≪伊那谷スケッチ≫(再び春へ)
 2002年2/1〜3/27

3/27(水)朝紅茶を飲みながらふと目をあげると、キッチンの窓から見
えるリンゴの木の下草が、日に日に緑を濃くしていくのに気付く。庭先
に建てた麻太の墓碑の周辺も、アサツキが日増しに青々と茂ってゆく。
梅の花もすっかり満開だ。今年は異様に春の訪れが早い。東京ではもう
桜が散ってしまったというが、伊那谷でも早くも蕾が芽をつけ始めた。
春はこちらの気持ちとはお構いなしに、否応なしにどんどん進行してい
く。
 隣りの果樹園では、今年勤めを定年退職した近所の農家の爺さんが、
梨の木の跡地にブドウを植え、毎朝やってきては薬を撒いたり肥料をく
れてやったりと忙しく動き回っている。そんな光景を目にしていると、
さあこれからいよいよ農薬のシーズンに入るのだなと憂鬱な気分にもな
る。春はいろんな意味で、自分の直面している現実をあらためて思い知
らされるときでもある。
                 *

 さて、1年余り断続的に書き継いできたこの「伊那谷スケッチ」です
が、しばらく休載させていただくことにします。春になり身辺が何かと
落ち着かなくなってきたことや、少々長い書きものに取り組んでいるた
めそちらに集中したいことなど、いくつか理由はありますが、ともかく
伊那谷の1年の四季の移り変わりはたどってみれたかなと思っているか
らです。
 中央アルプスと南アルプスに囲まれた伊那谷は実に美しく、過ごしや
すい風土です。またさほど観光地ずれもしておらず、信州の穴場と言っ
ていいと思います。しかしそこにすっぽりはまってしまうと、なかなか
脱け出せなくなり自家中毒にもなりやすいところです。風土が素晴らし
いというだけで、そこにずっと住めるわけでもありません。伊那谷に移
り住んで14年目になりますが、その辺がいつの世でも人間社会のむずか
しいところだなとつくづく思っています。

 またいずれスタイルをあらためて再開するつもりはあるので、ご意見
やご感想を
メールでお聞かせ願えれば幸いです。このマイナーなサイト
をときどき読みに訪れてくれた読者の方々、本当にどうもありがとう。
                         
(堀越哲朗) 

3/18(月)日曜日の昨日、久々に飯田市の郊外にあるY山の森を歩く。中
央アルプスの南端に位置するこの里山は、山頂からの眺めはたいしたこと
ないのだが、途中の森が実に素晴らしい。トウヒを中心に、コメツガ・マ
ツ・ナラ・クルミといった雑木が山の斜面一帯に広がっていて、それだけ
でもいまどき希少価値のある森だが、尾根伝いに谷をいくつか越えて登っ
ていく苔むした道が、ところどころ木の太い根が地肌に剥き出しになって
いたりして、とても雰囲気がある。
 かなりの急勾配の道を、そんな木の根を手でつかんで這い登っていき日
溜りで一休みしていると、沢に近い崖の中腹から「キエッキエッ!」とい
う獣の威嚇する声がする。梢越しに下を見ると、あれはひょっとして熊の
子だろうか? 黒い四つ足の獣が、崖の中腹に突き出した日当たりのいい
丘の上をこちらを伺いながらぐるぐる歩き回っている。ついさっき獣の大
きな溜め糞を踏み越えてきたばかりだし、日曜日の昼間とはいえ、今日は
我々の他にみごとに誰も入っていない山の中のことだから、ポン太ともど
も少し緊張する。
 ちょうどこの辺が、野生と人間界が交錯する境目あたりなのだろう。そ
ういえば、この週末からやっと狩猟が禁猟期間に入ったのだ。これまでは
山を歩いているとどこかで銃声が聞こえたものだが、今日はじっと耳を澄
ませていても、ゴォーッと風の吹きぬける音や落ち葉のカサコソいう音、
ツイーツイーツイーと小鳥の鳴く声や下を流れる沢の音の他、何も聞こえ
ない。風も、さすがに真冬のような厳しさはなくなった。吹かれていて気
持ちがいい。

 ところで風の音といっても、谷筋をゴォーッと吹きぬける音ばかりでな
く、サワサワとやさしく吹き寄せる音やパタパタパタと山の上から鳴り響
いてくる音など実にいろんな音がするものだ。こうした様々な風の音を聞
きながら山で昼寝していると、地球は自転しているんだなということをあ
らためて実感したりする。
 獣の威嚇をやり過ごしてなおしばらく歩き、最後の急斜面にかかると、
さすがに残雪が深くなってきた。今日はアイゼンも用意してこなかったか
ら、この辺で引き返すことにする。帰り、今年初めての蕗のとう(写真)
を見つけて摘んできた。これから味噌汁に入れて食べる。

