§<本の運命>第1話
旧友が売りにきたボロボロの本
―山本義隆著「知性の叛乱」
古本好きの病が嵩じ、この春から正式に古物商免許を取得して、イン
ターネット古書店を立ち上げた。これまでにも時々街の古書店などで見
つけてきた掘り出し物をヤフーのオークションなどに出品したりはして
いたのだが、どうせやるならきちんと買取りもできるようにしたいなと
思い、免許を取得したのだ。とはいっても古書組合のようなところには
加盟していないから、あくまでも副業の少数精鋭の個人的な古書店であ
る。
さて、その第一号の買取り客が、小中学校時代の級友のJだった。
地方出身の幼馴染み同士が、東京などの大都会で顔を合わせるという
のはままある話だが、東京出身者同士が伊那谷のような田舎で偶然出会
うというのはかなり珍しい。Jとはその珍しいケースで、6〜7年前、
地元の美術館の入り口でばったり出会った。もう十年以上会っていなか
ったから顔を見てもすぐにはわからなかったが、その歩き方・身振りを
見て、とっさにJだと気が付いたのだ。面白いもので、顔かたちは年と
ともに変わっても、幼いころから身についたその人独特の動作や身振り
の癖は、年をとっても変わらぬものらしい。
その後彼とは何度か顔を合わせ、コーヒーを飲んだりしたが、いろい
ろと行き違いがあって、しばらく音信が途絶えていた。それがこの春、
どういう風の吹き回しか、向こうの方からぼくの仕事場を訪ねてきたの
だ。どうやら彼は最近離婚して、孤独を囲っているらしかった。
雑談をしているうちに本の話題になり、
「最近、家にある本を整理して近くのブックオフに持っていったけど、
いくらにもならなかったよ」
とJが言い出した。吉本隆明の全著作集や未来社から出ていた埴谷雄
高の評論集などをまとめて四百冊ほども持っていったが、一冊10円位
にしかならなかったとJはぼやく。
「中には、こんなの古すぎていらないって返されたりしてさ」
「なんだ、それなら初めから俺のところに持ってくれば、少なくともそ
の十倍の値で買い取ったのに…」
と言うと、それならまた今度持ってくるよという話になった。彼は自
営の商売の方でも、金策で走り回っているようだった。
数日後、Jは五冊ほどの古本を抱えて仕事場に現れた。どれもブック
オフに持っていったけれど、値が付かないと言われて突き返された本だ
という。
「捨てるのも忍びないと思って取っておいたんだけど、どう?これなん
か」
とまず差し出してきたのが、山本義隆著「知性の叛乱 東大解体まで」
(前衛社刊)だった。もうカバーも取れて、年代相応に相当くたびれた
古本だったが、まだ中はきちんと読める。表紙の裏には、下にインクで
小さく「69年 中3A・J」と署名がしてあり、その横に買った書店
名が記されていた。つまりこれは、彼が中学3年のときに新刊で買った
本というわけだった。
「中学生がこんなの読んでもわかるわけがないんだけど、あの頃はこの
本を持ち歩いているだけで、何かうれしくてさ」
とJが言う。
そういえば、あの頃中学生だった我々の世代の一部にとって、山本義
隆や秋田明大といった名前は一種畏敬の存在だった。ぼくも中3のとき
に、当時のベ平連が出していた「週刊アンポ」という雑誌に投書したり、
その後も「三島由紀夫vs東大全共闘」といった本や秋田明大の「獄中
記」などを、わからないなりに大事に読んだ記憶がある。それらの本は
ぼくの場合、年とともにいつのまにか身辺から消えていったが、Jの方
はよくもまあこれまで取っておいたものよと、半ば呆れ半ば感心した。
結局、持ってきてくれた5冊のうち洋書の専門書2冊は除いて、3冊
を買い取った。そして翌週、ヤフーのオークションに出品してみたら、
「知性の叛乱」はすぐに買い手がつき、買い値の倍の値段で落札した。
そして哲学・思想に関心のある横浜の学生の手に渡っていったのだが、
考えてみれば、この本のもとになった東大闘争の頃、いま現役の学生は
まだ生まれてすらいなかったわけだ。この古本を手にした学生は、自分
の親の世代の敗北の記録をどんな思いで読んでいるのだろうか?
(2001年5月)
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