服織神社

日置流 印西派 矢場

三河一宮 足山田



東三河では数少ない印西派の大矢場です
化政、天保頃から幕末にかけて栄え、土地の古老たちの言い伝えでは、東三河の三大矢場に数えられるほどの賑わいを見せていたそうです。

 「三河弓術風土記」 高柳静雄著に、
「昔の面影をとどめる矢場や金的奉納額には、古い年代からの数多くの額、
それも眼をみはるばかりの豪華なものや各流派の技を競いあったであろう奉納額の流派、氏名、住所、さらには流派の師範、

 諸士にあっては藩名或いは主君の姓名をも書きつらねて、往時の矢場の盛大さが偲ばれるとともに、
各流派弓術の伝承の様子がよくわかる。--中略--
足山田の服織神社にはたいへん簡素ではあるが、矢場、安土、射小屋も残り
とくに奉納額のなかには横浜有仲をはじめ、吉田藩の士たちの奉納した額も数が多い。

 とくに印西派の師範権田一族代々の奉納額が目につき一族の流派継承の系図を物語っている。」とあります。
今でも江戸時代と変わらず祭礼弓が行われています。

 ボクのカミさんは母親の代に、戦時中大阪から疎開で足山田にきて住みついた縁もあって、
親戚のおじさんもこの矢場で弓を引いています。
 そんな縁もあって連盟の昇段射会をすっぽかして来ました。


朝一番、社務所に役員さんたちがいるだけでまだ閑散としています 本殿横の古式の的山。お祭り矢場の典型的な一人立ちです
昨年の金的の的中者の持参した奉納額を射小屋からよく見える位置に荒縄で縛りおきます とりあえず火をおこしてお茶を一杯。
皆歴戦のつわもの揃いです。薪をドンドンくべます。
金的はすでにかけられて、榊で封印されています。早く行っても練習ができません。
これを「飾り的」といいます。
榊を取り除いていよいよ始まりです
一緒に来た矢取りのヒコさん
 「御矢代(オヤーダイ)、御矢代(オヤーダイ)、御矢代のご失念は御座いませんか。
御的ご覧のとおり、一手一鵠、お後見合わせに願います--云々」
といった口上で矢代振りが始まりました。

「的之次第」によると、「鵠」とは金的のことで雁かねとも云い、小さな的を鳥が早く飛び見定め難い様子からこう呼ぶようになったとあります。

一尺二寸より小的、4寸より星といいます。
何百年も続けてきたかと思うと感慨深いものがあります。
厳格な作法に従い参加者全員の矢代矢を背中に背負い、
一本づつ引き抜き、射小屋の皆によく見えるように高く掲げて矢代枕の前を進みます
矢代枕に順番に並べられた矢で立ち順が決まるため、最初に出ることを願う一瞬です。
お手回しの者が矢代矢の氏名を読み上げます。
これで矢順が決まります。

ちなみにボクの矢代矢には「日置流雪荷派 山本良輔門人 渡邉二朗」と書かれています。

金的は最初に的中した者が唯一の的中者となり、その時点で終了します。
大前の甲矢で的中といったことも起こるし、100人の射手が何回射ても中らない、といった事も起きます。
そのため古来から金的中は授かりものと言われています。

運と腕の両方が必要です。
矢順も決まり、役弓5人が射かける前に控えます さあ始まり。ここは印西派の矢場の特徴で公文(主催者)が射手の後方に席をとり帳付けします。
これを裏公文といい、雪荷派(表公文)とは逆です
金的の的中者は 贄 満 (日置流雪荷派免許)。
弓歴60有余年の大ベテラン。4年前にもこのお宮で「金皆中」の額を奉納しています

「金皆中」とは金的を的中した者がその後の三番的も的中させ、
掛けた的を皆中てたということで、奉納額に書き入れることができる文言です。
多くの奉納額を調べてもめったにありません。

この日は一鵠で的中者が出なかったために三鵠での的中です
みんな残念そうだけど、贄先生じゃしょうがないなあ、といった顔です
大前の射手が2順めも最初に引くことを控えるために、自分の矢代矢を一番最後に移します。
この作法を「矢代送り」といいます。
兄弟子の永井さんの三番的(五寸八分)的中者の矢代打ちの作法です。
この的の的中者には褒美がつくので甲乙いずれかを中てたいと思うけど、
そう簡単に中りません。
お神輿の向う側が金的中者とその介添え、手前側が公文。
神主さんの祝詞の後に祝的です
ここの矢場元の磯村先生(日置流印西派)
矢場の維持は大変だけどまだまだ頑張っています
 雪荷派は三尺三寸、印西派は二尺五寸と聞きますが、ここの射上げ的は巨大です。
五尺(1m50cm)くらいあります。矢はもちろん突き抜けます。
まさかこれをはずすことはないけど、
腕の立つものはわざと的枠を狙って「鳴り縁」(なりぶち)という遊びをします。
 御神事も終わり、囲炉裏を囲んで昼食はご馳走です。
村の人たちが豚汁や炊き込みご飯を運んでくれます。

ここの矢場の人たちが牛久保に参加されるときは、こちらがもてなします。
持ちつ持たれつの関係といえます。昔からこうです。
男のすることは乱暴なもんです。焦げ付いたフライパンを切った竹でこそげ落としています。
竹だからというわけじゃないけど、この方は大竹さんです。親戚のおじさんです。
昼からの競射の絵的
色のついていない白いところは1点で、中心の金色が10点。
この日も腕は冴えず参加者19人中最下位でした。トホホ---。
射小屋に掛けられた奉納額。
昔の額を見ると三河は言うに及ばず信州、遠州からも広く参加していたことが分かります。
土地の古老の話によると、吉田藩の弓術指南役の的中額もあったそうです。
ここの下矢場は木の根元にあって70〜80cm四方位の的山です。すぐ向こうが崖のようになっていて射損なうと後が大変です。昔の弓引きは腕が良かったようです
的山から見た射小屋全景
まわりはうっそうとした木立の中です
この日は比較的暖かだったけど、寒いときはこれに限ります。
子供神輿と若い衆が餅まきの餅を運んできました
この後、町内の人たちが大勢集まって盛大な餅まきです。

平成16年3月28日撮影



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