、霧の中から鳥の声がする。コシアカツバメだ。船の周りを飛び回ったり、時折デッキの屋根にとまったりしていた。鳥を見ていたら、今度はきのうのツアコン志望の女の子がやってきて娯楽室に誘う。行ってみると、例の小学生たちを含めて10人ほどが待っていた。ゲームはトランプを4組216枚も使う、景気のいい「大富豪」だった。
 3時頃霧が晴れて、やっと着岸。紹介された宿へ向かう。着いてみると、チャイナドレスのドアガールが4人もいるシーサイドビューのリゾートホテルだった。チェックインのあと、空の自転車に乗って買い物へ。とりあえず地図がなけりゃ始まらない。本屋を探してうろついていると、なんとジャスコがあった。3階建て大駐車場付きだ。地図と携帯食、あと何かの役に立つかもしれないと思って「日語会話」なる教科書を買って宿へ戻る。湯舟につかるのは久しぶりだった。(写真;夜の青島)
5月7日(月)(濃霧)

 朝6時半出発。今日もまた濃霧だった。早朝の青島市内は、散歩やジョギング、太極拳、社交ダンスなどをする人でにぎわう。街角には小鳥売りが歩道に籠をならべているので、あちこちからきれいなさえずりが聞こえる。多いのはクビワコウテンシとガビチョウ。クビワコウテンシはビブラートの入った明るいさえずりで、ヒバリのほどせわしくはないので、売れ筋なのもわかる。その他、イカル、コイカル、キュウカンチョウ、ベニスズメなどなど。ゆっくり見て回りたかったのだけれど、自転車を止めておくとあっという間に10人くらいの人だかりができて、あれこれ聞いてくるので長居できない。ローカルフェリーで膠州湾を西へ渡るつもりだったが、濃霧のため停船。湾をぐるりと迂回するとたぶん100km近くになるけれど、霧がきのうと同じなら夕方までは晴れないだろうから、走ることにした。交通量が多く単調な国道を進み、膠州市杜村の旅館泊。(写真;青島の小鳥売り)
5月8日(火)(霧のち晴のち夕立)

 8時出発で未舗装の農道を南へ。しばらく行くと広場に青空市が立っていて、小鳥売りがいた。通りすがりながらでは識別できない鳥がいたので、立ち寄ってみた。田舎の中国人はみんな人なつっこくて、必ず椅子をすすめてくる。売れ線のクビワコウテンシとコイカルのほか、アジアコヒバリとカンムリヒバリがいた。アジアコヒバリは亜成鳥で、カンムリヒバリはくちばしの付け根に黄色を残す雛だった。いっちょまえに、もうトサカが立っている。地面に営巣する鳥は、卵の時に採ってくるんだそうだ。ちなみにカンムリヒバリは1羽4000円。今日は持ってきてないが、シメもあるよといっていた。
 ひたすら南西へ走る。このあたりの農村の鳥は、スズメ、ホオジロ、メジロ、セッカ、キジバト、木立にシジュウカラ、ちょっとした池に丈の高い植生があればオオヨシキリ。鳥の声だけ聞いているとなんか日本にいるみたいだなあ、なんて思いながら走っていると、突然きらびやかなオサムシが道を横切って大陸にいる現実に引き戻される。16時頃から風向きが変わったかと思うと、遠方から黒雲。雷鳴もかすかに聞こえる。膠南市海青の宿に着いて15分後にどしゃ降り。きわどかった。(写真;のんびりとした農道)
5月9日(水)(晴)

 朝5時、「ドォーン!」という大きな音で目がさめた。窓から階下を見下ろすと、交通事故だった。ロータリーになっている十字路の真中のコンクリにトラックが衝突していた。いったいどうしてそういう壊れ方をするのかわからないのだけれど、前輪がシャフトごと外れてトラックの前方に転がっていて、本体が来るのをむなしく待っていた。本体のほうはといえば、散歩をいやがる犬みたいに「伏せ」をしたまま動かない。  7時半に出発、事故車はまだ手つかずのままだった。南へ。青々と実る麦畑のなかの国道を走る。畑にできた水たまりに、7‐8羽のセキレイの群れがいた。ツメナガセキレイだった。忙しく歩き回っては、時々ヨトウガの幼虫みたいなものをついばんでいた。中に1羽キガシラセキレイも混じっていた。しかもよく見るとツメナガセキレイは眉斑の白い亜種simillims?と、黄色い亜種taivana?の両方がいる。混群なのだ。どれも冬を東南アジアや中国南部で過ごし、夏にモンゴルや中国北部で子育てをする渡り鳥。今は旅の途中でここにいる。だいたい同じ方向に行く違う種類の鳥たちが、仲良くいっしょに旅をしているらしい。 さらに南下して山東省をクリアし、となりの江蘚省に入ってすぐの町、柘汪に宿泊。(写真;ツメナガセキレイ、亜種simillims?)
5月10日(木)(晴)

