八幡宮の神事的
(豊川市八幡町)
久しぶりのホームページの更新です
ここのお祭りの日と、ぼくのお手前矢場(牛久保)のお祭りの日にちが一緒で
行きたいと思っても、今まで参加することが出来ませんでした
ここの奉射神事は一度きちんと取材し
記録に残す必要があるとかねがね思っていたので
念願がかないました
古式を残した立派な奉射神事です
ここ豊川市八幡(やわた)町は律令国家成立当時(1300年ほど昔)に三河国府が置かれ
この八幡宮(はちまんぐう)近所に三河国分寺、国分尼寺などもあり
今でも発掘調査が行なわれ、その一部が復元されています
そのすべてを発掘し復元すると、付近の住宅百数十件が引越しすることになるそうで
今では住宅の建替えや増改築にも制約があると聞いています
そんな歴史的背景もあって
東三河の親分的な性格を持ち
安土の高さは三間半(約6m)にもおよび
三河を代表する大安土です
古式通りに金的が御幣で覆われ 矢止めもきちんと掘られています |
公文(主催者)の日置流雪荷派師範とその一門 |
矢代受けの作法は太郎弓、弐郎弓と作法通り | |
射小屋に掛けられた的中奉納額は 貞亨二年(1685年)のものを最古に 享保、天保、嘉永、といった江戸時代から現代までのもので 風雪に耐え、判読し難いものもありますが 長い歴史とその変遷を見つめ続けた 勇者の誇りと名誉をとどめています 「こりゃあ、おまえのご先祖の額か?」などと言い合いながらやっています |
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矢代振りは介添えを伴い緊張した面持ち 柴田さんガンバってー |
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矢順も決まり、さあ一寸八分の金的に射かけます | |
矢場前の作法として裃(かみしも)着用が義務付けられているので 弓引きも矢場に備えられた裃を着用するのですが ボクも含めみんな慣れないので今ひとつシャンとしません 考えてみれば、裃で肌脱ぎするのは遠山の金さんと弓引きくらいのもので、ご容赦を。 |
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射中てたのは岡崎(額田)の小川さん みんなが一通り引かないうちの甲矢での的中です お見事、お手柄でした。 |
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矢代送りの作法 大前の射手は一手引くと、大済みに矢代を送り 矢順の最後に引くことになります 何事によらず、譲り合いが大事。 |
金的中の後に掛けられた掛替(かけがえ)的 写真では尺二寸(36センチ位)の霞的のように見えるけど、 実は、この的は二寸(6センチ)位の的で、 簡単じゃないけど、中れば金的に順ずる褒美が出ます |
射上げ的は4mほどの高さにもなり 距離も一間ほど遠くなるため、大きい的の割りに射中てるのに難儀します |
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祝的(しゅうてき)は村役さん達も列席し 介添えに裃姿の若い衆もつき、次代へと受け継がれていきます |
金的中者への褒美の品々 |
境内は広く、本矢場(ほんやば)のすぐ脇に 下矢場(したやば)も手入れされていて このあいだまで、命の次に大事なものを賭けて 腕を競い合ったそうです 安土の大きさが分かるように勝浦さんに横に立っていただきました |
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拝殿では優雅な巫女さんのお神楽の舞 | |
拝殿脇には鞍が置かれ、昔はこれで流鏑馬をやっていたそうです 今は子供たちの遊びに形を変えて残っています 馬具は近所の武士の家からの寄進で12頭分あり、鞍にも家紋が残っています |
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神馬係のおじさんを撮ろうとしたら、恥ずかしがって向こうを向いちゃいました、 シャイなんですね |
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流鏑馬の代わりに子供の弓矢の遊びになっているこの的も 向きは裏鬼門から表鬼門に射るように立てられています |
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昼食は社務所でお替り自由 味噌汁が旨かったー。 |
昼からの競射はまだまだ続きます |
平成20年4月13日撮影
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