日置流
弓構え

いやあカッコいい!!
「日置流 大寺辰生君」とあります
岩をも砕きそうな凄みがあります

しかもこの写真には古流の謎が隠されています
実際にやってみて気がつきました
斜面で引いている方でも何気なく見るだけでは
見過ごしてしまうかもしれません
ヒントは矢先が的方向前方下を向いていることです

以下にこの写真を掲載するに至った経緯を載せます


大事な事  投稿者: Tamesan  投稿日: 1月28日(金)21時08分43秒

弓引く時の一番大事な事は、自分にプライドを持つ事
「我が身を大日如来と思え=大日の規矩(ダイニチノカネ)」
この表現はとても好きでした
丹田呼吸や澄ましは技法ですから、師匠から手ほどきを受けないと上達しません
大日の規矩は心法ですが、笑花さんには、はじめから備わっていると思いました
男だったら「りりしく」女性は「凛として」行射することです
古い絵葉書を入手したので、フォトに入れました
雪荷派の古流弓構えだと思います
かっこいいですよ
「凛とした射」で審査にのぞんで下さい
応援しています 

古流弓構え  投稿者: Tamesan  投稿日: 2月19日(土)10時49分18秒

「大寺辰生君」の写真が大洲城を背景に撮られていると聞いたので、大洲=宇和島の支藩
宇和島は藤堂家=雪荷派と考えていました
ところが、最近各藩の武道流派を紹介するサイトに巡り会いました(下記参照)
それによると、宇和島藩の弓術は小笠原流と日置流
大洲藩は小笠原流と日置流(印西派)となっていました
雪荷派、印西派どちらも弓構えは同じです
首の大筋、体の縦一 雪荷派が手本にできる見事な構えですが、印西派の可能性も大きいようです
したがって、「古流弓構え」あるいは「日置流」の名称にとどめておくべきでした
一閑斎さんのHPによると、雪荷派弓術は全国的に普及したメジャーな流派だったようです
先週、鹿児島県出水市で薩摩日置流の方にお会いしました
戦場の弓を今も伝承されている地域です
「日置流発祥の頃の弓術は三河、戦場弓の事は出水に聞け」
紙の上には記録できないことがいっぱい継承されています

http://kobe.cool.ne.jp/ikkansai/syohan.htm

re:古流弓構え  投稿者: 管理人@jiro  投稿日: 2月19日(土)17時29分20秒

「大寺辰生君」の弓構えを手本に稽古してみて幾つか気がついたことがあります
1、矢番え、取り掛けは体の左側面。
2、甲矢を番えたとき乙矢は甲矢に添えて打ち込まない
ボクはもともと正面から斜面に変えたこともあって
正面より少し左斜め前で矢番えをします、
弓手の虎口が側木と内竹のかどに当てられているので
そのまま「大寺辰生君」のように弓を構えると矢の先はむしろ上方を向いてしまいます
写真のように番えた矢の先が的方向前方下に向くためには
弓構えの段階で弓手の虎口は弓の内竹に当てられています
そのためには矢番えの段階から虎口を内竹にあてている必要があります
つまり引き分け終わった最終段階に近い形を最初から作っていると考えられます
前後一連の動作が分からないのではっきり分かりませんが
この弓構えを作ろうとすると乙矢を甲矢に添えることが困難になります

re2:古流弓構え  投稿者: Tamesan  投稿日: 2月20日(日)00時00分58秒

○ 甲矢を番えたとき乙矢は甲矢に添えて打ち込まない
 日弓連作法からスタートしたため、乙矢を逆羽に打ち込んでいましたが、吟味する必要がありそうですね。
甲矢では弓倒しをしない流派もあります
○ 正面より少し左斜め前で矢番えを
純粋に薩摩日置流だけで修行している人によると、
正面系から斜面に変えた人は、手の裏を作ろうとするのですぐ判別できるそうです
「良い手の裏ができる位置」で握ればよさそうです
印西派の「単の身」等は敵の矢を弓で守るために、体左側面で取り掛けるようです
軍弓では弓返りもさせないといいますから、手の裏も効き過ぎない方がよさそうです
 もっとも、留め矢は弓返りさせると聞きました
○ 雪荷派の弓構え(古流)は何故取るのか、この意味がまだ理解できません
私たちは現代流でスタートしているので、古流復活はなかなか困難です
Jiroさんのご指摘で、射法もZeroから点検すべきかなと思い直しました

続:古流弓構え  投稿者: 管理人@jiro  投稿日: 2月23日(水)11時54分21秒

写真を手本に稽古しながらあれこれ推理しました
矢番え、取り掛けは体の左側面、は間違いだと気がつきました
ためさんの仰るとおり状況に応じて「良い手の裏ができる位置」ですね
今まで走り羽の向きで筈と弦の向きを確認していたため
筈を側面から見ながら番えることを常識にしていたので気がつきませんでした
はじめての人に弓と矢を持たせて矢番えさせてみるとよく分かります
筈と弦のかみ合う角度を直接目で見て確認しながら番えます
こうして番えた後に弓を構えると「大寺辰生君」の弓構えになります
この弓構えは敵(的)の様子を観察しながら、しかもすぐに射ることが出来ます
鉄砲でいえば銃口を下に向けているだけでいつでも射撃体勢に移れます
これで弓返りさせなければ速射も可能に思われます
このほうが自然です
そうはいってみるものの本当の所はどうでしょうか

続々:古流弓構え  投稿者: 管理人@jiro  投稿日: 2月26日(土)21時33分12秒

今日、洗心館道場で月例射会があったのですが
贄先生に「大寺辰生君」の古流弓構えについて尋ねたところ
贄先生が若い頃の雪荷派古老の弓構えだそうです
年齢を逆算すると幕末か明治生まれの方たちです
名前も覚えていました
矢番え、取り掛け、打起こしの動作も想像通りでした
連盟流の射法が普及、浸透することで絶えてしまったようです
これで疑問が解けました
これからは「大寺辰生君」の弓構えを手本にしていくつもりです

ボクが射法に明るくないということもあって
今までこのホームページでは日置流の射法に関して取り上げることもなかったのですが
「大寺辰生君」の弓構えを見て衝撃を受けました
この写真を保存し、多くの方に見ていただきたいと思いました
ためさん、差し支えなければ掲載することをお許し願えないでしょうか

Re:続々:古流弓構え  投稿者: Tamesan  投稿日: 2月26日(土)21時52分18秒

贄先生から、雪荷派古老の弓構えと認めてもらえましたか
幕末か明治生まれの方たちの射法で、矢番え、取り掛け、打起こしの動作も記憶しておられたのなら、最高です
オークションで購入した古絵はがきですから、著作権は心配ないと思います
明日、スキャナーで読み取り、再度「フォト」に入れておきますので、掲載にはこの画像をお使い下さい
番えた弓矢を弓手に持って、物陰から鳥獣や敵を迎えていたのは、この射法でしょう
是非、復活しましょう


戻る