§<本の運命>第10話

  輪廻(サンサーラ)はめぐる

  「水晶の死 1980年代追悼文集」

 


 30年前に出た本の話を書く。「1980年代追悼文集」と副題のついた「水晶の死」(立松和平編)という本を読んだ。大分前に近くのブックオフの百均本で仕入れ、たしか一度古本市に500円位の値段を付けて出したが売れ残り、書棚の隅で埃を被っていたものだ。最近やはり百均本で購入した桶谷秀昭の「昭和精神史 戦後篇」を読んで感じるところがあり、手に取ってみる気になったのだ。すると、これが面白かった。
 すずき出版1991年刊・A5判・574頁・定価4800円。帯には「激動の昭和を生きた53人の文学者に捧げる153篇のレクイエム! 当代一流の文人たちが綴った珠玉の追悼文集!」とある。

 実際、80年の新田次郎から89年の開高健に至るまで、80年代に斃れた作家・詩人・評論家たちへの友人知己からの追悼文の数々は、読んでいて胸に迫るものがある。私自身80年代といえば、まだ二十代から三十代にかけての頃で、生前お会いした人も何人か含まれているから記憶に新しい。しかもそこには十年という時間の幅があり、見送った人が見送られ、それを見送った人が次にまた見送られるという「目も眩むような円環」が生じている。
 編者の立松和平の序辞から引けば、「唐木順三は中村光夫に送られ、中村光夫は大岡昇平に送られる。大岡昇平は今日出海や野上弥生子も送っているのだが、同時に大江健三郎や丸谷才一や吉田秀和や水上勉によって送られる。小林秀雄は円地文子と篠田一士に送られる。円地文子は野上弥生子や尾崎一雄の追悼文を書くのだが、山本健吉や田中澄江に書かれる。その山本健吉にしても、上林暁や耕治人に書き、大岡信、三浦朱門、田中千禾夫に書かれる。篠田一士にしろ、西脇順三郎に書くが、黒井千次、菅野昭正、中村真一郎、辻邦生によって書かれる」という按配である。生者から死者へ、生者であった者が死者へ、ぐるぐると輪廻の輪はめぐって行く。

 深夜、本を閉じてふと思った。発行からさらに30年という時間が経った今日、さて153篇の追悼文を書いた人のうち、まだ生きているのは何人いるだろうか、と。
 ざっと目次を眺めてみても、まず編者であり有馬頼義や深沢七郎を見送った立松和平がもういない(2010年没)。西脇順三郎を見送った池田満寿夫もいない(1997年没)。共に享年63歳。立原正秋や島尾敏雄を見送った小川国夫もいない(2008年没)。56歳で心筋梗塞で逝った磯田光一に「あなたと私とは、お互いにドブ鼠の一生のはずである。ライフワークなどというものは、要らぬ」と書いた秋山駿も83歳で逝った(2013年)。澁澤龍彦を追悼した三人(川村二郎・池内紀・出口裕弘)は全員鬼籍に入った。最後の頁に「開高健氏を偲ぶ」を書いたC・W・ニコルも、この春亡くなった。寺山修司を追悼した岡井隆は宮廷歌人にまでなって長生きをしたが、つい先頃(2020年7月10日)92歳で没。そして鮎川信夫との遊びの思い出を綴った詩人の加島祥造も、5年前、やはり92歳で老衰のため伊那谷の自宅で亡くなっている。

 実はこの百均本で見つけた古本も、元は彼の蔵書だったものである。本に出版社から加島祥造宛の印税の案内の手紙が挟まれていたからわかる。本の紐も鮎川信夫の頁に閉じられていた。結構読み込まれた本で、折れ痕が西脇順三郎と中野好夫の頁、それから森敦を追悼した古山高麗雄の文「中隠の生涯」にあった。白居易の詩に触れた文章で、「大いなる賢者は市中に隠れ、小型の賢者が山中に隠れる、しかし、山中は淋しくてうそ寒く、町なかはただ喧しくて落ち着けまい、されば中隠となって閑職に隠れ住むのが上策だ」というところである。いかにも後年の伊那谷の老子を彷彿とさせるところで、それをまた古本で読んでいる自分も納得するところがあった。こういうのが古本の面白いところで、百均本といってバカにしてはいけない。

 歴史上の人物を亡くなった歳ごとにエピソードで綴った本としては、山田風太郎の「人間臨終図鑑」(徳間書店)が面白いが、やはり故人と生前に何らかの縁があった人が思いをこめて書いた追悼文は自ずと趣が違う。しかもそれが百人を超える執筆者となると壮観である。
 傑作は、新聞記事でユーモアをノーモアと誤植されて状況劇場と天井桟敷の乱闘事件に発展した経緯を書いた唐十郎による寺山修司の追悼「乱闘の夜のさき」。色川武大がポルノ作家川上宗薫のガンとの闘いを描いた「死にあがく己を直視した作家の覚悟」。三島事件の直後に森茉莉からかかってきた電話について記した富岡多恵子の「或る思い出」。そして立松和平が深沢七郎のラブミー牧場に滞在し、二人同じテーブルで毎日小説を書く「狂躁の日々」など色々。もうこんな本はたぶん出ないだろうなと思う(古本市で売れなくてよかった)。 

 それにしてもあと30年経ったら、この本の執筆陣はもちろんのこと、これを書いている私自身もこの世にいないだろう。はたして誰か自分を見送ってくれる人がいるのだろうか?

(2020年7月16日 東京では新型コロナ・ウィルス感染者過去最高の286人を記録)

 
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