§ティピーを立てる

 女房の萌子が縫っていたティピー(アメリカ先住民の円錐形のテント)
の布地がやっと完成したので、梅雨明けの一日、友人のN君に手伝って
もらって畑の隅に小さなティピーを立ち上げた。
 まず、春先に近所の竹林から伐り出しておいた物干し竿ほどの長さの
竹を十本余り組んで骨組みにし、その首の部分をロープでぐるぐる縛る。
その周りに扇形の布地を巻きつけて、合わせ目の穴に竹の切れ端を差し
込んで留める。それから布地の裾に小石を紐で結わえて竹のペグにつな
ぎ、中に内張り用の布を垂らして、周囲に溝を掘ればざっと作業は完了
である。萌子が英語のペーパーバックを参照しながら縫い上げたティピ
ーなので、実際に立ててみるまではフィートやインチの計算がどこまで
きちんと合っているのかちょっと心配だったが、竹の支柱が幾分太過ぎ
たことを除けば、思った以上にすっきりとしたよいティピーが出来上が
った。 
 家から百メートルほどの所にある我が家の畑は、持ち主が亡くなって
荒れたままになっていた梨畑の一画を借り受けて開墾したもので、脇に
テントを立てるぐらいのスペースならある。金網のフェンスをはさんだ
向かい側は中学校の学校農園になっていて、その端に地元の史蹟に指定
されている縄文式の竪穴住居を復元した茅葺き小屋が建っている。ちょ
うどその隣に真っ白いティピーが立つことになったわけで、畑には豆や
芋用の竹の支柱がにょきにょき立っているし、畑の獣害除けのためとい
う地主への口実がなかったとしても、そんなに違和感はない。
 ひと通り作業が終わったところで、N君が持参してくれたセージの葉
をいぶしてお清めをし、ささやかに完成を祝った。四人も座ればいっぱ
いになってしまう直径三メートルほどの小さなティピーだが、夜に入り、
地面の中央に掘った炉に薪をくべれば、そこはもうこの市民社会とは別
空間にある「どこかもうひとつ別の世界」であった。竹を組んだ円錐形
の天井は高く、ほとんど欝屈感がない。頭上の煙抜け用の穴からは満天
の星空がのぞいている。飼い犬のポン太や老猫の麻太郎もティピーの周
りにはべってリラックスしている(麻太には早速小便をかけられてしま
ったが…)。
 実に久々に囲む薪の火の輝きに我を忘れて見入っていると、縄文の昔
から人間はこうして火を焚いて生きてきたんだなという事実にいまさら
のように気づかされる。その年月の方がずっと長いのだ。遺蹟が発掘さ
れたこの地でも、何万年も昔から人々はこうやって火を焚いてきたのだ
ろう。すぐ隣の縄文式住居で古代人が火を囲む姿を想像したりしながら、
僕も萌子も夜遅くまで火に見入っていた。

