桜形神社に石碑建立

下の写真は牛久保矢場の壁にはられた
2007年(平成19年)3月1日付けの東海愛知新聞の切り抜き記事です
新聞の中の写真は除幕した星野誠さんと門人の皆さんと、
元康の書状を彫った石碑
この松平蔵人元康(後の徳川家康)の出した「弓之事」の書状は
昔から三河の弓引きの拠り所で
戦国時代から続く三河の弓文化を育んだものです
弓引き以外はあまり知られていないようなので
下に全文を紹介して記録保存したいと思いました



弓道「大和流」師範の星野さん
桜形神社に石碑建立
岡崎 門人らが集まり除幕式
元康の書状を後世に

 
 松平蔵人元康(後の徳川家康)が三河の農民にも弓を射ることを許した、地区有力者あての書状があることを後世に残そうと、
弓道「大和流」の師範、星野誠さん(69)=岡崎市桜形町東田=が同町池ノ入地内の桜形神社境内に、書状の文面を克明に彫った石碑を建立。

二十八日、星野さんや門人ら二十人が集まって除幕式を行なった。

星野さんは「私達が引き継いでいる弓道の伝統を次の世代に受け継いでもらいたい」と話している。

 書状は、表題「弓之事」のあと「今度の忠節により駿河、遠江、三河の内は農・工・商を問わず弓を引くことを免じる。
 もし戦が起こったら中山庄の手勢を寄せ召し連れて加勢せよ」という意味の文面が続く。
「蔵人元康」の名と花押があり、日付は永禄三(1560)年6月7日。
桶狭間の合戦で今川方についた元康が、義元戦死の報を受けて岡崎の大樹寺へ逃避行した直後だ。

「今度の忠節」とは、地区の有力者が今川軍と戦った織田方に寝返らなかったことだとみられる。
「中山庄」は旧額田町の毛呂、名之内、麻生、大林地区や岡崎市の秦梨、岩中、田口町一帯の総称。
この地区では昔から弓道が盛んだったことを示している。

 書状が残っていることは知られていたが、旧家が家宝として保管し門外不出となっていた。
星野さんらは碑の建立に当たり昨年十一月、旧家(同樫山町)で書面を写真に撮った。
碑は六十a角で、高さ三十aの台座に乗せた。

 後ろの碑には星野さんと門人十人、星野さんの父で先代の師範、星野穂積さん(故人)とその門人十四人の名前や建立の趣旨などが刻んである。

 星野さんと門人らは毎月二十八日に同神社境内にある矢場で月例射会を開いており、射会に合わせてこの日除幕した。

 「書状が桜形の弓道発展のよりどころになってきた」と星野さん。

 同神社の秋の祭りで金的を射る奉納神事が行われ、額田中学が弓道競技で全国優勝しているなど、地区の伝統が脈打っている。

 大和流は江戸初期に創流されたとされ、九州・島原が本系で、九州はじめ奈良などにも受け継がれているという。



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