 8時発。上海を目指して今日も南へ。国道沿いの大きな人工池では、中央の小島がアジサシの集団繁殖地になっていた。他にケリ、カルガモ、セイタカシギ、アオアシシギの小群、若鳥ばかりのユリカモメがいてにぎやか。夏羽のツルシギは全身まっ黒、くちばしが鮮やかに赤くて、目の周りだけちょこんと白い鳥だ。餌採りに熱中していると、だんだんアジサシの島に近づいてしまい、親鳥に追い立てられてあたふたと逃げまわっている姿は、ピエロのようにユーモラスだった。
 夕方、並走して話しかけてきた自転車の青年から、連雲港市金城に行けば宿があると聞き、旅館にたどりついた。ここでは外国人の宿泊に公安局の許可がいるとかで、警察官が3人宿まで出向いてきた。しばらくやりとりがあったあと、この街には泊められないから新浦まで5km戻れ、ということになった。警察官が帰ったあと、宿の老主人はパスポートを読み返して、いったいどこがわるいんだ、という仕草で申し訳なさそうにに手渡してくれた。もう日暮れなので急いで新浦まで戻り、はじめに見かけた旅館に入った。ところがここでも公安の許可は下りなかった。外国人はホテルに泊まれという。しょうがないなあとあきらめ、市街地へ向かおうとしたら、宿の主人が「自転車か!」と驚いて、なんともう一度公安にかけあってくれた。けれどやっぱりだめで、すまなそうに家族一同で送り出してくれた。そんなわけでホテルに泊まることになった。久しぶりに風呂にも入るのも悪くないし、まあ1200円くらい払うのは構わないけれど、そこまでして外貨が欲しいか、中国政府。(写真;道路わきのアイスクリーム売りの女の子。バイクは「SUZUKI」ではなく「SUZUS」、ブ レーキ系統はスズキの純正品で、キャブレターはケイヒン部品社製だった。タイヤには漢字。)
5月11日(金)(晴)

 8時過ぎ出発。地平線へのびる204号線の逃げ水を追って、今日も南へ。きのう江蘚省に入った頃からだろうか、鳥相がガラリと変わった。理由は明らか、豊潤なのだ。川は満々と水をたたえ、畑のわきの水たまりに は草が生い茂る。木が多く、そして鳥も多い。ハス田ではタカブシギが忙しげに歩き回り、農家の庭先にはシロガシラが遊ぶ。ヤツガシラも多く、道路の脇から飛び立ってモノトーンの翼をはためかせる。ダルマエナガを見るのも韓国以来だ。今日出会ったツメナガセキレイの群れには、眉斑の白い亜種simillima?と黄色い亜種taivana?のほか、眉斑がなくて頭が濃いグレーに塗りつぶされた亜種macronyx?も混じっていた。
 向水(向は似た当て字を使っています)の旅館に宿泊。20時頃から街中が停電して、ろうそくで過ごす。(写真;中国は自転車の国。幹線道路には必ず自転車道がついている。なんと、高速道路にも!)
5月12日(土)(朝霧のち晴)

 泊まった宿がアヒルの雛を飼育する兼業農家で早起き、こちらも5時起床。霧の残る中、7時出発。今日も日差しが強く暑い。このあたりの中国の景色を他のところにたとえるなら、北海道だ。北海道はむかし、いちめん針葉樹の大森林と大きな川の氾濫原だったはず。それを伐採と河川改修で、まっ平らなジャガイモ畑にしてしまった自然破壊の大地。それと同じものがここにもある。ただ、あの島とは比べものにならないほど、中国はデカい。
 道は南東に一直線。道路わきの電線に止まっているのはカノコバトアカモズ。204号線からはずれて射陽河沿いに東へ入ると少し様子がかわって、植えこんだ河畔林にクロウタドリが飛ぶ。中国に入ってからこっち1羽もサギ類を見なかったが、今日、アカガシラサギがいた。射陽(シーヤン)の旅館泊。宿の主人は漢民族の顔立ちではない。(写真;ちょっとした川の橋に上がると、地平線。)
5月13日(日)(曇)