         *

 山の廃村での暮らしを切り上げて、人の住む山里に降りてきてからそ
ろそろ二年近くになる。もう何年も前から萌子は口癖のように「今年こ
そティピーを縫うわ」と言っていたのだが、結局廃村で暮らしている間
は実現しなかった。山の中の廃屋寸前の家で、囲炉裏を焚き、沢水を汲
み、畑を耕すという暮らしそのものがいわばテント暮らしに近かったわ
けで、僕の方もそんなに切実にティピーのような空間を必要としていな
かった。萌子が東京から持ってきたミシンも引っ越しの際故障したまま
になっていて、メーカーに連絡しても廃村までおいそれとは修理に来て
くれない。支柱用に山から集めて皮をむいておいた落葉松の細木も、い
つしか薪にして火にくべてしまっていた。
 しかし里に住むようになってみると、常に周囲には人の目があるし、
田舎特有の保守的な人間関係の網の目から逃れて、どこかでほっとひと
息つける空間がほしいと切実に願うようになった。小さな借家住まいで
薪も焚けない家だから、なおさらである。
 春先にティピーの支柱にする竹を集めたときも、なんだかんだと消耗
する出来事があった。
 近くに我が家の大家の本家が所有する荒れた竹薮があるので、大家さ
んに立ち会ってもらって本家の了解を得、土地の境界を確認した上で竹
を伐った。伐り出した十五本ばかりの淡竹を五本ずつ紐で束ねて、萌子
と二人で肩に担いで家まで運んだ。竹薮から家まで坂道を登り下りして
七〜八分かかるが、往復の道中、近所の人たちの何人かと挨拶を交わし
た。伐ったばかりの青竹はかなり重く、家の庭まで全部運び降ろしたと
きには二人とも肩で息をしていた。
 その二〜三日後の朝、ポン太を連れての散歩の途上、時々通る立派な
孟宗竹の茂る近くの竹林の小道に足を踏み入れた途端、妙な看板が出て
いるのに気がついた。「持ち主に無断で竹を切るな!」「林が寒くて風
邪を引いています!」等々と黄色いプラスチック板に黒マジックで書か
れた看板が、小道のあちこちに立てられているのである。一瞬我が眼を
疑ったが、ここは大家の本家とは目と鼻の先にある竹林だったし、まさ
か自分たちが妙な誤解を受けたわけではあるまいと考え直して、ポン太
とそこを通り抜けた。
 しかし家に戻ってみると、近所の住人を名乗る男の声で電話があり、
「お宅の庭に積んである竹はいったいどこから取ってきたものだ?」と
詰問された。ははあ、あの看板の竹林の地主だなと思い事情を詳しく説
明し、〇〇さんの立ち会いの下で別の竹薮から伐ったと言うと、やっと
納得したらしく電話を切った。後で大家さんにその話をすると、どうも
最近電話の主の竹林が誰かに無断で伐られる事件があったらしく、たま
たまその前後に竹を担いで歩いていた余所者の我々が近所の人に目撃さ
れており、竹ドロボーと疑われたのではないかということだった(後に
なって地主の親戚の者が無断で竹を伐っただけだということが判明した
が…)。それにしても本家の一人暮らしのおばあちゃんにはお茶の包み
まで渡して竹のお礼をしてあるのに、近所には全然話が通じていないよ
うだった。
 それからだいぶたったある日、大家のおばあちゃんから電話があった。
「うちの本家の所にお茶の包みか何か持っていったことがあるかい? 
いえね、本家のばあさんが言うには、突然知らない男の人が玄関先にや
ってきてお茶の包みを置いていったけど、どこかこの辺の道路工事か何か
に来た衆が挨拶にでも寄ったのかと思って、開けていいもんかどうかわか
らないからそのまま取ってあるって言うんだよ。ひょっとして堀越さんの
ことじゃないかと思って……」。
 やっぱり……、思わず絶句した。そして笑いがこみあげてきた。全然話
が通じていなかったわけである。相当呆けが進んでいるとは聞いていたが、
足腰はしっかりしていて一人暮らしにしては達者そうに見えたし、これほ
どだとは思っていなかった。ともかくふだんの日常とは違うことをやると
もうだめなのである。
 今度の場合は笑い話で済んだからまだよかったが、田舎の老人問題も相
当深刻である。一見すると濃密なコミュニティがまだ生きているように思
われるが、その実態はかなりお寒いものと言わなければならない。若い人
がほとんど町へ出ていってしまうのも責められない。保守的な老人が大半
を占める田舎の山里では、日頃の息苦しさに加えて世間の理屈が通じない
ことがままあるからだ。だからそういう所で我々のような都会から移り住
んだ余所者が息をしていくには、どうしてもどこかに非日常的な空間が必
要になってくる。畑の隅に立てたティピーは、我々にとってそんな切実さ
のあるモニュメントなのである。
         *
 さて夏のある日、シュラフと毛布を持ち込んで、ティピーで一晩寝てみ
た。赤く明滅する燠火を横目に、天井から星を見上げながらじかに地面に
寝るのは気持ちがいい。そうしているだけで少しずつ気持ちが安まってく
るのがわかる。
 が、夜も深まってくると、コオロギの鳴き声に混じって、思った以上に
車の音とか得体の知れない町の騒音がすぐ耳元まで響いてきて、なかなか
寝付けない。それでもうつらうつらしていると、深夜、突如爆竹の音があ
たりにこだまし、ティピーのすぐ横につないでおいたポン太が吠えまくる
声で目が覚めてしまった。こんな夜中に畑の獣除けの獅子脅しの花火だろ
うか? 萌子が起きだして懐中電灯を持って様子を見にいった。しばらく
すると花火の音もやみ、ポン太もようやく静かになったので、僕はそのま
ま寝てしまった。
 早朝、背中がもぞもぞとむず痒くて目が覚めた。シュラフの中に蟻が何
匹か入り込んでいたらしい。あたりはもううっすらと明るくなっていて、
鳥の声とともに早くも朝の町の騒音が聞こえてくる。それでも僕は久々に
すっきりした気分で起き上がったが、萌子はどうやらあのまま眠れなくな
ってしまったらしく、家に戻ったようだ。
 ポン太を連れて家に引き上げると、萌子が眠そうな顔で起きだしてきた。
「昨日、花火の音があんまりうるさいんで見にいってみたら、隣の中学校
の校庭で、若いカップルが打ち上げ花火をやってるのよ。もう十二時過ぎ
てるのにさ。もっと人家のないところに行ってやってちょうだいって注意
すると、ちょっとだけ向こうへ行ってまたやってたわよ。ここまで降りて
くるとほんとに町と変わりないわね」
 ティピーの中がいかに非日常的な空間であっても、やはりここは人の住
む山里の俗な日常に取り巻かれていることに変わりはなかった。人里に住
むとはこういうことなんだなとあらためて実感した一晩だった。

  (「続・山暮らし始末記」1999年・夏)

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