免許披露 & 観桜火宴
三河日置流雪荷派


三河日置流雪荷派の支流がTamさんhttp://www.geocities.jp/morihisata56/HP/index.htm
の長崎県島原に出来ることになって
師匠を含む門弟一同で矢場披露と免許披露に出かけました
伝系を他に出すことを三河では、分け免許、と言います
もちろん天下免許です
ついでに観桜火宴 http://kanoukaen.web.fc2.com/
で具足弓に出演するという少々よくばりな旅行です


大型観光バスを頼んで往復2000kmを超える
3月27日から30日までの旅です

バスのステッカーは「常在館 日置流雪荷派様」
これならサービスエリヤで間違えようがありません


総勢13名、明るいうちからの出発というのにもう一杯やってます
大人の遠足といった様子

バスは島原目指してハイウェイをひた走る中
もう出来上がって高いびき、無邪気なもんです


夜が明ければ島原城と雲仙普賢岳がお出迎え
写真で見るよりうんと立派なお城です

人家のすぐ背後にそびえ立つ普賢岳からは噴煙が立ち昇り
巨大な土石流の痕も生々しい姿に、
この辺に住む人たちは怖くないのか?
と気の弱いボクは余計な心配しちゃいました


千々石の橘神社に到着、バスがでかいので市役所の駐車場にやっかいになります
関係者の皆さんありがとうございます。

ここで一発気合を入れて会場へ
いざ出陣!

会場に着くとリハーサルの真っ最中
いやでも気分は盛り上がってきます


我ら三河衆は島原古流会と合流し
鎧は黒揃いを着ての演武に武者震い

後ろに続く葦北鉄砲隊の火縄銃は迫力満点
具足姿じゃ写真も撮れなくて
以下のホームページでご覧ください
http://www.minamata-hiyori.jp/satsuma/ashikita.html



夜の演武のリハーサル
何とかさまになっています、どうでしょう?

チョッと自慢すると
今回、ボクの弓は18代柴田勘十郎の弓で
江戸時代のものです
雨にも大丈夫のように塗り弓です

腕前は心もとないので道具で勝負


200人以上の鎧武者達の松明の行進は勇壮なもので、
町内の商店街のさして広くない道を歩くのですが、
考えてみると、よく警察や消防署が許すものだ、
と思うほど人家に接近していて、
一歩間違えば大火災の危険をはらんでいます

ここの町の人たちは
人に対する素直で素朴な信頼を持っている方たちなのだと、
深い感銘をうけました

千々石の人たちに支えられ、大切に育てられている
観桜火宴のますますの発展をお祈りいたします。
イヤサカーッ!オー!
的は二枚の畳で距離は十五間、
 なに、こんなの外すわけがない、と思っても鎧の弦走りや肩の鎧袖が邪魔になって何本か外す者もいて
思ったようにはいきません


終わった後、観客の方たちから、
すごかったねー、と言われて、まずまずの出来だったと安堵して、
記念写真を撮ったけど、
ボクのデジカメでは上手く写ってなくて、
まあしょうがないか


翌29日、いよいよ矢場披露と免許披露
この日の島原矢場のために三河で製作した、
飾り的と高札が立てられ開式を待ちます

高札の文面は古伝に則り
「定 弓道は神代よりの古伝なるが故に礼儀を重んずべきものなり
 但し立遅れは矢損のこと 島原矢場元」


いつものように矢代受けから始まり、
流派に属さない地元の方たちも仮の矢代矢を持参しています
 参加者22名

安土固めのための杭と日置流弓乃大事の巻物
最初に猿田彦神社の砂と塩を混ぜたものでお祓いです


三河のしきたりでは流派を継承する師範は
他の師範やその多くの門弟を招待し免許披露を行います

免許披露をしてはじめて師範として認められることになります
これでTamさんは門弟をとり矢代矢を授け
雪荷派の弓引きを育てることになります

矢場開きのための、安土固めの儀、天地四方祓いも
古伝に則ったもので矢場元のTamさんが務めます

これで三河雪荷派の援軍が島原の地に誕生しました


熊本県玉名市の吉田流師範による祝射
ぼくたち三河雪荷派のなくした体配式がここには残っています
右手に弓と矢を持つ執り弓、日置の提げ弓の体配はこの吉田流から教えていただきました

三河の古くからのやり方で本置です
まずは矢順を決める矢代振りから始まり


運営に忙しくて鉾合わせや矢代打や
みんなの弓を引く姿を撮ることが出来ませんでした
ご容赦を願います
代わりに帰る間際に安土の前で撮った
記念写真を載せます

皆さまのご武運をお祈りいたします

平成21年3月27日〜30日撮影


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