§<本の運命>第7話

  明日と自由

  ―「寺山修司青春歌集」(角川文庫)

 「日本の古本屋」(http://www.kosho.or.jp/が創刊したメールマガジンを
見ていたら、そこに古本屋のエッセーというコーナーがあって、その第一
弾として「架空の寺山修司全集」というコラムが載っていた(著者は玉英
堂書店・斎藤良太氏)。これを読んであらためて知ったのだが、これだけ
いろんな作家の全集が出ている現在でも、いまだに寺山修司の全集だけは
出ていないという。それはなぜか? 斎藤氏が指摘するには、まず寺山ほ
ど多岐にわたって才能を発揮した作家は数少ないこと。それに加えて「寺
山の作品は内容はもちろん、カバーの装幀・挿絵・字体・判型そして時に
は紙の色にまでこだわり、すべてを網羅してはじめて一つの作品となって
いる。どれかひとつが欠けていたら、それは寺山の作品ではなくなってし
まうだろう」。つまり寺山の全集は架空のものとしてしか作れないと言う
のである。
 なるほど言われてみればそうである。もう手許にはないが、記憶にある
寺山の本、例えば『書を捨てよ町へ出よう』(芳賀書店)などを思い起こ
してみると、あの多色刷りの横尾忠則の(だったっけ?)装幀とか、ピン
クや青に色分けされたページとか、ページごとに異なる字体とか、本その
ものが持つ猥雑な雰囲気が中身とセットになっていた。いま考えてみても、
およそ函入りの全集とはそぐわないものだった。寺山の本にはたしかにそ
ういうものが多かった。
 だからなのかどうかわからないが、私自身十代後半の頃、寺山の本はエ
ッセーの類を中心に結構読んだ記憶があり、それなりに影響を受けたはず
なのだが、本そのものはだいたい古本屋に売ってしまい、ほとんど手許に
残っていない。いま手許にあるのは、わずかに角川文庫の『寺山修司青春
歌集』一冊きりである。

 久々に書棚からこの文庫本を引き出してみると、発行は昭和四十七年一
月。定価百四十円。後記に「はじめての文庫本が出ることになった。少年
時代に、文庫本の石川啄木歌集をポケットにいれて川のほとりを散策した
ことを思い出し、感慨にとらわれている」と寺山自身が書いている。まだ
文庫本が何ものかであった時代である。
 当時高校生だった私は、これをいつもカバンの中に入れて持ち歩き、授
業中に隠れて読んだりした。だからいまでもそのうちのいくつかは諳んじ
ている。
 この本をめぐってはちょっとした思い出があって、後年、都心の出版社
に勤めていた頃、仕事帰りに新宿のゴールデン街で飲んでいたら、何のき
っかけだったか、たまたまカウンターで隣り合わせた劇作家の高取英氏と
寺山の話、それもお互いが高校生の頃に出たこの文庫本の歌集の話になっ
た。そこで酔っぱらった私がそのうちの初期歌篇にある一首、

 煙草くさき国語教師が言うときに'自由'という語はもっともかなし

 を暗唱してみせると、一瞬腕組みをした高取氏はすかさず、
「それって、'自由'じゃなくて、'明日'という語はもっともかなし、じゃ
なかったっけ」
 と言うのである。ウーム。さすがに寺山の弟子として年譜の編纂までし
た人だけのことはある。あとで家に戻って調べてみると、たしかに「自由」
ではなくて「明日」が正しかった。実際その方が歌としてもすんなり意味
が通る。でも当時高校生だった私としては、確信をもって「自由という語
はもっともかなし」と覚えていたので、その記憶違いがまたそれはそれで
面白いねということで、しばし酒席の話の種となった。

 同文庫に収められた第一歌集「空には本」の後書き「僕のノオト」に、
22歳の若き寺山は次のように書き記している。
「縄目なしには自由の恩恵はわかりがたいように、定型という枷が僕に言
語の自由をもたらした」
 そうなのだ、寺山言うところの自由!。黒い詰襟の制服の下で疼いてい
た自由への渇望。あの頃はそれをどれほど激しく欲していたことか。そう
した渇望に寺山の歌や、少し遅れて知った『未青年』の歌人・春日井建の
歌は見事にかたちを与えていた。いまになって思うと、そうした欲求が無
意識のうちに「明日」を「自由」へと読み違えさせ覚え込んでしまってい
たのだろう。十代後半の青春期に刻印されたものは、後々まで残るものだ。
いまこの青春歌集を手に取ると、紙ヤケしたページの一枚一枚から、当時
思い描いた自由への暗い情熱が歌とともに立ち上ってくるようである。

 それにしても早いもので、寺山修司が亡くなってから今年でもう二十年
になる。そんな時間の経過をにわかに感じさせないほど、寺山の遺したも
のは現在形でそこにある。たとえ函入りの立派な全集など出なくても、そ
れぞれの読者が自分のうちで「架空の寺山修司全集」を作っていけばいい
のではないか、それこそ寺山が望んだことではなかったか、いまはそんな
気がしている。

                        (2003年1月)

 
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