§<本の運命>第3話
旅先に持って行った本・置いてきた本
―山尾三省訳「ラマナ・マハリシの教え」
海外へ旅に出るとき、いつもどの本を持って行こうか、決まるまで何
となく気持ちが落ち着かない。とくに何か月にもわたる長旅ともなれば、
なおさらだ。リュックの容量は決まっているから、まず衣類など必需品
を詰めてから本の選択に取りかかる。書棚から本を引き抜いては、ああ
でもないこうでもないと思い悩み、最終的にやっと3〜4冊の本をリュ
ックに詰めるのだが、出発前に思い悩んだわりには、いざ旅先に出ると
あまり本は読まないものだ。旅そのものが、自分の体で読み解いていく
物語のようなものだからかもしれない。
二十代の後半に初めてインドへ出かけたとき、持っていったのはたし
か金子光晴の詩集と「マレー蘭印紀行」、それからマルケスの「百年の
孤独」だったと記憶している。このうち一番重い「百年の孤独」は、ガ
ンジス上流のリシケシという土地で出会った日本人のヒッピー青年にあ
げてしまった。京都弁で話しかけてきた彼は、もう三年も日本に帰って
おらず、フランス人のヒッピー女性との間に赤ん坊までいた。「かへら
ないことが/最善だよ/それが放浪の哲学」という金子光晴の詩は気に
入っていたが、結局ぼくは四か月ほどで日本に舞い戻ってきてしまった。
その翌年、今度はいろいろと期するところがあり、その気になってア
ルバイトで金を貯め、かんたんには帰らない覚悟で再びインドへ旅だっ
た。このときも日本語の本を何冊か持っていったはずなのだが、いま覚
えているのは、山尾三省が訳した「ラマナ・マハリシの教え」(めるく
まーる社刊)一冊だけである。その本に写真が載っていた南インドのア
シュラム(巡礼宿を兼ねた修業道場)に、ぜひ行ってみたいと思ってい
たからだ。
さて、そこにたどり着いたのは、日本を出てから一か月半ほど後のこ
とだった。正月でも、日本でいえば真夏並みの暑さが続くマドラスから、
バスを乗り継いで6〜7時間ほど内陸部へ入ると、ティルバンナマライ
という寺院街へ着く。周辺は見渡す限りの大平原が続くが、この土地に
だけ小高い岩山が突き出るように鎮座しているのである。その聖山アル
ナチャラ(聖なる光の丘の意)を取り囲むようにして、ふもとに大きな
寺院やアシュラムが点在しており、南インド独特の黒いルンギー(腰巻)
を締めたサドゥーたちがその辺を闊歩している。ラマナ・マハリシが開
いたアシュラムはそのうちもっとも大きくて有名なもので、外国人の訪
問客も多い。
しかしたどり着いてみてわかったことは、ここでの外国人の宿泊は原
則として予約制で、飛び込みの訪問客は板敷の大部屋で三日間の滞在し
か許されないということだった。ぼくは日本から携えてきた「ラマナ・
マハリシの教え」を見せては、もっと長く滞在できないものかと頼み込
んでみたが、やはり駄目だった。それでも三泊四日の滞在中、他のイン
ド人の巡礼客とともに大部屋でざこ寝し、朝昼晩の食事をあてがわれ、
すべて無料であった。
ラマナ・マハリシ自身は1950年に亡くなっているが、師の教えを
受け継いだ人たちが、いまでもアシュラムの維持・運営にあたっている。
とくに瞑想場は師の生前そのままのかたちで残されており、「針一本落
ちても聞こえる」という静寂がいまなお保たれている。長年人々が瞑想
のために坐り続けてきた場所というのは、その空間そのものに特別な気
が満ちていて、ぼくもそこに座っているだけで、何か深いところでじわ
じわと感じてくるものがあった。
そうして座っていると、本の中にあるこんな言葉が、ぼくの心に響い
てきた。
―環境を変えることは、何の助けにもならない。唯一の障害物は
心である。
その後も折に触れて思い出し、いまでも時々噛みしめている言葉であ
る。また一方で、こんな声もどこからともなく聞こえてきた。
―遠いところから、よくここまでやってこられた。あとは静かに
自分の自己の内に帰っていきなさい、と。
しかし瞑想の沈黙に耐え、自分の孤独と正面から向き合うには、ぼく
はまだ未熟でありすぎたようだ。長く旅をしていると何度か旅のスラン
プ状態とでもいうか、見えない壁にぶつかってにっちもさっちもいかな
くなることがあるが、ぼくもここまできて、何だかひどい行き詰まり状
態に陥ってしまった。さてこれからどうしたらいいのか?
この土地での滞在については、たまたま行きのバスで一緒だったカナ
ダ人の青年が、知人のいる別のアシュラムを紹介しようかと声をかけて
きてくれたが、ぼくの気持ちとしては、いったん大都市マドラスまで引
き上げて、態勢を整え直したいという方向に傾いていた。
滞在期限の四日目の朝、メディテーションのあとの朝食を済ませ、大
部屋でリュックに荷物を詰め込んでいたら、最後にいつも手元に置いて
おいた「ラマナ・マハリシの教え」が残った。それを手に取って眺めて
いるうちに、ふと妙な考えが浮かんだ。アシュラムには二階建ての立派
な図書館があり、ヒンドゥー教の聖典やサンスクリット関係の文献を中
心に、世界各国で出版されているラマナ・マハリシ関係の翻訳書がすべ
て揃っている。もちろん、わずかだが日本語の文献もある。
「そうだ! ここにきた記念に、図書館にこの本を置いていこう」
と、突然思い立ったのである。そして本を抱えて図書館に急ぐと、日
本語の関連書が並べられている棚を探して、そこに自分の本をそっと置
いた。そうして、まるで梶井基次郎が丸善の棚にレモンを置いたような
気分で大部屋に戻ってきたぼくは、何か大きな重しを降ろしたようなほ
っとした気持ちになって、アシュラムをあとにしたのを覚えている。
(2001年5月)
→戻る
|