長篠合戦のぼりまつり 2011
愛知県新城市

長篠合戦のぼりまつり(http://www.shinshirokankou.com/event/nobori.html)に
三河日置流雪荷派として出陣しました。

合戦弓(いくさゆみ)の話を新城市の観光協会の方に持っていったら
話がすぐにまとまって今回の出陣になったというわけです。
それも観光客の最も多い時間帯の12時過ぎのゴールデンタイムです。

総勢22名でボクを含めて少々歳のいった者たちの
背中に矢を盛った箙と、鎧を着ての本格的な装束での演武です。

日置流雪荷派は戦国時代に戦場で鍛え上げられた流派で
その教えは伝書にも色濃く残っています。
そんなわけで流派としてご先祖の教えをよみがえらせたという訳です。
大声で切声をかけながらの弓はスカッとしますよ
出来のほうはまずまずだったようで、毎年出陣することになりました。

以下は島原から援軍として出陣したTamさん
http://www.geocities.jp/morihisata56/HP/index.htm
の掲示板への書き込みを拝借しました。


いざ長篠城へ!

三河地区では徳川家康公の許し状のもとに、弓矢の稽古が奨励されてきました。

武田軍の攻撃を吉田城が受けた際に、弓の師匠と門弟達が撃退したという史実も残っています。
今でも春秋の神社の祭礼では「神事的」を行い、弓引きと地域の連携を維持しています。

明日は牛久保矢場(豊川市)で稽古している人と長篠の近隣の方とが合流して、
長篠城で合戦弓(いくさゆみ)をやります。私も具足持参で三河に来ています。

三河雪荷派の伝書は古いもので、的前の射術だけでなく戦陣のこともたくさん書かれています。
しかし、実際に具足着用での合戦弓(いくさゆみ)については初めての取り組みです。
今日の午後に現地で予行練習をやり、長篠城のぼり祭り(5月5日)に出陣します。



入場



入場直後の辞儀場面




今回は20名を越す参加者だったので、隊列が長くなりました。
そのため矢止は2ヶ所とし、それぞれに各2枚の当物を用意しました。
写真は矢合わせといって、2〜3町(200〜300m)を隔てて、
双方の陣営から矢を射掛けあっている場面に相当します。

今回は、正面中央に検分役(師匠)がおり、
右側に指揮者・左に替弓持ちを配置しました。
前弓と後弓は交互に間断なく攻撃をかけます。

※ 指揮者を専任とし、師匠の脇に配置したのは安全管理上からも適切だったと思います。
替弓持ちも隊員の動きを良く掌握してくれました。このほかに矢止を管理している役員もいます。



【前進攻撃】
前弓と後弓が交代しながら、前進攻撃を加えています。
初陣とは思えないほどの気魄です。
戦国時代にタイムスリップしたと仮定しても、この三河弓隊ならすばらしい戦果をあげたと思います。
観音寺城(近江)を守ったという、吉田一族の技倆に近づけたのではないでしょうか。



江戸の中頃、ここ長篠に生まれた代官 林高英は日置流雪荷派師範としての名が高く
門弟およそ七百人といわれ、その教えは今も残されています。
その記念碑の前でパチッ。



「おまけ」
三河弓隊には、一緒に写って下さいとの声がたくさんかかりました。


平成23年5月5日撮影



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