額田の中金(なかがね)の日吉神社の祭礼弓
来る途中、前日の台風で仙坂峠が土砂崩れで通行止め、
仕方がないので萩坂峠に迂回してきました。
おかげで30分も余分にかかったけど、来られてよかった。

島原から参加した、ためさんが金皆中を成し遂げて、
このページのメインテーマになりました。

本殿は山の上、周りは木が鬱蒼と茂っています
三河、日置流印西派の矢場の特徴がよく出ている安土 射小屋にかかる金的奉納額
射小屋は印西派の裏公文のつくり 参加者16名
 「的中賞 石座神社公門」と書かれた手札
腕前でこの手持ちの札を増やします
矢代振りは額田の小川さん、
作法を間違えないように真剣です

 (左下)金的を射止め、その場に控えた、ためさん。

 (右下)金的を的中した後の三番的も甲矢、乙矢、全て皆中し矢代打ちの作法も滞りなく済ませたところ
 これでこのお宮に「金皆中」の額を奉納することが出来ます

 多くの奉納額を調べてもめったにありません
初めての矢場で「金皆中」とは、いやはや恐れ入りました

 三河の弓の神さまがためさんに微笑んだとしか思えません
きっと名射士として孫子の代まで語り継がれます
はるばる飛行機で参加した甲斐がありました

 お手柄でした、おめでとう御座います。

 
兄弟子の永井さんの介添で金の祝的。 
 これが済まない事にはお神輿がお宮から出られません。
一座神妙に控えています


 矢抜きも済んで、金の褒美を受け取るところ

 神官の祝詞で読み上げる的の上の半紙には、的中者は肥前 島原住人と書かれています。

来年の祭礼に奉納額持参で参加することになります 

 矢場の皆に祝的の報告と、金のお流れの御神酒を振舞って、
小川さんと、「やったぜ!!」

 静々とお神輿が担ぎ出されます

 
 境内でくじ引き。
三角くじは箱にあるだけ何回も引かせてくれます
太っ腹です。子供たちも大喜び

 ボクも引かせてもらったけど、
末当のティッシュペーパー一箱でした。
残念。

平成16年10月10日撮影

以下は、ためさんからの掲示板への「神事的体験」をそのまま掲載します
いつも当たり前にやっていることが
ためさんに客観的に文章化されると
あー、そうだったの、そんな意味があったの、といった新しい発見があります
三河のぼく達にとっても自分自身を対象化する契機になります
神事的を理解するうえで貴重な内容です。(管理人)




神事的体験@〜一厘 投稿者:Tamesan  投稿日:10月13日(水)18時48分54秒


 古文書の中に記録はされていても体験しないと理解できないことがあります。
今回の訪問で気づいたことを、一日一話づつ思い出してみます。

 今夜の話は「一厘」
お金の単位=円・銭・厘
金的神事は室町期の「勧進的」から生まれてきています。

 日吉神社の口上の中に、「一手一光、お後三光・・・・ 御銭は一厘」とあったようです。
 今風にいうと、競技参加料は一厘で的中者には、払い戻しますということです。

 100円相当のコインを一厘と呼んでいた頃に作られた進行台本です。
古い時代からの運営ノウハウが伝書として公文に受け継がれているのです。

 「お金=不浄」と見る人もいますが、勧進的の始まった頃のそれは、
参加者の神に捧げる浄財だったと思います。
それに対して神社からはご褒美が出たのでしょう。

 賭け事に堕した弓もあったらしいが、
本来の神前での勧進的はこうだったのかと、認識を新たにしました。







そのA〜矢は一本、的は一つ 投稿者:Tamesan  投稿日:10月14日(木)20時16分10秒


 神谷さんにもらった清酒「空」を夕食に飲んだので、体はポカポカ温まっています。
フルーティな香りのしゃれた酒でした。

 さて、普段の弓と三河の大きな違いは「矢は1本」という点です。
僕の普段の練習は6本の矢を持って射位に座し、
4本を座したまま用前の気分で引き、その後1手(2本)を立射で引きます。

 その後は他の人の練習に合わせて、四ッ矢単位を立射で引いています。
この練習では道場に5人いても、気分的には一人稽古です。
的は練習に来ている人数分が掛かっています。