 宿の主人から、南東へ40kmほどの河口付近がタンチョウの越冬地で、省の自然保護区になっていると聞いたので、行ってみることに。8時出発、今日は風が強い。クロハラアジサシの群れが追い風に乗ってぶっとんでいく。着いてみると保護区は広大で、自転車でちょっと見て回るなんてナマハンカなものじゃなかった。堤防の上の並木には、カッコウとオウチュウがたくさんいた。ここまで来るのに向かい風と悪路のためもう半日を使ってしまったので、近いところにいるシギ類を見て引き返す。
 南下して塩城(イエンチョン)市西辺の旅館に泊まる。一階で美容室もやっている宿で、十畳もある店には、椅子はぽつんとひとつあるだけだった。夕食は家族7人といっしょにいただいたけれど、食べながらの筆談はもどかしい。(写真;新洋港自然保護区。看板には、珍貴、頻急野生動物、七年以下、投獄。)
5月14日(月)(晴時々曇)
 快晴の朝、2階のテラスで顔を洗っていると、カッコウとツツドリとホトトギスの声がした。7時半出発。青島から上海へ南下する幹線は204号線だが、今はそれより東へ25kmくらいのところを並走する田舎みち を走っている。アスファルトの道が荒れたのか、土の道が踏み固められたのかわからないようなデコボコ道だ。見渡すかぎりの麦畑は、もうこがね色の穂をゆらす。昼頃になると下からの照り返しが暑い。たまに通る農作業のトラックは、ものすごい砂ぼこりを上げてかなたからやってくる。小川沿いには丁寧に並木が植えられていて、クロウタドリの巣立ち雛がいた。食べ盛りの子供のために、親鳥はヤマゲラ(キツツキ類)がトントンと虫を掘り出すそばにやってきて、おこぼれを待っている。ひょっとしたら横取りを狙っていたのかもしれないけれど、ヤマゲラは不審そうにキョロキョロしたあと飛んでいってしまった。
  大豊(ターフォン)市万盃(盃は似た当て字を使っています)の旅館泊。今日の宿は酒屋と兼業、ベッドには蚊帳がつってある。(写真;泊まった旅館の、たぶん、男の子。言葉は通じなくても、子供とはすぐ友達になれる。)
5月15日(火)(曇)
 朝からどんよりした空模様。7時半出発。雲は少しずつ薄くなっていき、雨は避けられそうだけれど、かなり蒸し暑い。緯度で見たら、もう鹿児島県に入っただろうか。タカサゴモズをよく見かけるようになった。 今日は北風だったので、風に押されて気持ちよく南下。盆河(盆は似た当て字を使っています)の旅館泊。あさって訪ねる予定の、興和株式会社上海事務所のYさんに電話してアポをとる。久しぶりに日本語を話した。(写真;ニワトリ満載!の車。ブタ満載!とかヤギ満載!もある)
5月16日(水)(霧のち晴)
 8時前出発。盆河から南へ下る道では、小川にかかる橋のほとんどを改築中だった。中国の田舎の工事現場に重機はない。岩も砂も、かつぎ棒を使って少しずつ少しずつ運んでいく。橋桁になるコンクリの板は、すぐわきの路上で木枠に流し込んで整形している。できあがると、これもワイヤーを使って人力で運ぶ。騒音はなく、重いものを持つ人たちが歌う作業唄が心地よく聞こえるけれど、そののんきな抑揚とはうらはらに、みんな汗だくで真剣な表情だ。
 南通(ナンドン)港に15時着。ここから船で長江を下って対岸の上海へ渡る。出港は22時だったので、待合室で昼寝や自転車の整備などして過ごす。乗船して夜の長江を見渡すと、瀬戸内海を思いだした。ベッドに もぐりこんで、7時間半の船旅。(写真;コンクリートに塗り固められた日本の川とは、違う)
5月17日(木)(霧のち雨、午後から曇り)