3/15(金)明け方、屋根を打つ雨音とともに、何か枕元の壁際でカサコソ
カサコソ音がするので目が覚めた。この暖かさで蜘蛛でも這い出してきた
のだろう。ラジオのスイッチを入れたら、北信の長野市でも周囲の里山に
はもう雪が全然残っておらず、例年より春の訪れが1ヶ月は早いとレポータ
ーが話していた。豪雪地帯で知られる野沢温泉村でも、例年なら今頃4メ
ートル以上ある積雪が今年は2メートルほどしかなく、これでは5月の連
休の春スキーは無理だろうと地元ではぼやいているという。それは南信の
伊那谷でも同じで、もう3月に入った頃から梅がほころび始め、目がムズ
ムズと痒くなり始めてきた。塾で教えている子供らも、やたらと咳き込ん
だり鼻をグシュグシュさせたりして辛そうである。異様に早い春の訪れを
喜ぶというよりは、それぞれに何か戸惑いの気持ちとともに季節の変わり
目を過ごしているというのが正直なところだろう(今年も夏は異常に暑く
なりそうな予感がする)。

3/9(土)暖かな快晴の週末。絶好の山歩き日和だが、昨日から飼い犬ポン
太の調子がよくない。週の中頃、異様に暖かく緩んだと思ったら、翌日か
らまた厳しく冷え込んだので、どうやら体調を崩したらしい。それとも散
歩の途中に何か悪いものでも食ったのか。今朝も散歩に連れ出すなり嘔吐
し、5分も行かないうちにもう引き返したいという素振りをする。ポン太
だってもう十歳を越えるそこそこの老犬だから、いつ何があったっておか
しくはない。
 仕方なく週末の山行きは諦めて、久々に隣家の雌犬リキを連れて天竜川
まで散歩する。この頃は日課の散歩をしないと、犬よりも人間の方がたま
ってしまうようだ。子犬のとき、保健所経由で殺される寸前のところをも
らってきた雑種犬のポン太とは違い、リキは豆柴という品種の血統書付き
の雌犬で、頭もいい。飼い主が老人夫婦で散歩もままならないから、ご近
所付き合いを兼ねてときどき連れ出してやっているのだが、まだ若くて元
気もいいから、突然走り出したり逆立ちして小便をしたり道草を食ったり
と、引っ張られずにつないで歩くだけでも結構大変である。それでもその
分生きのいい手応えがあって、今日も河原まで往復してきたらもう汗ばん
でいた。なんだか若い娘を相手に、久々にデートでもしてきたような気分
になる。

3/6(水)昨夜来の雨で一気に緩み、不眠気味のまま超かったるい朝を迎
える。枕元のラジオのスイッチを入れたら、「今日は二十四節季のひとつ
啓蟄ですね」というアナウンサーの声が流れてきた。まったくその通りの
天気である。旧暦は実に正しく自然の運行を言い当てているなと思いなが
ら、朝の紅茶で気付けをして犬の散歩に外に出る。すると、ちょうど雨の
晴れ間に朝日が射しこんで、雨雲を背景に虹がかかっているところだった。
鮮やかに見えたのは一瞬のことで、すぐ日が陰って薄れてしまったが、虹
を見るといつもなぜか得をしたような気分になり、ほっとする。自然界の
魔法、天の一筆書きに偶然立ち会えた幸運とでもいうのか。
 そのせいなのかどうか知らないが、不思議と虹を見た記憶というのは、
見た場所と結びついていつまでも覚えている。だから虹を見ると、記憶の
なかの虹がいま見ている虹の向こうにいくつもオーバーラップしてきて、
空間の広がりとともに過去の時間も呼び覚まされる。そのなかでいつも必
ず思い出すのは、二十代の頃、初めて北インドを旅したおりに見た、カシ
ミールの山にかかる虹である。あれは州都スリナガルに向かう途中だった
か、それとも西チベットのラダックへと向かう途中だったかは忘れたが、
ともかく長距離バスが坂の途中の宿場町で休憩のために停車し、ぞろぞろ
と他の乗客たちとともにバスを降りたら、誰かが「Oh Rainbow!」と一声
叫んだ。見ると、正面の山の端に鮮やかな虹がかかっており、バスに乗り
合わせた乗客たちの多くが、インド人も西洋人も日本人も、一瞬われを忘
れてその光景に見とれていた…。インドを旅し始めてまだ間もない頃だっ
たから、よほど印象に残ったのだろう、その後も虹を見る度に、このとき
の光景が甦ってくる。

