浜松出世城まつり




11月6日に浜松城公園芝生広場で行われた「浜松出世城まつり」に
日置流雪荷派遠州三河連合隊として具足弓で出演しました。
浜松市制100周年記念事業ということで大きなイベントです。

火縄銃演武、合戦絵巻、和太鼓演奏ありと盛りだくさんのプログラムで
「家康楽市in浜松城」が同時開催で飲食、グルメや農、水産物などの販売もあって
大盛況でした。
午前中は少し雨模様で心配されたけど全演目できて本当によかった。

新たな出会いもあって(美しい女性とかそういうのじゃありません、はい)
少し世界も広がりました。

雨を心配したのも取り越し苦労で、帰ってきて鎧やのぼり旗、わらじなど雨にぬれたものを干して
取り込めばすっかり乾いて元通りです。
わらじなんかも乾けば次回もまた使えます。
具足弓の演武のほうも仲間の活躍で大勝利ってことにしておきます。

参加された皆さん、関係者の皆さん、来場された皆さま、ありがとうございました。


以下の文章はパンフレット用のプロフィールです。
当日撮った写真と一緒に載せます。


「日置流雪荷派、遠州、三河連合隊」 

日置流雪荷派とは室町時代に起源を持つ弓術で、戦国時代には家康公やその他の戦国武将に採用され、
極めて実践的な射法を特徴とする弓術の流派です。
「飛・貫・中」を最高目標とし、1、矢の飛びのよいこと。2、貫通力の強いこと、3、よくあたることがその技術的秘法とされてきました。
これは鎧のような堅物を射抜くだけの力量が要求され、
実践即応の威力ある射術です。




家康公は永禄三年(1560)(公御歳19歳)桶狭間の戦で今川義元が織田信長に討たれた直後に、
駿河、遠州、三河の三国に「弓の事」の書状を出し、
士農工商にかかわらず弓矢を奨励し兵員不足を補いました。


元亀3年(西暦1572年)飽海口の戦いでは
遠州、三河の弓術の師匠と門弟が武田の軍勢を追い払い、
それ以後、武田信玄は遠三両国の弓術を大変恐れたと伝えられています。

「日置流雪荷派、遠州、三河連合隊」もこの永禄三年に出された家康公の「弓許し状」をもとに
遠州、三河で継承されてきた流儀です。

わたし達、「日置流雪荷派、遠州、三河連合隊」は戦国時代の弓術復活をめざして研鑽を続けています。
現在のところ、鎧(よろい)や兜(かぶと)を着けて戦場の弓を演じることができるのは、
県下ではこのグループだけです。
室町時代に祖をもつこの弓術を文化遺産として継承保存してまいりたいと考えます。


実施団体「遠州鎧仁會 鬼蜻蛉のぶろぐ」はこちら
http://yoroikokoro.hamazo.tv/c574601.html

駿府鉄砲衆 出世大名家康君と井の国子供足軽隊
戸山流静岡刀武会 小松名風組
引左若宮太鼓
 合戦絵巻 「三方ヶ原の戦い」の徳川家康と武田信玄
家康軍と武田軍 総勢100人位の大部隊
平成23年11月6日撮影


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