 5時に起きて甲板に出てみると、もう船は長江の本流からはずれて、上海の真中を流れる黄浦江(ファンプジャン)に入っていた。両岸に立ち並ぶビルが霧に霞み、東京湾にいるみたいな景色。5時30分、上海港着。 やらなければならないことはたくさんあるが、街はまだ始まっていない。朝食で時間をつぶしたあと、大きめの自転車屋を見つけて入る。韓国で折った後輪のスポークの補修は応急処置だったので、ちゃんと直してもらうためだ。しかしスプロケットを取り外す専用工具がなくてダメ。その店から、マウンテンバイクの専門店の場所を教えてもらい、修理できた。でも、補給したかったスペアタイヤとスペアチューブはどちらの店にも合うものがない。雨が降り始めた市内を走って5軒ほどまわり、タイヤは中国製のものを発見。
 そうこうするうちに午後になり、興和株式会社のYさんとの約束の時間が近づく。チューブが見つからないまま浦東(プドン)新区に向かう。興和の事務所は“ちょー”近代的な高層ビルの12階にあって、上海の街を一望できた。絶景!予防接種を受けるため、Yさんに同じビル内にある病院を紹介してもらう。注射を受ける前に、念のためと体温を計ってみると、微熱が。この5年間ほど、熱なんか出たことがなかったので信じられず、何度もやり直したけれどやっぱりある。女医さんの「まあ、今夜よく眠ってまた明日来てください」の言葉に素直にはいと答えて宿へ。もう肝炎にやられたんだろうかとブルーな気分で夕食を食べてシャワーを浴び、ベッドに横になったら、熱はひいていた。調子の悪いときはだいたい、腹が減っているか、眠いか、向かい風か、そんなもんだ。(写真;上海)
5月18日(金)(晴のち曇り、夕方通り雨/上海)
 朝6時起床。まず、たまっていた洗濯物をかたずける。もちろんシャワー室でハンドウォッシュ。それから自転車の整備。伸びたワイヤー類を引っ張って、ボルトの増し締めと駆動部のグリスアップ。そして街に出た。今日こそスペアチューブを見つけないと、旅を続けられない。中国では筆談で何でも通じるけれど、弱点は電話が使えないこと。現地へ行って相手と向かい合わないと、なにも進まない。5軒ほど回ると、もう昼になった。
 午後は予防接種のため、渡し舟で黄浦江を渡って病院へ。検温も平熱でパスし、A型肝炎と破傷風のワクチンを打ってもらう。「肝炎のほうは、5ヵ月後にもう1回受けてくださいね」と言われたので「カトマンドゥあたりかなあ」と答えたら、先生は笑いながら「注射針は新品を使うかどうか確認したほうがいいですよ」とアドバイスしてくれた。
 繁華街に向かい、インターネットカフェに入る。自転車はアメリカの大手、TREK社製だ。その上海の代理店へ行けばチューブがあるはずと思い、住所を検索してみた。けれど、なんと中国には1店もない!
 すっかり日も暮れて、宿に戻りながら見つけた自転車屋にはいちいち入ってみるが、「没有(メイヨー)」。閉店間際の店の若い男の子に、上海で一番大きいマウンテンバイク屋の住所を聞いた。あしたそこに行っても なかったら、きっぱりあきらめよう。(写真;黄浦江の渡し舟。立派な橋もあるが自動車専用。) 
5月19日(土)(晴のち曇り/上海)
 土曜の街は繰り出した人と自転車でごったがえしていた。マクドナルドとケンタッキーは中国人に大人気で、駐輪違反を取り締まる警察官が、店の前で目を光らせている。ゆうべ住所を聞いたマウンテンバイク屋にたどりつく。それほど大きくないGIANT社の代理店だった。中国で見かけるG社のバイクは、チューブのバルブがフレンチタイプではない。50台ほどある展示品もすべてちがう。こりゃだめかなあ、と思いながら、店員さんにたずねると・・・・あった!! 思わず声をあげてよろこんで、カウンターの女の子たちに笑われた。何でこの人中国語がしゃべれないのに漢字が書けるの?と不思議がる子を横目に、筆談で事情を伝えてお礼を言うと、ひとりの女の子が「たしか日本語では「DOUITASHIMASHITE」よね」と言った。そのあとツーリストインフォメーションなど回って情報を集め、宿へ戻った。あしたから、また走れる。(写真;これも、上海!)

探鳥日記 中国(上海市〜江西省)