 しかしインドとパキスタンの北辺国境に位置するカシミール地方は、そ
の帰属をめぐって長年紛争の種となっており、いまでは旅行者も立ち入る
ことができない。世界のあちこちで、そんな場所が年々増えている。


(伊那富士山頂にて)

3/3(日)異様に暖かだった昨日、久々に伊那富士こと戸倉山へ登る。
日陰はさすがにまだ根雪が残っているが、日当たりのいい斜面はもうほと
んど雪も解けている。去年は春分の日にまだ大雪が残っていたことを思う
と、今年はいかに雪が少なかったかがわかる。
 途中、7合目付近で一休みしていると、アカゲラかアオゲラか、姿は見
えないけれど、キツツキが木を突つくドラミングの音が聞こえてくる。同
じドリル音でも、人間界の工事の騒音とは違ってのどかな響きだ。17年
前、藁葺きの古い農家を借りて山で暮らし始めた頃は、このアカゲラが夜
明け方に家の壁を突つきにやってきて、びっくりして目を覚ましたもので
ある。あの頃は、それだけ山の中に住んでいたということだ。
 山頂でポン太とおにぎりを食べてから、いつも山に持っていく竹製の初
音笛を吹き鳴らしていたら、近くの木の枝に次々に鳥が寄ってきては、何
だろう?という感じでこちらを眺めている。好奇心の強い連中だ。「ピー
チクピーチクピーチクピー」。あれは何だ? 笛の音に返事をかえしてく
る。こちらも鳥の声に調子を合わせて吹く。すると、向こうもまた鳴き声
をかえしてくる。これを繰り返しているうちにだんだん鳴き声が高まって
くる。お、今度は「ピヨキピヨキピヨキピヨ」というのが来たぞ。「チキ
チキチキチキ」というのも。いろんな山鳥がやってきて、ちょっとした鳥
らの合唱が始まった。山にもやっと春到来という感じである。

 昨日は半日を山で過ごして、一組の登山客とすれ違っただけだが、山に
入るとまったく孤独ということを感じない。むしろ森のかもし出す無限の
生命の豊饒に包まれて、深い安心感に浸ることができる。雑木林の豊饒と
いうのかな。これでバランスを回復して、何とか日々を乗りきっている。

2/26(火)天竜川にくだる朝の散歩コースには何軒か犬を飼っている家が
あり、その前を通るときいつもポン太は緊張する。何遍通っても吠える犬
には必ず吠えられるからだ。このうち最初に通り過ぎる学校の角の家では、
テリアという種類だっけ、あのクシャクシャの小型のペット犬を飼ってい
る。それがいつも猛烈な勢いで家の中から地団太踏んで吠えかかってくる。
しかしこの相手は体も小さく、ポン太にも勝てるという自信があるから、
先に唸り声を上げたりして尻尾を立てて通り過ぎる。
 ところが最後に通り過ぎる田んぼに囲まれた村はずれの集落では、去年
まで道をはさんで両隣りの家で犬を飼っており、そこを通るのがポン太は
苦手だった。うち一軒はポン太と同じ位の大きさの元気のいい白と茶の斑
模様の中型犬で、もう一軒は白熊のような大型犬である。この2匹に左右
から挟撃されると、慣れないうちは犬ならずともびびってしまう。しかし
去年の秋、通称クマこと白い大型犬の方は体調を崩して死んでしまい、左
右から吠えかかられる心配はなくなった。クマはいつも庭の隅につながれ
っぱなしで動作も鈍く可哀相な犬だったが、もう相当に老犬だったようで、
死ぬ間際は家の人に何度も病院に連れていってもらったりして、それなり
に手厚く葬られたらしい。
 今朝、そこを通りかかったら庭先におばさんがいたので「暖かくなった
ね」と挨拶すると、振りかえって会釈を返してきたその顔が、どことなく
あの死んだクマにそっくりだなということに気付いた。長く飼っていると、
飼い犬の顔というのはこうまで飼い主に雰囲気が似てくるものなのだろう
か。ふと我が身を振り返って、あらためてポン太の顔を眺めてしまった。


(去年の秋、池山で)

