§<本の運命>第9話

つげ義春「貧困旅行記」と
        高遠菊屋アパート


 
昨年(2014)の高遠ブックフェスティバルにちなんで、つげ義春が高遠を訪れていた話を書いたが、今年はさらに話が深まった。「貧困旅行記」(旧版・晶文社91年刊)の表紙絵の路地の風景が、旧高遠町役場から東へ少し行った清水町の路地の風景に酷似しているとの話が、信濃毎日新聞の記事(9/17付信州ワイド)に載ったからだ。言いだしっぺは地元で公民館の館長などをしているAさん(72歳)。去年、埼玉から高遠へ引っ越してきた古書店「陽炎堂」の店主Dさんがめくっていた「貧困旅行記」の挿絵を見て、「これはあそこじゃないか」と気がついたのだ。


 新聞に紹介された表紙絵をつくづく眺めてみると、まさに小生が90年代に「寺小屋」という塾をやっていた清水町の路地を西側からスケッチした風景そのものではないか。そこをショルダーバッグと旅行カバンを手に提げてとぼとぼと歩いていく男の後ろ姿が描かれている。もしやと思い、手元にある旧旺文社文庫版の「つげ義春 旅日記」の挿絵の頁を紐解いてみると、そこにも同じ路地を今度は北側の小路からスケッチしたモノクロの絵があり、風呂敷包みを背負ったハンチングの男が路地を行く姿が描かれている。
 どちらの絵にも構図の右手奥、ゆるい曲がり角に古い木造家屋があり、それが坂の中腹に建つ木造3階建ての我が懐かしの菊屋アパートに他ならない。どうしてこれにいままで気がつかなかったのだろう? 知らなかったなあ。旧版「貧困旅行記」は、これまで何度も目にしてきたはずなのに、まさか自分が住んでいた家の前の道がこんなに堂々と本の表紙に描かれていたなんて夢にも思っていなかった。不思議なものである(*)。


 ちなみに今年の高遠ブックフェスティバルのポスターは2枚のデザインが用意され、内一枚がこの木造3階建ての菊屋アパートの破風屋根と坂道の風景をあしらったものである(HPの表紙写真参照)。三十代を中心とした若い実行委員会のメンバーにとってみれば、このレトロな雰囲気がたまらないのだろう。古本市の客からも、ここはどこなのかと何度か聞かれた。

 ぼくが高遠の山奥にある芝平という廃村に移り住んだのは1980年代の末。高遠の町の中心街は再開発でどんどん工事が進行していたが、一歩横道に入ったこの清水町の路地は時代から取り残され、昔の雰囲気がそのまま残っていた。
 かつては製糸工場に使われていた木造3階建ての建物は、3階が表の路地に面しており、階段を下った2階に勝手口があり、中庭に面した1階が倉庫という変則的な構造だった。2階の住居スペースは二手に分かれており、手前がたしか10畳・8畳・4畳半の2DK。奥の離れが8畳・6畳の2Kだった。一番奥に共同の汲み取りトイレがあり、廊下にはその臭いがいつもぷんぷんしていた。おまけに階下が吹き抜けの倉庫だったため、冬の寒さも身に沁みた。しかし、とくに中庭に面した奥の離れはこれが町中とはとても思えないすっぽりとこもった安心感があり、春には東正面の高遠城址公園の満開の桜が部屋に居ながらにして楽しめた。
 その2階部分を全部借り切って塾をやっていたのだが、ときどき父兄などを通すと、床が抜けないかと本気で心配していた。大雪で廃村への道が閉ざされる冬は、犬猫を連れてそこに寝泊りもしていた。

 そんな話を聞いた友人が、先日こんなサイトを見つけたと教えてくれた(⇒北冬書房ブログ「万力のある家」つげ義春旅写真)。この「秋葉街道」編をたどっていくと、つげ義春が73年の4月に高遠を訪れた際に撮ったモノクロ写真を見ることができる。よくよく見てみると、実に5枚の内4枚までがこの清水町から東町にかけての路地の写真なのだ。つげ義春がいかにこの路地の裏ぶれた風景に惹かれたのかがよくわかる(**)。


(写真・つげ義春 '73 「万力のある家」より)


 この写真で「編物教室」と看板の出ているところが菊屋アパートで、我々が使っていた90年代当時3階はマッサージ治療院になっていて、授業をやっているとよく天井がみしみしときしんできた。写真に看板が出ている「北原洋服店」の息子の中学生も生徒で来ていた。冬に山から連れてきた雄猫は慣れない町の暮らしでストレスをため、円形脱毛症になってしまい、ときどきそんな猫を連れて夜の路地を散歩したりした。屋根の向こうに高遠城址公園の林が写っているが、70年代当時はまだ入園料も取っていなかったはずだ。
 こんな雰囲気が気に入ってずるずると居ついていた菊屋アパートだが、95年の阪神大震災で身の危険を感じ、再開発の下水道工事の負担金の問題などもあり、我々は97年に引っ越した。しかしその後も、つげ漫画の主人公をほうふつとさせる東京出身の変わり者の友人F君がここを気に入って、2階の奥の離れに十年ぐらい一人で住んでいた。いまでもときどき坂の向こうから見上げるたびに、よくもまあ崩れずにまだ建っているものよと感心するが、どうやらいまだに人の住んでいる気配がある。路地の風景は、さすがに再開発で古い家々が取り壊され、すっかり変わってしまったが、この木造3階建ての建物だけはまだ健在である。「奇跡」と言ってよい。


(この坂を上りきると右手に旅籠屋の廃屋があり、杖突街道に出る)



*ただし新潮文庫の新版では表紙が違い、この挿絵は本文中にある。

**このサイトでつげ義春自身、「当時は井月も真澄もまだ知らずにいたのでのんびりしたものだった」と書いているから、昨年の「本の運命 第8話」で書いた、この旅で彼が井月全集と出遭ったのではないかという憶測は、残念ながら違っていたことになる。

(2015年10月)


             

 
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