§岳人・辻まことが残したもの 

 塾の教師があまりこんなことを言ってはいけないのだが、学校の
教科書のつまらなさは昔も今も相変わらずである。しかし現中学3
年が使っている「国語」(光村図書版)には、冒頭に珍しく教科書
らしからぬ新鮮なエッセイが載っていて、思わずはっとさせられた。
辻まことの「山上の景観」という文章がそれで、著者が昔、中学生
の時に登った甲斐駒ケ岳山頂からの御来光の場面を描いたものであ
る。彼は少年時代に、その山頂の眺望に接して以来、「世界」とい
う単語から、いわゆる国際情勢や諸外国のニュースといったことで
はなく、何かもっと未知のもの、人間の世界を超えた広がりを認識
するようになったという。

 〈わたしの視野、わたしの目玉は、それまでこんな広がりを入れ
 たことはなかった。わたしは無限とか永遠といった言葉が見える
 ものだとは想像できなかった(中略)わたしは心の中でセカイと
 いう言葉を反芻していた。何度もセカイセカイと繰り返していた。
 どんな辞書にもなかった理解がそこにあった。〉

 少年の心に刻まれた世界の原像は、それがたんに言葉だけの理解
ではなく、体で味わった直観であるからこそ、後の人生に深いとこ
ろで影響を与える。辻まこと自身、後年山で多くの時間を過ごすこ
とになるが、そのきっかけが、この少年の日の体験にあったと言っ
ている。

 これを機会に、「画文集・山の声」(ちくま文庫)をはじめとす
る辻まことの著作を何冊かまとめて読んでみた。どれもみな傑作で、
面白い。ムササビ射ちから木樵りの手伝い、山スキーに岩魚釣り、
湖畔の小屋暮しに山歩きと、今ふうに言えばアウトドアライフの達
人だった著者の豊かな体験を通して、自然と人との関わりが絵や文
章にみごとに表現されている。何よりも一貫して、真理が声低く語
られていることに好感をもった。そして読み進むうちに彼が、ある
種の世捨人・孤独な山の思索者としての相貌も併せもっていたこと
がわかってくる。

 〈文明は壮麗であろうがなかろうが、滅亡する。しかし人類は、
 ど んな社会組織にしばられても、けっして全面的には崩れない。
 人は 人として自ら復元する力をもっている。それは文化的な動
 物だからではない。未開な自然を内部に精霊としてもっているか
 らだ〉(岳人の言葉)

 辻まこと晩年の一節だが、これは、この世界を超えた何かを深く
信じていた人の言葉だ。それを彼は人が内部に精霊としてもつ未開
な自然と呼んだ。没後二十年余を経た今、彼が残した絵や文章は、
いよいよ輝きを帯びてきている。

(小学館ライブラリー版・表紙)

 ちなみに、詩人・画家の辻まこと(1913〜1975)は父・
辻潤、母・伊藤野枝の長男として生まれた。伊藤野枝はその後、関
東大震災の際、大杉栄とともに憲兵に虐殺された。アナーキストの
父・辻潤は、少年のまことを連れて渡欧したりするが、やがて精神
に異常をきたし、やはり不遇な最期を遂げた。
 もっとも、彼の作品から血縁をたどれるものがあるとすれば、そ
れはむしろ彼の両親たちの生き様に代表される明治・大正リベラリ
ズムの自由奔放さの方だろう。小学五年の夏休みに、多摩川の源を
探りに子供二人で野宿しながら旅をする話(「多摩川探検隊」)な
どを読むと、血なまぐさい年譜的事実とは裏腹に、この人の少年時
代はよほど幸福だったにちがいないと思えてきてならない。いや、
それだけ、めったに外で遊ぶこともなく、タマゴっちやテレビゲー
ムににばかり熱中する今の子供たちが、不幸に見えてしまうのかも
しれないが…。

 *初出「まんまる11号」(1997.8月)

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