2/24(日)陽射しがずいぶん明るくなってきた。今日は朝から快晴で風も
そんなに冷たくなく、絶好のウォーキング日和。いつものように犬のポン
太を連れて、天竜川畔を歩く。先週は久々に山へ行ったのだが、簡易アイ
ゼンがもぐってしまうほどまだ雪が深く、林道の途中で引き返してこざる
をえなかった。それに南アルプス山系では、例年なら2/15で終わる狩猟期
間が、今年は有害獣の捕獲が少ないということで一か月延長され、釣の解
禁と重なって問題になっているところだ。まだまだ河原を横へ歩く方が楽
そうである。
 ぼくの住む天竜川東岸の農村地帯から国道の通る西の市街地方面へは、
ほぼ数キロおきに橋が架かっていて、その間を結ぶ土手に河川管理用の小
道がつけられている。といっても全部川沿いに歩き通せるわけではなく、
ところどころで私有地やダム・工場などにぶつかり、車道への迂回を余儀
なくされる。今日も左手に中アの山々を眺めながら上流に向かって歩き、
一昨年できたばかりの駒見大橋を越え、その先の昔は船の渡し場だった大
久保橋を車道を迂回して越えたところで、昔好きだった石原吉郎の「泣い
てわたる橋」という詩の一節がふいに思い出されてきた。

 
三つの橋まで泣いてわたる
 泣いてわたって
 それでも橋だから
 ……
 三つの橋まで泣いてわたる
 四つの橋まで泣いてわたる


 そうだよな、橋というのは何か泣いてわたるのがふさわしいようなとき
もあるよな、それじゃ三つ目の橋まで行ってみようかなという気分になり、
なおもまっすぐ行くと、川がS字を描いて蛇行しているあたりで急に風が
強くなり、小さなダムにぶつかって行き止まりになっていた。上の田んぼ
道に迂回して先へ回ってみると、堰きとめられたダムの上に鉄板一枚だけ
の細い橋が架かっていて、歩いてなら何とか渡れそうである。そんなに距
離もなさそうだったので、よし、これが三つ目の橋だから渡ってしまおう
と歩き始めた。ところが橋の真中まできて下を見たら、鉄板一枚の下は満
々と湛えられた水が轟々と流れ落ちる急流の箇所である。急に足がすくん
でしまい、かといって戻ることもままならないので、ポン太共々泣きたい
気持ちで、這うようにしてなんとか向こう岸までたどりついた。子犬の頃
は小川にかかる木の橋が恐くてなかなか渡れなかったポン太だが、首筋の
白髪がやけに目立つようになったこの頃では、さすがにずいぶん老成した
ものだとちょっと感慨にふける。

2/15(金)猫の麻太郎がエイズで逝って3週間余り。残ったキャット缶を、
ときどき犬のポン太のドッグフードに混ぜてやってきたが、それももう残
り少なくなってきた。
 麻太の好物はなんといってもチーズとツナ缶で、このふたつだけは人間
がひとりで食うことが許されなかった。どんなにこっそり食べようと思っ
ても、どこかで麻太がそれを察知していて、しつこくねだりにきた。とく
にツナ缶は、缶詰を開けるパカッ!という音がすると、かなり遠くにいて
も必ずとんできた。一時期、酒のつまみにツナサラダをよく作ったので、
ぼくが台所で玉ねぎをきざみはじめるともうだめだった。いつのまにか麻
太がすぐ横にきて監視しているのだ。そんなわけだからツナ缶を開けると
きは、はじめから猫の分を底の方に少しだけ残しておいてやり、缶ごと舐
めさしてやる習慣がついた。麻太の方もツナ缶は特別だということはよく
心得ていて、底に残った油をときどき手を使ったりしながらいつまでもい
つまでも舐めていた。
 よく女房と冗談混じりで「こいつが死にかけたら、耳元でツナ缶をパカ
ッ!とやれば生き返るんじゃないか」と話していたことがあるが、実際あ
れは麻太が死ぬ3日前のことである。夜、仕事場から戻った女房が台所で
ツナ缶をパカッと開けたら、それまで寝床にふるえながらうずくまってい
た瀕死の麻太が、突然がばっと跳ね起きて台所に走り出てきたのだ。あの
ときは驚いた。もちろん、もう缶詰を舐めることすらできなかったが……。
 いまでもツナ缶を開けるたびに、どこからか麻太がとんでくるような気
がして、なかなか缶が捨てられないでいる。