 三河弓の特徴は、一筋ずつ交代することでした。
一つの的を交代しながら、1本ずつ引きます。
一手(2本)引く場合も1本引いたら次の射手の後ろに回ります。

 金的神事の場合は、次の射手に「ご準備を」と挨拶して射手の後ろに入るし、
射終わっても後方から射手が打ち起こすまでは控えます。

 まとめると、私たちが普段道場で引いているのは「一人稽古」なのに、
三河では「チーム」でした。

 心の健康には「チーム」の方が優れています。
的を一つしか掛けないのからできるのでしょう。

 囲炉裏のごちそうを食べていても、主役は行射中の人です。
みんなが注目してくれます。






     そのB〜写真 投稿者:Tamesan  投稿日:10月15日(金)20時40分26秒

僕も写真を整理しました。
矢代振りが連続写真になっていたので、ヤフーフォトに掲示しました。

小川さんは「写して」と何度もアピールされていたので、「お茶飲んで・・・」コーナーに載せても喜ばれると思います。
「一厘」の中で矢代振りの口上の中と書いたけど、公文の口上の中だったようです。
間違っていました。

気に入っている三河アイテムの一番は「矢かご」です。
「御弓数16弓」と口上があったら、矢取の人は一つの編み目に1本づつ差して行きます。
17本目には1番目の矢が飛んでくる。
矢場の進行状況が矢で確認できるし、射手も帰ってきた矢かごを見れば、
自分の立ち順も予測できます。

公文席の帳面をのぞき込まなくても矢順がわかるのです。
財賀寺や国府八幡で庭に置いてある矢かごを見た時は、神社では朝の鳴き声を聞くために鶏を飼ってるのだろうと思っていました。

ところで、今回は出遅れはしなかったけど、次の方にご準備をお願いしますという、
声掛けは何度も忘れてしまいました。

次の射手が来るまでは打ち起こせないというのも厳格な作法でした。

金の射上げ的の時は引き始めたら、「御当たり見えました」というのでしょうね、
打ち上げで待ってたから、なかなか声が掛からなかったのでしょう。
この付近のタイミングは、一朝一夕では理解できません。

何事も失敗や体験することが、理解への一番の近道のようです。

http://jp.y42.photos.yahoo.co.jp/bc/morihisata56/lst?&.dir=/%c6%fc%b5%c8%bf%c0%bc%d2&.src=ph&.view=t&.last=1






そのC〜伝の継承 投稿者:Tamesan  投稿日:10月17日(日)17時16分25秒


 「日吉神社の神事的」さっそく娘に見せました。
財賀寺・星野神社・高柳先生宅・碧南の熊野神社へ、一緒に旅した娘なので喜んでくれました。

 父が三河の弓術に惚れ込んでいたことは「子には伝わったね!」と評してくれました。
今日で1週間が過ぎましたが、すばらしい体験だったなと、皆様に感謝しております。

 3日もおつきあい下さった、山本先生はじめ同門の皆様、ありがとうございました。
台風の渦に巻き込まれ、そのエネルギーでタイムスリップしたような日々でした。

 それにしても、江戸初期の矢場や作法が、これまで変質せずに良く残った物だと感心します。

 私はこれまでは、伝書(運営ノウハウがぎっしり詰まった)と伝系が継承されたからと思ってきたのですが、参加してみて少し見方が変わりまりました。

「元康の許し状」にもとづく「神事」だったことが、大きな力だと理解しなおしました。
 日吉神社の幔幕の紋は「葵」でしたし、矢場の村役さんからは、神事的を絶やすなと努力したと聞きました。
師匠の役目は弟子の育成とともに、町内との連携が大事だと牛久保でお聞きしていましたが、中金の運営でまさにそのとおりだと思いました。

 弓としての専門的な面は小川さんや長谷川さんがサポートしておられ、公文の役目は、地域や近在の弓引きを動かすことだと、理解しなおした次第です。

 お祭り弓では射手が続かないことを「弓が切れる」といいますが、今後は伝を絶やさないことにも外からの積極的な支援が必要になると思います。

 東三河の「神事的」と「各流派」が末永く継承されることを期待しております。





あとがき 投稿者:Tamesan  投稿日:10月17日(日)17時33分37秒

牛久保では「囲炉裏&アウトドアクッキング」「大工・左官・重機運転」いろんな知恵に出会いました。
「野山の知恵」をもったすごい人たちも交流する人たちの中にいるようだし、
春にまたお尋ねできることを楽しみにしています。




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