2/9(土)「たぶんこういうことができるから田舎に住んでいるんだろう
な」と思うようなひとときがある。
 久々に穏やかに晴れた昨日、天竜河畔を犬のポン太とゆっくり歩き、ふ
だんあまり歩かない向こう岸に渡ってみた。すると意外に広い河川敷が広
がっている場所があり、河原石伝いに水際まで降りていけるようになって
いた。水際の日溜りで岩の窪みに背をもたせかけてじっとしていると、
「ああここにやはり誰かが前にきてこうして座っていたことがあるな」と
いう気がしてきた。右手には中アの山々、川をはさんで左手には伊那山地
の黒い山並みが広がり、その向こうに仙丈の白い雄姿が顔をのぞかせてい
る。平日の昼間とあって周囲には人ひとりいない。ポカポカ陽気の下、川
の流れに耳を澄ましているうちに眠気を催してきて、しばしの昼寝とあい
なった…。たぶんこの一瞬、こういうひとときこそ、田舎で味わえる最高
のぜいたくのひとつであると思う。雪が解けるまで山の中での昼寝はさす
がにむずかしいが、河原でなら冬もできるじゃないかと昨日はちょっとし
た発見をした気分になった。

2/3(日)今日は朝から湿ったボタ雪が降り続いている。どうしたわけか、
去年からきまって日曜日になると大雪が降る。もっとも雪かきの面倒さえ
なければ、除雪車もやってこないし、静かな日曜日である。勤め先を定年
かリストラにでもなったのか、このところ連日のように隣りのリンゴ園の
木の剪定に通ってきていたうっとおしい爺さんの姿も今日は見えない。
 庭先に吊るしてあるバードフィーダーには、今年はまだ全然鳥がやって
こない。これまで雪が少なかったせいもあるが、去年はそれこそ喧(かま
びす)しいといった感じで雀らがたかっていたことを思うと、ちょっと寂
しい気もする。去年はそんな雀を猫の麻太郎がときどき鋭い爪で襲っては、
ほとんど歯のない口でしゃぶって食べていた。猫というのは残酷な生き物
でもある。そんな麻太郎も、いまはもういない。

2/1(金)雪のあとの快晴の晩とあって、今朝は厳しく冷え込んだ。朝起き
て顔を洗おうと思ったら、風呂場の洗面器には氷が張り、濡れタオルも凍
りついていた。1月はえらく緩んだ日が多かったから、この冷え込みは体
にこたえる。それでも日中は日が差して、穏やかな日和だ。

 先日行った大鹿村での話をもう少し続けよう。山の中には知られざるア
ーチストがたくさん住んでいるが、先日訪ねた友人も手先の器用な人で、
もともとは古い農家の空家を借りて住んでいたのだが、火事で全焼してし
まい、その跡地に3年ほどかけて自力で立派なログハウス風の家を建てた。
庭にも客用の小屋などを少しずつ建て回ししていて、今度1年ぶりに訪ね
たらまた1棟増えていた。そこは自作のビーズワークや手作りのジャンベ
などを展示するスペースにするのだという。こんな山の中まで誰が見にく
るのだろう?と思うが、季節によってはけっこう都会から訪ねてくる人も
多いのだ。

 上の写真は彼の友人で、やはり大鹿村の山中に住む「瓢箪アーチスト」
ハリーの作品。自分で育てた瓢箪をくりぬいて、ご覧のような美しい瓢箪
ランプに仕上げた。瓢箪はぼくも以前畑で作っていたことがあるが、意外
性に富んだ作物でなかなか思ったような形に作るのは難しく、また実をく
りぬいて乾燥させるまで時間と根気がいる。そういう意味ではおよそ量産
が難しい素材だが、山のアーチストたちは最小限食えるだけ儲かればいい
というタイプの人たちが多いから、自分の趣味にさえ合えば、採算性はあ
まり気にしないらしい。

 ところで昨秋の米国によるアフガン爆撃の間、大鹿村では有志が山中に
こもって世界平和のために1週間の断食をしたり、国会議事堂の前でハン
ストを決行したりと様々だったという。勿論ほとんどが余所から移り住ん
だ新住民だが、それぞれに何かせずにはいられなかった気持ちは同じであ
るにせよ、ぼくのようにただひたすら山を歩き回っていたのとはずいぶん
違う。相変わらず元気がいいなと感心する半面、「自分が何かすれば世界
は救われる」と信じるそのエゴの強烈さも、やはり山に暮らす人間ならで
はだなと思ってしまった。

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